#2-234 新しいNice Space のために 87

原点に帰って考える、生活を学び直す 59 

「ガレージセール…… 」の次は南の島のミステリー


「ガレージセールミステリー……」 が見られなくなってしまったので、今度は「ミステリー in パラダイス」(原題は、“Death in Paradise”)、イギリスBBC製。と言っても、舞台がカリブ海に浮かぶ島だから、英国製の重苦しさはない。歴史を感じさせる建物や緑豊かな田園の風景もないが、その代わりに海辺の美しさが魅力的。シーズン12まで製作されているというから、本国では人気があるということでしょうね。


ミステリー in パラダイス*

シーズン1と2の主人公は、ロンドンからやってきた警部補。海辺の簡素な建物に、もともと棲みついていた緑色のトカゲとともに暮らしている。

生真面目で、ちょっと間が抜けたところがあるように見えるのだが、大詰めの頃になると打って変わって閃く(まあ、閃かないと、事件が解決しないわけですが)。それから、関係者たちを一堂に集めて、犯人を明らかにしていく。

暑いのをぼやく事しきりなのに、スーツにネクタイを締めることを決して忘れない。出かけるときは、必ず手提げ鞄を持っているし*、汗を拭くためのハンカチが欠かせない。さらに、食事の後には、紅茶を飲まずにはいられない(まあ、英国人であることの強調ということでしょうけど、この辺りが、ちょっと面白く感じられて、見ているわけです)。おまけに、頭部はもはや薄くなりかけている(もちろん、中身のことではありません)。

「こんなに暑いのか?」
「いいえ」
「(えっ?)」
「もっと暑いわ」

 あるいは、

「癒しの水を求める人が大勢来ます。信じませんか?」
「彼らは医療よりもその水を信じると?」
「信じませんか?」
「科学的証拠しか信じない古い人間ですから」

なんていう会話も(時々ですけど)。

物語は定型化されていて、話の筋も主人公の振る舞いもほぼ決まっているので、飽きそうだけれど(そのせいもあるのか、主人公が何シーズンかごとに変わっているらしい)、今のところは楽しむことができている。でも、何と言っても、毎回出てくる一直線に伸びた水平線の海の景色ですね。朝も昼も夕景も等しく美しい。これだけで十分、あとはおまけのようなもの、と言ってもいいかも。

時々、こういうものを見るより映画を観たらいいのにと思うことがないわけじゃないけれど、今はこのくらいがちょうどいいようです。


使わずじまいの鞄

僕もほとんど使っていない手提げカバンをいくつか持っているから、ダレスバッグのような厚みのあるものは無理だとしても、ブライドルレザーの薄手のカバンはなんとか使えないかと思っているところ。ただ、カジュアルな服装しかしないから、むづかしそうですが(となると、逆にスーツやジャケットを着ることにすればいいのか?)。あ、それより何より、外に出なくては始まらない!


* 写真は、Amazon Prime Videoから借りたものを加工しました。


2024.03.23


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#2-233 新しいNice Space のために 86

原点に帰って考える、生活を学び直す 58 

風景式庭園の誕生に学ぶ


ヨーロッパの庭園といえば、宮殿や貴族の館に付随する庭をイメージする人が多いのではあるまいか。たとえば、フランスのヴェルサイユ宮殿の庭やオーストリアのシェーンベルン宮殿(行ったことありませんけど)あたりがよく知られていますね。明確な軸線を持ち、左右対称で幾何学的な形態が特徴で、平面幾何学式庭園と呼ばれる。17世紀機から18世にかけて主にフランスで発展したので、フランス式庭園と呼ばれることも多い。

これに対して、英国では、18世紀半ば前後頃からやわらかな曲線や起伏を多用して、より自然に見える庭が生まれた。風景式庭園ですね。フランス式庭園に対して、イギリス庭園と呼ばれることもある(われわれにも馴染みやすいのではあるまいか)。

その創始者の一人が、ランスロット・ブラウンという人らしい。このあたりからは、2度目のイングリッシュガーデン探訪の「イングリッシュガーデン 大英帝国 庭物語*」(2004年)を頼りに書くことになります(ただでさえ覚えられないのに、まして造園家の名前までは手が回りません。小堀遠州、重森三玲くらいがせいぜい)。

風景式庭園が登場したのは当時台頭してきたジェントリーと呼ばれる階級、貴族ではないけれど、商業的に成功して力をつけた地主層。彼らは自分たちが育った自然な風景を好んだ。そこで、平面幾何学式庭園(フォーマル・ガーデン。イギリスでは、こうも呼ぶらしい)に代わって、風景式庭園が流行することになったというわけ。ちょっと横道に逸れますが、このあたりはわが国の浮世絵の流行と新興町民階級の関係に似ているようで、面白い。


ハンプトンコート

庭に対するこだわり、愛着、執着は、ブラウンのような造園家のみならず所有者においても凄まじいものがある。幾何学式庭園の時代には、あのヘンリー8世は、臣下が所有する庭園(ロンドンにほど近いハンプトンコート。この時代はフォーマル・ガーデン)を気に入って何度も訪れるうちに、ついに強引に差し出させた(さもありなん。隣の芝生は青い、あるいは嫉妬ということがあるのかも知れない)。また、風景式庭園となってからは、ジョージ3世が庭園に植える植物を世界中から集めるためにプラントハンターを派遣し、世界に名だたる植物園「キューガーデン」の発展の礎となった。


ブレナム宮殿の庭園

風景式庭園の代表的なものの一つである「チャッツワース・ハウス庭園」は、ブラウンのデザインになるものですが、当主の4代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュは、理想の風景を手に入れるために、川の流れを変えたばかりか、村ごと移転させてしまった。また、同じくブラウンの手になる「ブレナム宮殿の庭園」では、川を堰き止めて人工的な湖を作り出した。理想の庭園を実現するためには、こんなにも強引なことが行われなければならなかったか(こんなことが許されたのは、力が全てという時代だったせいに違いない)。

ブラウンは。いつも「この庭には「改善する可能性がある」と言ったというので、可能性のブラウンと呼ばれた。ミドルネームにケイパビリティをつけて、ランスロット・ケイパビリティ・ブラウン。いつの世にも、革新を成し遂げる人がいるものですね。そのためには、(可能性を信じすぎることの弊害もあるけれど)やっぱり探究心や好奇心、そして可能性の追求が不可欠ということなのでしょうね。しかし、このことは、過剰な自己主張とは異なるものである、と思う。

アイデアを実現するためには、デザイナー一人では果たせない。依頼人の理解も欠かせません。この他にも、形あるものに作り上げる技術者や職人といった人々の尽力も。偉くなった人は忘れがちなようですが(もちろん、凡人にとっても忘れるわけにはいきません)。

それにもうひとつ、蛇足めきますが、芸術もデザインも、そして自己表現も、過剰になってはならないものだ、と思うのです。

それにしても、このところの日本の政治を見るにつけ、自分のことしか考えない、その場しのぎ、その時の利益の追求だけのよう。掲げてきた原理原則は、もはや完全に忘れ去られてしまったようだ。


* NHK BSプレミアム ハイビジョン特集 魅惑のイングリッシュガーデン 大英帝国 庭物語(2004年)


2024.03.16


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#2-232 新しいNice Space のために 85

原点に帰って考える、生活を学び直す 57 

久しぶりにApple専門誌 iPadほぼPC化作戦


Mac Fan 4月号

久しぶりにApple専門誌を買った。たぶん、スティーブ・ジョブスが亡くなった時以来だから、ほぼ10年以上ぶりくらい。Macfan4月号の特集1「iPadパソコン化計画」に惹かれたのでした(何と言っても、超がついている!)。

以前書いたように一度は挫折したのですが、Instagramを教えてもらったおかげで日常的に使う、というか触るようにはなったので、再度挑戦してみようと思ったというわけ。さて、首尾よく行けばいいのですが、ちょっとやって見たところでは、あいかわらずむづかしそうだけれど(またまた、二の舞になるのか?)。

当初は、手持ちのBluetooth接続の純正キーボードとトラックパッドをつないでやってみたのだけれど、キーのタッチやらトラックパッドの反応やら、なんだか使い勝手がよくない。だから、自然と遠ざかる。したがって、上達しないまま。悪循環ですね。そこで、無駄になるかもと思いながら、少しでもMacBookに近づけるべくトラックパッド付きのキーボードを検討して、安くて評判のよかったロジクール製のCombo Touchを購入(できるだけ節約ということで、たまたま目にしたアマゾンのアウトレットを)。


Combo Touchを装着

デザインは外装が布っぽくてイマイチだけれど、使い勝手はずいぶんと向上した(という気がしたけれど、使うにつれてMacとの違いが明確になってきたようでもある)。今のところ、MacBookの代わりにはとてもなりそうにない。第一、HP作成ソフトは動かせない。笑われそうだし、自己満足のようでもあるけれど、これが実はヨウテイ、カンジンカナメなのだ(まずはボケ防止が目的だけれど、気晴らしにもなっている)。ともかくも、iPadにも馴染んできたし、画面にタッチして操作することにも少しずつ慣れてきた。Instagramの原稿やメールチェックには十分(のはず)。あとは、お絵描きソフトを購入するだけだ(これが、どうやるものかも、ちょっと不安)。

新型MacBook Airも出たことだし、そのうちにMacBookとiPadのそれぞれの特性を生かしたうまい使い分けができればいいのですが。使い分けのめどがたてば、MacBookの方は15インチが使いやすいかもしれないと思ったりしているところ。


2024.03.09


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#2-231 新しいNice Space のために 84

原点に帰って考える、生活を学び直す 56 

カラフルの研究・パエリア編


『ひとり美食倶楽部』の有力なメニューの一つであるパエリアは、週末に男が野外で作って振る舞う料理だという。で、とある休日に作ってみようとした(毎日が日曜日の身にとっても、生活にメリハリをつけることが必要なのだよ。大勢で囲むという部分はパスした)。でも、あいにくの天気だったので翌日に延期。気分が大事ですね。パエリアには曇りや雨の日は似合わない。

パエリアは好きだったけれど、本場スペインで食べた時は、あんまり美味しいと思わなかった(バルセロナと、発祥の地と言われるバレンシアでも食べた)。ついでに言うと、パスタについても同様で、イタリアで食べた時は感心しなかった。期待が大きすぎたのか、レストランの選定を誤ったせいか(ま、いつも貧乏旅行だったのだ)。

バレンシアの火祭りの時には、パエリア・コンクールもあるよう。参加するのは、およそ30組。材料も違。となれば、当然味も違うのだろう。隠し味にはローズマリというグループの一人は、畑に出てローズマリーを摘まなかったなら、その人には愛がないのだと言うのですが。

パエリアの作り方については、実はずっと気になっていることがあるのです。わが国の料理本や料理番組のレシピではほぼ例外なくアルミ箔で蓋をして15分ほど炊いた後、さらに10分蒸らすとあるのに対し、スペインではそうしたことがないようなのだ。もしかしたら、お米の違いのせいだろうか。


シーフードパエリア

で、スペイン人に教わることにした。これだって、人によって違うことは十分にありそうだけれど。さて、どんな仕儀になるのか。退屈してしまう前に、まずは今回の出来上がりの写真(サフラン入り)から。

「まずはじめに言っとくと、こうでなくっちゃというのはないからね。具材も含めて、自由に作るのがパエリアだよ。今日はシーフードのパエリアだね」
「サフランはどう?入れなくてもいい?」
「僕にはちょっと、風味が強くなりすぎる気がするけどね。でも、好きならどうぞ*」
「うん」
「さあ、始めましょう。まず、フライパンにオリーブオイルを」
「油はけっこうたっぷりなんだね」
「そう。その中でみじん切りの玉ねぎとにんにくをじっくり炒める。そして、……と言うと思うかもしれないけれど、熟練の料理人はそうしない」
「ん?」
「手間が増えるからね。取り出さずに、端に寄せておくのさ。どうせまた戻して、煮込むからね」
「なるほどね」

「同時に、もう一つのコンロで、あさりのスープというかワイン蒸しを作っておこう」
「うん」
「あさりの口が開いたら、取り出しておきましょう。貝は火を通しすぎると、硬くなって美味しくないからね」
「確かにね。僕は、普段は貝は食べないけれど、パスタとパエリアの時は例外なんです」
「そうなんだ。でも、おいしいからね」
「ええ」
「それから、短冊に切ったパプリカを炒めて、同じように端に寄せる」
「うん」
「それから、魚介類、と言っても今回はシーフードミックスですが。これを炒めます。ハーブもね。今日は、ローズマリーも入れてみようか」
「はい」
「そこに、トマトを投入。炒めすぎないでね」
「はい」
「ここで、よけておいた具材を戻しましょう」
「忙しいね」
「そう?それから魚のだし、フュメ・ド・ポワソンを作っておこう。さっきの貝を蒸した時の汁も使いましょう」
「えっ、フュメ・ド・ポワソン?」
「顆粒のものが売っているよ。なければ、チキンブイヨンでも大丈夫」
「どのくらい?」
「米を入れた時に、しっかり隠れるくらい程度にたっぷり入れる」
「え?でも、大体の目安は?」
「うーむ。僕はお米の量の2.5倍と少し。蓋をしないからね。でも、多めに作っておきましょう」
「そうなんだ。大体アルミ箔をかぶせると書いてあるけれどね」
「それはしないでおこう」
「はい」
「ちょっと味見をして、塩で調整を」
「はい」

「さあ、いよいよ米を入れますよ」
「蓋はしないんだよね」
「うん。今の所はね。その代わりに、最後にオーブンに入れるんだよ」
「ふーん。あっ、でも日本の家庭ではオーブンがない家もあるから、むづかしいかも」
「うん。でも表面をこんがりとさせたいから、その時はオーブンに入れる代わりに最後の3〜5分くらい蓋をしてもいい。世界一のパエリアを作るともいわれる女性シェフはブドウの木を燃やして、その火を鍋の中まで入れるんだよ」
「へえ」
「今回は、まず強火で8分ほどね。この時、お米が見えないようにします。足りなければ、スープを加えて」
「はい」
「そのあと中火に落として5分ほど。この間は、お米が隠れるくらいにします」
「はい。だから、スープは多めに作っておくんだね」
「そう。もう水分がほとんどなくなって来たよ。そしたら、蓋をしましょう。もう水分は足さなくていいよ。弱火で3分くらいね」
「へえ。そうなんだ」
「チリチリいう音がしてくると、汁気がなくなって、お米がちょうど美味しくなったしるしだよ」
「なるほど」
「蓋を取るよ」
「はい」
「どう?」
「美味しそうです」
「その前に具材をちょっと綺麗に並べ替えたら、出来上がり。さ、レモンを絞って食べましょう」
「はい」

「どう?」
「うまい!めちゃくちゃ美味しいです」
「ね」
「お米がカリッとしている」
「ね。だから、日本風に蓋をして炊いた後にさらに蒸らすやり方じゃないほうがいい、という気がするんだよ」
「確かに。炊き込みご飯じゃないんだからね」
「そうだよ」


* でも、サフランをうまく使うと、色がきれい。ターメリックより薄くていい香りがして、好ましい気がします。

注:複数の番組で見た作り方に、自分で試した結果をもとに構成したものでした。悪しからず。


2024.03.02


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#2-230 新しいNice Space のために 83

原点に帰って考える、生活を学び直す 55 

盛り付けの練習


今日は久しぶりに日差しがあって嬉しい。五十肩もようやく治りつつあるし、散歩に出るのにも絶好だ。

ところで今は、どこに行っても、出てきた料理を写真に撮るところを目にしますね。食べることよりも、写真の方が大事なのかと思うこともあるほどです。やっぱり、たいていはSNSの流行のせいなのでしょうね。自分のための記録という人もいるだろうけど。


豚肉とプラムの赤ワイン煮

僕はもともと、料理を撮る習慣はなかった。それが最近は、けっこう撮るようになった。家でのものに限られますが。

と言っても、ブログのためではありません。まあ、ブログに載せることも増えたけど。動機は別のところにある。それが何かといえば、「盛り付け」。


ラタトィユ再利用パスタ

これが、僕はどうもうまくできないのです、というか下手。言い訳をすれば、実際の食事の際には、盛り付けを気にしている時間はあんまりない。できるだけ早く、出来立てを食べなければいけない。何と言っても、熱い料理は熱いうちに食べるというのが鉄則だから、盛り付けにこだわってばかりというわけにはいられないのです(これは、写真を撮る時も同様。素人の写真は構図が一番大事と思っているのですが、これも時間はかけられない)。

なんと言っても、食べるための料理なのだから。それでも、食べられればそれでいい、というわけにはいきません。見た目も味のうちというし(ま、これだけというのは論外でしょうけど)。それに、ただ食べられればいというのでは、ちょっと侘しい(ほかに、楽しみ、取り柄があればいいのでしょうが)。ただ、先に書いたように、盛り付けに時間をかけるわけにはいかない。ということは、その出来はセンスってこと、か?

それでも、いやだからこそ、練習が必要だと思うわけなのですが。ところが、これがなかなか上達しない。トングや箸をうまく扱うことができないせいか。それとも、やっぱりセンスが決定的に欠けているのか。まあ、練習不足、またはお手本の不在くらいにしておきたいのですが。さて、どうだか。覚えられないことや段取りの悪さもある。


煮込みハンバーグ

ということで、本日の練習は煮込みハンバーグ。若い時はほとんど食べたことがなかった。ハンバーグがそもそも好きじゃない(とくに、食感)。肉を焼くならステーキの方がいい、と思っていました。ところが、最近はちょっとした訳があって、時々作るようになった。ま、慣れて来ると、案外いいもののような気がしてきた。ナポリタンなんかとおんなじですね。おまけに、どちらも冷めにくい。でも、これらはあんまり盛り付けの差が出にくくて、練習にはなりそうにないですけど(うーむ。なかなかうまくいかないものですねえ)。


2024.02.24


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#2-229 新しいNice Space のために 82

原点に帰って考える、生活を学び直す 54 

器を楽しむことにしよう


コルビュジエに光

この時期は、家の奥まで光が差し込む。コルビュジエも、久しぶりに日を浴びて眩しそうだ。朝起きて見た時の、コントラストが強烈だったので、この時の写真から。

今年は器を楽しむことにしようか、と思っているところ(また?と言われそうだけれど)。

と言っても、何も名品を集めようというわけではありません。第一、そんな経済力もない。ただ、食事の際に、手持ちのものを中心に、できるだけ料理にふさわしい器を選ぶように心がけて、食卓に変化を与えようというだけのこと。

まあ、はっきり言ってしまえば、料理の不足を器の変化で補おうということですが、いくらかでも楽しさが増すかもしれない。

僕は基本的に無地の器が好きですが、これはシンプルさを好むということのほかに、自信のなさの表れかもしれない。なかなか選べないということなのですが、使い方を想像する力に欠けているのかもという気もする。

豆皿におつまみ

それでも、模様のあるものの中では、蛸唐草が何故か気に入っている。でも、これらも久しくしまい込んだまま、使ってこなかったのだ。で、こないだ豆皿に盛ってみた。元はお刺身の時の醤油を入れるものなのか、いかにもちょっと小さすぎたけれど。で、ほかになかったかさがしてみたら、これより3回りほども大きいものがあった(ただこちらは、ちょこっと盛るには大きすぎる。中間のものがあればいいのですが)。他には、大皿もあった。


出番を待つ豆皿(一部)

ともあれ、豆皿、小皿の類はたくさんあるので、小皿料理風の食卓を作るのも楽しそうだ。インターネットをみると、豆皿でおつまみという特集はいくつかあるし、その昔小皿料理で名を馳せたお店もあった。なんにせよ、僕の場合、基本は、西洋料理には西洋風の器を、和食には和風の器を用いる。まあ、江戸時代には有田焼等が輸出されて、もてはやされたようだから和を洋に、あるいはその逆を合わせられなくもないかもしれないけれど、たとえばコーヒーや紅茶のカップは和風のデザインのものでは、どうもしっくりこないのです。ただし、卓上の食器を同じもので揃えることにはこだわらない。とすると、今はどうしても洋風料理が多くて、和風の食器の出番が少ないのだけれど、これを機に和風料理にももっと挑戦するのがいいかもしれない(健康にも良さそうだし)。

いずれにしても、あるものはできるだけ活用しなくちゃいけません(なにしろ、あるものでなんとかするというのが、元々の信条なのだから)。それに、盛り付け方の練習も課題の一つ。


2024.02.17


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#2-228 新しいNice Space のために 81

原点に帰って考える、生活を学び直す 53 

ティーポットで紅茶を


もう2月。早い!と思っていたら、はや10日。飛行機並みに速い⁉︎1月は喉の痛みから始まって50肩(なぜか60肩、70肩という呼び方はないようだから、もしかしたらまだ若い?)に悩まされ、パソコンやら住宅の設備機器の問題に振り回されるなど散々だった。まあ、これ以上悪いことはないだろうから、今後は良くなる一方のはず、と前向きに考えることにしよう。


Arzberg製

カフェで供される紅茶は、ティーバッグでというところも多いようだ。しかも、ティーカップにお湯とティーバッグをあらかじめ入れたものを持ってくることもある。それでも、ちょっとこだわったところでは、銀の急須にお湯を入れたものとティーバッグを別に運んできて、カップにティーバッグを入れてからお湯を注ぐやり方をする。で、やってみようとしたのですが……。ただ、家にあったのは、いかにも大きすぎた(ちょっと屠蘇器の形にも似ている)。もしかしたら、6客セットだったから、6人分がいっぺんに入る大きさなのだろうか。

で、もう少し小さなものがないかと思って探したら、ひとつ出てきた。デザイン的には今ひとつのようだが、大きさ的にはぴったり。帰省先で入手した地元産の紅茶は、一般のものが2gなのに対して3gと多めなので、少しお湯を多くするのにもちょうど良い(む⁉︎)。とりあえずしばらくは、これで試すことにしよう。


サンリオ製

何しろ家のことなので、温めたティーポットにティーバッグをセットしたところに沸かしたての熱いお湯を注ぐことにした(たぶん、こちらの方が正当なやり方に近いはず)。やってみると、なかなか良かった。何杯か飲めるし、味や色の変化も楽しめる。おまけに冷めにくい。広くて飲み口の薄いカップも好ましい。

紅茶の場合は、汲みたての水道水を沸かして100度のお湯を入れる。同じお茶でも、日本茶の場合は、高級になればなるほど、低めのお湯で淹れる(ただ、抹茶の場合はまた別のよう)。どうしてでしょうね。まあ、蒸らしはいずれも大事なようだけれど。

と思って、ちょっと調べてみると、渋みやら苦みやら何を出して何を出さないかということのようなのですが。緑茶は渋みの元のカテキン(80度以上100度に近いほどたくさん溶け出す)を出さないようにして、50度で溶け出す旨味成分のテニアンを抽出しようということらしい。一方、紅茶の方は、95度以下だとカフェインだけが溶け出してえぐみが目立つようになるらしいのだね。知りませんでした(やれやれ)。

また、汲みたて沸かしたてのお湯じゃなきゃダメというのは、お湯が空気を含んでないと、茶葉が沈んでしまい、ジャンプしないのでうまく出ない、ということらしいのです。空気を含ませるというのはなんとなく覚えていたのです(お茶を入れるときに、高いところから注いだりするのを見たこともある)。しかし、これが汲みたての水道の水(ペットボトルに入ったミネラルウォーターではいけないそう)と沸かしたてのお湯に関係しているとはねえ。

ともあれ今年は、こうした基本を学び直すとともに、道具(この場合は器)にも気を使うようにしてみようと思っているところ。それにしても、ついこないだ今年の目標を書き留めたと思ったら、次々に新しくやるべきことが出てくるというのはどうしたことだろう。日頃から、もう少し真剣に向き合わなければなりません。

そういえば、肩よりも痛いのは腕だったりするのに、50腕ということはない。おまけに、痛いのは二の腕からその先に広がったのだけれど、この部分はなんていう?で、ちょっと検索してみたら、日経新聞のサイトには以下のような記事*があった。
                 
 「大辞林」(三省堂、第3版)をめくってみると、意外な説明がついていた。
 にのうで【二の腕】 (1)肩から肘までの間の部分(2)肘と手首との間の腕

さらに、

 いちのうで【一の腕】 肩から肘までの腕

というものも載っていたというのですが。えっと思って、手持ちの電子辞書「デジタル大辞林」や「広辞苑」、「明鏡国語辞典」には、(1)しかありませんでした。手持ちのデジタル辞書を見る限りでは、一の腕や三の腕という言葉も載っていない。ということは、少なくとも今は、どうやらなさそうです。ま、言葉は生きもの、日々変化するのだから。

それにしても……、知らないことが多すぎる。


* 夏に気になる二の腕、昔は「一の腕」だった? 日本経済新聞 2013年6月19日 6:30


2024.02.10


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#2-227 新しいNice Space のために 80

原点に帰って考える、生活を学び直す 52 

庭師に学ぶこと


もう今年最初の一月は終わってしまって、はや2月。今日は節分だけれど、ちょっと寒い。明日は立春。暦の上ではもう春。しばらくしたら、本当の春がやってくるだろう。

さて、庭の愛好家や庭師たちの、なんとよく手をかけることか。

とある昼下がり。肩に加えて腕の方の痛みは引かず、さりとて横になるとさらに痛いので、英国の庭を特集したDVDを見ていた時のこと。

彼らは、美しい花を咲かせ、素晴らしい庭を作り上げるための労を厭わない。酷寒の冬には土や苗の準備をし、少し暖かくなり始める頃になるとあらかじめ計画していた場所に苗木を植え、育ってきたら今度は剪定やら芝生の端の処理まで、ずっと手を抜くことがない。その甲斐あって、2月には茶色い枝や茎、葉ばかりが目立っていたのが、5月には若々しい緑にあふれるようになり、やがて色とりどりの花が咲き誇る。

代々続けて庭師だという親子の、父親が言う。

「もしお金が欲しいなら、庭師は良い仕事ではないかもしれません。ただお金では買えないものが得られます。私たちは常に自然と季節の移り変わりを実感できます」

彼らは、庭という冬はマイナス5度から夏は37度という温度差のある環境で働き続け、その中で様々なことを学びながら、去年より今年、今年よりは来年と常に高みを目指して努力することを通じて、何ものにも変えがたいおおいなる喜びを受け取るのだ。

それで、オックスフォードのあるカレッジで話を聞いた、若いガーデナーのこと*を思い出したのでした。


St Catz College

たぶん、セント・キャサリン・カレッジ(Catzと呼ぶらしかった)ではなかったかと思っていたのだけれど、その時のブログ*を見てもは出ていないから、ちょっとあやしい。ところで、Catzは当時のオックスフォードの一番新しいカレッジで、建物をデザインしたのはあのアルネ・ヤコブセン。


Magdalen College

ともかくも、各カレッジにはたいてい専任のガーデナー(庭師)がいて、庭の維持管理を担っているようで、いくつかのカレッジで彼らから聞いたところでは、異口同音に、素晴らしい環境で働くことができるのは幸運だと言うのでした(先の庭師と同じです)。たしかに、カレッジの建物や庭は素晴らしいものが多くて、羨ましくなります。その中の一人の青年(この彼と出会ったのが、セント・キャサリン・カレッジだったと思い込んでいたのですが……。やれやれ)が、「友人たちの多くは高い給料を求めて働きに出たけれど、自分は好きなことをこのように美しい場所でできて、とても幸せだ」と誇らしく言った。ああ、えらいものだなあ。たいしたものだなあ。こうでなくちゃいけないのだなあ、と感心したのを覚えているのです。

どうやら、労を厭わずに仕事(生計を立てるための職業に限らず、生活への取り組み)をするほかに、喜びの時間を手に入れる方法はないことを、改めて教えられたようです。何事も促成栽培ではうまくいかない。頭で理解するのはたやすく、実践するのはそうではないのですが、そういうことを言っている限りはダメでしょうね。少ない努力で、多くの見返りを期待するというわけにはいかない(残り時間が少ないなら、なおさらだ)。


* オックスフォード通信 オックスフォードの中のモダンデザイン
** ガーデナーたちのことは、こちらで取り上げていました。


2024.02.03


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#2-226 新しいNice Space のために 79

原点に帰って考える、生活を学び直す 51 

今度はパリ


ヨーロッパの路地裏をめぐる旅を満喫したあとは、パリの20区のカフェ中心とした姿を訪ねるようになった(10年ほども前に楽しんで以来かもしれない)。こちらも、なかなか興味深い。

パリにも、色々な国から様々な事情で、移住してきた人たちがいる。トルコからやってきたというカフェのオーナーだったか、あるいは常連客だったかの男性もその1人。クルド人の多くは政治的な活動をしないのに、クルド人というだけで迫害されると言い、それを逃れるためにパリにやってきた。


トルコ・寺院

トルコ・グランバザール

それで、僕は今から20年ほども前のことを思い出した。ロンドンからトルコへ向かう機中で隣り合わせになった男性が、なぜそういう話になったかは覚えていないが、苦しんでいるクルド人がたくさんいることを忘れないでくれ、と言ったのだ。ウクライナに侵攻したロシア、イスラム教の組織とイスラエル、その他諸々、近年になってますます自国の利益のみを考えた行動が多くなっているようだ。

さて、パリ市の区の名称は、市の中央部からかたつむりのように螺旋状に各区に付けられた番号を基にしているようですが、その16番目に当るパリ16区は、市の西部に位置していて、東西をセーヌ川に挟まれている。ブローニュの森を含んでいる。セーヌ川を挟んでエッフェル塔の対岸にあたる16区北側地域一帯は、高級住宅街としても有名であるらしい。

その16区の焼きたてのパンを中心としたカフェ”Carton"の常連客の、若きチェリストが言う。

「ただ演奏するだけでは音楽とは言わない。共有してくれる観客がいて初めて音楽になる」
「コンサートはご褒美のようなもの……。僕たちはばかみたいに練習するけれど……。観客に感動を与える。代わりに、観客が笑顔をくれるんだ。その笑顔のために、一生懸命練習する」
「演奏会の後、観客が良かったと言いに来てくれる。これほど感動的なものはないよ」

別の地区のカフェのシェフも、同じようなことを言っていた。これらは、演奏家やシェフに限らず、作曲家や作詞家、脚本家等々に取っても同じ。音楽や料理だけでなく、建築であれ、住宅であれ、文章であれ、絵であれ、なんであっても、あらゆる仕事や活動に当てはまるのだろう。逆に、他者に伝わらなければ、喜びもうんと減るに違いない(と言うのは、能転気にすぎるだろうか)。

一方、シャーロック・ホームズの例もある。

「僕は天然繊維について、ブログを書いた」
 と言ったのは、ホームズ*。
「誰も読まない」
 間髪いれずに応答したのは、ホームズとワトソンが暮らす下宿屋の女主人の、ハドソン夫人。

うーむ。あのシャーロック・ホームズでさえ、と思うと、考えざるを得ませんね。


久しぶりの生花

それにしても、自らの利益や力や与えることだけでなく、相手から貰っているものを意識して、平等な相互扶助の立場に立った、このようなもの言いをしたのが、21歳の若者ということに驚く。

でも、ヨーロッパにはこうした若者が少なくないようなのだね(日本でもそうなのだろうか。いや、少なからずいるに決まっている、と思いたいのですが**)。もちろん、街の伝統に関心がなく、住民同士の関係にも興味を示さない若者が増えたという意見もあるようだけれど(ま、これは、どこに限らず、あることかもしれません)。

他方、わが国は酷い国になった。このところの日本の政治やこれに関わる出来事のありようを見るにつけ、何よりお金儲けと保身が大事で、責任感や立場の自覚、矜持といったものは、カケラさえもなさそうに見える。世界全体が疲弊して、悪くなるばかりのように思えてくる。


追記:今週は、パソコンの不調への対策にてんてこ舞い。後半は、メールさえ読むことができなかった(この顛末は、来週にでも)。


* シャーロック、シーズン3、EP1
** スポーツ選手がよくいう「お世話になった全ての人々……」や「感動や力を……」というのは、ちょっと違う。


2024.01.27


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#2-225 新しいNice Space のために 78

原点に帰って考える、生活を学び直す 50 

ウィーン・ドロテア通りの靴職人


丁寧な暮らし、それを実践するための第1歩は、例えば、紅茶の淹れ方から。

茶葉を蒸らす

紅茶は、ずっとリーフではなくティーバッグを使ってきた。なぜだろうね。日本茶は、茶葉から入れるのがごくふつうのことなのに。だから、せめてその時に、きちんと蒸らすように蓋をしてみようと思った。本当なら、急須に入れるのがいいのだろうけど、今のところはマグカップに小さなお皿で蓋をする。

そのうちに、急須と飲み口の薄い紅茶用のカップで淹れてみようかしらん。

さて、ウィーンのドロテア通り、この地で200年以上も続く老舗靴店を継ぐことになったのは、まだ20代の職人。名人と謳われた師匠の先代オーナーが急逝して、後を引き継いだ。

その師匠については、自分のことを「先代の本当の息子であるかのように愛情を注いでくれたのです」、お客に対しても「仕事の面でも常に支えられていて、心配してくれてのことか、2足も注文をくれたたりするのです」と、感謝を忘れない。

同じく靴職人で、近くの店で働いているという父は、毎日息子の店にやってきては、アドバイスする。ルーマニアからの移民だという彼は、「家族を幸せにすることだけに力を尽くした」せいで精神を病んだこともあったらしい。その彼が、ようやく安定を取り戻して、以来息子のことを見にやってくるようになった。そして、いまでは息子のことを、「ちょっと遅いですが、その分正確で、美しい靴を作る」と評する。

また、息子の方は、師匠の店について、こうも言うのだ。

「この店が、僕を大人にしてくれた。もはや歩みを止めることはありません」


雲間の光

偉いですねえ。大したものだなあ。こういうものを観るにつけ、心はほのかにあたたかくなるのだ(一方で、羨ましいとも)。僕は、テレビ放送を番組表の時刻通りに見ることはあんまりありませんが、録画してもらったDVD(もはや観きれないくらい)は時々観るし、最近では配信番組も観ることがある。なんだか、これらに慰められ、励まされ、支えられているような気がしてくる。

また、ウィーンの別の通り、ショッテン通りにあって1日に500~600食ほども出すというレストランの社是、というか方針は、若者を育てることだという。事実、何百人も育っていったらしい。裏切られたような思いをしたことはなかったのだろうか。そして、オーストリアでは、人間も犬も平等だという。わが国ではどうなのだろうね。

それにしても、靴屋の若き職人は違うけれど、ヨーロッパの路地に暮らす人々には、思い切った転職組がけっこう多いようだ。前の仕事が嫌で辞めたというより(ま、それもあったのかも知らないが)、天職(になりそうだと思ったもの、好きな仕事)を見つけたのだ。それからの展開が、早い。まあ、いいと思ったことはすぐにやらなければ、時間が勿体無いということなのか。ぐずぐずしていたら、時期を逸してしまう、ということもあるのかもしれない。

でも、どうしてこんなに、人の暮らしを扱った番組に惹かれるのだろう。もしかしたら、無い物ねだり、成し得なかったものを擬似的に埋めようとしているのか。

靴磨きも、定期的にしなくちゃいけません。


2024.01.20


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#2-224 新しいNice Space のために 77

原点に帰って考える、生活を学び直す 49 

書き初め その2


ふだん、パスタのソースを作るときは、アルミのフライパンを使う。ある日のこと、別の料理をしたフライパンがあったので、ざっと洗ってそのままソース作りに使うことにした(味に影響はないはず)。確かに、味のできに大した違いはなかった。


フライパン2種*

でもね、あんまり嬉しくなかった。なんといっても、気分が盛り上がらないのです。作っていても、その気にならない、と言うか……。僕の場合、実質よりも見かけってことか?やれやれ。

その時に見ていたのが、コペンハーゲンのオウン・バンデッド通りの人々の暮らしぶり。

そのコペンハーゲンには、コロニへーブという集合家庭菜園があって、花や野菜を育てるだけでなく、そこに小さな小屋を建てて、週末や休日を過ごすことがあるのだそう(元々は、人が住むための最小限の住宅をテーマにした卒業設計の時に知ったのですが、これを思い出した)。

コロニーは集落や集合体のこと、これと庭の意のヘーブを組み合わせた合成語ですね。似たようなものとしては、ドイツのクラインガルテン(小さな庭)というのがある。これらを総称して、コミュニテイ・ガーデンともいうくらいだから、ここを使ったり、訪れたりする人々の交流の場所ともなっている。市が格安で貸してくれるところもあるようだ。とても人気があって、そういえば、ドイツでは何年待ちというほどの人気だ、というのを聞いたことがある。

僕は、特に菜園に関心があるというわけではないけれど、料理に使うハーブを育てたり、ちいさな英国式庭園を作るのは楽しそうと思ったことがあるし、実践していることもある(あるカレッジの小さな空き地のために、空想したこともあった)。しかも、そこで暮らすわけではなくても、住まいの近くに趣味のための場所があるというのは魅力的だ。


菜園に付属する小屋平面図

で、考えてみることにした。小さな小屋で分棟にするのはどうかという気もするけれど、雨天時の作業場(農家の土間のようなもの)と考えれば、さほど不思議なことでもあるまい。この部分の屋根は、簡単な可動式のテントにしてもいい。そのほかにも、変なところがあるかもしれないけれど、先回同様、即日設計だし、手の訓練、頭の体操だ。

今から新しく住宅を手に入れるというのはいささか無理がありそうだけれど、週末小屋のようなものならね(「可能性」は危険、ということもあるけれど)。

それより何より、空想するのは楽しい(紙と鉛筆があればいいしね)。現実逃避と思われるかもしれないけれど、それももう許されてもいい年だろうという気もするし……。


* ちょっと磨き直さなければいけないよう。


2024.01.13


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#2-223 新しいNice Space のために 76

原点に帰って考える、生活を学び直す 48 

書き初め その1


先日、間口2間ほどの小さな店を見ていたら、自分だったらと、久しぶりにスケッチしてみようと思い立った。その店舗はといえば、ミニカーの販売店だったが、ここにはいろいろな思いを持った人々が集まってくる。

自分がかつて所有していた車やら、子供の頃に父親に乗せてもらった車やら、思い出を求めてやってくるのだという。だから、年配の客が多いのだけれど、中には子供や孫を伴ってくる人もいる。この店は、そういう人たちの交流の場ともなっているらしい。

僕が考えたのは、書斎コーナーのある小さなカフェ。お客がある時は、簡単な飲み物や食事を出すのはもちろんだけれど、お客がない時は本を読んだり、書き物をして過ごす。窓越しに通りをゆく人々を眺めるのもいいかもしれない。まあ、お客は滅多に来ないだろうから、忙しくなる気遣いはない。

それでもたまにやってくる常連客があったとしても、料理が出てくるのが遅いなどとは言わないだろう(むろん、味についても同様。僕はテキパキと仕事をこなすなどということは、到底できないのだ)。待っている間は、おしゃべりでもしていればいいのだ(それが嫌だという人は、2度とやってこないはず)。

ここで、問題発生。書きつけたはずのスケッチが見当たらないのだ(ま、こうしたことはしょっちゅうあることだけれど)。となると、また新しく考えるほかない。これもまあ、たいした問題じゃない、手間のこと以外は(僕は、これまで何度も言った通り、頭の中で検討することができないので、時間がかかる)。そもそも、残念がるほど素晴らしいアイデアがあったわけじゃないのだ。


書斎付きカフェ平面図

最初の案(下の図)を清書ししてみたら、客席がいかにも少ないのに気づいた。ラフスケッチの時は、テーブル席もあったのに(まあ、却っていいのかもしれないけど)。

で、客席を増やすべくキッチンのレイアウトを変えてみたのが第2案。こちらは、書斎コーナーとキッチンがちょっと遠いのが気になる(そしてまあ、シンクと冷蔵庫の関係もセオリーからはずれているといえば、そうだけど……)。

ほかにもたくさん朱を入れられるかもしれないけれど、何と言っても、即日設計だからね。完成度よりも最初の思いつきこそを大事に。おまけに、描き直す時間もないのだ。


清書の前に、コロニヘーブのことを思い出して、こちらもスケッチしてみたのですが、またの機会に。


2024.01.06


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#2-222 新しいNice Space のために 75

原点に帰って考える、生活を学び直す 47 

ああ、またしても!


12月に入ったと思っていたら、なんともはや残りわずか2日となっていた(ああ!)。おまけに、日もまだずいぶん短い。


黄金色の葉をつけた木

裸の木と月

家の前の美しい黄金色の葉をつけた木も、あっという間に、文字通りあっという間に、葉を落としてしまった。しかし、裸になった木も悪くない。すっくと屹立していて美しい。おまけに、その上には月が。嬉しくなって、また写真を撮った。こういう幸運が、ほかにもあるといいのだけれど。

思い返すと、今年もどこにも出かけなかった。散歩以外に外に出かけたのは何時間か、電車等の公共交通機関を利用したのは合計で何日くらいあっただろう、というくらい。なんと代わり映えのしない毎日であったことか。それにしても、いったい何をしていたというのだろう(めぼしいことは、何もない)。我ながら呆れてしまう。

さて先日、絵本コンクールの応募先から封書が届いていた。中身が入っているのかどうかと思うくらい薄いものだったので、やっぱりと思った。案の定、またしても落選。カスリもしませんでした(ま、それはこちらの欄も反応なしで、変わらないようです。ちょっと新しい試みをしてみたのですが、反応なしということは、小手先ってことか)。それにしても、ダメですねえ。何をしても、うまくやることができません。

なぜか。なんとなく検討はつくし、原因はだいたいわかる。たぶん、いちばんは平凡だということですね。ま、他にもあるでしょうが、最も大きな要素はこれだという気がする。何かもうひとつ、決定的なものが欠けているようなのだ。人間もごくごく平凡(いや、平凡とも言えないのかもしれない。並外れてぼんやり)だからねえ。さらにそのほかには、新奇性も、驚きも、それにテーマ性というのか何か立派な教えを含むものでもない。おまけに、あまちゃんにも関わらず、それも中途半端だ。あげ始めてみると、まあキリがないね。

ただ、原因がわかったとしても、どこをどう直せばいいのかがいいかが、わからない。それがまた、大問題。何と言っても、いちおうは自分なりによりよくしようと思って、何回か手を入れた結果なのだからねえ。おまけに正直に言えば、多くの人が好きだというものが、僕はそうじゃないということがけっこうあるのです。うーむ。やっぱり、力がないということなのでしょうね(ま、しかたがありません)。

また、どこかに応募することを目指すようにしよう。こういうことに対しては、まあ、あんがい立ち直りが早い。果たして、3度目の正直、はあるのか⁉︎(ま、2度あることは3度あるもと言うけど……)


押し葉

それでも、先日手に入れたスタインベックの短編集のうち、まずはお目当てだった「朝めし」を読み、次いで初めから読もうと思ってページを繰っていくと、小さな押し葉が2枚現れた。ああ、同じようなことをしていた人がいたんだ、と思った。ちょっとジンときた。少し嬉しくなった。

ところで、少し続けてこれを読んでくれている人なら(もしいたなら、ということですが。どうもありがとう)、毎日毎日、代わり映えしない写真(あるいは文章も)を撮っていったい何が楽しいのか、よほど暇なのか、よくも飽きないものだなあと訝る人がいるかもしれない。

自分でも、そう思わないでもない。実際のところ、暇だしね。でも、目にするたびに違っているようだし、その都度、おもしろいなあ、きれいだなあ、ああ美しいと思って、つい撮りたくなるのです(もしかしたら、ただ覚えが悪いだけかもしれないけどね)。ま、これも文章と同様ですが、生存確認のための報告(本当にしてくれているのか?)とボケ防止のための定例作業というべきものでしょうね。

気分を新たにして、来年も(僕の場合は、こそ、か)頑張ることにしましょう。

呆れずに、ずっと読んでくれたことに感謝します。それでは、また来年。

良いお年をお迎えくだい。


2023.12.30


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#2-221 新しいNice Space のために 74

原点に帰って考える、生活を学び直す 46 

わが食卓へようこそ


電子辞書を調べていて、また別の項をみよ(⇨)というのが出てきて、またかと頭にきたのですが、一応開いてみて、次に何とは無しにジャンプのボタンを押したら、下の欄に移行してハイライト表示になったので、さらに下矢印のボタンを押すと、無事に別の項へ飛ぶことができた。ああ、ちゃんとできるようになっていたのね。僕は、ただ知らないまま腹を立てていたのでした。ああ、恥ずかしい!こんなことが多すぎる。無駄に年を取ったのだ。

このところは、ものが減るよりも増えることが多い。そこで、新しく我が家へやってきた道具やもののうちから食器をいくつか。


新しい器のいくつか


大ぶりのお椀は合鹿椀といい、元々は石川県の能登半島の輪島市にほど近い合鹿地方で作られていた漆塗りの飯茶碗で、農作業の時に持って行ったというもの。床に直接置いても食事ができるように、一般的なものより高台が高くなっている。これと対になる汁椀は小ぶりで、高台も高くないが、飯茶碗の中にすっぽり収まって、合理的だ。かつて、合鹿地方では住民がみなこれを持っていて、直しながら長く使ったという。

実は、高台なしでもっとモダンなかたちの山中塗の拭き漆のものとどちらにしようか悩みましたが、まずはこの合鹿椀にした。手軽に使えそうだし、最近になって毎朝飲むようになった具沢山の味噌汁のための器を、と考えたせい。手に持った時に熱くなることがなく、飲むときの口当たりがよく、しかもたっぷり入る大振りなものにしたかったのだ。山中塗の方は、黒ではなく、赤にするのがいい気がしていた。こちらは味噌汁だけでなくスープや洋風のちょっとしたものを盛るのにもいいかもと思ったのだった。

もう一つは、猪口。もしかしたら、本来は小鉢かもしれない。いや、僕にとっては、やっぱり酒器かな。磁器で、ぽってりとしているので、冬に冷酒を飲むのにいいかと思って持ってきた(燗酒用には、陶器の黒薩摩がある)。

それに、少し前に妹にもらった沖縄の職人の手になるグラス(安いものだそうですが)。これは、水のほかに昼のワイン、ときにビールとけっこう活躍している。

「父と母は器を選ぶセンスが良かったと思うよ」、と妹が言った。僕が、赤の小鉢が酒器にちょうど良さそうだったのを見て、「これ、持って帰っていいかな?」と言った時のこと。

「それは、私が陶器市の時に波佐見で買ってきたのを母が見て、『それいいわね』と言ったので、置いていったのよ」

そんなやりとりがあって、我が家へやってきた。ただ、改めて食器棚を眺めてみると、他にも使えそうなものがあることに気づいた(硬直化⁉︎)

こんなふうだから、ものは増える一方なのですが、飲んだり食べたりするというのは、雰囲気を楽しむことでもあるから、仕方がない。僕の場合は、こちらが主かも。腕の不足は器で補うしかなさそうなのです(馬子にも衣装)。前に書いた錫製のちろりを欲しいと思ったのも、このためだ。たいていのものは、必要かそうじゃないかといえば、どうしても必要だというものは、案外少ないのではないか。ラーメンもうどんも同じ器で済ませようとすれば、それで十分ことは足りる。でも、そればかりでは、やっぱり楽しさに欠ける。


楕円形の皿

それからしばらくして、今度は楕円形の皿がやってきた(これも妹のところから)。フィンランドはアラビア社製(アラビア社といえば、昔のリトルマーメイドがおまけにくれたものもそうではなかったか)。リムがない代わりに深さがあるので、ソースをたっぷりかけるようなものに合いそうだ。さっそく目玉焼きを乗せたハンバーグ(実は、あんまり好きではないのですが、目玉焼きは大好き)を盛り付けてみたのですが。よくみるとトマトから出た汁が見えていて、やっぱり繊細さが欠けている(やれやれ。あ、センスの問題には触れないことにしようと思う)。おまけに、肝心のたっぷりかけるはずだったドミグラスソースを忘れた(やれやれ)。

こうしてみると、僕は、見分ける力、選ぶセンスは受け継がなかったかもしれないけれど、それでも、ものを好きになる能力はかろうじてあるかも(あ、もしかしたら、欲しがるだけ?)。


2023.12.23


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#2-220 新しいNice Space のために 73

原点に帰って考える、生活を学び直す 45 

ブロードウェイマーケット通りの土曜も、市場の日


ふと思い立って、久しぶりにお弁当を作ることにした。ピクニック遊び、いや昼の小さなイベントごっこというべきか。すっかり出番のなくなったお弁当箱たちを使ってやらなくては、と思ったのでしたが。作ったのは紅鮭海苔弁当。ふだん食べることはあまりなかったのに、なんだか気になっていたのです。

途中でブロッコリーがないことに気づいたので、カリフラワーで代用。僕は、彩りにはブロッコリだけれど、食べるのにはカリフラワーが好き。あんまり人気がなかったようですが、このところ、手に入れやすくなった(ということは、人気が出てきた?とすれば、めでたい)。


久しぶりの弁当

でも、やっぱり彩りが不足しているのは明らか。それにしても、なんだかなあ。センスと繊細に欠けるなあ、と思った。でも、そう言ってしまえば我ながらさすがに寂しすぎるので、平凡というくらいにしておこうかな。詰め方のことです。料理においては、盛り付けは大事な要素のひとつだと思うのですが。


再び鮭海苔弁当

だから、その後すぐさまリベンジを試みたのですが、詰めるものがたりなくて急遽ほかのものを足したりするなど、センスや繊細さばかりか計画性の不足も露呈してしまった。お手本を探して、練習しなければなりません(いくつになっても、お手本が必要みたい。やれやれ)。

世の中には盛り付けに気を遣いすぎるばかりで、味はイマイチというところもあるようだし、なんでも同じような盛り付けをするシェフもいた。例えば、その当時流行った、メインの料理の周りにソースやスパイスを散らすやり方(今は、ソースを皿の上に描くように敷くやり方か)。いずれにせよ、これだけでは驚きも何もなくて、つまりません。それにしても、一流の料理人たちの盛り付けは見事です。美しさに対するセンスもこれを支える繊細な手さばきも素晴らしい(どうやって身につけたのでしょうね)。

大事なのは見た目よりも味でしょ、と励ましてくれる人がいるかもしれない。あるいは、どうせ食べてしまうのだから、という人もあるだろう。でも、こう言っちゃおしまいのような気もするけれど、それを言っちゃ、文字通り「おしまい」なのではあるまいか。溢れ返るモノに囲まれて暮らすことになっても、何も不思議ではない。どうせあした使うんだから……。どうせまた汚れるし……。これでは、ダメですね(と書きながら、口ほどにもない自分が恥ずかしくなる)。

ところで、ロンドンはブロードウェイマーケットストリートの土曜も、市場の日。ここに暮らす人々も、他の街と同様に地域との関係が深い(不思議なくらい)。

平日に各地で中古家具を見つけてきて、それを自らの手で直し、マーケットの立つ日に販売する家具職人の中古家具販売店店主 サラ・バンクロフトは、中古家具は「かつて誰かのお気に入りだった」と言う(確かに。肝に銘すべし)。

若き元シティの金融マンのリチャード・ヘイフィールドは、高層ビルから真夜中の街を見下ろした時「深夜に僕は何をしているんだろう」と思い、別のある日、川向こうから高層ビル群を見ながら、自分は「夢をつかんだはずなのに、全然楽しくなかった」ことに気づいて、ブロードウェイマーケットストリートの鮮魚店の主に転身して、周囲を驚かせた。彼がいわく。

「ここには、面白い芝居も音楽もあるよ。でも、何より人が一番面白い。圧倒的に……」

お金よりも、人との関わりが大事だったというわけだ。

また、通りの入り口近くには、有名な花屋がある。店名は反逆者を意味する『レベル・レベル』。個人用の花束はいうまでもなく、大きなイベントの飾り付けから王室の仕事までをも請け負っているという店のオーナーは、フラワーデザイナーのアテナ・ダンカン。もう一人のオーナーと二人三脚で経営している。

アテナは40歳になるまで、テレビの仕事をしていて、忙しく充実した毎日だったというのですが、自分が同じことしか繰り返していないことに気づいて、転身を決めたらしい(うーむ)。

いずれもが自分の暮らし方に対して積極的で、思い立ったら迷うことなく実践するというのが、なんと潔く、羨ましくも素晴らしいことか。

表通りから一歩入った向こうに現れたもの、見えたものが街のほんとうの素顔だとしたら、ヨーロッパの、少なくともいくつかの路地裏のなんと素敵なことか(しかも、他のものを見ていても、変わるところがないようなのです)。

ところで、BGMには、時には映像を邪魔しないクラシック音楽よりも、観る者に積極的に働きかけるポップな軽音楽が好ましく聞こえる時がある。相乗効果の例だろうか。加えて、斉藤由貴のナレーションもよく似合っている。田舎育ちの僕が言うのもなんですが、ちょっとイントネーションが変じゃないかと思うところがあるけれど、それよりも全体のトーンがいいのだと思う。この場合は神は細部ではなく、全体性に宿っているようなのだ。


2023.12.16


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#2-119 新しいNice Space のために 72

原点に帰って考える、生活を学び直す 44 

ポートベロー通りの土曜は、マーケットの日


壁に映った木の影

用事があって、昼過ぎの早い頃に外に出てみたら、アパートの壁に葉を落とした木の影が映っていた。緑の葉をたくさんつけた木の姿もいいけれど、茶色や赤の葉をわずかに残すだけになった木も、そしてその影も、なかなか美しい。それで、しばし見入った。でも、歩道からではゆっくりと眺めているわけにもいかないのが、残念。

もう何回も書いているように、相変わらず日々ぼんやりと過ごしてばかりなのですが、勤めを辞めた後でも、今日は土曜、あるいは休日だからと考えます。いや、勤めている時は日曜も職場に出かけていたから(別に仕事をしようとしていたのではありませんけど)、その当時以上に気にかけていると言えるかもしれない。

曜日の感覚を忘れないようにして、オンとオフを明確にしながら、なんとか生活のメリハリを失わないようにしようという魂胆なのですが。

まあ、その姿勢は、決して間違っていないと思うのですが、ただ計画するのと実践の間には少なからぬ隔たりがあるのが問題。なかなかむづかしいのです(ああ、むづかしいことだらけ)。

今日は週末だからのんびりしよう、片付けや掃除は休んでもいいことにしようと思って、これを実践するのは極めて簡単なのですが。でも、平日にしっかりと作業に取り組むというのが、至難の技。どうしてなのだろう。もちろん、そうしよう、そうしなければという気持ちは、人に負けず劣らず、いやそれ以上にあるのです(たぶん)。にも関わらず、気がつけば結局は何もしないまま、のんべんだらりと過ごしてしまうことになってしまう……。


急拵えの第2の飾り棚

それで、自責の念に駆られて、急遽、少しだけ片付けを始めたり、ちょっと暗かったこれまでの場所とは別のところに飾り棚をこしらえたりしてみるのですが、いずれもがいかにも小手先という感は免れない……。さて、ここをどう使ったものか(最初のところはそのままか、あるいは一部を移して、その分を本棚として使うのがいいか)。収納の場所を減らせば、自ずとものも減らさざるを得ないので、まあいい方向に働くかもしれません。

「今日はどんな一日になるのかしら。ドキドキするわ」

そう言うのは、ロンドン西部のノッティングヒル地区にあるポートベロー通りで、有名なファッションカメラマンだったという父親から頼まれて引き継いだ、古いファブリックを扱う店を営むヴィジ・ソードン。こんな風に1日を始める、というのは素敵ですね。

ノッティングヒルは、映画「ノッティングヒルの恋人」や、ロンドンで最大級と言われるアンティーク・ストリートマーケットで有名ですが、土曜になると、通りには露店が立ち並び、人で溢れかえる。この日は、ヴィジも、平日のお店とは別に露店を出す。毎日お客の相手をし、通りの住人と会い、家族の食事を作り、休みの日には、まだ小さな子供といっしょに遊ぶ。極めて忙しく立ち働いているのだが、それでも毎日の生活に誠実に向き合い、住み慣れた場所での暮らしを喜び、楽しんでいるのがよくわかる。

もう一人、老齢に差し掛かかり始めた歌手のアール・オーキン。かつてはポール・マッカートニーとウィングスのツアーの前座を務めたこともあったといい、一度は栄光を掴みかけたが、果たせなかった。それでも投げやりになることなく、小さな会場で自作の曲を演奏したり、そのコレクションは1万枚以上という78回転のSPレコードをCDに移してポッドキャストで公開して古い音楽の良さを伝えたりしながら、日々活動している。母を亡くし独り暮らしとなったアールは、少し寂しいのを紛らわせるためにいつも自分を忙しくするようにしているらしい。

その彼が、間違いはあるけれど、人に「不誠実なやつだと思われたくない」、人は時にわがままなものだけれど「だから、わがままにならないように努力しています」、さらに「人に嫌がられないような人物でありたい。それがすべてです」と静かに語るのに、胸を突かれた。

彼女や彼を見習って、彼らのように、生活のありようを見つめて、今一度きちんと暮らすということを考え直さなければいけない。前からわかっていたことですが。言うは易く、行うは難し。うーむ。なぜできないのだろうねえ(なんて、言っている場合じゃないのだ)。


2023.12.09


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#2-118 新しいNice Space のために 71

原点に帰って考える、生活を学び直す 43 

ひとり遊び


空港

空港は、というより飛行場と言いたくなるのですが、いつも高揚した気分になります(というと、年が知れるようですが。ま、昔は今と違って、飛行機に乗るというのは特別のことだった)。それより何より、空間的な広がりや開放性が、別世界への期待へとつながっている気がするせいなのかもしれません。

先日、久しぶりに外で飲んだ(と言っても、八景でしたが)。その時に、家にいるばかりで、人と話すことは滅多にないと言うと、すかさず「それはまずいですよ。人と会うようにしなきゃ、やばいですよ。仕事をしたらいんじゃないですか」と返されたのですが。

確かに、経済のことよりも何よりも(こちらも、決して心配がないというわけではありませんが)、ボケるのを防ぐために人と関わる何かをすることが急務かも。とは思うものの、これは、たとえそうしたくても何分にも相手があることなのでねえ。だいいち、できる仕事があるかどうか。ぼんやりしているし、すぐ忘れるし。テキパキと仕事をこなすなんてことは、とうてい無理。

そういえば、少し前の定期検診では、CT検査の結果は、今度も特に変化はない、すなわち進行性ではさそうだということで一安心。ただ、暗算(100から8を引いて、さらに8を引くということを何回か繰り返すだけのものです)や、4つほどの言葉を伝えられてしばらく他の問答をした後で、先の言葉が何だったかというような問題では怪しかった(目新しいことではない気もするけれど、やっぱりまずい?)。

昔から暗算や物覚えは悪かったのですと言ったら(担当医は2回毎くらいで変わる)、笑われたけれど。そして、もし心配なら認知症の検査をしますか。薬は高いですが、早めに服用しないと効果が薄いと言われたので、しばし呆然としていたら、現在生活上支障はありますかと訊かれた。で、特に支障はない(自信はないですが)と答えたら、それならいいでしょうという答えが返ってきて、ホッとした。

また、ふだんはどんな風に過ごしていますかという問いには、本を読んだり、文を書いたりしていますと答えると、それはいいですねと言った後、できるだけ外に出るようにしてください、とのことでした。新しいものに触れ、人と話すことで脳に刺激を与えなさいということでしょうけど、これは冒頭にも書いたように、簡単じゃない。

川本三郎は、古本屋の主人に「もっと人と喋らなくては。ボケちゃうよ」と言われて、週に一度くらい親しい編集者たちと飲むようにしている、という話を思い出したりするのですが……。ま、そうしたことができれば幸いだけど、これも自分の気持ちだけではどうにもなりません。友達がいないのだねえ(不徳のいたりといえばそれまでだけれど、まいるなあ)。あ、英会話の練習に取り組むというのはどうだろうね(テレビですが)。役にたつのかな。

まあ、嘆いてばかりでは仕方がないので、こうやって文章(駄文ですが)を書いたり、幸い料理をするのと飲むことは苦にならないので、毎日「パブ」ごっこや、「バル」ごっこ、「居酒屋」ごっこ等の「ひとり遊び」に精進しているのですが、さて、効果があるものやらどうやら。


洋食の定番

それで、ひとりでもできることの一環(?)で、黄色の研究の対象の一つのであるオムライスを、先日久しぶりに作ってみた。これは、ひとり「洋食屋」ごっこですね。ただ、何しろ卵はコレステロールの大敵と聞き知っているので、毎日というわけにはいかない(他にも、卵焼きとか目玉焼きとかも食べたいしね)。それでも、こちらはだいぶ安定してきたようです。と言っても、フライパンをトントンと炊いてあっとうまに綺麗に巻いてしまう技とは程遠い。フライパンの縁を当てて移した後に整形する、松尾シェフの教えによる方式ですが。

フライパンの柄を叩いて巻くたいめいけんや北極星の名人のやり方は(ちょっと憧れるのですが)、たまにやるくらいじゃうまくいかず、毎日食べるつもりで作って練習しないと、身につかないようです(やっぱり、職人芸というか技術はそういうものなのでしょうね)。

ひとつのことに打ち込んだ人はすごいなあと、改めて思わずにはいられません(一方で、我が身の不甲斐なさを思うと、ちょっとまいります)。

オムライスの写真は、撮るのを忘れていました。で、その代わりに昨日の赤ワイン煮の写真を。盛り付けまでは気が回っていないようなのが、ちょっと残念。


2023.12.02


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#2-117 新しいNice Space のために 70

原点に帰って考える、生活を学び直す 42 

「声」の効果


こないだ書いたように、しばらく前から、またポピュラー音楽をよく聴くようになったのですが、ただ、それが相変わらず同じようなものばかりなのは、無精なせい?


10ccのCD

中でも、よく手にするのは、「10cc」(とくに、『オリジナル・サウンドトラック』)。70年代に活躍したイギリスのバンドですね。ちょっとしゃれた感じが、アメリカの「スティーリー・ダン」や「ブライアン・ウィルソン」なんかに似ているかもしれない。もしかしたら、『ソープ・オペラ*』の頃の「キンクス」の雰囲気にも(キンクスの方がデビューは早いし、なにかにつけてちょっと賑やかだけれど、この2つのアルバムは、時期的には同じ1975年だから、どうでしょうね。影響というのあったのかどうなのか)。

「オリジナル・サウンドトラック」を聴いていたら、そのうちの1曲”I’m not in love”をテーマ曲として使った「ヨーロッパ路地裏紀行」を観たくなった。こういうことがあるから、すでに観たDVDもなかなか捨てられないのです。

世界のさまざまな都市の街路のうち、メインストリートから1本中に入った裏通りに暮らす人々の日々の生活を、住人の1人か2人に密着することを通じて、垣間見せてくれる。

そして、その魅力を支えている一つが、「花の都、水の都、霧の都。四季の色に染まるヨーロッパの街並み。……。華やかな表通りの一歩向こうに街の素顔が待っている」と始まり、「化粧をした表通りに、真実はない。人生のすべては、路地裏にある」、と締めくくられるナレーション。担当しているのは、斉藤由貴。僕は他の出演作はほとんど知りませんが、ちょっと抑え気味の落ち着いた声で語る言葉は、映像によく合っていると思う。こうした例は、他にも。たとえば、「欧州鉄道の旅」の伊藤東吾、「世界遺産」の寺尾聡等。また、ラジオですが、「音楽遊覧飛行」の中の「映画音楽ワールドツアー」の先々代の中川安奈さんもよかったなあ。そう言えば、こちらも気負わず、気だるいようで、ちょっとだけ投げやりのような趣があった(でも、気だるい感じだったり、ちょっと投げやりなだけではいけません)。

これはどうしたことだろう。声の質だろうか。「声は人間の生理の、深く柔らかな部分に直結している*」ということらしいのですが、この場合(僕の好み)は、そうではないような気がする。むしろ語り口ではあるまいか。これはすなわち、技ですね、ただ、演技と言っていいのかどうか。単なる技術というよりは、そこに付け加えられた言葉の内容に対する理解のしかた、ひいてはその人となりに関わるような気もする。僕がよく手にして繰り返し観たくなるるDVDは、映像はもちろんだけれど、たいていの場合、このナレーションに関わる部分も少なからずあるようなのです。


* 川田順造、「折々のことば」、朝日新聞、2023.11.15
** ウィキペディアによれば、これはグラナダ・テレビの依頼を受けて製作されたミュージカル『スターメイカー』(1974年9月放送)用に録音された9曲に3曲追加して製作されたコンセプト・アルバムらしい。となれば、「オリジナル・サウンドトラック」とも関連性がある?ところで、このあいだ聴いたビートルズの新曲やローリング・ストーンズの新アルバムには、皆が言うほど心を動かされなかった(ラジオで聞いただけですけど。やっぱり、硬直しているのか?)


2023.11.25


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#2-116 新しいNice Space のために 69

原点に帰って考える、生活を学び直す 41 

やっぱり、ちょっと変


少し前のことですが、東京ビエンナーレのニュースの中で、驚いたことがありました。映し出された展示場所や意見を書き込むシートは、YEARとかCOMMENTだとか、すべて英語表記のように見えたのは、どうしたことだろうね(もしかしたら、見間違いだったのか?あるいは、別の理由によるものか?)。なんだか、ここはアメリカか(行ったことないけど)と思いたくなるくらい。

別のニュースでは、「ファクト・チェック」が大事と何度も繰り返される。この言葉は、日本語では表されないものなのか。政府が使う用語でさえも、いたってふつうの言葉でも何かにつけて、英語に置き換えて言うのが今ふうのようだ。

つい先日のニュースでは、少数派の人々の雇用だか何かの話題で経営者が、皆が「 “アライ“であることが必要」と言うのですが。みんなが「新井」さんになる、ってどういうこと?それとも、注文はみんなまとめて、「洗い」にしましょうということかしらん?皆さんは、わかりますか。まあ、元は”ally”(支持者)で、性的マイノリティの人たちを支援すること、あるいはそれを実践している人々のことを指す言葉のようなのですが……。これを日本語に置き換えて言うことはさほどむづかしくはない気がするのですがね。しばらく前にずいぶん使われていた「ダイバーシティ」も同様。潜水夫やダイビングを楽しむ人々の街を作るってことかと思った?ふつうに「多様性」と言えばすむはずなのにと思う。こうしたことは、枚挙にいとまがない。

日米地位協定のこともあるし、経済も相当に危うい。しかし防衛のためと称して軍備の増強には熱心のようですが、それよりもまず日本語が問題ではあるまいか。英語表示やカタカナ語が多用されていて、日本の行方という意味ではむしろ、この「言葉」、「国語」の問題が大きいように思えるのですが、さてどうでしょう。

それにしても、(馬鹿の一つ覚えのようでも、懲りずに何度も書きますが)どうして国語、自国の言葉を大事にしないのだろうね。だいたい、権力者が住民を支配しようとする場合、自身の言葉を使うことを強要し、その住民特有の言語を禁止するのが常だった。だから、共同体の一員であることの意識は、言葉によって育まれるだろう。それが、わが国の場合は、自ら米国にすり寄っているように見えてくるようです。アメリカが好きか嫌いかということとは、まったく無関係に、なんだかなあと思うのです(物覚えが悪い、ことに外国語に疎いこととも関係ない、たぶん)。

そして、変といえば、建売住宅の玄関と庭と駐車場の関係も。


道路と庭と居間の関係

たいていの家では道路から入ると(門扉や駐車場の扉はあったりなかったり)、まっすぐ進むんだ奥に玄関があり、その手前のところにはリビングルームに面した庭があって、その庭と玄関に至るアプローチにの間には出入り口がある(扉はないことも多い)。ま、動線の利便性を重視したということなのだろうけれど、ほとんどの場合、庭での生活というかプライバシーのことは考えられていないように見える。塀や生垣があったとしても、その高さが足りなかったり、隙間が大きすぎるのだ(とくに視点②の方向は、ほとんど無防備)。その結果、当然のことながら、庭は生活空間として使われることはないということになっている。

こんなことを思ったり、スケッチしたりしていると(まあ、黄色のトレーシングペーパーは、まだたっぷりあるのだ)、またぞろ住宅願望が頭をもたげてくる。となると、あの「一攫千金」に頼るしかないのか?でも、こないだの新聞には「可能性は危険だ」ということが書いてありました。確かに、と思う部分もあった。可能性を信じてばかりいると、欠乏感に苛まれ、結果として人生自体が「ミッション・インポッシブル」になり、ひいては自分が自分自身の「使用人」に成り下がる*というのですが。ああ、悩ましい。


バイクにうさぎ

横に這う木

イタリアにハワイ?

風見イルカ

ちょっと変わったものを、口直しにいくつか。


* 「折々のことば」、2023・11・5朝日新聞朝刊


2023.11.18


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#2-115 新しいNice Space のために 68

原点に帰って考える、生活を学び直す 40 

続・あるバーでのこと


またしても、ない!

水曜日にHPをアップロードした後の夕方散歩に出かけたら、またもやあの芙蓉が根元からバッサリ切られていた。朝には、まだ花が咲いていたというのに。まあ、花が終わると大きくなリすぎないよう細かい枝を切り詰めて、全体を小さく整えることがあるようなのだけれど。それでも、また復活すると知っているから、その時には挿し木を試みることにしよう。


偶然の並び

先日の枯葉を盛った皿は、写真を撮ったあと皿を下げて、そこに残りの葉を放り込んだら、ちょっと良く見えた。残念ながら、いくらかでもよく見えるように並べようとしたものよりいい気がしたのです。作為がない分、そう見えたのだろうか(これって、並べる側のセンスに問題ありってこと?)。もしかしたら、アクションペインティングのポロックたちもそんなことを思ったことがあったのだろうか。なんにしても、並び方一つで同じものが違って見える。で、せっかくだからと写真を撮ろうとしたのですが、入ってきた風でまた変わった。もう一度、「モランディに倣う」をやってみようかな。

さてさて、また思い出したことが……。


「なあ、どう思う?」
 ひとつ空けた隣に座った年配の男が、問いかけた。
「えっ?なんです?」
 若いバーテンダーが、訊き返す。
「最近の風潮だよ」
「というと?」
「ここでもよくいるだろう?シングルモルトこそが、本物のウィスキーだっていうやつ」

 (ドキッ)。


トワイスアップで飲む

「そうですねえ。増えましたね。特に若い人に。なんだかブームのようで」
「で、どう思う?」
「どう思っているんですか?」
 バーテンダーは、若いのにうまくはぐらかす。
「俺はね、ふつうのブレンディッドのウィスキーで十分さ」
 男が言う。
「いかにも、らしいですね。でも、ここでは両方を飲むんですよね?シングルモルトの方が多いかも、それも断然」
「まあね」
「それって、矛盾してませんか?」
「ま、家では飲まないものをってことで……」
 
 話を変えるかのように、
「ところでね、最近はなんだか年寄りの話題が増えたよな?」
と男が言う。
「ええ。確かにそうですね」
「どう思う?」
 と尋ねながら、男はさらに続けた。

(うむっ、今度はなに?)またもや、つい聞き耳を立ててしまったのだった。

「年寄りはのんびりしている。面倒を楽しむことができるらしい(今の僕がつける注:たぶん、時間があると思われているせいですね)。年寄りは、優しい(同じく注:もしかして、煙たがられないようとして、甘くなったのか?)。年寄りには、知恵がある(同注:やっぱり、時間に鍛えられた人が多い?)と、思っている」
「うーむ。言われてみると、そうかも?まあ、確かにそんな気もしますね」
 バーテンダーが同意するように応えた。
 すると、男は、
「ほんとかね?面倒を楽しむなんて……?」
と呟いたのだった。
「えっ。そうじゃないんですか?そのとおりじゃないんですか?」
 すると、今度はバーテンダーの方が驚いたように訊き返した。
「実際のところ、なかなかそうはいかないもんでね」
「いつだって、そう見えるんだけどなあ」
「そう、どうもありがと。でも、これは俺のことだけじゃないよ」
 男が言うと、
「じゃあ、同年輩のお仲間のことを、どう思っているんです?」
 もういちど、バーテンダーが訊いた。
「うーん。たいていは、せっかちだし、だから面倒なことは嫌い。自分中心で、直情径行な傾向がある、ってところじゃないかね?」
 男が、穏やかな口調ながらも、断言するように言うと、
「えっ、そうなんですか?」
 バーテンダーは、不意をつかれたように、小さな声で漏らした。


実際のところは、どうなのでしょうね。で、今度は、以前に見たテレビのことを思い出した(こちらは、比較的、最近のことです)。

白のTシャツとジーンズ姿のすっかり頭が薄くなった年配の男が、台所で語っていた*。なんと、「面倒を楽しむ」のだと言う。

その家は、正方形のリビングを中心に、これを囲むようにして食堂や台所等が配置された、「中心のある家」と名付けられたコンクリート打ち放しの建築家の自邸。知る人ぞ知る名建築のこの家を設計したのは、阿部勤。この人こそが、「面倒を楽しむ」と言う人。台所にはもともとあった1列型のキッチンに直交するようにして付け加えられた第2のシンクとIHヒーターを備えたキッチンカウンターのほか、様々な不思議な道具が目を引く。料理好きだったという奥方を亡くして以来、「男がひとりで生きていくキッチンを作ろうと思っ」て作った**と言うのだ。

その彼が、料理をするときには、できるだけ手間をかけて、それを楽しむらしいのだ。パスタは生地からはじめるようだし、ソースはもちろんのこと、サラダのドレッシングも当然手作りする。しかも、手間をかけて。

「便利なだけじゃ、面白くない。面倒なことをとことん楽しむのがいい」

のだと言う。

歳をとったら、「なるたけ面倒くさくする」と言うのは、「なんでも簡単に手に入る時代だからこそ価値がある」し、なにより「楽しい」ということのようなのだ(「ボケ防止」のためなどと言っている僕なんかとは、全然違う。もしかしたら、これこそがほんとうの暮らしを豊かにする極意なのかもしれませんね。でも、恥かしながら、あの時の男と同じように、たいていの高齢者はこうはいかないのではないかという気がするのです。やっぱり、だいたいまあ、高齢者のイメージは、おっとりとしている、文字通り老成した大人、というあたりのようだけれど。でも、実際はそうじゃない人も多いのではあるまいか。むしろ、短気でわがまま、自分のことしか考えないという人の方が多いのかもしれない(『老害の人』という本もあるようだし)。

僕も、恥ずかしながら、そうした老人に近いところがあって、阿部のような態度に憧れつつも、なかなかそうはいかない。楽しいことは面倒でも嬉しいけれど、わざわざ面倒を選ぶということは、正直なところ、したくない。それでも、時々面倒なことをやる時があるのです。いうほどのこともないけれど、例えば麺類は、打つことまではいかないものの、レンジでチンで済むものは使わない(今の調理済み食品の優秀なことは知っているけれど)。ソースもつゆも、既製品は使わない。

なぜかと考えてみたら、暇があるからというより、「演劇性」というと大げさだけれど、代わり映えのしない日常に刺激を与える非日常を持ち込む手段のような気がする。年をとると、こうした変化が必要な時があるのだよ(それは年取った時の楽しみですね、なんていう人がいたら参るけど)。

ま、これを一般化するのは無理があるような気はしますけれどね。


* 人と暮らしと、台所〜夏 (6)「阿部勤(建築家)」
** web magazine 100% LiFE


2023.11.11


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#2-114 新しいNice Space のために 67

原点に帰って考える、生活を学び直す 39 

あるバーでのこと


咲き続ける花

こないだ、道端で見かけて摘んできたごく薄いピンクの花が、長持ちしている。花を1輪だけと思って摘んだつもりが、上の方に蕾がいくつかついていたのが、続けて咲いたのだった。

さて、いつのことだったか……。

「こないだ、ふっと気づいたんだよな」
 誰かに語りかけた、というより独り言に近いかもしれなかった(そんなふうに思うのは、実は自分でも、最近はこうしたことが多くなったせいだ)。
「えっ、なんです?」
 客が少ない日だったせいもあってか、カウンターの向こうの若いバーテンダーが、驚いて、素早く反応した。彼は、こちらから話しかけない限り、口を挟むことはしない。それで、つい聞き耳を立ててしまったのだった。

「えっ?あっ、ごめん。なんでもないんだがね……」
 2つ席を空けた隣の男が、バツが悪そうに言った。
「はい?」
 バーテンダーは、少し戸惑った様子で訊いた。
「ほら、還暦って言うだろう?」
 グラスを見つめながら、男が話し始めた。
「60歳になったら?」
「生まれた年に戻るって」
「そうそう、そうでした」
「この頃、確かにそうだと思うんだよ」
「へえっ。でも、……。ごめんなさい。もう過ぎましたよね」
「とうの昔に。でもね、なんでも人より遅いんだよ」
「ふーむ」
「で、今頃になってようやくその意味に気づいたような気がしたんだな。遅ればせながらね。昔は一周遅れのトップランナー、なんて言っていたがね」

(うん、うん。これは、今の僕が思うこと)。


ウィスキー

「へえ」
「うんと若かった頃に戻るんだな、きっと」
「はい」
「もしかしたら、少しでも未来に希望を繋ぎたいと思っているのかもね」
「なるほどね」
「もちろん、気持ちだけのことだけがね」
「そうなんですか?」
「そりゃあね、若い頃と同じエネルギーは無理だろう?」
「確かに。そういうものでしょうね」
「君は、いつも正直に言うねえ」
「えっ、そうですか?」
「そうさ」
「ちょっと、まずいですか?」

「うん?まあね。いやいや、そうじゃない」
 男が言った。
「そうですか?」
 バーテンダーが、心配そうに訊く。
「少なくとも、年寄りにとってはね。たぶん」
「はあ」
「年寄りの言うことを、たまには素直に信じてもいいと思うがね」
「はい」
「わかればよろしい」
「はあ」
「もう1杯だけもらおうかな」
「ええ、わかりました」
「水は少なめに、ね」
「了解。心得ていますよ」
「あ、どうもありがとね」
 それから、男は一息にグラスの半分ほどを飲み干した。
「ところで、ひとつ訊いてもいいですか?」
 (当然、気になるね)
「何?」
「その、気持ちってのはなんなんです?」
「ああ、そのことね。おっと、いけない、思い出したことがある。それじゃあ、帰るとするよ」
「えっ」
「ごちそうさま」
「相変わらず、素直じゃないですね」
「えっ、なんだって?」
「なんでもありませんよ」
「そうかい。じゃあね」
「それでは、また。よろしくお願いします」
「おやすみなさい。バイバイ」
 そう言って、彼はスツールから離れた。
「(はぁ)」
 バーテンダーは、何がなんだかなあといった顔をして、見送った。

僕もつられるように、なんだったんだろうという子供っぽい疑問を持ったまま店を出たのでしたが。そして、男と同じくらいの年になって、時々いくらかの酸っぱいような気分を抱えながら、思い出すのだね。まあ、歳をとるとね、色々とあるし、だいたいは想像もつくようになった……。


2023.11.04


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#2-113 新しいNice Space のために 66

原点に帰って考える、生活を学び直す 38 

「知る」ということ


新しい器にカルボナーラ

先日、新しく手に入れた器に、カルボナーラを盛ってみたのですが。

その器はジャスパー・モリソンのデザインだけれど、以前に手にしたものとはずいぶん趣が異なる。元々あったものが厚手でカジュアルなのに対して、新しいこちらは薄手で流麗だ。前者がフランスのメーカー製、後者がドイツ製。両国のイメージからすると、なんだか逆のような気もするけれど、そうではありません(これまでずっと、上っ面だけを見てきたようで、なんだかちょっと寂しい気になりますが)。それでも、ふだん使いには、厚手のカジュアルなものの方が使いやすそうに思えるのは、貧乏性(貧乏)の故か?

カルボナーラは、今回は落合務流に倣ってやってみた。ボウルにあらかじめ卵とチーズと黒胡椒を混ぜておくということだったので、全体に濃い色にはなったけれど、カルボナーラの語源となった炭焼き職人風、「炭がかかったように」見えるというのとは違うようでした。

ところで、最近は録画してもらった番組(映画とドキュメンタリー)を見るだけでなく、自分でも定刻に見ることがある(地上波)。実際に見てみると、テレビも案外ばかにしたものでもありませんよ。

実のところ、今はさほどテレビ好きというわけでもないと思うのですが、録画してもらったもののほかにも、地上波で見る教養番組や海外ドラマ(こちらは、多くはありませんが)がけっこう面白いのです。

例えば、最近では、『笑わない数学』(シーズン2)。数学の難題に取り組んだ数学者たちの姿が垣間見れて、面白い。その真摯さ、今まで誰も知り得なかったことを解き明かしたいという気持ちがすごいことに圧倒されます。ま、上っ面をなでるだけなのかもしれないけれど、それでも興味が尽きません。そういえば、うんと昔には『ガロアの生涯』など、少し前のものでは『素数の音楽』などという本も読んだ(ま、自身にないものへの憧れなのだろうか?)。だからと言って、数学の真髄が理解できたのかというと、いうまでもないことなのですが……(うーむ)。

ところで、「知る」ということは、極めて当然至極のことですが、新しい経験です。それまで知らなかったことを知ると、やっぱり嬉しい(ただ、僕の場合、それが多すぎるのが残念。と言って、特別なことでもなんでもない、見慣れた花の名前だったり、木の種類だったり、ごくふつうのことについてです)。


公園の木

こないだは、近くの公園でムクノキやらクスノキ等の木を見ながら、それにつけられた名札を見て、なるほどこれがケヤキの木だったと思ったりしたのですが、しばらくすると木肌の特徴や葉っぱの形も、やっぱりすぐ忘れてしまいます(残念!)。でも、逆に考えるなら、いつも新鮮ということなのかも⁉︎(じゃないか?)

まあ、知るということは、苦い思いを引き受けることでもあるかもしれませんが、ほかにもたくさんのことを知らないままでいるのだということを思い知ることでもあるから、いくらかでも傲慢になることから遠ざかることができるのではないか、という気がするのです。


2023.10.28


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#2-112 新しいNice Space のために 65

原点に帰って考える、生活を学び直す 37 

秋に備える


ようやく秋がやってきたと思った後の、何回めかの暑い日の昼食は、マルゲリータ。さっそく窓を開け放って、即席のセミオープン席をしつらえました。


食べた後ですけど

で、お供にイタリアのDVDを見ようと思って見始めたのですが、旅行者役の若い女優がやたら大きな声を上げてはしゃぐばかりで、うるさくて閉口した。ならばと同じシリーズのバルセロナ編にしてみたら、ここでも、もう少し年配の女優でしたが、何かにつけて「かわいい」を連発するのでした(やれやれ)。でも、ローマやバルセロナの街の景色は美しいし、食べ物も美味しそうで、楽しい。これからしばらく、お昼ご飯の時は世界の都市を巡ることにしてみようかしらん(ただ、訪問先と案内役は選ばなくてはいけません)。

イタリアの食事はおいしいと評判ですが、僕はあんまりそんな気がしなかったのが残念。ま、これはイタリアの街のレストランや食堂のせいではなくて、貧乏旅行のせい?ともあれ、ローマ発祥のパスタといえば、カルボナーラ。一時これが気に入っていた時があって、よく作っていた。そのために、チーズおろし器も買ったし、パンチェッタの研究にも取りかかろうとしたけれどこちらは結局つくらずじまい(これが弱点。やれやれ)。また、作ってみようかな(カルボナーラのことです)。新しく手に入れた器で試すのもいいかも。


飾り棚

そして、今度こそはいよいよ秋も深まりそうな様相なので、秋への備え*をすることにした。といっても、ささやかな模様替え。ファンヒーターを出したり、テーブルランナーを交換したり、飾り棚周辺をちょっと手直したりするくらいの、ごくささやかなものです。それでも、空間の印象も自身の気持ちも変わるはず(首尾よく行けばいいのですが)。それにしても、いつもながら小さな作業しかできないことに、呆れてしまいます。


テーブル

手持ちのテーブルランナーの色合いは秋に相応しいけれど、ちょっと幅が広すぎる**ようだった(テーブルの幅もやや狭い)。食器を並べるにしても、書き物をするにしても平滑な面が不足する。バインダーがあったはずと探したけれど、またまた見つからない。で、たまたま手元に残してあったガラス板(引き取り手がなかった)を載せてみることにした。風情の他にも、大きさやら、こびりついた汚れやら、問題がなくはないけれど、しばらくはこれで試してみることにしよう。

照明や灯りを楽しむのにもいい季節ですが、手持ちの小さな蠟燭(M印製)がちょっと残念。すぐに炎が小さくなる。たぶん、芯が短すぎるせいですね。蠟が溶け出すと、すぐに芯が埋没してしまうのだと思う。で、物は試しと、凧糸を切ったものを埋めてみたら、長い炎がしばらく続いた(不幸中の幸いといえば、まあそうだけれど。まだたくさんあるので、やっぱりそうするしかない⁉︎)。


がんばる芙蓉

そういえば、あの芙蓉もそろそろ終わりなのだろうか。先日はまだ午前中というのに、もう花はほとんどしぼんでいた。先に咲いた近所の芙蓉の一部は、もう花をつけなくなったものもある。いよいよかな。咲いていた期間は短かったんだなあ。と思って、翌日もう少し早い時間に行ってみたら、ちょっと小ぶりの花がたくさん咲いていました。今しばらくは、楽しめそうです。

少しずつ、ぼちぼちと、ゆっくりと、着実に。Little by little、Step by step、Slowly、Steadilyを念頭に。


* 冬支度という言葉はあるのに、秋支度とは言わないようです。
** テーブルランナーにも一時関心があって、家にあるものは、そのころたまたま時々イギリスに出かけていた人からの土産物。


2023.10.21


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#2-111 新しいNice Space のために 64

原点に帰って考える、生活を学び直す 36 

ハロウィーンのかぼちゃ


この頃はうんと涼しくなって、朝夕はもう寒いくらいですが、今頃になって、夏にはいなかった蚊に狙われるようになった(もう10月も半ば!)。しかもその数も、少なくないようなのです。夏の間は、昼間窓をあけっぱなしにしていても、まったくそんなことがなかったのに。これも異常気象のせい? あの憎たらしい蚊も、異常な暑さには弱いってこと?それとも、よほど飢えていたのか?ま、「異常」には、たいてい誰だって、なんだって弱いだろうけれど。

10月といえば、最近はハロウィーン。すっかり定着したようですね。元々はアイルランドの古代ケルトの信仰から発生したというのですが、その後ジャガイモ飢饉でアイルランド人が大挙移住した(あのケネディの一家の祖もそうですね)アメリカで普及した。ケルトの信仰にもキリスト教にも関係のない日本で流行るのは、お祭り好きのせいか。いや、若者中心ということだから、イベント好みということだろうか。


門柱の上のハロウィーン

近所にももう、かぼちゃ(ジャック・オー・ランタン)が飾ってるところがあった(もちろん本物ではなくて、陶器の置物ですけれど)。この家は、玄関まわりがいつも季節の花を中心に飾り付けられていて、そばを通るたびに楽しい。こういうところは、きっと家の中も清潔で綺麗にしてあって、気持ちがいいのに違いないでしょうね(うーむ)。


沖縄のシーサー?

なぜか後ろ向き

この他にも、散歩の途中で、家の前(玄関脇や、門柱の上等)に置かれているのを幾つか目にしました。飾ることによって、家をよく見えるようにしようということでしょうね。ただ、中には、こうした思いが全体に及ばないでいるように見えるのが残念(人のことは言えませんが。なお、写真とこのこととは関係ありません、念のため)。

さて、そろそろ頑張らないといけません。

ところで、最近は、あんまりパンを食べることが少なくなってきたのですが、ごくごくたまにトルコ名物、イスタンブールのサバサンドが食べたくなって(ビールとともに)つくります。ま、うまい。

でも、できたての、焼きたてのバゲットが一番のような気がする。飽きないし、バターもなんにもなくても、いくらでも食べられそうです(いや、実際に食べられる)。これに、赤ワインがあれば、言うことなし!です。

美味しい秋の到来!

いや、その前においしく食べられるような環境づくりだ‼︎


2023.10.14


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#2-110 新しいNice Space のために 63

原点に帰って考える、生活を学び直す 35 

すごい!


花を増やす芙蓉

あれから芙蓉は順調に花をつけているようです。日曜の朝は3輪、翌日は5輪に増えた。「でも、そのほとんどが根元の方というのはどうしたことだろう?」と不思議に思っていたら、その後は、上の方にも花をつけるようになってきた(よかった。ちょっと、葉の勢いに押されているようだけれど)。

この数日、急に季節が進んだと思っていたら、昨日はそうでもなかった(それでも、朝晩はまあ寒いくらいですが)。

ここしばらくは、具沢山の味噌汁を飲むための木の器を探しているところ。だから、ちょっと大振りのもの(手持ちの輪島のものは、ちょっと小さい)。当然、漆器が気になります。生地を生かした拭き漆のものか、漆そのものを楽しむ塗り漆のものにするか。拭き漆の場合は、木の種類は何がいいのか、ケヤキ、サクラ、クリ、カエデ、ナラ等がある(思えば、こういうことも知らないまま来た)。また、塗り漆では生地が木の場合と樹脂と木粉を混ぜた木乾樹脂というのがあって、こちらは安価で強度が増しているようだ。いっそ、両方を合わせたような、飛騨の春慶塗りはどうだろう。

そこでWeb上で調べてみたり、録画した漆器や木製品を扱った番組(結構あります)を観たりするのですが、今や伝統的な製品だけではなく、驚くような新しいアイデアを盛り込んだものまで様々。

それでも、感心するのは、やっぱり伝統的な作り方における様々な工夫。たとえば、津軽塗りでは凹凸のある器が特徴なのですが、これを実現するときに菜種を使う。他のものではダメらしい。ガラス玉での実験では、菜種には漆を吸い上げる性質があるのに対して、ガラス玉には吸着力がなくうまくいかない。菜種に至るまでには、当然その地域で手に入る様々なものが試されたのに違いない。また、飛騨春慶塗りでは、木目を生かすために漆が木地に染み込みすぎないように大豆の絞り汁を塗るという。いったい、どうやって発見したのだろうね。偶然発見されたこともあっただろうけれど、多くは試行錯誤の果て、ということではあるまいか。

他にも、片や様々な道具を使い分ける職人技があるかと思えば、また一方では一つの道具だけを駆使して全てを生み出して、出来上がったものはいずれもが素晴らしい。

むろんこのことは漆器に限らず、他の木製品や刃物や器等の金属製品でも同様。考え抜くことはもちろんだけれど、わずかな力の入れ具合は手が覚えていて、手の感覚を頼りに微妙に加減する。こうしたことが地域ごとに現れていて、実に多くの知恵と工夫があることに驚くのだ。しかも、自身の関わるところの出来に関しては妥協を許さない。技と知恵だけでなく、こうした職人の魂と呼びたくなるような気概もすごい。


遠い海と秋の空

そして今、そうした「職人」に憧れるのです(むろん、今からなろうとしてなれるものではないことは重々承知していますが)。

加えて、それら先人たちの知恵と工夫と技を受け継ぐ現代の職人たちの創意も立派で、いずれ劣らずと思うのですが、やっぱり先人たちの卓見と技に見入ってしまうです。何年もかけて次第に研ぎ澄まされ、やがて身体化して、真に美しいものを生み出してきた。現在ではもっと早く効率的にしかも安く実現できることもあるには違いないけれど、それらとは違う何かを訴える力が宿っているような気がするのです。

日常的な工芸品の職人のみならず、同じように志を持った農作物や酪農、漁業等の担い手たちは一様に、決して声高に主張することはないけれど、彼らの粘り強さや愚直に努力する姿勢を、せめて学びたいものだと思うのです(こうしたことに気づくのに、いかにも遅きに失したけれど。思えば、ずっとこの繰り返しのようだ)。


2023.10.07


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#2-109 新しいNice Space のために 62

原点に帰って考える、生活を学び直す 34 

何かしなくちゃいられない?


ある日の散歩の途中で、ほとんど望み薄だと思つつ、例の芙蓉のところへ行ってみた。すると、なんと小さいながらも蕾をつけていたのだ。嬉しい。その少し前に、向かいの家の芙蓉は早くから花をつけていたのに、この家の芙蓉は日が当たらないせいかずっと咲きそうになかったのが、小さいながらも花を咲かせているのが目に入って、そこで、もしやと思った次第。さて、いつ咲くのだろう。


再び蕾をつけた芙蓉

それにしても、すばらしい生命力。さて、どんな花が咲くのか。遅い芙蓉が、楽しみになった。たいしたものですねえ。ただ、そのあとも見に行ってみるのですが、同じ植え込みのもう少し上の方にあった芙蓉はまたもやバッサリと切られていたし、蕾をつけた方も大きくはなっているものの、なかなか花を咲かせません*。

ところで、散歩の途中で見るのは、ヘンなものもある。例えば、電柱に巻きつけられた針金に引っ掛けられた傘や空き缶等。


電柱に傘

電柱にボトル

排水孔にゴミ

どうやら、人は穴と見たら何か入れたくなるようだし、引っ掛けるものがあればなんでもかけたくなるようだ。


猛犬注意?

そうしたくなるといえば、英語表記もそうなのかも。表札のローマ字表記は言うに及ばず、猛犬注意の類のパネルもあった。これで、効果はあるのか(図で知らせるということ?文字も含めて)。ちなみに、この家の表札には漢字表記の日本名がありました。

ま、何かしたいという欲求の表れかもしれませんが、いずれも、あんまり面白いものではなく、うまくいっているようには見えません(とは言え、かくいう僕だって何かしなければ。いやどうにかしなければいけませんが、なかなか……)。


玄関脇の犬

で、最後にこれはどうでしょう。


* 昨日、念のためにと行ってみたら、なんと下の方に1輪だけ、しかもけっこう大きな花を咲かせていた。さっそく家に戻り、カメラを手に取って返し、パチリ。自分が育てたわけじゃないけど、嬉しい。でも、さすがに摘んで帰ることはできませんでした。

一方、昨夜は中秋の名月で、しかも満月(次は7年後)。朝から雲が多くて心配したのですが、なんとか見ることができた。ただ、暗いので、写真はなかなかうまく撮れませんね。

咲いた!

中秋の名月だけど




2023.09.30


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#2-108 新しいNice Space のために 61

原点に帰って考える、生活を学び直す 33 

外に出る練習、久しぶりに美術館


今日の水盤の花は、ツユクサ。


摘みたての小さな花

いつの間にか、道端にひっそりと咲いていました。なかなか可憐で好ましいのですが、長持ちしないのが残念。わずか半日もしないうちにすぐに閉じてしいます。やっぱり、花の命は短い、ってことか?

先日、久しぶりに展覧会へ出かけてきた。そごう横浜店の中のそごう美術舘で開催されている「アーツ&クラフツとデザイン ウィリアム・モリスからフランク・ロイド・デザインまで」展。

コロナ前はほぼ一月か二月に1回くらいの割合で出かけていたのに、コロナ禍になって以来、行くチャンスが減り、こないだのマティス展にも結局行けずじまい。そんな時に、この展覧会を監修した友人が招待券を送ってくれたのでした。これを機会に、また出かけて行く気力が戻ったら、嬉しい。

なぜか暗い入り口

デパートの中の美術館というのも、初めての経験のような気がする。それにしても、入り口がずいぶん暗かったのは、どうしたことだろう(やっていないのかと思ったくらい。もしかしたら、例の売却騒動の影響かとも)。アーツ&クラフツ展は人気があって、数年に1回はやられているような気がするけれど、モリスからライトまでを辿った展覧会というのは初めてだった。

入ってすぐのところだったか、ライトがデザインしたステンドグラスの窓を見ていたら(ずいぶん直線的であることに驚いたけれど)、なんとなくスコットランドのC.R.マッキントッシュのことを思い出して、やっぱり二人ともがアール・ヌーヴォーから出発してアール・デコへいたる端境期にいた人なのなだなあと思いました。ただ、それぞれの展示物がちょっと少なかったのが残念。これがどういう理由によるものかはわからないけれど、もしかしたら今の日本の経済力を示しているのか、と思ったりした。

それでも、図録があったので、いつも通りちゃんと買って帰りました。

久しぶりなのは美術館に限らず、横浜へ出かけるのも何ヶ月ぶりかのことだった。最初に帽子屋に寄って秋冬用の帽子を見てから高島屋へ行こうとしたら、様子が違っていて驚いた。西口の方ヘ歩いていくと、CIALの大きな入り口が現れたのに、びっくり。高島屋への経路も増えていたようだった(なんだか、浦島太郎のようでした)。

展覧会の後は、まずは蕎麦屋(何しろ、まだ3時をようやく回った頃)で一杯。その後、これまた久しぶりに同行したY氏が以前に下見をしておいたという、ビストロ風の店に入ることに。

 席に着くと、すぐに若いウェイター(じゃなくて、ギャルソン?)がやってきた。
「ティータイムが終わって、これから食事の時間になるのですが、大丈夫ですか?」
 カフェとビストロが併設されていて、我々が入ったのはビストロの方だったのだ。
「食事というか、おつまみとお酒を少し飲みたいんだけどね」
「はい、大丈夫です」
 なんとか、受け入れてもらえたようだった。改めて店内を見回すと、女性客ばかりだったから、確認しようとしたのかもしれない。


ビストロの店内

「ここ、いいでしょう?」
 と、Y氏。ちょっと得意げ(発見の喜び⁉︎)。
「なんだか、パリの裏路地あたりにありそうだよね」
「そうでしょう。きっと狙っているんですよ」
「うん」
「ガランとしていて、近所の人たちの集まるお店ですね」
「うん、観光客相手じゃなくてね」
「ね。ちょっと、いい感じでしょう?」
「もうちょっと天井が高くて、赤いソファなんかがもっとやれた感じがあれば、完璧な気がするけどね?」
「まあ、新しいですからね。それはしようがない」
 おつまみを何品か*と、カラフェで頼んだ赤ワインを何杯か。かつての展覧会へ出かけた後の恒例行事が復活したようで、楽しかった。

実は、定期検診の際には、「できるだけ外に出かけるようにしてください」と言われたのですが(これは認知症予防のためですね)、僕の場合、これがなかなかむづかしいのです。めったに、出かける機会がありません。逆に、もう少し若い人たちは、忙しすぎてなかなか家で過ごす時間がないという人も多いようですが(なんにしても、偏在するのが常のようで、なかなかうまくいかないものです)。なんとか、人や街から刺激を受けて、新鮮な気持ちでいるためには、外に出かける練習しなければいけません。


* これを巡って、ここのビストロでも、蕎麦屋でも、アルバイトゆえのことだろうなあという出来事があって、今や飲食店の多くはこうしたアルバイトの人たちの支えられているのだろうなあと思って、ちょっと複雑な気がしたのですが、このことについては、また別の機会に。


2023.09.23


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#2-107 新しいNice Space のために 60

原点に帰って考える、生活を学び直す 32 

常識に従うべきことは多いけれど インテリア編


先日、また機会があって、海のそばのレストランへ行ってきた。あいにく、天気は曇りがちで良くなかったのだけれど、目の前の浜辺には大勢の人が出ていた。そして、空をおおう雲は刻一刻と形や色を変えて、やっぱり圧倒的だった。


海辺の夕景1

海辺の夕景2

こうした景色を毎日、見ることができたらいいねえ。

と思っても、叶わぬことだから、海辺の景色の方は家とは別に考えることにして、それとは違う楽しみ方を。

残暑が去ってから、秋の夜長を楽しむ時の一つは、照明。アラも隠れて、ほどほどにいい感じになります(というか、アラを隠すことばかりを考えているような気もしますが)。もしかしたら、他所の家は、隠したくなるようなアラはないのか。

本当ならば、自身の理想通りのインテリアやロケーションの家に住むことができればいちばんいいに決まっているけれど、なかなかそうはいかないことが多い(と思う)。この場合は、今ある状況の中で、いかに楽しくするかを考えるのが良い。

で、少しずつ。


複数の照明を楽しむ

照明は、天井灯は基本的には使わない。その代わりに、部分照明(アームライトやスタンドライト)をいくつか。器具は、できることならばもちろん、名品がいいに決まっているけれど、こだわらない(こだわれないと書くのが正確ですが、いちいち書くのはなんだか落ちつかないので、以降は省略)。やっぱり、一つ二つでは寂しいし、変化に乏しくなる。で、いくつか用意して、これらの中で点灯するものの組み合わせを変えて楽しむ。けっこう面白いです。たまに、ローソクを加えるのもさらに趣が増す。

さて、「おはようございます」は午前中まで(できれば10時頃までとする)と言うと、皆言っていますという声が返ってくるのは必定ですが、水商売でもないのにおかしいと思う。また、人の家を訪問する時には、ほんの少しだけ遅れていく。

これと同じように、住宅の場合にも従う方べき基本がたくさんあります(まあ訳あって、ちょっと知っている)。たとえば、キッチンセットの並び順(ご存知の通り、シンク−調理台−コンロが基本。冷蔵庫はシンクに近い側に置く)。これは、作業工程に一致していて、合理的。火を使うガスレンジの脇に、冷蔵庫を置くようなことは避ける。

こうした常識にはできれば従う方がいいと思うのですけれど、そう言っておきながらもう、先の写真でバレてしまったと思いますが、僕の家では、人にはやってはいけないと言っていたことをいくつかやっています。


窓の前に机


すなわち、大きなガラス窓の前に家具を近接しておいてはいけない、という鉄則。こうすると、せっかくのガラスの透明性の持つ良さを損なってしまいます。つまり、たいていの場合、常識は、ただの慣習というのではなく、ちゃんとした合理的な理由があるのですね。

それでも、相応の理由があれば、これに縛られることはない。すなわち、絶対ではなく、相対的に考えるのがいい。

僕は、外を見ながらお茶を飲んだりお酒を飲んだりするのがとても好きですが、ただ残念ながら、家にはこれを楽しむためのベランダや庭がない。こうした場合どうするか。で、迷わず、ガラスの掃き出し窓の前にテーブルを設置することを選んだというわけです。

背に腹は変えられない別の理由もあって、ちょっとものが多くて、すっきりした印象にはならずに、ややくたびれた生活感が漂いますが、僕は断捨離を極めたような住宅にはまったく惹かれません(これは、負け惜しみでもなんでもない、本心です)。

したがって、インテリアデザインというよりも、せいぜい部屋の中のしつらいで遊ぶというくらいのものです。ま、小手先といえば小手先の仕業に違いないのですが。だから、名作家具や器具で揃えようともしないし、見てもわかるように、あり合わせのもので間に合わせることも少なからずあります。ただ、これもやりすぎてバランスを欠くと、散漫で安っぽい感じになってしまうので注意が必要(このことも、見るとすぐにバレてしまいそうです)。

むづかしいことは得意じゃないので、これからは、目に入るものをできるだけ好きなもの(いろいろと制約があって簡単には行かないので)、まずは、嫌いじゃないものに置き換えていくのがいいのではないか。と、いう気がしています。

マリー・フランスという人だったか、「家はそこに住む人そのもの」というようなことを言ってましたね。まあ、当たり前といえばごく当たり前のことだけれど、そうだとしたら、今の状況は、あまりにも恥ずかしい。くれぐれも、このことを自覚して過さなければいけません。

片づき過ぎた家は、目指ざさない。とは言ったものの、モノが多すぎてごちゃついていることは気に入らない(9月が勝負だ!と思い定めていましたが、少し修正の必要を感じているところで、ちょっと弱気)。恥ずかしい、と思わずにすむような家になるようがんばろう。まずは1日に一つでも、嫌いなものをイヤじゃないものに置き換えていくことから始めるというのではどうだろう。


2023.09.16


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#2-106 新しいNice Space のために 59

原点に帰って考える、生活を学び直す 31 

海もいいけど、光も



刻々と変わる様が楽しい、おもしろい。一刻たりとも、同じではないのだ。なんのことかといえば、夕暮れ時の家の前の景色(ま、これに限らず全てがそうだけれど)。


ある日の夕景1

ある日の夕景2

黄昏時、それまで灼熱の光線で全てを昼白色にくっきりと光らせていたのが、次第に鮮やかさを閉じてゆく。そして、いったん光を失い、くすんで見えた景色が、ある時刻には、いつの間にか透明感のある黄色みがかった光に照らされて黄金色に輝く。いっとき、黄色味を濃くし、鮮やかさを増すけれど、それからはまた、少しずつ不透明の幕がかかって、鈍い輝きとなり、やがて光を失う。しっとりと落ち着いた感じから、あっという間に平板な景色に変わってしまう。しかし、彼方の薄い雲は、ごく薄いピンクと紫に染まるのだ。

この様子を眺めていると、海や川の魅力にも負けないという気がしてくる(ちょっと、負け惜しみの気がないわけじゃないですが)。でも、本当に美しい、と思わずにはいられない。おまけに、朝と夕には、時々、目の前に小さな海、いや湖が出現することもあるのだ。それで、ついカメラを向けるのだけれど、写真に写し取るのはむづかしい(機材と技術の2重苦)。


最晩年の録音2種

さらに時間が進んで、闇と静寂に包まれるころになると、夜にはグールドの『ゴールドベルク変奏曲』か、それともグルダの弾くシューベルトの『即興曲集』を聴こうかという気になる時がある(でも、実際に聴くことは、めったにありません)。

この2つの演奏は、特に遅い時間、真夜中に聴くのにふさわしい気がする、遅いことで有名なグールドが最後に録音した「ゴールドベルク変奏曲」も、こちらも最晩年に、自宅で録音したというグルダが弾く「即興曲集」も、極めてゆっくりと始められて、遅い。確かに遅い。いや、うんと遅い。

時々聴き返したくなって、しかもごく稀にしか聴かないというのは、それが、死を意識したあとの痛切な思いのようだからか。そのせいで、胸を突かれる。しかし、さらに進むと、そうした感覚は薄れてそれほどでもなくなるような気がしてくるのは、もしかしたら、音楽家の性で、諦観あるいは達観の境地で弾き始めたとしても、いざ弾き始めたら、曲そのものに没入しきってしまうせいなのかもしれない。

演奏家が音楽に没入して一体化するというのが、作曲家の音楽を正しく伝えるのか。はたまた、込められた演奏者の思いの丈が、技巧や技術的な正確さを超えて特別に訴えるものを持った演奏となるのだろうか。

そして、また、ふっと我に返ったように遅くなる。ぎりぎりで、なんとか旋律を感じ取ることができるくらいの遅さ。

その繰り返し、のような気がするのだけれど……。陰と光。陰と陽。閉鎖と解放。何より、そこに込められた思い。ま、こう言ってしまうなら、音楽、いや音楽に限らず、芸術、およそ人の手で作り出されるあらゆる作品の基本でしょうけれど。

2つの音楽は、最後はまた、うんと遅くなって、閉じる。

家の外では、光によって変化する景色を楽しみ、家の中にあっては、音楽や本、あるいは映画を楽しめばいいのかもしれない。そう思い定めるなら、海の見える家に憧れながら、手に入れられないもどかしさに煩わされることもない。今住む家の中を整えることを優先するのが、最良なのかもしれない。

でも、海を見たらすぐに、やっぱり……と思ってしまう。なんだか、こんなふうに繰り返してばかりで、ちっとも前に進まないでいるようだ。


2023.09.09




お知らせ:「アーツ・アンド・クラフツとデザイン ウィリアム・モリスからフランク・ロイド・ライトまで」展の招待券(1枚)を差し上げます。

開催日時は9月16日〜11月5日、開催場所は横浜そごう美術館。

ご入用の方は、メールでお知らせください。1枚だけですが、先着の方に、お送りします。


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#2-105 新しいNice Space のために 58

原点に帰って考える、生活を学び直す 30 

もうひとつの人生


「描き始めると没頭して、細部まで描きたくなるんだ」

と言うのはクラウス・フォアマン。やっぱり成功する人は、突き詰める能力があるのだね。

連日、暑い日が続きますね。窓を開け放っていても、じわりじわりと汗が滲み出るような暑さです(この間は、危うく熱中症になりかけた、たぶん)。何しろ危険な暑さと言うほど暑いことをいいことに、片付けも何もしないで、未見のDVDをいくつか見ていたときのこと。そのうちの一つ、「サイドマン 〜ビートルズに愛された男〜*」の中でのこと。


リボルバーのジャッケット

クラウス・フォアマンは、グラフィックデザイナー、ベーシスト、プロデューサーとして活躍した。ハンブルク時代のビートルズと出会って以来付き合いが始まり、「リボルバー」のジャケットの絵を描いた(グラミー賞のベストデザイン賞を受賞)。その後ベーシストに転じて、ジョンやジョージ、リンゴのソロ・レコード制作に参加。アメリカに渡って、ニルソン、カーリー・サイモン等々多数のレコーディングに参加した。やがて、アメリカのロックの業界に嫌気がさして、ドイツに戻ったあとは、頼まれたからやったというプロデューサーとしても成功。プロデューサーは向いていないと言って退いてからは、また美術の世界に戻った。その彼の70歳の時のドキュメンタリー。ついでながら、カーリー・サイモンは、初めて彼と会った時、そのあまりの美形ぶりに圧倒されたと言っています。

才能がある人はいいですねえ。ただ天賦の才に恵まれたというだけでなく、多才。しかも、どれもが一流。羨ましいなあ。

その彼にしても、
「別の人生があったかもしれない」
「自分の人生に十分満足していると言える人はいないでしょう」
と、言うのだ。「常に流れに従って……、ずっと漂っていたのです」とも。そういうものなのだろうか。

画面の中の彼は、なかなか素敵でした。穏やかで、偉ぶったところがないし、背筋をピンと伸ばした姿勢もよかった。


ブライアンの新旧の傑作

一方、その後で見た「BSエンターテインメント『ビーチ・ボーイズ フォーエバー』**」、クラウスと同世代、やはりベーシストで、曲作り、アレンジ、プロデュースまで、最盛期のビーチ・ボーイズの音楽ををほとんど一人で支えていたブライアン・ウィルソンは、年間に2〜3枚のアルバム作り続けるのにプレッシャーはなかったのかと問われて、

「私は飲み込みが早くて、なんでもごく自然にこなしていたね」

とさらりと言うのを聞いて、やっぱり才能に恵まれた人はいいなあと、羨ましく思いました。やがて、過度のストレスからいったんステージに立つことをやめていた彼が復帰して行うようになったソロ活動も成功した頃、音楽の最終目標として、これぞロックンロールというレコードをプロデュースしたいと言ったのちに、「あなた自身の目標は?」と訊かれて答えたのは、意外にも、

「何も心配する必要がないくらい、有名になることだね」
「もう有名だと思いますが?」
「もっと有名になりたい」

ということでした。

ちょっと驚いたけれど、これは、すでに名声を得ている彼がさらに有名になれば、自分の曲がもっとたくさんの人に届く、音楽に対する思いを遂げやすくなるということですね。リアリスティックなロマンチストということでしょうか(何かを成し遂げたいと夢見るだけでなく、現実のものとしたいと強く願う人のあるべき姿、だと思いますが、……)。

先のクラウスと、ブライアンの違いは、ヨーロッパ人とアメリカ人の違いなのだろうか、それともただ個人的な資質の差なのか(なんとなく、前者のような気がするけれど)。制作年が7年ほどブライアンの方が早いことが影響しているのか。

ああ、いいなあ(と言ったところで、どうにもならないから、先人たちに憧れつつ、できることを少しずつ。ちょっと遅すぎるけど)。

プリンターが使えないのは、もどかしい(修理センターは夏季長期休業中)。この際、文章をもっと短く書く練習をするべきなのかも。


* BS12010年1月2日 
** BS22002年9月1日(BSプレミアム2014年8月8日再放送)


2023.08.19



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#2-104 新しいNice Space のために 57

原点に帰って考える、生活を学び直す 29 

やわらかさにご注意


アルミは柔らかい。想像以上に、やわらかい。

以前、ここでも触れたように、アルミの雪平鍋の柄を取り替えるべく奮闘努力していたのですが、その甲斐もなく、劇的に改善することなく、今に至っている。というか、それどころか、悪化したというべきかも。

取り寄せてみたものの少し太すぎた柄をなんとか生かすべく、往年の名品肥後守で削って取り付けようとしたのですが……。相当に硬い木で、なかなか簡単にはいかなかったけれど、それでも、毎日、地道に少しずつ削りました。

その甲斐あって、やっと、取り付け口の径よりも細くなったようだったので、勇んで入れてみたのですが……。ところが、どういうわけかすんなりと入ってくれない。そこで、挿し入れた柄を金槌で叩いて、押し込もうとした。それでもダメだったので、いったん諦めて、取っ手のないままで、麺を茹でるのに使ってみることにしたのですが、あるとき上から覗いていたら何だか変。何が変なのかはよくわからない。おまけに、洗い上げた後で、横から見たら両端が上がっているように見えた。

それからまた、別の日に、再チャレンジ。削って、また金槌で叩き込んだ。やっぱり途中までしか入っていかない(先の方が細い形にでもなっているのだろうか?)。そして、気づいたのでした。入っていかない原因ではなく、変だと思った理由。


変形した雪平鍋

正円であるはずのアルミの鍋の形状が、変形していたのだった。それで、わかった。柄を金槌で叩いて、無理に押し込もうとした時に力がかかって、そうなったに違いない。アルミは柔らかい。想像以上に、やわらかいのだ(こんなことにも、ずいぶん後になってようやく気づくしまつです。とほほ)。

それで、叩き込むのは諦めて、さらに削りましたよ。で、いちおう入ったけれど、ぴったりとはいかず、叩き込むという荒技もちょっと怖いので、今度はなんだかフィット感がない(うーむ)。

無理やり叩き込もうとしても、それはやっぱり無理、ダメだということですね。傷つけてしまうことにもなりかねない。きっと何であれ、そうしたものかもしれません。

肝に銘すべし。忘れないようにしておかなければなりません。

ところで、お盆休み直前にプリンターが故障して、大いに困っているところ。仕方がないので、再び修理に出すべきか新しく買い直すべきか悩んで、あちこちに問い合わせたり訊いたりしてみたのですが、悩むまでもなかった。選択肢は修理するしかありませんでした。このHP用に使っているソフトが対応する、OSのバージョンに適合する新機種はないのでした。ここでもマーフィーの法則が生きていた⁉︎兎にも角にも、パソコンをどうするのか、真剣に考えないと。


2023.08.12



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#2-103 新しいNice Space のために 56

原点に帰って考える、生活を学び直す 28 

レター・ソール(?)


「レター・ソウル(?)」(「魂の手紙」か?書けたなら、いいね。いや、そうだとしたなら「ソウル・レター」か。ということは、「文字魂(?)」これも悪くないけれど)。それとも、「ラバー・ソウル(?)」(ビートルズの中では、いちばん好きなアルバムかも)、のはずはない。何かの拍子に、思い出そうとしていて、あれこれ思い浮かべるのだけれど、どれも正しくない。それにしても、今日の昼に観たばかり、というのに。


写真集


あ、今、やっと思い出した。「ソール・ライター」、ドキュメンタリー映画の主人公の写真家の名前。順番が逆でした(やれやれ)。やっぱり、ビートルズが、強大だってこと?(違いますね。わかっているのだよ、そのくらい……、って?)。

やれやれ。こんなことが頻発する毎日(まいるなあ。かなりこまります)。これも、ぼんやりとしていたうちに、いつの間にか年取ったゆえ、ということか(やれやれ)。思い出せないばかりか、時々、わけがわからないことを思い浮かべたりする。もしかして、壊れかけているっていうこと?(ソール・ライターは、そんなことを呟いていたけれど)。


写真家の映画2種

それにしても、同じ写真家といってもも、ずいぶん違います。まあ、あたりまえといえば極めて当然のことだけれど。たとえば、晩年には絵ばかり描いていたというブレッソンが描くのは、彼が撮っていた写真とは全く異なって、もっぱらヌードのようだったし、ライターの方は、相変わらず街の写真を撮り続け、彼が描く絵もその写真と同じく、いくらか抽象化されたような具象画が多いようだった。

また、同じニューヨークでファッションカメラマンとして活躍したビル・カニンガムとは、質素な生活振りこそ共通しているようだけれど、その生き方は正反対と言いたくなるほどに違う。カニンガムはいつも笑みをたやさず、明るくて外交的なのに対し、ライターはむっつりとしていて、内向的で厭世的に見える。でも、どちらか一方だけに惹かれるということがないのは、不思議。

ところで、御多分に洩れず、原稿はパソコンで書くことが多いのですが(といっても、まずは何か思いついたりしたときのメモは、たいていは手書き。そこらにある紙、大抵は裏紙だったり、端材だったり、に書きつけます)、時々「へーっ⁉︎」という経験をすることがある。たとえば、こんな具合。

以上、と書いたつもり、が「医女」と出てきたりして、ちょっとドキドキしたりする。「区tp雨天の位置」も同じ。これは、念のために言っておくと、句読点ですね(たまに、そのままにしておきたい、と思うことがあります。具体例は思い出せないけど)。

偶然性を嫌うのではなくて、積極的に取り入れようとするアクションペインティングなんかと、気分的にはちょっと同じなのかも(もしかしたら、陶芸なんかとも。あ、でもこちらは最後の最後を火に任せるだけで、あとはギリギリまで詰めようとするようですが)。ただ、これが味として面白く感じられることは、残念ながら、ほとんどありません(僕のパソコンの原稿の話です、念のため)。

でも、否応なしにやってくる偶発的な出来事は受け止めざるを得ないとしても、アタマの中がカオスみたいになるのなら、ちょっと怖い。


少し前の月

まだ暮れ切らない頃、顔をあげたら、目の前にまん丸いものが見えた。窓の正面に月。暗くなるにつれて、少しずつ輝きを増してゆく。満月だろうか。写真を撮ろうと、カメラを取りに行き、戻ってくると、しばらくは良かったのだが、あっという間に月は高いところに行って、雲がかかってしまった。こういう時もあります。

ささやかだけれど、それでもまだ、楽しいものはある(と、思いたいもの……)。

なんだか、文章も、断片化してまとまりを欠いたものになるようで、これはもしかして、やっぱり……。ああ、怖い。

追伸:今朝のラジオは、1973年の名曲特集。聴き覚えのある曲も出てくるけれど、73年といえば50年前、半世紀も前ということ!(おお!)。いったい何をしてきたことやら⁉︎


2023.08.05



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#2-102 新しいNice Space のために 55

原点に帰って考える、生活を学び直す 27 

丘の上の港町をめぐる表層と本質(?)


丘の上に広がる港町?

前回、ここは丘の上の港町だったのか、と書いた問題。周囲はほぼモノクロームなのに、そのあたりはそれぞれの住戸がたいてい水色、もう一つは薄いピンクを基本とした色で塗られていて、たまに黄色が混じる。しかも、よく見ると、けっこう広範囲にわたっている。

それにしても、海からは相当に離れているのにどうしたことか。

というのは、ヨーロッパでは、色彩豊かに塗られた家を目にすることが多い。特に港町ではそうです。過酷で危険な漁から帰ってきた時に、すぐになつかしいわが家を見つけることができるようにするために、各住戸がそれぞれ異なった色で塗られるようになった。

表層と本質の問題(ちょっと大げさ)がありそうと書いたのは、このことでした。すなわち、近所の丘の上の住宅の色は、漁師の住宅がカラフルに塗られた理由とは全く関係ない。もしかしたら、ヨーロッパの港街じゃなくて、中南米の街かも知れないけれど、こちらも自分の家がすぐわかるようにというため(いずれにしても、それほどには鮮やかな色彩というわけじゃないけれど)。


ちょっと地味な写真ですが

少し中に入ったところにも

表層だけを真似た。これがいけないことかというと、そういうわけではないと思います。港町のカラフルな建物といえば、最も有名なものの一つとして、コペンハーゲンのニューハウンがあげられそうですが、この建物群は漁師の家ではない。さらに、街中にも同じように塗られた建物群があった。しかし、海沿いの観光地としてのイメージをうまく作り上げている。

それが似合っていて、魅力的であれば、引用元の性質とは無関係でもかまわない。例えば、僕の家にはミッキーマウスのキッチンタイマーがありましたが、時計とミッキーマウスの間には全く関係がない(しかも、ドイツ製だったような気がする)。ただ、なかなかあいらしい形だったし、大きな耳がタイマーをセットするのに使いやすかった。だから、これも表層だけを真似て成功した例だろうと思います。

でも改めて、周囲を眺めてみると、カラフルな外装の家は結構あることに気づいた。淡いペールトーン、パステル調の色以外にも、かなり濃いめの黄色や緑、あるいは紫というのも見られる(それにしても、これらの色は、どういう基準で選ばれたのでしょうね)。

余談ながら、昔日本でも流行ったアランセーターは、各家で異なる模様を編み込んだもので、漁に出て事故にあった時に、それが誰か、どこの家の人かがすぐにわかるようにというためでした。

こういうことを考えないまま着る、ということはよくある、というか、今やごく日常的だけれど、知ってしまうと、簡単じゃありません。

たとえば、渡辺武信は、シェーカー家具は好きだけれど、あんなにストイックな暮らし方はできないから、自分が使うこともできない、と言っていた(わかる気がします)。

ダッフルコートを一般化した元は英国海軍だし、トレンチコートは英国陸軍のために開発された。これらについては、どうでしょうね。

ところで、ニューハウンを魅力的だと思い、我が国の丘の上の港町を滑稽だと感じるのは、ヨーロッパコンプレックスのせいじゃないかと言う人がいるかもしれない。僕自身もそんなふうにとらえていた時がありました。でも今では、もっと単純に、それが「場違い」に見えるか、そうじゃないかを考えればいいのではないかという気がしているのです。

ああ、やっぱり「表層と本質」には迫れませんでしたね(うーむ)。そして、無駄に長いようです(指摘してくれる人がいた。わかってはいるのだけれど、ねえ)。

この他にも、散歩していて何となく気になってしまうことの一つが、各住戸における自動車を停める位置。車へのアクセスの利便性以外には、あんまり考えられていないような気がします。そのせいで、リビングルームに面した庭が丸見えで、外部空間が生活空間としてつかいにくくなっているように思えるのだけれど、もしかしたら、住まい手も設計者も、内部(と外観)だけに関心がいきすぎているのかもしれません(おっと、これまでも、内部と外部の繋がり等々書いてきたけれど、もうそろそろ忘れた方がいいのか?)。


2023.07.29



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#2-101 新しいNice Space のために 54

原点に帰って考える、生活を学び直す 26 

海辺の誘惑


なんということを!


えっ? ない!

瞬間、驚くと同時に、怒りがこみ上げてきのだった。そして、がっかり。夏の朝、いつも目を喜ばせてくれていた芙蓉が、根元でバッサリと切られていたのだ。これまでなんども伐採されたが、その度に蘇ってその生命力に感心していた。ほんの少し前には、蕾をつけているのを見つけて、おっと思い、今年は少し早い?いつ咲くのだろう、と楽しみにしていたのに。それで、もしかしたらと見に行ったら、この有様。あろうことか、花をつける直前になって切られてしまっていたのだ‼︎


開花を待っていた蕾

腹が立つというか、呆れるというか。

いったい、どうしてこうなるのか!マニュアル主義、効率主義の故なのか。管理者、あるいは業者は、いったい何を考えているのだろう。ふだんは、草木が視界を遮るように伸びていても、そのまま放置することが少なくないのに(やれやれ)。

閑話休題。このところ思うことは、「もしかしたら、やっぱりロケーション?」

ずっと、建築よりもインテリアが好きなのかもという気がしていたのですが(形態好み、表層を見がちな僕の性向を知っている人は、「へえ」と言うのかもしれませんが、「理屈よりも感覚」と言い換えたなら、腑に落ちるかも)、いまとなれば、それ以上にロケーション、すなわち立地、何が見えるかの方が、僕にとっては大事なようだ、と思い始めたのです(あ、これは、一住み手としての立場です)。もっと言えば、あるものが見えるかどうか。

海辺の光景は、いつでもどこでも、何度見ても、美しいと思う。唐津の海も横浜の海も、金沢八景の海も葉山の海も、どこも変わるところがない。

できることならば、こういう景色を見ながら暮らしたい、と思うのです(馬鹿の一つ覚え、まるで壊れたテープレコーダーのようですが……)。せめて、毎日、見に出かけることができるといい。あるいは、たとえば高山なおみの神戸のマンションのように、遠くからでも眺めながら暮らすことができたなら。

海じゃなくても、湖でも、あるいは大きな川でさえも(いや、小さな川だって)。水のある風景の魅力には抗しがたい、と思うのです。水を見ていると、ややもするとざわつきがちな心が落ち着き、穏やかになって、文字通り澄んでくるような気がするのです(あんまり長続きはしませんが)。


浜辺の夕景*

これは先日訪れた、海辺のレストランからの眺め。

刻々と変わる夕日と海ももちろんすばらしいですが、浜辺を歩く人もシルエットとなって絵のようです、あのドーヴィルの浜辺**と同様に。毎日見ることができるなら、どんなに素敵なことか。

でも、いつも思うことですが、我が国の海岸には、どうして桟橋が少ないのだろう?(欧米の映画には、いたるところに大小さまざまの桟橋が出てくる、ような気がする)。ごく簡単なものでも、これがあれば、浜辺はもっと楽しくなりそうなのに(景観保全?それとも、やっぱり安全管理の問題でしょうか?)。

まあ、嘆いてばかりいても仕方がないので、散歩コースの途中の、遠くに見える海を眺めに出かけた公園で、不思議な景色を見た。ある一画に彩色された建物群が目に入ったのだ(水辺でもないのに港町⁉︎)。えっ、あそこは丘の上の港町だったのか。

それにしても、海からは相当に離れているのにどうしたことか。我が国の伝統的な住宅のありようと異なっているのはもちろん、周囲の建物とも随分違っている。

これは、形態というより、色彩の問題(苦手中の苦手です)。周囲はほぼモノクロームなのに、そこは青やピンクを基本とした色で塗られている。たぶん、住宅販売会社の思惑だったのでしょうね(そうすると個性が出て、売れると思ったのだろうか。確かに個性、というか周囲との差異は際立っているけれど)。この、個性という言葉もけっこう怪しいですね(別に、個性それ自体に問題はないはずなのだけれど)。

表層と本質の問題(ちょっと大げさ)がありそうだという気がするけれど、これについては、また改めて考えることにしよう。


* 写真は、同行した人のスマートフォンを借りて撮ったもの。
** 映画「男と女」


2023.07.22



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#2-100 新しいNice Space のために 53

原点に帰って考える、生活を学び直す 25 

そうだ。名前をつけよう



あの名前がわかった!久しく謎だったそれは、コキア、またの名を箒木(ほうきぎ。別名、箒草)。秋には赤くなるらしい。

なんのことかといえば、先日掲載した1列に整列した丸い形の木のこと。散歩の途中で、折良く、畑仕事をしていたおじさんに教えてもらった。

で、うちへ戻って早速、ウイキペディアで調べてみたら、

 果実は、薬用・食用にされ、若芽は食用にされる。淡白な味でプリプリした食感から「畑のキャビア」と呼ば
 れるほどで、秋田県の特産品「とんぶり」の原料となる[1]。昔は夏から秋に固くなった茎を根元から切り採っ
 て乾燥し、束ねて箒として利用した。

とあった。あの食いしん坊にして美食家の開高が、キャビア以上と評した、トンブリの原料だったのね(うーむ。知らないことばかり)。


これの名前は?

キャンディみたいなこれは、なんと言うのでしょうね。ひとつ解消したと思ったら、また新たな謎が。うーむ、じれったい。

たかが名前じゃないか、と思う人もいるかもしれませんが、名前を知ることは理解の第1歩、だという気がする。名前を知ることができたなら、調べるのもぐっと易しくなる。ちょっと振り返ってみれば、名前を知った時には、親近感が増したことがあったでしょう。だから、ペットには必ず名前をつけるし、中には愛車や愛用する機械(たとえば、”クリストファー”とか)にまで名前をつけるという人もいるようです。

あ。思いついた!

家の中のことやものに、名前をつけるというのはどうだろう。たとえば、今度の8月8日は“M −Day”(『磨き大作戦の日』、窓やら、グラスやらはもちろん、もしかしたら自分までも、徹底的に磨き上げる日)とか、掃除機には『クリーン1号』、『クリーン2号』とか。「クリーン1号君、今日は君の出番だ。さあ、ちょっと頑張ってみようか」なんて呼びかけて始めると、やる気がアップしやしないか。

ところで、新聞のチラシを見ていたら、ハッとしました(こうしたことが、時々あるのですが……)。たとえば、


惹かれます

まず目に入ってきたのは、「青春リフォーム」の言葉。

えっ!何?これは、まあ名前というよりも、キャッチコピー、惹句ですが、名前と呼べなくもない。

もはや青春時代には戻れないから(そうじゃない人もいるかもしれないが)、もう一度その頃のように、というようなことかと思ったので、読んでみたのですが、……。

 いままでの夢、
 これからの夢。
 思い描いていた
 ライフスタイルを
 聞かせてください。

 東急リデザイン(旧:東急ホームズ)の「青春リフォーム」は
 外装を新築同様に設えたり、
 古くなった箇所を新しくするだけではありません。
 私たちが何よりも大切にしたいのは、
 「あなたが主人公のリフォーム」。

 子供も仕事も手が離れ、
 自分の夢を優先できる今こそ、
 理想の暮らしが、きっとあるはず。
 愛着のあるご自宅にたくさんの夢をちりばめて、
 これからの”舞台”にしませんか?

とあった。子供はいないし、持ち家でもないけれど(しかも、50代はとっくにすぎた)、仕事はすでに手を離れている。青春時代そのものを取り戻す手立ての提案でこそなかったけれど(まあ、あるわけがない)、古びてしまったものを新鮮だった時のようにすることを、何よりあなたすなわち僕自身の「夢」を大切にしながら考えてくれるというから、当たらずとも遠からず……か⁉︎

さらに、こちらにもまた、おおいに惹かれました。

 日本の夏。
 サボローの夏。
 サボロー対策は、明光の夏期講習

で、どのくらい蔓延しているものかと調べてみたら、ある記事*には、こうあった。

 サボローの特徴(特設サイトより)
 ・勉強中、ふとした拍子に突然現れる。
 ・食いしん坊である。
 ・あの手この手を使って勉強をさぼらせようとする。
 ・日本各地に生息している。
 ・誘いの数だけ増える、気づくと大勢いる。
 ・友だちが大好きで、さみしがりや。

なるほど。確かにね。これには、さらにぐさりとやられました。言われるまでもなく、怠け者にとっては最大の難敵。「サボロー」は日本各地に生息しているということですが、うちの近辺には、平均よりもはるかにたくさんの軍団が跋扈しているのではあるまいか、あるいは精鋭部隊が駐留しているのかも。

また、チラシの方に目をやると、「夏はサボローと子供が、一番仲良くなる季節」だけれど、「サボローの誘いを断る意志の強さも、たくましく成長」とも書いてあります。

僕は子供じゃないし、季節を問わない怠け者ですが、この講習は相当に魅力的です。

何れにしても、これらを撃退するワクチンがあればいいのですが、これはたぶん、今のところはまだ、発明されていませんね。となると、やっぱり、塾の講習やリデザイン会社の相談会に出かけるしかないのか。

なんとかしないと、大変なことになりそうです。塾やリデザイン会社が近くにはなさそうだから、まずは、やっぱり、命名大作戦からか。


* PR TIMESのサイト


2023.07.15



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#2-099 新しいNice Space のために 52

原点に帰って考える、生活を学び直す 24 

うんと久しぶりにiPad


まずは、思わぬ展開の顛末から。

どうやら敵は(本当は、こちらの状況もよく理解してくれて、なかなかに心強い相談役だったのですが)、Proの方を勧めたいような心算らしかった。

iPad Air はM1チップ、これに対してiPad Proは最新のMacBook Airと同じM2チップという違いには全く惹かれなかったわけじゃなかったが、さほど心は動かなかった。しかし、もう一つには、書き始めのポイントがペンを離しても示されるし、スクロールが滑らか(何か用語があるようだった*が、忘れた)というのだ。これにやられたのだった(スクロールがスムーズに動かないと、結構ストレスになる)。たぶん、もうあと何回も買い換えるということはないだろうから、練習用というのではなく、しばらくの間は気持ちよく使えそうなものを、と思っていたのだ(ちょっと大袈裟だけれど、不退転の覚悟!)。

そして、結局は、その場の勢いで(⁉︎)、Proの方を選んでしまった(プロでもないのに。このことに対しては忸怩たる思いがあって、元々はProのを冠した機種以外を選択するつもりだったのです)。また、ストレージの容量はできるだけ大きい方が好ましかったのに、このことをすっかり失念してしまっていたのは返す返すも残念。さて、どちらが良かったのか。


購入してしまったiPad

ま、買ってしまったのだから、せいぜい使い込むしかない(タテイシセンセイも、牛肉は最高級の肉の一番安い肉を買う、安手の牛のいちばん高い肉より断然うまい、と言っていたのではなかったか)。この理論をiPadに応用しても、そうは外れないのではあるまいか、と慰めた。それに、愛用のノートパソコンもちょっと不調な時があって、買い替えを検討しなければならなくなることがあるやもしれぬ気もするこの頃(この場合は、何かと面倒な状況が出来しそうなのだ)。ということで、まずはiPadを使いこなすことが先決、優先事項の第1であります。それにしても、道具選びのなんとむづかしいことだろうね。

インターネットを中心に、色々と調べては見るのだけれど、案外失敗することが多い(成功するのは、ごく稀です)。仙台を拠点にしているメーカーの布団乾燥機はすぐに壊れたし、黄色の研究用のフッ素樹脂加工のアルミフライパンも、性能自体はいいのだけれど、目的に対しての大きさがいまいちしっくりこない。


設置してみた

で、iPadはどうだったのか。

その前に、なぜ、iPadを買おうと思ったのか。

主な理由は2つありました。一つは、簡単なスケッチを描くため。2つ目は、あわよくば、不調が目立つようになったMacBookの部分的な(できるだけ大きい部分となる方が望ましい)代替機としてiPadを使えたら、と思ったため。

今のところ、たとえば物語に添える絵は、手描きのものを複合プリンターでスキャンして、しかるべきところに貼り付けるというやり方。これが、部分ごとに切り出されたりするなど、けっこう面倒な上に、元々の文章の地の色と貼り付けた絵の地の色とが微妙に違うのです(特に印刷すると、顕著になる)。これが妙に、気になったりする(暇な証拠かも、しれませんね)。


こんなものが

そして、現在使用中のMacBook Pro(!)の不調というのは、このところどういうわけか強制終了しなければいけなくなることが増えたのだ(たまには、勝手に再起動する時がある)。しかし、このMacBookは、HP*を作成するのに欠かせない(使用しているソフトが、High Sierraまでしか対応していないのだ)。

だから、これを新しくするとなると、HP作成用のソフトを買い切りから年額制のものに移行しなければならず、割高だし(というか、やっていることに見合わない気がするのです)、何より面倒だ。だから、これをほぼHP作成専用機としてスリム化に成功すれば、トラブルも減るのではないかと考えた(MacBook延命作戦。だいたい、性能的には何の不足もないのだ)のだった。そのほかの作業のいくらかの部分は、新しいiPadで(うまく使いこなせそうなら、トラックパッド付きの専用キーボードを買って)行うようにすればいい、という目論見だったのです。さらには、これを外に持ち出す時の重さも負担になってきたし……。

このほかの小さな理由としては、iPhone、こちらもほとんど使いこなせないで、ほぼ時計と歩数計の状態とはいえ、こちらへの連絡も少ないながらあるのですが、これに返事をしようとすれば、なんとも厄介。あんなに小さな画面での入力は時間がかかるし、できれば避けたいのです。若い人たちは、なぜあんなにも早く入力できるのだろう?(謎ですね)。で、もう少し大きい画面でやれればいいと思った。

で、その後の展開はどうだったのか。

白状するならば、設定からつまづいた。全くうまくいかず、わからないことだらけでありました(とほほ)。残念ながら、近くには、対面で手取り足取り(⁉︎)教えてくれて、しかも時間もあるという人がいないのです(それでなくては、右往左往するばかり……)。

iPhoneと同期するような形で設定するような画面が現れて、よくわからないまま(何しろ、初心者)、そのまま進めることにしたのだけれど、今や使っていないiPad(=他のiPad)のパスコードを要求されたり……。顔認証の手順もすませましたが、これが生きているのかどうかわからない。今のところは、結局パスコードで開く。

iPadとMacBookのメモも同期してしまっていたみたいで、iPadの容量を減らすためにと思って削除したら、MacBookの方のデータも消えてしまった(どうも、携帯電話のメールの不都合を解消する際に、iCloudの設定をしてもらっていたのが原因らしい。うーむ)。まあ残しておいた方が良いのもあったけれど。便利なようでもあり、不便のようでもあって、なかなかむづかしいものですね。

一方、これとは逆に、iPhoneのLINEとの同期はなされていないようだった(まったく。やれやれ、であります)。

このほか、Gメールも受信できない(パスワードを要求されたのですが、それがわからない。短期間のうちに2度の引っ越しの時に、まぎれてしまったよう⁉︎)。

また、入力時には手元にあったBluetoothのキーボードとトラックパッドを使ってみたけれど、これもあんがい手間がかかるし、何かとMacBookのようにはいかない。まずは、こちらで慣れてからと思っていたのだが、やっぱり、さっさと専用のMagic Keyboardを手に入れるしかないのか。

と、まあこんな具合。

ということで、iPadのMacBook化、iPhone化への道のりは、相当に厳しそうな予感。何しろ、1度つまづいていることだし。それに、何と言っても、やっぱり慣れたMacBookの方が、断然使いやすいのです(今の所は……)。

果たして、iPadが日の目をみるようになる時は来るのか?


*リフレッシュレート
** ボケ防止のためであり、わずかな外の世界との繋がりの手立てでもある。でも、たいてい一方通行で、反応はほぼないから、その役割を果たしているとは言い難い(時々、何やっているのだろう、という気になる時がありますけど……)。まあ、かろうじて、自身を客体化する手段として役立っているかもしれないけれど。となると……(でも、今しばらくは、考えないでおくようにしよう)。これも、可能性を残しておく、ということになるのだろうか?


2023.07.08



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#2-098 新しいNice Space のために 51

原点に帰って考える、生活を学び直す 23 

あるもので満足する


ベカと赤木*

コロナ禍の只中に、尊敬し憧れる輪島塗の塗師、赤木明登にお椀の中に光が宿るようなものをと注文し、その椀の中に盛るべき料理考えるために2人で能登の食材を探した。彼と共にした2ヶ月で学んだことは、「身の回りにあるもので満足すること」。そう語ったのはフランス人シェフ、リオネル・ベカ**。

以前、僕もここで、同じようなことを何回か書いたことがあるけれど、こうやって仕事に真剣に取り組んでいる人が言うと重みが違います。「本当にそうですね。もう一度そのことをしっかり考えないといけない」、という気になります。

「身の回りにあるもので満足すること」というと、何やら「諦める」ようなことを感じる人があるかもしれないが(僕の場合には、出発点にそれがあった)、ベカの場合はたぶんそうではなくて、それよりももっと積極的に「あるものを徹底的に生かす」という態度のことなのだろうと思う。

今の状況に対する不満を言い立てるばかりでは、不幸を増進させるだけで何も産まない。身の回りにあるものを徹底的に活かし切ろうと精進しようとすれば知恵と工夫が求められ、持てる力を存分に発揮してやがて達成した時には、自ずと喜びが生じるに違いない。それでも、まだ不足があれば、その時に自分に周りの外に求めても良いということになるのではあるまいか。「足るを知る」というのもそうしたものなのかもしれない。

でも、これまた、実践するのはむづかしい(僕にとっては、むづかしいことだらけです)。


『エスキスの料理』***

リオネル・ベカは、料理人の中でも、際立って思索的な人のうちの一人であるらしい。ベカを紹介している『料理通信』のサイトに掲載された記事によれば、彼が、コロナ禍の最中、休業中の店に毎日通って書き上げたという2021年秋の『エスキスの料理―インスピレーションから創造する料理の考え方』(誠文堂新光社刊。表紙の佇まいからもその性質がよく知れるようです。実際に手にしたくなります)の中には、以下のようなことが述べられている。彼の言葉や経歴は、ほぼこの記事によっています。

 「レストランの料理はテーブルで輝く。甘美とか優美といった言葉で表現される華やかな世界です。反面、厨
 房で行われるのは、生き物の生命を奪うという、ある意味、残酷な行為です。つまり、料理人という職業に
 は、光と闇、対照的な2つの側面がある」

と考えるベカは、一度奪った命をもう一度食卓で殺すことにならないように、美味しく食べてもらうために、「素材がどうなりたいかに耳を傾ける」と言い、「料理人の役割は、素材に言葉を与えること」だと語る。なるほど、確かに思索的で、言葉の人、言葉で料理を考え作り出しているのかもしれません。こうした性向の人は他の分野にもいて、たとえばミケランジェロなんかもその一人ではあるまいか。「私は大理石の中に天使を見た。そして天使を自由にするために彫ったのだ」とか、「絵は頭で描くもの。手で描くのではない」というようなことを言っているようでした。

ベカは、1976年にコルシカに生まれ、マルセイユで育った。加えて、父方の祖母はチュニジア人だというから、正真正銘、生粋の地中海っ子。20歳を過ぎて料理の道へ進むと、フランスの名店中の名店『トロワグロ』で修行し、30歳の時に師のミシェル・トロワグロに指示で、その東京支店のシェフとしてやってくることになったという。

さて、「身の回りにあるもので満足」できるよう、今あるものを活かし切るには、その性質を徹底的に知る必要があるわけですが、「その国の文化の力やテロワールを象徴するものの力を料理に変換するには、季節と季節の間で揺れ動くわずかな変化さえも感知できるように、その細部まで熟知する必要があり」、そのために「日常的にその土地に暮らさなくてはならない」というわけです。頭の中だけや小手先だけでなく、文字通り身体に染み込むまで対象と付き合う。残念ながら、こうしたことが身の回りから希薄になり、失われて、どこに住んでいるかもわからないようになってしまったようだ。

したがって、ベカにとって「フランスを離れたことは心の傷」となった。これを癒やすために、彼は「日本とフランス、2つのテロワールを共存させ、そこからどうにかして第3のテロワールを引き出そうと試みてい」ると言う(災いを呪うばかりではなく、福と為すべく努力する)。

こうした一種の「地元密着」主義、「地産地消」の考え方に徹するシェフは他にもいて、たとえば、三ツ星にして、2019年版の料理専門家が選ぶ世界のベストレストラン50で1位となったフランス南部の町マントンにあるレストラン「ミラズール」のオーナーシェフのマウロ・コラグレコ。彼は、そこで取れた材料しか使わず、そのために全てのメニューを変えたといいます***。

当然のことながら、こうしたことを実現するためには、不断の努力の重要性のことを思わないわけにはいかない(ローマは1日にしてならず)。彼は、こんなことも語っている。

 「哲学者の言葉を聞くと、みな、畏敬の念を抱く。確かに彼らは知の巨人かもしれない。しかし、彼らの勤勉
 さを見逃すべきではないと思います。哲学者の言葉とは、彼らが寝る間も惜しんで書物を読み、知識を取り込
 み、考え続けた結果なのですから。ダンサーの優美で軽やかな身のこなしを見ると、持って生まれた才能に憧
 れを抱くでしょう。けれど、彼らは水面下で血の滲むようなレッスンを繰り返しています。つまり、人の心を
 動かす裏側には鍛錬がある。その事実を忘れてはいけないと思うのです」

なんだかうなだれるばかりで、早々に逃げ出したくなりますが、目指すものに近づこうと思えば、こうした勤勉さに倣うしかない(それは、幾つになっても変わらないのだろう。このことも、僕にとっては、相当な難題ですが)。


* 写真は、エスキス(ESqUISSE)のサイトから借りたものを加工しました。
**「共につくる フレンチシェフと輪島塗塗師」NHKプレミアム
*** 『料理通信』に掲載記事『素材の声を聞く。素材に言葉を与える。』
**** 「“世界一”のレストラン 食彩の宝石箱」NHKプレミアム


2023.07.01



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#2-097 新しいNice Space のために 50

原点に帰って考える、生活を学び直す 22 

まっすぐ歩けない


また、紫陽花

同じ紫陽花でも、前回と違って、一つ一つの花びらが大きい。おもしろいねえ。紫陽花だけでも、しばらくの間は楽しめそうです。

さて、まっすぐ歩けないのが問題。と、言ったからといって、後遺症が発症したわけでもなく、病状が進行したわけでもないのです。また、新たな病気にかかったというのでもない、と思う(たぶん)。


狭い通路*

家の中の、頭の中ではない、物理的な空間のありようの話です。我が家の中をまっすぐ歩くのは、なかなかむづかしいのだ。嘘でも誇張でもありません(威張れた話ではないのだけれど)。玄関から、今やほとんど使わなくなった仕事机のある場所や食堂に入ると、通路の幅はちょうど55cmしかなかった(こちらも威張って言うことではありませんが、ちゃんと測ってみた)、ぎりぎり人が通れる寸法です。しかも、床に置いたポスターのパネルや棚から飛び出したファイル等で、実際にはもっと狭いところがある。だから時々、カニ歩きをします。ある日のこと、後頭部が痛いのに気づいて「もしや」と思ったのだけれど、触ってみたらコブができていたのは、どこかにぶつけたのだろうか。

本やら雑誌やらその他いろいろ、何しろものが多すぎるのだ。しかも、その大部分は、あればあったで嬉しいに違いないけれど、なくても困らないようなものだ。ということは、もう重々わかっているのです。しかも、逆に、大物の家電なんかを入れ替えなければいけないような状況になったら、そうとうに困る、ということも……。

でも、捨てられない。いったい、どうしたことなのだろう。いや、しかも片付けられない。どうすればいいのだろう。

ただ、一方で、いったんしまい込んだら、そのほとんどは、使わない、読まない、聴かない、観ない、ということになる。ということも、わかっている。だから、機会は少ないかもしれないけれど、できるだけ外に出しておきたい、と思う(そのために、一度は書庫を借りた)。そうすると、空いたスペースが小さくならざるを得ない。二律相反、自明のことなのだ。

空いたスペースが少ないと、ふだんの生活が窮屈になる。他方で、本当に必要なものだけを周りに置くことにすると、たしかにものは減るけれど、味気ないものになりそうな気がするのです(ただの思い過ごしかもしれないけれど……)。ただでさえ、楽しいことがあんまりない生活なのだから(大きな声で言うことじゃないけれど。これが厄介)。それで、余分なものも置いておきたい……。

当たり前のことながら、保存するものを増やせば空き領域は減り、保存するものを減らせば必要な時にすぐ手にすることが望みにくい。あちらを立てれば、こちらが立たず。となると優先順位をつけるしかないのだ。まあ、これができれば、悩まずにすむはずなのですが、できない(うーむ……)。人は理屈のみにて生きるにあらず(⁉︎)。

片付けるために生きているわけではないので、これが目的化してはいけない(こんなふうに考えるからダメなのかも)。しかし、ある程度片付いていないと、楽しくない。また、埃で人は死なないと言った人があったけれど、それにしても埃まみれというのもね。再出発するためには思い切って、毎日身を乗り出しながらアパートの窓を磨いたW・フォレスターのように、まずはしっかり片付けることを短期の目的としながら、暮らさなければいけないのかもしれない。

すっきりと片付いて、余計なものがない空間といえば、その代表的なものの一つには、教会がありますね(しかも、こちらは大空間)。静謐さに満ちて、美しい。マドリッドだったか、あるいはバルセロナだったか、街の教会での結婚式で歌う少年合唱団の声が聞こえた。そしてこれを見つめる新郎と新婦。とりわけ、にっこりと笑った花嫁が可愛らしくも美しい。思わず知らず、胸を打たれました。

ところで、西洋の造形はすべからくは完璧性、というか完結を目指すのに対し、日本はわざとこれを避けて、未完の余韻を残す。と言ったようなことが通説のように思うけれど、ヨーロッパの都市のあちこちに建つオベリスクはどうなのか。1本で閉じることが、果たしてできるものなのか。それでも、いたるところにあるようだし、ともあれ美しいのには変わりがない。こうした美しさに憧れる気持ちも。

先回お知らせしたように、新しい挑戦を始めます。ファンタジー(自称)の連載開始です。もうすぐです。今しばらく、待たれよ(‼︎)。


* 写真は梅雨空に戻る前の朝に急いで撮ったので、片付ける時間もなかった。余計なものがたくさん映り込んでいて、ちょっと恥ずかしいけれど、まあ、改めてありのままの状況を把握するにはいいかもしれない。なんとかしなくては、いけません(これがなかなか、できないのです)。


2023.06.24



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#2-096 新しいNice Space のために 49

原点に帰って考える、生活を学び直す 21 

「ていねいに暮らす」ということ


 「今は毎日空気を吸うたびに、息をするだけでうれしいなと。
 深呼吸したくてしょうがない。もったいなくて」

いいですね。こういうことを気負うことなくさらりと言えるのが、「ていねいな暮らし」を実践している人なのではあるまいか。


シェフとマダム

そんなふうに思わせる言葉を口にしたのは、北海道富良野で、夫でもあるシェフとともにフランス料理店を営むマダム*。北海道の食材の美味さに魅了されて、採れたての地元産の食材を使い、そこでしか食べられない美味しい料理を提供して、お客さんに喜んでもらいたい。そのために60歳を前に、東京でフレンチの名店として人気のあった店をたたんで、富良野に移住し、以前から築いていた生産者との関係をさらに強固なものにした。

店ではお客の要望を叶える料理をシェフに作ってもらうためにホールに立ち、パティシエとしても腕をふるう。シェフも、それが厨房の役目ですから、と応える(立派ですね)。一方では、殺処分寸前に引き取った数頭の馬をはじめ、犬や猫たちを家族として暮らしている。


映画『八月の鯨』**

そしてやっぱり思い出すのは、ここでも取り上げたことのある映画『八月の鯨』の中のリリアン・ギッシュ(当時90歳)。素敵です。毎年夏になると別荘にやってきて、目の見えなくなった姉の世話をしながら暮らす(しかも、その姉はたいへん気むづかしい)。その生活ぶりは慎ましいけれど、毎日、棚の埃を払い(まあ、ぶつぶつ言いながらですが)、庭の花を摘んで卓上に飾る。その年の夏、彼女は、部屋の中から八月の海を眺めるために、窓を開けたいと考えている。80歳をはるかに超える歳(たぶん)になってもなお、生活を彩り、美しいものにしようとすることを厭わない。

いずれも、たいしたものだなあ、すごいなあ、えらいなあと感心するばかりです。

ところで、これまで「ていねいな暮らし」への憧れを書きながら、それが具体的にはどういうものかについては触れることがなかった気がします。で、「ていねいに暮らす」ことができている、そう言えるために必要だと考えていることを記してみるなら、以下のよう(むろん、先に挙げたシェフとマダムやリリアン・ギッシュの生活ぶりほど、立派なものではありませんが)。

・さっぱりと片付いていること。
  たとえば、目障りだと思うものが目に入らない。
・怠惰に過ごしたと思わなくてすむこと。
  たとえば、家の中をきれいに整えた。
・嬉しいと思えること。
  たとえば、いい景色を見た、何か役に立つことをした。

といったようなこと。こんな具合に、とりたてて特別に立派なことでもなんでもなく、ささやかなものなのですが、……。これが実現できたら、毎日が楽しく嬉しい気持ちで過ごせるのではあるまいか。

しかし、実際にはこれがむづかしい。

目障りだと思うものが目に入らないようにするためには、毎日の片付けや掃除が不可欠だし、怠惰に過ごしたと思わずに済むためには、計画を立てるだけでなく、それを実践することが重要だ。そして、嬉しいと思うためには、見たものや出会ったものに素直に向き合わなければ得られない。これができたら、相当の達人かも(僕などは、料理関係の番組をよく見るのですが、お店を訪ねた料理家が「これはたいしたもんですわ。……」などと言うのを聞くと、褒めながらも半分は自分お優位性を誇示しているように聞こえて、つい、エラそうに……と思ったりしてしまうのであります)。

こんなふうに、いずれもがなかなかに手強いのです(もしかしたら、ほかの人にとってはなんでもないのだろうか。うーむ)。

ほんとうならば、こんなことを書かないで実践できたらいいのですが、こうやって書いたり(時には、宣言したり)、口に出したりしながら、確認し、気持ちを奮い立たせなければ、とてもできそうにないのです。

あっ、もうひとつ。ていねいな暮らしに憧れる気持ちを失わないこと、これが一番かもしれません。


* 「富良野 シェフとマダムの物語」NHKプレミアム初回放送日: 2022年8月20日
 写真は雑誌「Discover Japan」のHPから借りたものを加工しました。
** 写真は、noteの中の記事から借りたものを加工しました。



2023.06.17



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#2-095 新しいNice Space のために 48

原点に帰って考える、生活を学び直す 20 

等間隔に並ぶもの


いよいよ6月に入りましたが、ここ2日ほどはまた雨が続いて、昨日は雨よりも風が強かった。今日も朝から灰色の厚い雲で覆われていて、しとしと雨が降り続いている。気温も上がらない予報。いよいよ、梅雨入りだろうか。なんだかどんどん早まっているような気がしますが……。


雨の朝

こういう時は、うちの中でおとなしくしているのに限りますね(つい先日も書いたばかりだけれど、なんといったって、年金暮らし、無職の身の特権)。家の中(それが、取り立てて魅力的な空間でないとしても)にいることができることの嬉しさをしみじみ思うのです。さて、こういう日は何をしよう。映画を見て、美味しいものを作って食べるか。それとも、片付けに取り組むべきか。

いや、音楽をかけながら、グラスをそばに置いて、外の降り止まない雨と灰色の景色を眺めるのが断然いいか。

さて、僕は等間隔にまっすぐに並べられたものが、むやみに好きなのです。たとえば、あの悪名高い住宅街の電信柱でさえも。もちろん他にもたくさんあって、たとえば田園の道ばたに立ち並ぶすっくと伸びた木々、組積造のアーチの橋脚がいくつも連なる水道橋や鉄道橋、それに様式建築の列柱や『ガララテーゼ』の何層にも重なる壁柱、映画『かもめ食堂』の鉢植え等々。いずれもが、とても美しい。ただし以外はあって、整列した軍人の行進などは大嫌い、と言うよりも見ると胸が悪くなる。


不思議な植物

先日、散歩の途中の畑に小さくて丸い形をした緑の植物が、等間隔に並べられているのを見たのです。初めて目にしたけれど、やっぱりいいなあ。それにしても、『かもめ食堂』の窓台に並べられた鉢植え(西洋ツゲ、ウッドボックスなどと言うらしい)にそっくりだけれど、こちらはいったいなんという名前なのだろうか。

等間隔にきちんと並べられて、どこまでも続くようなものを好むというのは、どうしたことだろう。秩序とリズムと、さらにそれらが生み出すある静謐さのようなものを感じるためか、はたまた、自分がまっすぐには進めない、歩んでこれなかったためなのか。無い物ねだり、自分自身に欠けているものに憧れるということなのだろうか。

そのくせ、自分で並べる時は、そうはしないで、どこかでずらしたくなるのだ。おまけに、うちの中をものがきちんと並べられた状態に保つことは大の苦手、というよりできない。だいたい、ショールームのようなインテリアにしたいなどとは思いもしない。小さな棚に重ねた雑誌の前のわずかにあいたスペースに置いたいくつかのミニカーも、揃えたり整列させておくことはしない。

ある時ラジオを聴いていたら、進行役とゲストが互いに好きな曲をかけて語り合う番組で、「選びました」とはっきり言うのが聞こえた。言ったのは和久井映見。「選ばせていただきました」とは言わなかった。彼女のファンではなかったけれど、ちょっと好きになった。一方、その後のニュースでは、福島原子力発電所の処理水の海への放水が始まることに対して、県知事が担当大臣に要望書を提出した際に使ったのは、「提出させていただきます」という言い方だった。さらに、昨日発表のJR東日本の「羽田空港アクセス線」という名称には、ため息が出た。いったい、どうなっているんだろうか。


2023.06.03



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#2-094 新しいNice Space のために 47

原点に帰って考える、生活を学び直す 19 

久しぶりに、住宅・2


前回は、久しぶりにプランを掲載しました。データが残っていた提出図面をもとに少し修正を加えただけのものでしたが、今回は僕だったらこういう風に考えるということを加えた、もう少し大幅に変更したもの(と言っても、さほど変わっていない気もするけれど)。

前回との大きな違いをいくつかあげると、
・お風呂の位置。
・暖炉の設置。
・外部空間の内部化。


2階平面図

1階平面図

今回のものは見ての通り、お風呂が2階にあります。これは、お風呂にいつ入るかということを考慮した結果。皆さんはどうでしょうか。まさかお風呂もシャワーも無縁と言う人は、いないはず。だいたいは寝る前か、朝起きてすぐにシャワーを使うという人が多いのではあるまいか。あるいは家に帰ったらすぐお風呂に入りたいという人もいるかもしれない。このような場合には、寝室や個室に近い方が便利だし、気持ちがいい。

さらに、寝室から直接サニタリーに出入りできるようにした(これも、ずっと考えていることで、1種の基本方針)。冬寒い時などは、大いに助かるはずです。もう一つは、これに連なるバス・コートが欲しい(これは、逆に夏の暑いときに有効)。

洗濯物のことを気にする人がいるかもしれませんが、庭に干すということと家事の動線を考えたならば、朝下に降りる時に持っていけばいい(洗濯物は、乾いているときは軽い。それでも面倒と言うのなら、ダストシュート方式もありますが)。2階に干したいというのなら、洗濯機も2階に置けばいい。

浴室が1階にある方がいい場合というのは、泊まり客が頻繁にあって、彼らを1階に泊めるという時でしょうか。あるいは、お風呂から出たあとも、リビングでしばらく過ごすというような場合も。

もう一つは、暖炉を設けたこと。これについても、2つの場合が考えられそうです。冬、くつろぎながら火を眺めるたいという時と、炎を眺める以外に調理にも使いたい場合。後者に惹かれるのですが、今回は前者を採用。

さらにこの場合、暖炉とソファの関係をどうするかですが、ごく一般的な考えるなら、ソファと正対するように置くというのが素直な解決法だということになりそうです。ただ、テレビをよく見るという場合などは、ソファと正対するのはテレビにならざるを得ないのだろうと思います(ソファは、多くの場合、簡単に向きを変えというわけにはいきにくい)。

いずれの場合においてでも、ソファと外の関係も考なければいけません。すなわち、せっかく庭があるのだから、ソファを庭に対して背を向けるように配置するのは避けたい。そして、この外部(の一部)は外の部屋という性格のものであってほしい。このために、囲われた感じを強めようとして外部に袖壁をもうけたのですが、さてどうでしょうか。

でも、何事につけても時間のかかる僕が、短い時間でやろうとすると、ちょっと無理やりというところもあって、もう少し考えなくてはなりませんね。清書していると、いろいろと気づくことがありますが、これもまたの機会に(と書いたのだけれど、先日ラジオで聴いたイタリア出身の名バイオリニスト ジョコンダ・デ・ヴィートのことが気になっている。彼女は、50代半ばで突然演奏活動から引退すると、その後はバイオリンに触ることがなかった、というのです)。


2023.05.27



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#2-093 新しいNice Space のために 46

原点に帰って考える、生活を学び直す 18 

久しぶりに、住宅


といっても、設計の仕事がやってきたわけではありません(残念)。こののページの下のほうのバナーを、ポチッとした人がいたということでもありません。ただスケッチをした、というだけ。ずいぶんと久しぶりに、プランを考えたのだ。たまたまパソコンのダウンロードのところに残っていた提出図面をもとに、手を入れてみたのです。

来るべき仕事に備えて、と言いたいところですが、まあ、手、それと頭の運動のためですね(それに、何本か残っている黄色いトレーシングペーパーを使わなければいけません)。

さて、課題の条件ですが、これも幸いメールに残っていたので、簡単に記しておくと、敷地は、図は省略しますが、

 南側を両側に歩道が付いた道路、他の3方を隣家によって囲まれた横長の形状で、大きさは幅17m×奥行
 12m、面積204㎡。

求められている建物の条件の概要についても抜粋すると、以下のようです。

 ①3人(30〜40代夫婦+子ども、30〜40代夫婦+親、または30〜40代の成人のいずれか)で暮らすための
  独立住居。
 ②延べ床面積は110平方メートル(±10%)。ただし、1階部分は122.4平方メートル以下とする。
 ③構造、階数ともに自由(ただし、高さは10mを超えないこと)。
 ④駐車場は屋内との融合を考慮したインナーカーポート*の他に、もう1台を確保する。
 ⑤建物の外側(外構)も計画し、近隣とのつきあい方を反映させたものとする。
  * インナーカーポートは、必ずしも完全に屋内化されていなくても良い。


元の案

原案の説明には以下の点が挙げられていたので、できるだけこれを生かしながら考えてみることにしました。

 ・1階をパブリックスペース、2階をプライベートスぺースに分ける。
 ・外にはウッドデッキを作って、座りながら交流できるようにした。
 ・2階にもトイレを設けた。
 ・階段の下には収納スペースを設けた。


修正案(1階部分のみ)

で、主な修正点は以下のとおり。

・原案ではカーポートと室内の融合が全く考慮されていないので、これを解決する。その方法は、食堂や居間と
 の連携がまず思いかびますが、ここではできるだけ元の案を変更しないということで、玄関の三和土(たた
 き)の部分を広げてタイル敷きの土間とし、同じ仕上げのガレージと繋げた。
 こうすることで、お客を部屋の中に上げないでも、一緒におしゃべりやお茶を飲んだり、よりカジュアルな付
 き合いができる場として使える。
・土間の使い勝手を高めるために食堂と居間を入れ替え、あわせて家事の効率化のためにキッチンと洗濯室・洗
 面所の連絡をよくした。
・ソファなどの家具の寸法が実際よりもかなり小さいものがあったので、一般的な寸法とした。
・このほか、1mモデュ―ルだったのを0.91mモデュールとした。

あんまり細かいことは気にしないで考えたものですが、さて、どうでしょう。2階部分も作ったけれど、スペースの関係で割愛。それに加えて、白状すれば、描き直すのがちょっと面倒。根気が失せてしまうのだ。1階平面図も、もう1回描き直すつもりだったのを断念。こんなことではいけない、と思っているのだけれど(一人あそびの限界かも。うーむ)。

次回は、僕だったらこうしたいと、もう少し大胆な修正を加えてみることにしようか、それとも、2階部分の掲載を先にするか(うーむ)。


2023.05.20



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#2-092 新しいNice Space のために 45

原点に帰って考える、生活を学び直す 17 

初心者の憂鬱


ある朝、思いついたことを書き留めておこうとフリクションペンを手に取ったら、なんだか変。クリップのところがちょうどバネの真上のところで折れ曲がっている。ちょっと触れてみたら、クリップは2つに分かれて、バネがむき出しになった。と、見慣れたものがとたんに違ったものに見えてきた。


何も出ていないテーブル

むき出しになったバネは、思いのほか大きく見える。ものの見え方や大きさは、全体のバランス、パーツの組み合わせによること、それらの相対的な関係の中で決まるのなだということを改めて思った次第でした。

さらにそのしばらく後に、歯の詰め物がぽろりと外れた(やれやれ)。と、なんだか、急に自分がさらに無力な存在になったような気がしてくる。

歳をとると、周辺にも自分自身(心身とも)にも、若い頃には思いもしなかったことが出来してきて、戸惑います(何しろ初めてなものだから)。しかもそれが、急に、予告なしに、次々に、あっという間もなくやってくるのだ。そのせいか、気がつけば、鬱々とした気分のときが多くなるようになった。それで、開高先生に教わった孔子の言葉「なんでもいいから、手と足を使え」に従って、録画してもらったDVD(もはや見切れないくらいの数)の整理に邁進したりしているところであります(「片付けなさいよ」、という声が聞こえたかも)。まだ初心者ゆえ、少しずつ慣れていかなければなりませんが(やれやれ)。それよりも、もっと積極的に対峙しなければいけないのだろう。


雨上がりの夕景

あかりが灯る頃の夕景

ところで、夕方の景色にはいつも驚かされます。とくに、雨上がりのどんよりとした雲の間を抜けてきた光に照らされた建物の、わずかに黄金色に染まった白い壁や木々の緑の輝きのなんと美しいことか。しかも、それらは刻一刻と変化するのだ。それこそ、まるで生き物のよう。なんでもない見慣れた景色が、光の具合でこれまで目にしてきた特別なものに負けないくらい美しいものに変わる。思えば、雨上がりの日に限ったことではなく、いつものことなのだ。日が暮れかけて、窓にあかりがポツポツと灯る頃のそれも素敵です。これらを毎日目にすることができるというだけでも、幸せだと思って満足すべきなのかもしれない。

そんな時をしばらく過ごした後に、ニュースを見ていたら、気になることが。前にも書いた気がするけれど、アナウンサーはやっぱり「これからどうなりますか」、「どうすればいいのでしょうか」と訊き、対する解説委員は当たり前のように「こうなります」、「こうする必要があります」と答える。両者ともに、そのことには何の疑いもないようだ。

これが気に障る。というか、おかしいでしょ、と言いたくなるのだ。どうして「これからどうなると思いますか」とか「どうすればいいと考えられますか」とか、せめて「どうすればいいのでしょうね」くらいにしてほしい。答える方にはもちろん、「こうなるのではと思います」、「こうする必要があると考えられます」、あるいは「こうなりそうですね」「こうする必要があるかもしれません」くらいの、絶対的ではない言い方を心得ていて欲しいのだ。

すなわち、何もわからない生徒が正解を知っている教員に、それを教えてもらう時の訊き方なのだね。一方、答える方も、その教員のように振る舞う。そこに、知るものと知らないものの2つが存在していると言わんばかりで、両者でともに考えようという姿勢が見られないのが気に食わないし、変だと思うのです(第1、そんなに明白な正解があるのなら、どうして世の中はちっともよくならないのか⁉︎)。

とまあこんな風に、歳をとって穏やかになるどころか、なんだか短気になって、始終腹を立てているようなのです。心は落ち着かずに、ざわつくことが増えるばかりなのだ(やれやれ)。かのアイザック・ウォルトンが説いた、”Study to be quiet” を手帳に挟んで持ち歩いたこともあったのに。あ、このウォルトンの言葉についても前に触れたことがある。そういえば、最近はこうした繰り返しが多くなったようだ(やれやれ)

テーブルの状態は、今のところはなんとか維持できているけれど、AV機器周りがまったくダメ。あっという間にCDやDVDの山ができて、うず高くなるばかり。原因は、その一つは、それらの本拠地が別の場所にあるせいなのだ。いちいち戻すのがめんどくさくなって、つい重ねてしまう(反省)。同じ場所にあればいいのだけれど……、と思っても仕方がない。出したものは元に戻す、ということを徹底しなければいけない。若い時と違って、年をとると、明日のことよりも、まずは今日のことを大事にすることを学ばなければなりません。

ああ、やっぱり脱却するのはむづかしい(やれやれ。本稿5つ目の「やれやれ」……)。


2023.05.13



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#2-091 新しいNice Space のために 44

原点に帰って考える、生活を学び直す 16 

新しい季節へのごくささやかな備え


まあ誰でもそうだと思いますが、朝起きた時、テーブルの上に何もないとうれしい。先達は、「部屋がすっきり見える」ための方法の基本中の基本と教えます。たしかに、ものの多さに圧倒され続けている我が家においてさえも、これから新しい1日を始める朝にいかにもふさわしく、清々しい気持ちになる。

ある日、例によってものが溜まり始めていたテーブルを見て、これではいけないと思った(またしても!)。で、決心した(ちょっと大げさ。でも、いったい何度目なのか⁉︎)。

せめて1日の始まる時に、1箇所くらいは、スッキリとしていて気持ちのいい場所があってほしい。

陽光がまぶしい季節となったし、少し前のことになってしまったけれど新しい年度も始まった。それで、毎晩、寝る前にテーブルの上のものを撤去して、他の場所にしまうことにした。


何も出ていないテーブル

テーブルランナーもこれからの季節に合うよう、手持ちのラベンダー色のものに変えた。願わくば、ミースとコルビュジエによって区画されている部分を解消し、ピンナップボードの上もすっきりさせられればいいのだけれど(これはまあ、すぐには実現できそうにありませんが)。と言って、テーブルの上に何もない状態を保つ、僕にとってはこれさえも案外むづかしい。今のところはなんとか守れていますが、油断すれば、すぐにものでいっぱいになる。これからも、維持し続けなくてはいけません(ここで、出したものは必ず元の場所へ戻す、という癖を身につけなければいけない)。

ただ、あんまり杓子定規になりすぎずに、たとえば野の花を一本だけ挿した水差しを置くというのもいいかもしれない。

何れにしても、そういうふうに心がけていれば、そのあとはすぐにいつもの冴えない1日になるということがわかっていても、心躍らせるようなことが起きるはずがなくても、気持ちよく始められるような気がするのです。ちょっと寂しい気がしなくもないけれど、まずはこれだけでもよしとしなければいけない。ついでに、毎日同じ格好ということからも脱却するようにしよう。

そうは言ったものの、他にも困ることはたくさんあります。そのうちの一つ、たとえばこちらの回避は、どうするのか?

ある日の夕方、なにやら音がしたので、郵便でも届いたのかと思って、見に行き新聞受けの扉を引くと、いくつか入っていた。取り忘れていた夕刊に、アマゾンからのものがいくつか。頼んでいたのは2冊のはずだったが、入っていたのは4冊。どうしたのかと思って、急いで開けてみると、たしかに頼んだものだ。でも、同じものが2冊ずつ。やれやれ。しかもその中には、あるはずのものが見つからずに注文したものが含まれていたのだった(とほほ)。

まあ、身の回りを軽くしておいて、もう一度読みたくなったら(古本で)購入し直すというのは便利でいいのですが、あるはずと思っていたものが見つからないのはちょっと寂しい。しかもそれが後から見つかったり、今回のように同じものを重複して注文したりする(こうした、不注意によるミスがけっこう起きるのだ)。すると、経済的なこともさることながら、精神的なダメージのほうが断然大きいのです。

まあ、歳を重ねてくると、避けられないことかもしれない。妻を亡くして一人暮らしを始めることになった川本三郎は、年をとると忘れることが増えたといい、ある時におかずが1品少ないと思っていたら、レンジに入れっぱなしだったとか、ガスコンロをつけっぱなしにしていて青くなったこと(これは、恥ずかしながら、一度ならず経験したことがある)等々書いていた。こちらは、物理的なことではないので、少々やっかい。

こんなことを書いていたら、せっかくあかるくなった気持ちがちょっとおもたくなった。そこで、五月晴れの外へ出て、近所を散歩することにした。雲ひとつない青空のもと、あちらこちらに様々な色の花が咲いているし、木々の緑を目にすることができる。しかし、これを眺めて楽しむはずの窓は締め切られたままなのだ(おっと、いけない。やめておかなければ……)。


2023.05.06



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#2-090 新しいNice Space のために 43

原点に帰って考える、生活を学び直す 15 

秘薬の研究


まずは、気になるコロナのことから。コロナに関する制約は徐々に緩和されてきて、いよいよ5月8日からは感染症5類に移行する。インフルエンザと同じ扱いになるのだね。

コロナの制約から逃れられるのは喜ばしいことだけれど、こちらも大丈夫ですかという気分が残ります。先日、クリニックに行った時には、ワクチンの案内があった(6回目!)。

ワクチンについてはしばらく前から否定的な見方も報じられるようになったようだし、治療薬については先日承認されたものだけ。そのあとの状況や開発はどうなっているのだろう。

経済を優先しているのは明らかでしょうけれど、これが短期的な見方に立ったもので、長期的に見るとマイナスの効果を与えたということにならないといいのだけどね。

と思っていたら、案の定というべきか。早くも第9波の予測が*。しかも、新型コロナウイルス対策について助言する厚生労働省の専門家会合の有志は、今後、第8波よりも大きくて、高齢者の死亡率が高まるような第9波の到来の可能性を指摘する文書をまとめたというのだ。また、新聞**によれば、全国の知事へのアンケートで、移行後の医療体制は4割が「達成不明」としている。なんだか嫌な感じです。

それでも、政策は変更されることなく、27日に正式決定された。


魔法の数字

さて、例の「新薬」はまだ発売されないようだけど、悠長なことは言ってられないので、自分で開発するしかない。で、現在、英国式の秘薬を中心に鋭意研究中。以前にも採点などの時に、集中力が続かないのを克服しようとして試みていた「タイマ」、これが効くという資料がありました。しかも、「15」が大事な数字らしい。その効き具合に応じて、これを連続して用いるのが効果的ということのようなのだ。ならば、片付けの際にも服用することを試してみなくてはいけない。なんとか救世主になればと、願うばかり。

ということで、待望する新薬はまだ開発途上ですが、ここしばらくは「柿の種」が大活躍。小腹が空いた時のおやつのみならず、お酒のつまみの助っ人としても(ただ、添加物が気になります。ま、今更という感じもしますが)。


電動ママチャリ

その小袋に書かれてあった「こばなしのたね」によれば、ママチャリが外国で大人気のようなのです。ロンドンでは、日本製のママチャリ専門店があるらしい。頑丈さと使い勝手の良さがその要因というのですが、とくに電動ママチャリのデザインはもう少しなんとかならないものかね。別にスタイリッシュであることは求めないけれど、いかにも重ったるくて、見ていてあんまり嬉しくない(最近、お下がりがやってきて、いちおう手元にあるのだ)。
もしかしたら、一本の湾曲したフレームのデザインは、最初のペダル付きの自転車を参照しているのかもしれませんが。

せめて、昔風のざっくり編んだ籐製のカゴに変えられたらいいのだけれど、なかなか見当たりませんね。これに加えて、努力義務となったヘルメット着用ですが、このヘルメットもなかなか見つからない。目に入るものといえば、ロードレーサーに乗るような人用のものばかりなのだ。いっそ災害用の白いヘルメットでも着用するしかないのかという気がするくらい(自慢じゃないが、なんといっても自転車事故は経験済みなのだ。ちょっとベテランの域かも)。

なんやかとブツブツ言いながら、それでも時々乗るのですが、それにしても世のママたちのパワーはすごい。あ、オバサンたちも負けていないから、女性たちはというべきかも。同じ坂道を、こちらはようやっとというのに、彼女たちは子供やら大きな荷物を載せていながら、スイスイという感じで登っていきます。これにも、ただびっくりするばかりであります……。


2023.04.29



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#2-089 新しいNice Space のために 42

原点に帰って考える、生活を学び直す 14 

名人に見透かされる


初夏のような陽気が続きますねえ(今日は、珍しく少し肌寒いですが)。

というか、あたたかい日が多くなったので、また散歩に出るようになった。真冬の頃はちゃんと歩いていたのに。いつの間にか、出なくなってしまっていた(やれやれ)。近所を歩いていると、やっぱりいろいろと気づくことがある。まだ4月も半ばというのに、初夏の季語であるひなげし(雛罌粟、別名虞美人草、英名ポピー)がもう、背筋をピンと伸ばしてあちこちに咲いているのです。

一方、住宅に目を転じれば、庭に面した壁面には、例外なく大きな窓がある(アタリマエ?)。そして、これが気になるのところなのですが、それらの窓がことごとく閉じられているのだ。ガラス窓そのもののことは言うに及ばず、雨戸やシャッター、それにカーテン等。少なくともレースのカーテンが閉じられていない家は見当たらなかった。なぜでしょうね。

庭付き1戸建が欲しかったはずの人たちが、庭を見たくないのか。そんなはずはないだろうから、道ゆく人に見られるのがよほど嫌なのか。おまけに、内部と庭の連続性はほぼ考えられていない。つまり、濡れ縁やテラスのような半屋内、半屋外の空間がないところがほとんど。

全面がシャッターなり雨戸なりで締め切られているのならわかるのだけれど、そうではないのがほとんどだし、人がいそうでもあるのです。まるで、ミースのレイクショア・ドライブのアパートメント(行ったことはないけど)か、あるいは宝塚だったかどこだったかの安藤の店舗付き中層アパート(こちらは実際に見た)のよう。これも、オープンカーの締め切った幌と同じで、可能性を残すってこと?


庭に面した大きな窓

新築中の住宅も、例外なく、同じように小さな庭に面した大きな開口部が当然のごとくあるわけですが、ここに住もうという人はどう思っているのでしょうね。そうするのが当たり前と思ったりしているのだろうか。あるいは、大きな開口部からの日差しも視界も良好なはずだったのに、すぐ目の前に新しく家が建って台無しになった残念な例も目にした(容易に予測できそうなのだけどね)。余計なことだけれど、人ごとながらちょっと心配になります。


名人の言葉

ところで、先週の日曜の朝刊にびっくり。総理演説直前の爆発じゃないよ(こちらにも驚かなかったわけじゃないけれど)。「折々のことば」の欄。そこに載っていたのは、

 『道具多く持っているやつほど下手や』

そう言ったのは、稀代の名人と言われる宮大工棟梁の西岡常一。名人はお見透しのようです。まいったな。時々書いてきたように、わかってはいるのです。道具は、いやそれに限らず食器も何もかも、使いこなしてこそ。たくさん持てばいいわけじゃないことはわかっていたはずなのだけれど、つい溜め込んでしまう(貧乏性!)。しかも、使いこなさないうちに、いつの間にか新しいものが加わり、また購入しようとしてしまうのだ。

こうなると、荒療治だけれど、一旦手放してしまい、それでもまた手に入れたいものだけを購入するくらいのことを考えないと、ダメかもしれない。

本だって、CDだって、映画だって、食器だって、道具だって、洋服だって、なんだって皆同じこと。変わらないのだ。減らせないのなら、せめて気に入ったもの以外は、できるだけ目に触れないようにしなければ。まずは、場所を分けるのがいいかも。それでも、つい出しっぱなしにして、すぐにCDや本の山になってしまう癖は、簡単には治らない。

それで、どうせ散らかるなら、どうせすぐに物が出てきてしまうなら、散らかるのを回避するためにはいっそ出したままにすればどうか。ちょっとやけくそ、開き直りのような気もするけれど、その出方が美しく見えるようにすればよいのではないか。片付けてもその度にすぐにものでいっぱいになるテーブルを眺めていたら、ふっとそんな考えが浮かんだのですが……。ま、これも、言うは易く行うは難し、でしょうね。それより、焼け石に水か。


文房具用トレイ

でも、背に腹は変えられない……。さらにしばらくしてから、フリクションペンやらポストイットやら、よく使う文具類を一式載せたトレイを用意しておいて、使い始めと使い終わりにこれ毎出し入れすることを思いついた(このくらいのことにも、時間がかかる)。つまり、出し入れする頻度を減らそうというわけなのですが……。それならペン立てでもでもよさそうなものですが、文具一つ一つの全体の形が見えるのが嬉しい気がしたのです。


* 朝日新聞 20023年4月16日朝刊


2023.04.22



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#2-088 新しいNice Space のために 41

原点に帰って考える、生活を学び直す 13 

新薬が欲しい!


前回、ものとは一定期間はつきあう方がよいと書いた。いったん気に入ったならば、できるだけ長くつきあう方がよいとも思う。ものの場合は、手をかけるほど、使うほどに愛着が深まるというのがほとんど。鉄製のフライパンやグリルパンは、使うほどに油が馴染んで、使いやすくなる。万が一焦げ付かせた場合でも、育て直すこともできる。そして、それは苦にならず、楽しい作業でもある。さらに、また新鮮な気持ちでつきあうことができる、はずなのだ。

ただ、卵焼き器のように、気に入っているにもかかわらず、出番がないものも出てくる。卵焼きはお弁当のおかずのような気がして、お弁当を作ることが減った今は、ほとんど使うことがない(飽きっぽいのだ。反省)。力はあるのに出場機会に恵まれない選手のようで、不憫だ。お弁当を作るか、それとも酒肴にアレンジすればいいのか。


不調の古いAVアンプ

不調のFire TV Stick

そううまくはいかないこともある。こないだは、機器を切り替えるたびにAVアンプのスイッチを切り再起動して、もう一度ボタンを押さないと音が出ないという、アンプとAV機器類の間の不具合を直そうとしてやってみたところ、今度はアマゾンプライムのFire TV Stickが全く機能しなくなった(その少し前から、これを使って起動することができなくなっていて、色々試したのだけれど、結局うまくいかなかった)。それで、連続ドラマの途中だったこともあって、なんとか見れないものかとBDプレイヤー経由で見ようとしたら、見ることはできるのだが、音声切り替えが効かず、日本語吹き替えになってしまう。さて、どうしたものか……。

できないことといえば、ごくたまに外で飲んだりすると、いつの間にかつい飲み過ぎて翌朝になるとよく覚えていないような時があったりする。自分を律しながら飲むことができないのだ。とんでもなく恥ずかしいことをしでかして、老醜を晒すことになっていないのならいいのだけれど。おまけに、このところは、外で食べてもあんまり美味くない。何もかもが、うまくいかないようだ。

ところで、住宅の場合はさらにむづかしい。他のものとは違って、厄介な問題がある。当然のことながら、長く住めば時間の分だけ、いろいろなものが集まって、堆積し、場所を占めて、生活空間や住人の精神を圧迫する。借家の場合は大掛かりなリフォームは無理だから、これを避けようとすると、捨てるべきものは捨てて、日頃から掃除や片付けに取り組むことが肝心だ。そうすれば、さっぱりとした姿に保つことができるはず。これができないのだ。わかっているのにできない「私」、というのはどういうことなのか。人間失格なのか。いったいどうすればいいのか !⁉︎

ちょうど読み始めた本によれば、ピアノの巨匠リヒテルはさすらい人であり、根っからの流浪者で、ほぼ6ヶ月ほどのパリでの定住生活も耐えられなかった、ということらしい。こういう性分だと、ものはたまらないかもしれないけれど、住まいに対する愛着も深まらないのではあるまいか。これはこれで、ちょっと困るような気がする。

だいたいが、今のように気の向くままにパソコンを開いて書きつけたりしていると、生活がぐずぐずになって、メリハリがつかなくなってしまう。

書くものも、その時の気分に左右されてしまうのに違いない。これを避けるためには、やっぱり、決まった時間に決めた分を書くというのがよいのだろう。生活にリズムを生み出すという点でも望ましい。練習しなければいけない。

毎日が休日のような身であっても、まずは定時(願わくば、6時くらい)に起きて、決まった時間(午後11時くらい)に寝むということから始めるのがいいかもしれない(何と言っても、早く起きると、時間がたっぷり使えるようで、得したような気になる)。それに、行くところがなくても、毎朝きちんと髭を剃ることから1日を始めるのがいいかもしれない。

生活の全てが慣習化して、これに縛られてしまうのは嫌だけれど、日々の生活を習慣化して、生活をいくらかでも生産的なものにしたいものだと思うのだ。先のリヒテルは「朝と夜に歯をよく磨くこと。毎日プルーストかトーマス・マンを読むこと……」と記しているらしい。歯を磨くことと本を読むこと(何を)は、僕でもすぐにでも真似できそうだけれど。

ただ、片付けと掃除ができないのを克服するためにはどうすれば良いのか。四角い部屋を丸く掃く、というのでもいいから習慣化しなければ。別にショウルームみたいな部屋は望んでいないのだから。片付け上手な人は、どうして習慣化したのでしょうね。

そろそろ、「怠け者」につける薬、「掃除ができない病」を治す薬が売りだされないものかね。もしかしたら、どこかにもう、ひそかに手に入れた人もいるのではあるまいか。


2023.04.15



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#2-087 新しいNice Space のために 40

原点に帰って考える、生活を学び直す 12 

音楽を聴く姿勢、そしてウィスキー醸造所


このところ読む本といえば、音楽についての本ばかり、ということについては既に書いたけれど、読むほどに頭を垂れるよりない気がしてくる。


最近読んだ本

そこで取り上げられた演奏家は言うに及ばず、著書たちの対象に向き合う姿勢の、なんと真摯なことか。コンサート会場での生演奏であれ、自宅で聴くレコードやCDの再生であれ、しっかり対峙して聴く。

ぼくなんかのような、ぼんやり聴くのとは大違い。もう少し真剣に向き合わなければ、と思う。しかしその後すぐに、細かな差異を聞き分けようとするよりも、自身の感性に従って受け取ればそれで良いような気もする(まるで、最近の学生がいうことのようだ)。作曲家や演奏家たちの思いとは違うかもしれないけれど、ぼくにとっては、音楽はまず第一には、理解する対象ではなく、楽しむものなのだから。ただし、自分を甘やかすことにならないように気をつけなければならない。何も理解しないまま、上辺だけをなぞるだけになってしまいかねない。

怒れるジャズマンと呼ばれることのある、チャールス・ミンガスの代表作のひとつ『直立猿人』を聴いていた。ある本によれば、そこに聴くのは「不安と勇気のドラマ」だという。ぼくは技術的な細かなことはわからないし、音楽理論や歴史の知識も乏しいから、その独自性を理解しているかどうかは怪しい。やっぱり、ただ感覚的に受け取るだけなのだ。さて……。

と書きつけた後に、坂本龍一が亡くなったことを知った。がんで闘病中だということは聞いて知っていたけれど…‥。

ぼくはYMOは聴かなかったけれど(興味もあんまりなかった)、その後、歳を取った後の坂本龍一にはシンパシーを抱くようになっていた。反核、反戦争、憲法、環境保全等のことに積極的に言及するようになった頃からのこと。

ちょっと紋切り型の言い方になってしまうけれど、人の一生はその密度×長さで語られるところがある。とすれば、一般的な人間の何倍もなした人は、その分早く亡くなってしまうのだろうか(もちろん長生きした人もいるから、そのうちの少なからぬ人ということになる)。たとえば、モーツァルト、シューベルト、メンデルスゾーン。あるいは、モリスやジョブス、等々。彼らは確かに早く亡くなったけれど、通常の何倍も生きたということになるのかもしれない。ならば当然、逆のことも(ああ!)


BOWMORE醸造所

LAPHROAIG醸造所

ウィスキーの醸造所の建物は、本場スコットランドも日本のそれも、いずれも変わらず単純な切妻で、質素で美しい佇まいで魅力的。

建設費を抑えながら大きな蒸留設備や多数の樽を収めるために、できるだけ容積を確保しようとすると、必然的にこうなるのかもしれない。しかし、安っぽさは微塵もない。愚直に奇をてらうことなく、工夫を重ねるウィスキーづくりの姿勢をそのまま反映しているようだ。ついでに言うと、ある時に目にしたアイラ島の民家も、同じような美しさがあった。こういうものを見ていたら、最近は遠ざかっていたアイラ島のシングルモルト・ウィスキーを飲みたくなる。

もう何年も前に、スコットランドの醸造所を巡る旅をしようと約束していて、今年もいつにしますかと尋ねられたのだけれど、さて叶うものかどうか。

簡素で美しいものへの憧れは、強くなるばかりだけれど、いざ実践となると、なかなかむづかしい。また、憧れるだけで近づけないままとなると、これはまた厄介だ。

久しぶりにつくった、オムライスはほんの少しこげ色がついてしまったけれど、こちらはまあ綺麗な形になった。

* 写真はいずれもWHIYSKY Magazineのサイトから借りたものを加工しました。

2023.04.08



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#2-086 新しいNice Space のために 39

原点に帰って考える、生活を学び直す 11 

高齢者としてのローリング・ストーンズ


今日は4月1日。新年度の始まり。気持ちを新たに、と思う人も少なからずいることだろう。無職の身にとっては、なかなかそうした気分になりにくいのが、残念。

例によって、少し前のこと(というか今となっては、もう何ヶ月も前のこと)だけれど、ラジオで2週連続でローリング・ストーンズのアルバムを丸ごと紹介していたので、ずっと聞いていた。初期のミック・ジャガーの歌は、まあ味があると言えばそうかもしれないけど、ちょっとへたっぴだったような気がした。時代が進むと、さすがの貫禄。


『ライヴ2016』

で、これにつられるようなかたちで、ライブ盤を聴いたりした後、最近のライブDVDを。2015年に半世紀ぶりにアメリカとの国交が回復したキューバでのコンサート『ハバナ・ムーン ストーンズ・ライヴ・イン・キューバ2016』。まだチャーリー・ワッツが健在だった(この時、75歳!声高になって自己主張するところがないし、なにより姿勢がよくて、佇まいが洒落ています。見習わなければいけない)。ミック・ジャガーとキース・リチャーズは73歳前後、そしてロニー・ウッドは69歳くらい。彼らは、いかにも悪ガキ風の面影を残しているようです(こちらに対しては、遠い憧れのようなものがある)。さすがに顔がアップになると、老いは隠せませんが、遠目ではまだまだ若々しく、相変わらず、元気がいい。

ま、高齢者が元気に頑張っているのを見るのは、悪くない(まさか、自分がこんなふうに思うとは予想もしなかった。ストーンズ最盛期の頃は、”Don’t Trust Over 30”だったのだ)。背中をピンと立てることから、また始めよう。と、思ったのだったけれど……。

それからあっという間に時間が経って(本当に早い)、最近は、聴くものといえば、クラシックばかり。たまに聴くポピュラー音楽も、女性ボーカルが中心。たとえば、カーリー・サイモンの渋いアルバムとか。

つい先日の日曜の夕方は、ラジオを聞いていたらジャニス・イアン(ジョプリンではなく)の話が出て、なつかしい曲がかかった。かつていくつかのドラマの主題曲としても使われたことがある。ジャニスの歌は、明るいとは言えない。それで、歌詞の詳細はよくわからないまま、ある種のシンパシーを持って聞いていた気がする。今はほとんど耳にすることがなくなりましたが、何かの折に耳にした時は、これもまた聴きたくなることがある。

一口に暗いと言っても、当時の暗さと今の若者(の一部かもしれないけれど)の抱えるそれとは、ほとんど全く違うのでしょうね。個人的にはともかく、社会全体としては、今の方がうんと辛いことになっているのではあるまいか(これはまあ、若者だけに限らないけれど)。しかし、生きていかなくてはいけない。


『BRUTUS』

ともあれ、このところ雑誌を見ていてもちっとも面白くないのは、どうしたことだろう。『BRUTUS』の「ジャズ特集」や「洋食特集」というのも買ってみたけれど、楽しめなかった。ついこの間も、少しは着るものも気を使わなければと思って、最新号の「ファッション特集」を手にとってみたけれど、買おうという気にはならなかった。たぶん、好奇心やら活力やらが低下しているのだ。


カザルスのCDや本他

そのあといろいろとあって、カザルスから聞き出した話をまとめた本を読んだ。最近は音楽の本、しかも昔の本を読み返してばかりいる。そこには帯に安野光雅が書いているように、美しい言葉、経験が詰め込まれている。ほんとうに、背筋を伸ばして暮らさなければいけない。

一方で、カザルスたちの美しくも厳しい音楽にしみじみと聴き入るばかりでなく(まあ、オペラなんかは、そうでもないけれど)、もっと直接的にガツンと喝を入れてくれるハードな曲と歌詞のロックを聞く必要があるのかもしれない。あるいは、あかるい女性ヴォーカルでもいい気がする。さて、どんなものがあるだろうか。

黒田恭一は、気力が失せた時や自分の中で燃えるものの勢いがなくなってきたと感じたときには、曲によらずカザルスやトスカニーニを聴くと書いていた。以前、ここで書いたことがあるような気がするけれど、このほか掃除や片付けの時にかける音楽についても2派に分かれるようだ。一つは軽快な曲を好み、もう一つは美しい曲を選ぶ。後者は、美しい曲に合うような場所にしようと思いながらやるのです、という。前者の場合はもっと直接的に気分を鼓舞してやるわけですが、僕はこちらの派、単純なのだ。


2023.04.01



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#2-085 新しいNice Space のために 38

原点に帰って考える、生活を学び直す 10 

番外編・オール(ド)エイジ・クライシス


この頃は、なんだか、気が滅入るようなことばかりが聞こえてくるようだけれど。

さて、ずいぶん前に書き留めていたものだけど、いつまでもあるとなんとなく気になってしまうので。

何を聴くか、何を見るか決まらないまま、結局聴かずじまい、観ずじまいのままになることがよくあります。優柔不断は若手のジジイから中堅のジイサンへと移行するにつれて、ますます磨きがかかってきたよう。しかし、磨きがかかるのはたいてい嬉しくないことばかり(たとえば身体のてっぺん、しかも外側だけとか)。皆さんはどうでしょうね。で、考えた。これを避けるためには、どうすればいいか。

ラジオや小さな映画館のように、特集番組を編成すればいいのではないかと思ったのです。たとえば、音楽なら9番特集1・交響曲編(ベートーヴェンの第九とかブルックナー、マーラー、シューベルト、そしてドヴォルザークの交響曲第9番等がある)、未完成作品特集とか。女性ヴォーカル特集とか。映画ならワイン映画特集、レストラン映画特集、音楽映画特集等々、となると、映画に使われた音楽特集も外せない。いくらでも考えられそう。順番で悩むといけないので、例えば年代順とする(作曲家や監督のアルファベット順でも、全然構わない)。これから書くことは、これを思いつく少し前の話。


『スペインは呼んでいる』 *

いつものように、何を観ようかなかなか決まらない時に、『ひかりのまち』の監督のマイケル・ウィンターボトムはどこかで見たことがある名前だと思っていたら、『グルメ・トリップ』、『イタリアが呼んでいる』の監督だった。で、これに続く第3弾、スペイン編『スペインは呼んでいる』を観た。

英国の人気コメディ俳優のスティーブ・クーガンとロブ・ブライドンがスペインを北から南に縦断しながら点在する一流レストランを食べ歩き、途中で名所旧跡をお訪れるという取材旅行の仕事の様子を描いたもの。車中や食事の席で交わされる二人のモノマネやその間にレストランや厨房の様子挿入されるという構成は3作とも変わらない。正直にいうなら、2作目でちょっと辟易したな。インターネット上の評判もさほど芳しくないようだ。それでも観たのは、プライムビデオでやっていたことに加えて、まあ厨房の様子や美しい景色が映されれば、いくらかは楽しめるだろうと思ったから(もはや、前2作の内容はすっかり忘れているし、この第3作ももう怪しい)。


同映画の1場面 *

観ながら思ったのは、これは2人の男の「ミドルエイジ・クライシス」(今はあんまり聞かなくなった)を描いたものではないかということ。

二人は欧米の大スターの声色を使って、イギリスや世界の情勢を皮肉るし、お互いに対しても辛辣で容赦がない。だから、見る方も知識が必要になるし、大人同士の関係のありようについても我が国のそれとは違うので、違和感を覚える人も少なくないだろう(むろん、僕も同じで、英国好きにも関わらず、時としてモンティ・パイソンのようなユーモアのセンスには馴染めないばかりか、嫌悪感を覚えることさえあった)。これが、評判が悪いことの一因ではないかと思った次第。

でも、この映画が、中年から老年に差しかかろうかという男の戸惑いと苛立ちの反映のようだと思って観れば、少しはマシに思えるのではあるまいか(若い人にはあんまり関係なさそうだけど、近辺にいる年配の男性の理解の一助になるかもしれません)。

僕は、子供を育てたことがないせいで、「ミドルエイジ・クライシス」をほとんど実感しないまま(見方によれば、ずっと「オールエイジ・クライシス」の只中、と言えなくもないのかも)、「オールドエイジ・クライシス」に突入したような気がするのだ(⁉︎もしかしたら、ただの能天気のせいかもしれないけど)。おまけに、その前に「ヤングエイジ」の時代もちゃんと経験しなかったのではないかという気もしてくる……。さしあたっては、この状況をいかに乗り越えるかが問題。さて、どんな方法があるものやら……。

余談はともかく、映画の話に戻ると、レストランや料理の紹介という意味では、あんまり役に立ちません。まあ雰囲気はなんとなくわかるけれども、ホールの様子もキッチンの調理も断片的**。雰囲気だけで、実用的ではないというかあんまり楽しくはなかった(と思ったような気がする……)。

それで、ルネ・フレミング を聴くことにした。しばらく、歌曲やオペラに再挑戦しようと思っているところなのです(ほんとうは、なにか楽器を習うのがいいと思うのだけれど)。


* 画像は『スペインは呼んでいる』オフィシャルサイトの予告編から借りたものを加工しました。

** 伝説のレストランのドキュメンタリー『エルブリ』や『ノーマ」なんかでは、メニューの開発と合わせて、結構詳細に調理の過程を追っていたように思うのですが(これもうろ覚え、だから違っているかもしれないので、もし見てみようという人があれば、このことをお忘れなきよう)。

2023.03.25



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#2-084 新しいNice Space のために 37

原点に帰って考える、生活を学び直す 09 

「デザインする」ということについてのささやかな考え


これを書いているときに、ニュースは日韓両首脳の対談後記者会見の様子を伝えていた。もし本当に両国がわだかまりを捨てて、友好的になるのなら素敵だと思うけれど、一方で何だかなあという思いが拭えない(このところ、我が国の首相を見ると鬱々とした気分になってしまうのだ。なぜだろうね)。


弁護士ビリー・マクブライド*

このところ寝る前には映画を見ていたのだけど、その谷間にアマゾンプライムでたまたま見た『弁護士ビリー・マクブライド』で思ったことから(と言っても、まだ数話しか見ていないのだけど)。以前に見ていた人気シリーズ『BOSCH/ボッシュ』と、ちょっと似ているような気がしたのです。2つを比べてみると、ざっと次のよう。

・いずれも、Amazonオリジナルシリーズである。『ボッシュ』が2014年公開なのに対し、『ビリー・マクブラ
 イド』は2016年開始。各シーズンは8〜10話で一つの話が完結する。後者では、マクブライドをビリー・
 ボブ・ソーントンが、敵対する権力者をウィリアム・ハートのハリウッドのスター2人が演じている。
・ボッシュもマクブライドもともにはみ出し者で、権力を嫌い、弱者の側に立って、権力と対決する。
・家族と別れ、元妻は体制側(?)にいる。そして、高校生の娘のことを気にしている(家族の問題を抱えてい
 る)。
・全体に暗い(アメリカの映画とは趣を異にする。主人公が重くて暗いものを抱えているのは、そんなに古くは
 ない当時のテレビでは一つの潮流かも)。
・2人とも、なぜか周りに親切にしてくれる女性が現れる。
・異なるのは、ボッシュがロスアンジェルスを見下ろす豪邸に住んでいるのに対し、マクブライドは長期滞在者
 用のうらぶれたモーテル暮らしである。

まあ、いずれもAmazonオリジナルであることから、形式的には後発がヒットした番組を踏襲したのかもしれない。関係ないことだけど、劇中にゴールトベルク変奏曲のアリアが挿入されることの何とまあ多いことか。

Amazonオリジナルに限らず何であれ、ヒット作は真似される。昔から行われていたことだ。車のデザインにもよく見られる。例えば、古いミニによく似た軽自動車があったし、同様な例は今でも見られる。ハイブリッド車が登場した時は、後発メーカーも似たようなデザインだった(これは、もう一つハイブリッド車であることを印象付ける意味もあっただろう)。また手法的には、CGの技術が向上するのに伴い、つるんとした面をつまんで引っ張ってシャープなエッジを与えるデザインは、一世を風靡した。たまたま聞いていたラジオによれば、ジャズで初めてレコードを出したのはオリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドで、当時の2大レコード会社のビクターからだった。これが売れるのを見たライバルのコロンビアは一旦不採用とした同バンドを起用して、レコードを作ったという。

商業的に売れることが期待される商品は、お互いに参照してきたに違いないし、さらにコンピュータやAIがこれを助長するだろう。

さて、このことを悪とするのかどうか。

昔は、悪いことだ(デザイナーの矜持はどこに?)と疑わなかった。しかし、最近はあんがいそうとばかりは言えないのではないか、という気がする。その理由はと言えば、

・デザイナーはその中で差別化を図ろうと工夫するだろうから、基本的には価格や色等の 選択肢が増える(形
 態的には似たようなものばかりになって、逆のこともあるけれど)。
・制約の中で、心あるデザイナーは独自の工夫を込めるはず(そのまま真似しただけのものは論外)。
・そこに込められた想いはデザイナーが抱く理想の5/10でも、売れることで多くの人に伝えられるだろう(理
 想の全てを詰め込んでも、人の手に渡らなければ理想は伝わらない)。
・やがて、これに対抗して、全く異なったデザインが出てくる契機となる(意図的に作られた流行になる危険性
 もあるけれど)。

生活もその舞台である空間も、オリジナルであることを求めすぎないで、素敵だなあと思うものを真似することから始めるのがいいと、改めて思う。これは、何についても同じという気がする。言い古されたことだけれど、「学ぶ」の語源は「真似ぶ」ということだから、真似したくなる対象や人、すなわちお手本やアイドルを探すのがいい。幸い、お手本を探すのは容易になったのではあるまいか。

と言うと、「オリジナリティ」とか「自分らしさ」はと懸念する人がいるけれど、心配することはない、まったくないと思います。教えられて、学んでいるうちに、オリジナリティは出てくる、というか出ざるを得ないのだから。何もわからないままオリジナリティを求めてみても、時間がかかるだけで、良い結果にはならないだろう。それに、あんがい人生は長くない。


* 写真はアマゾンのものを借りて、加工しました。


2023.03.18



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#2-083 新しいNice Space のために 36

原点に帰って考える、生活を学び直す 08 

それが人間の本性だ、というのなら……


あんまり美しいとは言い難い話題から。最近、HPを見ていて気になるのが、その広告の醜悪さ。たいていのサイトで、口を大きく開けた写真や足の爪のアップが出てくる。訴求するつもりでしょうが、そうなるどころか、逆効果だと思うね。これは見たくないので、当該HPもやがて見なくなるのではあるまいか。たぶん、掲載者もわかっているはずだろうに、瞬間的なインパクトの大きさを狙ったのだろうか。

もしかしたら、こういう広告が出るのは、見る人(というか、検索ソフト)によって違うのだろうか。何れにしても、気持ちが良くないのはほぼ共通するだろうから、不思議。もしかしたら、どうせ見なくちゃいけないんだからという、広告を掲載する側のおごりなのか。見たくないなあ……。

先日、事情があって、九州へ行ってきた。ほぼ3ヶ月弱のうちで2回目(コロナ禍の中では、異例。ま、空港の混雑ぶりや電車の中の人の多さを見る限り、世間ではもはや関係ないみたいだったけど)。

急だったせいでいつもの航空会社のチケットが取れなかった、というか、高かった(年金生活の節約に慣れた身としては、ちょっと腰が引けたのでした)ので、久しぶりに別の航空会社の飛行機に。機内誌(かつては、あんまり読むところがなかった)を見るともなく見ていたら、ちょっと気になる記事が。

コロナ禍でオンライン飲み会が盛んになったのは、「飲み会」という行為が人間の本性に根ざしているせい。やがて廃れたのは、これも人間の本性に反しているせい。時空間を共有してこその楽しみ。一方、リモートワークやオンライン会議はある程度続く。これも本性の発露。人間はそもそも生産性を向上させようとする、無駄を減らしたいというのが人間の本性、というのだ*。

えっ?で、思った。ひょっとしたらワタシは人間じゃない!?「生産性を向上させる」?、「無駄を減らす」?それが人間であることの証だとしたら、ワタシはいったいなんなのか?別に自慢するわけじゃありませんけど、「生産性」とも「無駄を省く」生活とも無縁で、ぼんやりと日々を過ごしているのだから。

いや、でもこのブログや童話のようなお話をせっせと書いているのは、もしかしたら「生産性」に目覚めたのか、ようやく人間らしくなったということなのか。それとも、ほとんど読む人がいないのだから、「無駄」を増産しているということで、やっぱり人間の本性に反しているってことなのか……。


ツバメのマーク

その時に乗ったリレーかもめ号はかつてのみどり号に比べるとデザインは断然いい(このことについては、ここでも何回か取り上げた)のですが、つばめ号を転用したもの。それにしても、こうした格差、差別はなんなのか。差別化、と言って悪ければ地域性の発揮とでも言うのだろうか、それとも路線毎の収益性の差によるものなのか。

ともあれその痕跡がそこかしこに残っている。たとえば、正面のマークはツバメのままだし、座席の背面にも残っていて、そこに記された列車名がTUBAMEのまま。しかも、通路を挟んだ左右の席の刻印が並行移動しているのだ、つまり線対称じゃないってこと。どうしたことだろう(まあ、単純に座席の背面の中央に配置しても、この問題は起きなかった。写真は撮ったつもりが、なかった)。


大書されたかもめの文字

ついでに言えば、西九州新幹線のカモメの車体に大きく描かれたカモメの文字も変。小学生が書いたような文字で、もしかしたら話題作りのために公募でもしたのだろうか。つまりません)。

そういえば、追浜のショッピングビルの屋上の看板が、本来あるべき施設名の文字がないままになっていた。これらは、企業に経済的な余裕がないということなのだろうね。たぶん、関係者も、そのままになっていることに気づいていないわけじゃないはずだし、できれば変えたいと思っているに違いない。つまり、企業の顔みたいなものでさえ、実利がないところには、お金をかけることができないということなのだろう。

で、世の中の経済の疲弊は相当重大ではないか、と思った次第。こうした状況における政府の対応はいかにも対処療法、その場しのぎに見えるけどね。


* 楠木 建の頭の中、第22回 本性への回帰、スカイマーク機内誌空の足跡2023年2月号


2023.03.11



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#2-082 新しいNice Space のために 35

原点に帰って考える、生活を学び直す 07 

フライパンを鍛え直す


長く使って油の馴染んだ鉄製のフライパンは、温度をあげてやればくっつくこともなく、とても使いやすいのだけど、長年の間に付着した内側やとくに外側の側面の凸凹状の焦げが気になる。それで、思い切って、焼き切ってみようと思い立った。

フライパンや鍋は、内側の底面だけでなく、全ての面がツルツルピカピカが好ましい。ある若い料理人が、修行時代に親方から「鍋は新品のように磨いておけ」と言われた、ということを聞いた時、我が意を得たりと思いました。なんと言ったって気持ち良く料理することができるし、スープやソースの色もよくわかるので料理もうまくできる(らしい)。ついでながら、汚れたエプロンをつけた料理人がいる食堂もダメな気がします。

ともあれ、実は油慣らしが案外短くてすむということを知っているからね。鉄製のフライパンが一般的だった頃にオムレツ専用のフライパンを手に入れようとすると、長い時間をかけて育てなければならないと書かれていたのだ(例えば、伊丹十三の本)。

それで、ずっとそうするしかないと思い込んでいたのだけど、先日小さなフライパンをたまたま空焚きしてしまって(何回めなのか⁉︎)、改めて焼き切った後、油慣らしをしたところ、すぐに実用上問題がない程度にツルツル滑るようになった。まあ、オムレツはテフロン製があるしね。


フライパン3種

先日、アルミの行平鍋を磨いたことだし、この際鉄のフライパンも、と思った次第。で、冒頭のように、焼き切って改めて育てなおすことにしたのです(といったって、促成栽培のようなものだけど、汚れた鍋やフライパンは見て楽しくも嬉しくもないからね)。写真は油慣らしの後、くず野菜を炒めるところまでやったもの(ちょっと、ツルツルピカピカ感が足りないようだけど)。

でも、調子に乗って手持ちのものを全てやった後ほっと一息ついて、さてステーキを焼こうとしてフライパンがないことに気づいたのでありました。そのあとで、めったに使わないグリルパンがあったのを思い出したので、ことなきを得ました。やれやれ(白状すれば、こんなことを繰り返すばかり、というのが我が日常)。

ところで、アルミのフライパンはどうしたらいいのだろうね。パスタの時には不可欠(何と言っても、気分が大事)なのだけど、裏表の両面ともが焦げ付いてしまって、とくに裏面がどうにもよくないのだ。内面はクレンザーで磨くと綺麗になるけど、火が当たる方はなかなか手強い(こちらもある方法を試したら、もう少し改良すればうまくいきそうな感触を得たところまできた。乞うご期待って気分です。でも爪が黒くなって、なかなか取れないが難点)。


トルティージャ

最後に、証拠写真。というのも変だけれど、ずっと試してみたかったトルティージャ、ジャガイモのスペイン風オムレツを安物の小さなスキレット(今回鍛え直したものとは別物)で作った。ね、ちゃんと手入れして使えば、鉄製だって全然くっつかないのです。ちょっと火が強すぎて焦げたけど。

汚れた鍋やフライパンはいただけません(人や使い方によっては、実用上支障がないとしても)。先日も、人と台所を紹介する番組を見ていたら、茶色い焦げがこびりついた鍋が出てきたり、おまけに折敷の上のご飯と味噌汁の左右が逆だったりした。こういうことがあると、その持ち主の言うことがどんなに立派だとしても信用できない気がしたな(散らかった家も同じでしょ、と言われたら、その時は黙って深くこうべを垂れるしかありません)。

焼き切ってスチルたわしで洗って、クレンザーで磨いただけでもずいぶんきれいになったけど、まだ少し凸凹が残っているしむらもある(ちゃんと乾性油を使ったんだけどね)。こうなるともっときれいにしたくなる。で、その後も、クレンザーで磨き直したり、ヤスリをかけたりしました。そこからはなかなか目を見張るような劇的な改善というのはなかった。でも、だいたいでいいのだと思ったのでした。鍋は磨くためにあるのではなく、使うためにあるのだ!

でも、力を込めて窓を磨く老小説家フォレスターのようにハートも磨くものだとしたら、これではいけない?身体のある部分なんかは、こちらが何にもしなくてもツルツルピカピカ、勝手に磨きがかかるのだけどね。

後は、これをどう生かすかだ。料理は、ほんとうは誰かのために作るのがいい。目の前で食べる人がいたら、もっと嬉しいかも。週1回、予約1組限定の昼ごはん食堂をやるというのはどうだろうね(ま、無理ですね。ちらっと思っただけです)。


2023.03.04



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#2-081 新しいNice Space のために 34

原点に帰って考える、生活を学び直す 06 

やっぱり道具、……


先日、高橋幸宏の特集番組『NHK MUSIC SPECIAL 高橋幸宏 創造の軌跡』を見ていたら、彼の初めてのソロ・アルバム『『サラヴァ!(Saravah!)』のタイトルは映画『男と女』の中の歌『サンバ・サラヴァ』の影響らしい。そのとき、いつか自分がソロを作るときはこのタイトルにしようと決めた、と言うのだった(うーむ!)。15歳だった彼はこの映画を映画館で18回見たと言うのだ!よほど気に入ったのだ。ほとんど同じ年のワタクシはただ単純に、美しいアヌーク・エーメに惹かれていたのでした(もちろん、ピエール・バルーのボサノヴァ風の歌にも。たぶん。CDもちゃんと持っています)。それにしても、18回とはね。しかも、それを正確に覚えているとは驚き。

で、さっそく『男と女』を観ることにした。ちょっと人に左右されすぎじゃありませんかと言われても、否定はしませんが、実はこの冬の間ずっと観ようと思っていたのです。今回は、気合を入れてモバイル・プロジェクターをセットして、スクリーンを立てて大画面で観ました。

前回は、「『姫野作』だの『ライカ』だの言っている場合じゃないかも、……、美しいものは眺めているだけでも嬉しくなりそうだ」と書いたのでしたが、どうも後半部の方が大事みたいだったよう。

映画だって、画面の鮮明さ、綺麗さでは圧倒的にテレビの方がいいうちの貧しい設備でも、スクリーンで見る方が映画的な雰囲気があって、断然嬉しいのだ。

名人は「弘法筆を択ばず」と言うように、道具は何でもいい、特に名品でなくてもいいのかもしれないけど、そうじゃない者にとってはそうはいかない。腕も根気もないジジイには、道具こそが大いなる助けとなるのだ。

何と言っても、その姿、佇まいを見ると、こちらにやる気を起こさせ、持続させてくれるのだよ。形ばかりにこだわりすぎ、頼りすぎというそしりは免れませんが、もはや鍛え直す時間もないワタクシなどはこれで行くしかない、と改めて思い定めているところであります。


姫野作雪平鍋

新旧雪平鍋の比較

で、ちょうど誕生祝いは何がいいと訊かれて、ちょっとジャスパー・モリソンの皿と迷ったけれど、『姫野作』の雪平鍋をお願いしたのでした。待つことしばし、咋日昼前にやってきた。箱を開けてみると、うーん、美しいです。工芸品のようで、眺めているだけで満足。使うのが惜しいくらい(ん⁉︎)。ちょっとラフなところもあるけれど、このあたりが実用品としてはかえっていいのかも。

写真で見ていた通りで、通常のほぼ1.5倍ほどもあるアルミの厚さのせいで、予想以上の存在感。槌目も際立っていて、期待にたがわず美しい。今や、こうしたものを手で打ち出して作りあげる手打ち職人は、全国で10人にも満たないらしい。以前に取り上げた錫製のちろりもそうだが、槌目のものに惹かれるのは、美しさと、もしかしたらこれを作り出す職人の技術と根気に憧れているのかもしれない……(ないものねだり)。

先のあまり長くないジイサンが今さら物欲旺盛というのもどうかとも思うけど、一方で残りの時間を我慢しないで(まあ、できる範囲でということです)、気に入ったものを側に置き、手にしながら暮らしたいと願うのです。ただね、次々に色々なものが欲しくなることと、しかも「もの」に偏っているところが難点、という気はしますが……。


2023.02.26



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#2-080 新しいNice Space のために 33

原点に帰って考える、生活を学び直す 05 

思い立って、鍋を磨く


新聞を手にとって眺め始めたら(最近では、随分と粗っぽい読み方になっていて、読むというより眺めるというのがふさわしい)、『折々のことば』の一文が目に止まったので、取っておいた。普段はそのままのことも少なくないけど、これは後日ちゃんと読み返しました。


小津の方法*

「そうした場面を安い機材で一つ一つ丹念に撮る」。小津安二郎の撮影の仕方だという。「そうした場面」というのは、「慎ましく清らかなものと不浄でゴタゴタしたもの。その両面を重ね合わせて見ること」ができるような場面のこと(たぶん)。ちょっと、意外な気がしましたね。

小道具一つ取っても、場面に映らないものまでこだわり抜いたという小津のことだから、これを映し撮る機材にも相当のこだわりがあるものと思っていた(うーむ。単純すぎました。反省)。

と書くと、もしかしたら、「目をつけるところが違うでしょ」と言う人があるかもしれない。確かにね、という気もするけれど、でも今回は、あくまでも「安い機材」で、というのが要点なのだ。しかも、もそれをていねいに使いこなして、観る人の心を打つような場面を作り出す、というのだから。

凝り性と言われた世界のオヅは、機材ではなく、その使い方、そして場面の構成と撮り方に凝ったのだ。だから、自分のナマクラな腕ならカメラの善し悪しは関係ないとわかっていて、新しい道具を欲しがるジイサンというのは、オヅカントクに知れたら一喝されそうです(もはや、カントクの方が若いんだけどね)。まず、自分の腕を磨かなくちゃいけないのかな。

ところで、『姫作』の新しい雪平鍋を買うつもりだからということを言い訳にして、棚の奥から出てきた安い雪平の扱いがぞんざいになっていて、ずっと気になっていた。手に入れたばかりの大振りのステンレスの鍋を洗おうとして横を見たら、うっすら黒ずんでくすんだ雪平が目に入ったのだ。

ひとまず無視することにして、ステンレスの方をさっさと洗ってしまおうか。でも、隣の鍋が気になる。いや、やっぱり磨く方がいいか。柄も緩んできていたから、やりかえないといけない。時間がかかりそうだなあと渋っていたのですが、なぜかクレンザーを手にしていた。で、ボンスターを取り出し、磨くことにしたというわけ(見ての通り優柔不断で、筋金入りの怠け者ですが、なぜだか洗い物とか、鍋磨きとかは案外苦になりません)。


磨く前の鍋と磨いた鍋

まず、緩んだ柄を外し、穴に木片を詰め込み(なかなかぴったり合う柄が見つからない)、柄の周囲にアルミテープを巻いて、緩みを無くそうとした(それにしても、木製の柄を留めるのが木ネジ1本とか釘とかってのはどういうわけだろう)。

結局、大小3つの雪平を磨くことになった。ともあれ、一時的にせよ、がたつきも解消され、綺麗になったものを見ると、やっぱり嬉しい(やればできるのだ)。思ったほど時間もかからなかった。今度は、アルミのフライパンの底を磨こうかな(こちらはなかなか手強くて、歯が立たないまま)。

こんなふうに、計画的にやるというよりは、行き当たりばったり(計画を立てるのは好きなのに)。だから、つい本来やるべきことを忘れてしまうことも多い(これに限らず、歩き始めた後に、あれ、何をしようとしていた?ってなることも、珍しくないのであります)。その結果は、言わずともという気がしますが、結局たいしたことは何もしないまま、時間が過ぎ去ってしまいます。

先日の友人は、時間はたっぷりあるからと言ったけれど、僕はぼんやりしている時間が多いせいか、いろいろなことがなかなか進まないまま(この差はどうして生まれるのか?)。

たぶん、鍋だってくすみが気になったらすぐに磨くようにすると、もっと簡単に綺麗になるのだろう(いや、なるはず)。まとめてやろうとするから、大変なことになる。これは、何事にもおいても同じ、もうそろそろ身についても良さそうなのだけど(やれやれ)。学習する力をつける学習法ってのは、ないのでしょうか?ねえ?誰か知りませんか?

でも、せっかくこうやって磨いても、一度使えばあっという間に光沢を失って、すぐにくすんでしまうのですが(鍋のことです)。まあ、これも新品とは違う味だと思えば、それなりに楽しくなるから、物は考えよう。なんと言っても、道具は使ってこそ。眺めて楽しむというものではなのだから。

となれば、『姫野作』だの『ライカ』だの言っている場合じゃないかも、という気がしてきますが、そうは言ってもねえ、美しいものは眺めているだけでも嬉しくなりそうだなあ、とつい思ってしまうのでした。


* 朝日新聞、2023.02.09、朝刊


2023.02.18



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#2-079 新しいNice Space のために 32

原点に帰って考える、生活を学び直す 04 

帝王マイルス・デイビスに学ぶ


マイルスの録画DVD

ジャズの帝王マイルス・デイビスは、プロを目指してセントルイスからニューヨークに出てきた頃、当時主流だったビバップの奏法にはついていけなかった。超高音域の音を高速で、しかもたくさんの音を豪快に吹き鳴らすディジー・ガレスピーのようには吹くことができなかったのだ。唇の弱さと体が小さかったことに起因していたという。このため、ディジーの後釜としてチャーリー・パーカーのバンドに入ってからも、思うように吹くことができず、ずっとやめたいと思っていたらしい。これらのことについては、『巨匠たちの青の時代 帝王への扉を開けたサウンド』(NHKBSP プレミアムカフェ)の録画DVDを見て、書いています。

厳しい競争の中で、自分らしい特徴を打ち出してなんとか生き残ろうと、やがて彼は、トランペットに弱音器を取り付けた独自の吹き方にたどり着き、ミュート奏法と音色を手に入れた。チャーリーも殊の外気に入って、多用させたという。そのあとは、次々に新しいことに挑戦して、その結果、ジャズの帝王と呼ばれるような、頂点まで上り詰めたわけですね。

人は天賦の才能があっても、当時の主流となったもう1人の天才と同じようにやろうとしてもできないことがある。とすれば、どうするのか。マイルスのように、自分に合ったやり方を見つければ良い。流行りや周囲に合わせることはないということですね。特別の才に恵まれない者にとっては、なおさらだろう。自分の特性を見つけ、これを磨くしかない。

たとえば、根気や構想力がなければ、一般的な長編小説は書けない。また、短編小説においては、文章にある種のキレと、オチを生む洒落っ気がないとむづかしいだろう。この場合も、あきらめるのではなくて、自分に何ができるかと考えるのが良さそうです。で、考えた。たとえば、短いものを集めた連作や、あるいはうんと短い童話のようなもので練習するのがいいかもしれないと思ったのでした。

ただ、少なからず優しい心遣い、というか「しようがないなあ、読んでやるか」と思って読んでくれているだろう、当ブログの極めて限られた読者からの反応が全く何もないということは、まるっきり見込みがない、箸にも棒にもかからないものだ、ということかもしれませんが*。


渡辺の録画DVD

ジャズについての話をもう一つ。渡辺貞夫が抜擢した18歳のドラマーがツアーを終えて、「1日1日を大切にすること。貞夫さんはその日その日をすごく大切に過ごしているように思うんです、ただなんとなく過ごしてるんじゃなくて、何かしらの目的を持って…、1日1日の時間をすごく大切にされている。それはやっぱりステージの音に出ますよね」と言う。この18歳のドラマーもえらいけれど、彼にそう言わしめた渡辺貞夫がすごい。こちらは、『70歳のゴキゲンツアー 渡辺貞夫」(NHKBSP プレミアムカフェ)を見ていて思ったことです。

渡辺は、演奏中に考えすぎてうまく溶け込めないままでいる若いドラマーについて、時として辛辣なことをニコニコしながら話したりするのですが(本人のすぐ近くで)、当のドラマーに対しては「本番の時は、考えるな、もっと歌え」と繰り返していました。なるほどと感心したのですが、文章の心得とはちょうど逆ですね。若くしてピューリッツアー賞受賞という触れ込みの、敬愛するウィリアム・フォレスターは、文章は「まず、はハートで書け」、と教えた。そして、第2稿は「頭を使え」と。即興性のジャズと構成の文章、それぞれの性質を言い当てているようで、面白いと思いました(あのヘミングウェイは、立ったままタイプライターに向かい、いったん打ち終わると、そのまま推敲はしなかったというのですが)。

それにしても、何十年も生きてきたからには、自分の意のままに操れるものが何かあってもいいのにねえ(たとえば、手練の演奏家のように)、と思うのですが。でも、何にもないのだなあ。

せめて、一緒におしゃべりしているような文章が書けたらいい……、という気もしますが。なかなか、むづかしいものですねえ。


* ローレンス・ブロックによれば、彼のところに送られてきた全くダメな原稿を送り返すと、書き直したものがまた送られてきて、また返送する。これを何回か繰り返していたら、何回目かには最良とは言えないけれど、読むに耐えるものに仕上がっていたという。まあ、これを励みにせいぜいがんばることにしようと思います(ただ、僕の場合は、一人二役でやらなければいけないのが難点)。
ちょうど見たばかりのバーンスタインの言葉も心に留めながら。たとえば、『(本当の)音楽家になりたければ、心からそう思うことだ。それはむづかしいけれど、そう思うことから始めなければならない』であるとか、『自分の足のサイズで』歩き続けることの大事さとか……。(NHK クラシックTV『バーンスタインは問う 君は、音楽が好きか?』)


2023.02.11



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#2-078 新しいNice Space のために 31

原点に帰って考える、生活を学び直す 03 

立春ですから

 
本日2月4日は立春。暦の上では、もう春ということですね(まだ寒いですが)。で、春らしいことをしてみようと思い立った。

まずは、久しぶりに髭を剃った(なかなか会えなかった友人と話をするために、横浜まで遠出したのだ。その時に、鮎川誠がなくなったことを聞いた)。そのほかになにをしたかといえば、例の飾り棚の模様替え。たいしたことじゃありません。こちらは、背が少し高すぎて収まりが悪いように見えたモロゾフ製の脚の代わりになりそうなマスタードの瓶がようやく空いて、マイユ製の脚がちょうど4つ揃ったのでした。


新しい設え

花瓶はデュラレックスのコップ(幸い、今のところ爆発はしていないし、その兆候もない)から、少し細身で脊の高いガラス製のものにして(これでもまだちょっと高い?)、中心となる香炉は青磁から伊万里の白地に赤が入っているものにいったん替えてみようと思った(香炉それ自体は、青磁の方が断然いいのですが、白地のものは赤が入って、明るくて春めいた華やかさがある)。しかし、実際にやってみたらいかにも大きすぎたので、結局、有田の小皿に変えました。ま、この際は、昔ながらの決まりごとは無視して、大きさと色味を優先したというわけです)。燭台とローソクの組み合わせはバランスを考えて、高さのある方が良い気がしたので、そのままにした。

もうひとつ、その脇の親子の小鳥はどうするか。黒と白の大小の豚に変えたのですが、やっぱりバランス的にはどうかと思ったものの、変化を優先して、これもそのまま置き換えることにしました。さらに、皿の中の落ち葉は少し脇に散らして、どんぐりに万両(?)の赤い実を加えた、そしてついでに残っていた柊の緑も(ここでも、もったいない病⁉︎)。飾り棚の上部から照らす灯りが欲しい気がしてきますが、今のところはちょっとむづかしい。移動した小鳥たちは、別のところで「ピース、ピース」と鳴いています。

さて、どうでしょうね。目論見どおり、うまく行ったのかどうか。

ともかくも、こうなるとテーブルランナーも取り替えたいと思ったのですが、こちらは適当なものが見つからず、ひとまず断念。

こうやって、手と足を動かしていないと、よからぬことばかりを思いつきそうなので、「時を殺す」ためにちょこちょこと少しずつ、やらなければいけません。孔子が教えるように、頭だけで生きようとすると、この頭の中の地獄は避けられない。だから、これから逃れるためには、台所仕事でもいい、何でもいいから、とにかく手と足を思い出さなければならないようなのです(なかなか、簡単ではありませんが)。

ところで、2月1日はテレビ放送の開始から70年だったらしいね。白黒から詳細なカラー表示になり、小さくて奥行きのあるブラウン管から、今や薄型で大画面のものが当たり前になった。まさに眼を見張るばかりの進歩です。翻って、ほぼ同じくらいの歴史(?)を有する我が身はどうか……。いやあ、まいったなあ。まあ、仕方がない。受け入れるほかありませんね(やれやれ)。


2023.02.04 夕日通信



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#2-077 新しいNice Space のために 30

原点に帰って考える、生活を学び直す 02 

番外編 「楽しむ」ということについて

 
演奏家の演奏(たいていは録音だけれど)を聴いてこれについて言及するというのは、自身がその音楽についてどう考えるか、すなわち演奏家と同様にしっかり考えることを要求されるということでもあるのだろう。なんとなく聴くというわけにはいかないようです。こんなことを、今更ながら考えていたのでした。

吉田秀和の『之を楽しむものに如かず』(2009年刊)を手に入れようと思って、探していたときのこと。坂本龍一の『スコラ』にもたびたび登場していた、音楽学者の岡田暁生の文に行き当たった。曰く、

よく「音楽は楽しめればいい」という人がいて、若い頃の私はこういう言葉を聴くたびに激高していた。ただの娯楽ではなくて、それ以外(それ以上)のもの――知への洞察ともいうべきもの――があるからこそ、音楽は「芸術」として社会の中で公認されているのではないのか? 吉田秀和の文章が当時の私を魅了してやまなかったのも、それが単なる「これがいい、あれも楽しい」を超えた何かをいつも指し示してくれたからだったと思う。だから『レコード芸術』における氏の連載に、「之を楽しむ者に如かず」というタイトルがつけられていたことは、少し意外だった。グルメ・ガイド的な俗流音楽批評とは常に一線を画してきた氏が、よりによって「楽しむ者に如かず」?*

で、驚いた。というか、もっと正直に言えば、なんとまあ偉そうなもの言いであることか……、と憤慨したのでした。でも今は、遅きに失したかもしれなけれど、その気持ちは少しはわかる気がします。でも、当時の若くて気鋭の音楽学者は、自負も気負いもあったのでしょうね。「楽しむ」ということを何やら軽薄なことのように捉えているのは、まだうんと若かったのに違いない。

音楽をただ聴き流すのではないのならば、聴く側に対しても、演奏家のそれとは違うとしても、姿勢としては同じような「真剣な取り組み」が求められる、ということなのだろうと思った次第でした。ただ、僕は音楽を分析的に聴くという習慣はなく、ただ感覚的な悦びを享受して楽しむだけなので(岡田さん、ごめんなさい)、仮に何か言及することがあったとしても情緒的なものに限られるのです。もし、分析的に、というか能動的に関わりながら楽しもうとしたなら、歌ったり、楽器を演奏したりすることが伴なわなければ無理のような気がします。

それに、最近は断定的な言い方や抽象的な言い回しが、ことさらに苦手になってきました。頭がいっそうバカになってきたのかもしれません。それで、もう少しわかりやすい言い方をお願いしますという気分なのであります。間髪を入れず「もう少しわかろうとしてくださいよ」、という声が聞こえたような気もしますが、よく聞こえません。

なんであれ、ほんとうに「楽し」もうとすると「真剣」に「取り組む」ことが求められるのは、わかっていたはずでしたが……。これからは、時々はもう少し真剣に向き合うことを心がけなければなりません。


ここはどこ?

近所を歩いていると、宅地が更地になっていたり、新築工事が始まる光景を見かけることが多くなりましたた。先日は、いつものコースとは違ったけれどよく通った道を歩いていたら、やっぱり同じような場面のいくつかに遭遇しました。経済が上向いたのか?はたまた、住宅建設をめぐる状況がいくらかマシになったのか?そうであるなら、めでたい。あるいは逆に、元の所有者が手放さざるを得ない状況が出来したのだろうか。ま、その辺りことも気にならなくはないのですが、何より気になることと言えば、いったい以前は何が建っていたかということ。全く覚えていないのだよ。綺麗さっぱり忘れていて、「元からこうでした」と言われたら、「ああそうでしたか」とうなづいてしまいそうなくらいです。思い出そうとしても、全然ダメで、想像もつきません(とほほ)。

もともと記憶力が悪いことはひとまず措くとして、ほんとうに何も思い出せないのだ。思うことと言えば、ああ奥にはこんな景色が隠れていたんだ。こんな建物があったんだということ。いかに、自分が住む街に無関心で暮らしてきたかがわかるばかりで、恥ずかしい(思えば、ずっとこういうことばかりです。ああ、恥ずかしい)。

とすれば、日頃から音楽を聴く時だって、もっと真剣に聴くべきなのかもしれない……。ところで、探していた本については、市立図書館にあるようなので、ここで借りることにしました。取り寄せ等時間がかかりそうですが、急ぐわけでもないし、ただの楽しみのために読むのだから、それで十分な気がしてきて…(むむ、やっぱり……!)。


* 新潮社HP 吉田秀和『之を楽しむこれを楽しむ者に如かずに如かず』


2023.01.28 夕日通信



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#2-076 新しいNice Space のために 29

原点に帰って考える、生活を学び直す 01 

番外編 未だ、行き暮れるばかりだけれど

 
先の日曜日には、久しぶりに本屋に出かけてきました(たぶん、今年になって初めて)。『BRUTUS』の特集が「机は、聖域」というので、これを買ってきた。ならば、『Casa BRUTUS』はどうかと思って探してみたら、こちらは「憧れの家づくり」。もちろん大いに惹かれましたが、今のところは刺激が強すぎるかも、と思い直してパスした。


壁面に映る影

いつだったか、大きな壁面に映る光と影を見ることができなくなったことがさびしいと書いたのですが、ついに見つけました。身近なところにありました。それも、うんと近くに。灯台下暗し。なんと、自身が住むアパートの側面。ここに電柱と電線の影が写り込んでいた。かつて楽しんだ木々と葉っぱのそれとは趣が異なりますが、これはこれでまた別の美しさがある、と思う。でも、やっぱり海の場合と一緒で、道路沿いなのでゆっくりと眺めて過ごすというわけにはいかないのが、ちょっと残念。


日曜美術館

このところの2日ほどは、続けて日曜美術館のDVDを見ていた。写真家のソール・ライターから始めて、画家の野見山曉治、熊谷守一、染色家の柚木沙弥郎、画家の不染鉄、そして最後に安西水丸。水丸を最後にしたのは、彼が他の5人よりもひと回りからふた回りほど若かっため(彼が亡くなったのはちょうど今の僕と同じ歳だったから、何と言っても他の先人たちよりは気楽さのようなものがあるのです)。

例えば、野見山と熊谷はいずれもが長寿(熊谷は97歳まで生きた。野見山は放映当時93歳、現在102歳でまだ活躍中)であることを除くと、対照的な気がする。野見山の抽象画は色を重ね年々複雑さを増すようなのに対し、熊谷の具象画はアジサイの花を2つの円で表すほどに、極限まで単純になった。野見山が2つのアトリエ*を精力的に行き来し、社会と生真面目に対峙して、「行き暮れているよう」だと言いながら、「どんなに遠ざかっても繰り返し繰り返し現れる形」の意味を考え、自身が描きたいものを探ろうとするのに対し、熊谷の方は、70を超えた頃からほとんど家から出ないで、あくまでも個人の嗜好に忠実に従い、向き合うことに集中して、ついには無我の世界に遊んで、飄々として暮らしたようだ。

一方、柚木は、創作の秘訣はと問われて、「うれしけりゃいんだよ。なんでも、面白いなあって」と、こともなげに答える(当時、95歳。現在100歳)。こちらも熊谷同様に身構えたところがない。そういえば、熊谷は「絵は好きで描いているんじゃない」、「遊んでいる時が一番好き」というようなことを言っていました。ただ両者ともが、その奥には生真面目なものを隠しているようでもあって、迂闊には近寄り難いところがあるような気もします(創作に打ち込む人は、たいていそうしたものかもしれない)。しかし、柚木は型紙を作るのにも、錆びたごく普通のハサミを使って、創作そのものを楽しんでいるように見える(弘法筆を択ばず。凡人はこうはいきません)。

他方、将来を嘱望されながら生前は必ずしも恵まれた画家人生とは言い難いような不染は、「芸術修行は 心を磨くこと」の境地で生涯を通して描き続けた。ライターは「雨粒に包まれた窓の方が、わたしにとっては有名人の写真よりも面白い」と言って、近所のごく限られた区域を歩いて写真を撮り続けた。ともに、世間的な名声を求めないがゆえの強さと美しさのようなものがあって、透明度が高い。

ま、各人各様ですが、いずれもが立派すぎて、お手本として真似しようとするのには恐れ多いのですが、皆「私が…、私が…」、「俺が…、俺が…」というところがない。見かけもずいぶん違うし、表現の方法も異なるけれど、対象を見つめる眼差しの真剣さは共通しているようだけれど、しかしこれ見よがしの深刻さの気配はまったくない(もしかしたら、一種の諦観のようなものかもしれないけれど)。これらのことも、先回書いた有名無名の人にも共通しているようでもあるのです)。

と言いながらも、学ぶことはたくさんあるのですが、僕の場合はそれがなかなか身につかないことに加えて、生産的なこと、というか誰かが楽しんでくれるようなことにつなげることが叶わないのが残念。ま、面白がってやっているうちに、身を結ぶことがあるかもしれない(あるいは、ないかもしれない)。いずれにしても、それまでは、せいぜい格好だけでも真似することにしようか。

そして、それとは別に、気分を晴れやかにするために、身なりを整えて、街に出かけなければいけない(でも、行くところがないのだなあ)。


* 眼前に玄界灘を臨む別邸(篠原一男設計)も羨ましい。


2023.01.21 夕日通信



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#2-075 新しいNice Space のために 28

原点に帰って考える、我が家の惨状からの脱出 13 

もう一度好きになるために・大方針編

 
自分のやっていることを好きになることだ。まだそれを見つけていないのなら、探し続けなければいけない。安住してはいけない。(スティーブ・ジョブス)

今回はちょっと長くなるかもしれません。なんといっても、本年度の決意表明のようなものであります。

ラジオをつけっぱなしにしていたら、日本の映画音楽特集になった。はじめの曲は、伊福部昭の『ゴジラ』。まあ定番ですね。しばらく主題歌が続いたあと、渥美清が歌う『男はつらいよ』のメロディが聞こえてきた。僕は、『男はつらいよ』シリーズはちょっと苦手なところがあるのですが、

 男というもの つらいもの
 顔で笑って 
 顔で笑って 腹で泣く
 腹で泣く 

という歌詞は、今ならジェンダー問題に引っかかるのかもしれませんが、そうだよなあと思った。そして、このブログの極めて少ない読者からの感想がまったく届かないのは、もしかしたらこの気持ちが足りないせいなのか、弱音が過ぎて見るに耐えないからか。と、思った次第でした。いや、単につまらなすぎるだけなのか。

でも、たまたま耳にしたり目にしたものが、なんだかその時に自分と関係ありそうだと思えてきたりするのは不思議ですね。目にしたり耳にしたりしたものに影響されているのかもしれないけれど、それでも悪いばかりではない気がする。少なくとも、考えるきっかけにはなる。

改めていうのも変ですが、無職となってはや2年が過ぎようとしています。それなのに、未だになかなか慣れることができない。毎日の過ごし方がわからないまま、定まらないのです。そのために、やるべきことはたくさんあるのに、ぼんやりとしたまま、1日を過ごしてしまう。気ままに過ごせることが、悪い方に作用しているのです。もとよりなまけものの僕のことだから、職場が恋しいというわけじゃないのですが。

若い人たちの間では、倍速視聴(というのだね)が流行っていると聞いた。実は、なんだかなあと思っていた。もっとはっきり言えば、本当は好きじゃない人が手短かに知るための方便だろうと思っていた。これなら、何も今に限ったことではなく、昔もあらすじを紹介したものはあった。でも、大手広告会社でディレクターをしているという若い女性も、やっぱり倍速視聴をするときがあるという。まずは情報収集、流行を見極めるため、本当に好きなものはそうはしない。もう一つ、「空白の時間があるのを恐れるから」、と言うのだった(若い人たちは、うんと真面目なんですね)。

「えっ」。と、思った(「空白の時間が怖い」とは)。僕がそういう人と入れ替わったら(逆でも)、すぐに悶絶死してしまうのではあるまいか。

さて、ここからが、本題。

今年は、「新しいことに挑戦」してみる。これをテーマに掲げ、ぼんやりと過ごして変化の乏しい生活に喝を入れるべく、日々の暮らしに刺激と変化を与え、頭と身体をこれ以上ボケさせないためにも、取り組もうと思うのです(2023年の所信表明)。


左から有田、白薩摩、黒薩摩

これまでは、ぬる燗は黒薩摩、冷たい時は白薩摩。まあ、この程度のことは既にできているのです。ルーティンは作りたいけれど、それは使うものではなく、問題は暮らし方のほうなのだ。しかし一方で、慣習は打破したい。慣れた安心感は捨てがたいけれど、いつもこれに頼るばかりなのはまずい気がする(僕の場合、好きなものを愛用すると言うよりも、なんであれ、無自覚に同じものを手に取るだけということになりがちなのだ)。これからは、たっぷり注げる薄手でモダンな有田も、使うようにしなければいけません(ほかにも、まだある)。

音楽も、耳慣れたものばかりではなく、新しいものにもちゃんと向き合う。たとえば、オペラ。オペラやミュージカルが苦手で遠ざけていた(唐突に歌い出すのは、今でも慣れない)のですが、もう一度きちんと聴いてみようと思ったのです。いくつかDVDやCDは手に入れているのだけれど、なかなか踏ん切りがつかない。それで、玉木正之の『オペラ道場入門』の中にあった、ウエストサイドストーリーの歌をオペラ歌手たちがレコーディングする様子を捉えた、メイキングのDVDを手に入れることにした。ドキュメンタリー映画は好きなので、あんがい突破口になりそうな予感がする。

そのほかにも、ブログじゃない書き物は、ぜひ習慣化したい。ブログ用の文章だって、断片的なものが溜まる一方だ。そういえば、本も何冊かをつまみ読みすることが多くて、一冊を一気に読み通すことができない。たぶん、集中力と持続力が欠けているのだ(ま、古い本が多いこともあると思うけれど。いくらなんでも、忘れてしまったわけではあるまい)。外に出ることも練習しなくてはいけません。「人と喋らないとボケちゃう」のだそう。とすれば、新しい作品、ものとの関係においても同じだろう。他にもあるけれど、まずは、こういった暮らし方の基本(習慣)を確立しなければなりません。

村上レイディオによれば、村上春樹は今自分が書いているものについては、完成するまで絶対に口外しないということでした(カッコいいですよね。よほど自分の意志の強さに自信があるのでしょうね)。僕は無理、何にしろ外圧に頼らない限り、何もしないままぼんやりと過ごしそうです。だから恥も外聞もなく、こうやって書いておいて、いったん口にしたからにはやらないわけにはいかないというわけです(だから、たまには、どうなりました?と聞いてくれると助かるのであります。別に、褒められて伸びるタイプと言う気はありませんから安心して)。もしかしたら、外圧に頼ることからの脱却が先じゃないかと言う人があるかもしれませんね。

少し前にはようやく、書きかけていた小説(らしきもの)の続きをと不意に思い出して、書き加えるようになった(と言っても、こちらもまたごく少し。毎日1ページも進みません)、というような調子だったのですが、今はまた1行も進んでいないのです。コージー・ミステリーにしようと思って書き始めていたのですが、400字換算で100枚弱ほどになっても、事件が起きないのです(あらぬ方向へ行って、ヤング・ケアラーの話になりかねない)。さて、どうしたものか(朝方に、ちょっとしたアイデアを思いついたようだったのですが……)。

もう一度、短いもので練習するのか、それともミステリーは諦めるのか。いったん流れに任せて書いた後に、編集するべきなのか。いずれにしても、書かないことには始まらない。マット・スカダーの生みの親ローレンス・ブロックは、若い頃から「日々決まった分量をタイプしない限り、それが紙の上に残らない限り、何か学校をずる休みしている気分になる」と言って、実践してきたようです。わかってはいるのですが、これがむづかしい。何しろ、2代続く正真正銘のなまけもの。妹が小さかった頃に、病気で寝込んだ父に「こうやって寝たままうちにいるのと、仕事に出かけるのと、どっちがいい?」と聞いたときに、父は即座に「この方がいい」と言ったというのだから筋金入り。僕は、その部分だけはしっかりと受け継いだようです。しかし、僕よりはずっと真面目に仕事もしたようだし、学生の時には懸賞小説で稼いだこともあったらしい。なかなかうまくいかないものですねえ。

いつの間にかまた、余談めいたことになってしまいました。今回は、ここまでにします。冒頭のジョブスの言葉は仕事についてのものですが、生活についても変わるところがないはず。いまの暮らしぶりをなんとか立て直さなけれなりません(まるで、若者のようですが。実際のところは、いったいどうすればいいのだ!今こそ、『見るまえに跳べ』ということだろうか)。「狼少年」ケンにならないように気をつけなければなりません


2023.01.14 夕日通信



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#2-074 Nice Spaces のために 06

散歩の途中で思うこと 03 

不思議 


この辺りでは、年末からこれまで素晴らしい天気が続いています。散歩するにはうってつけの日々(でも、ちょっと風邪気味)。

少し前の新聞によれば、80歳を過ぎ、5臓を摘出してもなお活躍する安藤忠雄は、毎日1万歩を歩き、昼休みは1時間、本を読むらしい。しかも、世界中で仕事をしているのですよね。驚くばかりです。その気力、体力、そして時間は、いったいどこから生まれているのだろう。立派ですね、うらやましい限りです。

さて、ふだんは朝散歩するのですが、ある日の夕方にちょっと離れたところのパン屋さんまで歩いて行くことにしました。道も違うので当然といえば至極当然なことですが、朝とは違う景色があって楽しい。幹線道路沿いの家と家の間から覗く景色さえもが輝いて見える。もちろん(というのも変な気がするし、残念なのですが)、街並みや家々そのものがというのではなく、山の紅葉や夕日を受けて黄色みを帯びた景色全体の色がとても美しいのです。もちろん、空に浮かぶ雲も同様であることは言うまでもありません。

これからは、時々、夕方にも散歩することにしよう。そうすると、安藤の1万歩には及ばないまでも、7〜8,000歩ほどにはなりそうです。1万歩のためには、景色に加えてもう一つ魅力的な何か必要かもしれません(たとえば、気軽にビールが飲めるカフェとか)。

先回にもちょっと触れたことだけれど、昔、学生たちに狭くても自分の庭があるのと、自分の庭はないけれど外に出れば広い共有の庭があるのとどちらがいいかと聞いたことがありましたが、その結果はもうご存知の通り、断然自分の庭を持ちたいということでした。

まあ、わからなくもないし(日本の公園は魅力に欠けるばかりではなく、いろいろと制約が多すぎるようです。ただ、川本三郎の本を読んでいたら、東京には無名のいい公園があるらしい)、テント好きの身からすれば自分の庭が持てればそれはそれで嬉しいのですが、ちょっと違う考え方をするようになりました(というか、そうしないとやっていけないということもあるのですが)。

すなわち、自分でなんでも所有しようとしないで、外にあるものを楽しむようにしようと思い直したのです。そうしたならば、とても理想的とはいえない状況の中でも、気持ちの持ちよう次第であんがい楽しめるのではないかと考えたのでした。今の時間を楽しむためには、そうしないわけにはいかない気がするのです(ま、うんと時間のある人にとっては、きっとまだ関係ないことですが)。で、広い共用庭を楽しむように心がけるというわけです。


遠くに見える海

実際のところ、僕は海を見ることのできる家にひとかたならぬ思いを抱いているのですが、これを手に入れることが叶わないことを嘆くよりも、見たいときに見える場所に出かければいいというわけです(まあ、これも色々と制約がありますが。たとえば、ビールを飲みながら眺める、というわけにはいきません)。


なんのため?

なぜ?

どうして?

以前に、個々の住宅については触れないと書きましたが、早くも撤回(某有名デザイナーか、はたまた有名アニメ監督のようですが。いや、どこかの国の首相か)。散歩していると、時には(たいてい)、変なものを目にします。これが、けっこう楽しみでもあります。たとえば、何の役に立つのかわからない段差解消スロープや、駐車場の真ん中に設けられた花壇、あるいは互いにずらして配置された門柱等々。これらは、自分がデザインするならと想像すると面白いし(あんまり生産的じゃないことは変わりませんが)、何より僕にとっては変だけれど、これを作ろうと考えた当の本人にとっては何かしらの必要性や楽しさがあったに違いないのだから。


通れません!

それでも、中にはちょっと迷惑、というようなものもあるけどね。


2023.01.07 夕日通信



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#2-073 新しいNice Space のために 27

原点に帰って考える、我が家の惨状からの脱出 12 

AV機器の入れ替えを検討する 


今朝の新聞に、磯崎新が亡くなったことが載っていた。91歳だっという。僕の最初のアイドル建築家だった。


ある朝のこと。コンロをつけようとコックを回したら、パチッパチッという音がするだけで火がつかなかった。何回かやっても、音がするだけで一向に炎が上がらず、ガスの匂いがするだけなのだ。煮こぼれしたことが悪さをしたのかと思ったけれど、念のために電池を取り出して残量を測ってみた。赤が最も光っているけれど、緑もついている。電池を戻してもう一度つけてみる。やっぱりつかない。電池切れに違いないと思って、急いで買いに走りました。それにしても驚くのは、単1電池の大きさ。大きいだけでなく、ずっしりと重いのだ。ふだんはせいぜい単3までだから、段違いの大きさ。なんでもコンパクトになっている中で、珍しい存在。そういえば、その前のコンロは電池は要らなかった。ま、手間を惜しむのではなく楽しむという気持ちにならなければいけません。

さて、以前に書いたようにAVのうちの映像関係の機器の一部を入れ替えようと思って、先日某専門店に相談の申し込みをした。申し込んだ日が定休日2日のうちの初日だったせいで、なかなか返事がこなかった。定休日明けに電話がかかってきたのですが、結論を言うと体良く断られた。先方に悪気はなかったと思いますが、予算が全く合わなかった。たとえば、プロジェクターは30万円以上のものしか置いていないのです、と言う(それより安いものは扱わない、とはさすがに言わないのですが)。ちょっと残念。でも、おかげで、どうしようかということを改めて考えた。すると、そのうちにだんだんと、このままでいいかという気もしてきた。


現在の機器類

AVアンプのリモコンの調子やら何やら不具合があって、いろいろと手間がかかるのだけれど、音が出ないわけじゃない。昔オフィスで使っていたものを流用したセンタースピーカーとフロントスピーカーのメーカーが違っているので、これも変えた方が良いのだろうとも思うけれど、取立て変な音でもない(ような気がする。少なくも聞くに耐えない音ではない、と思う)。時々、ちょっとぼんやりとして、聞き取りづらい時があるように思うのは、加齢によるものかもしれない。

映画は音よりも画面の大きさが効くし、大画面で観てこそと思っていたのだけれど、プロジェクターが使えなくなってからは、映画もテレビ(50インチ)で見ることにしてきた。ま、幾らかの不満、というか物足りなさを感じないでもないけれど、昼間でも見ることができるし、セッテイングの必要がなく手軽なのは良い(昼間にプロジェクターを使おうとすると、真っ暗にすることができるならいいんですが、これは簡単じゃありません)。今しばらくは、吉田秀和の言葉に頼ることにしようかしらん。たしかに、機械は立派な方がいいかもしれないけれど、それでなくちゃ楽しめないというわけではないのだ。

でも、これらのことは人それぞれ、違いがわかるかどうかは別に憧れたものを手に入れようとするのは悪い考えとばかりは言えない。それはそれできっと得るものはあるはず、とも思うけれど。

このままでもいいのか。浮いたお金を、他の分に回すともっと楽しいのだろうか(と、言うほどもないけれど)。残りの人生を楽しく過ごすために、考えなくてはいけません(ものに頼らざるを得ないというのが、ちょっと引っかかります)。

たぶん、AV機器に限らず何においてもこれでなくっちゃ、という強い気持ちが僕にはないまま過ごしてきたのだ、これが我が人生の真実(と思えば、やっぱり寂しい気がしてしまうけれど)。もはや背伸びするのは、文字や言葉の世界くらいにとどめておくのがいいのかもしれない。

この頃は、声楽に目覚めつつあって、少しずつたとえばバッハのカンタータやら何やらを聞いたりしているのだけれど、本当に演奏家によって違いますね。僕がCDで聞いているガーディナーのもの(アルヒーフ版、1990年ドーセットでの録音)は、ずいぶん速い。それぞれの個性を楽しめばいいってことか。

ま、何が幸いするかはわからない。様々な分野において、間違いから生まれたという逸品も少なくない(たとえば、ブルゴーニュのお菓子クイニーアマン、燕三条の銅器の紫金色、等々)。

ともあれ、ものを増やさず、あんまり減らしもせず、ものが過度に少ない空間の美しさではなく、高級なものでもなく、でも好きなものに囲まれながら、雑然とは見えないような空間を目指したい、と思うのであります(一足先の、新年の所信表明)。


新年のご挨拶

1年間お付き合いしてくれて(果たして存在しているのか)、ありがとうございました。楽しく大晦日を過ごして、良い年をお迎えください。少し早いけれど、新年のご挨拶も一緒に。


* ただ、先日手持ちのモバイルプロジェクターを試しにつないでみたら、やっぱりよかったのです。しかし、モバイルのものを使おうとすると、ちょっとした問題がある。暗いし、ピントも甘い。何より、適切な場所に置こうとすると、台が必要になり窮屈なのです。



* こちらは未だ、急ごしらえの試作のまま(誰か、ポチッとする人はいないのだろうか)。


読んでくれて、どうもありがとう。
感想やお便り等をこちらからどうぞ(全くないのは、さびしい)。


2022.12.24 夕日通信



#2-072 Nice Spaces のために 05

散歩の途中で思うこと 02 

隙間の誘惑 


いよいよ冬らしくなってきました。一時は小春日和が続いていたのに、僕が住むこの辺りの最低気温は0度をわずかに上回る程度、最高気温も10度に届かないという日があって、日中も風を受けると寒いと感じるような日が増えた。


ピンクの葉っぱ

冬が深まるにつれて、花もだんだん少なくなってきます。ちょっと、寂しい。それでも、水仙や、とくにパンジーの類は色とりどりで元気がいい。でも花はなくても、その気になりさえすれば先日にも書いたように、葉っぱだけでもじゅうぶん楽しめます。紅葉のすすんだ木々の葉っぱとか、落ち葉とか、山々の景色とかね。他にも探せば、色々あります。例えば先日は、こんなものが見つかりました。よく見ると、石垣を背に伸びている枝の先では、1枚ではなく、2枚のピンクの葉っぱが寄り添ってハートの形を作っています。ちょっとロマンティック(ま、関係ないですけど)。


まっすぐ抜ける視線

曲がった先は何

これも以前に書きましたが、散歩の途中で目にする住宅(の形態、形式)の場合、残念ながら個々について言うなら、住みたいと思うようなものは見つかりません。しかし、その2つに挟まれた空間、すなわち隙間には思わず入って行きたくなるものがあるのです(もちろん、そこはいちおう大人なので、ぐっと我慢しますが)。まっすぐで向こう側が見通せるものもあれば、ちょっと折れ曲がっているためにそうでないものもある。いずれもが、それぞれに魅力的です。前者はいったん絞られて引き伸ばされた視線を一挙に解放するような爽快感があるし(欲を言えば、向こう側がストンと落ちて遮るものがないと、さらに理想的)、後者はその先に何があるのかという期待感を抱かせて楽しい。

でも、見る限り、たいていの場合は塞ごうとすることが多いように思います(この間取り上げた、エアコン室外機の取扱いなどのことについては、あんがいその限りではないようなのですが)。ま、わが国の伝統と言えば、そうなのですが。

それにしても、今の時代にあって、戸外生活が貧しい(というよりも、楽しもうとしない)ように見えるのはなぜなのだろう。

たとえば、その外観が一目でそれとわかるようなスペイン風の家であっても、そこにパティオはない。すなわち、住戸内の生活の延長としての戸外生活というものに対する関心が乏しいようなのだ。もちろん、庭への関心がないわけではない。それぞれの庭には様々な植物が植えられているし、おおむね多くのところでは手入れもされているようです。何年か前に、若い人に訊いた時も、自分だけの庭が欲しいという人が断然多かった。

日本の町の中に散在する小さな公園の貧しさ(と呼んで差し支えない、と思う)も、もしかしたらこの故ではないか、と言うのは乱暴すぎるだろうか。その多くの場合は緑が少なく、舗装されている部分が多い。要するに、手がかかっていないのだ。空き地があればいいだろう、くらいの気持ちで作られたのではあるまいか。もちろん、予算の制約が大きいにしても、もう少し知恵の絞り方があったのでは、という気がしてしまうのです。たぶん、維持するための手間や費用のことを考慮したせいだろうと思いますが、その結果として、結局はほとんど人が寄り付かないものになったのではないか。ちょっと、もったいないね。

もちろん、これに関わる人々のデザインする力が足りないわけでもないだろうから、もう少しの工夫でうんと良くなりそうです。しかも、もう何年も前からオープンカフェなんかはずいぶん増えているし、これを楽しむ人は多いのだからと期待するのですが、やっぱり「あれはあれ、これはこれ」ということなのか。




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2022.12.24 夕日通信



#2-071 新しいNice Space のために 026

原点に帰って考える 我が家の惨状からの脱出 11

物欲が再燃! 


いまのところは、どうしても新しくしなければ困るというものは、ない。プリンタのインクのような消耗品の類のいくつかは別です。すぐに無くなってしまうし、あんなに高いのはどういうわけだろう(あ、インクのことです)。

それにまあ、これから物を増やしてもという気もしていたこともある。

そんなわけで、つい最近まで新しく買ったものはほとんどなかった。靴下さえも。ただし、本は別。しかも、同じ本を買ったことが何回か(とほほ)。

ところがいつだったか、残された時間を楽しむようにしなければ、と思ったのだった。そのためには、自分の好きなものがそばにあるというのが役に立つ。

そんなふうに思ったならば、好きなものはたくさんあるが、身の丈にあったものでなくてはならない(もちろん年齡のこともあるし、何と言っても無職の身なのだ。この層に対しては、国もだんだん冷淡になっているようだし)。その限りにおいては、我慢しすぎないのが良い。

例えば、海が見える家というのは好きなもの、欲しいものの筆頭だけれど、いまはちょっと無理のよう(残念!)。

パソコンあたりから現実的な範囲に入ってきますが、これは現在使用中のパソコンが時々調子が悪くなることがあるので、必要性もないわけじゃない。このほか、BKFチェア、プロジェクターやセンタースピーカー等ホームシアター関連の機種の入れ替え、カメラ(もちろん小型のデジタルカメラで、デザインのいいもの)等々、日々の生活を活気づけてくれそうなものが、次々に浮かんでくるのだ。


鉄製と銅製の新旧の卵焼き器*

でも、第1は調理道具と食器ですね。先日はステンレスのポトフ鍋と銅製の小さな卵焼き器を買った。そしていまはと言えば、練達の職人が一つずつ何回も手で叩いて打ち出した槌目が美しい雪平鍋に惹かれているところ。そのほかにも、ローゼンタールのスタジオライン の中のジャスパー・モリソンのスープ皿とディナー皿(長尾智子が、知る限り世界一美しいスープ皿と評した)、デュラレックスのちょっと大ぶりのグラス(美しいし、気軽に使えるのがいい)も。

これらは、いずれも、実用性を備えたアート作品のようでもある。ついでに、英国製のシンプレックスのケトルを思い出し、大いに惹かれたのですが、空焚きしてしまいそうだし(これまでも、昔にコンランのハビタで買ったものや柳宗理、野田琺瑯のもの等々いくつもダメにした)。それでも、念のためにと調べてみると、うんと値上がりしていて、もはやとても手が出せる値段じゃなくなっていました。それに、ちょっと大きすぎるようでもあるしね(ま、半分は負け惜しみ)

ステンレスのポトフ鍋は主にパスタ用(これより大きい鍋も持っているのですが、いずれもちょっと取り回しが厄介)。本当は専用の鍋があればいいのだけれど、大きいので置く場所や洗うときに困るのです。ジャスパー・モリソンの皿も、パスタや煮込み料理を少なめに盛ると良さそうなのだ。早く、合羽橋その他に出かけなければいけません。いまは美術館よりもこちらが先。あ、ついでに三菱1号館あたりに寄った後に銀座でランチというのもいいかも(ただ、一人というのでは、ちょっと非日常の愉しさには欠けるきらいがあるのは否めませんが、まあ仕方がない)。

料理をするときはもちろん、眺めても嬉しいだろうし、同じ料理を盛り付けても喜ばしくおいしく感じるだろう。だから、日々の生活に彩りを加えて、楽しくなるに違いないと思うのです。

ただ、好きなものは死蔵しないで、使ってこそ価値が増すというもの。だから、使わないときにはできるだけ目に触れるよう、収納にも気を配らなければいけません。ということは、やっぱり片付けが先ということか(やれやれ)。掃き溜めに鶴というのは、嬉しくない。


* これまでの安い鉄製のものも案外上手く育ったのですが、これからは小さなものを焼くときに活躍してもらうことにして、卵焼きは新らしい銅製の卵焼き器にまかせることにしよう。そのためにはまた、しばらく手をかけて、育てなければいけませんが。



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2022.12.17 夕日通信



#2-070 Nice Spaces のために 004

旅の途中で考えたこと

特急『リレーかもめ』号の怪 


先日は、久しぶりに遠出をしてきたのですが、びっくりしました。電車、駅、空港、飛行機、どこも人がいっぱい。コロナ前とほとんど変わらないほど、混んでいた。

今年9月に開通した西九州新幹線の始発駅となった駅は、見違えるほどに変貌していた。より明るく、より広々として快適。お土産を売っているところも2箇所に増えて、レイアウトも洒落ている。素晴らしい……。でも、ちょっと残念な気持ちもあった。どこの駅かわからない、全国の中小の駅のどれであってもおかしくない気がしたのだ。さて、これがいいのかどうか……。

博多からは西九州新幹線が通じていないから、特急『リレーかもめ』というのに乗ることになった。これまたびっくり。ホームに入ってきたのを見た時には、思わず目を疑いました。丸みを帯びたその形と白い色は以前から長崎行きで使われていたものと変わらない。ただ、車体のところどころに、ローマ字とともに毛筆で書いたような「かもめ」の文字が大書きされているのだ。いったい、どうしたのだろう。

帰りも行きの時と同じく『リレーかもめ』号、ただ今度は車体の色が変わっていて、こちらは黒(これはもともと鹿児島本線を走っていた特急『つばめ』を流用している)。中へ乗り込むと、以前乗ったことがあるし、ここでも触れたことのあるヨーロッパでよく見たコンパートメント風(セミ・コンパートメントと呼ぶらしい)の席が現れた。やったと思って自分の席を探して進むうちに、通り抜けてしまい(なぜか1両が2室に分けられているのだ)、目の前にはごく一般的な席が並んでいて、ちょっとがっかり。荷物を上に置こうとしたら、網棚がない。その代わりに、足元が広くなっていた(これはこれで、座る身には快適)。しかし、荷物の底は汚れるから、タクシーの白いカバーを汚してしまわないか心配になる(JALは不織布のカバーをくれました)。

コンパートメント席に座れなかったのは、車内放送でマスクの着用と向かい合わせにして座らないようにと言っていたのでそのせいなのか、はたまた少し割高に設定されていたりしているのかと思ったりしたのだったが、やっぱり座りたい。で、車掌さんに訊くことにした(でも、何回も通るのだけれど、訊く間もあらばこそ、なぜかさっと行ってしまうのだ)。で、思い切って呼び止めて、訊いてみた。

すると、値段は変わらないし、お客が来ない限り座っていいと言うのだ。早速、移りました。やっぱりいいなあ。移動しているというより、旅行をしているという気がしてくる(言うまでもなく、気分は極めて大事)。


セミ・コンパートメント

もう一つ不思議なのは、中央にテーブルがあることによって、向かい側に座る人との一体感が生まれたり、逆に区画された感じになるのと、どうやらふた通りの効果があるように思えるのです。すなわち、相手との関係次第で、距離感が異なるのだ。面白いねえ。でも、いったいどうしたことなのだろうね。

それにしても、なぜこのタイプをもっと採用しないのでしょうね。特別感もあるし、他の特急と違う特徴にもなるのに(いっそ全てをこのタイプにするのもいいかもしれない)。しかも、同じ路線を走る特急には3種類あるのだよ。先に挙げた2種の「リレーかもめ」の他に、もともと佐世保線で使われていた「みどり」というのがあって、こちらは角ばった形でステンレスの車体の一部に緑と赤が着色されている(これが、一番ふつうで、特別感がまったくない)。ちょっと、ひどい気がするね。

ところで、以前に書いた近所で建設中だった平屋の独立住宅に設置されていた室外機の囲いのことですが、たしかに板が2枚、間隔をあけて貼ってありました(したがって、室外機はほとんど丸見えのまま。不幸にも、その時に思ったことを裏付ける結果となったようです)。

今回は、Nice Spaces というより、Not Nice Spaces についてという方がふさわしいものになってしまいました。



* 急ごしらえの試作のまま。


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2022.12.10 夕日通信



#2-069 新しいNice Spaceのために 025

原点に帰って考える 我が家の惨状からの脱出 10

小手先に頼る 


片付けたと思ったらすぐに散らかって、また同じところを整理するという具合でなかなか進まない。1回片付けたら、2度と散らかさないように、出したものはしまう、使ったらその度に必ず元の状態に戻すということを習慣づけなければなりません。わかってはいるのですが、言うほど容易いことじゃないのだよ。我ながら情けない(とほほ)。


廃品利用のスタンドライト

で、少しでも気を紛らわそうと、うんと昔に空き缶とソケット、そして和紙を使って手作りしたスタンドライト(円錐形に巻かれたシェードが欲しかったのだ)に、シルキークリスマスのイベントで作成した球形のカバーをかけてみた。ソファの横に置いたが、案外(間に合わせとしては)悪くないと悦に入っているところ。こういうことに喜びを見出さないとね……。


プラダンの衝立

その前には、台所とリビングを分けるカウンターに置いたオーブントースターの背面を隠すために、プラダンを立てた(それだけでは寂しいので、支えのブックエンドを隠すことを兼ねて『男と女』の時のアヌーク・エーメの写真を貼った)。

ところで、これに限らずたいていの家電製品は背面が見られることを意識していないのはなぜだろう(たとえば台所は、だんだん開放的になってきているのに)。ジョブスが言ったように、日本の職人たちは見えるところのみならず、見えないところまで気を配ってものを作ってきたはずなのだけれど(でも、これももはや遠い昔のことなのかもしれません)。

テーブルの上の小物を隠そうとして設置した、ミースとコルビュジエのいる衝立も同様。

本質的な解決にはなっていないのです。重々承知しているのです。なぜこういうことになるのか。もしかしたら、根本的な欠陥があるのではないかと、ちょっと不安になります……。

他にも、袋が掛けられなくなったゴミ袋ハンガーには受け皿(?)がついていたので、逆さまにして受け皿を上に置いて、トランクを載せるバゲッジラック(と言うようです)のようにして、明日着る服を畳んでおくようにしてみたり(なんだか、みみっちいことをしているような気になったりもするのですが、……)。

次回の定期掲載日の土曜日は事情があるため、ちょっと早めに短いものを掲載することにしました。



* 急ごしらえの試作のまま。


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2022.11.26 夕日通信



#2-068 Nice Spaceのために 003

散歩の途中で思うこと 01

街の景観について、ひとつふたつ 


このところは毎日近所を歩いていることはすでに書いた通りですが、目にする住宅は百花繚乱。和風、洋風、そして折衷、さらに屋根の形や日本瓦やスペイン風のものから平らなスレート瓦があり、外壁も色や材料は様々。外観は、一つとして同じものがない。ごく稀に、建売住宅と思われるものが並んで建っていることがあるけれど、これも屋根の形やバルコニーの付き方等が少しずつ異なっている。しかも、例えば日本瓦を載せたた和風住宅のそばには平瓦の洋風住宅があるといった具合で、隣り合うもの同士ほとんど共通点がないようなのだ。何れにしても、隣との関係や景観を意識して建てられているとはとても思いにくい。

良くも悪くもこれが我が国の一般的な住宅地、いや都市全般の有り様の現状なのだろうという気がします。好みを言うなら、いいなあと思うようなものはなかったけれど、でも、不思議なことにそんなに嫌な気もしない(中には、えっこんな色で塗るのか、というようなものもありましたが)。もう見慣れてしまったということなのだろうか。


公園の眼前に広がる風景

ウロウロと歩き回っていたら、少し切り立ったところにある小さな公園に行き着いた。そこから見る景色は、彼方に見える海はいいいいのですが、眼下に広がる民家の屋根の景色はいいとは言い難かった。すぐ眼前のマンションの屋上は、何の工夫もなく、醜い姿をさらしているだけ。これに限らず、こんな場所にというところで遭遇する公園は、たいていつまりません。空いたスペースの平らなところに、遊具とベンチを適当に配置しておしまいというのが多いようだと思わざるを得ない気がしてきてしまうのです。たぶん、使われたときの情景を想像していないのではあるまいか。でもこうしたことは、公共的なものか私的なものかを問わないようです。珍しく平屋建ての住宅が建設中だったので、気にして見ていたら、エアコンの室外機2台がむき出しで道路際に設置されていました。やっぱり、自分のうちの中から目に入らないものは気にしないということなのだろうか(その後に、室外機とほぼ同じ高さの支柱が立てられていたので、低い塀が巡らされるのかも)。


空中を横切る電線

ところで、住宅地の景観といえば、僕も、イギリスで住宅地のすっきりとした美しさに見入って感心したことがあります。と言っても、特に有名な地区でもないし、建物自体も取り立てて立派なものではなく、むしろ質素なもの。だけどそこには、日本で見慣れたものがなかった。そう、電柱と電線がなかったのです。それで、ずいぶんすっきりして見えた。一方で、その悪名高い電信柱と電線も、鬱陶しく感じるのですが、その反面、美しいと思う瞬間があると書けば、正統派の景観論者にあっというまに糾弾されそうですが、青空とこれを横切るピンと張った電線が作り出す景色が綺麗だなあと思ったりすることがあるのです。また、電柱が一定間隔で並ぶ様や電信柱の上部の造形や鉄塔も、美しいと思う時もある。

夕方、外を眺めていたら、向かいの建物に夕日が当たってあかるい黄金色に輝いてとても美しかった*。そういえばこの時間帯のことを黄昏時と言ったりもする。ここに黄という文字が使われているのはなぜだろうと思った。そこで、ウィキペディアを見てみると、

「たそかれ(たそがれ)」の語源は、「誰そ彼」である。
薄暗くなった夕方は人の顔が見分けにくく、「誰だあれは」という意味
「黄昏**」は当て字で、本来は「こうこん」と読むとあった(語源由来辞典

とあった。漢字の方はよくわかりませんが、黄を当てたのはやっぱり光が黄色みを帯びるということがありそうに思うのですが、どうでしょうね。ともあれ建物自体はどうってことはないし、おまけにこの場合はすぐ目の前の太い電線が邪魔だが、色合いがとても綺麗だと思ったのだ。念のために家の外に出て見たけれど、うちから見るよりよく見える場所はなかった。でも、美しい時というのはほんの束の間。あっという間に、ただの灰色になってしまった(秋の日は釣瓶落とし)。

街の景観は、単に統一性があるとか、質の高い建物で構成されているとか、余計なものがないといったことが満たされたものだけがいいというわけではなく、それとは別の美しさというものもありそうな気がしたのでした。

個々の住宅のデザインについても、いちおう僕なりの意見はあるのですが、写真を添えるのはプライバシーのことがあるのでちょっと憚られるし、写真なしで語るのはちょっと手に余るのです。ただ、庭があって花木が植えられているのはもちろん、テラスも見えたりするのですが、内部空間の延長としての外部空間での生活は考えられていないというか、ほとんどなされていないようです。これも、うちでの生活は人に見られたくない、家にいれば外の社会とは関係のない、全くの私的空間であるとする、日本人の暮らし方によるものだろうか。


* 前回、朝の写真とともに掲載しました。
**『黄昏』という映画(ヘンリーとジェーン・フォンダ親子の方)を思い出したので、探して見たのですが、これも見当たりませんでした。ないと、いっそう見たくなります(不思議ですね、ないものねだり?)。



* 急ごしらえの試作のまま。


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2022.11.26 夕日通信



#2-067 新しいNice Spaceのために 024

原点に帰って考える、我が家の惨状からの脱出 09

番外編 日の光がもたらす四景


朝起きて窓辺の机に置いていたコップをみたら、小さな黄色い花が咲いていた。小菊に似た花で、花は摘んで来て水切りをしていけた後にすぐに枯れてしまったが、蕾をつけていたので水だけ換えながらそのままにしていたら、ガラスの中の蕾が数日後に花をつけたというわけ。ちょっと嬉しい。ただ、芙蓉の方はうまくいきません。


眩しいコルビュジエ

朝は、太陽の位置が下がったせいで、部屋の奥まで日が届く(冬が近づいてきたことがわかる。今年も秋が短かかった、というか季節の変わり目がわかりにくくなった気がする)。テーブルの上にも細い光と陰を作り出して、素敵だ(教科書に背いて、真ん中の部屋にあるために、夏は日が届かない)。僕は、馬鹿の一つ覚えのようですが、こうした光と陰のコントラストが作り出す景色が好き(光を浴びて眩しそうなコルビュジエと同じ、たぶん)。

谷崎の言う、「陰翳」を愛した日本の伝統とはちょっと違うようです。なぜだろう。母方の祖父母の家は大きな藁葺き屋根が架けられていて、土間も、通り抜けた先の居室も薄暗かった。一方、小・中学生の頃を過ごした家は小さなアパートだったから、日差しがたっぷり入ったのではあるまいか(ほとんど覚えていないのです)。


棚の上で移動する光

反対側の窓の方に目をやると、棚の上部が光っている。日は射さないはずなのにどうしたことかと思って色々と目をやり、手をかざしたりするうちにわかりました。対面する棚の上に置いた額装したポスターを覆うプラスチックのカバー、これに反射した光を受けたものらしい。しかも、古くなって平滑性を失い、うねっているために複雑な模様を生み出すことになって、なかなか面白い。

しかし、太陽の動きは夕日のそれと同じで、とても素早い。日の光のあたる場所はすぐに変わるし(コルビュジエの隣のミースがすぐに眩くなった)、作り出される模様も変化してしまうのだ。前もって準備していないと写真を撮るのには向かないが、眺めていると楽しい。今は、周りに日が当たる大きな壁面がないので寂しいのですが、こういうことがあるとちょっと嬉しくなります。


朝日を受けて輝く建物

黄昏の中で光る建物

外を眺めてみると、遠くの建物が光っている。夕方も同じようなことがあるけれど、こちらが黄金色に輝くのに対し、朝はそれよりやや白い光を受けて、少し趣を異にするようだ。写真でそれが出ているものかどうか(何しろ10年ほども前のごく普通のコンデジだし、これを補う技術もない。『デジカメはオート+プログラム主義で撮るべし』という田中長徳先生の教えをずっと頼りにしてきたのです)。

朝早く目が覚めたら、たいていはもう少し布団の中にいようと思うのですが、思い切って起きた時に、こうした場面に遭遇するとちょっと得したようで、なんとか1日を乗り切れそうな気がしてきます。当分の間は、こうした小さな喜びに頼るしかなさそうです。



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2022.11.19 夕日通信



#2-066 新しいNice Spaceのために 023

原点に帰って考える、我が家の惨状からの脱出 08

飾り棚をしつらえる 3 


このところは、毎朝散歩の時に花ばさみを持って出るようにしている。というのは、もちろん道端に咲く花を摘んでこようというわけです。先日の芙蓉以来、テーブルの上には毎日花があります。で、ある時不思議なことに気づいた。濃いピンクのオシロイバナでしたが、ガラス瓶の中の花が閉じたり咲いたりするのだ。食卓のある場所は、朝以外は日が差さないから、照明をつけない限り暗くなる。それで花は閉じるようなのですが、しばらく点灯しているとまた開くのです(ちょっと面白い)。それで、念のためにと思って水を入れ替え、蕾のついた茎を生けておいたら、何日か後に花が咲いたのでした(これには驚いたな。今度、芙蓉の蕾で試してみようか)。ちょっと形を変えようとして花びらに触れると、たちまちひらひらと落ちてしまう花もある。

さて、今回は「飾り棚」シリーズの第3弾。ふだん使わない折敷があったので、これを使って床の間の原型を再現してみようと思いついた。もともとのスチール棚に置いていた木の板を押板に見立て、折敷を小さな台とする。そこに三具足(みつぐそく。花瓶、航路、燭台*)を飾ろうというものです。この小さな台のことをなんというのか調べようとして本を探したところ、持って帰ってきたはずなのに見つけられなかった(やれやれ)。この卓(というようでした)には高さがないといけないので、食器棚を整理していた時に出てきたお碗を脚に使うことにした。なぜ家にあるか分からないのですが、正直なところ気に入ったものではなかったので、奥の方に隠れていた。

このところはこうした小さな作業ばかりを数時間ほど、なかなか抜本的な解消には至りません。作業をやり続けることができないのです。でも少しずつ、毎日やるのが肝心と言い聞かせています(もうお馴染みの「大盛り焼きそば理論」)。燭台もろうそくも、別のところから出てきたもの(片付けていると、行方不明になるものがある一方で、いろいろなものが出てきます)。


卓を設置した

で、出来上がったのがこちら。はじめは花瓶も口が細くて高さのあるものとしようとしていました。花は近所の石垣の上に垂れ下がっている薄紫のランタナを。一本だけ摘もうとしてハサミを入れようとした時に、車のクラクションが鳴ったような気がした。まさか自分に対するものとは思わず、そのままハサミを入れていたら、またクラクションの後で声がした。振り向くと、車の窓から妙齢のご婦人が声をかけていたのでした。一瞬、咎められるかと思ったけれど、「一本だけじゃなくて、どうぞ」と言うのだった。どうやら、石垣の上の家の住人のようでした。恐縮して、訳を話すと、再び三度「すぐに増えるから、たくさんどうぞ」と言ってくれたのでした(ほっとしたけれど、ちょっとばつが悪かったな)。

家に戻るとさっそく水切りをして挿してみたけれど、予定していた花瓶は合わないようだったので、コスタ・ボダのグラスで代用することに。これと燭台がガラス製というのが、モダンに見えるかも(?)。脚に使ったお碗はやっぱり別のものに変えなくてはいけなかった(気に入らないものをなんとか再利用しようとしたら、やっぱり気に入らない、残念だけれど、間に合わせはたいていうまくいきません)。それでガラスのカップ(モロゾフ製)に変えてみたのですが、ちょっと大きすぎた(形はちょっとポストモダン風?)。マイユ製のものがちょうど良さそうなので、これが4つ揃ったらまた試してみることにしよう。豆皿には落ち葉を数枚足した。


*並べ方にも決まりがあって、左から順に、花瓶、香炉、燭台とするようですが、『慕帰絵詞』の床の間には香炉、花瓶、燭台の順になっています。



* 急ごしらえの試作のまま。


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2022.11.12 夕日通信



#2-065 新しいNice Spaceのために 022

原点に帰って考える、我が家の惨状からの脱出 07

テーブルランナーをしつらえる 


もはや11月。すっかり秋らしくなりました。外気温も下がってきたせいで、9月に入った頃から長い間楽しませてくれた芙蓉(冬と春に2度も刈り取られたのに、短い期間で見事に復活したのだ)も、いよいよおしまい。蕾はつけているものの、花は咲ききれない日が増えた。

ある時、急に食卓にテーブルランナーを敷いてみることを思い立った。せっかくあるのだから使ってみようと思ったのだ(もったいない病ですね)。これまでも何回か試みたことがあったのだけれど、どうもしっくりこなかった。たぶん、長すぎたのが一番、それに幅もやや広すぎた(というのも、食卓が1500×750とちょっと小ぶりなのだ)。それでもなんとか工夫して、やってみようと思ったのは、気分転換のため(うまくいけば、何枚かあるはずだから、季節に合わせて変えるのも役立つかもしれない)。


テーブルランナーを敷いてみた

やってみたら、意外にもそんなに悪くないような気がしたのですが、さてどうでしょう(少なくとも写真で見る限りは。ま、写真は何倍もよく見えるのが常だけれど)。ただ、このせいで使い方は制限される、というかほぼ飲食のためだけに限定されるわけですが、存在感が増したよう。食卓自体はもちろんですが、その周りの空間を含めてそんな気がします。無職となってからは、飲食はもちろん、書き物までたいていこの食卓でやってきたのですが、2年目に入る頃からは窓際でやることが多くなった(文字通り窓際族)ので、特に問題はないはず、しばらく試して見ることにしよう。使いながら、不都合があれば元に戻せば良い。

こういうことをやりながら、あたりを改めて見直してみると、気づくことも少なくありません。しかし、それがいいことばかりではないことが問題。まずは、食器棚を整理しなくては……。そして埃を払わなくてはいけません(『八月の鯨』のリリアン・ギッシュ、当時90歳もそうしていたし、とあるパブのオーナーはお店のボトルを全部自分で拭くと言うのだから(やっぱり、毎日の基本的な取り組みが大事なのだ)。

紺のテーブルランナーの上に、芙蓉のピンクの花を置くと映えそうです(もう咲いていないかもしれないけれど)。明日の朝見てくることにして、もし咲いていたら、初めてだけれど持ち帰らせてもらうことにしよう。


テーブルランナーの上に芙蓉

と思っていたところ、幸い翌日は朝から晴れて暖かかったので出かけてみたら、ちょっと小ぶりだったけれど運良く咲いているのを見つけることができた。で、摘んで帰って、大急ぎで水切りをして、ガラスのコップに挿したのが上の写真。なかなか美しいと思ったけれど、どうでしょう(ミースもコルビュジエもつかの間、日本の芙蓉の花を楽しんだのではあるまいか)。

テーブルの上が散らかっていないと、気持ちがいい(できれば、テーブルの上からものを無くしたいのですが)。でも、これだけのことを維持するのも案外むづかしいのです。放っておくと、すぐにものが散乱してしまう。だから、食事以外のことがしにくくなったのはいいことなのかも。それでも、やっぱり散らかりやすいのですが(どうしてなのだろうか。ものには、僕には見えないけれど、手足を出して動き回る秘密の時間があるのかもしれない⁉︎)。



* 急ごしらえの試作のまま。


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2022.11.05 夕日通信



#2-064 新しいNice Spaceのために 021

原点に帰って考える、我が家の惨状からの脱出 06

飾り棚をしつらえる 2


散歩の帰り、坂道の先の方を歩いていた人が立ち止まった。僕よりもさらに少しばかり年配の男性のようだ。そして腰を折って、腕を伸ばした。ああ、植え込みの間から伸びた花を手折っているのだ、と気づいた。アパートの入り口の前の道路沿いのツツジの間からは、いろいろな花が顔を出す。今はアサガオに似ていて、小さなテッポウユリのようでもある白い花のほか、ピンクと黄色のちいさな花などいくつかが咲いていて、彼はこの花を持ち帰ったのに違いない。それから、僕はいつから花を飾らなくなったのだろうと思って、軽いため息をついた(もちろんお金のこともあるけれど、それよりも気持ちの余裕がないのだ)。

そういえば宮脇檀が〇〇よりも花を買って帰ろうと書いていたのではなかったかと思い出したけれど、〇〇がなんだったかわからなかったので、探してみた(こういうことが、むやみに気になってしまうのです)。すぐ手元にあった本の中で見つかったのは、やっぱり花を買わなかったという話*。入院している時にもらった花を見た時の幸福感を維持するべく、花いっぱい運動を決意するも、退院時に持ち帰った鉢も残らず枯らしてしまい、結局続かなかったというものだった(やれやれ。でも、大家と言えども同じだということがわかりました)。

しかも同じコラムに、「いや本当にポケーとしていると一日ってものすごく早く過ぎんですネェ。(中略)。何かした実感がないのに二日、三日アッと云う間に過ぎてしまう」、とあった。僕の毎日がまさにその通りなのだ。ということは、気持ちに余裕がないばかりか、入院しているのと同じってことなのか、と呆然(そんな場合じゃないのに)。


飾り棚にろうそくの灯り

飾り棚にろうそくの灯り Ver 2

さて、今回も前回に引き続き飾り棚のことについて。前回に課題としてあげた高さの関係ではなく、ボリュームのことを考えて少し試してみた。すなわち、左の蝋燭の方にもうひとつ、ずっと前に海外からのお土産でもらった、香りのための蝋燭を置いた。まずは、左側にこちら向きに置いてみたけれど、奥や前に横置きするのもいいかもしれないので、ついでに試してみたのが下の写真。小鳥の位置を変えて、香炉も右に寄せた。

全体に暗いので、灯りが欲しいと思ったのだけれど、電源がないので、とりあえず小さな蝋燭を配して灯してみることにした。でもちょっとあかるさが足りない上に、炎の高さも不足(無印のものですが、どうしてかすぐにこうなってしまう)。これを、もう少し高さのあるものに変えてみるのもいいかもしれない(上の板に炎が当たるとまずいけれど)。これは次回以降の課題。

今回試したものは小手先のことで、前回のものとほんのわずかな違いしかないし(でも、楽しい)、抜本的な解決からの逃避のような気がしないでもないのですが、まあできることから。それに、『神は細部に宿る』と言うし(負け惜しみです……)。ま、少しずつ。完全を求めて躊躇するよりも、家の中を片付けるという大問題にはほとんど関わらない小さなことでもやる方が、まだマシなのだと言い聞かせているのです。


*『住まいとほどよくつきあう』新潮社、1986年



* 急ごしらえの試作のまま。


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2022.10.29 夕日通信



#2-063 新しいNice Spaceのために 020

原点に帰って考える、我が家の惨状からの脱出 05

飾り棚をしつらえる


ここ数日は、それまでとは打って変わって素晴らしい秋晴れが続いていますね(今日、土曜の朝はあいにく雲が多いけれど、これから晴れ間が出る予報)。文字通り雲ひとつない青空の日があったり、薄い雲が浮かんだり。空気は澄んでいるけれど、さほど冷たくもなく、日差しは暖かで気持ちがいい。

一方、その後の片付けがいっこうに進まない。ぼんやりとしているばかりで、起きてから食べて寝るまでの間は、音楽を聴いたりちょっとした書き物をしたり、たまにDVDを見たりなどしていると、何にもしないうちに1日が終わってしまう(おまけに、朝はなかなか起きられないし、昼間はすぐに眠くなってしまう)。これは歩かなくなって、体力が落ちているせいだろうか。それも無気力になっているのか(いうまでもないこと?刺激もないしね)。おまけに、むやみに情緒的な対応をすることもあるようだし……。そんな折、新聞に『老害の人』の広告が。当てはまりそうなことが、いくつかありそうです。もしかして、……⁉︎

これではいくら何でも困るから(というか、あまりにも情けないので)、本や雑誌その他を処分したり、移動したりして空いたスチール棚の一画を飾るスペースとすることを思い立った(狭い家における床の間の日常化の試み?)。小さなものを飾るスペースは、というかわずかに余った場所は他にもちょこちょこあるけれど、常に自分の目に入るところにもあればいいかもと思った次第でした。これを実行するにあたって、気をつけることは、次の3点。

1 余白を大事にする。
2 季節感を取り入れたものとする。
3 複数のものを配する。

1つめは、何と言ってもわれわれ日本人が古来大事にしてきた美意識。僕自身は、ちょっとこれに欠けるようです。で、今回は、これをめざしてみようと思う。

2つめも同様。しかし、環境の変化や空調機器の普及等々で、あまり気にすることが少なくなったようです。僕には、これもちょっとハードルが高いかも。

3つめは、利休の1点主義*もいいけれど、複数のものの配置の仕方で、見え方がどう変わるか、ものとものの関係について学習の機会とするのも面白そうです。

この他、スペースは床のように固定するのか、それとも桂離宮の月見台を間仕切る障子のように伸縮自在とするのか、まあこれはやりながら考えることにしよう。そして、何を並べるかということも問題(ほかのスペースとの差別化)。好きなものというわけだから、ガラス瓶かと思ったけれど、これはすでに似たようなことを試したことがある**ので、パス。はじめはあんまり考えすぎないようにして、まずは手近にあるものを使って実践してみることに。


空いたスペースを利用した飾り棚

で、その第1弾、というか練習編。見ての通り、真ん中少し奥に青磁の香炉を置いて、左に3色のロウソク、右手には豆皿と親子の小鳥3羽を配した(小皿の中には、拾ってきたドングリを入れた)のですが、どうでしょうね。そして、その部分を明確に区画するために、左には歳時記(『秋』の巻というのは言わずもがな。これも、気分の問題ですが)、右はセザンヌの画集を立ててあります。

ちょっと高さの変化が足りないようだし、真正面から見ることができないので、このことも考慮しなければいけない。課題はいろいろとありそうです。

冒頭に掲げた意気込みとは違って、たいしたことはしていないので恥ずかしいのですが、千里の道も1歩から。ま、少しずつ整えることを続けていれば、そのうちにペースも上がるかもしれないし、片付けに取り組む癖もつくかもしれない。


*豊臣秀吉が訪問を楽しみにしていた利休邸の庭の朝顔を、利休は全部刈り取ってしまい、そのうちの1輪だけを生けて迎えた、という逸話が有名ですね。
** 『モランディに倣う』というタイトルで何回か続けました。


* 急ごしらえの試作のまま。


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2022.10.22 夕日通信



#2-062 新しいNice Spaceのために 019

原点に帰って考える、我が家の惨状からの脱出 04

棚は、生きざま


無職になって以来、メールの数はめっきり減ったけれど、時には、大学の同級生たちが腎臓やら膵臓やら肝臓やらあちこちの不具合を抱えていることを知らせも入ってくる(既に亡くなった同期生を含めると、かなりの割合です)。先日定期検診の時に、ずっと肋骨の下あたりが痛むので、このことと一緒に医者に伝えたら、「70歳の壁は越えたから、今度は80の壁だね」などと脳天気なことを言うのでした。

なんの時だったかアマゾンを見ていたら、『BRUTUS』のバックナンバーの紹介が目に止まった。だいたい、最近のメールはアマゾンからのものがほとんどなのだ(メールが多いのも閉口するけれど、これはこれでちょっと寂しい)。だから、きっと「お客様におすすめの商品」かなんかを見たかしたのだろう。


『BRUTUS』2022年8月15日号

2022年8月15日号の特集は棚、「棚は、生きざま」のコピーが添えられていた。まさに、僕のことを言っているような気がした(ただ、もともと「死にざま」という言葉はあっても、「生きざま」という言葉はないようなのですが)。だから、さっそくボタンを押しました。勤めをやめてから、なぜか雑誌を買わなくなっていたのだ(社会の流行に無関心になったのだろうか。だとしたら、まずい)。その近くにあった『居住空間学2022』も気になったけれど、もしかしたらこちらは手に入れたのかどうか*(これって、買うだけで満足しているってことなのか?ますます、まずい気がしてきます)。

僕はこれまで、ずいぶんたくさんの棚をしつらえてきました(大学院の時には、壁一面が本棚の住宅を設計したりしたけれど、たいていは、自分のために)。そのほとんどは、ありあわせというか手元にあったものを利用したものですが、中にはちゃんとデザインして作ってもらったものもある)。これらのほとんどはもう掲載済みなのですが、、使い方が変わったり、ものが増えたりして違う姿になっているものもある(しかも、片付かないままで、恥ずかしい)。


食器棚と本棚

既成の棚2つの組み合わせ

自分のためのもので、いちばん大がかりなものは(と言うのは、ちょっと大げさ)、いまの住まいに越してきてからつくった、壁一面の食器棚と本棚。そして、しばらく後のダイニングキッチンと居室を分けるためのカウンターくらい。あとは、大学生の時に製作したロの字型の箱もいまだに使っています。こちらはただの箱だけれど、工房があったので、組み継ぎになっています(友人たちの中には、リートフェルトのレッド・アンド・ブルー・チェアを作るものも何人かいました)。

もともと不器用な上にめんどくさがりなので、それからはだんだん簡素になるばかりで、板とブロックの組み合わせがほとんど。ある時に思い立って、オーディオ機器のために1辺が2枚重ねになった箱状のものをつくろうとしたけれど、治具がないためにどうしてもずれてしまうのでした。だから、半ば必然的に板とブロック(端材や発泡スチロール製の時もある)の組み合わせにならざるを得ないのです。これの欠点は、見栄えがしないことがありますが、それよりも何よりも、簡便なためにいつのまにか増殖してしまうということがあるのです。

でもまあ、こうして考えてみると、僕の棚と人生は、ほとんど間に合わせのような気がしてくる(ああ……)。棚は、まさに『BRUTUS』が言うように、暮らし方、生き方を正しく反映したものなのかもしれない(ちょっと寂しい。いや、かなり寂しい)。

こんなふうな生き方は、今からでも変えなくちゃと思うけれど、棚は変えられないかも。これは、もちろん経済的な理由が大きいことは言うまでもないのですが、やっぱり好きなのだと思います。とくに、置き家具や解体できる棚は、当然のことながら動かせるので、軽みを感じさせて好ましい。家にあるものは決して褒められたものではありませんが、もはやすっかり馴染んでしまったようなのです。


* 探してみたら、ありました(ま、安心したけれど、果たしてこれって喜ぶべきことかどうか)。



* 急ごしらえの試作のまま。


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2022.10.15 夕日通信



#2-061 Nice Spaceのために 002

「折々のことば」から

例外をつくり出す


急に寒くなりましたね。気温は、一挙に2ヶ月ほど進んだようで、外に出たら寒いのにびっくりしました。一気に気温が下がった木曜の朝は、毎日咲いていた芙蓉の花も驚いたのに違いなく、完全には開ききれずに、半開きのままでした。今日は、また最高気温が20度台になるようですが。

今回は、このところ気になった言葉からです。

私たちは未来を植民地してきたのだ(ローマン・クルツナリック)*
現代人は「現在時制の中毒」と英国の思想家が言っているそうです。時制の「今」だけ主義は我が国の伝統ですね。日本の国語は時制があるにもかかわらず、今だけ。一方、中国語は時制がなのにも関わらず過去と未来も重要なようです。

我々は先祖から土地を受け継ぐのではない。子供たちから土地を借りるのだ」(アパッチの格言5**
R・クルツナリックは、北米のこの民族の言い伝えを引き、私たちが「よき祖先」であったかを最終的に評価するのは、未来のすべての子どもたちなのだと言う。遺産とはつまり、「残す」ものでなく、家族や労働者、市民皆で「育てるものだ」ということだと鷲田清一は解説している。

すごいですね。昔の人たちの思想、というのか生きるための知恵という方がいいかもしれないけれど、本当にたいしたものだと思う。すごいといえば、8月に読んだ記事を今取り上げるというのもなかなかです(とほほ)。

プロジェクトという概念は……例外状態をコンスタントにつくり出すことです。(磯崎新)***
人が陥りやすい思い込みや慣行からいったん離れて、いわば空白地帯に立ち返って考えることが必要で、それを実現するための仕掛けについて語ったもののようです。

なるほどと思って、やっぱりかつて世界のスーパースターとして活躍した人の言うことは常人のそれとは一味違う、と今さらながら感心しました。プロジェクトは、単なる大規模事業や計画ということではなく、実験的試み、すなわち、これまでと違う新しさや例外を生み出す計画ということなのだね。

ウィキペディアのプロジェクトの項を見てみると、語源はラテン語の pro + ject であり、意味は「前方(未来)に向かって投げかけること」である、とあったが、磯崎の定義からすれば、これももはや慣行化した言い方ということだろうか。


『ザ・ピーク』案

その一つが、ザハ・ハディドを見い出した香港のビクトリア・ピークに建設されるはずだった高級レジャー・クラブのためのコンペではなかったか。このコンペにおいて、磯崎は落選案の中からハディドをすくい上げたと言われているけれど、事業者の都合で、結局実現しなかった。それでも、超モダンというべきか、ポストモダンというべきか、いずれにせよそれまでの建築のあり方をそのまま引き継いだものとは様相を異にしていた。すなわち、時の常識から外れた、「例外」をつくり出そうとするものを選ぼうとしたのだということだろうと思います。


ただ、だからと言って、デザインに求められることが、常に、全てにおいて革新的な新しさを優先するというものではないだろう、とも思います。実験的な住宅がそこに住む人々に喜びを与えるものとなるかどうかは不確実、というかむしろ苦痛を強いるものになることが多いようでもある。しかし、実験的な試みがなされない限り、変化もまたないのだ。どちらの立場に立つかは、デザイナー(あるいは、住まい手においても)の志向によるのだろう。

革新的な変化をめざさない者にあっても、ただ「過去」を繰り返しなぞるばかりではつまらないはずだし、デザインするということはそういうものではないだろうと思う。「過去」にごく小さな工夫を盛り込みながらつくろうとしないなら、続けることは困難なのではあるまいか。(このことは、天才も凡才も、確信をめざす者も快適さを求める者も変わらない)。

ということは、この二つの立場は、デザイン、または創作する際の意図や意志の行方の違いによって異なるものの、基本的な取り組みの姿勢は変わらないのではないか。すなわち、天才や野心家は革新的な変化を与えようとするのに対し、誠実な凡才は小さな改善をつくり出そうとするのだ。

こうしてみると、クルツナリックの見方も、常識的な枠組みから離れたからこそ生まれたものだということがわかる気がします。僕のようなものでさえも、このことを忘れるわけにはいきません。


*  朝日新聞朝刊2022.08.04
** 朝日新聞朝刊2022.08.05
*** 朝日新聞朝刊2022.09.29
**** 画像は、WEBサイトCINRAから借りました。



* 急ごしらえの試作のまま。


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2022.10.08 夕日通信



#2-060 Nice Spaceのために 001

新しいカフェ2つ

おしゃれじゃない!


自宅の片付けは遅々として進みません……(とほほ)。僕が取っている新聞には月末近くになると一枚の月間カレンダーが入ってくるのですが、久しぶりに晴れた日の朝の新聞を開くと、もう入っていました、10月(!)のカレンダー。驚きました。そして今日は、まさしく正真正銘の10月。それにしても早い。このところことあるごとにそう書いているようですが、本当に早い。残りのカレンダーは3枚。この調子だったら、1年はおろか、うかうかしていたら10年だってあっという間に終わってしまいそうです。

その少し前のこと。テレビを眺めていたら、人口300人の島にカフェを作ろうという取り組みが紹介されていました。島民と観光客が交流する場所がなかったので、無いのなら作ろうということで農協が発案した。オープン前の室内を映して、ナレーターは興奮気味に、「おしゃれー!どこだと思いますか?代官山?自由丘?」というようなことを叫んでいたのでしたが……。

企画から運営、料理と接客の全てを任された3人の女性スタッフが心配しながら迎えた開店当日、すでに何組かのお客の姿があった。その中にはHPを見て来たという観光客も。心配は杞憂に終わって、無事にスタートを切れたということですね(よかった)。何よりでした。ただ、お客がご飯を食べる姿が映し出された時は、ちょっと残念だったな。テーブルとソファの組み合わせのようだったのですが、テーブルが低くて、食べる姿が美しくないのです。思わず「おしゃれじゃなーい!」と、まるで今時の若者のように口にしてしまいました(ああ恥ずかしい)。


お腹がくっつく!


何がいけないと思ったかというと、テーブルが低すぎるために、お皿と食べる人の距離が遠くなって、料理をお箸で取ろうとすると、腕を伸ばしながら腰を浮かせたり、体ごと伸ばさないといけないのだ。お腹が太ももにくっついて、いかにも窮屈で、苦しげなのだよ(ダメですね)。少し前から家庭でもソファに座って食べるのを見かけるようになりましたが、紀行番組やドキュメンタリーなんかを見る限りは、ヨーロッパでよく見られるようです(狭いせいですね)、アレと同じです。おしゃれを追求するあまり、ちょっと視野が狭くなってしまったね。

その翌日だったか翌々日だったかに見た、北陸の港町の元網元の住宅を引き継ぐために開店したというカフェでも、同じような光景が出現していました。和室に合わせたローテーブルと、たぶん楽に座れるようにという配慮から置かれたに違いないソファ、この二つの高さが合っていないのだ。このため、卓上の食べ物をとって食べようとすると、やっぱり体ごと伸ばさなければならない。お年寄りは「こんな(おしゃれな)ところで食べられるなんて、幸せ」というようなことを言っていましたけれど。

おしゃれで素敵な空間にしよう、あるいは楽に座れるようにしてあげようという、その志やよし。とは思うけれど、空間のデザイン、というか家具の選択を誤った。残念ながら、NICE SPACEとは言えないようです。室内の見た目や雰囲気には留意したけれど、実際に使われた時のお客の姿のことにまでは想像が及んでいなかったのだね。デザインする際に陥りやすいワナだ、という気がします。気をつけなければいけません。「差尺」という言葉があることを思い出して欲しいね。

そもそも、食事用の椅子とくつろぐためのそれとは、作り方が違うのだ。全く別物です。食事用の椅子は座面はほぼ平ら、背もたれもほとんど垂直で、背中がまっすぐになるようにできています。一方、ソファはこれに対して、座面は奥の方が少し低くなっていて、背もたれも斜めになっていて、くつろぎやすい姿勢になるように出来ているのが普通です(コルビュジエのLC2・3などは例外)。だから、ソファは食事をするには向かないというわけ。さらにテーブルが低いとなれば、食事用としては最悪の組み合わせ。

カフェブーム以来、レトロやらモダンやら様々な「おしゃれー」なカフェが人気で、いたるところに存在しているようです(と言いつつ、僕自身は外でコーヒーや紅茶を飲む習慣がないので、聞きかじりなのですが)。外観やインテリア空間のありようだけじゃなく、お客のの食べたり飲んだりする時の姿、佇まいまでを含めて考えられていたらいいのですが。

それで、歩き疲れた時はどうするのかといえば、もちろんビールに決まっている。そして席はといえば、ゆったりとくつろげるテント席かテラス席、それがなければできるだけ窓際を目指すのであります。



* 急ごしらえの試作のまま。


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2022.10.01 夕日通信



#2-059 新しいNice Spaceのために 18

まずは自宅から 12

原点に帰って考える、我が家の惨状からの脱出 番外編 03



自分の家の状況の報告を読んでもらうだけでは申し訳ない気がするので、インテリアを考えるときに幾らかでも役に立つかもしれない(?)ことを。まあ、本編で書いたことの繰り返しに近いのですが(やっぱり教師の時の癖が抜けないままのよう……)。一つは、家具の足元と床の関係、二つ目が家具とガラスの窓や壁との関係です。

家具の足元と床の関係というのは、面で接するのか、それとも点または線で接するか。すなわち、家具と床の間に隙間があるかないかということ。

前回、長年の懸案がようやく解決したと書いたのはこのことで、最近までは自作のオーディオラックの底面が床に直置きされていました。これはこれで理由がなくはなかった。すなわち安定性の確保と、板鳴りの防止を考えたせいでした。


ラックの底面と床が密着

ラックの底面と床の間に隙間

しかし、これがどうにも気になって仕方がなかった。すなわち、軽みが感じられない。すっきりして見えないのです。当然、広がりも感じにくい。ラックと床の間に隙間を設ければ、解消するのはわかっていたのですが、何しろ動かすのに手間がかかる。重いし、配線をやり直すのも面倒(やれやれ。こんなことではいけません)。それが、専用のラックが手に入ることになって、ようやく重い腰を上げたというわけでした。そのせいで、ずいぶんすっきり見えるようになった(と思う。本当ならば、コンクリートブロックではなく、ちゃんとデザインできればよかったのですが……)。

ただ、いいことばかりではありません。隙間があるせいで、塵やホコリは溜まりやすくなる。こまめに掃除しなくてはなりません。どちらを優先するかということですね。大昔、学生の頃に住宅の内装をデザインする機会があった時に、棚の上部に幕板を張るか張らないかで建主と意見が分かれたことを思い出しました。建主の気持ちとしては、少しでも掃除の手間を減らしたいということがあったわけです。

このことについてスティーブ・ジョブスは、初期のiPodのステンレスの背面が指紋が付きやすいというクレームがあった時、「毎日愛でるように拭けばいい」と言ったそうです。まあ、程度にもよるかもしれないし、人それぞれでしょうが、僕は基本的にジョブス派です。手間と見た目の両立を狙うなら、幕板や台輪をできるだけ中に入れることになるでしょうか。

二つ目は、ガラスの窓や壁の前に家具を接して置いてはいけない、ということについて。これは、例えば学生の課題の講評の時には必ずと言っていいほど指摘されることです。せっかくの透明のガラスの良さを殺すなということですね(ここに家具を置くつもりなら、なぜガラス面にしたのでしょうね)。外側からも家具の背面、たいていの場合、見られることを考えてデザインされていません、が見えて好ましくない。家具を置くときは、少し離しておかなければいけません。というのが、教科書の教えるところです。そうすることで、ガラス面を家具で塞ぐことを避けられるというわけです。

掃き出し窓の前に置かれた机

にも関わらず、僕の家では、小さなテーブルのみならず、棚までが置いてある。間違い?もちろん置かないで済むならそれが一番いいのですが、背に腹は変えられないのです。屋外で食事をしたり、飲んだりするのが好きなのですが、テーブルを置くにはベランダはあまりにも狭いし、出しっ放しというわけにもいきません。そこで、上記のようになったという次第。窓を開け放てば、ほぼ外です。

棚を置いたのは、外を見ながら本を読んだり書き物をするため。これは仕事としてではなく、楽しみとしてするのだから、壁に向かってやりたくはない。食卓でやるのもいいのですが、気分も変えたいということで、そのために棚まで置くことになってしまったというわけです(おかげで、本来のワークスペースはほとんど使わずじまい)。ただ、足の入るところの奥行きが狭くなってしまったのは、例のごとくあるものを利用したせい。

こちらもやっぱり、どちらの利点を取るかということですね。どちらを優先するにせよ、そのことによって生じる欠点は、できるだけ小さくすることを考えればよい。僕の場合、そのための工夫というと、掃き出し窓の下の部分を視界を遮らない高さで、防湿のためのシートを貼って、ブラインドは机の上までとして、いつでも全開にできるようにしてあります(カーテンは、スピーカーに直接日差しが当たらないようにするため)。とはいうものの、できれば棚の部分は最小限にとどめて、もう少しすっきりさせるのと快適さを向上させたい(次の課題です)。

たいていのものには、利点があれば、欠点もあります。したがって、さまざまな場面で、住まい手はどちらを優先するか決めなければなりません。だからこそ、住まいに対する関心を持って、そのありように意識的であることが大事だという所以です。

定石は尊重する方が良いと思うけれど、絶対としてはいけない。なんと言っても、インテリアはそこで暮らす人こそが主役なのだから(と考えるのです)。



* 急ごしらえの試作のまま。


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2022.09.24 夕日通信



#2-058 新しいNice Spaceのために 17

まずは自宅から 11

原点に帰って考える、我が家の惨状からの脱出 02


片付けに取り掛かったばかりだけれど(とはいうものの、撤去が完了してからもう2週間以上が経った、早い!)、こうやって改めて比べてみていると、物が増えたことに今更ながら驚きます。

それにしても、増えすぎではあるまいか。なぜ、こういう状況になってしまったのか。

増えただけじゃなく、いつの間にか整理や掃除に手をかけなくなってしまっていたのだろう。それでなくては、いくらなんでもこんな風にはならなかったはず。そうなった理由は、いくつか思い当たらないないわけでもないのですが(やれやれ)。

で、初心に戻って考え直すシリーズの第2弾は、オーディオとビデオ(AV)を楽しむ場所。僕は映画やドラマ、ドキュメンタリー、そして音楽をいつも身近に楽しめるような環境が欲しいのです。やっぱり前回と同じ画角の写真が撮れませんが、これは、カウンターの上がものに占められているせい。カウンターを作った時から比べてみても、変化が大きい。A&Vや料理を楽しむために設備機器類が増えるのは、まあ仕方ないけれど、不要なもので占められてしまうのは困る。「取っておきたがる病」は早く治さないといけません。命取りになってしまいそう。


最初期

中期

現在(暫定)

当初は動かないものは奥の棚だけだったのが、今では3方を(掃き出し窓の面でさえ)什器で占められるようになってしまった(ただ、写真ではわからないけれど、ずっと気になっていたオーディオラックと床の関係は、最近になってようやく解消した)。

それぞれの機器類については、配置換えや機種の入れ替えは、これからもいくらかはあるかもしれない。しかし、もうこれ以上増えることはないはず、というか増やしたくない(いや、減らさなければいけない)。これは自分の年齢を考えてということもあるけれど、それよりもものとの向き合い方の変化が大きい。新しいものよりも、使いこなすということの方が重要な気がするのです。

例えば、スピーカーはテクニクスの平面スピーカー、タンノイ、BW、譲り受けたKEF、そして今はハーベス。テクニクスを除くと英国製、新しい製品ばかりというわけでは無いけれど、だんだんウーファのサイズも大きくなってきた。最近になってまた、レコードを聴くことが増えてきたが、盤面に傷がない時の音はCDに比べると温かく柔かみがあるようで、とても心地よい。

テレビが無い時もしばらく続いていたのだけれど、大きい画面のものになった(たまに昼間でも映画を観たくなるときがあるし、世界旅行に出かけたりもしなくてはならないのです)。

もう一つ、これを楽しむ時の椅子は、現在はMRチェア。最初は、貰いもののNYチェアだった。ついで、モーエンス・コッホの折りたたみ椅子、LC3(ソファ)、ハードイチェアもどき、そして今のMRチェア。これが実は、ちょっと上手くない。座面が高く、平らであることに加えて革が硬いし、おまけにアームレストがない。くつろいで音楽や映画を楽しむのにはちょっと不向き。LC3をなだめることを目指すべきなのか。こちらも、座面が高く(もしかして、足が短いのか?)、ちょっと硬く馴染みが悪い上に、深く座って寛ぐことがむづかしいのです。

自分の要望にあった新しい空間を手にれることはもちろん望ましいことだけれど、いまの空間を使いこなせなければ、結局同じことではないかという気もする(負け惜しみもありますが、本心でもあります)。

若い時ならば、自分の生活に合った空間を新規に手に入れる方が早いかもしれない、しかし歳を取ったらならば、空間を自分の生活に合わせるべく変えていくしかないのではあるまいか。もちろん、新しいものを手に入れることがむづかしくなることもあるけれど、変化も少ないのだからその分、工夫で乗り越えられるのではないか、その余地があるのではないか、(というか、そうすることが現実的なのかもしれない)という気がするので、頑張ろうと思います(ま、生きている限り。今のところは、そうするよりない……)。

さて、どのくらいできるのか。だいたい、我ながら呆れるほど、整理整頓や掃除が大の苦手なのだよ……。



* 急ごしらえの試作のまま。


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2022.09.17 夕日通信



#2-057 新しいNice Spaceのために 16

まずは自宅から 10

原点に帰って考える、我が家の惨状からの脱出 01


『海ちか』プロジェクトからの撤退作業は、周りの人々の助けのおかげでなんとか終えることができたものの、当たり前のことですが、その分我が家にはモノが溢れることに(ただでさえ多いのに!)。いっぺんには無理なので、毎日少しずつ、片付けていかなければいけません(頼りといえば、例の『大盛り焼きそば理論』だ)。

それで、初心に帰るべくちょっと恥ずかしいけれど、職を得てここに越してきた時のこと(実は、それ以来、一度も引っ越していないのです。怠け者のせい⁉︎)を振り返ってみることから始めようと思った。

引っ越してきた時には、初めて自分の好きなように手を入れられると思って、嬉しくてつい調子に乗ってしまったところがある。前橋から車を飛ばしてきてくれた友人とその仲間が、1日でやってくれた*。何と言っても、家賃1万5千円の木賃アパートから、7万4千円のRC造のテラスハウスに移ってきたのだ(不動産屋さんからもらった図面には、鹿島建設とあったけれど、もしかしたら鹿鳥建設だったのか?)。インテリアにかけられるお金はなかったけれど、モノも少なかった。


最初期

まずは、窓際の部分(一部)から。当初は、宮脇理論に従って、朝食は朝日の当たるところでと思っていたので、窓際のゾーンに作ってもらったテーブルを置いた(いわゆるDKですね。その頃は、天板をできるだけ薄く見せようとしていた)。モノも家具も今とは違って、圧倒的に少ない。それにしてもずいぶんさっぱりしている(30数年の澱は、やっぱり手強いね。案外、文章もそうなっているのかも。警戒しなくてはいけません)。


現在**

いまは、モノが増えたこともあって(もはや住まいに占めるものの量の多さでは、あの名作『中心のある家』にも負けてないかも⁉︎)。テーブルは移動したかわりに、簡単な食事や書き物ができるような、もともとは外に持ち出すつもりだった小さな机を置いています(外を見ながら、というのは何かと楽しいし、嬉しい)。正面の棚の上の照明は、カスティリオーニよりもEGGSを。しかも、長い間ソファ不要派だったのに、置くことになってしまった(イタリア製のLC3のレプリカ)。相変わらず、「あるものを流用しながら」になってしまっているけれど(これは、たぶん、経済と性格の問題ですね。なかなか解消しません)。

とにもかくにも急いで、一部屋(というか、一画)だけ、せめて目に入るところだけでも、片付いて見えるようにしなければなりません。そう思って、せっせと片付けなければならない。まずは、リビングというかAV用のゾーンから始めることにした。その時の音楽は、やっぱり元気な曲の方が合っているようです。で、毎度おなじみのペット・ショップボーイズのCD(ふだんは、まず聴くことがありません)をかけながら。

でも、ずっとやっていると、飽きるし、疲れます。で、映画を観たくなる時がある。

そして、元気を出したい時の映画は、断然ハッピーエンドのもの。底抜けにあかるくて楽しめるものに限る。ただ、そうした映画というのは、ありそうでなかなか見当たらない気がする。こないだは、そうした貴重な定番の一つの『踊れトスカーナ』、トスカーナのひまわり畑のような映画を観て気を晴らしました。

まあ、CDDVDも手元にたくさんあるけれど、手に取るのはだいたい決まっているのだね。だから、所有するというのは、常に参照する必要があったり、系統立てて聴いたり観たりする必要がない限り、ただの所有欲を満たすだけなのかもしれません。少なくとも、僕の場合、無くては困るというものはほとんどないようです。

少しずつ、頑張ります。何もしないままになることを避けるための宣言、であります(目指すぞ、有言実行)。


* 後からわかったのですが、元々の施工が悪かったらしくて、どこも床が傾いているのですが、この時は急いでいたせいで、十分な下地を作らないでやってしまった。今となってはもはや遅いのですが、もう少し時間をかけてやればよかった。
**上の写真と画角が異なるのは、モノが多すぎて同じようには撮れないせい(やれやれ)。



* 急ごしらえの試作のまま。


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2022.09.10 夕日通信



#2-056 新しいNice Spaceのために 15

まずは自宅から 09

番外編 翌朝は驟雨


朝は雨

 完全撤退を終えた翌日9月1日の朝は、曇りからにわかに空が暗くなり、雨が降りだした。あたりはみるみるうちに濃い灰色となって、時折、雷鳴の轟く音も聞こえる。いかにも驟雨という呼び方がふさわしいようだ。しかし、かなたには、白く光る雲も見える。やがて、雨はやみ、雲間から青空がのぞいた。それから、陽も射すようになっていった。

 31日はガスの停止に立ち会うために約束の3時より少し前に到着した。当然のことながら、椅子も飲み物も何もないから、退屈を紛らわせるために階段に腰掛けて、思いついたことを手帳に書き付けるくらいしかすることがない。それにも飽きた頃、待つこと45分、3時30分頃にガス屋さんが到着。

「こんにちは」
「どうもありがとうございます」
「裏に回っていいですか」
「どうぞ」
 彼はすぐさま裏に回って、メーターのところで作業を始めた。たいてい、彼らの動きは素早く、無駄がない。
「終わりました」
「もうおしまい?」
「ええ」
 あっという間に完了したのだった。その間、およそ5分。

 それでも立会いが必要なわけは、敷地に勝手に入ることが出来ない(特に、門扉がある場合はそうでしょうね)、もう一つは稀に、外での作業だけでは完了しない場合があるらしい。

 ガス屋さんが帰ってしまうと、また退屈になる。それで、何か忘れているものがないかと思って、もう一度冷蔵庫やシンク周りを点検した。すると、冷蔵庫には練りからしとおろしニンニクのチューブが、そしてシンクにはスポンジが1個残っていた(やれやれ)。

「こんにちは」
 K先生がやってきた。なんでも、朝から4時まで会議だったという。
「こんにちは」
「大家さんは、まだですね?」
「はい」
 K先生は、状態を確認するでもなく、所在無さげに歩き回る。
「一応、念のために確認しておきました。冷蔵庫とシンクに忘れ物がありました」
「はあ」
「もう一度、見えるところだけでも綺麗にしましょうか?」
「そうしますか」
 で、2人で確認しながら、床のゴミを拾ったり、もう一度掃除機をかけたりした。その気になれば、案外見落としていたところがあるものだ。

 しばらくそんなことをやっていると、外から声が聞こえた。約束の4時30分ぴったり、大家さんが到着したようだ。玄関ホールで出迎えると、大家さん夫妻ともう一人。
「お世話になりました……」
 と挨拶をしたが、返事がない。奥さんが、すぐにもう一人の人に
「まず3階から」
 と声をかけて上っていく。皆で状況を確認するのかと思い、K先生共々ついていった。


白く塗った壁

 まず3階の部屋(痛んだ壁紙を剥がしてペンキを塗って、僕が借りていた)を見ながら、不動産屋さんだかリフォーム屋さんらしき人には「ここはリフォームされてますけど」とかなんとか色々と説明するのだが、我々には相変わらず目もくれない。2階に下りても、変わらない。まるで、我々はそこに居ないかのようだ。1階に降りて全てを見終わったあとで、ようやく
「それでは、鍵を…」
 と声がかかった。しかし、そのあとはやっぱり何もなし。これだけ。我々は戸惑いながら、鍵を渡した。これでおしまい。この間、旦那さんの方は一言も発しなかった。その後奥さんは、また業者との話に戻っていった(メールでは、「(5年契約のはずが僅か1年ほどで解約となったことに対して)ご迷惑をおかけすることになりすみませんでした」あったのは、なんだったのだろう?)。

 しかたなく、2人共に顔を見合わせて、退散することにしたのだった。外に出ると、
「ひどかったですね。何か一言あるかと思っていたのですが、……」
 とたまらず、K先生が言う。
「確かに、ちょっとあんまりでしたね」
 と僕。残念ながら、最後の最後になって、ダメを押すかのように、極めて気分の悪い思いをさせられたのだった。おまけに、大きなレクサスも、駐車スペースは余裕があったにも関わらず、我々の車の出やすさのことは全く考えていないような停め方だった。
「もう少し下げとけよ」
 思わず、僕は小さく毒づいた(坊主憎けりゃ……、という感じでしょうか。人間ができていないね。反省)。

 だから、その翌朝の雨は、恵みの雨のようで、ありがたい気がしたのだ。部屋を借りてから昨日までの必ずしも愉快なことばかりじゃなかったこと(とくに大家さんの対応)が、これで綺麗に洗い流されるだろうという思いだったのだ。これからはさっぱりした気持ちで、新しい生活に取り組めそうだ。さあ、やろう(ただし、少しずつ)、という気持ちになった。

 その後、空模様は結局、快晴というまでには至らなかった。それでも青空が広がった。まあ、このくらいが、ちょうどいいのかもしれない。その夜僕は、『八月の鯨』を取り出した(90歳のリリアン・ギッシュがバラの花を摘み、埃を払う場面を観るために)。



* 急ごしらえの試作のまま。


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2022.09.03 夕日通信



#2-055 新しいNice Spaceのために 14

まずは自宅から 08

撤退作業はほぼ完了か⁉︎


ニュースを聞いていたら、オオタニサンが所属するエンゼルスの売却の話があるらしい。現在のオーナーが2003年に取得した時の買収金額はおよそ1.9億ドル、そして現在の価値は22.9億ドルに上るという。まあ、経済優先、今が売り時ということでしょうか。それにしても、アメリカの球団の市場価値も選手の年俸も桁違いで、ちょっと不思議(というか、とくに個人の所得としてはいくらなんでも、行きすぎではあるまいか、という気がしますが)。

今週の水曜日には、予告通り約束していた強力な男性2人組が片付けボランティアとして参戦してくれた(もはや戦いなのだ)。一人は引越しに慣れた名人で、率先して自ら動くだけでなく、次々に指令を出してぼんやりしている僕がやるべきこと教えてくれる(くたびれていて、いつも以上に判断力が働かず、何をすれば良いのかわからなくなって、ぼんやりと立ちつくしてしまうのです)。もう一人は若いせいか、とにかく動きが軽快だし、自発的に進めてゆく(若いというのはいいなあ。重いものも苦にしない)。


1階に下されたもの(一部)*

おかげでその日のうちに、たいていのものが1階に降ろされ、持ち帰るものと不要物との仕分けもほぼ済んだ。あとは、粗大ゴミをはじめとする不用品の処分と、運び込むものを収容するスペースを家の中に作り出すことができるかどうかだ。まずは一旦収容し、快適に暮らせるようにしつらえるのはその次だ。徐々に取り組めばいい(焦りは禁物。闇雲に急いでも、いいことはない。悠々として急ぐのだ)。

できるだけものを減らし、所有するものはきちんと使い切るという姿勢で臨みたい、というのがただいまの気持ちなのであります。ものを捨てるというのは、常に何が大事で何がそうでないかということを意識するということで、相対的な自分の価値観の位置を自覚しながら暮らすということになるだろう、と思います。


ほぼ運び出された後

そして金曜には、本棚のような大物の粗大ゴミを、助けを借りながら集積場へ持ち込んで、処分した。残りの粗大ゴミは、適宜回収してもらって捨てていくようにすればいい(これは自分一人でもできそうだ)。実際のところ捨てるのにもけっこう物入りだし、規則もあんがい厳しいのです。ゴミ以外のものも、無事に家の中になんとか収めることができた。これで、引き取られていくものと少しの積み残し分があるだけで、撤退作業はほぼ終えることができた(と思う)。やっと一安心。たぶん、今晩からはゆっくりと眠れるのではあるまいか(そうあってほしい)。

ただ、家の中は大混雑。足の踏み場もないほどものが溢れています。ここには、収集日を待つゴミも含まれているのですが、それにしても、まだまだ減らす必要がありそうです。本でいうなら、ほぼ本棚8本分の量をほぼ1本分にして、それでもいくらか余裕がある(もう少しとっておけばよかった)。

ともあれ、やることはまだまだあります。家での作業は、基本的に一人でやることになるから、今まで以上に忙しい日々が続く。たぶん、ボケる暇もないはず。しかも今度は、その分の見返りがある。お楽しみはこれからだ、という気持ちで頑張りたいと思います。

木曜日には頭の再検査に出かけてきましたが、幸い前回に比べてとくに変わったところはないということだった。ついでに、まったく暗算ができないこととの関係を訊いてみたのですが、やっぱり関係ないらしいです(ま、大きな問題がなくてよかった。ちょっと、安心)。


* またまたカメラを忘れたので、写真は金曜日に撮ったもの。



まだまだ募集中ですが、残りの仕事は最終仕上げ。いよいよ残るところあと数日です。有終の美を飾るべく、やさしい心と時間のある方はぜひ、こちらまで、確認がてら気楽にどうぞ。


* 急ごしらえの試作のまま。


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2022.08.27 夕日通信



#2-054 新しいNice Spaceのために 13

まずは自宅から 07

幸福度と住まい


まだまだ暑いですが、昨日は湿度が低くてよかった。赤帽さん2台の助けを借りて、本棚の搬出・搬入作業を終えることができました(大いに助かるけれど、その分出費は大きい。とほほ)。それにしても疲れた……。

その数日前のこと。

「幸福度の高い国は、必ずしも経済力や物質的に豊かな国じゃないですよね」
「たしかに。一時はブータンが1番だったよね」
「ええ」
「何が幸せだと思う?」
 僕たちはその時、どういう弾みだったのか、幸福について話していたのだった。
「同じような価値観を持っている人たちの中で暮らせればいいなあ、と思っています」
「うん。物質的に豊か、あるいは経済力ということじゃなくて?」
「はい」
「へえ」


幸福度を高める要因*

「こないだ、幸福について何十年も研究しているというハーバード大学(注:もしかしたら、スタンフォードだったかも)の論文を読んだんです」
「へえ」
「まだ、日本語の抄訳しか読んでいないんですけど」
「うん」
「価値を共有する人々とともにあることが幸福度が高い、というようなことが書いてありましたが、私も同感なんです」
「なるほどね。ひとりじゃないって思えるような、互いに理解し合える仲間がいるといいよね」

 そして僕は、後輩が退職した後に言っていた言葉を思い出して、伝えた(彼はそれまで、5分で決断しなくてはいけないことが続くような、厳しい役職の生活をしていた)。
「毎日ちゃんと掃除をする、植物を育てる、散歩もするというように、日常のなんでもないことを手を抜かずにきちんと続けることが喜びになるし、ていねいに暮らすということじゃないですかね」と、彼は言ったのだった。
「ルーティーンを大事にするということでしょうかね」
「特別に何かをする、人にできないことをやる、というようなことじゃなくてね」
「ええ。私も、ささやかな幸福が得られれば、それでいいように思います」
 僕は、若いのに……と思って、大いに感心した。

 それから、ふと能力や才能のことが思い浮かんで、付け加えた。
「ふーん。そういえば、辻調理師専門学校の創始者の辻静雄が、『能力というものは、自分が持っているものと考える筋合いのものではない』と言っているらしいよ。『能力は、その人の仕事ぶりを見ている人が測ってくれるものなのに、人はそこを勘違いして、努力が報われないとつい他人や社会のせいにすると』**も」。似たようなことは、かつて日本一の鮨職人と謳われた名人小野二郎も言っている。
「はい」
 素直に、賛同した様子だった。

 ただそういった言葉を紹介しながら、僕自身はそのこと自体には感心もし、素晴らしいとは思うけれど、なかなかそういう気持ちになれない心境で過ごしてきた。
「でもね、あの『短編画廊』の編者のローレンス・ブロックは、多くの人は『あなたの自己規律が羨ましい』とは言うけれど、誰ひとりとして『あなたの才能が羨ましい』とは言わない***、と言っているんだよ」
「はい」
 またも、素直にうなづいた。
「僕は、この歳になって恥ずかしいけれど、才能がある人や経済力がある人が羨ましいと思うんだよね」
「はあ」
「もし経済力があれば、この本を処分しなくてもいいし、人が集まれるサロンだって運営できるかもしれない」
「ええ」

 その時僕は、これからの可能性に満ちた人生をいよいよ始めようとする、若さに対する嫉妬心があったのかもしれない。

 僕は、聞きかじりのことをただ伝えるだけで、独創性に欠けるし、理解するのも遅い。見かけもさえない。愛嬌もない等々、人に好かれるような利点に乏しいので、これを少しでも補おうとして、たぶんこうしてせっせとブログなんかも書いている気がするのだ。そう思いながら、こうした思いを振り払おうと、最後に言った。
「それからね、ある評論家がね、『シャワーだけで済ませる人は、幸福度が低い』と言うのを聞いたことがある。余計なお世話だよ。そんなことは、知ったことじゃない」
「あら」

他者と交流し、理解しあって幸せな気分を得るためにも、まずはささやかでも、自分自身が不平不満を言わずに暮らせるような住空間に育てるというのが急務だ。そうすると、暮らし方もていねいになるはずだし、気持ちの余裕も生まれるだろう。負の雰囲気を出さずに済むだろうし、明るい気分で付き合うこともできるだろう(そうすると、うまくいきやすくなるのではあるまいか)。本を読むことでも自分が「ひとりじゃない」ことを感じることができるけれど、実際に会って話すことでそれが得られたなら、悦びや愉しさはさらに増す。

撤退作業が完了したら、少しずつ、しかし着実に住まいを育てることに真剣に取り組むことにしよう(それが、手伝ってくれた人たちの好意に報いることにもなるに違いない)。

さてどうなるものか。少しずつここで報告することにしようと思います。その顛末を期待して待たれよ(と、いちおう宣言しておきます)。


* 写真はPRESIDENT Online のサイトから借りたものを加工しました。
** 朝日新聞「折々のことば」2022.8.11
*** ローレンス・ブロックのベストセラー作家入門、2003年1月、株式会社原書房



まだまだ募集中ですが、まだ不安。これから出かけてきます。残るところあと1週間余りです。優しい心と時間のある方はぜひ、こちらまで。


* 急ごしらえの試作のまま。


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2022.08.20 夕日通信



#2-053 新しいNice Spaceのために 12

まずは自宅から 06

備忘録として



立秋を過ぎたとはいえ、相変わらず日中は暑いですね。33度、4度がごく当たり前という感じになってしまった。それでも、朝夕は時折、秋の気配も。

今回は、話の種を忘れないために少し(ちょっと忙しいのです)。いずれも、このところの撤退準備をしていて、気づいた、というか改めて思ったことです。

計画しているときは、こうあるのがいい、こうありたいということが先立つ。
実際にやってみると、こうならざるを得ない、こうするのが実際的だということに気づきやすい。

たくさんのものを保管するために、つい収納スペースを探したり、新たに作り出そうとする。
これが、やがて適切な容量以上のものを溜め込んでしまうことになりかねない。

片付けをやっていると、一時的には逆に散らかりやすくなるが、どうせまた同じことになるのだからとそのままにしがちだ(僕の場合)。
そうすると、散らかっていることに対する許容の閾値が上がるし、後で整理しようとした時の苦痛のたねになりやすい。

現実にはたいてい、いろいろな場面でそれぞれに制約があるけれど、一方で新しい発見の契機にもなる。
制約があることを自由を妨げる足枷としてでなく、新しい発見のためのヒントと考えるのが良さそうです。


阿部勤自邸の回廊の一部*

先日も手伝いに来てくれた卒業生は、阿部勤邸『中心のある家』を実際に見学してきた(いいなあ)。ものがたくさんあって、整然としているわけではないけれど、不快ではない。物の置き方には、ゾーニングや高さに緩やかなルールが存在しているようだったという。それが、開放感と居心地の良さにつながっているのに違いない。

たくさんの好きなものに囲まれて暮らす。いいですねえ。羨ましい。でも、心から楽しむためには、間に合わせではなくほんとうに好きなものを選択しなければいけないようです(その時は間に合わせのつもりでも、長く使うことになりやすいのだ)。


自宅の片付けも遅まきながらようやく少しずつ進んで、搬入への備えができつつあるけれど、それにしても驚くほどの廃棄物が出る(まだ、途中なのだ)。流行りの言葉で言うなら、住まいの「デトックス」と考えて、思い切ってさらに捨てることにしよう。その中にいて気持ちがいいと感じられるような生活空間をめざして、頑張ります(ああ、やってよかった、と思えるように)。


いよいよ残すところ2週間あまり。寺前の「来てね!片付けボランティア」週間は、継続中。連絡を待っています。


* マガジンハウスのウェッブサイ”100%LiFE”所収の「中心のある家 正しく古いものは永遠に新しい 41年の歳月が育んだ心地良さ」。



まだまだ募集中ですが、苦戦中。優しい心と時間のある方はぜひ、こちらまで。


* 急ごしらえの試作のまま。


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2022.08.13 夕日通信



#2-052 新しいNice Spaceのために 11

まずは自宅から 05

家を育てる


朝から暑い日が続きます。夏真っ盛り、文字通り盛夏です。ゴミを出しただけでも汗がにじみます。クマゼミもワシワシと盛大に鳴いていた。ミンミンゼミも聞こえた。家の中に、大きなトンボが飛び込んできた時もあった。

この建物に点数をつけるとしたら?
と訊かれて、
「建てたばかりの41年前は30点だったけど、時間がいい家に育ててくれました。今は97点かな?……ほぼ満点の家です」*
と答えたのは、前回にも触れた「中心のある家」の住み手であり設計者でもある阿部勤。

家は「育てる」ものなのだ、ということを改めて思い出させられました。少し前までは、日本人の少なからぬ数の人たちは住宅は出来上がった時が一番で、あとは劣化するばかりだと(まるでパンか何かみたいに)考えていたようです。例えば、間取りを変えることのできる形式の住宅では、入居前にはいろいろと注文がつくけれど、その後5年だったか10年だったか経った時に再び調査したら、多くの家が変っていなかったという報告を読んだことがある。住宅を設計した時でも似たようなことを経験したし、たぶん、住宅を手にするまでとそのあとの熱意の落差はよく見られたことではあるまいか。インテリアに関する情報も乏しかったし、所有すること以上の関心を持つ人も少なかったのだ。いまは古い住宅を手に入れて、好きなように手を入れて住むことも、リノベーション(「リノベ」?)という言葉もごく普通になってきたし、インテリア体験も増えてきたから、変わったかもしれない)。


手入れされないままの前庭** 

はじめはたった30点の住宅でも(といっても、阿部勤設計ですが)、育て方が良ければほぼ満点をつけるくらい気に入ったものになりうる。ということは、逆の場合もあるということだ。せっかく手に入れた望みを詰め込んだ家が、手をかける余裕を失なったまま過ごすうちに、快適とは言い難い不満だらけの住みにくい家になってしまうことだってあるのだ。

住宅に不平や不満を持つことはいいことだ。これが改善へと繋がる場合が、多いからだ。しかし、このことにどう対応するかが問われる。そしてそれは、もしかしたら「育て方」のせいかもしれないのだ、ということを忘れないほうがいい。

住宅に対する考え方は、いうまでもなく様々だ。それこそただ「寝ることさえできればいい」という人もいれば、「心おきなく音楽を聴きたい、映画を楽しみたい」と願う人もいる。もちろん、「家族の団欒こそが第一」と考える人も。また、「きちんと片付いていないと落ち着かない」と感じる人がいるかと思えば、僕のように「少し散らかっているくらいでちょうどいい」と思う人がいる。100人いれば100通りの考え方があるし、好みもあるのだ。しかも、それらは時間とともに変化する。

だから、万人にとっての「いい家」というのは存在しない。Aさんにとって快適な家が、あなたにとってもそうだとは限らない。そして、入居時に良かったものが今でもいいとは限らないのだ。Aさんがおいしいと言う料理が、あなたにとってもおいしいものとは限らないし、昔好きだったものが今でも好きというわけじゃないことと同じように。家だけに限ったことじゃないのだ。

ほんとうに家が大事だと思うなら、自分の生活のありようや変化に合うように少しずつ手を加えたり、家具等を買い足したりしながら、整えようとするだろう。すなわち、例えば硬い革靴を履き慣らしながら自分の足にぴったり合うように育てるのと同様に、家も自分の生活にあった家に近づくように、少しずつ育ててゆくものなのだ。

だから、このことを忘れて、いつの間にか手をかけることを怠ってしまうと、僕の家のように残念なことになる(ああ、恥ずかしい!)。入居してからしばらくの間は、手を入れることが嬉しくもあったし、いろいろな意味で余裕があった。それが、諸事情で次第にものの多さに負けるようになってしまったのだ(面目ない限り…)。このことは、基本的には、持家か借家には基本的には関わらない。

阿部は時間が育ててくれたと言うけれど、ほんとうは住まい手が時間とともに育てたというのが正確なのだ。

今のわが家に点数をつけるとしたら、10点にも満たないかもしれません。とても合格点には足りないのは、明々白々。まずは、「可」の段階を目指して頑張らないといけません。そして少しずつ引き上げるべく、育てていくことにしよう(ただこの時、工夫することや素人のDIYで対応することはよいのだけれど、やりすぎると貧相に陥る時があるので、注意が必要です)。

本日は、なじみの赤帽さんに来てもらって、レコード棚を運びます。うちの方の受け入れ態勢が整わず、分けて運ばざるを得ないのです(とほほ)。おまけに、新たな問題が出来したのだ(やれやれ)。

寺前の「来てね!ボランティア」週間は、継続中。連絡を待っています。


* マガジンハウスのウェッブサイ”100%LiFE”所収の「中心のある家 正しく古いものは永遠に新しい 41年の歳月が育んだ心地良さ」。
** もともと日常的に使うことが想定されていない、アパートの前庭。


まだまだ募集中ですが、苦戦中。優しい心と時間のある方はぜひ、こちらまで。


* 急ごしらえの試作のまま。


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2022.08.06 夕日通信



#2-051 新しいNice Spaceのために 10

まずは自宅から 04

年を取ることから離れる


もうすぐ8月、ということは残すところ一月ちょうどになってしまったということ(ちょっと焦る)。撤退準備は相変わらず苦戦中だけれど、それでも寺前の方は卒業生たちの働きの甲斐あって、なんとか進みつつある。問題は自宅の方。なかなかうまく進められないのだ。そんな中で、パソコンをはじめとしていくつかについては、ようやく処分を完了することができた。こうやって、一つずつ片付けていくよりほかはない。

「年を取るとただあるだけで、それに就て何かと理窟が付けたくても付けられないものが段々好ましくなつて来る*」、と言うのは英文学者吉田健一。さらに鷲田清一による解説は、以下のように続いた。例えば酒。自棄、憂さ晴らし、景気づけといった「吝な精神で飲めば酒の方で気を悪くして暴れる」。飛行機だって時速が、積載量がどうのといった勘定を離れ、「飛ばずにはいられないから飛ぶ動物」としてみれば鮮やかである……


阿部勤自邸『中心のある家』** 

こうした吉田の思いは、以前ここでも取り上げた、年をとったら「できるだけ面倒くさいことをやる方が楽しい」という、阿部勤の感覚とも通じる気分があるようだ。そのせいもあってか、阿部邸には彼が長年にわたり収集してきた様々なものであふれているし、料理をする時だっていろいろな道具を揃えて、いちいち手間をかけてつくる(幸いなことに、そして羨ましいことに、名作『中心のある家**』にはそれらを収容する余裕があるのだ)。

僕のモノを溜め込む癖も、吉田や阿部のような見方に倣えば許されそうな気もするけれど、今はそんなことを言っている場合じゃない。背に腹は変えられないのだ。

まずは、捨てるものはさっさと捨てて、空いた空間を生み出して、そこに好きな本やCDDVDの類をできるだけ収容し、わかりやすく配置するというのが第一。僕はこれらのものが好きなので、目に見えるようにしておきたい(そこにあるのをぼんやり眺めているだけでもなんとなく安心するし、嬉しくもあるのです。そのために、もう大部分を手放すことにした)。何も、ショールームのような無機的なインテリア空間を目指したいわけではないのだ(そして、たぶん物理的な空間に限らない隙間、余裕があるということが大事なのだろうと思う)。

これを実現し次の段階へ進むためには、いったん「年を取ること、年を取ってからの感覚」から離れなくてはいけないようです。そして、体を動かさないことには始まらない(というより、終わらないという方がぴったりだ)。


* 鷲田清一『折々のことば』朝日新聞2022年7月24日朝刊。吉田健一『わが人生処方』から)。
** 写真は、マガジンハウスのウェッブサイト”100%LiFE”から借りたものを加工しました。



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2022.07.30 夕日通信



#2-050 新しいNice Spaceのために 09

「海ちか」プロジェクトからの撤退 04

モノを捨てる/今を生きる


前回書いたことの続きから。ニュースの中で、誰もが知っている大学の先生の言ったこと(正確じゃありませんよ)。「今後の真剣な***(議論だったか論議だったか、ともかくもそんな注釈がついたカタカナ語だったが、浅学にして知らない言葉だった)が待たれる」。前回は、こうしたことを揶揄したのでしたが、その後で気がつきました。彼らは悪気があったわけじゃないのかも。たぶん国際的に活躍しているせいで、ふだんからその言葉を使っているのに違いない、と(きっと、日本人ではなく、国際人だったのね。失礼しました)。


廃棄された家電(一部)

先日、かなりの量の電化製品が引き取られていった。定額での電化製品出し放題のサービスを利用したのでしたが、そのほとんどが、このために寺前から自宅に運んでもらったもの。改めて眺めてみると、よくもまあ、こんなにもあったものだという気がした(まあ、30数年間にも渡る蓄積だからねえ……)。中にはまだ使えそうなもの、あれば便利そうなものもあって逡巡したのですが、思い切って捨てることにしました(もう、後戻りはできない!)。

その気になれば、近い将来これらのいくつかは使うことができただろうし、得られることもあったに違いないが、その機会はどうなのか、それを実現するために時間を割くだろうかと考えると、その可能性は小さいようです。残された時間は潤沢にあるわけではないのだ。音楽とは違って、ビデオや録画したDVDの古いものに使う時間はもはやない、「新しいもので手一杯」なのだ(たぶん好きな雑誌も同様だ)。

モノを「捨てる」ことは、そのまま過去を捨てることでもあるだろう。過去を捨てること、過去にしがみつかないで生きることは、今を中心に生きるということになっていくに違いない。

と考えるならば、本や書籍の類も、もはやその多くが不要となる。先日から読み返していたわがアイドルにして、知性をもって世界を渡り歩いた加藤周一は、「おそらく、二十キログラムを越える私財は、生活にも仕事にも必要ないのである」と書いていた。以前に触れたように、吉田秀和もCDや本を溜め込むのは好きじゃないと語っていた(彼らは、それらについてはいったい、どうしていたのだろう?)

すっぱりと割り切って、捨て去って、新しい気持ちで生活を始めるのだ(気持ちだけは、もはや定まっているのです。だから退路も断った)。少し前から書いているように、「新しい生活」の楽しみを励みに、もうひと踏ん張り(と思っているのですが、でも自宅の方は一向に進まない、どうしたことか。たぶん、圧迫された脳みその容量のせいで、片づけなければならない量の多さに、麺から行くべきか野菜から攻めるのか戸惑っているのだ。まずは箸をつけなければ始まらないのに)。寺前の方にも、まだまだ応援が欲しい!(できれば、もう何回か)。


空になったCD&DVD用の棚

先の日曜日にも卒業生が二人、寺前の撤退作業の手伝いに来てくれました。おかげで、おおいに捗った(ありがとう!たぶん、僕はひとりじゃ何もできないようです。ああ、情けない)。しかも、一人は見かけによらず力持ちだったので、重いものも下すことができたし、さらに彼は木曜にも来てくれた(おかげで、少しだけ先が見えてきた気がします。重ねて感謝 !!)。それでも、まだまだやることはたくさんあります。引き続き、片付けボランティア募集中。



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2022.07.23 夕日通信



#2-049 新しいNice Spaceのために 08

まずは自宅から 03

イメージを描く

いよいよ退去の期日まで、残すところひと月半ほどになった。さすがに、ちょっと焦ります。もう7月(ということは、1年の半分が過ぎた「今年ももう下半期*」)、早いねえ。本当にあっという間。

これまでは、元のゼミ生が働きかけてくれたおかげで、集まってくれた同期生たち、さらに「急募!片付けボランティア」を見て駆けつけてくれた卒業生(いまのところはまだ1名だけど)たちの働きの甲斐あって、本や雑誌の整理の方はだいぶ進んできた。ただ、このほかにも文具類や台所用品(自分で使うことは1度もなかった)をはじめとする様々な小物があるし、家具等の処分もどうすればいいのか。

そんな中で、選別された本を目の当たりにすると、ちょっと怯んでしまう。これ面白そう、ちょっと後で読んでみようかなどと思って取っておこうと避けておくと、あっという間に山となって、すぐに家の容量を超えてしまう。もともといくらかの関心があって手に入れたものだから、そうなるのも当たり前なのだ(たぶん、今すぐ必要か否かで分けないといけないのでしょうね。明日のことはわからないし、人生は短い。「ランプの火の消えぬ間に生を楽しめよ**」)。

おまけに、自宅の片付けは、ほとんど手つかずのままなのだ。ここは思い切って、捨てることに取り組まなければならない。ただ、やっぱりこちらもその量のことを思うと、つい気持ちが萎えてしまうのだ(なぜ、こんなにもできないのか)。しかし、今こそ我が「大盛り焼きそば理論」の出番だ(ちょうど今、アパートの上階の改装も、職人が一人で毎日こつこつやっている。偉いものだと感心するばかりだ)。


A&Vのためのイメージ

そのための計画を立てて(これは早い)、実践しなければならない(これができない!)。実践こそが、最良の方法なのだ(わかってはいるのだ)。一方で、それだけではなかなかやる気が出ない、というか体が動かないので、まずは出来上がりのイメージをスケッチすることにした。計画を立てるだけでは、つい「この歳になって、こんなことに時間を使わなくてはいけないなんて……」、「こんなことなら最初から……」などという詮無い気持ちになってしまうのです。

イメージを描いて、見て、確認して、これを目指して、力を振り絞って、近づいて行くのだ(と言うほど、大それた計画では全くないのですが)。僕は視覚的人間なので、イメージの果たす力は大きい、と信じたい。何と言っても、これを乗り切りさえすれば、喜びは大きいはず。そして、早く終わればその分早く、新しい喜びを味合うことができる。生まれ変わった部屋で、心機一転、心豊かな暮らしを営むことを想像しながら、がんばろう(ふう)。


* 片付けボランティア1号
** アルトゥール・シュニッツラー



まだまだ募集中。優しい心と時間のある方はぜひ、こちらまで。



* 急ごしらえの試作のままです。


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2022.07.16 夕日通信



#2-048 新しいNice Spaceのために 07

まずは自宅から 02

番外編 続・前向きになる練習

相変わらず暑いですが、それでも梅雨明けからしばらく後までのような猛烈な暑さではなくなりましたね。それどころか、朝夕は涼しいとさえ感じることもあるし、晴れた夏空の日も少ない。まあ、得てしてこうしたもの。今日は、これから卒業生たちが手伝ってくれる寺前の撤退の準備に出かけます。

このところは、先日の不慮の事故で電源が入らなくなったiMac27inch, Mid 2011, Mac OS 10..8)のTime Machineを利用して、なんとか写真だけでも復元しようと、古いMacBook Air11inch, Mac OS 10.7.8)で試みたけれど、うまくいかなかった。ならばと、もう一つ自宅にあったこれも古いiMac21.inch, Late 2012, Mac OS 10.8.5)をそのまま代わりにできないかと苦戦中でした。他にやるべきことがあるのに、気になってこちらを優先させてしまった(トシヨリの癖の典型の一つでもある)。

結論から言えば、こちらもうまくいかなかった。どうしたことか、頼みの綱のTime Machineに最も重要なファイル、iPhotoの写真が入ってなかったようなのだ(ショック!)。他のたいていのものは入っているようなのに……。ならばと、せめてソフトやいくつかのファイルを利用すべく、いろいろ試みたのだけれど、やっぱり不首尾に終わった。頼りにしたアップルサポートも、この時ばかりは役に立たなかった。移行がずっと終わらずバーがあと少しのところで止まったままのようだった(OSの違いのせい?)。こういう状況を何度か繰り返し、半ばやけくそで、ままよとばかりに思い切ってえいと停止ボタンを押したら、ほぼ移行はできているように見えたのでした。


iMac(21.5inch, Late 2012)

それでも何だか気持ちが悪いので、その後手探りでいろいろと試すうちに、iMac(21.5inch, Late 2012, Mac OS 10.8.5)に外付けのSSDををつないで、これを起動ディスクとして使うようにするところまでは来た。ここに至るまでは、当該のiMac に合ったOSを入れるのになかなか難儀した。後になってみたら、なんだこんなことだったかと思うのですが、心身共に年取ったせいなのか、いろいろなことがむづかしくなった(若者よ、若さを無駄遣いしないように)。

あとは必要なソフトをインストールディスクから入れることにして、必要なファイルは個別にコピーすればいいだろう。

ところで、なぜこんな古いマシンにこだわるのか。僕のかなしい貧乏性のせいか、はたまた古いものへの感傷のせいなのか。もちろんそうではないのです。もっと即物的な理由で、古いマシンでしか動かない使い慣れた、今ではちょっと手が出ない高価なソフトがあるせいなのです。進歩はありがたいことが多いけれど、パソコンの場合は不都合なことがままある。機械とOSが新しくなれば、古いソフトが動かなくなってしまう。不経済なことこの上ない。しかも僕などにとっては、性能的には古いもので十分すぎるほどなのだ。新しいものの登場は大いに結構なことだけれど、古いものについても最低限のサポートを続けてほしいと思う(メーカーにとっては旨味がないだろうけど)。

そして、例の写真の一部はDVDに焼いていたものから取り出すことにしよう(元のようなグルーピングは無理だけれど*)。手間だし、うまくいくかどうかもわからないし、復旧できるのは一部だけだが、いわゆるクリーンインストールした新しいiMac(OSは古いけれど)が手に入ったのだと思えばいい、と考えることにしました(前向きになる練習は、少しずつ効果を上げているのではあるまいか)。

ところで、プライムビデオで見る『新米刑事モース』も、シリーズ1だけで終了してしまった。で、次に見るものはと探していたら、アメリカ製の『コールド・ケース』にいきあたった。映画『トップガン』や『パイレーツ・オブ・カリビアン』のシリーズをはじめとする多くのヒット作を製作したジェリー・ブラッカイマーが手がけた(なんと、『さらば愛しき人よ』も)。迷宮入りした事件発生当時の時代描写と殺人事件発生に始まり解決に至るまでのプロットは完全に定型化されているようで、今のところは面白く見ている(神は細部に宿る)が、飽きるかもしれない。ただ、現在と未解決事件当時を行き来し、当時流行ったポップ・ミュージックで、その時代を彷彿させるのは面白い(先回はキム・カーンズの『ベティ・デイビスの瞳』が流れた)。

主役のリリー・ラッシュ役のキャスリン・モリスは表情や仕草にちょっと最盛期のメグ・ライアンぽいところがあるし、『キャッスル ミステリー作家のNY事件簿』のべケット刑事を思いださせる場面もある。そして、主役陣はやっぱりそれぞれに問題を抱えているようなのだ(性格づけを複雑にしようとするのは、ちょっとした流行り?)。しばらく、続けて見ようかな。こちらは、シーズン1−7全156話(44分/話)がプライム特典で見ることができる(でも早く見ないと終了してしまうかも)。

(そんなものを見ている場合じゃないでしょ!)わかっているのです。あとは片付けに取り組むだけなのだ。いまのところなかなか進まないけれど、いったん手をつけることさえできれば、少しでも体も動くようになるのではあるまいか(希望的観測)。

何にせよ、面白い、楽しいと思えるような場面や喜びのある空間を早く作り出さないと、「現役」として生き延びるのは危うくなりそうなのだ。諸事情で、次の展開の展望はなかなか描けないけれど、まずは自宅からだ。


* 後になってから、内臓のSSDを取り出して、専用のケースに入れてマウントできるかどうか試してみたらどうかということに気づいた(ずいぶん間の抜けたことだけれど、これは昔から変わらない。で、アップル・サポートに電話して、紹介してくれた業者に聞いたのですが、即断念。できたとしても135,000円以上かかるというのでした。これは、無理。一縷の望みは瞬時に幻となったのでした)。でも、アップルのリサイクル・プログラムというのがわかってよかった(捨てる神あれば、拾う神あり)。
そのせいということでもないけれど、昨日の七夕の空を見るのを忘れた。
そして翌日、元総理の銃撃事件のことを聞いた。


* 急ごしらえの試作のままです。


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2022.07.09 夕日通信



#2-047 新しいNice Spaceのために 06

まずは自宅から 01

やっと気づいた、間に合わせからの脱出法

まだ6月といううちに梅雨明けし、連日30度超のもはや真夏の8月のような暑さで、ニュースでは「危険な暑さ」という恐ろしげな言葉が連発されるの中で、何もしないままずっと、試験前の中学生のような気分で過ごしているうちに、ようやく(改めて?)気づいたのだった。


卵のケースのシェード

これまで、僕は手元にあるものはできるだけ使おうとしてきた。たとえば、ベニヤの端材が出たら取っておき、ブロックなどと組み合わせて棚として使ってきたし、また卒業生が残していった照明カバーとそれとは別のミニソケットの段差を解消するために、ミニトマトの入っていたカップを流用するといった具合。それはそれで、それなりに役に立ってきたのだ。


レコードプレイヤーのラック

今回も、寺前を引き上げるに当たって、レコードプレイヤーを置く棚としてIKEAの棚を自宅に運び込むことにした。こうすると、レコードもすべて収容できそうだし、背も低いのでスッキリと見えるだろう(ただ、録画したDVDの収納は未だ最適解が見つからない)。となると、今まで使っていたエレクターシェルフが余ることになる。これはたぶんスチルラックの草分け的な存在だし、今のものとは違って、細い材を組み合わせたデザインはシンプルで好ましく、色々な使い方をしながら長い間使ってきた(それなりに高価でもあったのです)。そこで、これをどこに使おうかとずっと考えていたのだ(貧乏性!おまけになかなか適当な場所が見つからなかった)。

でも、これがいけないのだ。諸悪の根源。僕の「貧乏性」(でもいつ頃からなのだろう)が生活や空間を、思惑とは逆に、字句の意味そのままに貧しくしてきた。代わり映えもせず、何よりモノが減らないので抜本的な解決にならないのだ。

それで、今すぐに使う必要がないものは、無理に使おうとしたり溜め込んだりせずに、一旦手放して、本当に必要になった時に改めて揃えればいいのだ、と思い直した(ちょっと、寂しい気もするし、もったいない気もするけれど……。おっといけない)。すなわち、文字通りリセットするのだ。それでも、いっぺんにというわけにはいかないので、当面間に合わせで使わざるを得ないものは、おいおい入れ替えてゆくことにする。

ミニマリストのように何が何でも少ないモノの中で暮らすということでもないし、”Less is more”を実践しようというわけでもない(モノ好きな僕には、無理)。ただ、不要なモノ、好きじゃないモノのために家賃は払わないことにするのだ。

この方が、自分の望むインテリアに近づき、気持ちよく過ごせるだろうし、日常生活を丁寧に営むということにつながるだろうと思うのだ。そして、初期費用は高くついても(新しく購入するときはもちろん、捨てるのにさえもお金がかかるのだ)、最終的には費用対効果も上がるだろう。本当に必要なもの、大事なものを見極めなければいけない。思えば、これまではそうしてこなかったのだ。間に合わせの暮らしから脱出するのだ。残りの短い時間を同じようにして過ごすわけにはいかない。真剣に取り組まなければならない。

行き詰まったり、考えあぐねたりした時には、一度元の形に戻ってやり直す、素の状態に戻して考え直すというのが良さそうです。

ほんのちょっと進むのにずいぶん時間がかかったけれど(人の何倍?)、今回がそのための第一歩。あとは実行するのみだ。一進一退から3歩進んで2歩下がるという案配で、なかなか急激には変わることができません。ただ、その時のやり方として、その時々で対応する日本式がいいのか、それともあらかじめ計画を立てるヨーロッパ型がいいものか。何れにせよ、こんなふうでは、時間が足りるかどうか心配。人の何分の一分しか生きられなさそうです。でも、こうして地道に続けていくしかありません。たぶん、魔法はないのだから。と言いつつも、量の多さにひるんで、殺人的な暑さの中でさえ、つい身体が凍り付いてしまうのです。

辻仁成は、息子の独立を機に、パリの住まいを引っ越そうとしてお気に入りのアパートを見つけたのに、アーティストだという理由で断られた。それが、大学の先生を肩書きにして再申し込みをしたら、OKだったという(帝京大学の特任教授らしい)。やっぱり現役じゃなくてはいけないのだねえ。でも僕は、まずは現役の「丁寧な暮らしを目指す生活者」となるべく、頑張ろうと思います。



* 急ごしらえの試作のままです。


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2022.07.02 夕日通信



#2-046 新しいNice Spaceのために 05

スタジオが欲しい 01

小さな三角地をめぐる妄想が再燃

先日、以前ここでしばらく取り上げていた小さな三角地のそばを通ったら、おじさんが一人枝を刈っているのが目に入った。そこで、せっかくだからと、思い切って声をかけ、「これはどなたの所有地ですか」と聞くと、この辺りの地区の共有地だという。元はテレビ塔(?)が建っていたらしい。


三角地1

三角地2

これを聞いて、ここを借りて書庫(というか、文字通りスタジオと呼べるようなもの)を建てることができたらいいと、またぞろ妄想が湧いてきた。

賃料は前金で払って、家賃保証会社とも契約して、建物はゆくゆくは集会施設として使ってもらうという条件ではどうだろう。どのくらい出せば、借りられるのだろう?妄想は膨らみはじめ、とどまるところを知らない(実際には、隣家との関係がむづかしそうだけれど……)。

ただ、そのためには、大きな壁がある。経済条件を整えなくちゃいけません。無職のトシヨリには貸してくれないということがわかっているからね。稼がなくちゃいけないのです。さて、何ができるだろう。遺産や宝くじは、実現性がゼロかほとんどない。しかも、自分ではなんともならない。投資やギャンブルも縁がない。となると、やっぱり仕事をするしかないようです。となると、まずは仕事探しか。さて……。

そういえば、安藤忠雄は、「仕事は自分で作る」と言っていた。

以前にも書いたことがある「間取りアドバイザー」としての存在を周知し、プラン集を作って公開する、というのはどうだろう。

で、大急ぎで作ってみた。




急ごしらえのため、使えるようにするためには、作り直さなくてはいけません(ちょっと、手に余るかも)。

でも、こんなことをしている場合じゃないことはわかっているのに、いつまでも試験前の生徒みたいなのは、ほんとうに困りもの……。


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2022.06.25 夕日通信



#2-045 新しいNice Spaceのために 04

ほんとうに大事なこと、大切なもの

レシピよりも、食材よりも、道具?

これって、まさに道具が一番ということなんだけれど、いったいどういうことなのだろう(というのもちょっと変な訊き方ですが)。料理する人はまず、料理そのもの、あるいはその過程、すなわち何をどう作るかがいちばんの関心事のはず。道具よりも、レシピ、そして食材が大事。でも、僕はちょっと違うのです。だからほんとうの料理好きじゃないんだよ、と言われそうですが……。

それで、何が好きかと言われれば、料理道具、と即答しそうなのです。道具と言っても、キッチンセットやビルトインのオーブンといった大物ではなくて、たとえば包丁やら取り分けスプーンやらの手にとって使うもののこと。これは一人暮らしを始めた学生の時から変わらない。一時は鉄製のフライパンだけで大小6つほどもあったのではなかったか。中でも大事にしていたのが、オムレツ専用の22cmのもの。当時はテフロン加工などというものはなかったので、大事に育てなければいけなかった(このことを、伊丹十三から学んだ)。


鉄製フライパン(一部)

いまはオムレツ(パエリアも時々)はテフロン加工のもので作るけれど。でも、焼き物は基本的に鉄製のフライパンです。使い込んだものだとなんだか上手にできるような気がするし、共に育ってきたというような仲間意識もある。それで、フライパンの種類ははさらに増えて、鋳鉄製(ロッジ製他)のものや赤尾のアルミ製のものがあるし(これは主にパスタ用)、そのほか溝があるステーキ用、そしてもちろん中華鍋もある(もしかしたら、うんと狭い台所に、鍋類は町の小さな食堂くらいの品揃えかも)。なければないで、どうにでもなるけれど。

そのほか、アルミやらステンレスやらホーロー製の厚手の鍋も深さや大きさの違うものがいくつかある。アルミ鍋はアルツハイマーの原因と言われた時があって、それからしばらくはステンレス製(無名のものが大小いくつか。フィスラーのものは大きすぎて手に余る)の鍋に切り替えたけれど、今またアルミ鍋(主に中尾アルミのプロキングシリーズ)を使うことが増えてきた。なんといったっていかにも料理をつくっている気分になるし、底の部分だけじゃなく全体が厚いのは、頼もしく、美味しいものができそうな気分になる。それに、もはやアルツハイマーのことを気にしてもあんまり意味がないような気もするし……。ホーロー製(ストウブ)のものは、重いけれど見た目が断然いいですね。

形から入る、というのは批判されることも多いけれど、ぼくはいいと思う。見た目や佇まいが与える喜びはおおきい。実際に使うときの嬉しさもある。それは、結局は、使う者を作る喜びに導くだろうと思います。

だから「台所と道具」などという特集の雑誌があると、必ずと言っていいいほど買ってしまうのです(雑誌は毎年特集をローテーションしているようだし、同じ会社の別の雑誌でも似たような企画をすることも、知っているのです)。いまだに、時々ですけれど、台所の道具を買うことになるのです。だから、集めたというよりも集まったということで、行き当たりばったりの性格をよく表しているように思えます(計画を立てるのは好きなのに……)。一方、家具なんかは、端材板とブロックなんかを利用したりして、案外間に合わせで済ませることもあるのに(往々にして、これもダメなのはわかっているのですが)。ま、空間と経済的な制約が大きいこともあるのだけれど。

でもここにきて、いよいよこうした態度を改めなくてはならない事態が出来したわけです。今まで2つの場所に分けていたものを、一つにまとめなければならなくなった。自宅に運び込まなければならず、家にあるものも取捨選択して場所を増やす必要が生じた。調理道具に限らず、レシピよりも、食材よりも、道具などといってむやみにものを増やしたままにしておけなくなったのです。さらに、「道具は多種多様に持たないことが、料理上手への早道*」という言葉もあるようだった。道具より段取り力ということのようです。

このことも、手を拱いているだけでは進まないのも十分わかっているのですが、ただ、実のところどこからどう手をつけていいものか途方に暮れるばかりなのです(いつまでもこのままというわけにはいかない)。

今まで、本質よりも表層しか見ていなかったということ、すなわちていねいに暮らして来なかったということを思い知らされます。大いに反省しなければなりません。ま、過ぎたことはしようがないので、これからは40年近くにも及ぶツケを清算し、本当に必要なもの、気持ちを豊かにしてくれるものを精選しなけれなりません。もはや長くはないとはいえ、過去よりもこれからのことが重要なのだ(ただし、決意を新たにするばかりで、なかなか進まない。年をとると、怠け者を克服するのはますます大変だ。だから、こうしてなんとか気分を奮い立たせようとしているのであります)。

* 『ちょっとフレンチなおうち仕事』のアマゾン試し読み


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2022.06.18 夕日通信



#2-044 新しいNice Spaceのために 03

番外編 02 久しぶりの銀座、久しぶりの再会

庭の小鳥たちに教わる

久しぶりに銀座に出かけてきました。コロナ禍でしばらくできなかった、年に1回か2回の3人(僕が最年長)の集まり。せっかくだからと思って、少し早く出かけて、伊東屋とアップル、松屋に寄ることにしました。好きなものを買う(といっても、今回はダイモのテープとビックの3色ボールペンの替え芯)のは嬉しいし、美しいデザインを見るのは楽しい。歩いていると、銀座はその間にもけっこう変化したように見えたけれど、どうなのだろう(何しろ、お上りさんです)。ブランドの旗艦店がさらに増えて、新しいビルやファサードで景観も新しくなったような気がした(実際のところはわかりませんが。それでもまあ、不思議はない。何しろ日本の代表的な高級商業地区なのだから)。

集まりは3年ぶりということで、いつも店選びを引き受けてくれる食通のYさんが今回選んだのは、いつもよりさらにちょっと高級な韓国料理店。


某韓国料理店個室内部

まずは、黒い服に身を包んだウェイターが個室に案内してくれる。3人の席としてはけっこう広い。ただ、窓がなく、夜景が見えないのは残念。続いて、コースの11皿の説明があり、僕なんかはフーンとうなづくばかり(僕は、こうしたところで食べる韓国料理は初めてだった)。一皿が運ばれてくると、その度に同じように説明がつく(食事中に、これが必要なのかどうか。その都度、会話は中断されるのだ)。この他にも、種々のサービスは至れり尽くせりだった。

肝心の味はといえば、もちろんまずいわけはないが、至福の味というほどではない気がした。ただ、仕事柄あちらこちらでうまいものを食べ慣れてきた2人はおいしいと言っていたから、僕の口に合わなかった(わからなかった)だけということですね(どうやら、分相応の庶民的なものが合っているようです)。初めて食べる伝統的な正統韓国料理は乾物が多く、ちょっと甘い味付けのような気がした(欧米人は和食について、同じように甘いと感じるらしい)。

その席で、今の状況をちょっとだけ相談すると、2人ともが、モノを保管するために新しく家賃を払うのには賛同しなかった。理由は、もう一度読む、観るというのはほとんどないし、よしんば読みたくなってもたいていのものが安く手に入れられるからというものでした。これについては、もう言われるまでもなく、確かにそのとおりなんですね。わかってはいても、改めて人に言われると重みが違ってくる(ちょっとキツイ時もあるけれど、たぶん、背中を押して欲しい気があるのでしょうね)。何しろもう一人のHくんは、本でもなんでも一定の収納量を超えると処分する(させられる)し、音楽は全てデータ化したものを聴けるようにと機器類も買い換えた(同時に、スピーカーは大きなJBLに変えた。すなわち、合理化が目的というわけではなく、家事と同じように、日々の生活をていねいに暮らすためにということなのだ)。だから僕の場合は、要点は、手元にある喜びや安心感、そして快適さ、これらと合理性との折り合いをどこでつけるか、ということになる。


庭にやってきた小鳥

さて、先に書いたように草が刈り取られてさっぱりしたアパートの前庭には、何種類かの小鳥がやってきます。これらを見るのは楽しいのだけれど、いざ写真を撮ろうとするとなかなかむづかしい。カメラを向けるとすぐに飛んで行ってしまいます。あちらこちらに移動するし、何しろじっとしていないのだ。どうやら餌を探しているよう。彼らもさっぱりと片付いているところが好きなんですね。スッキリしていると、餌も見つけやすいに違いない。

同じように、本でも何でもすぐわかるように、整理されていなければならない。どこにあるかわからずに、あちらこちらを探すようでは持っている意味がない。死蔵していてはただの場所ふさぎだ。おまけに、他の生活を圧迫することおびただしい。これからは、この考えを徹底しなければならない。もちろん、「言うは易く、行うは難し」のことは十分に認識していますよ(実は、このことも指摘された。もはや、「タラレバじゃない。ヤラネバなの*」だ)。定期試験前の中学生のような態度はすっぱりやめて、体を動かして、これを実践しないことには、使わないもののために、必要なものを置けないことになってしまう。サッパリと片づいた、快適な空間が得られないのだ。おまけに、こちらは鳥の目よりはるかに感度が悪い。

 一生は一度である。
 人間というものは、一生は一度だ、ということを忘れがちになって、つい、くよくよしてしまう。
 人間だから仕方がないことだが、苦しんで生きても一生、悩み続けて生きても一生、そして、楽しんで生きても一生なのである。 
 (辻仁成退屈日記「ハッピーさんに出会うと人生がちょっと愉快になる」)

誰もが幸せに暮らす、もう少し正確に言うなら、快適に暮らす権利があるはず。少なくとも自ら招いたことばかりではないことに悩まされず、ある程度快適な空間で穏やかに暮らすこと。

これまで、誇れるようなことは何もしてこなかったけれど、決して短くない間働いて過ごしてきたのだ。残りの生活を悔いなく過ごすために、そのくらいのことを願ってもバチは当たらないだろう。と思った瞬間に、そのためにささやかな贅沢をしてもいいものかということが頭をよぎるが(貧乏性!)、思い切らなければならない。10年なんて、ほんとうに、あっという間に過ぎてしまうのだ。


* 『犯罪は老人のたしなみ』カタリーナ・インゲルマン=スンドベリ/木村由利子訳(創元推理文庫)


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2022.06.11 夕日通信



#2-043 新しいNice Spaceのために 02

番外編 01 「人生100年時代」は甘くない

トシヨリには生きにくい世の中を実感する


本やCD、DVD等の引越し先を探すために先日訪ねた、とある不動産屋での会話。

小さな店構えの扉を開けると、すぐ右手に机があって、その奥には僕より少し若いと思しき女性が座っていた。その時のやりとりをかいつまんで、少しだけ。

「こんにちは」
さんですね」
「ええ。よろしくお願いします」

「今はねえ、なかなかむづかしいんですよ」
「ええ」
「大家さんからは以前は△学院と聞いていますが、今、お仕事は?」
「はい、去年退職しました」
「ということは、収入は年金?」
「ええ、まあ。ほとんどそうです」
「そういう人にはなかなか貸したがらないんですよ、定職がない人にはね。自由業の人も同じです」
「やっぱり」
「家賃のこともありますしね」
「家賃はなんとかなりそうです」
「でも、エンゲル係数じゃないですけど、収入に対する家賃の割合が高いとね。ほら若い人が月収20万なのに、家賃が15万円のところなんていうのはね、貸せないんですよ」
「はい。でも家賃はいちおう大丈夫です」
「うーん、でもねえ。これから、何にしてもお金がかかりますよ。介護付きの老人施設なんかは月に40万ですよ。うちは遺族年金なんかもあるから、まだいいですけど、それでもね、とても払いきれませんよ、年金だけじゃあ。年に480万、10年だと4800万ですよ」
「ええ。大変ですよねえ」

「なんかあったら困りますしね。お風呂の中で亡くなっていた、というようなことがあるんですよ、実際」
「そうなんですか」
「ええ、それがねえ、結構あります」
「(うーむ)」
「だからねえ、不動産業者仲間でも、老人だけ集めたマンションを作らなきゃダメだなという話が出たりしますよ」

「今のところでも70平米弱ありますでしょう?」
「はい」
「そこでなんとかならないんですか」
「はい。実は、こっちのほうもいっぱいなんです」
「私もね、ここを継ぐ前はデザイン関係の仕事をしていたので、洋書なんかもあってね、本は捨てられなかったんですが、結局5年かけてね、断捨離しましたよ」
「ええ。そうするのがいいんでしょうね(できることならね)」
「買うということならね、好きなようにできますよ」
「そうですね。でも、いつまで元気でいられるかどうかわからないからなあ」
「今や、人生100年時代ですよ。まあ、85歳くらいまで元気だとして…。うちの父親がそうでしたけれど」
「はあ。もしできるのなら、買うよりは、建てたいなあ…」
「でも時間もかかるし、面倒だし…。その点、マンションは冬なんかあったかくていいですよ。新築は無理でも、小さな中古ならなんとかなるでしょう。今が最後のチャンスですよ」
「ええ、そうですね」

「あとは、都市部を離れるとかですね」
「でも、高齢者には貸したがらないんでしょう?」
「まあ、貸してくれるところもあるかもしれません。そして安いです」
「はあ」
「方向性が決まったら、お手伝いできると思いますよ。その時は、連絡してください」
「あ、はい」


高齢者は招かれざる客*

大雑把に言えば、要するに、高齢者は持ち家がなければ、住むところさえ確保することがむづかしいということですね。五木寛之先生の『捨てない生きかた』には共感するところ大なのですが、これも持ち家あってのことのようです。

国や自治体は何をしているんだと思うけれど、すぐにどうなるものでもない。それの善し悪しは別として、自分のことは自分で守るという考えを持っていた方がよさそうです。

もはや、実際的に取りうる選択肢はほぼ限られたようです。こうした事態を招いたのも、僕自身がこれまできちんと考えてこなかったせいでもある。今回ばかりは、そのその場凌ぎも、間に合わなかったようだ。自業自得。後悔先に立たず。

若いみなさんは、なんであれ、やりたいことをやるのがよい。どうぞ、精一杯、おおいにおやりください。ただ、ある年齢に達したら、先のこともきちんと考えて手を打つ方がよろしい(かも)。

ところで、約半年ぶりに伸び放題だった草が刈り取られた前庭に、いろいろな小鳥がやってきます。彼らもやっぱり、さっぱりしたところが好きなんだね。


* 写真は東洋経済のウェッブサイトから借りたものを加工しました。


2022.06.04 夕日通信
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#2-042 新しいNice Spaceのために 01

小さな喜びから始める 01

100を諦める



本とDVD類の引越し先がなかなか見つからない。珍しくこれはと思ったものがあっても、空きがなかったりする。まあ、今は引越しの多い季節とは言い難いから、仕方がないのかもしれない。また、高齢者には貸したがらないという話も聞いたことがある(前途多難!)。プロジェクトの貸主との交渉経過は、依然として不明のまま。

ちょっと遅きに失したと思いつつ、念願の新しく建てることを考えてみるけれど、これも土地の手配やら計画やらで、時間と経済の問題があってむづかしい。

あるものでなんとかするしかない。これまでもやってきたことだ(そのことが、今のような状況を招いた遠因であると言えなくもないけれど)。

となれば、ものを減らすか、今すぐ借りることができるもので手を打つか。この2つの選択肢しかない。

しかし、減らすとしてもすぐに減らせるわけでもないし、選んでいる時間がないのだ。ものを減らすことで実際に困ることはほとんどないだろう。ただ、ものだけでなく精神のありようの一部までがなくなってしまうような気がする。したがって、できれば捨てるのは最小限に留めて、大部分は残したいともいう気持ちが勝る。それから少しずつ減らしていくというのが、現実的なようだ。

僕が「台所で遊ぶ」ために最適化した台所は諦めなければならないが、工夫次第でそれなりに楽しむことはできるだろう。考えてみれば、慣れればたいていのことが気にならなくなるという事もある(残念ながら、欲しかったものを手に入れた時の喜びでさえもそうだ)。海を眺めるということができないのは残念だけれど、海を見たくなったら出かけることにすればよい。

となると、選択肢はほぼ定まる。100か0かではないのだと考えることができるならば、そうなる。第一、100(すなわち、理想に近いもの、よりいいもの)を求めていたら、手に入れる前に、何も手にすることなく終わってしまいそうだ。自分でデザインできないのは心残りだけれど。

少し遠くても海が見えるところか、それともすぐ近くか、何れにしても、まずは短時間のうちに手に入れられそうなところを探すしかないようだ。十分に検討することができないのが気になるけれど、そうすれば、経済的な痛手は変わらないものの、いくつかの問題は解決する(おまけに、誰かの好意や助けをあてにしないですむ)。少なくとも、今の状況は解消して、いくらかマシな気分になって、体調への悪影響も小さくすることができそうだ。幸か不幸か、お金をかけないで暮らすことは、僕にとってはこれまでと同じ、ふつうのことで、たいして苦痛じゃない。


イームズ ラウンジチェア*

そして、もう一つ、手に入れられることができるものなら、最後の大物として(といっても、ささやかなものですが)、イームズのラウンジチェアとオットマンのセットがあるといい(ここで、映画を観る。渡辺武信は、友人宅で初めて座った時につい眠り込んでしまったほどの心地よさと書いていた)。ついでに、もう一つ、ハードイチェアも。これらを新しい場所に置くことができたら嬉しい。程度のいい中古を見つけることができれば、それほど過大な負担にはならないだろう。ちょっとゴージャスだし、インテリア空間を選びそうで「掃き溜めに鶴」となる可能性も無くはないけれど、逆に椅子の方が救ってくれることもあるかもしれない(この確率の方が大きいはず)。


* 写真はハーマンミラーのウェッブサイトから借りたものを加工しました。


2022.05.28 夕日通信
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#2-041 もうひとつのNice Space 01

ご近所の小さな喜び 01

うつくしい草花、あたたかな心



小さな庭1

ハガキのための草花の写真を撮ろうと散歩していたところ、人通りの少ない細い道に接した庭の向こうに白いバラの花が見えたのでカメラを向けていたら、ちょうど窓を開けたそこの住人の女性と目があった。彼女は外へ出ると、こちらへ向かって歩いてきた。一瞬咎められるかと思ったが、まず挨拶をし、事情を説明すると、こちらにも可愛い花があるからと、細い金属製の扉を開けて小さな庭のなかに招き入れてくれた。

なんだか悪いような気がして、一旦は固辞したのだけれど熱心に誘ってくれるものだから、その言葉に甘えることにして庭に入り、写真を撮り始めると、「もうあれも、そろそろ終わりね」とか「ここからもいい写真が撮れますよ」とか、いろいろと教えてくれる。


小さな庭2

色とりどりの花を眺めながら、「花の名前がわからないのです」と言うと、これもひとつずつ教えてくれた(すでに、もう忘れたものもあるけれど。知識のなさや記憶力の乏しさを恥じるのはこういう時だ)。それにしても、名前がわからないというのはさびしい。花であれ星であれ、なんにしても対象の名前を知らないで、それらをほんとうに知ったことになるのだろうか。

その前にも、道沿いの少し遅めの桜の花を撮っている時に、おじさんが出てきて、色々と説明してくれたことがあった。

まだその機会はないけれど、もし、また彼らと顔を合わせたならば、会釈くらいはするだろうけれど、特に親しく付き合うということはたぶんないだろう、という気がする。

地域社会と言うと何やら大袈裟だけれど、それでも案外こうしたことがご近所に暮らす喜びかもしれない、という気がしてきたりするのだ(自分ができることは、せいぜいこうしたことくらいかもとも)。

もっと濃密な関係があってこその地域社会だとか、いや経済的な結びつきが大事だ、という意見もあるかもしれないし、もっともだとは思うけれど……。まずは、文字通りの意味での「一期一会」の機会と場所を大事にして暮らすことからはじめようと思う。そうして、日常の生活を手を抜かないでていねいに過ごすためのひとつとするのだ(小さくとも、実践こそ。ものを減らす事も、そのひとつなのだろうか)。


2022.05.21 夕日通信
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#2-040 幻想の行方 01

「海ちか」プロジェクトからの撤退 01

天の啓示か



その後、何か行動しなければと思って、寺前の部屋に出かけてきました。ぼんやりしていたら、時間は文字通り飛ぶように過ぎていく(今回は、ただの現場確認ということになったのだけれど)。

居室の現況1

居室の現況2

結局、内装をやりかえた後のここでの作業はといえば、家具を運び入れ、箱から本とDVDCD、そしてレコードを出し、もう一度箱詰めし、搬出するということになる。つまり、搬入して、同じものを運び出す、ほとんどそれだけで中間はない。Nice Space として使うことができないままでした。

いくらか持って帰れそうならそうしようとしたけれど、車の使用が不許可なので、それも断念することに。それでも、せっかく来たのだからレコードでも聴いて帰ろうと思った(当然ながら、これまであんまり聴くことができなかった)。ここにはポピュラー音楽とジャズのものしか持ってこなかったから、スティーリー・ダンの「彩(エイジャ)」を取り出してかけた。少し大きめの音が鳴り始めると、やっぱりレコードはいいなあと思いながら辺りを見回した。と、しばらくして僕の耳でもはっきりと、「…get out of here」というフレーズが聞こえたのだった。1曲めの「BLACK COW」。歌詞カードを見ると、Drink your big black cow And get out of here とあった。で、思わず苦笑いして、すぐに帰ることにしたのでした。

うちに帰って調べて見ると、BLACK COWというのは炭酸飲料の1種であるルートビアにアイスクリームを浮かべた飲み物のことのよう。直訳すれば、「君のビッグサイズのブラックカウを飲み干し、ここから出るんだ」ということでしょうか。飲み物はなかったけれど、天の啓示だったのかも。

こちらの気分とは関係なしにいい天気だったので、帰りは八景まで歩いた。


2022.05.07 夕日通信
*コメントやつぶやき等を、こちらから。お気軽に、ぜひどうぞ。正直なところ、反応がないと元気が出ません。(a poor old man)



#2-039 「台所で遊ぶ」への道 28

「ごっこ遊び」

台所を楽しくする方法 8



「若い時は、確かなものに憧れ、確立しようとする」(そうだったかもしれない)。「年を取ったら、それに囚われないことが大事だ」(たしかに)。という話をずっと昔に読んだか、聞いたかしたことがあった。そのせいか、(よくは覚えていないけれど)昔は「こうである」、「これでなくてはいけない」と書く人に憧れていた。今は羨ましく思わなくもないけれど、たいていの場合は遠ざけておきたい気がする。本当にそうですか、絶対に?と言いたくなるのだ(これも年取った証しなのか)。

ともかくも、習慣の呪縛から逃れるために、毎日を「ごっこ」で過ごすのはどうだろうと考えた。今日は、「居酒屋ごっこ」、明日は「ジャズ・バーごっこ」、明後日は「蕎麦屋ごっこ」という具合に。半分、空想の世界に遊ぶのだ。同時に、現実から逃れることであるかもしれないけれど。


高山邸の台所 *


元々は、料理家の高山なおみさんに触発されたものだけれど、彼女は東京での生活を切り上げて神戸で一人暮らしを始めた時に、そこでできた友人を家に招く際には、「串カツ屋ごっこ」やら「焼き鳥屋ごっこ」(たぶん)とかのテーマを決めるらしい**

何しろ、気分が大事なのだから(先日は英国パブ風)、意識的にやるならば、習慣から逃れるのにいいかもしれない、というか、アタマの老化や劣化、硬化を抑制しつつ、退屈を凌ぐのにも。それなりに、楽しめそうです。だから、この「『台所』で遊ぶへの道」でもそうしたことを試みてきた。

好きなことは一人でも続けられるというけれど(たしかに、映画を見たり、本を読んだり、音楽を聴いたりすることは相手がいなくてもできる。むしろ、その方がいい場合だってある(僕は、映画を観るときや演奏会のときに、隣に知っている人がいると、落ち着かないのです)。しかし、その後しばらく経ってから、話すことがないのは、ちょっと寂しくもある。

それにしても、「建築家ごっこ」はうまく行きませんね。いくら好きなこととはいえ、依頼主がいないと、なんとも張り合いがないのです。自身が依頼主なのだと見立てても、この場合は願望が強い分、不意に実現性のことが気になってくる。たいてい願望はあんまり変わることがない。その結果、次第に夢見る力が痩せていくようなのです。

しかも意識は、そもそも演じる人生というのはどうなのか、ということに及んでゆく。おもしろうてやがて悲しき鵜飼かな(松尾芭蕉)。むづかしいね。ま、自身が空っぽだとしたなら、演じ続るしかないようだけれど……

先日、英国製のドラマを見ていたら、イギリスには、"You can't teach an old dog new tricks"ということわざがあるらしいのですが、なるほどそういうものかと思った。たしかに、年をとると新しいことは身につけられないかもしれない(おまけに、あんまり新しいことにめぐりあう機会も少ないのだから)。でも、自分なりにやるしかなさそうです(ドラマの主題歌の中でも、そういっている)。


* 写真は、ブログ「晴れ時々くもり」から借りたものを加工しました。
** 趣味どきっ!「人と暮らしと、台所(8)「料理家・文筆家 高山なおみ〜ひとりを楽しむ〜」(2020年9月22日)、NHK Eテレ


2022.04.30 夕日通信
*コメントやつぶやき等を、こちらから。お気軽に、ぜひどうぞ。正直なところ、反応がないと元気が出ません。(a poor old man)



#2-038 「台所で遊ぶ」への道 27

外で食べたい

台所を楽しくする方法 7



皆さんはどこで食べるのが好きでしょうと書くと、もしかしたら、あのレストラン、どこそこの食堂がいいというような答えが返ってくれるかもしれません。でも、ここで言うのは家の中、というかその周りを含めた場所のことなのです。

というのも僕は、台所を楽しむための工夫の一つは、やっぱり外で食べる場所があることだと思うのです。これまでにももう何回も書いてきたように、僕は外で(いうまでもなく、外食ではなく、屋外の席ということです)食べることが好きなのです。

わが国でも街中でテラス席を目にするようになってもう久しいけれど、それでもまだ屋内で食べるほうを好む人が多いような気がする。お店に入って、テラス席もあると言われても、そちらを選ぶ人の割合はどのくらいだろうか。それほど多いとは思えないのだけれど、さてどうでしょう。特に、女性の場合は屋内の席を選ぶ人が多いのではあるまいか。もしかしたら、昼間だったら、女の人は日焼けを気にするのかもしれませんね。

ヨーロッパあたりでは、それが逆転しているかのようです。僕の小さな経験でもそうだったし(外の席から埋まって、中でもいいかと言われたことがある。高級店のことは知らない)、映画なんかでも外で食べる場面はよく出てくる。ヨーロッパでは冬が長いために、夏の間に日差しをたっぷり浴びる必要があるというような健康面での説明を聞いたことがあるけれど、僕はそうじゃない気がする。そういう面もあるかもしれないけれど、むしろ町との関わりとか開放的な楽しさだとかと言ったことの影響が断然大きいのではあるまいか。夜でも冬でも、外で食べたり飲んだりしている人がたくさんいるようです(若い人は、これから出かける機会があるでしょうから、自分の目で確かめるのがよろしい)。

ともあれ、僕の場合は、断然楽しいからですね。そこから見る景色や光や風も楽しいし、聞こえてくる音や行き交う人を眺めているのもおもしろい。気分も開放的になるから、よりくつろいだ気分で、食事もお酒もおいしく感じられるように思います。


即席のテラス席

窓辺の席

で、これまでのスケッチでもそうした場を考えてきたし、住んでいるアパートでも試みたことがあります。まず最初は、ベランダにすのこを敷いて小さなテーブルと椅子を運んで、テラス席をこしらえた。これはこれで楽しかったのですが、いちいち運んだりしまったりというのが面倒になって、結局やめてしまいました(洗濯物やらお布団を干さなくちゃいけないこともあるし、何と言っても狭いのが難点だった)。その次は、掃き出し窓の前に小さなテーブルを置くようにして、今でもここで楽しむようにしています(学生には、ガラス面にくっつけて家具を置いてはいけませんと言いながら、自分がやっているわけです)。窓を開け放てば、ひさしかテントのある外とほぼ近い気分になります。最善の策というのが無理なら、次善の策をというわけです。

完璧を求めて諦めてしまう(ま、これはこれで潔いと言えるのかもしれませんが)よりも、似たようなものでも楽しむほうがいい時が多いと思います。料理する場合でも、レシピに紹興酒とあって、これがなければ作らないというよりも日本酒で代替するほうがマシという考え方なのです。たとえば、「仔牛肉のマデラ酒を使ったソース、シャンピニオン添え」という料理が仮にあったとしたら、「豚ヒレ肉の白ワインとみりんのソース、しめじ添え」になったとしても。だからダメなんだという人もいるでしょうけれど、ま、人それぞれですね。

完璧が実現するまで我慢するよりも、今できる範囲で工夫して楽しむほうがいい。というかそう考えないと残された時間を楽しむことができないのです(結局は年取ったせいということか?でも、なかなかそうとばかりも思えないこともある……)。


* 写真は、これまでの記事の中で使ったものを再掲しました。


2022.04.23 夕日通信
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#2-037 「台所で遊ぶ」への道 26

新しい道具

台所を楽しくする方法 6



滅多にものを買うことがなくなって久しいのだけれど、それでも増えるものがいくつかあります。

最近増えたものの一つは、酒器のちろり。誕生日のお祝いに妹がくれたもの。実は、錫製のちろりはずっと欲しかったのだけれど、なかなか踏ん切りがつかなかった。燗酒のうまさが一段上がると言われますが、ま、なければなくても済むし、とくに困るわけではないのだから…(貧乏性)。「鎌倉清雅堂」から送られてきたのですが、製作は「鎚起工房 清雅堂」で新潟にあるらしい。注文を受けてから作るのか、何ヶ月か待たなければならなかった。槌目のあるものとそうじゃないシンプルなものの間で迷いましたが、結局槌目のものにしました。大阪の老舗の錫器制作会社の手になるシンプルな器もどっしりとした厚みを感じさせてよかったのだけれど、最近は槌目のものに惹かれるのです(例えば、取り分けスプーンとか)。


ちろりと徳利

形は、見てのとおりちょっとおデブのペンギン(丸みを帯びていて愛嬌がある。こちらを女性的とすれば、もう一つのものは極めて男性的形態)という感じで、ふだん使っている白い磁器の徳利とは異母兄弟のよう。こちらは、細身でスッキリしています(そういえば、これも誕生日にもらったもの)。


ガステーブル

台所関係のもう一つは、ガステーブル。これまで使っていたクロワッサンの大バーナーが不調をきたしたために、やむなく買い換えることになった(実はアパートの10戸のうち、うちを含めた2軒だけがシステムキッチンじゃないのだ)。一昔前の家庭用と同じく、安全装置は立ち消え対応だけで、センサーなしの業務用。このため、強火を連続して使える。ちょっと小ぶりで、シンプルそのものです。

以前のクロワッサン同様、2口しかないし、五徳はクロワッサンのものと比べるとずっと細身だけれど、境目なしで平らにつながるので、使い勝手はいいかも。内炎式というのは初めてですが、これも面白い(鍋底に当たる火が均等に回りやすいらしい)。ただ、そのせいか五徳の口の径が大きいので、小さな鍋を使うときは気をつけなければいけない。

ま、いずれも僕の舌と腕ではあんまり影響がなさそうですが、それでも気分は違う。ささやかな楽しみのためには、この気分というのが大いなる影響を及ぼします。新しい「台所」の方がずっと赤信号のままだから、余計にそんな気がするのかもしれません。

いいニュースが少ない中、しばらくは楽しめそうです…。今回は、ガステーブルその他、とくにステンレスの部分をピカピカの状態のまま保つことを目指そうと思う。すなわち、レストランの厨房のように、一日の使い終わりにしっかり拭き上げることを日課にするのだ。


2022.04.16 夕日通信
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#2-036 「台所で遊ぶ」への道 25

赤信号は手強い

台所を楽しくする方法 5



まずは、先週の訂正から。断面にスケッチにアクソメ図をあわてて描き足したら、テーブルとカウンターの高さが同じになっていました(やっぱり、急ぎ仕事はいけません)。ま、無理すればこれでもやれないわけじゃないけれど、立ち飲みも可のカウンターの方を20センチほど高くするつもりでいました(面目ありません。ごめんなさい)。

この辺りでは、桜が見頃だった時に、あいにく雨が降りました。土曜はよく晴れて、称名寺はずいぶん賑わったようですが、日曜は一日中雨が降って、週末のお花見を楽しみにしていた人にとっては残念でしたね。家からも見ることのできる一本だけ残った桜もすっかりダメになるかと思っていたら、案外しぶとかった。翌日見に行くと、花もけっこう残っていました(散歩の途中で、少し足を伸ばしたところで見たのも同様だったので、今年の桜がタフということなのかもしれません)桜は散り際の潔さをよしとするというのが伝統ですが、たくましく生き延びる姿を目の当たりにするのはいいものだと思いました。


台所からは開放的な眺め

望ましい眺め

さて、台所で遊ぶために大事だと思うことの一つには、台所と外部空間との関係。外で食事をしたりもしたいから、台所から戸外の生活空間へのアプローチがしやすいことが大事。これまでも、敷地によっては、台所と戸外の生活空間とが隣接する案も描きました。

もう一つは、キッチンに立った時に外を眺められること(どちらかといえば、こちらの方が重要かも)。住宅の計画学ではリビングや食堂の快適性を重視するから、台所の採光や通風等は機械力に頼っても良しとしています。一般的な優先順位はその通りだと思うけれど、しかしここでは何と言っても台所で遊ぶことが主題なのだから、調理しながらの眺望も軽視できません。だいたい年を取ると、昼も家で食べることになることが多いのだから。先日の新聞の広告欄で見た『70代で死ぬ人、80代で元気な人』という本には、「昼ご飯は外食にする」、というのがあって、居ながらにして海外旅行ができるということのようでしたが、そういうこともあるのかも。ま、好き好きでしょうね。

その眺望に望むことの一番は、海が見えること(湖でも大きな川でもいいのですが)。その次は、山(あるいは、森でも林でも)。さらに次は、街(ボッシュ邸のように)、そして庭。こんなふうに、できれば眼前が開けていて欲しいのです。それも叶わないのならば、いっそ中庭風の閉じた庭、内部空間の延長外の部屋がいいということなのですが…。

ま、望みを持ち続けていると、もしかしたら、何かいいことがあるかもしれません。


2022.04.09 夕日通信
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#2-035 「台所で遊ぶ」への道 24

赤信号は手強い

台所を楽しくする方法 4



いよいよ春めいて…などと書いていたら、寒の戻りでまた急に寒くなってしまいました。花冷えなどと言って響きはうつくしいのですが、ちょっとこたえます。なかなか都合よくは運ばないものですね。やれやれ。それでも、気候の方は三寒四温で良くなっていくはずなのですが。

もはや、新しい台所を手に入れる望みはすっぱり諦めて、現在の住まいの整理を進めて、いくらかでも快適性を高めることを目指すべきなのかもしれないという気がしてきます。仕事もないし、ボッシュのように臨時収入のあてもない。ポターのように印税を手にする才も、望むべくもなさそうです。なかなか上手くいきませんね(ま、これまで、職を得てなんとか暮らすことができただけでも、できすぎた幸運とすべきかもしれません)。

で、あいも変わらぬ場所で、これまた同様に紀行番組のDVDを見たりするわけだけれど、これ*によれば、ワーズワースは、革命の理想とは程遠い現実のパリから故郷の湖水地方に戻ってダブ・コテージでで暮らし始めたのは、1779年のことだというから29歳の時ということになる。若いですね。だから参考にはしにくい。おまけに、1813年、43歳の時には官職を得て、終生の地となるライダル湖畔の丘にあるライダルマウントの広大な土地に邸宅を構え、移住しているというからなおさらです**

ところで、近代のデザインは機能的かつシンプルで装飾を嫌う、と言われる。確かにその通りだと思うし、異論はないのです。ただ、それは美意識の変化(黒⇄白)で説明されることが多いようだけれど、映し出される建物や住まいを見ていると、一方でむしろ経済と労働力の問題が大きいのではないかという気がするのですが、どうでしょうね(もしかして、あたりまえ?)。いつの時代も案外装飾好きは少なからずいるのではあるまいか。

紀行番組では、歴史的建造物や街並みを見るのもいいのだけれど、一見何でもない田園風景がいい。そこには緑が広がり、川や湖、海や山がある。羊や牛などの動物が見えたりする。そして、素朴な民家が点在していたりもして、やがて駅のある都市が現れるのだけれど、今となれば、人工物よりもこれらの方がいとおしく感じられるのですが、いったいどれほどの尽力が注がれてきたことか。そして、これを打ち捨てるのがどれほど簡単なことか。

こんなふうに思うのは、いつでも何からでも学べるということなのか、得たい情報だけを選び取っているのに過ぎないというべきか。あるいは、ただの感傷なのか。どうなのだろうね。


カウンターテーブル

さて、台所で遊ぶためには、キッチンと食卓が近い方がいいということで、このふたつを一体化したものをずっと描いてきたわけだけれど、ちょっと馬鹿の一つ覚え、芸がないような気もします。ま、仕方がない。ついでに、さらにもう一つ付け加えるとしたら、調理台の前にカウンターがあると楽しそうです。

つくる人と食べる人(いや、飲む人かもしれないけれど)がほぼ同じ目線の高さで向き合うといい。とすると、カウンターの高さは高くなるので、双方が立ったままなら問題は小さそうですが、ハイスツールに座りたくなることもあるかもしれません。そのことを考えるなら、カウンターは膝が入るスペース(正式な呼び名は知らないけれど、知っている人がいたら教えてください)がある方がいい。だから、カウンターはキッチンセットから張り出していることが重要だという気がするのです。そうすると、両者の距離も程よいものになりそうです(ま、占有面積の制約もあるでしょうけれど)。


* 欧州鉄道の旅 第68回
** Wikipedia


2022.04.02 夕日通信
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#2-034 「台所で遊ぶ」への道 23

赤信号に負けないために、と思うけれど

台所を楽しくする方法 3


しばらく前に、家にちょっとした変化があった。遅ればせながら、常時接続のインターネット環境が曲がりなりにも整ったのです。と言っても、何か工事をしたというわけではなく、ルーターをコンセントに繋いだだけのもの(これがどの程度のものかは、実はよくわかりません)。

で、いちおう動画も気兼ねなく楽しめるようになった。そこでプライム・ビデオ(いつの間にか、プライム会員になっていて、まあ便利だからそのままにしていた)を、容量を気にしないで見ることができるようになった。

そこで、愛好しているミステリー・シリーズがドラマになっているというので、このところずっと見ているのです(原作者もプロデューサーに名を連ねている)。通常の連続ドラマとは違って一話完結型ではなかったので最初は戸惑いましたが、いったん馴染んでしまうと、こうした連続ドラマの常として、見始めるとずっと見続けることになりやすい(と言うか、なかなかやめられない)。こんなシーンも。

主人公の刑事ボッシュが、相棒のジェリーと車でラスベガスに向かう場面。当然、音楽がかかっている。

「これ、誰のアルバム?」
「ソニー・ロリンズとマイルス・デイビスの『バグス・グルーブ』」
「いいね。曲名は?」
「『ドキシー』ソニーの作だ」
「詳しいね」
「ちょっとね」
「最近の音楽は?」
「昔ので手一杯だ」

全く同感なのです(前回ちょっと引用したのは、この場面)。ボッシュと僕はほぼ同年齢らしいのですが、小説の中の彼の方がいつも遅れてやってくる。ただ大きく違うところで、うらやましいと思うのは、彼は、映画会社から入った謝金をもとに、ロアンジェルスの街を見下ろす丘(崖)の上に張り出して建つ、ガラス張りの家を手に入れ(ジェリーは、「あんなところに住む人間がいるとは?」とからかうのだけれど)、そこにマッキントッシュ製のアンプやマランツ製のアナログ・プレーヤー、トールボーイタイプのスピーカー(Ohm Walsh というメーカーのものらしい)などが置かれていて、主にジャズを聴く。なんという題名の本の中だったか、彼はアート・ペッパーを好んでいるということが書いてあった気がする。


料理のできる囲炉裏/暖炉

さて、今回は前回も書いた料理のできる暖炉のスケッチです。人の家の写真だけでは、ちょっと芸がない気がしたので。絵は下手だし、載せる意味があるかどうかは不明ですが…。なんとか、「お休みします」と書くのを避けようというわけです。


2022.03.26 夕日通信
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#2-033 「台所で遊ぶ」への道 22

赤信号に負けないために、と思うけれど

台所を楽しくする方法 2


今日は暖かかった。明日、これが掲載される予定の土曜は、さらに暖かくなる見込みらしい。この所、昼間はちょっと歩くと汗ばむくらいになった。もう、すっかり春ですね(さすがに、朝夕はまだ冷えるけれど)。青空も、冬の澄み切ったそれとは違って、やや霞んでいます。

そんなときに何ですが、もう一つ、住宅にあるといいなあと憧れるのは、(「もうわかったよ」と言われるかもしれませんが)暖炉です。それも、ただ眺めるだけじゃなく、調理ができる暖炉だとさらに嬉しいから、それは暖炉と言うよりも、モダンな囲炉裏という方がいいのかもしれません。


レネ・ゼルピの台所*

こうしたものは別に珍しいわけでもなく、もちろん僕の発明というわけじゃない。例えばモンサンミッシェルのオムレツは、暖炉で作っているようだし、「世界一のレストラン50」に4度選ばれたというコペンハーゲンの”noma”のシェフ、レネ・ゼルピの元は鍛冶屋だったという建物を改装した自邸には、もともとあったかまどを利用した調理できる暖炉*があって、これも楽しそうです(羨ましい)。

でも白状すれば、暖炉のある家に住んだ経験は、覚えている限りないのです(火を模した電気の暖炉のある家には1年ほど暮らしたことがあるけれど、これは全く別物。これがあっても嬉しいとは思わない。もちろん、これを楽しむ人があってもまったく不思議じゃないんですが)。

だから(だけど?)、もし自分が設計した家に住むとしたら、できれば暖炉、それが叶わないのならば、キッチンに組み込んだ卓上囲炉裏があるとなおいい。

実は、今回は「お休みします」としようと思っていました。それでも、細々ながらでも続けることが大事なのだろうと思って、掲載することにします(だから、いつも以上に即席です)。

ところで、今日311日は、東日本大震災が発生した日。ニュースを見て、ああもう11年が経ったのだと思った。過ぎたことに対する記憶は、すぐに薄れてしまいそうです。今起こっていることも、ゲームかと錯覚しそうな時があるのです。


* 写真は、AXISのウェッブマガジンから借りたものを加工しました。

2022.03.05 夕日通信
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#2-032 「台所で遊ぶ」への道 21

赤信号に負けないために

台所を楽しくする方法 1


今日(3月4日)からパラリンピックが始まるという。世界がこんな状況の中で実施されるということが、信じられない。というか、とても不思議に思う。スポーツの各団体や選手団等からは、憂慮するような声明が出されているようだけれど。ロシアは原子力発電所まで攻撃しているというから、尋常じゃない(チェルノブイリの惨事を経験しているし、フクシマのことも知っているはずなのに)。

一方、国連決議や世界各地での抗議活動(例えば、ベルリンのブランデンブルク門に集まった人々は10万人を超えるという)、そして様々な経済制裁も課されているが、未だ収まる気配はない。と思えば、核兵器や軍事力に頼ろうとする政治家もいるようだ。

かつて、湾岸戦争の時に、「テレビの中の戦争」だったか「テレビの向こうの戦争」だったか、そんな風な呼び方をされたことがあった。すなわち、テレビで生中継された初めての戦争であったので、テレビに映し出される光景を文字通り対岸の火事のように捉える人々が多かったことを称したものだ。インターネットの普及等、当時よりも情報量が格段に増えた現在でも、似たようなところがあるような気がする(少なくとも、僕自身にとっては)。憤りや同情等はあるとしても、平和な時と同じように談笑したり、他の楽しみに集中することがあり、その時は戦争のことを忘れているのだ。他人事であり、自分自身の問題として受け止めていないと言われても仕方がない気がする。

それでも、僅かといえども考え続けることが大事なのだろうと思いたい。かつて吉田健一は、「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」と書いた。

ならば、せめて「壊されたくない」、と思う生活空間を想像することにしよう。


立ち飲み用のカウンター

「台所で遊ぶ」ためにこれまで考えてきたことは、主にテーブルとキッチンを合体させて、これを生活空間の中心に据えることだった。さらに、暖炉や卓上囲炉裏を空想した。この他にあるといいと思うのは、立ったまま飲むためのカウンター。ちょっと気取っていうなら、レストランのシーンで見るようなウェイティング・バーの立ち飲み版。食事までの時間を、ここで食前酒を飲んで過ごす場所。

食事の前に一杯やるところと、食事の席が別にあると気分が変わって楽しいですね。僕はかつて、正式の晩餐会で、一度だけ経験しました(この時は、文字通り場所、というか建物と部屋を変えて行われました)。まあ、結婚式の披露宴の時の待合室も、ウェイティング・バーみたいなところがありますね。そこでは皆リラックスしているために、打ち解けた雰囲気になる。

立ち呑みのカウンターは、スツールに腰掛けないから、そこでの過ごし方はうんと自由性があるし、楽しみ方も増える。まあ、本来はお店のものでしょうけれど、これを住宅に作った例を知ったのは、テレビで見た料理家高山なおみのキッチンでした。台所と食堂兼居間とを分ける低い棚に折りたたみ式の、端材を利用したという板を取り付けただけの簡単なものだったけれど、玄関から入ってきたお客をここで迎えるのです。それから、本日のメニューを紹介したり、当日の「ごっこ」のテーマ、例えば「串カツや」を知らせたりしながら、まず1杯振る舞うのだのだ。楽しそうでしょう。

せいぜい楽しく過ごす工夫をして、これを壊そうとする動きに負けない生活を作りたいと願うのです。


2022.03.05 夕日通信
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#2-031 「台所で遊ぶ」への道 20

赤信号は気にしない、とはいうものの

新しい敷地で考える・仮想敷地B編 5 プランD1


このところはまたしても、探しものばかりしている気がする。

例えば、一つは録画してもらったDVD。もう一つは小説。いずれもが少し前に手にしていたばかりだった。それがどこにあるのかわからない。小説の方は、自分でしまった覚えがあるのだけれど、見つからない(要するに、どこにしまったのかわからないってこと)。こうしたことが多発するのだ。何度探そうとしても見つからない。ようやくひょんなところから出てくることもあるけれど、そのために結構な時間が取られるのだ。しかも、見つかるまでは他のことが手につかない。なんとかしなくっちゃ。やっぱりモノが多すぎる上に、整理できていないのだ(頭の衰えということも、ないとは言いませんが。先日の検査では、 変わりないということでした)。

ああ、書庫が欲しい!(それよりも、さっさと借り直すべきなのか、はたまた片付けるのが先か。それとも、……)。でも、もしかしたら、こうしたこともすでに書いたことがある気もする(自分の頭の中も探せないものでいっぱいなのか!?)。

「新しい敷地で考える」の5回目は、具体的な計画案の第4案(プランD)です。もう、見飽きたかもしれません。


プランD1

原型は一月ほど前にスケッチしたものですが、二つ前のB案をもっとコンパクトにしたようなものでした。いよいよ掲載しようという頃になって眺めていたら、狭くてもいいから寝室も1階にある方がいい気がして、急いで描き直しました。

見ての通り、1階のプランは、奥に台所と食卓。毎度お馴染みの食卓とキッチンがセットになったものですが、ちょっと短かったために、窮屈。その代わりに、独立したバーカウンターと併設するようにした。谷間を眺めながら飲む食前酒も、案外いいのではあるまいか。

南側は中庭の両翼に階段室と寝室。寝室からは、直接サニタリへ行くことができます。浴室と直接つながる小さなバルコニーも設置してある。

中庭に薪や炭を使ってグリルできる設備を設置してあるのは前回と同じ。グリルと隣接してガラスの扉の書庫もすでに試みた。

その結果、2階はほとんどが書庫や納戸、そして映画と音楽(AV)のための小さなシアタールーム。というのは、前回と同じ。ふだんは音楽や映像も1階で楽しむことにして、時々非日常的な2階のシアタールームで、映画や音楽としっかり向き合うのがいいかと。ただ、改めて眺めていると、モノのための住まいのようと言われても仕方がない気もします。「モノのために家賃を払うな!」*と怒られそうですが、「捨てない生き方」**に心惹かれるのです(というか自身の暮らしのよすがとしたいという一縷の望みがある気がする)。

でも、ここでちょっとおもしろいなあと思ったのです。なぜ、こうやって説明しているんでしょうね。だいたい、画家は自作の説明をしないし、彫刻家だって、小説家だって、たいていそうです(ま、講演などで自作を解説することがないでもないようですが)。でも建築家は、そうじゃない。雑誌で発表する時は、必ず設計趣旨について語ります(たぶん、今でも)。しかも、たいていは長く、難解な語り口で。考えてみよう。


* あらかわ菜美、モノのために家賃を払うな!、WAVE出版、2008
** 五木寛之、捨てない生き方、マガジンハウス、2020

2022.02.26 夕日通信
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#2-030 「台所で遊ぶ」への道 19

赤信号は気にしない、とはいうものの

新しい敷地で考える・仮想敷地B編 4 プランC1


このところ、HPのソフトの調子が悪くて、何回やっても画像がうまく表示されない場合があるようでしたけれど、果たして今回はどうか。ペットと同じように、ソフトも飼い主に似てくるものなのか(ま、年を経ると何であれ、いろいろと不具合が出てくる。これはしようがないと諦めるのがいいのでしょうね)。

さて、大きく息をついたところで、「新しい敷地で考える」の4回目は、具体的な計画案の第3案(プランC)です。


プランC1

簡単に説明するなら(今度こそほんとうに、蛇足ということになるかもしれません)、見ての通り、1階のプランでこれまでのものと大きく異なるところは、一目瞭然、寝室とサニタリーを1階にしたことです。したがって、これで日常生活はほぼ1階で事足りることになります。ただ、そうしたせいで、これまでより中庭は少し狭くなっています。浴室と直接つながるバスコートも作れなかったので、小さなバルコニーを張り出した。

その代わりに、中庭に薪や炭を使ってグリルできるような設備を設置してあります(これは、もう何回となく書いたように、外の空間で食べたり飲んだりすることが好き、というかおおいに憧れるのです)。そのほかには、コルビュジエに倣って、独立して洗面器を設置した。これは象徴ということもなくはないけれど、あんがい使いでがありそうな気がします。

そして、その反対側には階段室を設置しています。こうしたのは、東側のルーフ・テラスから海を眺めようとしたためですが、ここを通るたびに眺めていたら、もしかした高さが不足して、あんまり効果的じゃないかもしれないことに気づきました。そのため、急遽屋上を使うことを考えた。

ともかくも、中庭が狭くなった分、内部の部屋の延長、外の部屋としてのイメージは強くなる気がしますが、さてどうでしょう。キッチンと一体化したテーブルはこれまで通り(いかにも芸がないようなのですが、他のパタンをいくつか試してみてもどうもうまくいかず、イマイチな感じがするのです)。

2階は書庫や納戸、そして映画と音楽(AV)のためのシアタールーム。当然のことながら、非日常的な性格が強くなって、映画や音楽をしっかり楽しもうという時はいいと思います。ただ、2階のプランはできていると思っていたら全くの手つかずで、急ごしらえしたもの(こんなことばかりなのです。やれやれ)。

正直なところ、ちょっとくたびれかけてきていますが、もうしばらく、このシリーズを続けようと思います。なかなかむづかしそうですが、思いがけず幸運に恵まれた時、あるいは嬉しい出会いに巡り合うかもしれないことを想像しながら、がんばるつもりであります。


2022.02.19 夕日通信
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#2-029 「台所で遊ぶ」への道 18

赤信号は気にしない、とはいうものの

新しい敷地で考える・仮想敷地B編 3 プランB2


今日210日の朝刊の「折々のことば」の欄には、「土に還(かえ)すということ。そこに、命の始まりと最後を見届けるような安心と無常とを感じる。高橋久美子」とあった。著者は文筆家らしいのですが、それが載っていたという本のタイトルは「その農地、私が買います」。著者とその思想についてはこの欄に書かれていることだけしか知らないのだけれど、羨ましいと思った。その思想の直截的な表現(本のタイトル)と行動の結びつき方の直接さ。こうしたことが、なぜ自分にはできないのだろう、とつくづく思ったのです。

さて、気を取り直して、「新しい敷地で考える」の3回目は、具体的な計画案の第2案(プリンターの故障で掲載することができなかった間に、いくつか考えたものの一つ)です。


プランB2*

言わずもがなという気もしますが、簡単に説明すると、1階で前回のもの(プランA1)と大きく異なるところは、キッチン及び食卓と北面の外部との距離を短くし、あわせてバーカウンターも北側の開口部に接するようにして、より積極的に開けた外を楽しむことができるようにした(プランA1では、このあたりはちょっと無理やりという感がありました)。南面の中庭は両脇に階段室と書庫(いずれも中庭側はガラス戸)、奥にもガラス戸の書庫を配して外の部屋らしさを強調しています。キッチンと一体化したテーブルは通り抜けのための寸法調整で少し変形していますが、基本形は変わりません。階段室のドアもガラス戸にして、シンクに立った時の視線の抜けを確保しました。

2階は前回と同じく、プライベートゾーン。そして、浴室と直接つながるバスコートがあるのも変わりません。書庫の上のルーフ・バルコニーからは、海が見えそうです(昼間のビールには絶好)。他方、前回できなかった寝室から直接洗面所へ行くことは、今回はできるようになっています。階段室の踊り場の部分は小さなサンルーム的な空間のつもり。ここをより楽しくするためには、本棚とソファなんかをうまく配置できるともっといいかもしれません。

もうしばらく、この敷地での計画案が続きます。なんだか、学生の時にエスキースをサボっていたのを今頃になってやっているような感じです。ただ厳しいチェックが入ることはないので、気楽といえば気楽ですが、ちょっと寂しい気もする。おまけに、実現のめどは立っていないので、気持ちも萎えそうになるのですが、ボケ防止のための頭の体操、「暮らしと間取りアドバイザー」としての自主トレーニングのつもりで、もう少し続けようと思います。もしかして、いつか幸運に恵まれたなら、いいことがあるかもしれない。


* アルファベットの次の番号は、元の案の何回目の修正案かということです。すなわち、B1はプランBの第1回目の修正案(清書するときに手を加えた)ということ。ここに示した案B2というのは、さらにもう1回修正した案です(最初の案から掲載用に清書するまで、めずらしく時間があいたせい)。何をやるにしても、こんなふうに時間がかかるのです(やれやれ)。


2022.02.12 夕日通信(*コメントやつぶやき等を、こちらから。お気軽に、ぜひどうぞ。正直なところ、反応がないと元気が出ないのであります。a poor old man)



#2-028 「台所で遊ぶ」への道 17

ひとまず、赤信号は気にしない

新しい敷地で考える・仮想敷地B編 2 プランA1


いよいよ、新しい敷地での具体的な計画案を考えて行くことにしよう(ま、そんなに力むことはないのだけれど)。

もう一度計画の趣旨をおさらいしておくと、一つ目はこれまで通り「台所で遊ぶ」ための空間とし、二つ目は書庫+台所+音楽と映画のためのスペースとしてでなく、そこで暮らすことのできるための基本的な設備を備えた住宅とする。

さらに、戸外生活を楽しめること、開放的であること、眺望を楽しむことができること等をめざす。


プランA1

まずは、最初に思いついた案(正確には、その修正版*)から。

見ての通りですが、そういっちゃ身もふたもないので、少し説明すると、1階は趣旨のとおり台所が中心で、キッチンセットと一体化したテーブルとカウンターが文字どおり室内空間の真ん中に配置されています。そして食卓からは南北の両方の開口部で外部とつながっている。

もしかしたら気づいた人がいるかもしれませんが、キッチンとテーブルの関係はこのところずっと同じ形式です。すなわち、キッチンセットの前にカウンター、そしてこれにつながるテーブルが一体化しています。そしてもうひとつ、ガスレンジと食卓の間には卓上囲炉裏(?)がある。

使い方のイメージはこんな具合です。

たとえば、もてなす人ともてなされる人がいた場合、もてなす側の人が料理を作るあいだ、もてなされる側の人はカウンターで食前酒をやりながら会話する(もちろん、お茶でもいいし、二人が一緒に料理を作るならそれはそれでいいのです)。また、一人で過ごす昼時なんかはすぐ横のテーブルにまずビールを置いて、テーブルセッティングをしつつ、外を眺めながら調理にかかる。

料理の準備ができたら、テーブルの方に移って食べる。囲炉裏は暖炉の代わりですが(何と言っても、寒い時に炎を見ると気持ちが和みます)、それに加えてガス台ではやりにくい料理、例えば直火で焼き物をするなどができるというわけです。

前面(南面)には、道路までの距離も小さいので壁を立てて外の部屋らしくした。一方、反対側(北面)は遮るものがないので、こちらの眺めも楽しめるように間仕切りの一部はガラスになっています(ちょっと無理やりという感は否めませんが、対面する両面に開口があることによって開放性と楽しさがさらに高められるはず)。また、書庫の大部分は1階に設置してあります。

2階はプライベートゾーン。このため、階段室にはドアを設けて分節度を強めてあります。そして浴室と直接つながるバスコートがある(これも、なぜかむやみに好き)。

ただ、寝室から直接サニタリーへ行くことができないのは残念(苦肉の策で、廊下を閉じて寝室の前室のようにするためにドアが付けてあります)。寝室に連なるバルコニーからは、うまくすれば海が見えるかもしれない。その隣には、第2のリビングルーム、というか多目的室。本格的にスクリーンで映画を見たいときは、こちらの方がよさそうです。

よく見ると、玄関周りがちょっと窮屈だし、その割には無駄なところも目につくかもしれません。


* 基本的には即日設計ですが、たいてい翌日に清書するときに修正を加えておしまいにします。そうするのは、一つの案に手をかけすぎていると飽きてしまいそうだから。このため、すぐに次の案にとりかかるのです(何と言っても、残念ながらいまのところは空想しているだけなのだから)。


2022.02.05 夕日通信(*コメントやつぶやき等を、こちらから。お気軽に、ぜひどうぞ。正直なところ、反応がないと元気が出ないのであります。a poor old man)



#2-027 「台所で遊ぶ」への道 16

ひとまず、赤信号は気にしない

新しい敷地で考える・仮想敷地B編 1


プリンターに続いて、今度はガステーブルが壊れてしまった。ステンレス製でグリルなしのシンプルなデザインで、火力も強い。使い勝手もよかったのだけれど寄る年波には勝てず、経年劣化で大バーナーがダメになった。もう部品の供給もないため、修理不可能。他は大丈夫なのに、交換するよりない。出費も痛いけれど、使い捨ての国、というか時代なのだなあと思わざるを得ないのが残念(まあ、安全基準も変わったようなので、しかたないことかもしれませんが)。

さて、前回までの仮想敷地Cにはコンテナが設置され、こちらもいよいよ諦めざるを得ないことに(?)。そこで、気を取り直して、新しい敷地で考えてみることにしようと思う。

計画案の前に、今回は新しい敷地(以前に紹介した仮想敷地B)の特徴と計画の大方針(大ざっぱなということです)について。


仮想敷地B周辺
仮想敷地B全景

長い間放置されていることからもわかるように、正直なところ、ぱっとしませんね。

中途半端な広さ。書庫には広く、住宅にはちょっと狭い(ま、10坪あれば十分住めるという助言もあったけれど)。おまけに前面道路は坂道だし、このためひな壇になっていて、地盤面までは階段を上らなければならない。

眺望は望めない(何より、水の風景を眺めたいのです。できればたっぷりの水を)。1階部分は、道路を挟んですぐ向かいの家がある。ただ向かいはひな壇が少し低くなっているので、2階からはかろうじて海を見ることができるかもしれない。道路の反対側は谷状になっているようなので、こちらの視界は遮るものが少なそうです。

日当たりは、日の当たる時間帯もありそうです。

で、できるだけコンパクトな住まい(ただし、楽しみは諦めない)をめざすこととし、道路側は壁を立てて中庭的な扱いとしてみようと思ったのだけれど、どうでしょうね。しばらく、この敷地で遊んでみようと思います。

具体的な計画案は、来週からのこの欄で。

さて、「残り物に福」というような場面があるのか……。


2022.01.29 夕日通信(*コメントやつぶやき等を、こちらから。お気軽に、ぜひどうぞ。正直なところ、反応がないと元気が出ないのであります。a poor old man)



#2-026 「台所で遊ぶ」への道 15

ちょっと寄り道

番外編 モノのために家賃を払うか


昔ちょっと話題になった本に、「モノのために家賃を払うな」という本があったような気がした。至極まっとうな意見のようにも思える。モノのために家があるようにも見えるのは、おかしい。
で、調べてみた。


*

ありました。あらかわ菜美著「モノのために家賃を払うな!」。2008年11月発行(!)。
出版社の惹句*は以下の通り。

 片づけができないのはウソ
 あなたは物のためにお金を捨てている
 モノに時間を奪われている
 だまされるな!洗脳されている
 脳が「片付けられない」回路を作っている
 片付けはタバコをやめるよりも難しい
 あなたはそれでも物と暮らしたいか?
 モノにあなたが捨てられる(殺される)
 片付けなくていい。脳を活かして、次のことを実行するだけでいい
 あなたはもう、モノにとりつかれることはない!

「モノに時間を奪われている」というのにはうなづくしかないし(しょっちゅう探し物をしている)、「片付けはタバコをやめるよりも難しい」が「片付けなくていい」というのは極めて魅力的に響く。

主役は当然住む人だ。しかしこれらのモノ、特に本や映画や音楽関係のモノは住まい手にとっては必要不可欠ならば……。
とはいうものの、僕の場合ほんとうのところを言えば、多くのモノはなくても困るということはない。となれば捨てて良いのか。ただし、なくても困らないということを判定基準にするなら、ほとんどのものや存在が当てはまりそうでもあるのだ。小さな差異を大事にしないなら、たいていのことがどうでもよくなってしまいそうな気がする。

それでも、手にするCDやレコード、DVDはほぼ決まっているようなところがあるし、残された時間も限られている……。

やっぱり、たいていのものが少しずつ精選し、整理することを考えるほうがいいのか……。


* 画像とキャッチコピーは、出版元のWAVE出版「モノのために家賃を払うな!」(あらかわ菜美著)のHPから借りました。ところで、2008年には何があったのかは全然覚えていないのに、こうしたことを覚えているのはどうしたことだろう。


2022.01.22 夕日通信(*コメントやつぶやき等を、こちらから。お気軽に、ぜひどうぞ。a poor old man)



#2-025 「台所で遊ぶ」への道 14

もう赤信号は気にしない

再出発はちょっと安易な方法から


これを掲載するのは、15日の土曜日。ということは、もう1年の1/24が過ぎたことになる。早いねえ。ぼんやりしていたら、ほんとうにあっというまに終わってしまう。それでは困る。

ある日、プリンタの調子が急に悪くなった。写真の色が変なのだ。最初は、ソフトの方に問題がるのかと思っていたのですが、他のソフトで読み込んだ別のファイルでも同様の結果。これはプリンターの問題と確信して、ノズルチェックパターンを印刷した後、プリントヘッドのクリーニングやら何やらやってみたけれど、うまくいかない。サポートセンターにも相談して、時間を空けてもう一度強力クリーニングをしたり、少なくなってたインクを補充したり、やれることを試したのですが、一向に改善しなかった。

それで、買い換えるか修理に出すかの選択になるわけですが、これが悩ましい。修理するとなれば、25,300円。後継機を購入するなら2年保証付きで、40,150円。ランニングコストは後継機の方が安くなっているようだが、この差額分は現行機を3年くらい使うとほぼ同じになる計算(ちょっと怪しいけれど。それに、使い捨ての風潮には与したくない)。で、修理することにしたのだけれど、聞くとオーバーホールというのではなく、申請した不具合だけを直すと言うのだ。しかも同じ不具合だけの保証期間が3ヶ月。そりゃないだろうと思ったのですが、すぐに壊れることはないだろうという方に賭けることにした(まだ、使い始めて1年ほどだし、何しろ年金生活者)。キャノンよ、もう少しサポートサービスの充実を。

残念なことは色々ありますね。これについては事欠かない。小さな残念の数を競ったなら、結構いいところまでいきそうです。使用している機器類は言うに及ばず、自身のことも例外ではありません(やれやれ)。

さて「夢見る住まい」の方は、前回までの仮想敷地がもはや入手できそうにないことがわかって、ちょっと意気消沈。自宅から近いし、小さいし、何より眺望が抜群だった(残念)。

で、どうするか。
もはや収納することよりも、モノを減らすことに専念することこそがすべきことという気がしたし、それが一番現実的で合理的だということはわかっているのだけれど、そう思い切ることができないのだ(となると、もう一度気を取り直して続けることにするしかない)。

実現性の他にもあるいくつかの懸念材料のことはしばらく措くとして、スケッチし続けないと気力も減少するだろうし、頭の体操、あの「住まい手に媚びず、離れない『間取りアドバイザー』」としての訓練にもならないのだ。


プラン#4−1*

それで、ちょっと安易だけれど、前回のプラン#4にもう少し手を入れてみることにした。ついでに、敷地の条件をもう少し緩くして(これが実際的な意味がないのはわかっているけれど、何と言っても「夢見る住まい」なのだ)、キッチン周りを少しゆとりがあるようにした。そして、一応住めるようにも(これが、中途半端さを増加させているかも)。ただ出来上がったものを眺めていると、なんだかモノのために家があるようにも見えて、主客転倒と思わないこともない。しかしすでに書いたように、今の所はこれらのモノ、特に本や映画や音楽関係のモノは自分にとっては大事なのだ……。
とはいうものの、少しずつ精選し、整理することを考えるほうがいいのかもしれない。ああ、こちらも悩ましい。


* プリンターの修理のために引き取りに来る前に、大急ぎで描いてスキャンしたので、もう少し書き込めればよかった。

2022.01.15 夕日通信(*コメントやつぶやき等を、こちらから。お気軽に、ぜひどうぞ。a poor old man)



#2-024 「台所で遊ぶ」への道 13

またまた・赤信号を前に

新たな障害が出ても


新年おめでとうございます。
と言っても、ほとんどの地域では松の内を過ぎて、そろそろ正月気分は抜けた頃ですね。
皆さんは年末年始をどう過ごされたのでしょうか。いいお正月でしたか。

一時落ち着くかに見えたコロナ禍に新しい変異株が出現*して、今年も帰省ができなかったのは残念だったし、おまけに風邪気味だった。しかし一方で、良い天気に恵まれたし、体調が万全でなかった分ゆっくりと本を読んだり、DVDを見たりすることができた。おまけに、野草や小さい花が刈り取られて寂しかった石垣の目地の隙間からは、生き残った緑の葉っぱがもう大きくなってきた。ま、悪いことがあれば、いいこともある、と言えなくもないようでした。


プラン#3・4

さて、先に書いたように、階段を音楽や映画を楽しむための座席としても使えるような案を考えていたら、階段下の空間がうまく使えず、いかにも非合理的に過ぎるような気がして、どうもうまくいかなかった。そこでいったん離れて、食堂と土間の連携を考えることにしてできたのが、左の案。
描いた後これを眺めていたら、何となく悔しい気持ちがあったので、台所と食堂を土間にし、音楽と映画を楽しむ空間の部分だけに床を貼り、階段を座席として使えるようにした。それでも中途半端だし、あんまり非日常的な感じ(何と言っても、書庫兼遊び場なのだ)がしないので、やっぱり面白くない。
で、もう少しだけ大胆に考えてみようとしたのが、右の案。見ての通り、台所と食堂のある1階部分は全部土間になっています(開口部は立面を検討しないといけません。模型を作れればいいのだけれど)。清書しながら、敷地の形状との関係からすると、一部左右を入れ替えたほうがよかったかもとと思った。ともかくもこんなふうに、何をするにしても時間がかかるのだよ(やれやれ)。

少しはマシになったかと思った時に、敷地を見てみたら、仮想敷地の部分に様々な車がびっしり駐車していたのが目に入った(がっかり)。たぶん、業務用の駐車場としているのでしょうね(残念)。またまた、新たな障害が出来したわけですが、そのうちにいいこともあるでしょう。そう思って、やることにしよう。

追伸:お正月に、ラジオをつけてもつまらないし、テレビのチャンネルを回していたら(見たくなるようなものが、ほんとうに少ないのです)、たまたま藝大の先生がラファエロについて講義しているのに行き当たった**
ルネッサンス期のドイツで活躍した画家、版画家、さらには数学者でもあったアルブレヒト・デューラーは、注文を待つのではなく自ら版画を制作し、複製したものを売っていたという。同時代のラファエロにも影響を与えたらしい。複製メディアの活用というアイディアもすごいけれど、注文されてから描くといのではなく、自ら売り込むというのは、画家の主体性、というか自立性の確立という点から言えば、そうしたことが始まった頃の画家の一人と聞いたフェルメールらよりもおよそ100年ほども早いね。

これに倣って、注文を待つより、たとえば「間取りアドバイザー」としてプラン集を作って公開すればいいのかな(ま、プラン集の販売は、ライトなんかもやっていたようですが)。この場合、もちろん技術やセンスというのではなく、「暮らし方」に合わせた間取りをという立場で。キャッチコピーは、「住まい手に媚びず、離れず」。
でも、どうやったら見てもらえるのだろうね(これが問題)。


* なぜかその前は感染者が減るのも早かったけれど、増えるのもあっという間。油断禁物。
** 2022.01.02 TOKYO MX1:東京藝大で教わる美術のみ方「ラファエロのすごさを解説」


2022.01.08 夕日通信(*コメントやつぶやき等を、こちらから。お気軽に、ぜひどうぞ。a poor old man)



#2-023 「台所で遊ぶ」への道 12

またまた・赤信号を前に

少しずつ試みる


メリークリスマス。

今日はクリスマス。クリスチャンでもないのにクリスマスを祝うのも変だけれど、もう完全に当たり前のことになりましたね(おまけに、40年近くキリスト教系の職場に勤めていたのだ)。そればかりか、イースターやらハロウィーンやらも、いつの間にかすっかりお馴染みになってきた(商業主義の力恐るべし。というか、もしかしたら、若者たちがますます希望を持ちにくい社会になってきたということかもしれない)。苦しい日常を、一時の楽しい非日常で耐えるしかないのだろうか。


プラン#2

先の案を、もう少しリファインしようとして、台所とオーディオスペースを入れ替え、さらに階段スペースと玄関の土間スペースを入れ替えて台所と土間を一体化して使えるようにした。これに伴い、2階は映画のためのスペース(ちょっと小さいけれど)が母屋(隣家)から最も離れた部分に位置することになった。
その後で敷地をよく見たら、母屋側の1/3ほどはもう少し広くなっていたのでした。今回はいつにもまして急ごしらえになったので、次はこのことを生かすことと、階段を映画を見るための座席として使える(あわせてAVスペースの統合も)ようにすることを考えてみるつもり。


いよいよ今年もおしまいです。
良い年をお迎えください。
来年が良い年でありますように。


2021.12.25 夕日通信(*コメントやつぶやき等を、こちらから。お気軽に、ぜひどうぞ。a poor old man)



#2-022 「台所で遊ぶ」への道 11

またまた・赤信号を前に

できることから


この時期になると、毎年必ず買うものがある。それは、「このミステリーがすごい!」*。早速買ってきたのですが、嬉しい発見があったので、まずはそのことから。MY BEST 6のコーナーに、渡辺武信の名前を見つけたこと。彼は、詩人、映画評論家、そして建築家としても知られていますが、ミステリーファンでもある(ついでに言うと、彼は僕の学生時代のアイドルでもありました)。それが、前年はどうしたことか載っていなくて、心配していたのです。まずは、めでたい。ついでながら、嗜好も似ているようなのです(これはミステリーの話)。

さて、プランを考えていると、自分の性格というのがよくわかります。
僕の場合は、やり始めるとあれもこれもと、つい欲張ろうとする。それはまあいいとしても、プランAを解決する前にプランBのことが頭の中でちらつき始める。つまり、気が散りやすい。それで、結局なかなか進まないということになりがちなのです(話をするときにも同じような症状が出て、まとまりを欠くことがある)。
文章を書く場合と同じで、ウィリアム・フォレスターや丸谷才一が教えるように、まずは一つの案(一つの文章)を書いて、それから推敲するというのが肝要なようです。我ながら今更という気がしますが、つまりは、基本的なところは何においても変わらないということですね。

ところで先日、夜にあの空き家の側をとおったら、灯りが見えたのでした。ということは、人が住んでいる、空き家じゃなかったということですね。となると、書庫と寝室を1階におろしたプランは、残念ながらもはや用なしってこと。ま、練習のつもりでやればいいのかもしれないけれど、ちょっと気分が乗りません。


新しい仮想敷地C 

がっかりして、後日その近所を歩いた時にちょっと脇に入ってみたら、すぐに書庫に良さそうな空き地(正確には、人家の敷地の一部のよう)を発見したのです。短辺が約3m、長辺がおよそ10m超の細長い形状で、やっぱり道路の反対側は崖になっている。したがって、眺めは抜群、文句なし。ここが借りられたらいいなあ。


プラン#1

それでスケッチしてみたのですが、ちょっと頑張れば、書庫としてでなく日常的に暮らすための住宅も作れそうです。ただ、ものを相当数減らさなければなりませんが。おっと、これは本末転倒!いけない、いけない。これは後でやることにして、まずは一番最初に思いついた案から。書庫兼遊び場としての第1案は、定石通りに母屋の側からプライバシーを要求する度合いの軽い順に並べて、眺望を楽しむべく、カウンター席を張り出した。
2階が重量のある書庫なのはどうかという気もするけれど、スパンが短いことと使い勝手のことを考えると、まあ妥当なところではあるまいか(なにしろ、使うのは年寄り)。でも、もっと割り切りが必要なようです(これも苦手)。


* その年に発行されたミステリー小説をランキングしたムック本。最近は、贔屓の作家以外の新作はもっぱらこれを頼りに読むことが多くなった。


2021.12.18 夕日通信(*コメントやつぶやき等を、こちらから。お気軽に、ぜひどうぞ。a poor old man)



#2-021 「台所で遊ぶ」への道 10

また・赤信号を前に

できることから


すっかり寒くなりましたね。ようやく冬が来たという感じです。頭の中も冬、と言ってもこちらは小春日和のようにほんのりと暖かいままで、このところは探し物ばかりしている気がします。この間はある小説を読み返そうとして探したのですが、見つからない。確かこの辺りに押し込んだはずと思って、心当たりを何度も探してみたけれど、本棚にはなかった。それがある時、思わぬところから出て来た(やれやれ)。

もうひとつ、臨時国会での岸田首相の所信演説で、ケネディ元大統領の「屋根を修理するなら、日が照っているうちに限る」を引用したという話が載っていた新聞*
ケネディが、災いが起こる前に備えることの重要性を説いた時のもの。岸田の場合は、もちろん、コロナの第6波への備えについて言おうとしたのですね。ケネディの言葉もコロナへの備えについても異論はないけれど、先人の言葉を引用したことについては、ちょっとした思いがあったのです。
新聞によれば、歴代の首相も先達、特に外国の偉人たちの言葉を引用したらしい。たとえば、小渕は宮沢賢治の言葉を、鳩山はアインシュタインを、そして安倍が特に顕著でマンデラやケネデイの言葉を引いたと言う。

さて、それに対する思い、というよりも違和感の方が適当だけれど、というのが何かと言うと、憲法改正論者の理由の一つには押し付けられたものだというのがあったことを思い出したため。憲法では自前の必要性を言い、所信演説の時は先達の引用を厭わない。おかしい気がしたのです。

僕は自身のオリジナルじゃないものでもいいものはいい、逆にオリジナルのものでもつまらないものはつまらないという立場です。例えば、与えられたものでもいいデザインの椅子は嬉しいし、自分が作ったものであっても出来が悪ければ楽しくない。
ま、他者の権威に頼りたくなる気持ちはわかるし、同時にちょっと恥ずかしくもあるのですが。


空き家の改修(内部空間編・1) 

あの後で、というのは外部空間の使い方を言葉で示しただけでお茶を濁した時のことですが、新しい敷地での計画に取り掛かるつもりでした。でも、ちょっと悔しい気がした。ずっと小骨が喉に引っかかったままのようで、すっきりしない。それで、内部も考えてみることにしたというわけ。わかっているのは、道路側と右の開口部だけ。だから、これを手掛かりに改装してみようとしたのです(幸か不幸かどうせ、もとい実際のところ、実現する目処があるわけじゃないので、多少違っていたとしても問題はない)。いつ実現の機会がやってきてもいいように、いわばトレーニングですね。

まずは、考えやすい方、寝室と書庫を2階にするプランから考えてみることにした。これをやっつけてから、次のステップに移ろうと思ったのです。重い書庫は、比較的壁量の多い玄関の上とした。いちおう作ってみたけれど、LDKに暖炉(囲炉裡)がないのが残念。火を眺めるのは心地いいだけでなく、この上に鍋でも載っていたらもっと楽しい。暖炉付きのものはまた別の機会に考えることにして、今回はここまでで良しとしよう。と思っていたのですが、図面(1F右上)にあるように、清書の段階**でなんとかつけました。ただ、例によって、細かい齟齬は気にしない(たとえば、玄関ポーチの左下の柱を忘れた)。


* 2021年12月6日朝日新聞夕刊
** 今回から、910グリッドの紙を用意した(エクセルでなんとかできた)。


2021.12.04 夕日通信(*コメントやつぶやき等を、こちらから。お気軽に、ぜひどうぞ。a poor old man)



#2-020 「台所で遊ぶ」への道 9

続々々・赤信号を前に

できることを


中村吉右衛門が亡くなった。たぶん「鬼平犯科帳」の鬼平役が最も一般的だと思うけれど(歌舞伎のことは知らない)、池波正太郎原作のもので言えば、僕は鬼平よりも「剣客商売」の方がおもしろかった。特に年取ってからそういう気がしたのは、長谷川平蔵よりも秋山小兵衛の方が軽妙さがあって好ましく感じたせいではないかと思う。吉右衛門は重厚な役が似合っていたけれど、案外秋山小兵衛も似合ったのではないかという気がして、彼の品の良い小兵衛を見てみたかったと思ったりする。

それにしても、77歳というのはね。僕にとっては、自分がその年になるまでと考えたら、何年もないのだ。ちょっと呆然とします。その後でたまたま、ショパンは39歳で亡くなったということを知った。先ほどの吉右衛門の約半分。続いて、94歳の指揮者ブロムシュテットのコンサートの案内を聞いた。長生きする人もいれば、早死にする人もいるということ。当然、その中間で、という人もいる。

残された年数を数えてみてもしようがない、ということかもしれません。ま、残された時間を考えるよりも、今何をしたいか、何をしたくないかということを第一に考えるのがいいのででしょうね(本当は、毎日をそんなふうに生きることができればいいのだけれど、なかなかそうはいきません)。ちょっと「8月の鯨」のリリアン・ギッシュのことを思い出した。ルターの言葉*のことも。それでも、なかなかむづかしい。

赤信号は一向に緑に変わる気配はないけれど、できることをやるしかありませんね。

で、あの空き家らしい家に住むとしたらと考えてみた。と言っても、内部はわからないので、外部空間をどうするか、ということですが。


空き家の改修(外部空間編) 

遠くに海を望む方は急勾配の斜面で、視線を遮るものは木々だけだ。したがって、これに少し手を入れたなら、眺望は文句なしのはず。

だから、まずはこちら側にバルコニーを張り出すというのが、誰しもが考えつくことではあるまいか(何と言っても、半屋内空間への憧れが大なのだから)。その時には、1階部分のバルコニーと、2階のそれの性格を変える。例えば一方を半屋内空間としたら、他方を開放的な屋外のテラスにする、というように。

当たり前過ぎるでしょ、と言われるでしょうね。芸がないなあ、と。でも、それはいいんです。僕は、そこで楽しく過ごすことができればいい。もとより、建築的な野心というようなものはないのだから。

と思ってやり始めたら、簡単じゃなかった。外部空間が内部空間の使い方と関わることは当然だし、1階で日常生活を完結させようとすると、書庫は2階になる。重いものが上階にあるのはうまくない。で、今回は中途半端の2乗となった次第。

それにしても、ねえ。参るなあ。


* これについても、触れたことがあるのです(末尾の文。やれやれ)。


2021.12.04 夕日通信(*コメントやつぶやき等を、こちらから。お気軽に、ぜひどうぞ。a poor old man)



#2-019 「台所で遊ぶ」への道 8 番外編・5

続々・赤信号を前に

敷地を探す


ジーンズの誕生をめぐるドキュメンタリー番組を見ていたら、心理学だったか歴史学だったかの解説の学者の一人が「人間は着飾りたいという欲求を持っている」と言う。とすると、これを失うと人間らしくなくなるということだろうか。僕はここ何年も洋服らしい洋服を買っていないし、今年は靴下1足だって買わなかった。ほとんど同じような格好しかしないし、しかも髭を剃ることを忘れることもある。どうやら人間らしさの資質を少なくとも一つ失ったのかもしれない。

しかし、着るものはいちおう清潔だ。そしてもう一つ、ここに書くように住まいに対する欲求はあるから、かろうじて人間らしさの完全な喪失は免れているのではあるまいか。と書いたところで、これも頭の中のことだから怪しいのかという気がしてきて、ちょっとまずい。

こないだの書庫以来、他に敷地(候補です)がないものかと気にしながら歩くようになった。すると、空き地が2つと空き家が1軒目についた。それで、番外編ばかりが続きますが、今回はこれらのことを。


仮想敷地A 

実は空き地なのか奥の家の敷地の一部なのかよくわからない(改めて見たら、別の敷地のように見えた)。坂を登りきったところの角地だから、眺望や採光を遮るものはない。海も遠くに望めるかもしれない。広く使えるならば、住宅として建てられるし、一部を借りることができたなら書庫が作れそうです。


仮想敷地B

坂道の途中にあって、眺望は期待できない。両隣と狭い道を挟んで正対する家もあるから、プライバシーや採光の面でも不利。住宅としてはやや面積が不足しているようだし、階段が多くなりそうなこともあって、ちょっと魅力に欠ける気がします。


空き家(?)

先日の書庫の仮の敷地としたすぐ隣に立っている。前を通るたびに見るのだけれど、人が住んでる気配がない。眺望は文句なしだと思うけれど、自宅と寺前の部屋にあるものを全部ちゃんと収容しようとすると、やや面積不足かもしれない。建物は壊さずにリノベーションするとしても、デッキを張り出すことが可能かどうか(何と言っても、半屋内空間への憧れが大なのです)。

実現性はともかくとして、とりあえずはこれらを想定してスケッチしてみようと思います(残りの人間らしさを保持するためにも)。


2021.11.27 夕日通信(*コメントやつぶやき等を、こちらから。お気軽に、ぜひどうぞ。a poor old man)



#2-018 「台所で遊ぶ」への道 7 番外編・4

続・赤信号を前に

ちょっと、修正


何を見ていた時のことだったか(こんなことだって、すぐに忘れてしまう)。病院の予約のことだったか何だったか、ともかく12月の文字が目に入って、驚いた。さらにスーパーにはクリスマスの横断幕がかかっていて、今度は怖くなった。

何がって、うかうかとしているうちに、何も変わらないまま、すでに11月も半ばを過ぎている。気がつけば、いつの間にかもう今年も終わろうとしているのだ。あっという間。本当に時の経つのは早い。参ったな。こんなふうでは、文字どおり何もしないうちに、終えてしまいそうだ(何か、うまく自分を律することができる処方はないものか)。

まずは、先回の記事をアップするときに気づいたことがあったので、そのことを済ませてしまおうと思います。

ちょっと小手先に走りすぎている気がした。さらにその後、敷地予定地(?)を通った時に、平らな面が一回り小さいように感じたのです(自分に都合のいいように、変換していたのに違いない。気をつけていないと、たぶん、人は見たいようにしか見ないのだ)。

小手先…というのは、もしかしたら同じことを思った人がいるかもしれませんが、平面を横切る斜めの壁の線のこと。斜めの線は好きだけれど、小さい住宅(じゃなかった、書庫)では、ちょっとうるさいのではあるまいか、という気がした。


スケッチ・2 

で、もう一度、考えてみた。と言っても、斜めの線をまっすぐにして、作り直しただけのことですが。ついでに言うと、基本的には即興です(というか、その場、その時のアイデアをスケッチしただけのもの)。だから、たくさん穴がある。しかし、そうしないことには続かない。長い時間取り組むことが苦手だし、ずるずると先延ばしにしてしまう癖もある(やれやれ、まるでこれまでの暮らし方そのもののような気がしてくる)。

すでにわかっているだけでも十分に困難な問題があるけれど、残された時間は自分の気に入った空間、願わくば自身がデザインした空間で過ごすことができるならさらに嬉しい、と願う気持ちが次第に強くなる(一方で、遅きに失して、もはや無理かもという思いもあるけれど)。

となると、いろいろなことどもにけりをつけなければならない。長く生きていると、無駄なことばかりしていても、澱のように溜まるものがある。もしかしたら、「無駄に……」からこそ、だったかもしれない。そして、多くを望みすぎないようにして、敷地を探すことが先ということだろうか。何だか、ため息しか出ないようです(ふうーっ)。


2021.11.20 夕日通信(*コメントやつぶやき等を、こちらから。お気軽に、ぜひどうぞ。a poor old man)



#2-017 「台所で遊ぶ」への道 6 番外編・3

赤信号を前に

いったん、迂回


このところ、メールを読むことが少なくなった。コロナ禍のせいか、退職したせいか、はたまた、……。メールそのものがめっきり減ったし、人と会うことはもちろん、外へ出る機会もほとんどなくなった。勤めていた時は、自身に関係があるものからないものまで、膨大なメールが届いていて、煩雑なことこの上なかった。ところが、最近届くのはアマゾンからのものばかり(これがまた、うるさい)。ま、アマゾンを利用する機会がいくらか増えたことは間違いないけれど、それにしてもねぇ。アマゾンのマメさには恐れ入る。だから、メールを開かない日もある。

開かないといえば、あんまり嬉しくない状況は他にもあって、正確には開けないということだけれど……。これまでにもすでに書いたように、「台所で遊ぶ」への道はなかなか開けず、早くも赤信号が点滅し始めたようです。

もう一度、問題をざっとおさらいするなら、まずは経済力。土地を購入するだけでなく、これを維持し生活しなくてはならない。しかも、時々の楽しみも必要だ。

次は、体力。土地または建物を探し、住宅をデザインしなければならないし、引っ越しにも耐えなければならない。自立した生活のための体力も。

そして、時間。土地を探し建てるまでの時間やそのあとの整えるための時間。最大の問題は、そこで暮らす時間が、果たしてどのくらい残っているものか。

と考えると、今また繰り返すまでもなく、相当に厳しいものがあるね。やっぱり、ここでも年齢が関わってくる。時間は、生きとし生きるに対して、特に年老いたものに対しては、容赦がない。最後は楽しくいきたいのに、むしろ我慢を強いられることが多いのだ(老婆心ながら、若者も心せられんことを)。そこで、これらに向き合うことを一旦やめて(例の薫くんは、兄たちから学んだという、生き延びるためには「逃げて逃げて逃げまくる」ことを信条としていた)、他に何かできることがないか考えることにした。

で、思いついたのが、住宅の代わりに書庫(というか小さい収蔵庫)を建てるというのはどうだろうということ。散歩の途中に、ごく小さな台形状の空き地があった(ここに建物が建てられるのかどうかは知らない)。遠くにはわずかだけれど海も見ることができるはずだし、自宅からも歩いて通える。


敷地:フェンスの向こうの崖っぷち
スケッチ 

で、さっそくスケッチしてみた。いちおうスケールを合わせるために描き直した時に、幾らかの修正はしたのですが、効率的な収納方法が問題。

何しろ書庫だから、小さいし、住宅とは違って寝るためのスペースはない。とても、台所で遊ぶというわけにもいかない。ただ、日中を過ごすとしたら、簡単なキッチンが必要だ。半屋内空間も。たまには、映画や音楽も楽しみたい。おっと、欲張りすぎてはいけません。たくさん収納できて、すぐ取り出せる、しかもすっきりとした収納方法はどうすればいいのだろう(やれやれ、我ながら情けない気がしてくる)。

ま、これにしたって、実現はかなりむづかしそうだし、決して合理的とはいえないのだけれど……。


2021.11.13 夕日通信(*コメントをこちらから、ぜひどうぞ。a poor old man)



#2-016 「台所で遊ぶ」への道 5

理想の住まい 2

建物について


どこに建てるかということのほかに、理想の住まいのための重要な条件のもうひとつは、どんな内容のものにするかということ。そこで、今回は理想の住まいの建物に望む条件について書き出してみよう。

・台所が中心であること(これは、自明)。

・暖炉があること。

・半屋内空間があること。

・映画や音楽を気兼ねなく楽しめること。

・本やレコード等をたっぷり収納できること。

・夕食の前や少し早い時間にちょっとお酒を飲むスペースがあると嬉しい。

こうやって書き出しはじめていくと、建物についてもやっぱり、もはや無理ではないかという気がして、だんだん雲行きが怪しくなってきた…。そこで、リストを書き出すのはこのくらいにして、その理由や内容について簡単に述べることにしよう。




上の条件を満たそうとして、とりあえず描いてみた。これまでのものとの関連性がないけれど、それもそろそろ取り組まなければ(アイデアは多いほど可能性が広がっていいけれど、時間のこともあるのでそうもいかない)。

本格的な暖炉がある家には住んだ経験がないのだけれど、火(わけても薪の火)が燃えているのを眺めるのは気持ちが落ち着きます。秋から冬にかけてなんかは、その上に鍋が載っているというのも楽しい。

半屋内空間は不可欠。もう何回も書いた通り、戸外で食事をするのが好きだし、テント好きということでは人後に落ちないと自負しているくらい。気候がいい時は家でも外(というか、正確には半屋内)で食事をしたいし、冬でも朝と昼は外を見ながら楽しみたい。形態的には、バラガン邸の十字形をした大きな開口部を持つ居間と食堂の向こうの壁と日除けに囲まれた外部空間のようにして(なぜだか、直接外に出ることができないように見えるのだけれど)。機能的には引き込み戸にして、開口部全体を開け放つことができること(例えば、is-houseのように)。できれば、屋外空間、庭があればさらにいい。

映画や音楽は、本来ならば、映画館やホールで楽しむのが一番かもしれない。ただ、例えば席が選べない等々、いろいろと制約がある。目の前に大きな頭があるのは嫌だし、香水の匂いをプンプンさせたご婦人と隣あわせになるのも敵わない(そもそも、特に映画の時は隣に人がいると落ち着かない)。あんまり端の席もいやだ。なにより、好きな時間にというわけにはいかないのも困る(今日は行くぞ、という気持ちで出かけるのも、ハレの気分がしていいものだけれど)。

そのためには、音楽と映像(AV)のための環境の整備と本やレコード等をたっぷり収納できることが肝要だ(古い人間なので、レコードやCD、そしてDVDというように形あるもので持っていたいのです)。昼夜を問わず、ある程度大きな音で楽しみたいし、映画はディスプレイではなく映写するスクリーンで観たい(映画は暗い中で見るのが良いと思う)。さらには、機器同士の配線も簡単に行えることが望ましい(重い機器類を引っ張り出すのは大変なのだ)。

食事のためのスペースと別に、飲むための場所があると嬉しい。ウェイティング・バー・コーナーみたいなものですね(ま、お客は来ないかもしれないけれど)。ある晩餐会で、食前酒と食事の場所が別だったことがあるけれど(まあ、ふつうのことか)、気分が変わってなかなか良かった。

要するに、建築的な「コンセプト」などという固くるしいものとは無縁で、好きなことを気に入った空間で楽しく過ごせればいいという、ごく当たり前のことなのですが…。

寺町の方の部屋に行けなくなってから、もう3ヶ月以上になる。こちらも、なんとかしなくちゃいけない…。


2021.11.06 夕日通信(*コメントはこちらからどうぞ)



#2-015 「台所で遊ぶ」への道 4 番外編・2

理想の住まい

立地について


理想の住まいのための重要な条件のひとつは、どこに建てるかということですね。そこで、今回は立地について(ということで、はやくも番外編の2回目)。

・目の前の視界がひらけていること。そして、海または湖または大きな川が望めること(湖や川ならば、すぐ側でもいい)。

・日当たりや風通しがいいこと。

・戸外生活を楽しむための、いくばくかの外部空間があること。

・交通の便がいいこと。

・できれば、安価に借りられる借地が望ましい。

あんまり代わり映えがしないけれど、これだけでもう、なんだか無理な気がしてくるね。経済力と体力、そして残された時間、その他諸々。やれやれ。このくらいにしておくほうが良さそうです。




できることなら、水の近くで暮らしたいのだ。水を眺めたり、海辺や川沿いを歩くのは気持ちがいいし、愉しい。そして、穏やかなな気持ちになる。海はどこまでも広く、ゆっくりと行き交う船を見るのも楽しいし、天気のいい日などはよりいっそう晴れ晴れとした気持ちになる。湖や川の場合は、湖面に映る景色がその時々に変わるのも面白い。これはよほど広大な土地じゃない限り、高台か斜面か切り立った崖の上ということになる。

日当たりについては、日本人は南面信仰だとかなんとかと揶揄されることが多いけれど(建築関係者に多いような気がする)、一理あるとしても、それでもやっぱり日差しがあると嬉しい。なんと言っても明るいと気持ちが晴れるし、入ってくる光は陰影を作りだして、見ていると飽きることがない。

先に拳げた水や日差し、あるいは風や緑のある生活を享受しようとすれば、室内だけではつまらない。したがって、小さくとも戸外生活のための空間を設けることが可能なだけの広さがあることが望ましいのだ。

以上のことは、必ずしも自分の住まいの中だけで充足する必要はないけれど、できればいくらかは住まいの中で実現できれば嬉しい。

交通の便は、高齢者にとっては死活問題。いつまで自分の足で歩けるのか、安全に車を運転できるのかわからないし、いずれ叶わない時が来るだろう。できる限り自立して暮らすためには、交通や日用品の店舗等を含めた利便性は欠かせない。

借地が望ましいというのは、言わずもがな、経済と残された時間の問題が大きいけれど、住み継ぐ者がいないということも少なからずある。

条件さえ整えば、借家だって構わない(むしろ望むところ。リノベーションは面白そうだ)。リノベーションを前提とするなら、倉庫、それも煉瓦造りがいいね。天井が高くてガランとした空間。内部の壁もレンガの表しにしたい。その理由はと聞かれると、自分でもよくわからないけれど、簡素だし、昔から煉瓦造が好きなのです(懐かしい気がするのかな)。

イメージを挙げるなら、例えばスコットランドのウィスキー醸造所のある小さな島なんかは(未だ行ったことがないけれど)、住む場所として一つの理想のように思える。対峙すべき自然があり、その時々で美しい。コーンウォールあたりでもいい。ランズエンドが好ましいけれど、セント・アイブス(バーナード・リーチの窯がある)が断然住むのには楽そうだ。山の方なら、アメリカのナパ・バレーか南仏プロヴァンス。いずれも映画の中でしか知らないけれど、広大な葡萄畑が広がる。

日本にも、知らないだけで、似たような場所がきっとあるはずに違いない。でも、たぶんどこにも住むことはできない。どんなに魅力的だとしても、そうした場所では、やわな者は自分の食べるものを、自分自身で調達することさえも簡単ではないだろう(これは、言葉のことを言っているのではないよ)。美しくて素晴らしい場所は、厳しい場所でもあるのだ。


2021.10.30 夕日通信(*コメントはこちらからどうぞ)



#2-014 「台所で遊ぶ」への道 3 番外編

なぜ、台所なのか

料理をする理由


なぜ、「台所」に執着するのか。それは、料理をするのが好きだからということですね。言うまでもない。それでは、「料理が好き」なのは、どうしてなのか。と書くと、ちょっともったいぶるようだけれど、今回は「空間」ではなくて、このことについて(ということで、はやくも番外編)。

なぜかといえば、もちろん、料理、というか食べ物、調理されたものそのものが好きということがあるけれど、直接的には、若い時に伊丹十三を読んだせいかもしれない。知っている人もいるかもしれないけれど、彼は映画監督として成功する(低迷していた日本映画を救った、と言われた)前は、エッセイストとして名声を得ていた。まだ渡航が自由でない頃のヨーロッパで撮影された映画に出演した若い時の体験を元に書いた「ヨーロッパ退屈日記」、そのあとの「女たちよ」、さらに「日本世間噺体系」、等々。インターネットなんかは存在もしない時代に、新しい体験や考え方を記した本は新鮮で、それらが当時の若者に与えた影響は、今想像以上に大きかったのではあるまいか。




伊丹には、料理そのものを主題にした「フランス料理を私と」というハードカバーのものもあった(伊丹が対談相手の家に出向いてフランス料理を作り、料理とともにそれぞれの話題について語り合うというもの。ここには槇文彦が登場して、「都市」について話しています)。そんなようなことで、料理にも興味を持ったのではあるまいか*(もちろん、学生の一人暮らしで、安く食べるためにやらざるを得なかったという理由もある。言うまでもないことだけれど、フランス料理の方は眺めるだけ)。僕は、よくわからないまま、彼の衒学的とも言えるような態度に惹かれていたのかもしれない(しかし、いずれの本も面白かった)。

どの本で読んだったのか忘れたけれど、オムレツを作る時なんかは専用の(鉄製)フライパンが必要だというのだけれど、そのわりには簡単にできそうな気がした。それで、卵をするりと滑らせて巻くためにせっせと鉄製の22センチのフライパンを育てたのです。(その頃は、テフロン加工のものなどはなかった)。おかげで、フライパンは6つほどにもなった。一時減ったけれど、今はまた厚くて重い鋳鉄製や銀色に輝き熱の通りもよいアルミ製のもの等材質や大きさの違いのものがあって、それ以上に集まってしまった(お肉をおいしく焼いたり、スパゲティのソースを作って茹で上がった麺と和えるために。と、言いたいところだけれど、第1は、気分の問題ですね)。当然、鍋の種類も増える(さらには、食器も)。すなわち必要に駆られてということもないこともないけれどけれど、形式を整えるためということもありそうなのです。なんといっても、たとえば買ってきたシュウマイを蒸すのは、鍋とお皿でもできるけれど、蒸籠の方が断然楽しいでしょう(ちょっと、阿部勤ふう)。

でもこれらは、実は1番目の理由ではない気がしているのです。あくまでも、副次的な要因に過ぎない。

で、1番目の理由はなんなのか。考えた。そしてふいに気づいた。

僕は、創作すること、表現することに憧れていたのだ。詩やら建築やらなにやらその他諸々、それらがうまくできないために、その埋め合わせをしているのではないかということに思い至った。幸か不幸か、当たっているような気がする。つまり、代替作用としての料理だったのだ(それでは、なぜ表現することに憧れたのか。これについても、ほぼ合点がいったのだけれど、それはまた別の話)。

そうは言っても、料理することが面白いことには違いがない。楽しいし、苦にならない(付け加えると、後片付けだって同じです。似たようなもののはずなのに、掃除が不得手というのはどうしたことだろう)。きっと、好きなのだと思う。裏切られることがないのもいい。こういう対象があってよかった(ほかにはないのか!?と言われそうですが)。

こんなことを書くと、もしかしたら、どれほどの料理名人かと思う人もあるかもしれない。残念ながら、それは大はずれです。家で作る料理に関していえば、商売でやるのとは違って、比較的たやすいのです(失敗したって、大した害はない)。工夫の余地もしがいもあります。それが、続いている理由の一つだと思います。

ともあれ、年取ってから気づくと、ちょっと堪えることもあるのですが、それが少なくないのです(まあ、出来が悪かったから、しかたがないのかもしれない…)。だから、僅かなりとも、このことから逃れることのできるもの**があるというのはありがたいのです。


* 檀一雄、玉村豊男等のプロの料理人以外の本を含めて、その後も集めて、いろいろな料理書を所有することになった。結構あります(本当は1冊を極めるのがいいかもしれないけれど。それができない…)。
** 孔子も言っています。「頭の地獄から逃れるためには、手と足を使え」と。


2021.10.23 夕日通信(*コメントはこちらからどうぞ)



#2-013 「台所で遊ぶ」への道 2

とりあえず、もうひとつ

こんどはジャズ・バーふう


「台所で遊ぶ」のための具体的なあり方については、もう一つ違った方向性のイメージがあるので、今回はこれについて書くことにしてみよう。

それがなにかといえば、あんまり代わり映えしないかもしれないけれど、カフェあるいはバーのカウンター。分けても、ジャズ・バーのカンター周りの佇まいに惹かれるのです。実際に経験したバーはもとより(あんまり数は知らないけれど、連れられたりして名店のいくつかにも行ったことがある)、フィリップ・マーローが好んだ開けたてのバーの空気感や雑誌で見る写真にも大いに惹かれるのです。磨き込まれたカウンターの上にはぴかぴかに拭き上げられたグラス類が吊り下げられていて、その向こうには銘酒の瓶が整列して並んでいる。そして、左右には大きなスピーカーが鎮座する。

静謐と音楽とこれに混じったグラスのふれあう音が聞こえて、その対比が際立つ。と同時に、それらが溶け合うようでもあり、魅力的です。




で、取り急ぎ描いてみたのがこれ。実は、このところバーに行くことがなかった。コロナのせいばかりではない。なぜかそれ以前から、久しく遠ざかっていたのだ。しかも行ったら行ったで、飲む方が忙しいので、台所との関係までは気が回らなかった。だから、あんまりはっきりした記憶はないのです。したがって、文字どおり想像するイメージです。そして、バーに関しては、どちらかと言えばにぎやかさよりは整然とした静けさを好む。お酒でいえば、ビールやワインよりもウィスキーのイメージなのです(実際のお酒に対する嗜好は、必ずしもこの通りではないけれど)。

しかし、バーカウンターで実際に料理すると、油や湯気等様々なものが排出されることになって、精密なオーディオ機器と併置するのは色々と不都合があって、むづかしい。生ゴミの類も見せたくないし、見たくない。カウンターを挟んでお客と料理人が対峙するような鮨屋や天ぷら屋、そして板前割烹、オープンキッチンのレストラン等でも、たいてい下ごしらえは裏でやっている。おまけに、住まいにおける食事の場がカウンターだけ、というのはさびしい(だいたい、カウンターは一人での食事が前提なのだ。だから映画「家族ゲーム」で家族が1列に並んで食事をするシーンは衝撃的だった)。

これを避けようとすると、やっぱり表のオープン・キッチンと裏の台所の二つが必要になって、面積も増える。合理的とは言えなくなるけれど、それでもちょっと憧れてしまうのです。

おまけに、バーはたいてい暗くて閉じた空間になっている(そもそも、バーは夜のものだ)。しかし、住宅はそうではない。僕は開放的で明るいキッチンと食卓が好きだし、外に直接つながるような作りを好む(これも、実際の住宅での経験は、残念ながらない)。この辺りも考えなければいけない。

それからもうひとつ、書斎的なバーというのもいいかもしれない(例えば、古いオックスフォードを舞台にした「主任警部モース」に出てくるような古いカレッジの先生の部屋のような。そこにはなぜかウィスキーやらブランディやらが目に見えるように置かれていて、客が来ると一杯勧めるのだ)。こちらもだいたい暗いことが多い。でも古くて歪んだガラスを通して入ってくる光はなかなか魅力的な場合もある。とは言っても、キッチンスペースはやっぱり裏に配置することになりそうですね。


2021.10.16 夕日通信(*コメントはこちらからどうぞ)



#2-012 「台所で遊ぶ」への道 1

とりあえず描いてみた

あとから気づくことはあるけれど…


「台所で遊ぶ」の具体的なイメージをいざ描いてみようするとむづかしいと前回書きましたが、今回はとりあえずスケッチしてみたものについて。診察を待つ間に書きつけたものなのですが、こういう時間に書くのが、存外有効なのかもしれません。机に座って、いざ描こうとすると、構えてしまってなかなか手が動かないし、つい余計なことを考えがちなのです。




ここに載せたのは全部で5つありますが、最初に書きつけたのは、No2。ここでも何回か取り上げたことのある“is house* の台所にカウンターを足したようなもの。図面はノンスケール、目分量なのでプロポーションだって怪しい。それでもいちおう描き直す際にキッチンカウンターの大きさは全て揃えたので、かろうじて関係性はわかるだろうと思います。

僕は、以前にも書いたように、いっぺんに考えを進めることができないし、目に見えるようにしないと把握できない。要するに、頭の中での作業ができないのですが、この理由については、最近になってひょんな事から、原因らしきものがわかった気がしたのです(しかし、それはまた別の話)。

No2を書きつけたあとに、もっとDKに近いパタンをと思ってNo1を書き、ならばとさらに原初的な形態のNo0を付け加えた。それから、それぞれの特徴を考えながら、不足のものをおぎなおうとして、No3、No4にたどり着いたというわけ(ここでは省くけれど、細かいことを言えば、それぞれの段階でさらに小さな違いがあります。それでは、いくらなんでも時間がかかりすぎじゃないかとか、それにしては……、とか言われるかもしれませんが、まあ仕方がない)。

少しずつ進めるにあたって、5つくらいの項目で検討してみることにした(これもその場の思いつきです)。一つ目は、そこで食事ができること。二つ目は書き物や読書ができること。三つ目は音楽と映像が楽しめること。四つ目は昼寝ができること。そして五つ目が眺望、というか視線の問題。

No0は台所の中で食事するということでは良いけれど、調理するときに食卓と庭(外)に背を向けることが気に入らない。調理中の眺めについては、阿部勤自邸では壁に鏡を貼ることで解消しようとしているようでした。

No1は、レストランのシェフズテーブルをちょっと思い出して書いたのだけれど、あんまりDKと変わりませんね。台所の片隅で食事するようで、一体感に欠けるような気がする。

No2は調理中の眺めはいいけれど、これと台所にいながらにしてAVを楽しむことの両立がむづかしそうです。

No3はAVは楽しめるようになったけれど、食事の時の祝祭性に欠ける。

そして、その時の最終形となったNo4は、いちおう5つの要件を満たしているように見える。しかし、調理する側の床面積が広くなりすぎること(出入り口の位置で解決しそうだけれど)、それにキッチンカウター、デスク、テーブル、バーカウンターの高さの関係、調理中の水はねや油はねへの対処あたりがまずは問題になりそうです。

その時はまあまあのように思っても、あとから改めて見るといろいろと気づくことがありますね。なんだかなあ、という気持ちになる。いずれにしても、台所だけで完結しないので、周辺のデザインを考えながらゆっくり取り組んでみることにしよう(あんまり気負わないようにして)。


* その時々によって、呼び方が “is house” だったり、“house is“ とあったりするようなので、ここはぜひ統一していただきたい。ちょっとおおげさですが、作者の関心のありようにかかわると思うので。


2021.10.09 夕日通信(*コメントはこちらからどうぞ)



#2-011 台所で遊ぶ

阿部勤の暮らし方

でも、ちょっと違う…


前回の補足のようなものを。僕は以前、台所の中で暮らしたいというようなことを書いたことがある*。

台所を重視した建築家と言えば、多いのか少ないのかは知らないけれど、まず思い出されるのは中村好文、その先輩筋の宮脇檀、阿部勤(自邸)、そして横山敦士(特にhouse is)も。


**

ちょうど折良く、NHKの「人と暮らしと、台所〜夏」という番組の中で阿部勤の自邸を取り上げていた(名作として知られるし、一般紙の台所特集にもよく取り上げられていたから、いつか登場するだろうと思っていました)。見ると、そこにはおびただしい数の調理器具や食器が所狭しと並べられ、吊り下げられていた。あなたにとっての台所はと問われて、彼は「関われば関わるほど、愛着が湧く場所」であり、その分「楽しくなる」ところ。さらに、「その中にいることが楽しくなる場所」と答えていた。

そこでの作業はできるだけ面倒くさい方がいいと言って、これを実践する。作り置いた生姜の蜂蜜漬けにこれも手作りの炭酸水を注いだジンジャーエールに、仕込んで置いた小麦粉を手打ちし、製麺機にかけてパスタを作り、バジルや松の実をすりつぶすところから始めてジェノベーゼソースを作ってみせる。すぐ買えるようなものをできるだけ面倒臭いやり方で作るのが楽しい、と言うのだ。当然、道具立てにも凝っている。古くて原始的な仕組みの製麺機や石製の乳鉢等々、テニスのラケットなんかもあった(これは、筋子をばらしていくらにする時に使うらしい)。

「できるだけ面倒」なやり方をというのは、僕にはむづかしいかもしれない(なまけもの)。しかし、阿部勤はこれからのお手本とするのに十分。何と言っても、一回り以上も年上だし。それに案外、嗜好が似ているところがあるような気もする(こちらには仕事がない、というか経済力が乏しいけれど。直接関係のない建築的資質については触れない)。手間をかけるというか丁寧に作るということは、おいしいものにするというだけじゃなく、料理の過程そのものを楽しむのだね(そのために、道具もできるだけ気に入ったものを揃えるようにして)。

ただ、彼らの台所には大いに惹かれるけれど、僕が思うところのものとはちょっと違うような気がするのだ。

先に挙げた建築家の手になる台所は、いうまでもなく「料理する」ことを目的としている(あるいは、食べることと、それを通じての団欒。ま、あたりまえと言えば至極あたりまえなのですが)。これに対し、僕が夢見るのはそれらとはちょっと違って、1日の大半を過ごす場所なのだ。そこで料理したりお茶を飲んだりするのはもちろんだけれど、本を読んだり、音楽を聞いたり、映画を観たり、文章を書いたり、ぼんやり外を眺めたり、昼寝をしたり……。すなわち生活行為の大半、なんでもできるところなのだ。

こう書けば、「要するにLDKってことなんだよね」と言われそうだけれど、そうではない(と思う)。LDKは確かに3つのスペースが一つになった空間とであることに相違ないけれど、それは3つのスペースが並存しているのであって、渾然一体となっているというわけではない。台所が中心というわけでもない。阿部勤の台所は、妻を亡くした後に生きるために料理をするために改装したということだけれど、僕の思うところの生活を楽しむ場所としての台所に近いかもしれないという気がする……。

僕は強いていうならば、KDL(なにやら電話会社の名前のよう)と呼びたい気がする。すなわち、台所の中にDLが含まれているのだ。イメージはそういうものなんですが、さて具体的にはどういうものになりうるものか。いざ描いてみようと思い立って始めてみたら、これがむづかしい。つい、余計なことを考えて、徹底できないのだ。


* と思って探してみたけれど、見つかりません(やれやれ)。
** 写真はNHKのHPから借りたものを加工しました。

2021.10.02 夕日通信(*コメントはこちらからどうぞ)



#2-010 もう一度、夢見る住まい

「自分」にとって大事なこと

やっぱり…


優れた建築家の(もちろん、超の字のつく建築家や人気の建築家だって)、それらの手になる住宅が紹介されたものを見るのは楽しい。手元にあるのは、イームズやらフォスターやら、阿部勤やら。

北欧の建築家たちの自邸を紹介する番組のDVDを見ていた。心惹かれるような住宅が次々に登場する。気持ちの良さそうなもの、おしゃれなもの、モノの少ない空間とモノにあふれた空間(というのはあんまりないのが残念といえば残念)、天井の低い部屋もあれば吹き抜けや天井の高い部屋もあるし、広々とした部屋ばかりでなく狭いけれど工夫された部屋もある。

そして、そこに住みたいかと言われたら(ちょっとむづかしいところがありますが)、まずはためらいなく「もちろん」と言うだろうと思います。さらにもう少し広い世界に目を向ければ、なおのこと。何しろすごいものがたくさんある。革新的な試みと伝統的なもの、複雑とシンプル、アーティスティックと素朴、コンセプチャルと実際的、等々様々な素晴らしい空間的な実現がある。きりがありません。

しかし、ずっと住み続けたいかと聞かれたなら、ちょっと口幅ったいのですが、「否」というしかないだろうと思います。本当に住みたいのは偉大なそれじゃないし、立派なあれでもないのです。実際に住んだとしたら、感心するばかりで大きな不満はないだろうと想像するけれど。かっこいい住宅、優れた建築に住み続けたいわけではないのだ。

たぶん、それは一流のデザイナーの手になる既成服とごく普通の職人による自分の体に合わせて作られた服の違いと似ているのかもしれない。身体への馴染み、好みとの適合の具合等々、その差の大小はあるだろうけれど、それらの違いに対する反応は人(着る人であれ、作る人であれ)によって違うだろう。それに対し何を求めるのか、何が大事なのか、あるいは何を期待するのか、等々人によって、それぞれに様々な思いがあることだろう。でも、その小さな差異が大事、譲れないということもある。ただ「住める」というのと、積極的に「住みたい」というのとは根本的に違うのだと思う。




で、スケッチしてみたのがこれ。今その時の気持ちですが(明日は、また違うかもしれないけれど。この辺りもちょっと厄介)。条件その1 台所が中心であり、これに続く外の部屋があること。ついでにいうなら、「美の神は細部に宿る」のだろうけれど、その前に構成が大事ということもある。

老婆心ながら誤解のないように付け加えておくなら(ごくごく稀かもしれないけれど、たまに何人かの若い人が読んでくれている、ような気がするので)、自分の気持ちに忠実であれば良い、他者に学ぶことはないというのでは、もちろんありません。他者、先達であれ同輩であれ後輩であれ、得ることがあれば学ばなければいけないのはわかっているはず。さらに蛇足を加えるなら、それはトレースするというのとはまた違う(ま、時に、いっそその方が潔くていいかと思うこともなくはないのですが)。

功を焦ってはいけない。でも、この年になると、正直なところそうは行かない気もするのです(近道がないのはわかっている、つもりでも)。

ともかくも、またしばらく続けることにしてみようかな。下手くそだなあと言われることを覚悟して。でも、そんなことは関係ないですね(あくまでも僕の取り組み方についてのことです。なんといっても、僕自身が「夢みる」住まいなのだから)。上手いか下手は関係なし。よくできているかまたはそうじゃないか、建築的か否か、全体か部分か。それらは一切問わない。本日只今の「夢見る住まい」を描いてみる。続けると、少しはマシになるかもという下心もないとは言いません(少なくとも頭のトレーニングにはなるだろう。生きるための希望になるかもしれない、ちょっと大袈裟だけれど)。とすると、条件の2は……、また次の機会に。

そして、感想、例えばこうすれば…というようなアイデアが届いたなら、もっと楽しい作業になりそうです。


2021.09.25 夕日通信(*コメントはこちらからどうぞ)



#2-009 市場と広場、再び

集まるための空間

個と全体の関係


日本人の丼物好きは誰もが認めるでしょうね。うな丼、カツ丼、天丼、親子丼に牛丼。 そして最近では、アボカド丼なんていう新種もあるようですが。たいていの人は、少なくもこのうちの一つ、いや二つは好きというものがあるのではあるまいか。僕はこの中では天丼ですね。別に天ぷら好きというわけでもないのに、たまに食べたくなる。この丼物の嚆矢は、やっぱり江戸時代に始まった「鰻丼」にあるらしい。それがいつの間にか、「猫まんま」などと言って、汁かけご飯を嫌うようになった。

今僕は、丸谷才一の「丼物への道」を参照しながら書いているのですが、丼物の復権の契機は「カレー・ライス」にあるという。「カレー・ライス」は今や言わずと知れた国民食と言っていいくらいのものですが、汁かけご飯であるというだけでなく、元は本家のインドではなく西洋から到来した洋食ですね。我が国では明治以来、ヨーロッパのものをむやみにありがたがるようになった。

またヨーロッパかぶれと言われるかもしれないけれど(そして、もう聞き飽きたと言われそうだけれど)、僕は彼の国々の市場が好きです。とっても好き。ちょうどお昼ごはんを食べた後に、紀行番組を録画したものを眺めていたらちょうど出てきたので、思い出した(暇ということもあるけれど、きっと怠けものであるせいですね)。


*

例えば、何回か取り上げたような気がするけれど、スペイン、バルセロナのサン・ジョセップ市場(これを「世界一美しい市場」という人もあるらしい。僕は口ほどには多くの市場は知らないのですが、これには異論がない)。オックスフォードのカバード・マーケットには1年ほどの間よく通った(ちょっと内装、特に改装後のそれは素晴らしいとは言い難いけれど、市場の楽しさは十分)。もはや遠くのことになってしまったけれど、ヨーロッパを訪れた時は、必ず市場に行った。行く先々で見たそれは、大きなものに限らず、小さなものやテントがかかっただけのものでも、とにかく楽しかったな。いずれもがちょっとした祝祭的な気分があった(もちろん、こちらが旅人ということもあるだろうけれど)。だいたい市場に限らず、飲食店でもテント席が好きなのも、日常の中の非日常を感じることができるというのが大きい(わが国でも近頃は増えてきたとはいえ、いまだに一般的になったとは言えないようなのはなぜだろう。屋台の伝統があるというのに。もしかしたら、コロナ禍の今は増えているのかもしれませんね)。

市場に戻って言うなら、我が国のそれは、実用性、あるいは効率が優先されているようで、たいてい自然光が入らず、天井が低い。そのために、ワクワクするような楽しさがないようなのだ。

このことは、市場に限らず、駅、特に大きなターミナル駅なんかでもそうですね(こちらは、FL・ライトがミラノ中央駅を世界一美しい鉄道駅と称讃したらしい。これについては、僕は別の意見があるのですが、また別の機会に)。ともあれ、やっぱり「広場」という概念の有無が大きいのだろう、と思います。それからもう一つは「中心性」も。さらに飛躍して別の言い方をするなら、「繋がり」(人やものや時間の相互の結びつき)に対する認識の違い。さらに、こうしたことは「水」との関係もほとんど変わるところがないのではあるまいか(水の問題については、急峻なわが国と比較的平坦なヨーロッパを同じように考えるわけにはいかないけれど。もうひとつ、責任の所在についての考え方の違いもありそうです)。

それにしても、明治以降たいていのことについてはヨーロッパをお手本としたのに、なぜ市場や駅や川辺については学ばなかったのだろう(余計なことだけれど今でも、もはや学ばなない方がいいようなことをありがたがって取り入れようとしているように見えるのも、不思議)。

でも、手に入れられなかったものを数えても、楽しさは得られない。わかっちゃいるのだけれど、ちょっと残念な気がします(せめて「終の住処」では、ぜひ屋外テラス(テント付き)で食事ができるようにしよう)。


* 写真は、撮影した写真を保管したパソコンが手元にないために、trip noteから借りたものを加工しました。


2021.09.19 夕日通信(*コメントはこちらからどうぞ)



#2-008 第1歩

新しいオーディオ環境の喜び

古い機械の幸福


長い不在の期間を経て、我がオーディオ機器類がオーバーホールと修理を終えて戻ってきて、ようやくすべて揃った。これで音楽を楽しむことができる(夕日通信にちょっと書いて以来、およそ4ヶ月ほどもかかったことになる)。

そのいずれもが30年以上にもなろうかという古いものばかり(そして、今様のものとは違って、その当時のものづくりの考え方のせいで、皆恐ろしく重い)。その陣容は、アンプがラックスマンL−570、レコードプレイヤーはヤマハGT 2000、、CDプレイヤーはソニーCDP−R3、そしてスピーカーはハーベスHL5(なぜか家には英国製のスピーカーが集まる)というもの。これらが、ヤマハの超重量級のラックに収まった。

ひとまず設置が終わったところで、聴いてみる。まだ張り替えたばかりのコーンは馴染んでいないせいで音は硬いようだけれど、それでも悪くないようだ。これから慣らしが進めば、さらに伸びやかで刺々しいところのない、おおらかな音楽が聴けるのではあるまいか。何より、新しい機器よりもこれの方が落ち着くような気がするのは、その佇まいゆえか、ソフトが古いせいか、室内空間が古びているせいか、はたまたこちらの歳のせいか。あるいは、ただの気のせい、負け惜しみかもしれないけれど。




ともあれ、これでAV環境のうちのA、すなわちオーディオの機器類の整備はひとまず完成(上を見たらきりがないけれど、経済や空間上の制約からすれば、まずはよしとしなければいけない)。だいたいそんなにわずかな違いを聴き分けるほどの耳を持っているわけじゃないし、気兼ねなく大きな音を出せるわけでもないのだ。それに機械に拘泥するのは、楽器を弾かない(弾けない)ことの劣等意識のせいと言われても仕方がない気がする(いい環境で 聴ける方が望ましいのは、当然だけれど)。

次は、V(ヴィデオ)の方(もしかしたら、僕にとっては、こちらの方がより重要かもしれない)。そして、ふたつ共のソフトの収納のことがある(特に、今のところはこれらのソフトと本を置いてある寺前の部屋に行くことができないから、急がなければならないのです)。さらには、視覚を中心とした感覚の喜びを満たす空間の整備も(といっても、すっきり見える部屋、片付いた部屋というだけのことなのですが)。

羞しいけれど僕は、この歳になっても、本質もさることながら、どうやら見た目とそれが醸し出す雰囲気に左右されるようなのだ。はっきり言ってしまうならば、相変わらず実質よりも気分を重視する癖があるのです。でもその割には……と言われそうな気もするので、このことについてはいずれまた改めて考えてみることにしよう。

こんな風にやるべきことはまだまだたくさんあるし、これからの方がはるかに難題だけれど、それでもやっと「Nice Spaces」とするための第一歩を踏み出したような気がして(何しろ怠け者なので)、ちょっと嬉しい。

ところで、訊かれる前に言っておくと、「終の住処」の問題は相変わらず未解決のままですが、まずは今過ごしている場を快適にしなければ始まらない。0と1の差はほとんど無限といっていいほど大きいはずだし(ちょっと大袈裟のようだけれど、気持ちの持ちようということです)、それに「明日世界が滅びるとしても、私はリンゴの木を植える」という言葉もあることだし……。


2021.09.11 夕日通信(*コメントはこちらからどうぞ)



#2-007 スタジオ改修・第1報

自分(たち)でやる

生まれ変わった空間


2月の始め頃からずっとやっていた撤収のための作業はなんとか終えた*ものの、大量の本と雑誌、そしてDVD等をどこに置くかが問題だった。当然、家には入らない。捨てることもできない(そういう性分です)。で、どうしたのか。

たまたま、デザイン学科の卒業生の実家が所有する家をシェアハウス化するプロジェクトを2つのゼミがやることになっているところへ誘われて、1室を借りることになったのだった**。

DIYを基本とするということだったので、見に行ってみると、壁紙は剥がれ、設備も老朽化していて、その痛みようは予想を超えるものだった。おまけに、プランも変。正直なところ、ちょっと逡巡したのでした。が、背に腹は変えられない。それで、小遣いの範囲でなんとかなりそうな賃料で借りることになった(何しろ年金生活者なのだ。ま、なんとかなるだろう)。

1階部分の共用スペース、2階の大きな部屋の分割案、そして3階の自身が借りることになった部屋(広さはおよそ10畳ほどある)のスケッチを描いた(こういう作業は楽しい)。果たして実際にうまくいくのか、ちょっと不安もあった(図面と実際は違う部分も、少なからずあったのです)。そして、何しろ運び込んだ(すなわち搬出した)物量はかなりのもの。とりあえず1階に仮置きしたものの、何段かに積み上げられた段ボール箱その他は、10畳の和室の大半を占めていたし、本棚やスチールケースの類はリビング・ダイニングルームの半分ほどの部分を占めていた。

ひととおり掃除を済ませて何日か経った頃、プロジェクト科目担当のカネコセンセイに率いられた学生諸君がやってきたときはどうなるのだろうと思ったのだけれど、案ずるより産むが易し。マンパワーと3人寄れば文殊の知恵のことわざ通り、一応それらしい形になりそうな気配だった。


改修前

問題は3階だ。くたびれているだけでなく、なんだかどんよりとした感じがして、垢抜けない。幸い、リノベーション経験者の卒業生のサクマサンとスヤマクンが来てくれて、壁を塗り変えることになった。

そして当日。

午前中から始める予定が、道が混んでいたということで、昼食後から始めることに(ちょっと心配になる)。痛んでいた壁だけでなく、比較的痛みの少ないところも全て塗り替えようと壁紙を剥がし始めただった。おまけに、巾木、窓枠、周り縁もみんな塗りましょうよ、と言う。ちょっと、大丈夫か(主に、時間的なことですが)と心配したけれど、仕方がない。しかもやってみると、思った以上に時間がかかる。ローラーで塗るのは、けっこう力もいる。巾木の上面や周り縁は刷毛で塗らなければいけない。いよいよ心配になる。一方、彼らは気にするそぶりが微塵もないのだ(慣れているせいだろうか)。でもね、実際にやってみると案外楽しいことに気づいた(そして、時間のことなんかは気にならなくなっていたのです)。


ちょっと苦戦中

ただ、特に細い材は一度塗っただけではうまくいかない。生地の色が透けて見えてしまうのだ。それでも、2度、3度塗り重ねるたびに綺麗になる。サクマサンは「やった効果が目に見えるのは嬉しい」と言います。確かに。僕はもう関係ないけれど、学生たちにこうした作業を経験させることは、何よりも有効な教育手段の一つとなるのではあるまいか。


もう一つ感心したこと。スヤマクンは作業が完了したのちは、綺麗に掃除までやるのだ。まるで大工さんみたいだというと、「こんなレベルか、と思われたくないんです」と言うのだった。ゴミ袋を下に降ろして戻ってくれると、今度は、巾木と床の交差する部分のはみ出た塗料をスクレーパーで削り取っていたのだった(おお!)。


作業終了後


結局終わった時は午後8時を回っていたけれど、出来栄えは自分で言うのも変だけれど、印象は全く一変した。はじめは、翌日午前中に写真を撮るつもりでいたのに、皆つい嬉しくなって椅子を運び込んで、写真を撮り始めたのです。帰途に着いたのはすでに8時半を過ぎて、外は真っ暗になっていたのでした。

これはDIYとは関係ないことだけれど、送ってもらった写真を見たら、腰が曲がっていることに改めて気づかされた。先日、卒業する学生たちが作ってくれたスライドを見た時も、大げさに言うなら、ちょっとした衝撃だった。やっぱり、時間はやさしくはないのだね。時として容赦なく、残酷である。

ところで、タイトルにスタジオという名を入れたけれど、果たして仕事(創造的な作業)の機会はあるのか。


* 在学生や卒業生 の協力の賜物。彼や彼女たちの助けがなければとてもできなかった。どうもありがとう。
** 運がよかったと言えば確かにそうだけれど、思い返せば僕は案外こんな風に運に恵まれてきたようだ。


2021.04.14 夕日通信(*コメントはこちらからどうぞ)



#2-006 埃を払うということ

誇りを失わずに暮らすために

生活の器としての家


映画を見たい、と思う時がある。

何を見るか。しかし、これがなかなか決まらない。

ちょっとその気分じゃない。長いものは困る。もう少し落ち着いて見ることができる時に、とか。スクリーンでなくっちゃ、とか……。ま、色々とあるのだ。

このところは、テレビの画面でもいいからと思って、テレビの映画番組で放送されるようなもの、気楽に見られるようなものをいくつか見た。大抵、アクション映画ですね。でも、何か気持ちが変わるようなものを観たい気がしたので、取り出した。

「どうして埃がたまるの」。そう言いながら、大きく目を見開きながらゆっくりと手を動かす。

映画「八月の鯨」の中のシーン。

確かに、家は放っておくとすぐに埃が溜まる。厄介なことこの上ない。「八月の鯨」については、すでに書いたことがある気がするけれど、何を書いたかは全く覚えていない。


掃除をするリリアン

ともあれ、洗濯物を干し、花を摘み、「どうして…」と言いながらも家の中をきれいに保つために、手を動かし続けるのはリリアン・ギッシュ。当時90歳。目が不自由な姉と共に暮らしている(こちらを演じたのは、79歳だったというベティ・デイビス。いずれもかつて一世を風靡したハリウッドの大スター)。二人は、リリアンのサマーハウスにやってきている。二人ともが夫を亡くした後は、一緒に暮らしてきたようだ。

「八月の鯨」というのは、若い頃に見た鯨のこと。この時期になるとよくやって来たよう。リリアンは、再び鯨を見るのを楽しみに待っている。


テラスからの眺め

海辺の穏やかな海と張り出した岩を望む景色は美しい。

衝突しながらもリリアンは姉を気遣い、せっせと家事をこなす。そして絵を描く。しかも、優しさや気遣いを失うことがない。年老いた二人と美しい自然の対比が際立って、痛々しくもある。

妹は、家の中から外を眺めるための大きな窓をつけたい、と思っている。姉は目が見えないこともあってか、「もう私たちは、新しいものを手に入れるには、歳をとり過ぎている」と言って反対する。僕も以前はベティと同じように考えていたのだけれど、そうすると生きようとする活力も失われてしまうような気がするようになった。そんなことをしばらく前に話したばかりだったから、ちょっと励まされたような気がした。

ある時、リリアンは近所の落ちぶれたロシア貴族の末裔の釣り師を、魚を捌くことを条件にして食事に招待する。ベティはこれに反対する。それでも、リリアンはきちんと髪をとかし、ディナーにふさわしい服に着替える。一方、姉は約束の時刻が近づいても普段着のままである。ようやくベティが着替えて、招待客が到着し、晩餐が始まっても彼女の態度は改まる気配がない。むしろ、強まるかのようだ。

当然のことながら、彼女たち姉妹を取り巻く人々、小さい頃からの友人、出入りの何でも屋、そして老釣り師も歳を取っていて、皆がそれぞれに不安を抱えているようだ。


DVDジャケット


リリアンが家の中を綺麗にし、おしゃれをし、絵を描き、大きな窓をつけようと願うのは、生活のためではない。ただ息をするためだけなら、苦労してそうすることはない。彼女がそうするのは、幸せだった夫との思い出を汚さないためでもあるだろう。そして、何より自身の生活を惨めにしないためでもあるに違いない。誇りを失わず、積極的に、人間らしく暮らすための方法なのだ。もしかしたら、そうすることがほとんど唯一の方法なのかもしれないという気にさせられた。

老人の映画、しかも僕よりは年上でもあるし、ちょうど「家」、生活の器である住まいのことを考えることが多くなったところでもある。次に見る映画も決まった。

最後に付け加えるならば、海を望む大きな壁をつけることに反対していたベティも賛成して、自ら出入りの業者に指示をする。この辺りは良質なアメリカ映画の持つ美点ではあるまいか(監督のリンゼイ・アンダーソンは、長年イギリスで活躍した人のようだけれど*)。


* [if もしも…」、「怒りを込めて振り返れ」、「炎のランナー」等がある。


2020.12.05



#2-005コロナ禍の中でのシルキー・ファションショー

案ずるよりも産むが易し?

計画的であること

どうなることかと心配していた。

「実施できるのだろうか」、実施できたとしても「どんな形になるのか」というのは、ファッションを担当する同僚の心配。コロナ禍が一向に収まる気配がない中、時間だけは過ぎてゆく。はじめは、いつものようにぼんやりとしていた会場担当の僕も、いよいよそのことを考えざるを得なくなった。

会場をシルク博物館から、大学へ移して実施することになってからも、状況は変わるところがなかった。

顔合わせもできず、時間も限られる中で、いっそう心配が増大する。学生たちの反応も今ひとつで、熱意というか熱気が感じられない気もした(たぶん、こちら側も似たようなところがあっただろうと思う)。ZOOMでやっていた間は、アイデアこそ出るものの、こんなのがいいなあというイメージ写真ばかりで、実際に実現するという意識で作られたものはほとんどなかったのではあるまいか。

それが皆が集まることが可能になった頃からようやく、いくらかは現実味は帯びてきたものの、やっぱり当事者意識は乏しいように見えた。材料の発注も出たとこ勝負と言うのか、例えば「30mm角、長さ1800mmの角材を◯本と70mm◯本、お願いします」というメールが届いて、70mmというのはちょっと変と思ったので確認のメールを出すと、「700mmの間違いです」という返事が戻ってきたばかりか、さらにその後「金曜日に間に合いますか」とのメールを受け取ったのは水曜午後といった具合。そんなことが、実施日間際になっても続いた。

角材の手配はなんとか間に合ったけれど、次の作業日はなんと設営の前日だという。大丈夫かと聞いても「んー……」と言ったきり。あるいは、別の学生は「怪しいかも」と言う。それでも、屈託がないというのか、悪びれたところがないのだ。

何本もの木材に色を塗り、組み立てる。これだけでも容易ではない気がして、流石に今回は、しかも最後の機会となる会場構成が、ちょっと間に合わないのではないかという気がして、覚悟した(その場合に備えて、密かにプランBのことを考えた)。

ようやく設営日を迎えることができて、いざ始まったと思ったら、「ガムテープはありますか」、あるいは「風船が足りなくなったので、今買いに行っています」といったことが続出。

それでも、学生たちは、肝が据わっているというのか、平然として動じる気配がない。どうやら、これまでもそうして乗り切ってきたらしい。加えて、今回は共同作業。グループの仲間に対する信頼感というか、一人じゃない安心感があるらしかった。

ステージ1・渡り廊下

ステージ2・階段

ステージ3・メインステージ(部分)

メインステージ(終了時)


当日になっても、色々と小さな問題はあったけれど、ま、概ね無事に済んだ。時間がかかることを予想していた後片付けも、素早く連携してあっという間に終えることができた(この時ばかりは、その手際の良さに、とても驚いた)。彼女たち/彼も満足げだった。

なんとか終了することができた安堵感の後に、よくぞ間に合わせてくれたものだ、やるときはやるのだなあと感心していたら、不意に、彼らは案外このことを見越していたのではないかという気がして、ため息をついたのだった。

力を合わせてやったこと、それを見ることは、何であれ気持ちがいい。

でも、次からはもう少し計画的にやってくださいね(ま、僕はもういないけれどね)。


2020.11.25



#2-004 「生活の革新」の場ふたたび

心豊かに暮らす

変わったものと変わらぬもの

前に、「生活の革新を見に行く前・後編」と題したものを掲載したことがある*。それからもう、4年ほども経った。時の経つのはなんと早いものか。

4年間は決して短くない。その間に色々と変化がある。例えば、僕はといえば、これまでの生活とはガラリと変わる時期を迎える頃になった。そして、かつての「椿茶屋」は場所の移転を余儀なくされ、名前を変えた。それで、新しい場所での生活を見たいと思っていたのだけれど、色々と事情があって、果たせないままでいた。

それが先日、何かの折に「庭の緑がちょうど見頃だから見に来ませんか」と誘われたので、思い切って出かけることにした。学園祭の休暇期間だったので、時間的余裕はある。しかも、コロナ禍の最中とあって、帰省もままならない(このところは、毎年そうしていたのだ)。


前庭の中のテラス席

電車を乗り継いで、3時間と少しで最寄り駅に到着。さらに車で20分ほど行った田園地帯に、そこはあった。敷地こそ広いが、建物は以前のそれとは違って小さな家が一棟だけ。一方、休業日だったけれども、前庭にはやっぱりテーブルとテントが設えられていた。


快晴のコスモス畑

家の中を見せてもらったあと、食事の準備ができるまでということで、近くの休耕田を利用したというコスモス畑まで案内してもらう。そして、一周した後、途中で、新しく移住してきた人が営む写真スタジオを見せてもらおうと言って、敷地の中へずんずん入っていく。と、隣接する家の住人らしき人たちがいて、おばあさんが「今は外に出ているから中に入れないけれど」と言いながらも、その場所まで導いてくれる。その間、いつの間にか彼と彼女は親しげに言葉を交わしている。お互いに、同じ地域に住む者同士として、もうすっかり溶け込んでいるのだ。

絶好の天気にも恵まれ、そのあとは久しぶりにオープンカフェのお酒と食事を堪能した。ちょっと食べ過ぎたようで(白状すれば、最後にテーブルの上に残っていたお芋の天ぷらを2枚ほどつまみ食いしました)、そのため、晩ご飯は不要。とても気持ちが良かったのだ。

そこでは、物質的な贅沢よりもやりたいことをやるということを実践し、豊かで充実した暮らしぶりを目にした。翻って自身のことを思うと、改めて暮らしを考え直すことを強いられたような気がしたのだ。何と言っても「総じて言うて、『人生は短い』**」、のだから。


* Nice Spaces「生活の革新を見に行く前後編
**何度も書いた気がする。この後、「だから、ランプの消えぬ間に生を楽しめよ。アルトゥール・シュニッツラー」と続く(「悠々として急げ・開高健の大いなる旅路ースコットランド紀行」、TBS)


2020.11.07



#2-003 外部空間の誘惑

自然の中の人工

ワイン映画3本で考えたこと

コロナウィルスはなかなか先が見えませんね。これに限らず周辺の諸々のことを含めて、なんだかちょっと怖くなったりします。

で、「プロヴァンスの贈りもの」はどうだったか。


外で食べたい

やっぱり、当てが外れた(なんとなく想像はついていたのだけれど)。目につくのは、ほとんどがエクステリア、外部空間(何と言っても、ワイナリー。葡萄畑が主役なのだ)。ただし、それらが素晴らしく美しい。例えば、池に映る太陽(朝日だったか夕日だったか)。たぶん夏の終わりか初秋の頃の光に照らされてやや黄色味がかった壁に映し出される木々の影、揺れる枝と柔らかな光を透かした葉々。住宅の周辺から葡萄畑が広がる風景まで。そして、早朝のまるで水墨画のような景色から、昼の明るい景色、そして夕暮れのそれまで。それらは全て紗がかかったように煙っているように見える*。

これらに比べると、プロヴァンスのシャトーも悪くはないけれど、マックスのロンドンの自邸のコンクリートとガラスのモダンな住宅も、そのバルコニーから望むテムズ川などの風景も、色褪せて見えるよう。関係ないけれど、ロンドン、ピカデリーサーカスの広告に今はなきサンヨーの大きな文字が見える(栄枯盛衰。時の流れを感じます)。

もしかしたら、インテリアのありようよりも、外部空間の方が重要なのかもしれない、あるいは中から何を見るかがより大事なのでは、という気さえしてくる。

車の場合は、外観よりもインテリアが大事だと言われることがある。走っている時に外観は見えない、というのがその理由。おまけに、外の景色は刻々と移り変わる。それに対して、家の中から見る景色は動かない。季節に応じて表情を変えるだけだ。ただし、車も住宅も中から見るだけではないし、見る人も所有者や居住者だけではない。

そして次の日、ジョージ・ロイ・ヒルの「リトルロマンス」を挟んで、「ボトル・ドリーム カリフォルニアワインの奇跡」を観た(映画は、1本観ると続けて観たくなるのは、どうしたことだろう)。


ボトル・ドリーム***

当然のことながら、やっぱり外の風景が断然美しい。わけても、各ワイナリーで試飲する時に設えられた即席の露天の席。あるいは、インターンの女性サムの住むボロ小屋の前で、若きワイン技師グスタボが作ったワインを初めて飲む、テラス席の眺めは断然。これについても、以前書いたことがある**。なんだか、繰り返してばかりのようです。でも、言い訳をすれば、古書店の主人にして泥棒のバーニーは、「ミステリー小説の良いところは繰り返して読んでも楽しめる。なぜなら、忘れているから」、と言うのだ。映画も似たところがあるのではあるまいか。ま、実際はそんなに繰り返して読んだり、観たりすることはないけれど。

フランス産ワインとアメリカ産ワインの飲み比べを企画した、パリのワインバーの主人であるイギリス人スティーヴン・シュパリュアは、馴染みの客にこう言う。

「ドガは絵の具を用いた。ロダンはブロンズを。ドビュッシーはピアノを。ボードレールは言葉を。醸造家のロートシルトは葡萄を使った」。

そこで、つい思ってしまうのだ。さて、僕には何がある(別に、芸術を作りだそうというのではないけれど)。

そのあとに、こうなったら次もワイン映画だと思って、世評に名高い「サイドウェイ」を手に取った(これは正直なところ、相性が悪いというか、ちょっと苦手なのだ。初めて観た時はそうではなかった気がするけれど)。主人公のマイルスが、近く結婚する能天気な友人ジャックとワイナリー巡りに出かける。車は少しくたびれた赤のサーブのカブリオレ。ソフトトップは閉まったままのようなのは、やっぱり乾いた土地の土埃のせいだろうか。

途中二人が立ち寄るマイルスの母親の住む家は、まるで書き割りのよう。建て売りの住宅群は薄く平板に見えて、物質的な重みが感じられない。日本のそれ以上かもしれない(これは、2×4のパネル工法のせいか)。

それでも、カリフォルニアのサンタバーバラの葡萄畑は素晴らしいし、そしてやっぱり紗がかかっている。それ以外の場所にある葡萄畑も当然美しい。そして、大写しにされた陽を浴びて輝く葡萄畑の葉や果実ももちろん。

さらに言うなら、いちばん感情移入しやすそう、というか身につまされそうな条件をいくつか備えている。マイルスはワイン好きで、出版を夢見る後頭部の薄くなった冴えない国語教師なのだ。しかし、ワインについてだけは絶対的に自信を持っている。僕はワインについてウンチクは語れない。しかし、結局最後まで観ることができなかった。

で、結論から言うと、「ボトル・ドリーム」がいちばん好き。ラブコメ的ということなら「プロヴァンスの贈り物」かもしれない。(子供っぽい大人も含めて)大人の苦さということから言えば、「サイドウェイ」がいちばん。でも実際には、自身からは最も遠い「ボトルドリーム」が好きなのだ。もしかしたら、文字通り還暦したのかも。基本的に、ハッピーエンドが好きなのだ(マイ・ベスト3は、なぜかそうではないのは、どうしたことだろう)。ただの子供っぽい、感傷的な人間であるということなのかもしれない。

そして、緑か水か、山か海(あるいは大きな川)かと問われれば、きっと水と言うだろうと思う。


* これについては、かつて触れたことがある「#84 ターナー展」。それにしても、他の人のブログの映画の場面の写真が鮮明なのはどうしてだろう。
** 「#205 ナパの醸造家の卵たちはビールを飲む
*** 画像は、ブログ「燃えるゴミは明日」から借りました。


2020.04.14



#2-002 最高のキッチン

料理の喜び、食事の楽しさを生み出すところ

空間の姿

「数件のレストランで修行したなかで、私は最高のレストランとは静かで、張り詰めた雰囲気で満ちているものだと学んでいた」。

と言うのはデイヴィッド・シャレック、「注文の多い地中海グルメ・クルージング」*の中の一文。

帰省中の間に読むものとして、図書館で何冊か借りてきた。池澤夏樹のものを本命に、あと2冊軽く読めそうなものを借りてきた。その中の一冊。安定しかけた地位を捨てて、アメリカからヨーロッパに渡ったシェフの体験記。もうひとつはフランスの女性の贅沢と節約をめぐるエッセイ。読めたのはこの2つだけ。案外楽しめたのですが、結局、池澤のものは読めずじまい。ま、しかたがない。また今度。さて、先の文はさらに、以下のように続いた。

思考を破るのは食材を刻むナイフの音と、ステンレスのボウルで何かが泡立てられるかちゃかちゃという音と、熱い平鍋の中で料理がじゅうじゅういう音だけ。そして全ての背景に、換気扇と冷蔵庫のコンプレッサーの低い唸りが響いている。これはスタッフがもっとも効率的に働ける環境でもある私は確信していた。
しかし、この店では毎日営業が始まるずいぶん前の午後から、キッチンには気が散るような無駄なおしゃべりの不協和音がきりもなく続き、騒々しかった。明らかにスタッフは仕事よりも、皆で過ごすことを楽しんでいる。

と、ニューヨークやロンドン、そしてプロヴァンス等で活躍したアメリカ人シェフは嘆くのだ。


名レストランの厨房**

レストランではそうに違いない(お寿司屋さんの包丁と同じように、ちょっと憧れたりもする)。レストラン映画***を見る限りでは、怒号が飛び交うこともあるようだけれど、本当に美味しいものを作ろうと皆がそれぞれの役割を果たそうと一生懸命になるならば、静かにならざるを得ないのではあるまいか(たまに、怒声が混じることは仕方がないのかもしれないけれど)。そして、設備や道具類はきっとピカピカに磨かれている。かくあるべしと思う。

でも、家庭におけるキッチンは、きっと同じではない。食事を作る工場というだけでなく、人の命を日常的に支える場所、拠点でもある。したがって、むしろおしゃべりやら何やらで満たされた空間の方が好ましい、と思う。そのようなキッチンが生活の中心にあるような場所こそが、住宅と呼ぶにふさわしい気がするのだ。そういえば、うろ覚えだけれど、雑誌で見たヨーロッパ屈指の名店『noma』のオーナーシェフだったか、彼の自邸のキッチンも、お店のそれとは違って、ずいぶんと素朴だけれど、あたたかさに満ちたものだった。

件のシェフは、いろいろと失敗を重ねながらも師や仲間に恵まれて、一時大金持ちのいろいろと注文多いオーナー夫妻の豪華ヨットの専属シェフシェフとなる。ここで、彼は責任者として様々な経験を積み、料理人としてのありようを身につけていくのだ。カザルスが教えたように、学ぼうとする気があれば何からでも学ぶことができる。

で、僕はといえば、ただいまキッチンが主役の住宅を夢想中。

*『注文の多い地中海グルメ・クルージング-セレブ「ご用達」シェフの忙しい夏』 デイヴィッド・シャレック&エロール・ムヌス 早川書房 2008
** 画像は業務用厨房設備機器メーカー、フジマックのHPから借りたものを加工しました。銀座の最高級フランス料理店「ロオジエ」のもの。
https://www.fujimak.co.jp/solution/case/losier.html
*** たとえば、「二ツ星の料理人」の厨房。


2020.01.16



#2-001 姿勢のデザイン

夕方の空港のステーキハウス
憧れ

夕食には早かったせいか、空港内のステーキハウスは空いていた(というか、ガラガラ。およそ50席ほどの店内にお客は誰もいなかった)。ちょっと心配になるけれど、そんなに高いお店というのでもないのです。次のお客がようやく入ってきて、ちょうど向かいの窓側の席に座ったのは年配の、今ではちょっと珍しくなった和服姿のご婦人二人。

でも、見ると色々と異なるところがあるようだった。それぞれ何を頼んだのかまでは分からないけれど(ま、大した違いはない)、運ばれてきた料理を食べるのに、一人はフォークとナイフを操り、もう一人はお箸を使っている。身体の大きさもずいぶんと違っていて、一人はけっこう大柄だし、もう一人は小柄。ただ、いずれにも共通しているのが、その「姿勢」の良さ(写真を撮ることができなかったのが、残念)。

背筋がピンと伸びていて、美しい。凛とした様子が圧倒的に素晴らしいのだ。姿勢の美しい人は、たぶん暮らしぶりにおいてもそうに違いないはず、と思わせるところがある。真似をしようとしても、常に意識していないとすぐに姿勢は乱れてしまうのだ(付け焼き刃は、通用しない)。

それは単に「慣れ」ですよと言う人が、もしかしたらあるかもしれない。確かにそうなのかもわからない。しかし、そうだとすれば、逆に、よりすごみを感じる(「慣れ」と簡単に言うことはできるけれど、それを習慣化するほど、身体化するほどまでに続けるということは、簡単にできることではないのではあるまいか)。そこには、ある矜持が表れているようでもある。そのせいで、いっそう憧れるのだ。

それで、顔を上げるたびに目に入る二人(姿勢はいつでも凛としたままで、決して崩れることがない)を見ながら、(せめて、姿だけでも)かくありたい、と改めて願った次第だった。とても、美しい。素敵です。


2019.11.10



#233 タイムマシーンに乗って行くところ・その2-2

肝腎の大宴会は

祝祭的な気分

そして、その日のメイン・イベント(卒業生の一部にとって、ということですが)である「芸工大宴会」という銘打たれた会場(「多次元実験棟」という耳慣れない名前の建物)に行くと、ウエイティング・スペースとなったバルコニーでグラスを手にした友人を見つけた。そのまわりにはさらに何人かも、しばらく見ていたらすぐに分かった(なんと言っても、同期は30人きりいないのです)。やっぱり学生時代の仲間は、あっという間に昔に戻ることができるのだ。


会場の中

会場となったホールに入ると、もはや立錐の余地もないほどの人、人、人。先日東京で会った時には、同窓会長を勤める先輩(例のシンポジウムで眼が合った)はいったい何人集まるかと心配していたけれど、それも杞憂。おまけに開会が宣言され、乾杯が始まる頃には、皆けっこうアルコールが入っていた(これも自由な校風のせい?)。

友人と話していた1年生だという女の子たちの名札を見ると、「51期」(おお!)。

その校風の故か、卒業生の一人で手塚賞受賞者という人気漫画家へのインタビューの時は、ほとんど聞こえずちょっと気の毒だった。一方、後で登場したジャグリングの世界一になったことがあると紹介された卒業生のパフォーマンスが始まると、皆見とれて時々上がるオーッという歓声が聞こえたのみ。

やっぱり、身体を使ったパフォーマンスは強いのだね。先日絵画について話していた時に、絵画の物質性というか直截性というのか、これが感じられる方が断然魅力的という話を思い出したのでした。

おまけに、前室となったロビーの「50年の歩み」というコーナーには、ごく初期のところに「教員、父兄、新入生らにビール」の見出し。これは、今ではほぼ確実に犯罪ですね(ま、時効でしょうが、当時がいかにおおらかであったことか。と言うか、その時がどれほど祝祭的な気分に満ちていたかが知れるエピソードのひとつ)。本当に恵まれた、奇跡的なほどにいい時代、いい学校だったのだ*。

時代は変わったけれど、そして決して暮らしやすい時代とは言えないけれど、いま僕がいる学校の卒業生も、在校生もいつかそういう気持ちで集まってくれたら嬉しい。

急いで付け加えると、51期の名札をつけた女の子たちは、(当然のことですが)ミネラルウォーターやらコーラかなにかを飲んでいたようでした。

*学生運動やらオイルショック等もあって、必ずしも平穏なばかりの時代ではなかった。僕(ら)が脳天気だったというだけ?


2018.06.09



#232 タイムマシーンに乗って行くところ・その2-1

大変貌したもの、変わらないもの

空間の魅力の直截性

先日は大学時代の恩師を囲む会があったばかり。その3週間ほど後には50周年記念のホームカミングデイが、今度は大学であったのですが、ちょうど博多に寄るついでがあったので出かけてきた。

最寄りの駅に降りた瞬間から、まるで別世界。文字通り隔世の感あり。


大学入口前に続く大通り

どこの街に来たのか忘れてしまうほど。高い建物が建ち並んで、大学の校舎もまったく見えない。しかし、駅から続く大きな通りはその両側と中央に並木があって、なかなかいい雰囲気(学生諸君の言い方に従えば、イイカンジ、でしょうか)。そこから少し中へ入ると、ようやく大学の正門が見えてきた。


小道に面した正面入り口

さらに近づくと、大勢の人々とあちらこちらにテント(ぼくが通った頃の大学の名前が入っている)が見えた。後で聞いたところによると、今日は記念のホームカミングデーというだけでなく、地域の人々に施設を開放する「デザインのフシギ体験」の日、ということでお店もたくさん出ている。


製図室のあった棟(左手前)を見る

たくさんの人々が行き交う池の側を抜けて短い階段を上ると、三周と半分を建物に囲まれた中庭がある。かつて通いなれた製図室があったところ。4学科が入る2つの棟を中心に工作工房等の特殊棟がある。昔とほとんど変わるところがない。さほど劣化した風もない(恵まれたいいキャンパスだった、と改めて思い直した。ただ、正面の室外機がいやですね)。

建物の中へ入ってみると講評会が行われたロビーも、もちろんありました(ちょっと狭い)。その隣は教室になっていて、「アジアの若手建築家は何を考えているのか」が開催中。多数の人が詰めかけていたのには驚いた(お祭りでも、まじめなのだね)。

なじみのある顔と眼が合ったけれど、互いに手を挙げるだけにしてシンポジウムはパスしさらに上って行くと、もはや製図室は無く、上階は通路とエレベータ脇の共用スペース(?)を残してほとんどのスペースが研究室になっていて、昔の研究室とロビーのような「学生と教師がともにいる」という関係がやや乏しくなったように見えたのが、ちょっと残念。

いろいろと歩き回って見た、いくつかの中庭を介して連なる建物群の醸し出す雰囲気は時を経てなかなか素敵で、さらにイイカンジでした(人間もこうありたいもの。でも脚がつりかけたのはバツ)。

楽しかった。


2018.06.07





#231 タイムマシーンに乗って行くところ

学生が教師とともに居る場所

気持ちのいい空間

しばらく前に書いたように、先日は大学時代の恩師を囲む会があった。

40数年ぶりに会ったということはおろか、在学中には殆ど交流がなかった先輩、後輩も大勢いたのです。

しかし、ひとたび会が始まるとあっという間に長い時間を飛び越えて、打ち解けることができるのだね。その後に届いた恩師からの手紙には、「タイムマシーンで40年超の時を遡ったよう」とありました。これは、若い時に同じような思いを持って、時間と空間を共有した故のことだと思います。

その時にあちらこちらから聞こえてきたのは、学生と教員の壁がほとんどなく(これは、文字通り両者の年齢差がほぼ10歳前後しかなかったことも少なからずありそう)、自由な雰囲気に満ちた学校だったということ。今から思えば、本当にそうだった、と思います。文字通り、学生と教師が(そして事務の人たちも)一緒に過ごす場所だった。

新しくて小さな学校*だったことが大きいかもしれない。僕は4期生だったけれど、上級生と若い教師たちのデザインに対する理想とこれを実現しようとする試み(たぶん、未だはっきりとした形をなすものではなかった)を媒介とした結びつきは、僕の時とは比べようもないほど強かったことを、何回か聞いたことがある。

わずかに覚えていることのひとつは、ロビーで行われていた作品の講評会のこと。選ばれた学生だけというのではなく全員が発表し、先生たちはそれぞれについていいところと悪いところを指摘した(「こんな学校は今はないよ」、と筑波の教師だった先輩は言った)。そして、その後はビールやら何やらが出てさらに歓談したのだ(これも、たぶんないのでしょうね)。おまけに、このロビーも含めて、キャンパス全体が若い教師たちの手になるものだった。

2年生から4年生にはそれぞれ専用の製図室が用意されていたし、専任の技術者が常駐する本格的な工房もあった(実際に、ここでリートフェルトのレッド・&ブルーチェアを作った友人たちもいた)。さらに、小さな教室の机と椅子はイームズだったし、先生たちの研究室の前のロビーにはミースの寝椅子やら籐製のハンギングチェアもあった。すなわち、理想主義と良いデザインと遊び心があったのだ。


橋の上から見た室の木の校舎

中庭1

中庭2

ともあれ、時代のせいもあって、その頃のぼくたちの学校はとても恵まれていたと思うけれど、教室などの条件は措くとして、室の木の教室を取り巻く環境はそれに負けないほど素晴らしい。そして、学校での経験はぜひ同じような思いを持って振り返ることのできるものであってほしいし、いつでも戻って行くことのできる場所であってほしい。今僕自身が教師として居る場所で、そう願うのです。

そのためには、もう少し頑張らなければいけませんね(ま、年齢差はどうにもしようがないけれど)。

*4学科で、1学科の定員は30人、計480人の小さな学校。そして、キャンパス計画の中心を担った香山壽夫先生は、こんなふうに。「大学とは教師がともに居るということ。大学の空間とは、教師と学生がひとつに囲まれ、出会い、何事かを達成する場所=共同体の空間」である。


2018.05.24





#230 「フラット化」の罪?

形式がもたらすもの

「Nice Space」というのではいけれど

このところよく目にするようになった言葉の一つにフラット化がある。学生から聞くこともある。何となく馴染めないでいたのだけれど、その意味は個々の地域や国々、そしてそこに暮らす人々の個性が失われて、平準化することを指すことが多いよう。 転じて、差がないことを示すことも。たぶん、インターネットの普及やグローバリゼーションが進んだことと関係があるのは容易に想像がつきます。

このことは、我々の日常生活においても無縁ではないように見えるのです。

服装においては、衣替えの習慣が失われつつある( もはや春だけれど、僕は春にコットンセーターを着なくなった。異常気象というのもあるけれど、季節と着るものの関係が稀薄になって、逆に秋でも冬でもコットンセーター着るという人もいる)。

また、学生と教員の差も小さくなってきている。人前に出るときの格好や言葉遣いが学生と変わらない教員も珍しくなくなった(先日のオリエンテーションの時にはちょっと驚いたのですが、こちらはボーダレス化?でも、行き過ぎは禁物。節度ってものがある。我が身を含めて反省)。

住宅にあっても同様。


都市部のマンションの平面図*

戦後、モダンリビングといい、さらに脱LDKとなって、いよいよその傾向は顕著になっているように見える。今や和室がない家も多く、床の間はほぼ絶滅しかけているのではあるまいか。これから書こうとしていることは先日読んだ「大人のお作法」**に書かれていたことや触発されて思いついたことです。


掛け軸***

例えば、宴会では席順が大事だということから始めて、 その部屋に設えられた掛け軸の意味や見方まで及ぶわけですが、これらの生活規範、あるいは行動様式の欠如は床の間の消失とに起因するというのです。

ハレとケの区別が無くなり、部屋いや空間と言うべきか、それらの間に存在していたヒエラルキーが減少した。座敷や床の間、儀式のための空間はほぼ失われてしまった。

たぶん、そうした状況は、戦後から続く自由性や平等性を求めてきた結果に違いないだろう。家族は平等、その生活空間も同様でなくてはならないという考え方。

平等性や自由性は、本来悪くないはずですが、その反面、家族や住宅での生活における各人の存在のし方が曖昧化してきたのではあるまいか。

もしかしたら、何をしてもいい場所は、そこでの振る舞い方についての意識を曖昧にすると同時に各人の意識の持ちようばらばらにし、家族の中に於ける自身の役割や存在についての意識も不明にしてきたのかもしれない。その結果、家族としての共通性や共同性を希薄化したのではないのだろうか。

すなわち、自由を手にした(ように見える)のと同時に、それらを通じて学んできたことを学べなくしたのでは、と思うのだ。そして、我々は定点なき漂流を続けざるを得なくなった。

これらをフラット化の罪というか否か、あるいは肯定するも否定するも、いずれにせよもう一度問い直す方がいい、という気がしたのでした。

以前、取り上げたことのある中村勘三郎の言葉****とも通じるようです。

いつのまにか、新学期!

*新聞広告の中の一例(野村不動産、プラウド能見台。最も広い面積のもの)。床の間だけでなく、和室もありません。
** 岩下尚史、集英社インターナショナル、2017。途中から読み続けることがちょっとむづかしくなった。その理由は、内容とは関
係なく、その語り口や書きよう(すなわち、文体)でした。
*** 写真はウィキペディアから借りました。https://ja.wikipedia.org/wiki/掛軸。
****形があるから形破り。形がないのはそれは形なし(#170「オリジナル信仰を疑う・その2」)。


2018.04.11





#229 「進歩しない私」を確認する空間

またまたジャズに教わる

「ブログ」を書く理由

正直に言えば……。

滅多にあることではないけれど、何かを話している時に、「ところで、あのときの話ですが……」と言い出す人がいる。

「え、何」と聞き返す。

と、「……ということについてですが」、と続くことがあるのです。ここでの「……」とは僕がここで書いたこと。このとき「……」に賛成なのかと言えばそうとばかりではなく、賛成の意見の他にも疑義や異議が入り交じりながら続くのだ。

でも、これが良いのだね。ふつうに話している(相手の意見を理解しようとして聞く)限り、話は広がっていく。「こうですよね」「そう」「でも、こういうことは」「ああ、たしかに」……「うーむ、なるほどね」という具合。

その見方が異なっていてもそれを言下に否定することがなく、相手におもねることもない会話が続くと楽しい。そして ちょっと大げさだけれど、自身の存在と他者の存在が等価であることを実感し、 自身が存在している意味があるのだと感じさせられる気がする。

で、以前に取り上げたことのある黒田恭一の「若い時にジャズを聴かなかった人は優しくなれない」というあの言葉を思い出したのでした。


即興のジャズ

僕はジャズは情緒的な性質の音楽だと感じているのですが、そのジャズは、とくにモダンジャズは即興性が顕著。しかも各人があるスタイルに新しさを付け加えたいと思いながら演奏するのに違いない。当然、強い個性やエネルギーがぶつかりあうことになる。

とすれば、相手の、いっしょに演奏する他者の気持ちにも寄り添わなければ、演奏が成立しないのではないか。すなわち、自身を表現するジャズを演奏するためには他者に対して優しくなれなければできない。優しくならざるをえないのではと思ったのでした。ならば、これを聞く人も。

また、小曽根真の言葉を借りて言うなら「ジャズは日常会話」でもあるのだから、「優しくなれな」ければ我々も「日常会話」を楽しむことはできない(別にチャーリー・パーカーのように力の入った会話でなくとも)。

なお、これは即興的に書いたことなので(別にジャズをよく知っているわけでも、意識したわけでもないです)、おかしな言い方があっても大目に見てください。

実は、(何回目かの)このブログをそろそろ終りにしようかと思っていたのでした。いったい何人の学生や卒業生の諸君が読んでくれているのだろう、殆ど感想は聞くことはないし……、 ならばと。

とここまで書いて、以前はどんなことを書いたかと気になって見てみると、ジャズと優しさについては殆ど同じようなことを書いていました(やれやれ)。これなら閉じるのが良いかも。ま、上の半分はまだ生きているけれど。

いや、自分が進歩していないことを確認するための空間として、残しておく方がいいのか。それとも……。

もはや、2月。


2018.02.01





#228 異質が共存する空間

あるいは、嬉しくない「素直さ」

「プラダを着た悪魔」を観るとわかること

ある学生が、完成した模型を手にしながら、途方に暮れていた。

教室で、「ただの飾りじゃないか、もっと意味のあるものにしなくては」と言われてどうしたら良いのかわからず、自分の考えたものはだめだと思い込んでしまったのでした。

こうした学生はけっこういるようで、とくにまじめに取り組んでいるほどそうした傾向があるのはどうしたことだろう。

実際、意味があること=機能的=実用的というふうに思っている人が多い。もちろん、実用的であって悪いわけじゃありません。

でも、ちょっと考えれば、そうばかりじゃないことに気づく場合もあるのではないかしら……。

この間書いたとおり、あの倉俣史郎の「ミス・ブランチ」のように椅子は座るという実用的な機能だけではないし、洋服や靴だって同じこと。動きにくくて快適とは言いがたい服を着る人もいるし、いかにも歩きにくそうなハイヒールを履く女の人もいる(ま、着心地や履き心地を確かめたわけではないので、何なのですが)。

でも、それにはきっと理由があるに違いない…。


プラダを着た悪魔*

たぶん、女性らしさを強調できる、脚が長く見えてよりスタイリッシュに見える、あるいは仕事ができる人のように見られやすい等の思いがあるのではあるまいか(あくまで、想像ですが。 映画「プラダを着た悪魔」などを見るとそう思う)。


シティ・ホール(ノーマン・フォスター)

ガーキン(ノーマン・フォスター)

建築でも同じことが当てはまる。当代きっての建築家の一人であるノーマン・フォスターを厳しく指導した先生としても知られる、モダニストの建築家で、機能主義の洗礼を受けたはずのポール・ルドルフは、階段のある吹き抜けの部分に手摺を付けるよう検査官に強く求められても、絶対に付けようとはしなかった(ちょっと危険)**。

洋服において「着る楽しさ」と「見られる悦び」があるのと同じように、建築においても「使う嬉しさ」はもちろんですが、「発見する喜び」があっていいと思うのです。すなわち、実用性とは別の役割も存在していて、それらを立派に果たしている魅力的なものが多々あるはずだと。

ただし、それだって建物を見る人を喜ばせるだけでなく実用性との両立の可能性に思いを馳せてみるならば、もっと素晴らしいものになるかもしれない。 一つの考え方が(唯一の)正解であると考えたり、あるいはこのために自身が感じていたはずのことを再考することなくすぐに放棄するというのは可能性を自ら狭めていることにほかならない。

鵜呑みにするのは、素直と言えばそうかもしれないけれど、あんまり感心しないのです。

異なる意見や違った見方が行き交う空間。そうして自分自身のある解を得る。教室は、そうしたことが実現されるべき場所、またもっとも実現しやすい場所のはずだし、そうであってほしいと願うのです。


* 写真は日経ウーマンオンラインhttp://wol.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/022600057/060600014/から借りたものを加工しました。
**ディヤン・スジック(2011)「ノーマン・フォスター 建築とともに生きる」TOTO出版。他にも、彼の「建築の役割は見る人々を驚かせることである」というような言葉を見た気がするけれど、こちらは確かめられませんでした。


2018.01.28





#227 「光りの教会 Ver 2」論について考えた

「フェイク」、または「ニセ」に対するささやかな異論

本物の対義

先日書いた、安藤忠雄が国立新美術館で「光りの教会」を再現したことに続いて、「住吉の長屋」も別の場所に建てようとしているということをめぐって話をした後で考えたことを(安藤の「考える自由」に倣ったというわけではないけれど、たまには考えることもあるのだよ)。

「オリジナルは一つ」という常識は、ある領域に於いては必ずしもそうではないことがすでに理解されつつあると思います。版画やリトグラフといったものの他にも、椅子などの工業製品(というよりも既成服を思い浮かべる方が分かりやすい)がある。

設計図に忠実であろうとする気持ちとこれを機械でつくる限りほぼそのとおり(いずれも本物)だと考えてよい(ごく小さなレベルで差異を見つけようとすれば見つけられるはずですが、気にしなくてもよさそう)。けれど、そこに人の手が入ると、ちょっと状況が変わる。 すなわち、同じ設計図に基づいてつくられる限り、いずれも本物だと言い切ることもできない。

これらについては、少し前のゼミでしばらく議論していたことがある。

たとえば、浮世絵などの版画は彫師や摺師の技量や匙加減で出来映えは大きく異なるはずです。とすれば、これらの組み合わせを変えてつくった場合、どれが本物(たとえば、オーセンティック)でどれがニセモノ(たとえば、レプリカ)ということはむづかしい。だから、本物の対義を考えるのもあんまり意味がなさそう。

また、時を経たあとで本人の手が加えられた改訂版もあり得る。この場合も、後者をニセモノ(フェイク)とは言いがたい、と思うのです。文字通り、オリジナルに基づく改訂版なのだから。

今回の安藤展での「光りの教会」はこの例。すなわち、オリジナルはRC造ではなく、鉄骨造PCパネルということのようだし、確認申請もやり直したというのだから。余談ながら、僕はこのことを知って、フィリップ・ジョンソンの「ガラスの家」の屋根のことを思い出した。これは木造ですが、ミースはこれが構造的に一貫していないとして気に入らなかったようだけれど、当のジョンソンはそのことは気にしなかった。すなわち、屋根の用を果たし、平らに見えれば何でつくってもよかったということでした(と記憶しているのですが)。


東京に現れた「光の教会」

内部

この他にも、今回の「光りの家」は初めて建てられた建築にはある照明やあの有名な壁に切られた十字架に信徒の要望で仕方なく嵌め込まれたガラスもない。だから、新旧の建物は別物であることは確実。だから「光りの家 Ver.1」、「光りの家 Ver.2」と言うこともできそうです。

現在計画されているという「住吉の長屋」についても、どうつくられるかは分かりませんが、敷地は明らかに違うわけですから、当然最初の敷地を含んだ元の図面とは違うものになる。

とすれば、図面は「オリジナル」というよりは作者の思いを最大限伝えるいわば2次元の「コンセプト・モデル」とも言うべきものではあるまいか。と書きかけて、元の図面は敷地やら何やらの制約があるはずなので「オリジナル」、それらの制約を外して新しくつくられる Ver.1+nの 建物こそがその時点での究極の、そして文字通りの「コンセプト・モデル」であるのだろうというのが、今のところのひとまずの結論なのですが。

参考:ニセ「住吉の住居」が問うもの http://www.archifuture-web.jp/magazine/258.html
   フェイクの価値 http://www.archifuture-web.jp/magazine/253.html
   大いに教えられるところがありました。


2017.12.14





#226 速報・安藤忠雄展

驚くばかり

建築を生み出すもの

このところずっと風邪気味。その日は少し良くなってきたところ加えてに、暖かかった(翌日からは猛烈な寒波という予報もあった)ので、思いきって出かけることに。

展覧会に出かけるときはたいていランチを奢って、展覧会をもうひとつくらいはしごするのですが、今回はランチも別の展覧会もなし。見るのは安藤展一つだけ(何年か前の鬼頭健吾展の時以来)。

実は、ここでは安藤展についてはさらっと触れるだけにして、先日取り上げた「本物とニセモノ」というか同じ建築家が過去の建築をつくり直すことについて考えたことがあったので、そのことを書くつもりでした。

でも、ちょっとその元気が出ない。また少しぶり返した風邪のせいというだけでなく、驚かされることが多かったのです。


入口付近

美術館に着くと、平日なのにチケット売り場に列ができていた。入口にたどり着くと、また驚いた。恐ろしいほどの混みようなのだ。平日だから空いているだろうと思って来たのに、この有様。係の人に聞くと、会期末が近づいてきているので、平日でも比較的混みますが、今日はとくに混んでいるようですね、ということでした。

中へ入ると、さらに人が多くて、壁面に展示されているパネルやら模型やらには近づけないほど。しかたがないので、初めて借りた音声ガイド(安藤本人の語り)を聞きながら、少し遠くから見てきました。 この中には、たぶん建築関係の日本人や外国人の他に、ふだん建築とは関係なさそうな人たち、とくに年配の御婦人が目に着いて、安藤忠雄の知名度と人気ぶりを思い知らされました。

展示物の多さとともに、建築家安藤忠雄の気迫、思いが会場に溢れているようで、ちょっと圧倒されました(先の「日本の家」展は多くの建築家を集めたものでしたが、こちらはたった一人で同じくらいの密度があった)。

例えば初期の住宅などの図面は当然手描きなのですが、とても詳細で美しい。彼の美しいコンクリートはこういう図面がないと生まれないのかという気がした。

この他、模型について改めて思うことは、模型は計画対象の本体は当たり前として、土台の厚さや周囲のつくり込み(こちらは周囲の文脈に対する考慮ですが、必ずしも沿うというばかりでなく、対立してコントラストを際立たせることも)の重要性。学生諸君には大いに参考にしてもらいたい(まだ、見てない人は、急ぐべし)。

そして、最後に、極め付きの驚きが待っていた。


会計を待つ人の列

カタログを始めとする書籍や絵はがき等の会計の所にはけっこう人が並んでいたように見えたので、大変だと思いながら最後尾に着こうとすると、そこは曲がり角に過ぎず、行列はさらに会場の外まで延びていた。しかも、その大半の人が図録を抱えていたのです(たぶん建築関係じゃない人も多いように見えた)。僕は大きな展覧会はできるだけ見ておこうと心がけているのですが、こんな光景は初めて。


2017.12.12





#225 「真剣」の是非

自身を開放する

対話がある空間

先日、授業を終えたあと話をしていた時に、「『真剣』の練習をするのがいけないのですよ」と言われました。

なぜかと言えば、映画の話からだった。 映画を真剣に見よう、すなわち始めから終わりまできちんと見ようとするから、億劫になって結局映画を見ることから遠ざかる。乱暴にいえば、10が望ましいけれど、3でも4でも0よりはましだということ。なるほど、そうだと思った(自身でも、学生にそう言うことがあるから、再認識したという方が正確なのですが、なかなか気づかないものですね)

ただ、ゼミでの学生たちの言動を見ていて、もう少し「真剣」に取り組んだ方がいいのではないかと言いたい時もあるのです。

すなわち、ちょっと立派そうな言葉にはころりとやられてしまって、具体的なことは何も想像できてないのに抽象的な言葉をそのまま鵜呑みにする。あるいは、ある発表に対して意見を問うと、いいと思いました、そのとおりだと思いますという返事。それは例えばどういうことかと聞いても、明確な返事はなかなか返ってこないことが多い。

これは、ちゃんと聞いていなかったり、自身の考えにしか興味を抱くことができなかったり……。 結局は、真剣さが足りないことに他ならず、残念。もしかしたら、100%の確信がないと意見を言えない、言うべきでないという不幸な思い込みがあるのかもしれませんが。演習でも、見通しが立ってからでないと手を動かそうとしないのと同じように。

対話、すなわち意見の交換を通じて、ある解、というかその時点で最高の理解に達することが、会話やゼミの醍醐味のはず。

僕は、幸いそうしたことを体感できる話し相手が近くにいることが嬉しいし、幸せなことだと思います。


光の教会と住吉の長屋*

例えばその時は、安藤忠雄が、国立新美術館で「光りの教会」を再現したことに続いて、「住吉の長屋」も別の場所に建てようとしているということをめぐって、話をしました(というか、教えられるばかりだったのだけれど)。

そこから出発して、建築家と建設会社・工務店とのあるべき関系についての話になりました。この詳細には触れる余裕はないけれど、建築家および設計図書と施工者(現場監督および職人)は作曲家および楽譜と演奏者(指揮者と楽団員)に似ているということに行き着いたのでした。すなわち、同じ楽譜でも演奏者が違えば異なった音楽が現れるのと同じようなことが、建築の場合にも起こるのだということ。

さらに、建築家と施工者の関係についても、現在の日本で常識的なことが必ずしもいちばんいい関係とは言えないのではないかという話も。

話すことでより理解がすすんだり、より確かなものになるのです(一人の時は、書くこと。それを読み返すことがほぼ同様の効果をもたらしてくれると思います)。

ちょっと偉そうにいえば、そうしたことができるのは、自身に欠けているものがあることを自覚している、あるいは学ぶことがあると思っているからではあるまいか(と言ったら、理解を深めさせてくれる会話の相手になってくれる友人たちは怒るだろうか)。

ともすれば、自身を(過度に)信頼している人は、他者に厳しい一方、自分に甘くなりがちなような気がします。そして、自信がないせいで真剣に向き合おうとしない人は、逆に他者に全面的に頼ろうとすることも。見かけは逆でも、結果的には同じように見えるのです。

*写真は、http://www.nact.jp/exhibition_special/2017/ANDO_Tadao/ から借りたものを加工しました。


2017.12.10





#224 速報・中庭にテント

人があつまる

楽しい空間の演出

ひと仕事終えて、食堂が混む前に少し早い昼食にしようと階段を下りると、向こうにテントらしきものが。


突如現れたテント

なんだろうと近寄ると、学生よりは少し年かさの人が2人。テントには、関東学院大学の名が入っている。

聞くと、学生支援センターの主催で、昼休みに炊き込みご飯を配布するという。

なかなか楽しそうな試みですが、それにしても、季節とはいえ大学で救世軍の社会鍋(炊き出し)でもあるまいにと思っていたら、もともとはハロウィーンの企画でボランティアの学生メンターの発案。何か楽しいことをしようということから始まったのが、食べるものと組み合わせると参加率が上がるということになり、しかしハロウィーンと炊き込みご飯はあわないのではという意見が出て、今回の運びになったということでした。

なんでも、およそ150人ほどに配る予定だとか。結構な人数です。


長蛇の列

配布開始5分前に戻ると既に長蛇の列ができていました(食べ物の威力や恐るべし)。なんにせよ人があつまると、楽しい雰囲気になります。

この他にも、様々な企画があって、12月には防災体験を行うそう。大地震の時の揺れを体験できる車両もやって来るということでした(こうした情報は、ポスターが各所の掲示板に貼ってあるそうなので、ぜひ見なくちゃいけませんね。反省)。


準備中のクリスマスツリー

さらに、その向こうでは、クリスマスツリーの準備も始まっていた(こちらは、恒例の行事)。

いよいよ、年の瀬。まだ11月の半ばにもならないのに、なんだか慌ただしく、妙に焦りますね(ま、立冬も過ぎてしまいましたが)。

2017.11.09





#223 人の住む場所

映画で知るアメリカの都市景観の魅力

人工と自然の共存

ここのところ、年寄りが主人公の映画や小説が気になるようになった(その心は、言わずもがな…ですね)。

最近もその手の映画数本を観たのだけれど、そのうちの一本「マイ・インターン」について。

御年70歳のやもめ暮らしのロバート・デニーロが会社の経営と家族の生活との両立に悩む若いアン・ハサウェイの通販会社にシニア・インターンとして勤めるというもので、映画そのものにはさほど引かれなかったのですが、はっとした場面があった。それは、ニューヨークのアパートが立ち並ぶ一画の風景。


アパートと木々の景観 1

アパートと木々の景観 2

両側に豊かな緑のある道を挟んで、れんが造りの建物が連なっている街並の、その輝くような美しさに驚いたのでした。同じような景色は「ユー・ガット・メール」のメグ・ライアンの住居でも登場するのだけれど、今回のアン・ハサウェイの住まい周辺の風景は季節のせいか、あるいは光りの具合のためか、ひときわ美しく感じられたのです。いかにも人が暮らす場所として相応しい気がした。

ただ、翌日になってもう一度同じ場面を探そうとして早送りしながら見たのですが、見つけることができませんでした(「これこれ」と確信できるものがなかった。たぶん、わずかとはいえ空いた時間が記憶を美しくしすぎたのでしょうね。それでも十分に魅力的です)。

アメリカの歴史の浅さを揶揄して、建築についても現代建築以外は観るところがないかのように言われることもあるけれど、それより以前の時代の建物や街のたたずまいも素晴らしいものがたしかにあるようです。ま、忘れられがちという気がしますが、西洋建築については当然日本よりも長い歴史があるし、時を重ねた景観もスクラップ&ビルドを繰り返すわが国よりもはるかに多いのではあるまいか(そして、人々の関心も)。

ぜひ、実際にこの目で見て確かめたいところなのだけれど、それが叶わない間は、せいぜい映画で予習することにしよう。

ともあれ、新しい国アメリカからわれわれが本当に学ぶべきことは、(変なところも目につくけれど)まだまだたくさんありそうです。

2017.06.25





#222 夢みる住まい・その16

続々々・コルビュジエふう

またまた考えた

前回の案のすぐ後から、ずっと気になっていたことがあったのです。

それは、扉(引き戸)の位置。すなわち、どこで分節するかということ。

先のプランは、基本的には一室住居というのは同じなのですが、必要に応じてリビングスペース、キッチン、玄関およびホール、そしてプライベートスペースに分けられるようになっていた。


住みたい家#16(一部)

しかし、むしろ三和土の部分と玄関ホールを分けられるようにして、室内の床上部分はプライベートスペースを含んで1室となるようにしておく方が好ましい気がしたのでした。

その方が、空間の性格付けがはっきりするし、回遊性の楽しさも増すというわけです。

ともあれ、こんなふうに僕はなかなかいっぺんには自分がいいと思う案に辿り着くことができないのです(そのくらい、載せる前に考えなさいという意見もありそうだけれど)。まずはいったん、視覚化してからでないと、考えられないということです。

だから、学生諸君には何回も見直してやり返ることを勧めるのですが、なかなか通じないのは残念(みんなカシコクなり過ぎたのか知らん。それとも設計の腕がうんと上がったか)。

だからあんまり期待せずに書いておきますが、「HP版楽勝の課題設計」の第1回目も自分がいいなと思った案に自分だったらこうしたいと手を加えたプランを示しています。

2017.06.24





#221 夢みる住まい・その15

続々・コルビュジエふう

よりいいものに近づくための方法

始めに断っておくと、回数稼ぎだと思われるかもしれないのだけれど……、そういうつもりではないのです。

先のプランを眺めていると、やっぱりいくつか気づくこと、こうしたらどうだろうと思うことがが出てくる(僕は、ぼんやりしているせいで、いっぺんにはいかないのです)。


住みたい家#15

食卓と台所の関係(そのことは、外との関係にもかかわります)を見直しました。

はじめからうまくいけばそれはそれでよいのだけれど、それはなかなか望みにくいし、たいていそうはいかない。

それでも、すこしでもいいものに近づきたいと願うのなら、何回も、ほんのわずかずつでも、繰り返し描き直すよりほかないのではあるまいか。そして、その中からよいものを取り出す(天才のことは知らない)。

おまけ

今日は新入生との初顔合わせでした。


咲き誇る桜

で、満開の桜を。

しばらくお休みします。

2017.04.06





#220 夢みる住まい・その14

続・コルビュジエふう

さらに変更を

先回のプランをみていたらいくつか気づくことがあったので、その続きを。


住みたい家#14

まず、これから建てるのなら、書斎は要らないのではないかと思ったのです(まるで新入生が「勉強机は捨てました」と言うのと似ているようですが、これとは違いますよ)。少なくとも独立したものは不要のはず。そこで、書斎兼ゲストルームを屋根のあるテラスとして外の室のようにした。泊まり客がある時はリビングでよい。

もうひとつ壁の部分の塗り残しや、水を使う場所の表示など、描き忘れがあったので、ついでにこちらも修正しました(よく見直さなければいけませんね)。

さてどうでしょう。

おまけ

正門前の桜

中庭の山桜

キャンパスの桜もだいぶ咲いてきたので、こちらの写真を(昨日の雨と真冬のような寒さの影響を心配したのだけれど、なんとか持ったよう。でも、もう散り始めています)。

いよいよ明日から新学期が始まります。

2017.04.02





#219 めざすは貧しくとも美しく

まずはできることから

あり合わせのもので作る

建築家は大家になると立派な材料や細部の仕上げに凝る人がいます。ポルトガルの優れた建築家アルヴァロ・シザはそうした人の一人ではあるまいか。ヴェネツィア出身のカルロ・スカルパも高価な素材と細かな職人技を求めた人として知られるけれど、彼が他の建築家と違うところは一方で安価な素材もその真価を発揮させることに腐心した人でもある。

僕はそうしたスカルパを敬愛するけれど(これは高価な材料や細部にこだわる人を非難するというものでもありません)、以前にも書いたように、今はむしろあり合わせのもので不快でないもの、できればある種の美しさを持ったものを実現することに惹かれています。ま、これは自身の経済や技術の状況によるところが大きいと言えばたしかにそうなのだけれど、必ずしもそればかりではない気がする。

アイデアを試すためには、まずはうんと身近なところから(残念ながら、他に仕事がない。ウーム……)。


急ごしらえのデスクトップ

で、こないだは、新学期からのゼミ生の数の増加に伴うエキストラデスク用の天板を拵えた。使ったものは、手元にあったものばかり(台やら残り物の板段ボールやらベニヤ板、そしちょっと寸法が足りなかったところにはやっぱり余り物のプラ段ボール)。加えて技術的な問題もあるので、簡単にできる方法で。 さて、出来映えは、……(美しさはこれからだ)。

水対策のためにマツウラ君のアドバイスに従って、水性ウレタンを塗るつもりだったけれど、近所のホームセンターに見あたらなかったので、どうするか思いあぐねていたのです。やっと見つけることができたので、なんとか完成(刷毛塗りはなかなかうまくいかなかったけれど、ひとまず塗膜はできた)。

おまけ

ある日のキャンパス

ようやく本格的な春と思っていたらまた寒くなったりしていますが、春らしい日が続いていた先日のキャンパス。明日は、いよいよ卒業式とパーティ。

2017.03.23





#218 夢見る住まい・その13

コルビュジエふう

オリジナルよりまず参照

このところHPの更新が滞っていたのにはそれなりの訳があったのですが、友人たちも同様なのはなぜだろう。

そういう気にならなかったと言うと身もふたもないけれど、ま、そういうことです。

やる気のでないまま建築家のDVDをいくつか見た。スカルパを2種、そしてコルビュジエの「小さな家(母の家)」。両親の終の住処としてレマン湖のほとりに建てた18坪の小さな家。あの20世紀の決定的な住宅の名作「サヴォワ邸」に先立つことおよそ8年ほどの住宅。


コルビュジエ作「小さな家」

水辺に建つ住宅というだけで憧れるのですが、それでも気になるところがある。彼は「住宅は住むための機械である」という有名な言葉のように、住宅を楽しいものにするように考えたことはもちろんだけれど、合理的であろうとしたと思いますが、それでもやっぱり腑に落ちないところがあるのです。相手がいくら大家であっても、「えっ、そうするのか。自分だったらこうしたい」と思うことが。


住みたい家#13

で、少し変形してみた。レイアウトを変え、2階に増築されたゲストルームの代わりに1階に書庫を、そしてバスコートとリビングに隣接するテラス(これは立地 – 水辺までの距離 – のせい)を付け加えた。それが良くなったか、悪くなったかは別に、既存のものを参照して作り変えるならば、元のものとは違うオリジナルなものが出来上がるはずと思います。これが、ひとつのやり方。というか、むしろこれが古来からのやり方というものではあるまいか。

チャールズ皇太子はイギリスの建築について語った「英国の未来像」という本の中で、「最良のものを学び、模倣すれば良い。過去を的確に観察することが必ず未来への霊感を呼ぶはずである」と書いています。タイトルの「 コルビュジエふう」のふうは、いわゆるパスティーシュ(作風の模倣)というのではなく、これを元にしたという意味。

2017.03.18





#217 夢見る住まい・その12-1

続々・倉庫ふう(追加)

ちょっと変更と立面

住みたい家#12’(平面)

ギャラリーとバスコートの開口部を大きくした。前庭と後庭(と言うよりも小さなバスコートですが)の連続性がある方が楽しいような気がしたので。


住みたい家#12’(立面)

もうひとつは立面のイメージ。倉庫ふうの単純な面の一部を欠き込んでポルティコとしたら、立面に深い陰影が生まれて表情が豊かになるし、立ちはだかる大きな壁に抜けた感じが備わるのではないかと思った次第。

おまけ
会場のある5階からの侍従川のある風景 1

会場のある5階からの侍従川のある風景 2

2016.12.23





#216 夢見る住まい・その12

続々・倉庫ふう

欠き込まれた空間、または外室

今回は海側に広く面すること考えたプランを。そして、通り抜けできるギャラリと外室(アウタールーム)、というかポルティコのようなものを(映画『ウォルター少年と、夏の休日』の破天荒な叔父兄弟のように、天気のいい日はここでぼんやりと外、僕の場合はすなわち海、を眺めながら過ごしたい)。

ポルティコの部分は ギャラリと連続させて、広がり感を増幅する。


住みたい家#12

単純な矩形の大きな空間に単純な切り妻の屋根が架かった建物の一部が欠き込まれた空間は、使い勝手も景観的にも面白いという気がするのです。でも、ちょっと大きくなり過ぎた……。

もう少し続けてみようと思います。

追記
学生たちは卒業研究の提出を明日に控えて、最後の奮闘中。そうした中での作業でした……。


2016.12.20





#215 夢見る住まい・その11

続・倉庫ふう

やっぱり少しずつ

前回の倉庫ふうはちょっと固い(というのは垂直・水平の線ばかり)気がするので、大急ぎでバリエーションを。


住みたい家#11

コアの部分を斜めに配したもの。斜めにすると、言うまでもなく広いところと狭いところが生まれます。これをうまく利用できたら面白いのでは、と思ったわけです(今回は、以前にも採用した手法ですが、人は広い方に行きたがる癖を利用しようとした)。そして、バスコートもひねり出した。

僕は、エスキス・チェックのときも行き詰まったら斜めにしたり、ずらしたりしてみることを勧めることがあるのですが、これは斜め好きというばかりでなく、奇をてらっているのでもなく、そうすることで自然に現れる空間が生み出す新しい場面や役割を考えてみてもらいたいからなのです(うまくいかないと思えば、採用しなければいいのです)。

昨日突然卒業研究生への差し入れを持って訪ねてきてくれた、卒業生で建築事務所に勤務するスヤマクンがこのブログを見て自分も住宅のスケッチをするようになったというのです(しかも、毎日。すごいですね。ま、やる意味が自分のためじゃなくもうひとつあったということのようで、ちょっと嬉しい)。そうそう、彼はシェアハウスのアイデアコンペに入賞したそうです。おめでとう。

実作の機会や住宅のことを日常的に考えることのない僕は、こうやって強制的に考える機会をつくると演習でエスキスチェックをやる時にとても役に立つ。いいところや悪いところ、あるいはそれをさらに進めるためのアイデアが出てきやすくなった(ような気がするだけ、かもしれないけれど)。

毎日、仕事として否応なくこれと向き合っている彼に同じような効果があるのかどうかわわかりませんが、ともかくも、これを続けていると自分の好みや癖などがわかるのですね。たとえば、スヤマクンも僕もバスコートが欲しいのです。この他にも、僕は半屋内空間の外の部屋に憧れる。学生の皆さんも似たようなことをやってみたらいいと思います(好きな建築家のトレースをするのもいい)。

そうそう、スヤマクンに冒頭に書いたことを伝えると、『でも良いものはいいですよ』と言うのです、たとえば増沢洵の『コアのある家』と。確かに。でも大家を引き合いに出されても、ねえ(やっぱり下手、ということなのか。うーむ)。でも続けるときっといいことがある(…はず)。


2016.12.16





#214 夢見る住まい・その10

倉庫ふう

それから同窓会の予告

住みたい家#10

倉庫ふうというのは、波形スレートの文字通り倉庫のような大空間を作り、そこに水廻りのコアを置き、その両側にコンパクトな寝室スペースと食事スペースを配しただけの簡単なもの。倉庫は一般に背が高いので、一部をロフトふうとして収納スペース他を確保し、食事スペースに接する部分を少し欠き込んで半屋内空間としました(何回も書いているように、屋外での食事が好き、と言うか憧れるのです。ただ、バスコートがないのが残念)。

今回も、何だそれだけのことかと思う人がいるかも知れませんね。

同窓会の予告

卒業研究の相談をすませたあと、風邪気味なのかちょっと調子が悪かったので早々と退散しようと鍵をかけているところに、呼び止める声あり。

振り向くと、予期せぬ人の姿が。ミズヌマセンセイと連れ立って歩いてきた人は、鹿沼で建築事務所を自営して活躍している卒業生のワタナベクンでした。コーヒーでもどうかと訊くと、急いでいるということだったので(なにしろ社会人だからね。それにしても、どうしていつもおだやかな笑顔でいられるのか不思議)、鍵を開けてミズヌマセンセイ共々少しだけ話しをすることに……。

そこで、ふたつのゼミを中心に卒業生とゼミ生の合同同窓会をやろうという話がありました。時期は、HED展開催中の土曜日2月18日でどうだろうということでした。何でも、補助金もあるそうなのです。詳しいことがわかったらまたお知らせしますので、参加しようと思う人は予定しておいてください(こうしたことに機転が利くのはもちろんミズヌマセンセイ)。

2016.12.14





#213 夢見る住まい・その9

小屋でいいはずだから

少しずつ……
前回のものが小屋ふうをめざしていたのに、そのイメージとはあまりにもかけ離れているような気がしたので、ちょっと作り替えました。


住みたい家#9

前回の脚注に記したように、二つの建物を繋ぐデッキをなくして、独立させるともう少し小屋風になるかもしれないと思って、やってみたのです。その他には、玄関の位置を移した。

何だそれだけのことかと思う人がいるかも知れないけれど、案外小さな変化が新しい展開につながるかもしれませんよ(これは、僕の案のことを言いたいわけではありません)。

小さな違いでも描き直して眺めていると、新しいアイデアが生まれることがあるし、それを見た人からヒントをもらうことができるかもしれない。手間を惜しんではいけません、あるいは恥ずかしがったり誠実さが過ぎるのもだめだと思うのです(自戒)。何より、はじめから完璧を求めないことが肝心。

だから、事情があって十分なエスキスができなくても、エスキスチェックの時には、ほんのちょっとしたことでいいから何かを付け加えたり変えたりしたものを持って行くのがよい。

さて、次は倉庫ふうをめざしてみようか……。

そうしてもういくつかプラン(平面計画)を試した後、それらの中のものについて立面や断面を考えたり、模型で検討したりして、少しずつリファインしていくことを考えているのであります。

2016.12.11





#212 夢見る住まい・その8

小屋でいい

思い切れない歯痒さはあるけれど
あんまり代わり映えしないのだけれど、小屋ふうのものを。先日、新しい生活、暮らし方の話しをしている時にすでに実践した彼に「早く建てましょうよ」と言われて逡巡していたら、「小屋でいいのだから」ともう一押されたのでした(年長の僕のほうがいつもこうなのは、ちょっと情けない)。

と思っていてもなかなか手が動かなかったのが(途中、シルク博物館のイベントのための設営もあった)、前回書いたポスター作成で少し勢いがついたよう(何でも、取りかかることが大事なのだね。映画だって、間が空くと観るのが億劫になりがちだけれど、いったん観始めると次々に見たくなる)。


住みたい家#8

できるだけコンパクトな、いわゆる小屋ふうに近づけようとしたのですが、映画と音楽(DVDとCD)はどうしても手元に置いておきたい(なんという物欲。でも贅沢と言えば、このくらいなのだから)。で、そのための映写室とライブラリは別棟とした(都市に住むのなら、他所に預けるということもあり得るけれど、なんと言っても思い描いている計画地は少しばかり不便な海沿いの場所なのです)。このせいで、小屋風からは遠ざかる*ことになるわけだけれど、まずは掲載しておこうと思います(洗練、完成形を目指すのはそれからだ!)。

でも正直なところ、ドラスティックに異なる案を作るのは意外にむづかしい。どうしても自身の住要求から離れがたいのです(いちおう実現を目指しているわけだからね)。

付け加えるならば、日常生活はコンパクトなワンルームで行う、そして外室とも呼ぶべきベランダ(半屋内空間)、これは変わらない。しかし、これまでずっとひそかに続けていた寝室から直接サニタリへアクセスできるというしかけ(こうしたことが案外大事だという気がしています。なんといっても「建築」ではなく「住まい」を造るわけだから)は今回は実現されていないのですが、これはその得失ともうひとつサニタリへ行く時の問題のひとつである冬の寒さは、暖炉の暖かさが残っているのではないかと思ったせい。

いずれにせよ、小さな差異でも、焦らずに粘り強くスケッチしていたならば、きっとよい案にめぐり逢うことができるのではないかと思ってやるつもりなのですが、さて……。また不意に、思い切れる時がやってくるに違いない。

* 二つの建物を繋ぐデッキをなくして、独立させるともう少し小屋風になるかもしれない。しばらく留守にするにするので、帰ってから。

2016.12.03





#211 生活の革新を見に行く・後編

お金をかけないがゆえの豊かさ

秘訣はやっぱり知恵とやる気と工夫とDIY
翌朝は6時半頃に起きて、近くを散歩。残念ながら空はどんよりと曇って、快晴とはいかなかった。

それでも、竹林の方へ上っていってみると、ふだん見ない景色と音が迎えてくれる。沢のせせらぎ、朝露に濡れてわずかに光る竹の葉、そして自給自足のためと思しきお茶畑の葉と野菜の緑。

もっと中に入ってみようと作業用の細い道を入って行くと、危うく蜘蛛の巣トラップに引っかかりそうになった。おまけに下りはけっこう滑りやすい。おっかなびっくりで、そろそろと歩かなければなりませんでした。

朝食を済ませると、「ひとり町起こし活動家」を自称する女性DDと『野掛け・椿茶屋』主人夫婦の案内で麦の種まきの講習現場へ。車で10分くらいだったろうか、あんがいこうしたネットワークの活動拠点は散在していたのでした。現場に到着すると、すでに耕してあり、あとはもう種をまくだけ。しかも狭い。だから、講習はあっというまに終りました。しかしこれは土地がないわけではなく、講師を務めた農家の人の、「初めからあんまり欲張るな」という教えなのでしょうね。


B&B(奥)と住まい(手前)

改修中のB&B部分

次に向かったのが、故郷にUターンして竹細工職人をめざす若い夫婦が営むというB&B。こちらは電話がつながらず約束無しで行ったのだけれど、着いたら外国出身の夫人がちょうど拡幅改修中の宿泊施設部分と隣接する自宅の二つを案内してくれた。かなり傷みの激しい民家を直して、新しい空間をつくりだしながら営む生活をとても楽しいと語る(日本語で)彼女はとても嬉しそうで、ほっそりとした姿とは異なる気持ちの強さ、逞しさに驚かされました。

ところで、改装はゼロから始めるのではないわけですが、これを束縛ととらえるか、それとも手がかりと考えることができるかが分かれ目のような気がします。僕は、元からあったと思われる、張り出した床(上の写真の右下あたり)に惹かれました。


元製茶工場からの眺め

それからちょっとした手違いがあったために(細い道がたくさんあって迷った)、ひとつ予定を飛ばして、次はブドウ畑に隣接した元製茶工場へ。『椿茶屋』のそれとは違って、こちらは大空間*。そして、そっと開けて見せてくれた奥の小さな窓からの眺望の美しさは圧巻でした。

実はこちらも連絡がつかないまま出かけたのですが、ようやく電話がつながった後からやってきた所有者のひとりはやっぱり快く迎えてくれ、いろいろと教えてくれました。

ただ残念だったのは、閉じて4年という間の工場の変わりよう。ふだん使われていないことによる傷みのほか、いつの間にかたまったがらくたとがあいまって、痛々しさを感じさせたのです。当たり前のことだけれど、手をかけられなくなったものは空間に限らずなんでも劣化するのだということを思い知らされました。

打ち捨てられたペットボトル

ついでにもうひとつ、こうした美しい景観の中に空缶やタバコの吸い殻が放置されていたことも惜しまれる。地元の人々は見慣れた景色の価値に気づいていない、ということと関係があるのだろうか。

それでも、大空間とそこから眺める景色の魅力は、これを再生させる誘惑となって抗しがたいのです。

それに、出会った人はみな親切。能弁ではないけれど取っ付きにくさはなく、僕のような不意の来訪者に対しても寛容で、おだやかに接してくれる。やっぱり、自然を相手にして暮らしているせいなのだろうか。

たぶん、物質的な豊かさや利便性よりもこうした自然の恵みを享受しながら、自然の中で自ら仕事をつくりだして暮らしていこうという生活は、言葉ほどには簡単ではありません。

たとえば、『椿茶屋』では営業が終わる度に外の席のテントを畳み、椅子やテーブルを格納し、下の方に置いた看板や案内板を回収しに下りていき、抱えて戻らなければなりません(当然、朝はその逆)。買い出しも遠くまで出かけなくてはいけない。B&Bでは厳しい冬の寒さにも耐えなければならないし、ひどい雨漏りの対策も講じなければならなかった。

これらを楽しむ余裕がなければ、とても続けられない気がした。すなわち、物質的な利便性よりも精神的な喜び、というよりももっと、不便を楽しむというくらいの気持ちの転換がなければむづかしそうです。それができた時には、経済的な余裕よりもむしろ不足が新たな豊かさをもたらしてくれることがあるのではあるまいか。

ともあれ、『椿茶屋』主人夫婦と彼らを介して知った、とくに若い人々の熱意とその生活を楽しんでいる様子には、「あなたももっとしっかり……」と叱咤されている気がしました。そしてもうひとつ、住まいや仕事場に手を加えながら思い描いた姿に近づけようとする彼らの日常に、軽い嫉妬を覚えたのでした。

*写真がないのはバッテリー切れのため撮影できなかったせい(マヌケ)。

2016.11.24





#210 生活の革新を見に行く・前編

お金をかけた贅沢とは違う気持ちのよさ

知恵とやる気と工夫とDIY
かねてより評判の『野掛け・椿茶屋』へ出かけてきた。

少し前に同僚から誘われたのに事情があって果たせず、残念に思っていたのが、先週末にようやく行くことができたのです。

JR焼津駅から車を飛ばすこと20分ほどだろうか。ようやく車が通れるほどの狭い道を少し上った竹林の麓あたりにめざす茶屋はあった。全部で3棟の古い建物からなる。


お茶工場を改装したカフェの外観(閉店時)

まず目に入ったのは、パラソルを建てた外の席(店名となっている「野掛け」のための席)と、古い青色のトタン屋根の建物。入り口のドアのところだけが木地の色で、改修されていることが知れる。ちいさなお茶工場を利用して、カフェの店内としてある。台所が未完だけれど(あとは基準をクリアするための浄水器を取り付けるだけらしい)、ギャラリやテーブル席はすでに稼働中。


カフェの室内(閉店直後)

中に入ると、古びたトタンの外観と和のテイストを残したモダンな室内の落差に驚かされる。外観は以前この欄でも取り上げた尾道のそれにも負けないくらいに古色蒼然としたたたずまいであるのに対し、内部は壁の大部分は白い漆喰仕上げだが、一部土壁を残してあり、こちらの対比も面白い。上はと見ると、天井は張らずに梁も屋根の下地も見えている。そして、元から妻側の壁の上部に貼られているポリカーボネートを通して入ってくる光が照明と溶け合って柔らかな明るさを生んでいて気持ちがいい。

材料や家具その他、使われているのは高いものはほとんどない(たぶん)。知恵と工夫、そしてDIYによって、お金をかけた贅沢とは違う気持ちのよい空間ができるのだということがわかる。

ところで、坂道を上がってきた人の中には、この外観に気後れするのか中に入ることなく帰ってしまう人もいるということらしい。そこで、おせっかいは承知で、玄関脇のスペースにオーニングを掛けたその下にテーブル席を設置して、モダンで気持ちのよい内部空間を少し外に侵出させたらいいのではという提案をしてみたら、そのことはもう考えているということでした(やっぱり)。


脇屋の2階からの眺め

一方、瓦屋根の切り妻の付属棟と住まいとして使われている母屋の方にはまだほとんど手が入っていない様子だったが、付属棟の急勾配の階段を上って2階に行ってみると、間仕切りの建具を外しただけの和室。ここからは開放的な里山の眺めを楽しむことができる(角の開口が二方向に接してあったならもっとよかった)、このことを肴にしばし建築の話しにふけりました。こちらは近い将来はきっと宿泊棟となる予定ですね。

食事のあとは、先のカフェに戻って真っ暗な夜の闇に包まれた中に、いくつかの灯りをともし、ストーブの火の色を眺めながら、夜しかかけないという音楽を小さな音量で聴いて贅沢な時間と空間を遅くまで堪能し、気づいた時にはすでに深夜2時を過ぎていて、大急ぎで寝ることにしたのでした。

2016.11.23





#209 夢見る住まい・その7

家具・1

転用性の意味
今回はプランではなくて、家具について。

小さな家というかできるだけコンパクトな生活を心がけようとすると、ひとつの家具でいくつかの場面に対応するということを考えないわけにはいきません。

このことを転用性と言うわけですが、転用性はどちらかと言えば否定的に使われることが多い。というのも、戦時中には和室の持つ転用性が狭い面積で我慢して暮らすことを強いるための論理、生活空間を圧迫する施策として用いられたせいで戦後は一時退けられましたが、必ずしも悪いというばかりではなく、場面によってはとても有効な考え方だと思います。むしろ、たいていの場合、必要な知恵といってよいものではあるまいか。

たとえば、ソファ。くつろいだり、本を読んだり、映画を観たり、というのはもちろんですが、それ以外にも、泊まり客があった時にはそのためのベッドとなることの方が望ましいのです。

そしてこれを実現しようとすると、どんなプランの家のどこに置くかで別のかたちになる。で考えたもののひとつが、下の図です。これは、まったくのオリジナルというわけではありません(ん、わかっていた?)。


転用性を考えたソファ

参照したソファ

イメージスケッチ

アントニオ・チッテリオのソファ「チャールズ」とデザイナーやクリエーターたちの住まいや街を紹介するドイツのサイトで見た、たぶん自作と思われる背の高いソファ(これは、そこが半ば囲まれた私空間であることを感じさせてくれるはず。もともとベッドとして転用することを考えられているようにみえます)を足して2で割ったというくらいのものです。

もっとはっきり言えば、ベニヤの背もたれとアームレスト(とはもはや言えないけれど)をもう少しだけ高くしてプライバシーを確保し、チッテリオのソファのように背もたれの一部と同じ側のアームレストを外して、座り方の自由性を得ようとしたというにすぎません。

でもね、開き直って言うわけではないけれど、何かをデザインするという時は案外こうしたものかもしれません(ローリング・ストーンズの異能のギタリスト、キース・リチャーズも、『どんな天才でも、やったことと言えば、それまで聴いてきた音楽にちょっとだけ新しいなにかを付け加えただけだ』と言っています。とすれば、まして天才ではない者においておや)。

ソファベッドに戻ると、効率性から言えば、必要な時にはベッドにもなるソファの下に寝具をしまうようにすればいいのだけれど、ここは足元を軽く作りたい。そうすると、存在感と言うか空間に占めるボリュームを心理的に減じる効果が生まれて、狭さを感じさせにくい。もうひとつ、薄い板で構成した家具ということを明示するためにも、座面(マットレス)を支える部材は木口が見える方が好ましい。

2016.11.19





#208 夢見る住まい・その6

海辺に建つこと

視覚化することの効用
今回は家具について書こうと思っていたのですが、帰省中に作成したプランを。と言ってもまったくあたらしいプランではなく、前回の2番目のプランのバリエーションです。

変更点が二つ。

ひとつ目は、斜めに貫入させた入口の部分。かたちで人の動きをコントロールしようとしたわけだけれど、簡素な切り妻の屋根の外観に斜めは似合わないような気がしたのです。

ふたつめは、バスルームを洗濯物の乾燥室として使うことを考慮しました。海沿いに建つことから潮風の影響がひどいことも考えられる(かつて、唐津の海沿いと言うか河口沿いに住んでいた時には、さほどではなかったのではないかという気がするけれど)。


住みたい家#6 平面図

住みたい家#6 立面図

第1の問題については、入口部分を直行させることにして、その中に緩やかな曲線の壁を挿入することに(こうした壁の先例は、たとえば石上申八郎の自邸や伊東豊雄の笠間の家がある)。

2番目のことについては、浴室を少し広くしてガラスの屋根とすることに加えて、乾燥機で対応すればよいと考えたのですが、お風呂を南面させる方がさらにいいのかもしれません。

ともあれ、ひとつの案から出発して、それを眺めているだけでも、改善すべき点が次々に見つかって、さまざまな案が生まれてきます。とくに低学年のみなさんは、アイデアを得ようと頭の中でずっと考え込んだり、そうしてようやく作成した案に拘泥するよりも、まずは早くひとつの案を目に見えるようにしてこれをもとにバリエーションを作成しながら比較検討する方がずっと効果的だと思います。


おまけ 秋の空と桜の葉

桜の木にひとつだけ残った葉っぱ

2016.11.06





#207 夢見る住まい・その5

ワンルームの誘惑

考え直してみた
前回大急ぎで描いた案を掲載したのですが、どうも落ち着かない。

理由は二つ。ひとつ目は、あまりにも”やっつけ感”が出過ぎたのが気になった。もうひとつは、ワンルームです。

で、前回のリライトとワンルーム案(これまた、大急ぎでこしらえた案だけれど)。リライトしたものは、分棟で挟まれた空間を考え直して、図を差し替えました。ここには新しいワンルーム案を二つ。


住みたい家#5-1

住みたい家#5-2

日常の暮らしは一続きの空間で行うというのが自然のような気がするのと、コンパクトな方が生活しやすいはず(必ずしも狭くということではありません。このため、ロフトも日常の生活空間としては考えないことにした)。

ずっと変わらないのは、寝室とバスコートを持つサニタリーに隣接していること。そして、かたちで視線や動きをコントロールすることで、閉じないで分節しようと考えました。屋根は単純な切妻。


おまけ 深まる秋、色づく景色

加速する紅葉

ススキ

このところの天候の変化は、相当に急。暑いと思って冷房が欲しいくらいの日があれば、思わず暖房を入れたくなるほど寒い時がある。一日のうちでも寒暖の差が大きくなってきた。

キャンパスの周辺でも空気や木々の葉が黄色や赤色を増してきているのがわかります。秋が深まり、景色は色づいて、晴れたらほんとうに気持ちがいい。

でもあっという間に、冬?天気が曇りだと、ほんとうにそんな気がするのです。

しばらくお休みします。
2016.10.27





#206 夢見る住まい・その4

大事にしたいこと

楽しく過ごすための条件について考えた
夢みる住まい・その3の続き。

前回挙げた住みたい家の案を少し改良してみた。(わかりにくいかもしれないけれど)暖炉の位置については、先日挙げた条件の他にもうひとつ、映画を観る(テレビではなく大きなスクリーンに投射して観る)というのが決定的なのです。さらに、これを(限られたスペースで)実現するための要素のひとつとしてソファのかたちも重要なので、目下鋭意取組中(と言いながら、ふいに思い出した時々にぱっぱっとスケッチするだけですが)。


住みたい家#4-1

でも、案外このスピードというか雑駁さが大事な気がするのです。考え抜くというのも必要なことには違いないけれど初期の段階では選択肢を増やしておく方が望ましいはずなのです。考え過ぎると、手が動かず選択肢を増やすことができないはめになりやすい。

まずはおおまかなものでもいいから選択肢を増やし、その後に選び取った案を洗練させたり実現するための方法を考えることが有効だし、かつ重要だと思っているのです。残念ながら学生諸君の多くは、そうは思わないで、いいと思える案を思いつくまで考え抜くという方法をとりたがるようですが(実はそれは、考えているつもりになっているだけだ、という見方もあります)。

僕の頭の働きが鈍いせいか、頭の中だけではどうもわかりかねるのです。恥ずかしながら、僕は中学の時だったか知能テストで(そういうものがありました)、並外れて悪い点数をとって同級生たちに慰めてもらったことを憶えています(おおらかというのか、個人情報の保護なんて言う考えや制度がない時代のこと。おまけにどういうわけか、自慢できないような恥ずかしいことばかりしか覚えていないのです)。

だから、やりながら、目に見えるようにしながら考えるし、手を動かしながら考えるというのがいい思いながら過ごしてきました。

そして、僕よりも頭は働くけれど経験の少ない学生諸君の多くにとっても、この方法が有効なはず……。

で、練習のつもりで考えた案を載せるわけだけれど……(今回はことさらに、準備不足で迎えるエスキスチェックを前にした学生諸君の気持ちがわかるような気がするのです)。


住みたい家#4-2

ところで、これらをナイス・スペースの欄に掲載するのはおこがましいのじゃないかと感じる人がいそうな気がして、そのとおりだと思うのですが、いちおう空間にかかわる事柄だからね。そこはぐっと我慢して、良しとしてください。

2016.10.23/27(図差し替え)





#205 ナパの醸造家の卵たちはビールを飲む

ワイン映画に学ぶこと

美味しいのはワインだけじゃない
先日掲載した「情緒的な人であること」で挙げなかった映画を思い出しました。「バベットの晩餐会」。デンマークの映画です。「ショコラ」と通じるところがあるように思うけれど、もう少しばかり重さがあるような映画。僕は、ここでヴーヴ・クリコを知りました。

ついでに、パソコンに保存したファイルを開けていたら、書きかけのブログ用の原稿がでてきた。それで、映画も観なおしてみた。

もともとイギリスでワイン映画のベストテンを選出したという記事に遭遇したことがきっかけでした。このところワインを飲むことが多いし、映画好きのヨコヤマ先生からワイン映画で面白いものがあったと言うのを聞いたばかりだったので、目がいったんですね。で、ベスト3というのは、3位が紹介してくれた「ボトル・ドリーム」、2位は「プロヴァンスの贈りもの」、1位は「サイドウェイ」。うーむ(というのは、とくに「サイドウェイ」はさほど楽しめなかったのです)。

それで、未見の「ボトル・ドリーム」を観てみることにしたのでした。まだ有名になる前のカリフォルニアワインが、1人の英国人ワイン評論家によってワイン王国フランスの品評会で1位を獲得したことをきっかけに認められていくという話(実話にもとづいたものだそうです)。筋の運びに都合が良いところもあるけれど、気持ちのいい映画だった。

「水をもらえず苦しんだブドウは風味を増す。……」「苦労すると賢くなるのね」「ブドウはな」(シャトーのオーナーと実習生の会話)。

「『ワインとは水が結びつけた太陽の光』。この金言を残したのはイタリアの天文学者—ガリレオ・ガリレイだ。だが、ワインの味は土壌とブドウの木と果実で決まる」(英国人ワイン評論家)

といった苦くも味わいぶかい言葉もでてくる。


ぶどう畑の果実

陽の光を浴びたブドウ畑の、どこまでもあかるい風景のなんと美しいことか。リドリー・スコットがつくった「プロヴァンスの贈りもの」の南仏プロヴァンスの紗がかかったような美しさとは対象的(でも改めて観ると、おなじような風景も登場していました。やっぱり、いいブドウが育つ畑は砂埃が立つほどやせた土地なのだね)。

そして人情の物語(ワインを愛するイギリス人評論家とナパのワイン醸造家たち、醸造家をめざす二人の青年と見習いにやってきた女の子、彼らがビールを飲みに出かけるワインバーの女主人との友情。そして、わけても父と子の和解)でもあり、さらに情熱を傾けることの重要性とこれが生み出す豊穣。

ただ、残念なことにインテリアはとくに際立ったところはない(という気がしましたが、見習いの実習生が暮らすおんぼろの小屋は住まいの原型中の原型のよう)。


自然の中のテラス席1

自然の中のテラス席2

自然の中のテラス席3

しかし、これを補ってあまりあるほどの美しい景色の中に設えられた即席のテラス席がそこここに出現するのでした。気持ちのいい空間はお金をかけないとだめ、と思っている人たちは必見です。


2016.10.22





#204 夢見る住まい・その3 

ミニマリストになるのはむづかしい

ちいさなものが好きだけど
先日の「夢見る住まい・その2」の続き。

あの後、『スモールハウス*』にも目を通しました(副題に、3坪で手に入れるシンプルで自由な生き方、とあります。在学生の通称ヨッシーくんに貸していたところ半年以上も過ぎた今頃になって返却しにきたのです。いいやつなのですが、小さな本を読むのににそんなに時間がかかってはね、困ります。もっと本を読め。早く読めるようになりなさい)。

こちらに取り上げられている例は、『小屋暮らし』のものとは違って、フルタイムで住むための住宅なのです。これに対してはまいりましたとひとまず言って、大事なことは人それぞれ。無理のない程度にしておこう、と思ったのですが……。

どうも落ち着かないのです。

だいたい車だってちいさな車が好きなのに、住宅はちがうというのも変な気がしてきた。3坪とはいかないけれど、日常の生活はせめてワンルームですませるようにしなくては。

で、練習のつもりで考えた。


住みたい家#3-1(10.01)

住みたい家#3-2(10.03)

やっぱり、落ち着かない……、のです。

*高村友也(2012)『スモールハウス 3坪で手に入れるシンプルで自由な生き方』 同文館出版

2016.10.09





#203 夢見る住まい・その2 

週末住居ではなく、日常生活の場

ミリマリストにはなれない
先日の住みたい家の続き。

その後、反省して、中村好文の「小屋暮らし」を読み直して、大いに触発されました。

コンパクトにする方法は分かっているのです。寝室とリビングやダイニングを一室にまとめる。そして、ものを減らして収納スペースを小さくすればよい。簡単だよね。分かっちゃいるのだけれど……。

だいたい、考えているのは休暇小屋でもないし、週末住居、別荘でもないのだ。毎日暮らす場所なのだ。

と、居直ることにしようと思い定めました……。

すると、いくらかコンパクトになった。


住みたい家#2

こんなふうな家(ノンスケール、やっぱり急拵えのスケッチ第二弾です)。

でもね、正直に言えば、こんなふうな家に住みたい!。

・海が見える
・平屋(というか素朴というか簡素な家)である
・全開できる窓がある
・半外室がある
・暖炉がある
・大量の雑誌や本、そしてレコード、CD、DVDを収容できる
・電力会社による電力の消費は押さえる
もうひとつ、
・分棟形式である

最近は特に分棟形式に惹かれるのです。2つの棟があれば、当然2つの棟の間にスペースが生じる。この2つに挟まれた空間、隙間、余白といった場が好ましい。今思い出したのだけれど、この隙間の効用については、母校のキャンパスを設計した先生がすでに言っていたような気がします(なかなか進歩しないのは、困りもの)。

たとえば、こんな配置。


構成

家具については、ソファは案外なんでもいいような気がする(家にあるLC2はちょっと使いづらいし、ミースに倣って無名の良品、たとえばカリモクあたりのものでもいいのだけれど、チッテリオのものだったらなお楽しいかも)。しかし、椅子については、断然ハードイチェアがあればいい、しかも革張りではなくてキャンバス地のものを( ずっと憧れ続けているのですが、なかなか見つかりません)。

でもね、根本的なことでちょっと気になることがあるのです……。

2016.10.01





#202 コーヒーカップで考えた 

どうでもいいこと、どうでもよくないこと

かたちのもたらすこと
先日、ようやく好みに近いコーヒーカップを手に入れることができた。

縁が厚くてぽってりとしていて、口をつけたときのあたりがやわらいカップで飲むと、コーヒーも美味しいのです。


新しいコーヒーカップ2種

新旧のコーヒーカップ

イタリアの nuovo optionというメーカーのもの。もともとはエスプレッソ用というので、小振りです。合羽橋のコーヒー専門店でようやく探し当てたのですが、厚口のものはここでさえなかなか見当たらないのです。ちょっと不満を言うと、もう少したっぷりとして、取っ手も大きくて、縁ももうちょっと丸みを帯びているのが好ましいのですが(だいたい、エスプレッソを飲むことはないのです)。

そして昨日、妹が大昔に青山のカフェで買ったというコーヒーカップが届いた(厚口のコーヒーカップを探していると言っていたら、送ってくれたのです。思ったよりも厚くなかった、という言葉が添えられていたけれど)。かたちは柳宗理のものに近いし、大きさはnuovo optionよりも大きくて取っ手も持ちやすい。案外、いいかも。ただ、やっぱりぽってり感がちょっと足りない……。

研究室でお客に出す時に使っている柳のカップは曲線はきれいなのだけれど、厚手が断然不足している(で、自分用にはアラビアのカップを使っていた)。紅茶も飲むことを考えてデザインされたのかしらん。

すなわち、コーヒーの味は舌だけで味わうのではなく、唇のあたる感触や見た目の様子も大きく影響するということ。ま、効率性や実用ということからいえば、どうでもいいことかもしれませんね。さて、あなたはどちらの立場?

同様に、デザインを考えるときも、アイデアの面白さや企画の良さだけ、あるいは見た目だけではないということがわかるのではないかと思います。その時々で優先順位のバランスは異なるはずですが、それらが混じりあい支えあうことが日常のための(ここでの形容詞はむづかしい)優れたデザインの要件ではないかと考えるのです。

2016.09.28





#201 夢見る住まい 

海の見える場所

平屋がいい
直近の台風の後急に涼しくなって秋めいてきましたね。

今回の話題は、まだまだ日中は暑いけれども、朝夕はぐっと涼しさが感じられるようになって、窓を開け放てば入ってくる風が時折ひんやりとしたものを運び始めた頃のこと。

早起きして新聞を読んでいたらテレビ欄のところに「建物探訪」とあるのを見つけて、懐かしくなって見ることにした。取り上げられていた住宅は、例によって狭小住宅、白い壁の吹き抜けと天窓、軽やかな階段。ふーんという感想といいなあという気持ちが入り混じる。「ふーん」というのは取り上げられた住宅に対して、「いいなあ」というのは嬉しそうに語る住人に対して抱いた思い。

このところ、というかずいぶん前から物欲というものがなくなってきた。欲しいと思うものがないわけではないけれど、ぜひ手に入れたいと思うことはほとんどない。ただ、住宅に対する思いが少しずつ変わってきた。この年になって、持ち家のある人が羨ましいと思うようになったのです。

若い頃は、経済的な事情というだけでなく家を持つということを意識的に遠ざけてきたのだが、どうしたわけかこの頃は、自分が好きに手を入れられる家が欲しいと思うことがある。しかも夢想するのは、平屋—これはバリアフリーということではないよ—吹き抜けのような劇的な効果は不要。我ながらずいぶんな変わりようだという気がするけれど、スタイリッシュよりも素朴というかごくありふれた気取らない家が好ましい。そして、願わくば海の見える場所に暮らしたい。

先日卒業生のスヤマくんが訪ねてきた時に、彼が見せてくれた、実家を出て引っ越した新しい住まいの図面と自作予定の家具のスケッチを眺めながら、そんなことを話したら、ブログに載せるよう後押してくれたので…。


平面

立地

たとえば、こんなふうな家(ノンスケール、急拵えのイメージスケッチ第一弾です。ちょっと恥ずかしいけれどスピードが大事と考えて)。

でも、鴨長明の家は約3m四方、ソローの家は暖炉付きの一部屋(約3m×約4.6m)といい、そしてコルビュジエのカップ・マルタンの休暇小屋は約3.7m×約3.7m(ただし、台所とお風呂の設備はない)であるのに比べたら、思い切りも覚悟も不足していて物欲の塊りみたいだ(うーむ……)。

なんだかやる気のでない鬱々とした気分の時に、開高が紹介していた言葉を思い出した(以前、取り上げたことがあります)。

ある夜…、『ばくちでもいいから手と足を使え、と孔子が言っているぞ』と聞かされました。然り。頭だけで生きようとするから、この頭の中の地獄は避けられないのです。手と足を忘れています。……逃れるためには、孔子の言うように、台所仕事でもいい、スポーツでもいい。とにかく、手と足を思い出すことです*。

ということならば、現在のアパートの整備(こちらは緊急かつ現実的な課題)と未来の住まいのスケッチを続けることにしようか(夢見る自邸シリーズ?)。そして、このブログも200回を節目として考え直そうと思っていたけれど、いましばらくはこのまま続けることになりそう……。

*1990年TBS製作「悠々として急げ  開高健の大いなる旅路 スコットランド紀行」

2016.09.22





#200 速報・ゼミ研修旅行2 広島編

構築美

抜け感が大事
尾道を見たあとは広島に移動。尾道で見たものと対極にあったのが、広島市環境局中工場。設計は谷口吉生*。

一言で言えば、こちらは端正で美しい。いつもの谷口作品と同様、構築美の極み。前回の言葉を翻すようだけれど、やっぱりいいなあ。


ファサード

内部

外観や内部の建築が美しいのはもちろん、焼却炉(たぶん)等の設備さえも美しい(ま、工場はたいてい美しいけれど)。しかも、建築の美しさだけでなくその外部とロケーションの素晴らしさを市民に提供することを軽んじていない。お金もかかるし、機能や効率優先の勢力は強大だっただろうに。でも長い目で見たら、決して無駄ではないはず。

同じ機能(きわめて狭義の)を果たすもの同士で、たとえば美しさを備えたものとそうでないものの差を意識するかどうかというのは、うんと大きいのではあるまいか。帰宅して読んだ新聞に、「本やコーヒーのような……なくてもいいものがある世の中を考えたい。となると、自分の店だけ栄えればいい。ではなくなるんです」**とあった。


海側の外観

内部を見て、その仕組みを知ることができるし、外に出て芝生の広場でくつろいだり、海に接する階段状のところでは釣りもできる。自転車で駆け抜けていく人もいた。きっとここを訪れた市民は広島市民であることが嬉しく誇らしくなることだろう。このことが、どれだけ地域に貢献することか。

おまけに、建物をゆっくり眺めていると、細かなところにまでデザインする意識が行き届いることが知れて楽しい(たとえば、デッキのフレームや外部階段と外壁の間の隙間。単純な効率主義とは違う美しいものとしよう、それが最終的には大きな効果をもたらすのだという確信)。

そして、建築は、プロポーション、バランスの他に、外部と抜け感、開放性や軽みのデザインが大事なのだと改めて思った。

残念だったのは、海に接する部分の仕上げがコンクリートだったこと。これが尾道と同じようにウッドデッキだったらもっと楽しかったのに違いない(これは、経済的理由によるものだろうか)。

* 世界的に活躍する建築家。以前に鈴木大拙館を紹介したことがありますが、すぐに見に行けるところでは上野の法隆寺宝物館があります。
** 2016.9.6 朝日新聞朝刊「折々の言葉」 元書店店長堀部篤史さんの言葉

2016.09.21





#199 速報・ゼミ研修旅行1 尾道編

脱構築主義?

今とここの具現化
先日、ゼミの研修旅行の一環で、はじめて尾道に行ってきました。

僕は大林宣彦監督の映画(うろ覚えですが)のせいか、整った上品な街並を想像していたのだけれど、これがまったく違っていた。

一言で言えば、ごちゃごちゃ、混沌、出たとこ勝負、その場しのぎ、……。

これは、がっかりしたと言うのではありません。その逆で、滅法面白かったのです。

初めに見たのは、倉庫をサイクリストを中心に据えたホテルとレストランに改装したOnomichi U2。内部は天井の高い空間の店舗とホテル(内部はかっこいいのですが、何度も見た既視感がある)、海に面した外部はテントとウッドデッキ(こちらもありがちなのだけれど、気持ちがいい。しかも、これはずっと先まで続いていた)。ただ、テント席のすぐ目の前に船が数隻停泊しており、景色と燃料の匂いが残念(ただその船の横腹には唐津の大きな文字だったからね……)。

次に、向かったのが商店街。これがずいぶん長かった。しかも、それぞれの店舗でさまざま改装が施されていたのだ。統一やら調和やらという考え方とはまったく無縁。百花繚乱。独立独歩。それぞれが好きにやっているという感じ(ちょっと、計画という概念の存在を疑いたくなる?)。

ミースの付け柱が元かと思うようなキッチュな仕上げがあるかと思えば、そのほとんどが壁の洒落た和風の料亭ふうがあるといった具合。 でも面白いし、不快ではない(当然のことだけれど、もともとの間口の高さがほぼ揃っているのが効いているのだろうか)。中には閉めたところもあったけれど、総じて元気に見えたのは、このやんちゃぶりのせいなのだろうか。


商店街に挟み込まれた路地

商店街の裏側

さらに面白かったのは、そこに挟まれた狭い路地(ちょっとイスタンブールのアジア側の光景を思い出した)。そして、これらが切断されて側面が現しになっているところや裏側の景色。さらに増築を重ねてバラバラだし、おまけにつぎはぎだらけ。

ま、近年の「揃えない」ことの流行は以前おしえられたことがあってその面白さには気づいていたし、何でもきちんと揃えるほうがよいとする従来の建築の見方には(理屈優先の)違和感を憶えていたのですが、それにしても生活の現場で見せつけられるとその衝撃は大きかった。


山側の住宅

そして真打ちは、海側と山側を分ける道路を渡って上った山側の住宅のそれ。さらにパワーアップしていた。度重なる増築はもちろん、材料の違い、形態の違い、ズレ、継ぎ貼り等々気にするところがない。必要な時にあるもので、の精神。デコンストラクショナリズムの原点のようで、これらの前ではゲーリーの自邸も迫力不足、きれい過ぎなのではとつい思ってしまうのでした(同時にデザインの原点は生活にあるのだという思いを強くします)。

日本の時間と空間の認識 − 今とここ − の特徴をみごとに体現しているようで、尾道ラーメンよりも魅力的でした。

一方、海と山の風景は文字通り美しかった。

2016.09.20





#198 抽象よりも具体が先

美しい生活のために

新学期が始まる前に
美しいものは、いつの世でも、お金やヒマとは関係ない。みがかれた感覚と、まいにちの暮らしへの、しっかりした眼と、そして絶えず努力する手だけが、一番うつしいものをいつも作り上げる*。

役に立つと思わないないものや、美しいと思えないものを、家に置いてはいけない**。

花森は暮らしを見つめる眼を教え、モリスはいいものを提供して生活を豊かにしようとしたが、「いいもの」というのはすなわち趣味のいいもののことで価格の高さとは関係がなかった。

今頃になって、この二人の言葉を実践しよう、とあらためて思うようになった。もう何度目、なにを今さらと言われてもしかたがないのだけれど、もう年なのだから変えなくていいじゃないかという思いよりも、残された時間を意識せざるを得ない年になったからこそ、のことにちがいない気がする。

日常生活を取り巻く環境や品々を美しいものにしない限り、満ち足りて平らかな気持ちに慣れない。これは、花森やモリスがめざした通り、高級品を揃えるというわけではない。

そうすることが先で、精神のありようを整えるのは、その次だ。その逆ではない(少なくとも、僕自身にかんしては目に見えないものが先ということはなさそうなのだ)。

抽象よりも具体が第一。目に見えるところから始める。このやり方こそが、思いと実際のギャップを埋めるいちばん確実な方法であるに違いない。


何もない状態に戻された机

手始めに、やりやすい研究室から始めてみた。机の上をまったくなにもない状態(以前、理想としてあげたことがある)に戻しただけなのだけれど。


机上から追放されものの行方

と言っても、ものは減っていないし、スペースも増えたわけではないので、取り払われたものは当然別の場所に現れることになる。だから抜本的な解決ではないと言えば言える(ま、しかたありません)。中途半端と言われれば、確かにそのそしりは免れないけれど、要は何を優先するかということ。後は、ここで何をするかだけだ。

我が家においても、もう残り少なくなってしまったけれど(もう9月!)、この夏休みを使ってさっそく実践することにしよう。

* 『暮しの手帖』創刊号の巻頭に掲げられた 編集長 花森安治の文。
NHK日曜美術館「“暮し”にかけた情熱 花森安治30年間の表紙画」
** 2009年 ウィリアム・モリス展のポスター
HAVE NOTHING IN YOUR HOUSES
THAT YOU DO NOT KNOW TO BE
USEFUL OR BELIEVE TO BE BEAUTIFUL.

2016.09.01





#197 梅雨明けの日の夕暮れ

ちいさな非日常の中に入り込んだ日常

音楽に紛れ込む音
まだ日が残る早い夕暮れ。ラジオのニュースでは、関東地方でもようやく梅雨が明けたという。

いざ梅雨が明けたとなると、嬉しいだけでなく急に梅雨が懐かしいような変な気分。これから、また猛暑日と聞くだに恐ろしい名で呼ばれるような暑い日が続くことを思うと、気分が萎えてしまうのです。


夕暮れの風景

ともあれ、その後のラジオがあまりにもつまらないので(NHKは夕方になぜかくも子供じみた番組を大量に制作するようになったのか)、大滝詠一でも聞こうかと思ったら見つからない。しかたがないので、手近にあったチック・コリアのピアノ・ソロを。

両者はまったく違うし、お互いに代わりになるようなものじゃないないと言えばそうですが、ジャズだってあんまり肩肘張らずに聞くのも良いものだと改めて思いました(ジャズ好きには怒られるかもしれないけれど)。でも、これって考えてみたらあたりまえですね。ジャズとお酒はむかしから相性がよかった、ほとんどずっとペアだったと言ってよいくらいではあるまいか(あ、ばれたかもしれないので白状しますが、僕が飲んでいたのはビール。きわめて軽いお酒です)。

開け放した窓からは時々通り抜ける車の排気音や、タイヤのこすれる音、たまに「右に曲がります」(何だろうね)なんていう声まで聞こえます。これだって、気張った感じがしなくていいような気になります。強いて言えば、ちいさな非日常の中に差し挟まれた日常なのかも(非日常と日常を入れ替えてもいいかも)。

そういえば、かつてオックスフォードのちいさな教会でレイチェル・ポッジャーのヴァイオリンを聴いたときも、時折り外の音が混じった(ちいさな街でもこういう機会があり、しかも気軽に出かけられるというのは羨ましい。おまけにポッジャーもぜんぜん気にするそぶりはなかったように見えたのも素晴らしかった)ことを思い出しました。

オックスフォードやフィレンツェ、そしてあの特別な気分にさせられるヴェネツィアでさえも、そこで暮らす人々にとってはそれが当たり前の風景、日常なのだと思ったら、急にこれといった取り柄のない見慣れた風景も案外悪くないように思えてきたのでした(とくに夕暮れ時にはね)。


CDs

で調子に乗って、コリアの次は彼と一緒に録音したこともあるジャズ好きで知られたウィ−ン出身の音楽家グルダのシューベルト『即興曲集』、それからカナダ出身の異才グールドのバッハ『ゴールドベルク変奏曲』の遅い出だしを聴いていたら(いずれもピアニストの最晩年の録音)、ちょっと落ち着かなくなったけれど。

2016.08.01





#196 またまた川のある喜びについて

アルノ川のよう、とはいかないけれど

水があってこそ
ルネサンスが始まった場所、フィレンツェ


フィレンツェ・アルノ川

見所はいっぱいあるにちがいないのだけれど(旧市街地は世界遺産)、中心を流れるアルノ川があることによる魅力も大きいのではあるまいか。その両岸には有名無名の古い建物が建ち並んでいるし、ヴェッキオ橋をはじめとする美しい橋も何本か架かっている。


室の木・侍従川

片や室の木キャンパスの近辺も、江戸時代に中国の景勝地瀟湘八景(しょうしょう はっけい)に倣って金沢八景と称された由緒ある場所。

ここを流れるわが侍従川は、とてもアルノ川のようにとはいかないけれど(建物は現代のものだし、雪見橋と言う名前は素敵だけれどチープだ)、それでも時間によってその姿を変えて、それぞれ場面でなかなか美しいと思います。乱暴な言い方をすると、水の無い風景はたいていつまらないのではあるまいか。

2016.07.31





#195 こんなところに祠

あちらこちらに宿る仏や神

失った者の行方
早く目が覚めたので、また裏山へ。天気は快晴、湿度も少ないようで清々しい。


苔むした階段

緑と光は一段と鮮やかさを増しているが、今回は別の場所へ。早朝のせいで涼しかったので、緑の苔むす階段を思い切って(これは、残念ながら正直な思い。とほほ)上ってみることにした。


石造りの小さな祠

30段ほども上っただろうか。まず上りきったところは踊り場様の狭い平場があっていて、石造りの鳥居があり淀姫神社とある。そこには小さいながら一組の狛犬を従えた帝釈天像*が立っていた。そして、さらに上ったその先には山の斜面に張り付くようにしてちいさな祠があったのです(石造りの小型の投げ入れ堂のよう)。


あんなところにも祠、こちらは木製

神聖なものは奥に置くという思想についていちおうの知識は持っていても、こんな奥まったところに、行きづらいはずの場所にどうして、という疑問が湧いてくる。近くには、この他にもいくつか鳥居や祠があります。あちらこちらに仏や神が宿っているのだ。

それにしても、昔は、といってそんなに古い話しではないはずですが、信仰心(というか敬う心)と労を惜しまない気持ちと技術(もしかしたらそれに余裕ということを付け加えてもいいのかもしれません)があったのだなあと改めて思い知らされたのでした。

さらに余計なことを言うならば、こうしたことを失った、持ちえない私(あるいは私たち)の行方はいったいどうなるだろう、ということがふと頭の中をよぎったのです。

*仏教の守護神の一つ。ということで、日本の仏教と神道の関係の特殊性を示していると思いますが、興味がある人は調べてみてください。

2016.07.14





#194 水田がつくる風景

水の中の集落

降っても晴れても
梅雨もはや後半戦に突入したけれど、田舎を走る車窓から見る景色は、ひと月前とはまったく違っていました。この間まで緑の穂を揺らしたり、土色をあらわにしていた田んぼは、たっぷりと水を抱えていたのでした。文字通り、水田。


雨に煙る水田

空はと見ればどんよりとした雲に覆われていて、水田は今にも降り出しそうな灰色の空を写し込んで、いかにも梅雨時の風景らしく、なかなか風情があります*。

やがて、水滴が窓を濡らし始めるといっそう趣きが増して、浮世絵に描かれていそうな光景のような気がしてくるのです。

晴れていても

田んぼを横切る大小の川や用水路も水を湛えていて、まるで水の中に浮かぶ集落みたいに見える(帰りは打って変わってよく晴れていたけれど、この時は周囲の景色を映して、やっぱり水上集落のようでした)。

水田がつくり出す風景は、降っても晴れても、天候に関係なく変わることがありません。

*写真が青みがかって見えるのは、カメラのせいかはたまた列車の窓ガラスのせいかもしれません。

2016.07.09





#193 何度目かの川のある喜びについて

自然が与えてくれるもの

景観と安全性
たいていの人には不評のようだけれど(水はきれいじゃないし、川沿いの歩道は狭いし、おまけに2つのあいだのフェンスもいまいち)、それでもキャンパスのすぐ前を流れる侍従川を見るのが好き。と書きかけて、川の話題は何回か取り上げたことがあったのではと気づきました。梅棹忠夫は、人が書いたものと同じことを書かないようにするために本を読むのだと書きましたが、自分のものをまねるのはもっと恥ずかしい。

それでパスしようかとも思ったのですが、あまりにも多くの人が侍従川を褒めないので、(手を替え品を替えて、というわけにもいかないけれど)繰り返すのも意味があるかと思い直しました。先日の演習で目の前の川の眺めのことを考えてみたらと言ったら、一様に「え、あんな川を」という答えが返ってきたこともあるし、おまけに、掲載予定だった「楽勝の設計課題」がなぜかアップできないので。


晴れた時の水面に映る景色

侍従川について客観的に見れば、先の批判はすべて正しいように見えます。それにもかかわらず、川には刻々と変わるさまざまな表情があり、そのどれもが美しくて見飽きることがないのだから。


曇っていても

とくに満潮のときがすばらしい。海のすぐそばなので、干満時の差が激しいわけだけれど、水位が上がり、たっぷりと水を湛えて地面と水面と近づいた状態を見ているとなんだか嬉しくなります。その代わり、干潮時には水との距離が広がり、護岸された部分が大きくなってちょっと興ざめ。水の豊穣さが感じにくくなってしまうのです。でもこの干満があるせいで、水面との距離を確保せざるを得ない……。

命の水と言ったり、母なる海と言ったりするように、水は生命の源。水は見るものの心をやわらくほどいてなごませてくれる力があるのだね。

すぐ目の前に川があり、いつでも眺めることができるのは、とても幸せなことだと思います(引っ越す前の5階西側の研究室が懐かしい。ここからの眺めは素敵でした)。


モードリン・カレッジの中を流れるチャーウェル川

イギリスの大学町のオックスフォードにもテムズ川(上流なので川幅はさほど広くない)とチャーウェル川という2つの川が流れていて、いくつかのカレッジではこれらの川に面しているばかりではなく、敷地内を横切っているところがあって、とても魅力的だったのです(しかも、いずれもが歩道と水面の距離がきわめて近い)。

だから、侍従川もこの魅力を生かすべく、もう少し整備してくれたらいいのにと願うのですが、経済的な理由やら安全性の確保やら(このことは簡単のように見えて案外むづしい。たとえば、大震災の後を受けて各地で設置されている高い防潮堤のように、それまでの景観を失うことよりもいつ来るか分からない津波に備えての安全性の確保が大事という考え方もある)の理由で実現はまずむづかしいだろうけれど。それにしても、なんとかならないものか(というのは、先の短い者の言い草か……)。

どうであれ、川や水のある喜びは減じることがないってものです。

2016.06.22





#192 ミニマリズム

揺れるこころ

○か×でなく
ちょっと複雑な心境、なのです。


ファンズワース邸*

母の家*

ミースの”Less is more.” かヴェンチュリの”Less is bore.” か。

自身の生活空間(主にインテリア空間ですが)のありようについてどちらの方向でいくべきかということ(といってもたいした空間ではないから、あくまで気分です。気持ちの問題)。

このところ、もう少し意識的に暮らさなければ、と考えさせられることが多いのです。時間の経過があまりにも早くて、ぼんやりしているとあっという間におしまいということになりかねない気がしてしまう(なかなか、うまく対応できていないけれど)。

若者(あるいはそう思っている人)はまさか残り時間のことを思うことはないだろうけれど、それでもうまく使うのに越したことはない。生活空間を設える術を身につけるのにもいい時期じゃないかとも思います(なんといっても工夫しなければならないだろうから)。

建築的にはミースの方が断然好き。ただし、自身が暮らす生活空間となると、話しはそんなに簡単には行かない(ミースだって、自身は古いアパートメントに暮らした)。

ものや制約が少なければ、その分さっぱりとした気分があって気持ちよさそうです。他方、好きなものに囲まれないのは寂しいし、なんだか無機的な生活で味気ないような気もする。

制約の少なさは自由さが増しそうなのに対し、制約が多いと自由が制限されそうですが、これを克服しようとして工夫や想像力を刺激する(結果的により大きな自由を手に入れることにもなる)。

ものの場合はどうだろうか?

ものが多いと選択の幅が増え、少ないと限定される。だから、デザインする場合は選択肢を増やすように材料を集めて、エスキースを何度も重ねるのがよい。この間取り上げたモランディのように、少ない題材でも魅力的なものが存在するじゃないかと反論する人がいるかも知れませんが、少なくとも学生のあなたには時期尚早、彼の流儀を真似するのは危険と言っておきます。

しかし、ものが多いとスペースを塞ぎ、スペースの使い方の自由度は減じる。限られたスペース(たいていの場合こういう状況が当たり前)を有効に使うためには、ものは少ない方が望ましい、ということになる。

そこで悩むわけです。

ものが少なくてあまりにもさっぱりと片付き過ぎているような空間はきれいかもしれないけれど無味乾燥で人間味に欠けるようで、暮らしたいとは思わない(なんと言ったって、そんなに残された時間は多くないのだから)。


セミナー室

なかなか捨てられず整理の苦手な自分の自己弁護かもしれませんね(反省)。となれば、これを受け入れてなんとかすることを考えよう。そして、研究室を訪ねてくれる人のうちには、「いつまでも居たくなる」と言ってくれる人がいることを頼りにしつつ、せめてもう少しものを減らすことをめざしてがんばってみることにしよう。

同じ空間にあってものが多いところはきちんと整理して(ものの並び方にある意志を感じられたなら、不快にはならない)、同時にものの少ないすっきりとしたスペースをつくりだして、併存させるのがいいのだろうね(中間的な解決で潔くないようだけれど、ま、人生は白か黒だけでは言い切れない)。即ち、楽天主義。

それでも、言うは易く行うは難し。ですが方針が決まれば後は少なくとも、むづかしいことではない(やるか、やらないかのふたつにひとつだ)。 楽天主義で行こう。

*写真はウィキペディアから借りました。

2016.05.27





#191 薫る五月の風

美しい新緑

早や夏
今年はいつにも増して季節の訪れが早いようだ。

ついこの間まで暖房が欲しかったのが嘘だと言うかのように、このところは暑いと感じるような日が続いている。初夏というよりは、もはや夏という方がいいくらい。

それでも、5月の美しさは変わらない。

湿気の少ない風は鼻孔を刺激し、肌をなでて気持ちがよい。そして、葉の緑は新鮮な薄緑に光って美しい。

時折混じる雨も、いつもとは違って、緑を鮮やかにしてむしろ好ましい。「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だななどとだれにも言わせまい」*を不意に思い出し、これを書いたポール・ニザンに賛成したいけれど、それでも5月がいちばん美しい季節と言ってもいいかも思うくらいです。


美しい緑陰と木陰

外で過ごすのが気持ちいい。中庭のテーブルにも学生たちが座るようになってきた。キャンパスの木々がつくりだす木陰も素敵です。


食堂の窓

食事も外でしたい。それがかなわないなら、せめて外を見ながら食べたいと思うのです。だから中庭に面した食堂で食べるときは、できるだけ透明な窓の側の席に着くようにしている。ところがひとつ問題があって、ちょうど目の高さのところにシールが貼ってあって(ちょうどコーヒーカーテンのように)、中庭の部分が見えないということになるのです。

なぜ、こんなことになったのか長い間不思議に思っていたのですが、ある事件の後からこうなったというのです。それは入試の最中に起こった。質問かなにかがあったのか若い職員が急いで駆け出したところ透明なガラスに激突して大けがを負った。そこで、それ以降透明なガラスにはシールが貼られるようになったというわけ。

しかたがない気がしますが、せめてシールの位置と大きさを考え直してくれるといいのだけれど。ほんとうは外にオーニングを差し掛けたテラス席をつくってくれるともっと嬉しいのですが。


即席の窓側席

で、ならばと家でやってみた。窓側に面するように小さなテーブルを置いて、外を見ながらちょっとした書き物をしたり、飲み物を楽しんだりしようと思ったのです。本格的にやるのは当然簡単ではないので、窓際の簡易棚の上に安い折りたたみのテーブルを置いただけの即席です(ちょっとチープな感があるのは否めないけれど、しばらく楽しんでみるつもり)。今日は早めに帰って、ここでビールを楽しむことにしよう。できれば、外も工夫したいところだけど、ま、贅沢は言うまい。

*ポール・ニザン「アデン アラビア」、晶文社、1975

2016.05.14





#190 ドキュメンタリー映画の効用

移動の時に眠るな

創造力を教わる
好きな映画はと訊かれたなら、いろいろあって一言では言えません。以前に取り上げたレストランや料理が出てくる映画のようにいわばジャンル(これだっていろいろな分け方がある)による好みもあれば、ある映画作品そのものについて話したくなる場合もあるのです。

前回好きな映画についた書いてからずいぶん時間が立ってしまったけれど、もっと早く掲載するはずだったのが遅れたのは、僕が怠け者だということもあるけれど、BS放送を録画してもらっていたDVDが見つからなかったせい。

とは言いながら、今回もジャンルによるもの。ドキュメンタリー映画が好きなのです。しかし、一般のそれとは少し違っていて、僕の場合は、政治やら事件やらにフォーカスしたものではありません(こちらは、どちらかと言えば苦手)。紀行ものや作家や画家などの人物をめぐるものが好きなのです。知らない世界をかいま見るのが面白い。

しばらく前に観たのは(もはや、だいぶ前のことですが)ファッション関係の2本、「マドモワゼルC」と「ファッションが教えてくれること」。正確に言えば、対象はいずれもファッション誌の編集長です(女性。しかも年配)。

ファション関係の映画はけっこうありますよ。ドキュメンタリーでは、デザイナーを対象としたものは「イヴ・サンローラン」(2010年製作)や「シャネル シャネル」(この他ドキュメンタリじゃなく劇映画が何本か)「ディオールと私」「ファッションを創る男~カール・ラガーフェルド~」等々。劇映画では、業界を扱った「プレタポルテ」なんていう映画もありました(未見ですが、これを監督したロバート・アルトマンを取り上げたドキュメンタリー映画も昨年公開された)。

さて、「マドモアゼルC〜ファッションに愛されたミューズ」(2013)と「ファッションが教えてくれること」(2009)。同じチームの手になるものだそうで、製作年は「ファッションが…」の方が早い(ぼくは、知らずに「マドモアゼルC」の方を先に見ました)。

「マドモアゼルC」の公式HP*には、フランス版「ヴォーグ」の編集長カリーヌ・ロワトフェルドのプライベートライフと、新雑誌「CR Fashion Book」の製作過程から発売までを追ったドキュメンタリー映画、とある。彼女は59歳にしてハイヒールを履きこなす、現代のファッション界で最も影響力を持つファッショニスタであり、今や彼女の“生き方”そのものが、ヨーロッパの女性たちを中心に熱い支持を集めているとのこと。

一方の「ファッションが教えてくれること」 は、これを紹介したHP**の言葉を借りれば、アメリカ版「ヴォーグ」の編集長アナ・ウィンター密着し、ファッション業界の1年の始まりを告げる9月号(何と840頁、2kg!)の編集の様子を追ったドキュメンタリー。アナは、ファション界で常に注目を浴びる存在であり、ファッション・アイコンとなっていて、デザイナーや小売業者にも影響力のあるファッション業界のクィーンであるそう。


写真を選択中のアナ

最近見た方の「ファッションが…」の主人公アナ(1949–)は「プラダを着た悪魔」のモデルとなった敏腕編集長ですが、それこそ映画のように 冷酷無比な物言いで、気に入らないものを切り捨てる(見ているこちらがハラハラする)。もちろんただの人でなしであるわけはなく、それもこれもすべてよい雑誌をつくるため。僕は、(アナと同様な気持ちを共有し、お互いにその能力を認めながらも)彼女と対立することの多いスタイリスト、グレイス・コディントン(1941–)の方が好ましく思えた。

両者ともにイギリス出身。早くからファッション業界に関わったところまでは同じですが、たとえば写真の選定に際しては、前者は「読者にどう映るか」、後者は「自身の美意識」を重視する。

しかし、いずれもがかなりの年でありながら、変化の早いファッション業界の最先端に居続ける感性を保ち、しかも仕事にかける情熱がすごい(怠け者の僕からするとちょっと不思議な気もしますが)。いったい、ドキュメンタリー映画を見る効果のひとつは、自身に喝を入れてくれること(これも最近では、効き目が長続きしないのでせっせと観なくてはなりません)。


移動の時に眠るな

もうひとつは、創作の秘密と言うか、ものや形が生まれる現場を覗く楽しみ。たいていの場合、親しく話しを聞くというわけにはいかないので、これは貴重な体験です。おまけに、時折すぐに役に立つこともある。たとえば、交通事故でモデルからエディターに転身した若いグレースがカメラマンに言われたこと、「いつも目を開けていろ。移動の時に眠るな」。いつでもロケ地を探しているつもりでいなさいということですね。そうすることで、思わぬ発見をする時があるし、インスピレーションを得ることがあるのだね(学生諸君は覚えておくとよい)。

これらの楽しみは建築家を扱ったものでも同じですが、空間を扱うだけにより親しみやすい。こちらもたくさんのドキュメンタリー映画があります。

手元にあるものだけでも、名匠シドニー・ポラック初のドキュメンタリー「スケッチ・オブ・フランク・オー・ゲーリー」、「オスカー・ニーマイヤー」、「レム・コールハース:ア・カインド・オブ・アーキテクト」、「ふたりのイームズ:建築家チャールズと画家レイ」、「フォスター卿の建築術」、「ジャン・ヌーヴェル」、「フランク・ロイド・ライト」、「ミース・ファ ン・デル・ローエ」、「マイ・アーキテクト ルイス・カーンを探して」等々。

彼らの肉声を聞いたり、事務所や書斎を見るだけでも楽しい。

2016.04.27





#189 触れてこそ分かること

コーヒーを飲んで考えた

感覚の重要性
これもまた、1年近くも前に書いていたことを。「白椿の里」を見ていたら同じことが書いてあった(ま、以前に話しあったことですが。エスプレッソ、美味しそうです)。

で、最近は滅多に口にすることが無くなったコーヒーを久しぶりに飲んでいて(ケメックスが加わったにも関わらず!?)、気づいたことです。


臼歯式コーヒーミル

コーヒーを淹れるということが儀式性を帯びるせいか(手順の多さ故だろうか)、妙に道具立ても整えて淹れたくなることがあるのです(時々ふいにアナログ盤を聴きたくなることと同じように)。

となると、豆は自分で挽きたいし、安いプロペラ式のミルでは均等に挽けないし熱を持って香りが飛んでしまうので、臼歯式のものが必要だと言われればその気になる。ならば焙煎も自分でしたらどうという声も聞こえてきそうですが、ま気分のものだからできる範囲で(完全性を求めていたら何もできません。でも、みるっこが欲しい……)。

このところ、また、日本茶(緑茶)を飲むことが圧倒的に多くなったのです。コーヒーに比べると手軽だし、その色合いからも朝飲むのにはいちばん相応しい気がするし、なんだか体の中からきれいにしてくれそうな気分になる。おまけに、朝の日本茶は難よけの効果もあるそうなのです(女優の中島朋子さんが書いていた)。

ぽってりとしたカップが欲しい

で、何を思ったかと言うと、コーヒーは飲み口がぼってりとしたカップで飲むのが美味しいということ(たまたま手近に、ペコちゃん印のカップがあったので試してみた)。職場にある柳宗理のカップはかたちこそきれいだけれど、ぽってり感が不足、だと思います。早く相応しいのを手に入れなければ(たいていの場合、デザインは少しシャープなものが好みだったのだけれど)。

これに対し、日本茶や紅茶は薄口の器で飲みたいと思うことが多いのです(ま、土ものの器で飲みたくなることもあるし、やっぱり美味しいのですが)。コーヒーやお茶の色と透明感との関係があるのかしらん。ついでに言うと、ビールは断然薄口。

お茶はお茶、コーヒーはコーヒーなのだから器は何だっていいと言う人もいるかもしれません。でもやっぱり違う気がするな。少なくとも気分が違いますね。同じようなことでは、スープは漆の味噌汁椀では気分が出ません。こういうことに気を配ることが大事なのだと思う(あんまり気にし過ぎるのも困りものだけれど)。こうしたことに無頓着に暮らしたなら、生活はずいぶんと味気ないものになりそうです。ま、たいていの人は着るものには関心があるから、余計な心配かも。一方、老婆心ながら、あれはあれ、これはこれとしてすませる人も案外いるようなので。

飲み物の種類と器の関係については、必ずしも賛成する人ばかりではないだろうけれど、それでも触れてこそわかることがあるってことです。見て、触れて、味わって、体験してはじめて理解することができることは多いのです(感覚よりも機能的、効率的であることを優先する人もいるでしょうが)。くれぐれも、頭でっかち、頭の中だけでわかった気にならないように気をつけたい。具体的に考える癖を付けることが大事なのではないかと思うのです。

あ、言うまでもないことだけれど、経験したことを即正しいものとして一般化することは避けなければなりません。

そして、これまた当たり前ですが、本を読んだり人の話しを聞いたりしながら、自分の経験を補ってこそ、理解が進むに違いありません。

2016.03.26





#188 距離感が大事

かたちと大きさ

空間の効用
またまた、羽田のフードコートで考えたことを(これもまた遅ればせながらのエントリーです。まるで、フードコートでしか考えられないかのようですが……)。

年が明けてからすぐのこと。ガラス屋根のスクリーンは取りはずされていました(この日は曇りだったのが残念)。それにしても、何度も繰り返すけれど、低い屋根(と幅の狭さ)が惜しい。必ずしも快適ではないとは言えないけれど、圧倒的な開放感を欠いた中途半端な快適さなのだ。なぜこういうことになったのだろうか。経済性、効率性のためと考えるのが妥当だろうけれど、もしかして、ヒューマンスケールということを考えたのだとしたら、愚かなことだった、と言いたい。

建築、とくに住宅では人体寸法が基本であることは間違いないところだけれど、いつもこれに従うのはつまらない(ヒューマンスケールの罠)。非日常的な場所や晴れがましいところではスーパースケールの空間こそが相応しい。それが、日常の中で鈍くなったわれわれの感覚を解放し、喜ばせてくれるのだ(ま、空港がもはや非日常的な場所ではなくなったとしても)。

ここの緑に生気がないのも残念ですが、これは水気がないせい。と思って眺めていたら、これらの写真を撮影している人が現れた。ネームプレートのようなものをぶら下げていたから、管理担当かなにかの人だろうか。ぜひ葉っぱにも水をたっぷりかけてほしいね(ほんとうは雨に濡れるといい)。植物にとって、時には雨も必要なのだ。われわれにとって、感覚を洗いなおしてくれるような空間が大事なように。


向かいのレストラン

本日のランチ

それでも、外(のような感じのするところ)で食べるとたいてい美味しい。225ml入りの瓶の安い菊正だって少々甘いけれどうまいのだ。たぶん、向かいのレストランだったならこうはいかなかったのではあるまいか。これがもっと開放的な空間だったなら、さらに美味しかったにちがいない(惜しいなあ)。


大きい方のテーブル

その日はいつものように小さな丸いテーブルに独り座ってしばらく過ごしたのだが、案外大きなテーブルでの相席もいいような気がしてきた。たぶん、旅の空の下、日常とは違う気分がそう思わせるのだね。次回は、やや大ぶりで長方形のテーブルを選ぶことにしよう。

その場合、気になるのが相席の人との物理的な距離。つまりテーブルの幅。これが足りないときは何らかの工夫が欲しい。たとえば、テーブルの上に植栽が施されている席は、卓上の面積が少なくなる欠点はあるけれど、それでも距離感を延長してくれるような気がする(もう少し分節度を強める工夫があれば良いのだけれど、同じグループで使うこともあるからね)。


相席その1

相席その2

で、後日、2月の半ばを過ぎた昼頃に大きいほうのテーブルに座ったのだけれど、思ったより小さかった。さて、これが距離感を保つのに有効だろうかといぶかっていたところ、ひとつ前のテーブル、続いて僕のテーブルにもお客が座った(何のためらいもないようで、僕の前に座ったお客は親子丼をささっと食べて、やおらパソコンを開いたのでした。また別の日にも相席を見かけましたが、この時はテーブルの植栽をやや挟むように座っていた(やっぱり、テーブルはもう少し大きいほうがいいようです)。

でも、3〜4人掛けくらいの丸テーブルでは相席を見かけたことはないから、いささか小振りのようだとはいえ、その形状やしかけが知らないお客同士の間にいくらかの距離を感じさせるのに役立っているということだね。

ともあれ、距離感は空間の演出には重要な要素だし、空間の性格と使い方を大きく左右するものの一つにちがいない。

2016.03.12





#187 非日常の感覚

生活を豊かにするデザイン

特急列車「かもめ」のインテリア
つい先日、日本の特急列車はハレの演出がなされていないのが残念と書いたばかりですが、その後でちょっと思い出しました。JR九州は案外がんばっているようです(水戸岡鋭治デザインの超豪華列車の「ななつ星in九州」もJR九州。もちろん中にはそうでないのもあるし、また他の地域のことはよく知らないで少ない経験をもとに言うのだけれど)。

準コンパートメントとも言えそうな設いの列車が走っていることは、既に#67で書いていました。


かもめ」のカウンター

客室内

荷物棚

そして、先日乗ったのは、乗車口廻りが広くて窓側に小さなカウンターが取り付けられていて、座れない場合でもゆったりと立っていることができそうです。客室の中に入ると、床がちょっと凝った模様の木製、天井はアルミ棒、おまけにヨーロッパの列車に見られるような荷物置き場(しかも木製)が設けられていました。ふだん使わない路線の列車だったのですが、 新鮮な感覚でした。 こうした工夫をした列車が増えると、鉄道の旅がもっと楽しくなるのであるまいか。

広く公共空間が効率やら利便性やらを優先するだけでなく、大きいものから小さなものまでの非日常を感じさせ、喜ばしい気分を味あわせてくれるデザインが増えると,生活がぐっと豊かに彩られることになるはずだと思うのです。

2016.03.11





#186 続・気分一新

環境づくりから その2

かたちから入る
はじめにやったのは研究室の片付けと時計の設置ということは、#181で書いた通り。その後にやったのは、作業用テーブルの設いの変更とアンプの入れ替えを(昔からのながら族ですが、会社員だったらどうなっていたのだろう。考えるだけで怖い)。


これが理想だけれど

新しい室礼

作業用のテーブルの上には何もない、あるいは佐藤可士和のようにパソコンとスピーカーしかないというのが理想なのですが、なかなかそうはいかない。で、机上に出すものは極力少なくすることにして、散らからないよう新たにトレイを置くことにしました。その他のものは、できるだけ机の下に置く。この状態を保たなければいけません(事務所を自営する後輩が、使ったものは用が済んだらすぐに必ず元に戻すようにしているのを目の当たりにして、感心したことがありました。わかっちゃいるのだけれど、これが難しい)。


リプレイス前のアンプ

リプレイス後のアンプ

アンプはいずれも古いものですが、新しく入れ替えたアンプのほうは小さな真空管アンプを持ち込みました。この方が、視覚的に好ましい気がしたのです。自宅の書斎コーナーにあったものですが、こちらはあんまり使わなくなっていたし、設置するスペースの関係上、真空管が半ば隠れてしまっていたのが気に入らなかった。

実は、昔、なぜかは忘れたけれど彫金を習っていたことがあって、その工房には真空管アンプがおかれていました。選ばれた音楽が小さい音量で流れていて、真空管にちいさく赤い灯がともっているのを見るのがとても好きだったのです。

トランジスタアンプが文字通りクールな美しさがあるとしたら、真空管アンプは夜の住宅街にともる民家の灯りのようなあたたかさが感じられる気がします。

いちおうオーディオ装置なのだから、音が重要なのではと言われればその通りですが、なんといってもながら族なのだから気分が大事。したがって、あんまり気にしませんが、強いて言えば、やわらかい音になったようです。

また前のアンプが黒だったのに対し、真空管アンプの方はCDプレイヤーとチューナーと同じアルミのヘヤライン仕上げで、テイストも揃います。おまけに幅は小さくなったので空いた部分にちょっとしたものを飾ることもできる(やっぱり、ミニマリストにはなれないよう)。

もちろん実質こそが大事という考え方もありますが、はじめはカタチから入るというやりかたもあっていい。この方が気楽に始められます。そうだ、ぼくの今年のテーマは「気楽にいこう」としよう。

ともあれ、気分を変えてやる気を引き出すための準備は、さらに整いつつある。あとはやるだけです。でも古いものはデリケート、下手にいじると壊れやすいやすい。自宅へ持ち帰ったアンプを繋いでみると、片方のチャンネルが怪しくなってしまいました(ま、人間も同じかも。コワイ、コワイ。気をつけなくっちゃ)。

2016.03.10





#185 天井の高さ

祝祭感の有無

非日常空間と日常空間の間
またまた羽田で考えた(これもずいぶん前から書きかけのことで、このところ蔵出し大放出という感じです……)。

羽田空港には不十分とはいえ天井が高いところがいくつかあるけれど、やっぱり天井が高い空間は気持ち高揚する。しかし、日本の空港は(僕が知る限りですが)そういう気分を味あわせてくれるところがなかなかない。すなわち、高さばかりでなく広がりも不足しているせいで、祝祭的な気分に欠けるような気がしてならないのです。ヒューマンスケールよりもスーパースケールの方が好ましいときがあるのだ(レンゾ・ピアノは、ヒューマンスケールにこだわるのは愚かなことだというようなことを言っています。何回か前に触れたノーマン・フォスターも同様なことを言っていたのではあるまいか)。

このことは鉄道の駅についても同様(このことはもう2回も書いていました − #66、#114)。そして、特急列車(つまり、ふだん使いではない列車)そのものの設えにおいても言える。 残念ですが、 ハレの空間の演出がなされていないのだね。効率主義のためなのか、あるいは縮み思考のゆえなのか。それとも、水平性を強調する建築の伝統なのか(水平方向の広がりも感じにくいと思うけれど)。


低い天井の寝室*

いっぽう、住宅については、事情を異にするようです。昭和の大建築家の村野藤吾だったと思いますが(ずっとそう信じ込んでいたのだけれど、ちょっと怪しい。確かめようとしてもできないのです)、「天井の高い家は成金趣味だ」**という趣旨のことを言って退けたのに対し、こちらもずいぶん前のことですが、「天井の高い家は大物が育つ」といったようなCMが流行ったこともありました。今となれば、高い天井を好む人の方が多いのではあるまいか。


テート・モダン

僕は、(そっと言うなら)、前者を支持するのですが、それでも非日常空間、晴れやかな空間においては、先に述べた通り逆の方が断然いい。

それはなぜか。住まいというのは文字通り毎日を過ごす場所で、刺激的であるよりくつろげる場所であってほしい。心身を休めて、おだやかに過ごせる場所である方が好ましいと思っているからなのだ。

もちろん、住宅も快適な空間であること、楽しい場所であることが求められるのは言うまでもありませんが、非日常空間のそれとはちょっと違うような気がする。天井高については、日本人の体格の変化や椅子座の定着のことも考慮する必要がありそうだけれど。少なくとも、派手な仕掛けはいらない。もちろん、気持ちのよい時間を生み出すのに必要なら、天井の高い吹き抜けがあってよいし、たとえば大きな空間を用意して小さな空間との対比を楽しむのもよい。余裕があればハレの空間が設けられていてもいっこうにかまわないのだけれど。

ちょっと脱線すると、何でも自分の家で充足するというのは、果たして幸せなことなのかどうか。その結果、私生活は住宅の中に閉じ込められて、外部との関係も稀薄になりがちです。

戦後家の中からいろいろな行事が外に出て行ったことに対し、批判的に述べられた時代があった。そして現在は、少なからぬ数の人が、ハレの空間もショールームのような部屋も、庭も、なにもかも自身で所有することを望んでいるように見える。自分が住む街をそうした空間として使い,相互補完的なものとすることができれば(このためには、職住近接が望ましい)、住まいをもっと日常的な私、あるいは(近隣に対し過度に閉ざすことのない)私たちの生活の場としていく充実のさせ方というのがあるのではあるまいか。

さて、これは僕が年取ったというせいなのだろうか。

* S&N邸 設計:藤本憲太郎+松浦義和、2001 これが優れた例というわけではありませんが、基本的に自分で撮った写真を使いたいのです。
** 宮脇檀が同じことを言っています。こちらは師の吉村順三共々なるほどそう言いそうだと思えて納得しやすいのですが……。

2016.03.09





#184 速報・横浜でも霧

春近しの証

三寒四温
起きてみると窓越しの景色が何やら白っぽい。


霧に包まれた住宅地

消えかかる霧

昨日の暖かい空気が夜に冷やされた上に風もほとんど吹かなかったため、霧が発生したというわけ。 湿度100%。見慣れた風景が少し幻想的に見える。昼までには晴れるようだけれど、 天気予報によれば、この現象は西日本の一部を除いて全国的なものであるらしい(学校に着いた頃にはもうだいぶ薄れていた)。

こうした小さな非日常的な景色を見るとなぜか嬉しい気分になります。

明日からは、また冬の寒さに戻るという。

2016.03.08





#183 看板建築再び

内と外の整合性の必要を疑う

表層のデザインの誘惑
帰省した時のこと。日々の買い物に出かけるついでに街を眺めていたら、改めて気づくことがまだまだある。以前に取り上げた道路に対して斜めに入る店舗や仕舞た屋は町中にもたくさん存在しています。さらに、1階部分やその一部をセットバックして溜まりをつくりだしている店舗もあって、なかなか魅力的(道路と入り口のあいだにスペースがあるといいね。駐車スペースとして使われるのならちょっと興ざめだけど)。


街の看板建築

で、今回の発見(!?)は看板建築の魅力。これについては、オックスフォード通信で一度取り上げたことがある。その時は、ヨーロッパ最古の音楽堂について述べたのでしたが、今回はただの商店(仕舞た屋)。これが案外楽しい。

看板建築は近代建築の作法からするととんでもないものということになる。大方の建築家はよくは思わないのではあるまいか。外側の意匠が内部と無関係につくられる、おまけにファサード1枚とそれ以外の部分の建物の形態もまったく別物というわけなのだから。これを退けたくなる気持ちもわからなくもないのです。

ただ、見る側、使う側からすれば、必ずしも内外のデザインの一貫性にこだわらないのではないかと思います。ちょっと強引だけれど、洋服が必ずしもその人の体型をあらわすタイトなものだけでなく、これを隠すルーズフィットのタイプが選ばれることもあるのと同じように。

もう少し建築的に、しかしやや乱暴な言い方をすると、スケルトン・インフィルとも通じるところがあるような気もする(ちょうどその逆バージョンとも考えられなくもない)。建物を長く使い続けるため、あるいは修景の手法としても見直してもいいように思うのだ。


iPad Pro用Smart keyboardのパッケージ

Appleデザインが好評ですが(このところょっと、怪しくなってきたようだけれど)、こちらも本体はもとよりパッケージとしても魅力的。シンプルかつコンパクトで無駄がないし、何よりも美しく、欲しいと思わせる力があるように思います(これについてはまたいつか)。

表層だけのデザインはややもすると、質感や厚みが薄っぺらなものになりがちです。しかし、これをうまくデザインできれば、面白いものができそうな気がするのです。

2016.03.07





#182 夕暮れ時の地方空港

日常の中の小さな非日常

闇の中に浮かぶ灯り
つい先日のこと。空港内で待ち時間が倍になったために3時間待ち!搭乗手続きカウンターでの案内によれば、北海道が大雪で、使用機が大幅に遅れているせいだと言う。やれやれ。明日のことを考えて早くしたのに(と、ちょっと大人げない反応をしてしまった。反省)。で、なにかを食べようとたまたま入った鮨屋から見る眺めを楽しむことにした。


空港の夕景

カウンター席を勧められたけれど窓際の席が空いているのが見えていたから、こちらに座らせてもらうことにした。地平線の雲間に沈む夕陽はいつでも見飽きることがありません。


飛行機

太陽が沈んでだんだん暗くなってきた空はちょっとわびしく切ない風景のような気がしたけれど、大きな飛行機が一機止まるととたんに様子が一変するのだね。わびしさが消えて、エネルギーに満ちた風景になる。さらに一機が着陸し、また別の一機が飛び立ち、地上では貨物車が移動し、さらには向こうに見える建物に灯がともると、その存在感はさらに増す。太陽の光が描き出す光景が好きなのは何度も言った通りですが、人工の照明がつくる風景もやっぱり美しいと思います。

相変わらずやや寂しい風景ではあるけれど切なさは消えて、ここが始まりの場所であることを感じさせるのだ。室内の天井が高ければもっとよいのだけれど、ま、お店では無理な話し。せめて、窓が天井一杯まで開けられていたらどんなによかっただろう(日常の中の)小さな非日常の演出に、いつものことながらもう少し気を使ってもらいたいと思うのだよ。

われわれ日本人はもともと合理性を超えて楽しみを求める気持ちがあったはずではないかと思っていたのですが(たとえば、江戸っ子の初鰹。余白の美というのもその一つに入れてよいだろうか)、いつ頃からのことか、空港や駅ビルやらあらゆるものが、なんだか効率ばかり考えてつくられているようです。昔は良かったという気はまったくありませんが、さて、建築家がいけないのか、経済人が悪いのか、それとも両方か、はたまた社会全体のせいなのか。いっぽう時として、考えにくいほどに非合理が優先することがあるのも不可解(たとえば、…)。便利になった代わりに失ったものも少なからずあるようです。

ところで、お鮨は全然駄目でした(地魚の文字に惹かれたのですが。おまけに、ぬる燗と鯖一貫が、セットメニューと同じほどとばかばかしく高かった。今度はお隣の鮨屋を試すことにしてみよう。さらにリベンジのために博多ラーメンを試したけれど、これもだめでした。

しかたがなので、灯りを楽しむことにしよう。

最終便の時刻の頃のロビーでぼんやり眺める闇の中に浮かぶ人工の灯りは、自然光以上に温もりを感じさせて、人の気持ちをやさしくほどいて慰める効用があるようでした。

2016.03.05





#181 気分一新

まずは環境づくりから

役に立たないことでも
もはや3月。

なんという早さ!

うかうかしていると、何もしないうちに春休みもあっという間に終わってしまいそうです(ああ !!)。

やることはたくさんあるはずなのに、何もしないうちに時だけが過ぎて行く。いくらなんでもこれではいけないと思って、まずできることから取りかかることにした。


引っ越し当初の配置

で、はじめにやったのは研究室の片付けと時計の設置。#95で書いた通り引っ越してから数個の時計をディスプレイしていた(某建築家・デザイナーの設計・施工)のですが、その後の地震で落ちてしまったのがそのままになっていたのでした。強力両面テープで留めていたのだけれど、また落ちないようにするにはコンクリートの壁に穴をあけるしかないというので、すぐにはできなかった。しかし、ひょんなことから超強力接着剤がある(なにしろどんな接着剤でもだめだったのが、これだけがOKだったという)ことを知ったので、試してみようとしたわけです。

実は、フックに接着剤を塗る時に手違いがあって効果を心配したのですが、翌日ちょっと引っ張ったくらいでは剥がれなかったのでそのまま掛けてみることにした。今のところは、大丈夫なようです。もともと老朽化していたために落ちた時に割れてしまったブラウンの時計も動いている(変形してしまったために針が文字盤にちょっと引っかかるようだけれど)。


リプレイス後

今回は前のが気に入っていたから基本的にはこれを踏襲しながら、位置関係を少し変え、やっぱり落ちて動かなくなってしまっていた小さな時計を加えた(案外悪くないと思うのだけれど、どうでしょう)。

国際的に活動するトレーダーでもないのに、 なぜ何個も設置するのか。


元目覚まし時計

それは、単に面白いと思ったから。ただそれだけ。もうひとつ付け加えるならば、僕はミニマリストに憧れつつも、あるものをできるだけ使い切りたい性癖があるようなのです(貧乏性と言う人もあるかも。家の方は、かっこ悪かった頂き物の目覚ましをちょっと細工して再利用。これもまあまあではあるまいか)。

学生諸君を見ていると、何かをやる場合、理屈や大義名分から始めようとする人がほとんどのよう。

これはこれで悪くはないかもしれないけれど、まずは自身の関心や欲求から出発するのがよい。たいていの場合、立派な理屈や名分を探そうとして、いつまでも手つかずになりがちで、結局のところ中途半端なものになってしまうということが多いのです。アタマよりもまずは手を使え。

ともあれ、気分が変わってやる気を引き出すための準備は、ようやく整いつつあります。あとはやるだけだ。

2016.03.04





#180 まだまだ寒い、と思っていたら

そこここに春の気配

嬉しい気持ち
暖かい日が混じるようになったと言っても、外はまだまだ寒い。

3月下旬の頃の暖かさだという日もあれば、やっぱり冬だと思い知らされる時もある。 先日は、 また真冬並みの寒さがぶり返したようで、 東京でも薄く雪が積もったという。

そこで、ぼんやりしているうちにもはやお蔵入りかと思った分を(ぼんやりしているうちに、これが増えるいっぽうです)。と思ったら、今日は朝こそ冷たかったけれど、昼間はずいぶん暖かい。

1月末の九州は、大雪でした。

朝起きて外を見てみたら、真っ白、街の景色がほとんど見えない。おっ、元旦と同じ!と思ったら、外はなんと雪景色。やわらかな雪にすっぽりと包まれていた。


再び雪に包まれた街

雪の中を歩いてみたのだけれど、さらさらとしたパウダースノウ。実は靴がびしょびしょになるのではないかと心配したのだけれど、全然そんなことにはならなかった。コートについた雪も手で払えば、すっかり落ちてしまう。

で、気を良くして裏山に行ってみた。いつも写真を撮る階段を見たかったのだけれど、やっぱりすっかり雪に覆われていた。木々の枝にも雪が積もって、輪郭をやわらかく丸められた景色。さすがに靴のことが心配になって帰りは元きた足跡を逆にたどろうとしたのだけれど、もう雪に覆われていた。

そんなわけで、どこにも出かけられない。雪景色は美しいのだけれど、脚を奪われると 文字通り手も足も出なくなって、とたんに何もできなくなるのだ(食材の仕入れだって。まるで三ツ星のシェフみたいだけれど、ま気持ちだけです)。となると、ストックしてある材料を使わざるを得ない。自分のことだけなら我慢すればすむのだけれど。

長靴とかせめてブーツがあればよいのだけれど、それも数日の滞在の身では望めない(揃えようかしら。備えあれば憂いなしということだしね)。

雪を払うと、きれいになっている。

この雪が、世界の汚れをすっかり洗い流してくれればよいのだけれど(叶わぬ願いなのだろうか)。

いっぽう、2月半ば過ぎに帰省した折に裏山を覗いてみたけれど、緑の色も鈍く、木々に葉もまだついていないものが多い。花の姿はどこを探しても見当たらない。まだまだ、春は遠いよう。


菜の花

白梅

ふきのとう

しかし、川縁を歩いていたら何やら黄色い花が。近寄ってみると菜の花。 その気になって探してみると、周辺には桜の木の間に白梅もひっそりと花をつけていた。そう言えば家にはふきのとうや紅梅がいけてあった。

三寒四温という通り、 その後も寒い日とあたたかな日が繰り返しやってくるけれど、春は着実に近づいているのだね。

冬が嫌いというわけではありませんが、なんだか嬉しい気持ちになります(無為に過ごす我が身が怖いけれど)。

2016.03.03





#179 わずか30分!

鬼頭健吾展

効率より楽しいこと
教えられて鬼頭健吾展に行ってきた。行く前は少し風邪気味で、おまけにジョッパーブーツのベルトを掛けようとして無理な体勢を取っていたら腰を痛めてしまった(ああ)。さらに悪いことには、これから寒さを増して真冬並になるという。よほど行くのはやめようか思ったのだけれど、他には行ける日がなさそうだったのでした。


鬼頭健吾展

鬼頭健吾は、リーフレットの記載を借りれば「フラフープやシャンプー・ボトル、スカーフなど日常にありふれた既製品を使い、そのカラフルさ、鏡やラメの反射、モーターによる動きなど、回転や循環を取り入れた大規模なインスタレーションや、立体や絵画、写真など多様な表現方法を用いた作品を発表」しているアーティストです。

そう、このところ続けているゼミの「カステリオーニに学ぶこと」シリーズの参考にしようという魂胆もあったのでした。何回か続けているとどうしても新鮮さに欠けることになりやすい。学生にとっては初めてのことだからかまわないようなものだけれど、こちらがマンネリを感じてしまうととたんに学生に伝わります。鬼頭は実用品をつくるわけではないので、カスティリオーニというよりもむしろデュシャンに近いと言った方がいいのかしらん。いずれにしろ、新味を求めようとして出かけた次第。

会場は渋谷西武百貨店。おそろしく複雑になったような気がする駅地下の通路を出口への案内表示をたよりに抜けて地上に上がると、小雨。すぐ会場だったので、ほとんど濡れないし、渋谷の人込みにも会わずに済んだのは不幸中の幸い。


主会場

主会場のB館8階へ向かうべくエスカレータに乗り込み上がって行くと、途中で面白いディスプレイが目についた。婦人服が並ぶ店舗の天井からさまざまなカラーのロープが垂らしてある。これはシルキーで使えそうと気にしつつも後で見ることにして、まずは会場へと急ぐと、店舗と美術画廊に囲まれたスペースの中央に色付きの小さなアクリル板で構成した立体作品群が一組、後は平面作品が数点、しか見当たらない……。

少々拍子抜けして、たまたま通りかかった黒服のお姉さんに訊くと、写真撮影はOK、そしてこの他に3階と1階、そしてA館のショウウィンドウでもやっている、と教えてくれたのでした。

「3階?なるほどね……」ということでさっそく3階へ降りることに。でも降りてみると何も見当たらない。ん?裏側、すなわち上りのエレベーター側にまわってみると、先ほど目にした光景がありました。やっぱり小さな規模で展開しているのだね。


3階会場

写真を撮ろうとすると、今度はお店の女性が両手で大きく×をしながら寄って来た。「写真は禁止です」と言うのだ。そこで、「上で写真を撮ってよいと言われたのですが……」と説明しはじめると、今度は「関係者の方ですか」と訊かれた。「鬼頭展の作品が撮りたいのです」と言うと、「鬼頭さんの作品なら……」と、やっと許してくれた。どうもありがとう、商品はできるだけ入れないようにしますと返して撮りはじめたのだけれど、何となく落ち着きませんでした。で、数枚を撮っただけ。でもよく見ると、カラーロープと見えたものはカラーのプラスティックの鎖、これに登山用の細紐をうんと派手にしたような紐が交差して渡されているのでした。ただ、留め方をよく見てこなかった!(そもそも天井高も違うし、……。ま、なんとかできるだろう)。


1階会場

もうひとつ、1階へ降りて行くと今度はエスカレーターのすぐ脇の細長いスペースに色とりどりのプラスティックの細いチューブがうねっていた。なかなか面白い。床はと見れば、金色に光るシートが貼られていて鏡のような効果を生んでいる。今度は落ち着いて写真に収めてから、さらにもう一度下りのエスカレータに戻って、上からの写真も(でも、A館の方は忘れた。やれやれ)。

今回はそれだけ。会場にいたのは1時間未満、というよりほとんど30分未満ではあるまいか。まったく混んでいないのに、最短滞在時間記録。家から途中電車に乗って会場までにかかった時間に比べるとおそろしく効率が悪いけれど、なかなか面白い発見があって楽しかった。

一体、展覧会を見る時は、作品自体を楽しむことと、作品に触発されることが面白いというふたつの側面があるように思うのだけれど、今回は断然後者(あ、作品が面白くなかったというわけではありませんよ)。

2016.02.17





#178 建築家展をはしご

正反対の個性

建築がめざすもの
定期試験が終わって入試までのわずかのあいだのよく晴れた日に、展覧会に出かけてきた(まだ採点は終っていないのだけれど、展覧会の最終日が近づいていたのだ)。

二人の建築家はほとんど正反対。共通点はほとんどないように見えるのですが、一つだけ確実なのはいずれも世界的に活躍する建築家ということか。

違いの一つ、片やハイテク技術を駆使した端正な造形、片やこれもハイテク技術に負うところ大だけれどこちらはきわめて複雑な造形を特徴とする。前者は合理的、後者は表現主義的。また、前者はシンプルな美しさ、後者は複雑さがもたらす面白さ。

さて、この二人は誰か。わかりましたか。


フォスター展

ゲーリー展

そう、ひとりはハイテク派の巨匠ノーマン・フォスター、もうひとりは脱構築派の先駆者フランク・ゲーリーです。

実際に展覧会を見ると、二人の建築家の差異性と類似性がよくわかる。


フォスター展

ゲーリー展

展覧会場の構成にもはっきりとその違いがあらわれていた。フォスターのほうはプレゼンテーション用の完成模型が整然と並べられているし、ゲーリーの方はアイデアを確認し進めるためのスタディ模型が多く、いくらか雑然とした雰囲気を出したかったよう。フォスターの方が社会性をより意識しているのに対し、ゲーリーは自身の興味に忠実でありたいと願っているようです(実際はちゃんと見ているのだろうけれど)。

でも、展覧会を実際に見ていると、むしろ類似性の方に意味があるような気がしたのです。

丸谷才一が歌仙について述べたことで、「いちばん大事にするのは詩情といふか、文学性、文学としての面白さです。それをいい加減にして官僚的に式目を守つたつてはじまらない」*と書いた。これが建築にも当てはまりそうです。二人ともがこの詩情を求めて、いずれもが成功したのではあるまいか。ゲーリーにはわかりやすい抒情性があり、フォスターには硬質の叙情がある。

どちらが好きかと問われたなら、今は断然フォスター。一時、ゲーリーのそれまであんまり目にすることのなかった形態的な面白さに引かれたことがあったし、一方でフォスターの合理性を嫌った時期があったのですが……。

フォスターは内部と外部の乖離無しに美しい形態の建築をつくるけれど(しかも無機的なものばかりでもない)、ゲーリーは、少なくも一時期は、外観と内部があんまり関係なさそうに見えた時があった(だからといって、形態主義を否定するのではありませんよ)。

いずれの会場もけっこう混んでいたけれど、フォスターの方は外国人が多かった。しかも、小さな金髪の女の子が走り回って、“There’s very cool !”(たぶん)と叫んだのだ。

ところで、模型展の場合はなぜ図録を作らないのだろう。建築を学ぶ学生にとって模型の重要さや模型とスケールの関係等々、役に立つことはたくさんありそうなのに。もうひとつよかったのは、いずれも一部を除いて写真撮影OKだったこと。

心残りだったのは、個人的なことですが、フォスター展と隣接する会場でやっていた「フェルメールとレンブラント」展を見ることができなかったこと。体力、気力がついてゆかず断念せざるを得なかったのでした(ああ、やれやれ)。


森美術館への入口

21−21から六本木ヒルズへ行く途中の建物

おまけ。どこかで見たようなかたちですね。

* 集英社文庫版「星のあひびき」219p、2013

2016.02.06





#177 基礎が大事

創作活動と人間性

毒蛇は急がない
以前帰省して布団を畳んでいる時に、見えない部分を適当に畳んでおいていちばん上だけをきちんと揃えようとするとうまく行かないのです(実は、いちいち押し入れに上げるのが億劫でちょっとずるをして、部屋の片隅に積んでその上から布のカバーをかけようとしたのでした)。やっぱり、見えないところもきちんと整えておくと、最終的にきれいに見えるのだね。


椎名英三自邸の玄関の床の仕上げ方

ま、これは当たり前と言えば当たり前、常識と言ってよい。女の人のお化粧だってファンデーションが大事だと言うし(ま、聞くだけですが)、ホットケーキもお好み焼きだって生地づくりが決め手です。さらに、ハリボテの石や木でも厚みを備えた無垢のものとの違いは、不思議なことに一目瞭然(建築家椎名英三は、だますなら徹底的にだまさなければいけないということで、上がり框に当たる部分を無垢材と同様の厚みを感じさせるために見える部分ということでなくある程度の奥行を持った材を積んでフローリングが何層も重なっているように見せていました)。

また、ウィーン・フィルのコンサートマスター、ライナー・キュッヒルの記事を読んでいたら、自然に親しんでこなかった人はどんなに技術があったとしても、無味乾燥な演奏になるといったことが語られていました。

ちょっと長くなるけれど引用すると、「以前、日本で公開レッスンをしたとき、若い学生がブラームスのソナタの1番を弾きました。でも、ただ音符を弾いているだけ。音楽になっていないのです。ブラームスは、この曲をオーストリア南部のケルンテン州にあるベルター湖畔で作曲しています。朝もやがかかったり、太陽の光が差し込んだりする風景のなかで生まれた曲だと一生懸命に説明するのですが、なかなか伝わらない。そういう場所や光景を知らなければイメージできませんし、そういう人にわかってもらうのは難しいですね」*。


ウィリアム・モリスのテキスタイル

近代デザインの父と呼ばれるウィリアム・モリスも、彼の才能を開花させたテキスタイルデザインのモチーフは、幼少の頃から親しんでいた草花でした。


ダ・ヴィンチの手稿**

また、ルネサンス期の万能の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチは人物の表情をリアルに表現するために、解剖まで行って筋肉の動きを極めようとしたと言います。表情の観察だけでは不足だというわけです(なぜなのだろう?やっぱり、真に理解しようと思えば、根本的な仕組みを知ることが大事ということなのでしょうね)。

となると、演奏や作品には直接的な技術や知識の有無というだけでなく、作者や演奏家の人間性そのものが重要ということになりそうです。

急いでやってうまく行かないためにやり直すはめになって、結局時間がかかってしまうこともよく経験するところ。

急がば回れと言うし、毒蛇は急がない***という言葉もあります。慌てず焦らず、まず基礎固めをやるようにしよう。

* 朝日新聞夕刊 2015.08 わたしの半生 ウィーン・フィルのコンサートマスター、ライナー・キュッヒル
** 「レオナルド・ダ・ヴィンチー天才の実像」展、図録 p194 
***「どくじゃはいそがない」。開高健が彼の地で聞いたというタイの古いことわざ。自信がある者は焦らないが、必ずしとめるということ。

2016.01.12





#176 謹賀新年

雲の中の正月

色を失った世界の先
久しぶりに好天と聞いて迎えた元日。まだ暗い中カーテンを開けてみると、まるで高山の山頂、雲の中に入るような景色が目に飛び込んできた。霧。街全体が白い霧に包まれていたのだ。


霧に包まれた町

霧にかすむ楼門*

ということで、2016年のはじまりは、霧の中となった。

非日常的な経験で、正月らしいといえばそう言えなくもない出来事なのだけれど、今年もまた五里霧中、先の見えない不透明な年ということなのだろうか。

昨年から、世界中で不穏な出来事が頻発しているが、それが今年も続くのだろうか。人間の知恵で乗り切れないものか。


色を失った山

新聞を取りに行くついでに裏山に上ってみたのだが、先日まで鮮やかに色づいていた木々や草花は常緑樹の他少しの緑を残すだけで、多くがすっかり茶色に変色してしおれ、寂しい景色となっていた。しかし、これが数ヶ月もすると鮮やかな新緑に包まれた見事な景色に変わるのだ。


やがて現れた日差しと青空

いつのまにか、霧の中から陽が射してきた。

希望を捨ててはいけない。

少し遅くなったけれど、新年おめでとう。
よい年になるようにしよう。

*設計は日本の近代建築の先駆者,辰野金吾

2016.01.07





#175 レストラン映画の喜び

創造力の発露

想像力の行方
ちょうど、学生からどんな映画が好きかと訊かれたところなので、今回はこのことについて(というか、これもずいぶん前から書きかけていたのですが……。怠け者)。

何回か取り上げたことがあるので、読んでくれている人の中にはわかっている人もいると思うけれど、レストラン映画、または料理を扱った映画が好きです(もちろん、そうした場面が出てくるだけでも楽しめるのだけれど)。

しばらく前には、「三ツ星シェフフードトラック始めました」、「地中海式人生のレシピ」等々レストランや料理が重要な役割を果たしている映画を続けて観ました。

レストラン映画はけっこうありますね。たとえば(観た中で、この欄や映画のブログ*で取り上げていないものでは)、「フライド・グリーン・トマト」、「ディナー・ラッシュ」や「シェフ殿ご用心」、「タンポポ」、「シェフと素顔と、おいしい時間」、比較的最近のものでは、「エル・ブリの秘密 世界一予約の取れないレストラン」、「ファイティング・シェフ」、「シェフ–三ツ星レストランの舞台裏へようこそ」、「バチカンで逢いましょう」、「大統領の料理人」、「マダムマロリーと秘密のスパイス」等々、小皿料理のコースのように次から次に並べることができます。

さらに、レストランではないけれど料理が主役の映画や、お菓子やパンづくりにワインづくりやらウィスキーづくりまで広げるともっと挙げることができます(ということは、ずいぶんたくさん存在しているということですね)。

料理のジャンルについて言えば、ジャンクフードから一流シェフが作る料理まで、何でもいいです。

料理やレストラン映画が好きなのは、 なぜだろう。


美しく盛りつけられた一皿

料理が好きだからか、その盛りつけが美しいゆえなのか、いかにも美味しそうにみえるためなのか。はたまた料理が出来上がる過程を見るのが楽しいからなのか(料理に限らず、ものが出来上がる過程を観るのは作り手の熱意や愛情が伝わってきて、この上ない喜びの一つです。 さらに、いい料理人は片付けながら仕事をするという言葉の通り、彼らはこまめに片付けたり拭いたりしていて、いつも整頓されていて、ぴかぴか。おまけに、飽くことのない探究心がある。憧れます)。それとも、機能に徹した設備機器や道具が美しいせいなのか。あるいは、……。


野外市場での食材選び

出来上がった料理を手渡し

そのどれもが当てはまりそうです。でも、なんといっても厨房や整然と食卓が並ぶホールの整然とした佇まいの空間を見るのが好き(何も豪華なものばかりではなく、質素なものも含めて)。たとえ映画自体がつまらないものでも、調理する場面はたいてい退屈しません。また、建築的空間とは別のものを挙げるならば、調理の前の市場で食材を探す時の真剣なまなざしや出来上がった皿を差し出す時の誇らしくて喜びに満ちた表情を見るのは楽しい。

ついでに言うと、少し前までは、ラブコメがおもしろかった(これも、インテリアに注目してみると、あんがい発見があります)。そしてもっと前、うんと若い頃はアクション映画がいちばん好きだった(これは、インテリアとはほとんど関係がないことが多いのですが、なんといっても純粋な爽快感を得ることができて、映画を見る醍醐味があった)。

あ、そうそう、料理が出てくる映画の魅力でもうひとつ忘れていけないのは、そこに出てくる人々がいかにも楽しそうなこと(だいたい、おいしいものを食べたら皆気分が良くなる。それを見るだけでも)。このため映画自体がつまらなくても楽しめるのですが、 それに加えて(この場合は)ハッピーエンドで終ることも大事な理由のひとつです。

比較的最近見た二つのインド映画、「めぐり逢わせのお弁当」と「マダム・イン・ニューヨーク」はレストラン映画ではないのですが、料理をする主婦が主人公です。とくに、前者はハッピーエンドとは行かずちょっと切ないのですが、素敵な映画でした(彼の地では弁当を配達するサービス業があるそうですが、その誤配率はなんと600万分の一。ここから物語は始まりました)。そして、甘ちゃんと言われようとも、センチメンタルというそしりを受けようとも、「マダム・イン・ニューヨーク」もよかったな。

こうした映画を観た人は、きっと料理に挑戦したくなるかもしれません。いや調理に取り組まなければという気になるはず。なんと言っても、食は「生きる」ための基本です。

僕も、料理にしっかりと取り組んでみようかしらん。趣味としてもいいし、喜ぶ人もきっといるかも知れない。味よりも見かけや道具立てにこだわりそうなのが、ちょっと不安だけれど(経験済みですが、ここは知恵で乗り切ることにして)。もしかしたら、クッキング編を増設することになるかも。

ともあれ、おいしそうな皿のある風景は(もちろん贅沢な料理というのではないよ)、ナイス・スペースのひとつです。ところで、以前、設計事務所を自営する卒業生のブログには、料理の完成写真がない料理本が好きとありました。想像する楽しみがあるということでしょうね。僕自身は、そういう本も読むけれど、どうやら視覚的なタイプであることは確実のようです(これって想像力に欠けるってこと?うーむ)。

よい年をお迎えください。

* Blog ビフォア・サンセット
** 写真は「エル・ブリの秘密ー世界一予約の取れないレストラン」公式HPから借りたものを加工しました。
*** 写真は映画.com「めぐり逢わせのお弁当」のページから借りたものを加工しました。
**** 写真は「シェフ 三ツ星フードとラック始めました」公式HPから借りたものを加工しました。
2015.12.20





#174 斜めの誘惑

古い街を歩きながら考えた

新旧のコード
飛行機が着陸態勢に入って陸地に近づくと、街の姿(構造)がよく見えます。建物はほとんど道に対して平行に、あるいは直交するように建てられていることがよくわかります(これは都市部のビル群はもちろん、町家や商店街に見られることです。若い建築家の友人と話している時に教えられたのですが、それまで当たり前のこととしてあまり意識したことがなかった。いまさらながら、空の上から見ると確かにそのように見えます)。

一方、道路は欧米のそれと違って、幾何学的につくられることはまれで、いろいろな方向を向いている。そこで、思ったのは、よく言われる住宅における日本人の南面信仰との関係はどうなのだろう、ということ。


都市の中の建物の建てられ方

新旧のアパート

そんなことがアタマの片隅にあった時に、母親が暮らす街を歩いていて気づいたことは、もともと商店が並んでいたようなところは、建物が道路沿いギリギリに建っているのは当然だけれど、それでも古い建物は道路に沿うように建ち、新しい建物は少し振れているということ。すなわち、古い建物はお隣りの古い建物と同じように建ち、新しい建物はできるだけ南面するように建てられているようなのです。

別の言い方をすれば、古いものは集団のコードに従い、新しいものは個人の要求を重視するということだね(これまた当然といえば当然だけれど、今という時代をよく現しているように見えます)。

そんなことがあった後、この話題が出たのは何の時だったろうと彼に確認すると、シャッター通りと化しつつあった商店街の建物が建て替えられて、前面が揃わなくなっていることに気づいて違和感(良し悪しというのではなく)を憶えたという話しをしていた時、だったということでした(ま、ふたりとも似たようなことを思っていたわけですね)。

住む立場と眺める側の見方が異なるのは当たり前ですが、住む側(所有する側)の立場を優先すべきかと言うとそんなに簡単ではありません。外観について言うなら、いくら自分の住宅だからと言っても、住む人が外観をいつも眺める人の気持ちを無視するわけにはいかない(街としての景観は彼らの領域でもある)のだからね。

これとは別に、建物自体は道に沿って建てられているのだけれど、入り口が斜めになっているものがあって、これがなかなか面白いと思うのです(と言うからといって、僕がいつも斜に構えているというわけではないよ)。


道路から斜めに入る入口

イームズ・オフィス

一般の小売店のように前面を入り口にすることができない場合、道路とドアの距離が取れない時に少しでも入る時の負担を軽くして(心理的な距離を長くして)、入りやすくしようとしているのですね。そして、うまくつくれば、人を誘い込むようにもなる(たとえば、イームズ夫妻のオフィスのように)。

それに、あまりにも整然としていたら、ちょっと気詰まりです。そこに異形が挿入された時に生まれる景色が楽しさを生む(そう言えば、格子状に計画された道路で有名なニューヨークの街は一本の道路が斜めに貫いています)。

斜めは、けっこう面白いよ(たとえば前回取り上げた会場構成でも、柱とこれを囲む四角いフレームは平行ではありません)。もちろん、混じる割合が重要ですが。
2015.12.17





#173 速報 シルキー・ウィンター・フェスティヴァル 2015

グッド・ジョブ

嬉しい瞬間
今年も日本大通りシルクセンターの中にある横浜シルク博物館で開催されるイベント、「シルキー・ウィンター・フェスティヴァル」の会場構成のデザインを当ゼミの3年生が行いました。

今回は、今までと違って立体的なインスタレーションを考えようということだったのですが、いっこうに学生たちは製作に移る気配がない。最初は黙ってみていたのですが、いよいよ不安になって、大丈夫かと聞いてみたりしたのですが、彼らは「大丈夫です」と平然としているのでした。

正直に言うと、出来よりも何よりも間に合うかどうか心配していたのですが(ゼミ生の数もいちばん少なかった)、いざファッションショーをはじめとする催しが行われる、いわばフェスティヴァルの期間中のハイライトの日が終ってみれば、幸いなことに杞憂だったことが分かりました(ま、デザインの狙いは面白くなるはずという自信はあったのだけれど)。


ファッションショー

塩ビ管で組んだフレームに布をかけてモデルたちが通り抜けるシルエットを映し出す演出も効果的だったし、ぎりぎりに届いたレッドカーペットと、その先に置いた小さなフレームも効いていた。

今までのデザインの中で、いちばん時間をかけなかった気もするのですが、出来はいちばん面白かったのかもしれません。でも、決して手を抜いていたというわけではないらしい。終った後、口々に「またやりたい。楽しかった」と言うのです。途中から気づいていなかったわけではなかったのだけれど、 たぶん、 やらされているというのではなく、自分たちでやっているという気持ちで取り組んでいたのだね。製作に取りかかってからは、追加のフレームをつくったり、正面のデコレーションのパーツを追加したり、彼ら自身が自分たちで考えて、そして、面白がりながら進めていたのだと思います。


出番を待つランウェイ

2つのキューブ

すべての催しが終わってからも記念撮影する人々が会場に溢れていたのですが、ようやく会場から人が引けてから、ファッション・ショーを行った山﨑ゼミの学生たちとの記念撮影をしたのですが(言うまでもなく、彼らも満足そうでした)、その後も自分たちのつくったフレーム2つ(そのうちのひとつはショーのための布を取り払って本来のフレームを見せることにして)の位置を変えて写真を撮りながらながら、口々に「かっこいい!」というのです。自分たちがデザインし、製作したものを目にして、誇らしい気持ちで喜ぶ。 これがいちばんの収穫。見ていて、いちばん嬉しくなる瞬間です。
2015.12.15





#172 機上の愉しみ

色、光、そしてかたち

舌の根も乾かぬうちに
またまた羽田空港のフードコートの話しから。

今月は2回目。

再び取り付けられたスクリーン

その日は雲ひとつない良い天気だったので、フードコートの光の中で蕎麦を食べるつもりでいたのだけれど、着いてみると再びスクリーンが掛けられていた(それだけ季節外れの暖かい日が続いているということですね。これも温暖化が進んでいる証拠か)。せっかく光と影のコントラストを楽しみにしていたのに。日射しは女性の敵のせい?おまけに、蕎麦と日本酒は混んでいたために断念(待ち時間が20分程度だがいいかと言うのだ。残念)。

食事で同席になったお向かいの白髪の紳士はよほど忙しいらしく、パンを片手で持ちながら、何やらレポートらしきものを広げて熱心にメモを取っている(フードコートには丸テーブルだけじゃなくて、細長くて少し大きいテーブルのコーナーがある)。後ろでは、これも年配らしい男の人が、関西なまりの大声であちこちに電話をかけている。皆それぞれに大変そうなのだ。大きいテーブルでの相席というのもけっこう楽しいね(自分が忙しくない時に限るけど)。

別に話しをするのでもないけれど、いろいろな人がいることが知れて面白いのだ。

飛行機は前日予約の便で座席指定はしていなかったので、カウンターで聞いてみるとまたまた前方窓側席があるという(3A)。それで写真を撮るつもりで、カメラを用意していたのだが、離陸してからは撮りたくなるような景色が次々に現れるけれど、うまく撮れない。焦点が合わずに、ぼんやりとした写真しか撮れないのだ(なぜだろう。少し汚れたり、擦り傷があったりする窓ガラス越しの逆光のせいかしらね)。しかたがないので、見て楽しむことにした。

始めは晴れていたので、街がよく見えた。わずかに雲がかかった富士山も眼下に見ることができた。噴火口もよく見えて、まぎれもなく火山であることが知れた。その向こうには一部がやや茜色がかって光る海も見えた。もう少し遅い時間帯だと、変化はさらに複雑になる。


いろいろなかたちに見える雲

次第に雲が現れるようになり、下の海に雲の影が映って島と混じるのも楽しい。やがて雲ばかりとなって、色彩は失われ、かたちのみが風景をつくるのだが、これはこれでやっぱり楽しい。雲が広がると、雲海の向こうには、まるで海を挟んでもうひとつの都市があるように見える。しかもそれらが、刻々とかたちを変えるので、飽きることがない。

景色はかたちよりもむしろ色の変化に注目して見ているのではないかと気づいてあたらしい発見だと思ったことがあったのは前回書いた通りだけれど(時間とともに変化する色や紅葉の楽しみ)、やっぱり、かたちも同じく興味をかき立てるということだね。

そう言えば、その前には、建築はそれ自体より外の景色との関係が大事なようだと書いたこともあったけれど、それぞれが重要な役割を果たしているということだね。当たり前のことだけれど。もう少しよく考えなければいけませんね(反省。なかなか新しい発見はむづかしい)。
2015.12.11





#171 眺める愉しみ

溶解る夕陽

たとえば、建築模型と色
機上や車窓から外の景色を眺めるのは楽しい。とても楽しい。


雲間に溶ける夕陽

列車の窓から外を眺めていると、雲間から夕陽が現れた。そして再び雲に遮られて隠れてしまいそうと思ったらすぐに丸いかたちを失い、雲間に溶解た。

その時、モネの絵「印象・日の出」を思い出したのですが、こちらは空に浮かぶ朝日は溶けていなくてまあるいかたちをしっかり保っていて、溶けているのはルアーブル港の波間に映った朝日の方。

でも、両者に共通しているのは、光と色。光の変化が与える風景の表情の移り変わりだと思います(そう言えば、 帰りの列車では1時間ほどの間に美しい虹がかかるのを2度も見た)。そんなことから、風景の面白さはかたちにあるよりも、むしろ色彩の方なのではないかとふと思い至ったのでした。


裏山の紅葉

たとえば、今が盛りの紅葉だって、色を楽しんでいるじゃないか。緑や茶の中に赤や黄色の葉っぱが混じってつくられる景色が嬉しいのではないか。新緑の頃だって、薄緑の葉に透ける光が与えるさまざまな色彩の表情が喜びを与えるていのに違いないのだから。

料理だって、彩りが大事。もちろん盛りつけ方においてはその図柄も重要だと思うけれど、色がないと魅力は半減しそうだ(皿の上の画家と言ったりしますが、さて何を指してそう言うのだろうか)。もしそれが色のないモノクロの景色だったら、美味しさの感覚はどのくらい失われるものか。

朝日や夕陽は言うまでもなく、朝日が昇る頃や太陽が沈みかけてからの夕暮れ時の景色は時間とともに変化する色を眺めていると飽きることがないし、その美しさは格別。

建築について言う場合、色は二の次とされることが多い(バラガンのような例外はあるとしても)。学生がつくる模型も色がついたものはいわゆるドールハウス、玩具的だとして退けられ、色のないいわゆる白模型が好まれがち。すなわち、建築の構造が明確に表現されるというわけです。

設計者(あるいは作品として理解しようとする者)の立場に立てば、なるほどそうだと理解できるけれど、一方使う立場、住宅ならば住む人にとってみれば、構造よりも視覚的な喜び、すなわち色のある方がより分かりやすく,住まいとしてみることができるかもしれない。

考えてみれば、あのモダニズムを代表した一方の雄、コルビジュエだって、ずいぶん色を使いましたよ(彼は画家でもあったわけだけれど)。

ともあれ、ものを観る時の喜びは色の楽しみによるところが大きいのではないか、と思ったのだ。 光のもたらす面白さばかりに目が行ったけれど、それだけでなく色の楽しさにももっと関心を払っても良いのかも。

もう一度、色の果たしている役割りを見直そう。
2015.12.09





#170 オリジナル信仰を疑う・その2

オリジナルと模倣の間

型があってこその型破り
簡単なように見えて案外むづかしそう、というのがオリジナルと模倣の問題についての僕の見方です。学生たちの中には(というか、その多くが)、デザインするという行為は始めからオリジナルなものでなくてはいけない、すなわち真似はおろか参考にするのでさえ罪だと思い込んでいるようなのです。たとえば、今回の東京オリンピックのエンブレム問題でも。

今の僕の見解を言えば、参照というよりも引用、模倣に近いように見える。 さらに言えば、これを訴えたベルギーのデザイナーの作とスペインとバルセロナのデザイナーが東日本大震災のチャリティのために作ったポスターの類似性がもっと大きい気がするのです。

それでは、デザインはゼロから始めるべきかといえば、ただちにそうとは言い切れない。そもそも過去のデザインから無関係にデザインすることができるものだろうか。

かつて70年代だったか、磯崎新が言ったように、「もはや新しいデザインは組み合わせしかない」わけだから、要素の少ないポスターで似てくるのはしかたがない部分もあると思うのですが。

で、思い出したこと。

僕はずっと日本語のロックが好きになれませんでした(あのハッピーエンドだって。たいていのものがそうだった)。でもある時期20代の半ば頃(恥ずかしながら、まだ学生でした)、なぜかよく聞くようになった和製ロックバンドがあった。一つは柳ジョージとレイニーウッド、そしてもうひとつは甲斐バンド。

とくに共感しつつ聴いたのは甲斐バンドだったのですが(すなわち歌詞への共感。今となっては、センチメンタルな自分がちょっと恥ずかしいけれど)。でもね、当時の彼らがオリジナル性に富んでいたかと言えば、必ずしもそうでもなかったと思う。間違いを恐れずに言えば、たとえば当時の甲斐バンドが時代の寵児に上り詰めていった頃は当時の世界を席巻したスーパースターだったブルース・スプリングスティーンに影響されているところが大、あるいは得たところが大きいと思います。


レコードジャケット

たとえば、BLUE LETTERの歌詞は、たぶん、殆ど確実に「リバー」にインスパイアーされている(ずっとパクリ寸前のような気もしていたのですが、たぶん同じようなことを感じた人はいるはずだと思っていたので、ネットで検索したらやっぱりありましたね)。でも心に響くものがあったというのは事実(メロディが大事なのは言うまでもないし、僕はコンセプト嫌いですが、ほんとうは言葉の力はすごいと思うのです)。

ま、海外のヒット曲を翻訳と言うか日本語に翻案したものを歌うというのは、むかしからあったからね。さらに付け加えるならば、日本のポピュラー音楽同士でもほとんどそっくりじゃないかと思うものがけっこうあるのではあるまいか。


レコードプレイヤー

で、 久しぶりに聴いてみた。アナログ・レコオード・プレイヤーを聴く時の儀式を行って。これは、CDやインターネットでの聞き方とは決定的に違うようです。 たぶん、その儀式性が、気持ちをそのことに集中させてくれるのだろうね(針の交換やら何やら、調整はおそろしく面倒なのだけれど)。

言いたいことは何か。恐れずに言えば、やっぱり始めからオリジナルにこだわり過ぎなようにしようということ。始まりは模倣でもそれを少しずつ育てていきながら(予条件に合わせたり、自身の考えを入れたりながら)、最終的にオリジナルのものに作り上げればいい。レイニーウッドも甲斐バンドも、海外のロックから学んだことと日本の伝統的なポピュラーミュージックである歌謡曲とを融合させて(でも寄り過ぎたらきっとうまく行かなかったに違いない。今をときめくポップスター、建築家、デザイナーたちもきっとそうだったのではあるまいか。

つまり、少しだけ新しい何かを付け加えたのだと思う)、彼ら自身のポップスを実現したのではあるまいか。それが、今をときめくポップスターでなく建築家、デザイナー、クリエーターだったとしても同じであるに違いない、

先の東京オリンピックのエンブレム問題以来、ちょっと言いにくくなった気がするけれど、はじめからオリジナルなものをめざすのはとくにデザインを始めたばかりの人にとってはハードルが高すぎるし、あんまり効果的ではないと思うのです。

ところで、先日福岡の地下鉄で見た、何年か前にまだ若くして亡くなった歌舞伎の名優中村勘三郎の名言。正確ではないけれど、おおむねこんな意味。

型があってこその型破り。型がなくて新しいこと、奇をてらうのはただの形なし(うーむ。納得しました。すごいね)。というわけで、まずは型を学ぶのがよさそうです。そうそう、わが国には本歌取りの伝統もありましたね。

2015.12.04





#169 都市の個性・1

具体的に考えることの重要性

わかっているつもりが…
列車に乗っている間ずっと車窓から眺めていて(飽きることがありません)、ある駅に停車した時に、どこの駅だろうと思った。もちろん実際にはちゃんと名前を持った駅である。しかし、その風景が地方の中小の都市のどこの駅であってもおかしくないのだ。ありふれた四角いビルが脈絡なく建ち並ぶ、おなじみの風景。


ある駅前の景色

こうしたことは日本の多くの都市の駅前を評してよく言われることである。没個性的であることを言うための、いわば常套句。そしてそれと同じくらい、各都市における街づくりの計画には「個性的」な街づくりという言葉が登場するようです。

しかし、個性的であるということを示すためには、どんな表現のし方があるのだろう。変わったかたちをしていればよいのか。それはどの程度変わっていればよいのか。あるいは、他所にないものや特別のもので構成されなければならないのか。

具体的に考え始めると、簡単ではない(これは確実ですね)。つまり、たいていの場合アタマだけで考えてわかったつもりになるだけでは、不十分なことが多いのだ。

また、個性的ならばよいかということでもない。単純化して言うと、気持ちのよいそれとそうでない個性があるだろうし、面白い個性であっても、それが過ぎるとうっとうしくなるし、街は住みにくくなりそうでもある。


チッピング・カムデン

バイブリー

一見同じような建物の集合でも、そのたたずまいにある特徴(つくられ方、集合のしかたに通底する法則性や醸し出される雰囲気)が感じられるのなら、それが個性であると言えるのかも。 たとえば、京都の町家の家並み。 また、そこに暮らす人々がその街に愛着を持って過ごしているのなら、それが感じられるようなら自ずと個性が生まれるのかも。たとえば、コッツウォルズの村々(蜂蜜色の石の建物だけでなく、花と自然)やパリ(統一感のある街並みと路上まで席を並べたカフェ)。


車窓からの田畑の風景

街の中心部だけでなく、周辺部だって同じ。広がる田畑の向こうに緩やかな稜線を描く山々がある風景は、どこにでもありそうだ。少なくとも似たような景色はたくさんあるに違いない。

でもそうした風景は圧倒的な個性はないかもしれないけれど、美しく感じられたなら、とてもいとおしく思えてくるのだ。

街の個性は、人のそれに比べると、外観によく現れるだろう。しかし、それだけではないはずという気がするのだ(情緒的な言い方かもしれないけれど)。これは、やっぱり年のせいかね。

ところで、いくらかわかったとしても実際的にはたいして役に立ちそうにもありません。街づくりの仕事に関わることはありそうにない。だからといって、こうしたことをほったらかしにしたままだと、たいていのことがそうなりそうな気がするのだよ。それに都市の個性について考えることは、その他の個性(たとえば、住宅の個性。こちらは仕事が入る可能性はあるかも)について考えることに連なる部分が多いはずだし、そのいくつかについては学生諸君と話す必要は必ずあるのだから。

とは言ってもなかなかむづかしい問題だし、 もう少し考えてみようと思って図書館で本を予約して借り出したのだけれど、 まずは問題提起と、今のところ思いついたことを述べておくだけにしておこう。

2015.11.28





#168 路上の愉しみ

フードコートで自動筆記(ふう)

ああ、何を書こうとしたのだろう
路上の楽しみの最たるものは、屋外市場やテント席、またはパラソル席、あるいはただのテーブル席。と、思っているのだけれど、それだけではありません。

と始めようとして、パソコンを開いているうちに何を書こうとしていたのか忘れてしまった(こんなことが最近、けっこう多い。シャッターを押せないまま逡巡して、撮り損なうこともよくある)。思い立ったらすぐに取りかかる、瞬時の判断が事の成否を分けることがあるということがよくわかります(でも、瞬発力勝負ということだと、ますます勝ち目は小さくなりそう)。

マンウォッチングでもなし、新しい建物やスペースを発見することでもない。さて何のことだったか。ほんとうにわからない(やれやれ)。確かに、いくらテント好きでもそればかりじゃあなと考えていたら、あれがあったと思ったのだ。しかし、ついに思い出すことができず、アイデアはこつ然と姿を消してしまった(ああ)。

ところで、今日も前方の席はありませんかと聞くと(比較的早い便だったので、いちおう後方の窓側席を押さえてあった)、3列目の窓側があるという。おまけに、今回はプラス1,000円の必要も無し。聞いてみるものだね。何事も積極的に行かなくてはね。やってみなくちゃわからないっていうものです(最近は、すぐに教訓めいたことを引き出したがる悪い癖)。


生気のない植物

またまた羽田のフードコートだけれど、いろいろと目につきます。中央に配された緑が乾燥気味で、生気がない(土も同様)。手入が行き届いていないのですね。たぶん、デザインされたものの完成(いちばんいい状態)が竣工時、すなわちはじめて本物のかたちあるものとして現れたときと考えられているせいではあるまいか(住宅ではよくありがち。手に入るまでは一生懸命だけれど、完成したらちっとも手をかけないことがままある)。

出来上がった後のつきあい方、というか育て方が肝腎だと思います。それにしても、目に入るビニル製の葉の気持ちの悪さ。


uクリーンを外されたガラス屋根

同じ場所だけれど、座る場所がちょっと変わるだけで、見える景色も違います。11月22日ですが(ああ、なんと早いことか)、ガラス屋根のスクリーンはすでに外されていました。

今回の食事はと言うと、本日のおすすめ握りとぬる燗のセット。これに小鰭を一つ。

二つの病院の他いくつかの場所に持参するお土産は向こうについてから駅ビルのデパートで買うことにしたので、身軽。昼の酒が気分がいいのとまわりやすいのは、これはいつもと同じ。

ああ、それにしても何を書こうとしたのだろう(確かに、これもあるぞと思ったのに。嘘じゃありません)。

2015.11.28





#167 夜間飛行

夜の窓側席で考えた

非日常の誘惑
先日の九州からの帰りの便は久しぶりに窓側席。

こないだもそういうことを書いたけれど、今回は帰りで20時発という遅い便。着くのは21時45分の予定だけれどたいてい遅れるし(なぜなのだろう。常態化していますね)、あんまり降りるのに時間をかけたくないのです。このため、いつもは通路側を選びますが、 今回は予約が遅かったせいで搭乗手続きをしようとしたら、 最後尾近くの通路側と、最前方窓側席がご用意できます(こちらはプラス¥1,000で)というのです。

というわけで、窓側となった次第。足元は広いし、おまけに隣の2席とも空いていてなかなか快適だった。


夜の空港

ただ、天候がよくなく、厚い雲に遮られていて、眼下の景色はほとんど見えませんでした(カメラも用意したのだけれど)。また、時折雲が切れて明かりが見えていざ写真を撮ろうとするとぶれてうまく行かないのだよ。「デジカメはオートで撮るべし」と言う田中長徳先生の教えも、夜景は苦手のようでまったく歯が立ちません(教条主義はいけないということか)。

やっぱり、いざという時の備えて、感度を上げたり、シャッタースピードの設定等憶えておくに如くはないのかも、憶えておいて役に立つことがあるようなのです(と書くと、ごくたまにあることを気に病むより、ふだんのことに習熟すれば十分という声も聞こえてきそうだけれど)。


何も見えない

外は真っ暗で何も見えないのだけれど、そして音こそすれほとんど揺れもなく停っているような感覚なのだけれど、飛行しているようでもなく浮遊しているようでもない不思議な気がするのです。

そうした飛行機の音だけが聞こえる中で夜の窓を見ていると、なんだか国際便のような感じがするのはなぜだろうか。非日常の感覚のせいだろうか。それとも、海外旅行のような高揚感や新鮮な景色を求めているのかな。

2015.11.20





#166 セルフエイド・2

お金をかけないで楽しむ方法

チープシックのススメ
ちょっと恥ずかしいけれど、続きを(もうちょとちゃんとしてからとも思ったけれど、ここは潔く)。

インテリアデザインは住み手が王様なのだから、まずはできることから、好きなようにやればいいとして始めよう(だから、人のためにデザインする場合は、簡単ではありませんよ)。中には、本物主義を貫きたいという人もいると思いますが、それはそれで素晴らしいことだけれど……。

正直に言えば、この年になって、間に合わせではなくちゃんとデザインされた空間で暮らしたいと思わないでもありません。少し前までは、そうしなくてはという気持ちが強かった。洋服とインテリアは似たところがあるけれど、学生から「年配の大人と小さな子供は、きちんとした服装をしなければならない」と言われましたと聞いたことがあったのです。でも、決定的に違うのは、他者が介在するかどうかということ。だから、自分が暮らす住宅のインテリアは自身のためでよいのだ。

僕はと言えば、ものの少ないシャープなデザインのインテリア空間が好きですが、見るのと暮らすのではどうも同じではないようなのです。もちろん、経済的な制約もあるのだけれど、そのせいだけではない気がする。僕自身がぼんやりしているためか、インテリアもきちんとし過ぎるとどうも落ち着かない。

住まい手の美意識が部屋から小物までのすみずみまで行き渡っているというのには感心するけれど、僕はたぶん住めそうにない(窮屈な感じがして、あんまり住みたいと思わない。美意識は少なくとも部屋やものそれ自体にではなく、全体の気分を支配するようなものであってほしい。すなわち心意気。コンセプトとは言いません)。残念ながら、あるものでなんとかするというのが性にあっているようなのです。


増設した手製の本棚

増設分の本棚(実は、雑誌も好きで、たまる一方なのです。DVDも)をはじめとして、使った材料はと言えば、工事用の安い板材や端材等。棚板を支えるものの一部はブロックですが、訳あってコンクリートブロックではなく発泡スチロール製。というのも、この本棚とパーティションの支柱との間隔は60センチに満たないのです。だから、大きなものを運び込もうとすれば解体せざるをえない、という事情もある。ついでに言えば、計画学では80センチあけるですが、その教えるところは大事だけれど、あくまでも目安であって状況に応じて用いるべしということの例の一つと言っていいのではないかしら。教条主義になってはいけません。

ただ、工夫するのも安価ものを使うのも、もちろんいいのだけれど、安っぽくなりやすいので気をつけなければいけません(インテリア好きの妹から言われたこと)。チープではなく、めざすところはチープシックなのだから(ずいぶんむかしに流行った言葉ですが、もう一度見直してもいい気がする。わが家の現状を考えるとちょっと怖いけれど)。


すのこ

それでも、僕はシックを粋、洗練というより気持ちがいいというふうに考えたい。ベランダのすのこだって、ちゃんと作ったり、既成のすのこを使うにしても寸法を調整するのがよいことはわかっているけれど、そうしようとすればけっこうハードルは高くなって、つい先延ばしにしがちです(先のスクリーンの場合と同じ)。それよりも、まずはやってみることを優先しようと思っているのです。それから少しずつ……(がんばります)。

本物やら高級やら(このこと自体が悪いというわけではありませんが)の言葉が威張っているようにも見えるから。これを避けるためには、どこかひとつ、あるいはなにかひとつくらいは気合いを入れてやるというくらいがいいのではあるまいか(住まいはショールームではないのだ)。さらに言えば、できることをさっさとやるのが近道とも。ま、ものを捨てられず、あるものを何かに使えないかと考えて、できるだけ使い切りたいという性分の自身の自己弁護かもしれないけれど。

ともあれ、知識も技術も、あるいは経済だってあるに越したことはないのは当たり前だけれど、臆せずやってみるのがいちばんです。まずは、理屈よりも見て盗めば(簡単にいえば、真似すれば)良い。今は雑誌やら、インターネット上のサイトやら、参考にする材料にはこと欠かないのだから。

それから、ずっと言い続けてきたことですが、インテリアのありようは精神状態のありようの反映であることも忘れてはいけない。室内が混乱している時は、きっと頭の中も平穏を欠いているのだ。そんな時は、片付けに精を出しましょう(ちょっと居直りに近いですが、インテリア構成する家具やら何やらの質よりも、まずは揃える、整頓するだけで、たいていはちゃんと整っているように見えるし、気持ちも落ち着く、と思い定めているのです。ただ、これがなかなかにむづかしい)。

そうそう、もうひとつ蛇足を承知で付け加えると、経験の乏しさを強みに変えるというのは何もセルフエイドの時だけでないよ。たとえば、設計課題に取り組む時でも同じことです。

さ、想像して、スケッチして、実際にやってみよう。そして楽しむことにしよう。
2015.11.20





#165 速報 キャンパス通信編

進む紅葉

なかなか素敵です
先日の日曜はAO入試でした(もう11月の半ば過ぎ!)。

午前中は雨模様だったのに、昼からは晴れてきていたよう。

夕暮れ時になって帰ろうとして車のところに近づいた時に、一本の木が見事に紅葉していたのが見えた。研究室からの眺めにも、紅い葉や黄色くなった葉が混じるようになった。 秋が深まってきたということなのですが、改めて思うのは、このキャンパスには美しいものがあちらこちらにあるってこと。一方、今日は朝から霧がかかったような天気でしたが、5階に上がって遠く富士山の方を眺めると、こちらもかすむ景色が中々風情があってよかった。


美しい紅葉と落ち葉

見事な紅葉

研究室の外は曇りでも紅葉

で、キャンパスの紅葉をお裾分けです。

帰りの車中で、カーラジオから70‘sと80‘sのポップミュージックが流れてきたのを、聴いた。ジャニス・イアンの「17歳の頃/At Seventeen」、シカゴの「サタデー・イン・ザ・パーク/Saturday in The Park」。

それが、懐かしい気分になっただけじゃなく、「17歳の頃」はちょっと胸に迫ったな(感傷に浸っている場合ではないのだけれど)。

別に17歳に戻りたいわけではないよ(と言うのは、その頃のことを定かに憶えているわけではないから。自慢するわけじゃありませんが、具体的な場面が全く思い出せないのです)。

ちょっと切ないような気分になった理由は、曲調や年のせいというのもあるかもしれないけれど、たぶんもっときちんと暮らしてくればよかったという悔恨かもしれません。相当ぼんやり暮らしてきたからね(やれやれ。まいったな)。ぼくには、記憶だけでなく欠落しているものがいろいろと他にもあるようなのです。その最たるものが、努力し続ける能力(村上春樹の「雑文集」を久しぶりに買って読んでいたら、インタビューの相手であるビル・クロウがジャズ・サックスの巨人ソニー・ロリンズのバンドに入ったフレディ・ハーバードが滞在先のホテルで飽きずに延々と練習する様について語るのに行き当たって、そう思ったのでした)。

ま、もう少しがんばらなくちゃいけません。

皆さんは、元気にしていますか。
たまにはキャンパスの美しい景色を見にきてください。
2015.11.18





#164 テント偏愛・日常編

街や人々をより身近に感じるために

日常に少しだけ非日常性を
テントは、もちろん非日常的な場面だけで使われるものではありません。

日常的な生活空間の中で使われると、楽しさも嬉しさも倍加しそうです。

幸い、われわれのところにもちょうど手頃な中庭がありますね。たとえばここに、ちょっと手を入れるだけで、うんと良くなるはずと思うのですが……。

まずは、食堂の前にオーニングを出してその下に椅子とテーブルを配置する日常にちょっとだけ非日常を持ち込む(何回か提案したことがあるけれど、鼻も引っかけられませんでしたね。うーむ)。その他のテーブルにはパラソル、それから中庭の芝生の部分は英国の古いカレッジのように平らにしてエッジをきちんと立てて、通路との分節を明確にする(このくらいのことでいいから、なんとかできないものかね)。

それで、今まで何度か卒業研究でも、やってみませんかと勧めてきたのですが、なかなかうまく行きませんでした。しかし、昨年度ようやく熱心に取り組んだ学生がいてくれたおかげで実現したのでした。となると次は、もうちょっと簡便でよいから、現実の場面でもやれないものか……、ねえ。梅雨時は無理としても、4月の新入生歓迎イベントなんかにはぴったりと思うのだけれどね。


イギリスのどこだったかの野外市場

オックスフォード駅前広場でのフレンチマーケット

パリのカフェの屋外席

バースの路地の屋外席

テントやパラソルは、市場や、カフェ、レストラン等々で、日常的に目にすることができます。でも、残念ながら、こちらも欧米の方に一日の長があるようです。街を歩けば、大きな店から小さい店までたいていのところに屋外席があり、その上にはテントやパラソルがかかっている。外での食事を楽しむことに対する彼らの思いの強さは驚くべきものがあるようです。スペインのバルセロナの広場に面したレストランに入ろうとした時は、外の席は空いてないけれどそれでもいいかと言われたことがあるし、イギリス、バースではパルトニー橋のすぐそばの建物の脇のごく小さなスペースにもパラソル席が2つ設けられていたのを見ました。

僕は、室内席とテラス席があればテラス席を選ぶし、道を歩いていてテント席があればつい入りたくなるのです。なぜだろうと考えてみるのですが、当然小さいときから慣れ親しんでいたわけはないし(そうした席がないわけだからね)、屋外で食べたり飲んだりする気持ちよさ、とくに日が落ちる前に外で飲む美味しさを知ったからかな。もうひとつは、外の席でのんびり眺めていると街や人々をより身近に感じることができるような気がするのです。

日本でも少しずつレストランやカフェにはテラス席が増えてきましたが、それはおしゃれさとの関係で語られるようなもので、まだまだ日常性と結びついたもの、日常の中に少しだけ非日常を持ち込むというものが少ないように感じます。とくに小売店や市場で見ることが少ないのが残念。機能や効率という面ではいいのかもしれないけれど、楽しさが不足しているのではあるまいか(大規模店舗に対抗するための魅力の演出にも有効だと思うのだけれどね)。


近所で見つけたテント

と思っていたところ、先日、近所で市場らしい雰囲気をつくりだしているテントを見ました(とくに洒落たテントを使っているわけでもないのに、とてもいい感じに見えた。その時の景色が撮れたら良かったのですが、写真はその後のもの)。初めて見たときは、決しておしゃれなわけじゃないけれど、テントがあることによって楽しさ、賑やかさがいっそう感じられて「おーっ」と思ったのでした。

実は、この原稿を書きかけはじめてからしばらく経った頃には、以前にも書いた友人のカフェが野掛けでプレオープンし、テントとパラソルだけでやるという知らせが届いていました(面白そうですね)。残念ながらまだ見る機会を得ていなくて興味津々なのだけれど、日増しに寒くなる今、もはやテントだけでは乗り切れないかもと、ちょっと心配。 鋭意改修中というカフェ棟の完成が待たれます(頑張ってください)。
2015.11.17





#163 テント偏愛・イベント編

非日常性の演出

戸外空間の楽しみ
いよいよ秋も深まって、少し寒いけれど外が気持ちよくなってきた(うかうかしていると、あっというまに外にはいられない季節になってしまいそうです)。

映画を見ていてふと思ったこと。教会での結婚式のあとのお披露目(披露宴ですね。わが国では、専用のホールや、レストランを借り切って行われることが多いようですが)やこれに類する場面でテントががよく出てきます。


フォーウェディング

欧米では戸外空間をこうしたパーティ空間としてよく使われるのを見ることができます。映画の中にもよく登場しますが、ざっと思いつくだけでも、 「スリーメンズ&ドーター」、「ノッティングヒルの恋人」、「フォーウェディング」、「ジュリエットからの手紙」等々。あの007シリーズ*にさえ登場するのだ(この時はとくに豪華で、レースでできたテントのようでした)。

この話題については(テント好きとしては)、ぜひ書いておこうと思ったのですが、やっぱりぼんやりしているうちに、その時からもうおよそ半年、いや1年近くほども経ってしまいました(なんという怠け者。やれやれ)。立秋をとうに過ぎて暑い日は遠くに去り、立冬も越えてもはや朝夕は寒いくらいの日が混じります。わが国では珍しくテントが活躍する運動会の季節も終ってしまった……。

彼の地では、披露宴に限らずイベントやパーティも多い。芝生や石畳の上にテーブルを設えたり、大きなテントを張って休憩所や飲食のためのスペースとしたりします。慣れているのか、てきぱきと組み立てる様をみるのも楽しい。見る間に非日常空間が出現する様子を目の当たりにすると楽しさが倍加して、いかにもハレの舞台にふさわしい。欧米の人々は、このテントの使い方がとても上手な気がします。以前にも書いたかもしれないけれど、彼の国々では、日常・非日常の別を問わず、大きさもかたちも様々なテントを上手に活用しているのを見ることができるのに対し、日本ではオープンカフェが普及してきたいまでも運動会の時のテント以外にお目にかかることが少なすぎるのではあるまいか。


ホームカミングデイ

オックスフォードにしばらく滞在していた時にも、カレッジでも何回か経験したことがあります。さすがに真冬はやらなかったけれど(なんといっても寒い)。写真は、そのマンスフィールド・カレッジのホームカミングデイの時のもの。各国から卒業生や関係者が集まり、楽しんでいましたが、芝生の上だけでなく、テントの中で食べたり飲んだり、演奏会が行われたりと、テントが大活躍でした。食堂やホテルの会場を借り切ってやるのもいいけれど、季節を選べばこんなふうに青空のもとでやるのもなかなかよいと思うのです(文字通り晴れやかで気持ちがいい)。テントそのものがとくに凝ったものでなくても、オープン・エアの中でやるというのが何とも良いのだよ。


出番を待つテント小屋

挨拶を聞く人々

オックスフォード大学の総長だったか誰だったか、偉い人を迎えて関東学院大学が関わった新しい建物のお披露目をした時も外だった(この時は、前日の雪が少し残っていました)。

日本でももっとこうした舗設をすればよいのに、と願うのです(少なくとも僕自身は、残念ながら経験したことがありません)。緋毛氈や赤い蛇の目傘は時々目にするけれど。わが国では室内の方があらたまってお客を迎えるという気分が高まるのだろうか。園遊会なんていうのもあるけれど、あれはどうなっているのでしょうね。それとも、天候のせいかしら(でもイギリスは、一日のうちに四季があると言うけどね)。そして、野点というのもある。それに天照大神が天岩戸に引きこもったときも、踊ったり笑ったりして、磐戸を開けさせたのではなかったか。ともあれ、わが国では、以前はハレとケという概念が広く共有されていたわけだから、ハレの空間の演出が不得手というわけではないはずだし、屋外での開催もあったに違いない。

ともあれ、外の方が気持ちも開放的になって、より楽しい気分が高まるというのも誰もが経験しているはず。とすれば、もっと屋外でのイベントやパーティがあってよい。そう言えば、お花見というのはその代表ですね(むろん、イベントの種類によっては室内の方がいいことがあるのは当然として)。新入生を迎えるためのイベントなんかは、テントを張って野外でやる方がいいと思うのです。古来、日本人は儀式においてもおおらかで寛容な国民だったようなのだから。

*#10ですでに書いていました。
2015.11.11





#162 空港の楽しみ

大きなお尻を眺めながら食べる

遠くまで開ける視界
またまた羽田空港のフードコートの話し。

今年は訳あって、よく来る機会が多いのです。


席から見る彫像の後ろ姿

少し早い時間だったためそれほど混んではいなかったので、席を見つけるのは比較的容易だったけれど、空いていたのはちょうど彫像の後ろの席。女性の大きなお尻を眺めながらの食事と相成りました。これはちょっと不思議でしたね。彫像は全体を観るべしということだろうか。テーブル席や植栽との関係でいえば、もう少し工夫の余地があると思うのだけれど……。

その内に隣の席が空くと、3人のアメリカ人らしい男性がやってきた。別々に注文したようで、ひとりはビールとカレーの載ったトレーを抱えているものの、あとの二人は呼び出し用のベルを持っている。やがて、ベルが鳴りだすとひとりが立ち上がって運んできたものはと見ると、やっぱりカレー。さらに最後のひとりが取りに行って戻ってくると、これまたカレーなのでした。

さて、これはどうしたことだろう。食堂なんかで誰かひとりが「〇〇を」と言えば、「ぼくも」、「わたしも」となるのは日本人だけのように言われていたのではあるまいか。それとも、メニューの中にはスプーンを使って食べるのはカレーだけだったことに気づいて、このせいだったかと思えば、なんとそのうちのひとりはお箸を使って食べはじめたのでした。

だからといって、「アメリカ人も、右へならえの人が多い」とか「日本通のアメリカ人はカレーを箸で食べる」と言うわけにはいかないのは、誰しも理解できると思いますが、実際には案外こうした体験を一般化して語ることもありそうです。

ある教えをそれが当たり前だと信じ込んだり、ややもすると一つの体験をすぐに普遍化したがることの危険性を思い起こさせる経験でした。

もうひとつ不思議だったは、3人目の彼はカレーをテーブルに置くと、座ることなくすぐにトレーを戻しに行ったのでした(なぜでしょうね。ま、トレーは銘々膳ではなく、あくまでも運ぶための道具と考えたのかもしれません)。


遠くまで開ける視界

空港の楽しみはフードコートだけではありません。搭乗を待つ間に見る風景も魅力の一つ。

飛行機がずらりと並んだ景色や飛び立つ飛行機を観るのももちろん楽しいのですが、僕はその向こうの風景を眺めるのが好き。すなわち、遮る物がなくて、遠くまで視界が広がるのが嬉しいのです(ビルや家屋が建ち並ぶ都市部ではなかなか体験できません。いや田舎だって、たいていこうはいかない)。なんといったて、気持ちがいい、気分が晴れ晴れとします。

視界が開ける喜びは実際の景色を見る時だけに限らず、物事を見たり考えたりする場合でも、広い視野を持つことができれば得るものが大きいはずなのです(あ、すぐに普遍化することの危険 !?)。
2015.11.11





#161 久しぶりに、はしご

溢れかえる人々と自分なりの楽しみ方

環境の保全
久しぶりにはしごをした。といっても、2カ所ですけどね(居酒屋ではないし、映画館でもありません)。それでも、けっこうくたびれる。

自宅から東京に出かけるというと、つい纏めてこなそうとしてしまいます(貧乏性*。ふだん効率主義を批判しながら面目ないのだけれど、交通費もばかになりません)。


モネ展

今回の主な目的は、モネ展。根強い人気のモネの展覧会は比較的短い周期で開催されるようですが、今回はマルモッタン美術館の所蔵品を展示するもので、上野の東京都美術館。「印象、日の出」や「ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅」が見ることがができるということで出かけることにしました。でも、展示変えのために、「サン=ラザール駅」しか見ることはできませんでした(残念。これも効率主義、商業主義のせい?)。で、やっぱり、ターナーと似ていますね。ちょっと厚塗りのターナー。ぼくは世評に高い「睡蓮」よりも、ターナーそして渡英した当時のロンドンの風景の影響を受けたとおぼしき絵が好き。

中に入ると、平日でしかも大きな会場であるにも関わらず、人で一杯(そう言えば、チケット売り場のところには、中は行列ができていますというような貼り紙があった)。いつものように一通り見て、そしてもう一度観たいもの、欲しいと思った作品を少しゆっくり鑑賞した(赤瀬川原平流)あとで、図録を手に入れようとミュージアムショップに行ったら、こちらもポストカードや複製画等を求める人で溢れ返っていました。

もうひとつの展覧会は(書こうか、書かないでおく方がいいかと迷いましたが)、永青文庫での「春画展」。元首相の細川護煕から立派なカタログが送られてきたという瀬戸内寂聴の新聞記事を読んだのでした。そして、こうした展覧会には珍しく行列ができるくらいの人気ぶりということが気になった(ふだんは、ベストセラーはやめておこうという天の邪鬼なのですが)。

いざ出かけてみると、ちょっといや相当、驚いた。こちらは小さな会場だったけれど、文字通りぎゅうぎゅう詰めの混みようでした。そのほとんどが年配の人たち(女の人も多かった)。たぶん、一昔前だったら、とても考えられないのではあるまいか。

途中のバスの中では、 週刊誌を示しながら最寄りの停留所を訊いている人もいたし、路上では手をつないで会場へと向かう夫婦らしい年配のカップルも見かけた。若い人はほとんど見なかったけれど、むしろ女性のほうが交じっていたようでした(美大系の学生だろうか。若い男性と言えば、販売所のレジ係くらい)。このことからいろいろ想像が広がります……。

ま、結果的には人を見に行ったようで、肝腎の絵の方はほとんど観ずじまいでした。


永青文庫エントランス

初めて行った永青文庫は細川家(先の元首相は細川家第18代当主)の収蔵品を展示しているところですが、閑静な場所にあって緑も多かった。景観や環境の保全はこうした公共、または半公共の施設が担わなければ、立ちゆかないのかもしれません(と、改めて思った。今回の盛況ぶりは、このことに益するに違いない)。だから、こうした施設を運営する機関が効率主義に走らないことを願わずにはいられないのです。


上野公園

そう言えば、先の上野公園は広くて緑もあって都市においては得難い場所と思うのだけれど、もう少し舗装の割合が小さくなると、さらによくなりそうです(木々の足下の整備を含めて)。

そして、上野公園には美術館や博物館が何館もありますが、ほかのところにもいくらかは人がいるようでしたね(モネ展とは差がありそうでした 入り口付近にはちらほら)。少なくとも、公園は大勢の人でにぎわっていました。

さて、これらの美術館の混雑ぶりは、美術館または美術が生活の一部となりつつあるのか、はたまたメディアの力か。

こうした場所にたくさんの人がいるのは好ましいことだとは思いますが、もう少しきちんと見ることができればもっと楽しめると思いました(ま、そこに行ったということが大事で、ゆっくり見るのは作品集や映像でいいと教えてくれた人がいました、建築の話しですがね。最近はすっかりこのやり方なのです)。

でも、絵を見る時にはつい分析的に(と言うよりも、余計なことを)考えながら見てしまうようなのが残念(ただ感じることができればいいと思うのだけれど、ついその前に理解しようとすることが多い。まだまだ、赤瀬川原平先生の教えを体現するのはむづかしいのです)。

* 仕事でもそうならいいのですが……。
2015.11.10





#160 速報 キャンパスにフードトラック!

中庭に持ち込まれた非日常性

楽しさの演出
先ほど、少し早い昼食をとろうと螺旋階段を降りて行くと、何やら向こうに仮囲いのようなものが。

フードトラック

工事でも始まるのかしらんと思って近づくと、なんと小さなフードトラック(目が悪いのです)。売っているものはと言えば、「横浜生まれのたこのみやき」というものらしい。


フードトラック2

そそくさと食事を済ませて研究室に戻り、カメラを持って引き返してしばらく見ていたら、通る人はみな興味津々のよう。数は少ないのですが、さっそく買って試そうという人もいました。

でも残念なことがいくつか。賑やかさにかけるのです。その中でも一番は、テント好きとしては、やっぱりテントがないこと。せめてパラソルでもあればよかった。華やかさと言うか非日常の気分が添えられて、もっと楽しくなるのに、と思ったのでした。ただ、お店の人に聞くと月1回しかできないということなので、そんな余裕がないのかもしれませんが、車の回りだけでもそうした演出があれば……。

2015.10.27





#159 キャンパスも秋

風景の色の変化

確実に進む時間
すっかり、秋が深まって、時に寒いくらいの時が混じるようになりました。
いつのまにか陽が落ちるのも早くなり、卒業研究もいよいよ佳境に入る頃です。


研究室から見た中庭の色

侍従川沿いの鮮やかな紅葉

侍従川の上の落陽

キャンパスやその周辺でも、風景を彩る色が変わってきました。時は歩みを早めることも緩めることもなく、しかし冷酷なほどに確実に歩を進めて、天候次第では、もはや秋というより初冬と呼びたいくらい。で、その風景をいくつか。

2015.10.24





#158 セルフエイド・1

お金をかけないで楽しむ方法

がんばらないインテリアデザインのススメ
インテリアデザインに対しては、多くの人が興味を持っています。ただ、その一方で、インテリアデザインはお金がかかる、とか、むづかしい、とか、知識がないから、とか、専門家に頼まなければできないのでは、とか、けっこうハードルが高いと思って、実践することとは別ととらえている人も相変わらず少なくないようなです。学生たちのリアクションペーパーにもよく見られます。(ちょっと残念)。

確かに、知識があるのに越したことはないし、有名なデザイナーの手になる家具や立派なものを使おうと思えばそれなりにお金もかかります。だから、まずはできることから始めればよろしい。ないものは自分でつくればいい、工夫すればいいと考えたらいいのです。近代デザインの父、ウィリアム・モリスだってそうした。少し不足でも今楽しめば、それだけ長く楽しめる。全部そろってから、などとと思っていたら、楽しむことのできる時間はうんと短くなってしまいます(もしかしたら、できないことだって)。

専門的な知識や技術がないことを嘆く必要もありません。素人だからこそということがある。タブーがない分、自由に考えて創ることができる。既存の枠組みから離れるから、自ずと新しいものが生まれやすい。等々の利点がある。先のモリスや、37歳になってから陶芸を始めてモダンな図柄や文字(文学)を取り入れた焼き物で人々を魅了したという尾形乾山も。だからといって、モリスや乾山のような優れた作品を創ろうとするのではありません。その必要もないのだよ。


家具屋製の食器棚(当時)

で、自分でもやってました(ま、やっぱり経済的な要因が大だったけれど)。 たとえば、オーディオ台や増設分の本棚等。引っ越してきてきた当時は図面を渡して家具屋さんに頼んで作ってもらったのですが、本はどんどん増えるし、ものも増える。おまけに、家具屋さんもなくなってしまった。だから、増設分はセルフエイドでやることにしたのです。モリスはお金があったけれど、お金がない時はお金がないなりの工夫をすれば良い、というかそうしなければやれないという精神でいろいろと試してみたというわけ。

しかし、がんばらないインテリアを例示するのはいかにも恥ずかしい気がして掲載するのをためらっていたのですが、学生たちのハードルを低くしたいのと、デザイナーである友人のHPに不要になったものを再び活用して暮らしている人々が周辺にはたくさんいるという記事があるのを見て、まいいかと思った次第。 でも、居心地はよくしたいのだよ(当たり前)。だから、どうせ散らかるのなら(白状したような性分だからね)、 ぴしっと片付いていることをめざすより、気持ちよく散らかっているようにしたいというのが正直な気持ちです(これができれば、インテリアデザインはほぼ完成といっていいのではあるまいか)。


手製のAV台(当時)

手製のAV台と棚(現況)

今思えば、こうしておけばよかったと思うこともあるけれど(たとえば、AV台は床から浮かすべきでした。この方が開放感がある)。体験から学ぶことは重要。失敗も役に立つのです。ほんとうのことを言えば、(写真では分かりませんが、AV台の前に置いた)スクリーンだってお金をかけられるものならそうして、天釣りにしてすっきりと見せたいところです。でも、大した経済的負担無しにやろうと思えば、そのための方法を考える方がいいし、たいていの場合できなくはないのです。

好きなデザイナーの家具はひとつあれば十分くらいに考えてやればよい(別に家具でなくてもいいかも)。他は安いものでも自分が気に入ったものなら安いものでけっこう。メリハリを楽しめばよろしい。むしろその方が、好きな家具も引き立つというもの。あるいは、まずは安いもので試してみて、効果を確かめるという手もある(安いものならやりやすい。高価な製品を使っての失敗はそうそうするわけにはいきません。しかし、間に合わせのつもりでもけっこう長く使うことになりやすいことにも配慮して選ぶのがよろしい)。それでも、むしろ間に合わせを積極的に楽しむ方が良いという気さえしているのです。

2015.10.21





#157 離れてわかること

キャンパス自慢

よい建築となるための条件
シルバーウィーク(というのがあるのだね)の日曜に、卒業生が幸せそう笑顔とともに研究室にやってきてくれました。

ちょうど昼時になったので食事に出かけたのですが、平潟湾沿いを歩きながら彼が言ったこと。

「こんなにいいところだったのですね」。


通学時間の頃の平潟湾

久しぶりに見た平潟湾が思っていた以上に海らしいことに気づいたというわけ。そして、キャンパスとその周辺についても(通学していたときは、そんな風に思ったことはなかったと言うのです)。

いつも接していると、当たり前のこととなって、あんがい気づかないものですね(そして、失って初めて気づくことになることも多い)。


色づき始めた中庭の木々

水を湛えた侍従川

思えば、室の木のキャンパスは恵まれています。緑はまあ多いし(早くも紅葉が始っています)、先の平潟湾や侍従川がすぐそばにある。もっと中庭が整備されていたなら、もう少し敷地が広かったらとか、川沿いの歩道とフェンスがましならなどと思わないわけではないですが、どれも大した問題ではないような気もします(言ってしまえば、水や木々の風景を前にしたらそれはほとんど些末なことのように思える。付け加えると、とくに満ち潮の時の満々と水を湛えた侍従川が好き。通勤の際にはこちらを通るのです)。

自然物の前では、それを邪魔しないようなものが作れればよい。そうでないものがあるのは残念ですが、建築的に多少まずいものであったとしても邪魔をするものでない限り、自然の持つ美質は存外損なわれないのではあるまいか。


タレルの部屋(ブルー・プラネット・スカイ)

鈴木大拙館

この前学生たちと金沢に行ってきたときも、そうした思いを持ったのでした。世評に高い金沢21世紀美術館や鈴木大拙館等の建築はもちろん素晴らしかったのですが、実はそれ自身よりもそこから見ることになる外部の方がもっと魅力的なようでもあったのです(これは、建物と周囲の関係がうまく計画されているということですがね)。また、何でもない民家が、一本の木の緑と相まってとてもよく見えるものもありました。

ところで、金沢21世紀美術館は館内と言うか室内は全面的に撮影禁止(廊下でさえも)。残念。一方、フランクフルト(ここでは素晴らしく得難い体験をいくつかした)のハンス・ホラインの手になる美術館ではやっぱり撮影禁止のピクトグラムがあったのですが、許可を得ようと説明したら、あっさり許してくれました。鈴木大拙館でも、一部のゾーンを除いて、撮影OKでした。

多くの日本の美術館では、なぜできないのだろう。作品の複製が気になるのならば、それだけを禁止にすればよいのではと思ってしまいます(知らずに館内を撮影しようとすれば、たいてい係の人が現れて「お客様、……」と言うのだから、やってできなくはなさそうです)。

ところで、こんなことを書くと日々設計に腐心している人たちに叱られるかもしれないけれど、建築は建物そのものよりも、外の景色の美しさ、楽しさをどれだけ取り込めているか、あるいは共存しているかということの方が重要なのではないか。建築は外部空間に奉仕するものではという気さえしてくるのです(「神は細部に宿る」というような言葉があることは承知しているのですが)。だから、その外にある自然の力を借りて魅力的な空簡にしようとするくらいでちょうどいいのだし、まして敷地を見ないで、外部空間抜きで設計しようとする人々がいること(学生にはけっこう多いのではあるまいか)に驚くのです。

よい建築を設計したいという時に、建物のことだけを考えるのではなくて、そこから少し離れて周囲を見渡してみると新しいことに気づくことがあるのではないかと思います。
2015.09.29





#156 速報 中秋の名月

折々の句読点

ていねいに暮らすために
横浜地方は朝から曇り。さて、無事に見ることができるかどうか心配していたのだけれど、夕方から青空が広がりはじめて、一時中秋の名月を見ることができました。安心してちょっと油断していたら、あっという間に雲にかくれて、時おり雲間から漏れた光が照らすのを見るだけになってしまいました。

ま、古来日本人は遮るもののない月よりも雲間から覗く月に風情を感じてきたとは言うのですが、ちょっと残念(おまけに、翌日の月は満月で地球に最も近づくせいでいつもより大きく見えるはずなのです。これを称して、スーパームーンと言うらしい……)。


中秋の名月

スーパームーン

雲が広がっていたように見えたので半ばあきらめていたのですが、しばらくするとまた姿を現したので、カメラを持って外に(満月の前日に見る月も名月の名に相応しく、ほとんどまんまるで、風情のある美しい月でありました)。その時に撮った月の魅力は、腕とカメラの限界のせいで、伝わらないのが残念。

おまけにニュースで中国の中秋節のお祝いに用いられる月餅が紹介されていたために、懐かしく思い出すこともあった。まだ小さかった頃(すなわち貧しかった頃、当時の多くの家庭がそうだった頃)、父が出張したときのおみやげにこの月餅をよく買ってきてくれたのでした(ただ、僕はあんまり好きじゃなかったのですが)。

思えば、いつの間にかお月見のしつらいもすっかり忘れてしまっていましたね。余裕がなくなったのか、はたまた手に入れることのできる楽しみが増えすぎたせいか……。日々の生活が惰性に流れてしまっていることを反省。

2015.09.28





#155 番外編 責任の所在

不思議なことが続く、この頃

住むことが嬉しくなるような国
はや9月も半ば。8月の下旬からもはや秋を感じさせるような気候が続いている。雨も多い。不思議。

不思議と言えば、9月1日に東京オリンピックのエンブレムが白紙撤回の決定がなされたというニュース。当たり前と言えばきわめて当たり前と思うのだが、そのことの是非よりも何よりも、先日までは問題無しとしていたのにこの急展開に驚いたのです(こういうことが多過ぎはしまいか)。

しかし、選考を主導していたオリンピックの組織委員会は自らの責任に言及するよりも、デザイナーである佐野氏本人から取り下げたいという申し出があったゆえと言う論理も不思議。これは、デザイナーや建築家を尊重しているのではないことは言うまでもない。何やら新国立競技場の時と似ていますね。経済同友会だったかの会長は、日本の社会が「たるんでいるんじゃないか」という旨の発言をしたそうです。そうに違いない、との思いを強くします。とくに責任を負うべき立場の人々、そしてそれを直接的、間接的に選んだわれわれ自身もが。

ところで、エンブレム問題が長く取り上げられていた頃、友人のブログには、安保法案を隠蔽するためのスピン記事じゃないかと疑っているという見方が示されていたのですが、これについて、その真偽はともかくとして、僕はちょっと違った見方をしました。以前にも書いたように、あるものについては国民の理解が進まないから撤回する、あるものについては同じ状況でも必要だから断行するというのは変でしょう。変なことは変という言う声がそれを是正することになることに気づいた(と言うか気づ かされた)のだから、むしろ逆の効果を期待していたのです。

すなわち、国民の理解が進まないから撤回する、という判断基準がふたたび示されたのだから、むしろこの基準が適用されないのはおかしいという見方をする人が増えることになるのではないかと思ったのです。二度あることは三度ある、と言うでしょう。

もし、こうならないのなら、ごり押しが3度目の正直ということになれば、ほんとうに変なことがまかり通る状況だという証拠ということになる。 しかし、結局は僕の方がとんでもない思い違いをしていたようです(残念、無念)。 となれば、反対の意志を示し続けるしかない。これは、政治的信条とは別の話し。

先の戦争に関する、いわゆる安倍談話でも、「おわび」に対する立場については結局、村山、小泉の先例と同様に「今後も揺るぎのないもの」とし、侵略を認めながらも、どのような行為が侵略にあたるかどうかは「歴史家の議論にゆだねるべきである」と言う。一方で、安保法案の際には,それまで長い間引き継がれてきた解釈を大きく変更し,これを違憲とする多数の憲法学者の見解については、見方はさまざまと言って無視することにした。ふたつの物言いは、まったく逆のことを言うものであり、その是非や立場とを別にして、言葉の上だけのことということが知れる。きわめてまずいのではあるまいか、と思うのです。

僕は政治はできるだけ見えない方が幸せだと思い、自身は政治的なことには極力関わらないですませたいと考える者ですが、昨今の状況を見るにつけ、自身の能天気ぶりをひとまずおいて、これでは立場や見解の違いにかかわらず、立場を超えての相互理解や共生は、夢のまた夢というしかなさそうです。

主張の是非にかかわらず、あるいはそれを支持するか否かということとは別に、問題に対する向き合い方、誠実さを試されているようです。そして、何より、住むことが嬉しくなるような国であってほしい。むろん、これはどんな場面であれ、すべての関係でそうあってほしいと思うのです。
2015.09.16





#154 成長の早さと確実さ

美しい光景に入り混むもうひとつの緑

美しい国と言えるのだろうか
福岡で開催された父母懇談会に出席するために福岡へ行ってきた。地方で開催された会への出席は初めてでしたが、親が子供を思う気持ちに改めて気づかされました(学生諸君よ、心したまえよ)。

さて、その時の車中からの眺め、水田が広がる風景は相変わらず美しいが、これを見て気づいたことを二つ。


色づき始めた水田*

一つは、水田が緑ではなく、黄緑色に見えること。穂先に実を付けているということだろうか。その成長の早さに驚き、そして確実さに感心する。

もうひとつは、水田の景色に異なる色が混じることがある。濃い緑色で高さがほぼ揃っているなら、野菜畑。高さも色も不揃いなのは、放置されたままの田畑(のように見える)のことが多い。

素人考えで言うのだけれど、このことが 後継者のことをはじめとするわが国における農業の問題を端的に示しているのではあるまいか。そして、こうした問題に対する施策がどうなっているのだろうか。

これがきちんと実施されないならば、とても美しい国だとは言っていられない。


紫の花をつけた穂

ハート型の葉を持つ白い小さな花

藤袴

一方、裏山を歩けば、芙蓉、露草、紫の穂,朝顔の一種(たぶん)、秋の七草の一つ藤袴等が花をつけている他、さまざまな草木の緑を目にすることができる。しかし、これも不用意な伐採が行われることがしばしばある他は、ほとんど放置されっぱなしである。

そして、残念なことに、こうしたことに対する施策、配慮はいまやほとんど見られず後回しにされているように見える。

帰りに,車窓から見た夕暮れ時の美しい景色が少し感傷を帯びるのは、年のせいか。

*窓の汚れは,たぶんそれまで降り続いた雨のせい。
2015.09.16





#153 ケメックスがやってきた

美しいものと暮らす

量より質
我が家にケメックスのコーヒー・サーバーがやってきた。


ケメックス コーヒ・ーサーバー

妹が誕生祝いに送ってくれた。ケメックスの6人用の美しさにはかねてから憧れていたのですが、そんなにコーヒーを飲むわけでもないし……、いまさらものを増やしても……、というわけでなかなか踏ん切りがつかなかったのです。で、誕生日プレゼントは何がいいと何度目か聞かれた時に、ようやく「ケメックスを」、と言ったのでした。

さっそく開けてみると、けっこう大きい。でも美しい。実は、6人用はちょっとオーバーサイズ気味なのです。ケメックスには3人用もあるのですが、こちらは少し細身で、残念ながら形態的な美しさは断然6人用です。

せっかく美しいものが手に入ったのだから、これを機に、生活に対する姿勢を改めたい(何度目かの誓い。実践はなかなかむづかしい)。

日常使いのものをほんとうに気に入ったものに絞り込んで、ふだん使わないものはできるだけ捨ててしまうことにしよう。そうすれば、スペースの大きさにあったものの量ということになって、真に豊かな生活が手に入るに違いない。

たぶん伊藤礼の本*だったか、よくは憶えていないけれどけれど、年取ったら新しいものを買うのがはばかられるというようなことが書いてあったのを読んで、なるほどそうだと感心したことがあったのです。しかし、今日からは、きっぱり忘れるようにしよう。気持が動かされたのなら、買えばいいのだ(もちろん、経済及びスペース上の制約の中でのことですが……。コーヒーミルも買おうと思って業務用に近いかたちのみるっこを検討してみたのですが、高いし場所もとるし,いかにもオーバークオリティだと思って、あきらめて妥協してしまったのでした。ああ……)。


B.K.F. ハードイ・チェア

となると、やっぱり、ハードイ・チェアが欲しいな***(キャンバス地のものを探しているのですが,なかなか見つかりません)。

でも、美しいものに似合うように、まず、質素でいいからこざっぱりとした空間に整えなければいけません。せいぜいがんばってみよう。

* 「大東京ぐるぐる自転車」文庫版、2014、筑摩書房
** http://item.rakuten.co.jp/attract/bkf_pampa-polo/ attractのHPから借りました。
*** と、#62でも書いていました。
2015.09.09





#152 自由な精神の発露

オスカー・ニーマイヤー展

コンセプトより大事なこと
昨日、卒業生が教えてくれたニーマイヤー展に行ってきた。


会場入口

どういうわけだったか、ある時僕が「ニーマイヤーはいいよ」と言ったら、彼が「いいですよね、ニーマイヤー」と間髪を入れずに答えたのに驚いたのでした。まさか、ニーマイヤーを好きという学生がいるとは思いもしなかった(ミースやコルビュジエ、あるいはライトほど有名な建築家ではないし、日本のスター建築家でももちろんありません。おまけに、もう何回も書いたように、今時の建築好きの学生諸君は、コンセプトが第一ですから)。

その彼が、研究室に遊びにきた時に「ニーマイヤー展を見てきました」と言ったので、開催されていることを知ることになったというわけ(彼の展覧会が現在の日本で開催されるとは思っていませんでした。ま、僕が知らないだけで、あんがい好きな人が多いのかも)。

僕がニーマイヤーを好きになったのは、学生たちが口を開けば「コンセプトは、…」と言うのに嫌気がさしたせいかも知れません。だから、ファン歴はせいぜい10年ばかりと新米のニーマイヤーファンなのです。一時建築家のDVDを集めて観ていた時期があって、その時からファンになったのですが、なんと言っても、彼は104歳まで生きて、なおかつ100歳を超えてからも作品を創り続けた、文字通り生涯現役を貫いた建築家なのだから。

ニーマイヤーはブラジルの建築家で、ミースやコルビュジエの下の世代になります。同世代の中米メキシコのバラガン、北欧フィンランドのアアルトと同様に、インターナショナルスタイルとは違った建築を生み出しました。


柱の模型

こむづかしい理屈を語らずに、一筆書きのように軽々と描かれたスケッチの通りのかたちの建築が出現する(彼のスケッチは素晴らしいと思います)。したがって、その線は直線ではなく、曲線となる(彼は、自然界に直線は存在しないというようなことを言い、女性の曲線美を賛美しています)。その自由さ、軽やかさ、そしてスケッチする時のニーマイヤーの屈託の無さに魅了されたのでした。

だから、作品よりもまずその人間性(DVD*でしか知らないけれど)、先に書いたような自由性、おおらかさ、屈託の無さ等々に惹かれたというわけですが、その人間性がそのまま現れでたような建築も当然好きです(実物は、まだ一つも体験してはいないけれど)。

彼自身は、きわめて社会を意識した人だったようですが、その建築は、フォルマリストのそれだと思います。と言うと、かたちだけの建築かと言う人がいるかもしれないけれど、かたちあるものを作る者は誰しも形態を大切にするものだと思うし、そうでなければいけない。僕自身の立場を付け加えるならば、小さな社会の中でのことだけれど、生活者の視点を大事にすることを主張してきました(一方で、やっぱり視覚的な人間だということなのでしょうね)。機能の実現は当たり前で、これをどういうかたちにおさめるか、実現するかが力量なのだ(その現れ方はおいて、考え方が重要だとする人もいますが)。この意味で、ニーマイヤーはこれを巧まずして実現した正真正銘の建築家だった。


模型1

模型2

模型3

模型4

それから、模型のつくり方も学生諸君には参考になりそうです。模型は、たいていの場合、大きい方がいいけれど、今回は土台のこと。偶然かはたまた何か意図があったのか分かりませんが、土台が薄く作られたもの、少し厚いもの(これらは台の上に載せられている)の他に、床からスチレンボードを1メートルほども積み重ねたものまでがあった。やっぱり土台は厚いものがいい、と思います。

ま、これは当たり前と言えば、きわめて当たり前のこと。模型が、実物になる前に実物の魅力を伝えるものとすれば、建物は大地の上に建つわけだから薄い土台の上に建ったものは何やら頼り無さげに見えるのもしかたのないこと。まして、学生諸君が作る模型はコンセプト模型と言うより、実物の代替品としての模型がほとんどなのだから、できうる限り大きく、土台は厚く重く作るのが良い。

ただ、図録が用意されてなかったのが残念(ゆっくり、確認してみたかった)。会場の人に聞いてみたのですが、今回は作られなかったということでした(やっぱり、あんまり人気がないのか知らん)。明日は、さっそく作品集をチェックすることにしょう。

もうひとつ、自分の感じたことを言ったり相手の意見を聞いたりしながら、見てきたものを振り返る場が持てなかったのも残念なことでした(自信の無さの現れか、ただ、お酒を飲みたかっただけなのか……?)。

注記 今回の展覧会は、日本開催では珍しく、写真撮影が許されている(一部を除く)というのもよかった。
2015.09.03





#151 極めつけは人

田舎の風景の美しさ

時間が生み出すもの
時が経つのは早い。このことを、嫌だ、辛い、残酷だと嘆く人もいます(何を隠そう、かく言う僕自身がそうです。ぼんやり暮らしてきたことを悔いているのです)。しかし、時は素晴らしいものを生み出す。当たり前のことを改めて思ったのは、田舎を走る車中でのこと(飛行機の時とは違って、列車の場合はたいてい窓側にしてもらいます)。


車窓から見た水田

実家のある町に近づくにつれて、車窓からの景色は緑の占める量が大きくなっていきます。そう、水田です。つい先日は水の中にわずかばかりの苗が覗いていただけなのに、今回はびっしりと緑色の細長い葉で埋め尽くされ、まるでふわふわとしてやわらかい毛足の長い絨毯のようだった。

以前は、こうした景色を見てもさほど気持ちが動くこともなかったのに、最近はとみに、ふいにその美しさに気づくようになった。年を取ったのだね。過去に対するノスタルジー(必ずしも自身の経験とは関係がないような気がするけれど)なのだろうか。嬉しいようでもあり、寂しいようでもあります。ともあれ、水を湛えた水田をびっしりと埋めつくす緑が広がる、あるいは点在する景色は、あいにく曇りがちでしかも夕暮れ時だったにもかかわらず、美しい。

現代的なビルが建ち並ぶ大都市の風景も悪くないし、何本ものパイプが縦横にめぐらせられた近未来を思わせる工場の景色も好きだけれど、近頃は田舎の風景、田園風景がとりわけ好ましく思われる。自然の素晴らしい造形に触れることができるせいだろうか。それとも、わずかな間にも、しっかりと確実に実りを生み出す力に圧倒されるためだろか。

時が生み出す実りと言えば、他にもワインやら、寝かせ過ぎはだめだったと、かの文豪開高氏は書いています、ウィスキーやら、こちらもベストは10年ものや12年ものだという人があれば、いや16年もの(というのはたぶんラガヴリンのこと)、17年ものだという人はバランタインのことに違いない、やっぱり18年もののグレンリベットはうまかったという人もいる。いろいろありますね(でも丸谷才一に言わせれば、ウィスキーは酔うために飲むために飲むものだから銘柄はどうでもいいのだということのようです。となれば、何年ものと言うのも野暮なようですが、さて…)。

むろん、日本酒焼酎や泡盛、日本酒だって古酒や5年熟成などと謳うものがあります。チーズや味噌も時間がおいしくするものの一つ。食べ物やお酒ばかりというのもちょっと変なので、他にないかと考えたら、使い込まれて黒光りのする鉄のフライパンもなかなか味がある(やっぱり料理)。


芝生の上のハリスツィード製ジャケット*

ツィードのジャケットやコットン製のトレンチコートなんかも、時とともに身体に馴染んで美しくなるものの一つ(英国はケンブリッジで学んだ白州次郎は、「ツイードなんて、あんなものは買ってすぐに着るものじゃないよ。三年くらい軒下に干したり、雨ざらしにして、くたびれた頃に着るんだよと言ったそうです)。よく手入された革製の靴や鞄もそう。ていねいに磨き込まれた革は、新品とは違った魅力があります(たぶん、もの自体の魅力に使う人の愛情が加わるのだね。だから普段の手入が肝腎だし、使う人の人となりが現れるのだろうと思います)。建物に使われた無垢の木材や煉瓦だって、時を経るにつれて、長いうちにつけられた傷さえも味わいとするような力強さと美しさを備える(ということは、選び方も大事ということ)。

そして、極めつけは、やっぱり人でしょうね。時の経過に磨かれ経験に鍛えられて生き抜いてきた人の魅力には、ただ黙って頭を垂れたくなります。彼や彼女たちのいくばくかでもわが身に体現できればいいと願うのだけれど(日暮れて道遠しと言うしかありません……)。若さには何でも実現できそうな可能性に満ちていて素晴らしいと思うけれど、うまく年を重ねてきた人たちの魅力にも抗しがたいものがあります。いつまでも若々しいミック・ジャガーもいいけれど、深いしわを刻んだキース・リチャーズもなかなか素敵です。

そうそう、田んぼの滴る緑は時に痛めつけられた形跡はみじんもありませんが、急いで付け加えるならば、これもただ自然に出来上がったものではないことを忘れてはいけません。

*マンスフィールド・カレッジの中庭の芝生に置かれたハリスツィード製のジャケット(写真は「オックスフォード通信」の時と同じもの)。胸のポピーの造花は、11月11日の第1次世界大戦の終戦記念日のためのもの。ちょっと濡れているのは、撮影中に降り出した小雨によるもの。雨ざらしにしていたためではありません。
2015.08.30





#150 羽田で冷や

おすすめセットを試しながら気づいた

空間も夏バージョン
またまた、羽田空港のフードコートの話し。


また、初めてのアクセス

今回もまた、初めてのところからアクセスすることになった。と言って、意識したわけではなく、いちばんたまたま近くにあった手荷物検査場から入ったら、そうなったというだけのことでした。

でも、いいね、やっぱり。予期せぬ出会いというのは楽しい。ちょっとおおげさだけれど、新しい発見があります。同じ場所でも見る位置が違うと、見え方も違う。当然のことです。うんと新鮮に見える。これは、空間だけでなく、人でも同じでしょうね。

一方、慣れたフードコートでも気づいたことがありました。本日のおすすめセットをお酒がこぼれないようにこわごわ抱えて空いたテーブルに着くと、なんだか様子が違う。向かいの席には妙齢の女性がビールと丼。お隣では若い男2人に女性が一人で、時おり大声を上げている。さらにその隣では若い男性が一人、壁に向かって座っていた。いずれもここでよく見た景色ではないけれど、でも、違う。もっと他に違うことがあるはずなのです。

しばらくして、やっと気づきました。コントラストがはっきりしていない。光が強烈じゃないのです。と思って、見上げてみると、吹き抜け上部のガラス屋根の部分にスクリーンが掛けられていました。ちゃんと考えられているのだね。でもね、コントラストがはっきりしないと、夏らしい気がしないのだよ(いや、むしろ今ではこちらの方が夏らしいのかもしれないけれど)。

で、例によって昼食を。蕎麦にするつもりが、寿司屋の前に「お任せ握り(¥1500)+ビール」→¥1,800とあったのにつられて、これに変更。ビールも夏らしくていいかと思ったのだけれど、お寿司にビールというのが気になったので、念のために聞くとビールを日本酒に変えても同じというので、変えてもらいました。ま、悪くはなかったのだけれど、わずかな値引きに反応したわが身をちょっと恥ずかしく思ったのでした。それにしても、なぜこうも割引に弱いのかね(やれやれ)。

ともあれ、小鰭もつけてもらったので、今年初めてシンコを食べられたのは良かった(近所の寿司屋のシンコ入りましたの貼り紙を見ていたので、気になっていたのです。ただ、ちょっと〆過ぎだったのが残念)。また、ごはんの量が小さい方がしゃれていると好まれるようだけれど、あんまり小さすぎると、何やらミニチュアのようだし、おいしくない気がする。やっぱり、適切な大きさというのがあるのだね。


ガラス屋根のスクリーン

そして、そのときもうひとつ気づいた。構造上の理由かなんかで高さがとれないのなら、梁が減らせないのなら、一つか二つおきに垂木をかけてガラスとスクリーンを設置すればよかったのだ。そうすれば、高さも稼げて抜け感がアップして、さらに気持ちのよい空間となるはず。それにしても、なんで今まで気づかなかったのだろう。ま、なかなか気づかなかったことにある時ふっと気づくことは、恥ずかしながら今でもよくあることです(たぶん関心を持ち続けていることの証拠なのだ、と思っておくことにしよう)。
2015.08.24





#149 番外編 デザインと言葉について

読書のすすめ

言葉がつくるイメージ
本を読まないという学生がごくふつうのことになって、ずいぶんたちます。これが改まる気配はまったくなさそうです。今年の1年生のゼミの学生に聞いたところ、11人中10人くらいが年間数冊かまったく読まないかという答えでした。残念ながら、これは格別珍しいことではないのです。

これを解消しようと、ゼミのはじめの15分ほどを本を読むことにあてるようにしているのですが、効果のほどは近年とくに芳しくないようなのです(少し前までは、本を読むようになったという学生が何人かいたのだけれど)。

ところで、彼らはなぜ本を読まないのだろう。ただ面倒だということなのだろうか。本を楽しもうとすれば、テレビや漫画と違って、想像しなければいけません—たとえば、舞台となっている街はどんな建物が経っているのか、主人公が着ている洋服は、笑った時の表情は、等々。また、意味を理解するためにも、想像する力が求められる。ま、今は、簡単に情報が手に入るし、娯楽も溢れているからね。

われわれの生活において、言葉が重要なのはいうまでもありません。

若者よ、本を読みたまえよ。そして、言葉の持つ力を育むのだ。

小説やエッセイ、わけても詩といった文学。これらは言葉、そして文字がないと伝えるのはむづかしい(音読という強力な方法があるけれど。でもこれはきわめて限られた相手のこと)。

それよりなにより、言葉が通じないと大変だ。「〇〇……」、「××……」「△△……」、「?」「?!」。自分が考えていることを言葉で伝えられないと、自分が2歳の乳児になったような気がするのです(これは、何回も経験した。もちろん、実際に2歳の時だった記憶はないけれど)。

自分の考えを誰かに伝えようとすると、その手立ての第1は言葉、そして図や表(これは、たいてい言葉で補うことを要します)。住宅でいえば、図面やスケッチ、そして模型などもある。さらには、ボディランンゲージというものもありますね。

以前、(とくに学生たちが好んで使う)「コンセプト」という言葉が嫌いだと書いたけれど、これは今でも変わりません。コンセプトを立てるという行為がだめだというのではなく、あくまでも、学生、すなわちデザインの初心者には有効ではないだろうということです。彼らは、(たぶん)初心者がゆえに、はじめのアイデアに縛られ勝ちだし、おまけに言葉(考えや内容)がすべてだと思い込んでいるように見えます。

それは間違い。と、言い切ってしまいます。言葉は、外在化されなければ(他者に対しては)、意味がない。手練れのデザイナーは、まず言葉によって新しいイメージを探そうとし、見つけ出したあとに、それをかたちに置き換えようとするのに違いない。誰も見たことのないイメージを直ちにかたちにすることはきわめて困難だし、言葉に頼るしかないだろうと思います(これだって、決してやさしくないけれど)。

たとえば建築家は、ある場面や関係を生み出すことを構想し、その後にこれを実現するための物理的な空間をデザインしようと腐心するだろう。この意味で、優れた建築家やデザイナーは同時に卓越した思想家であると言っても良い。

でもね、初心者である学生諸君がこのやり方を真似しようとしたらいけません。失敗するのが目に見えています。プロのデザイナーたちはデザインすることの経験を十分に積んでいるし、技術も備えているのだから。さらに付け加えるなら、言葉、あるいは文章でさえも、いちど視覚化した方がイメージが湧きやすいし、触発されてアイデアも生まれやすいと思います。

新しいことを見つけたい若者よ、まずは具体的なイメージ(もっと言えば、それに最も近くて既に外在化されたイメージ)より始めたまえよ(きみが優れた詩人、すなわち天才でない限り)。そして、育てよ。理屈やコンセプトはそれからだ。

繰り返すなら、テレビや映像とは違ってグラフィカルな情報がない分 、本を読むことは想像力を求められる。ということは、本を読めば想像力が身に付くということにほかなりません。そして、想像力を持ったなら創造力も。

文章を読むのに慣れていないと、写真や図無しには、読むのがむづかしいでしょう(ま、書き手の技量という問題もあるけれど)?
2015.08.08





#148 番外編 「初志貫徹」を疑う(教員コラム一部改変して再掲)

シンプルに考える

なりたい自分になるために
ついでに、昨年の教員コラム、「を疑う」シリーズ第1弾も再掲します(一部改変有り)。

複雑になりすぎた、知的になりすぎたと感じたら、「最初の衝動」に立ち戻れ。と言うのはロッカー佐野元春と、漫画家の浦沢直樹の二人。いずれも著名なクリエーターですが、二人の対談を見ていたら、二人ともが同じように言うのでした。

彼らはクリエーターとしての経験から言っているわけですが、これはクリエーターか否かのいかんにかかわらず、誰にとっても重要だと思います。

と言ったからといって、「初心を貫くべき」というのではありません。むしろ、僕が思うことはそれとは逆のことになるのかもしれません。

すなわち、最初の衝動に戻るというのは、最初の願望(たとえば、○○になりたい)の実現をめざして進めというのではなくて、 ○○になりたいと思った時の気持ちを大事にしようということだろうと思うのです。そして、 ○○になりたいと思った根幹にあることを生かせば良いので、その現れ方は変わってもまったくかまわない。

つまり、もともとの核にある種を大事に育てるということだといってもよいだろうし、ひとつのアイデアに固執するということではないはずと考えるのです。もしそうなりそうだと感じたならば、初心に戻れということ。 それが元の種、というか最初にがつんと心に響いたことから派生したものでありさえすれば、さらに変わってもいいのだと。


カスティリオーニの作品

ゼミの学生たちは、イタリアのデザイナーのカステリオーニ兄弟、とくにアッキレ・カスティリオーニの作品を研究していました。彼らは、世の中にすでにあるかたちを別のものに転用するということをやり続けたのですが、これは一見創造的なデザイナーとはいえないやり方のように思われそうです。

しかし、カスティリオーニが生み出したのは、好きか嫌かということは別にして、他に見られないオリジナリティに溢れたものだったし、もとのかたちが持っていた良さを発見し、これを生かすことを教えてくれただけでなく、ややもすると創造の世界においては(あるいは、生き方そのものにおいてさえも)オリジナリティをはじめから求めがちな風潮に対する、有効な批評にもなっていたと思うのです。


学生たちの作品

学生たちも、研究するだけではなく、学んだことを実際に生かそうとして、それぞれ作品を製作しました。これらについては、8月3日のオープンキャンパスでの展示、9月の展覧会開催のため鋭意準備中です。デザイン手法だけでなく、カスティリオーニに接した時に感じるところがあったはずなので、これも大事にしてほしいと思います。

自分らしくあるためには、何もかも新しく自分で新しくはじめる必要はない。最初は真似から初めても、やがて自分らしいものになってくる。これが世の中の大勢の人々(天才たちを含む)がやってきたことだと思います。むしろ、ずっと真似のままでいる方がむづかしいかもしれませんよ。

オリジナルな自分探し、オリジナルな種探しにかまけるのをひとまずやめて、もう少し自由になって、シンプルに考えて、やりたいことに取り組んでみたらどうでしょう。そして、自分のやりたいことを続けるためにどんなことが必要かを考えるとよいと思います。少なくも一定の期間は、続けることが大事なのは間違いがないところだし、あんがい世の中は自分と同じではないことも多いから。

佐野も浦沢も、そしてカスティリオーニ兄弟も、つまりは同じようなことを言っていたように思えます。

余談ながら、少年の頃、佐野は漫画家に憧れ、浦沢はロック・ミュージシャンを夢見ていたそうです。
2015.07.30



#147 番外編 「オリジナル信仰」を疑う(教員コラム一部改変して再掲)

他者に学ぶ

「デザイン」という行為について
先日、受験生向けの教員コラムを執筆しました。「を疑う」シリーズ第2弾です。

昨日は演習系科目の優秀作品を集めた合同講評会だったのですが、担当した2年生の作品が既存の作品に似ていることがちょっと話題になりました。実は、住みたい建物を探してきて、気に入ったところを新しい敷地や居住者にあわせて計画するというものだったのです(すなわち、学生諸君はゼロから始めるのではなく、参照する作品があったことになります*)。

ともあれ、在学生諸君にもいくらか役に立つかもしれないと思ったので、一部改変して再掲することにしました(リンクを張るだけでもという気もしましたが、面倒がるかもしれないし、受験生と学生諸君に向けて書くのではいくらか違うところもある)。

設計等の演習科目を履修している皆さんは、「デザイン」に何が必要だと思っているのだろうか。「使いやすさ」、「耐久性」、「かっこよさ」?これらは、「用」、「強」、「美」と呼ばれるデザインの3大要素ですね。それから、「独自性」を挙げる人も多いのではあるまいか。いずれも当たり前のことのようですが、とくに4番目の要件は少々やっかいです。他とは違う「オリジナル」なものをどうして生み出すのか。多くの人が苦労しているようです。

今年の3年生のゼミでは、昨年のアッキレ・カスティリーニに加えて、アンディ・ウォホールマルセル・デュシャンなどの作品の制作手法について考え、ここで学んだことを援用して作品をつくることをめざしてやってきました。一言でいえば、「デザインとはどういう行為か」ということについて理解を深めようということなのですが、昨年に比べると、分析的というよりは総合的に、元となった思想よりも手法、その現れ方に重きを置いてやってきました(でも、先日4年生からこのゼミでは何をやっているのでしょうか、と聞かれた。残念。オウ・マイ・ゴーッド!という感じ。反省)。

抽象的な理念でわかったつもりならないように、そしてとくにつくる際には理屈だけということにならないようにという気持ちからのことでしたが、果たして伝わったかどうか。そして、もうひとつ、何かをつくろうとする時に、はじめからオリジナルなものから出発しなければならないという考えから自由になってほしいとの願いがあったのでした。学びはじめの頃には、とくに大事だと思います。

ところで、上にあげた3人は、いずれも「レディメイド」、すなわちすでにあるものを使って作品をつくりあげたデザイナー、芸術家です。

彼らを分類するならばデザイナー、美術家で、少なくとも建築家やインテリア・デザイナーではありません。一方、ゼミ生たちは空間のデザインに関心を抱いて当ゼミにやってきたのです(たぶん)。にもかかわらず、空間に関わるデザイナーを取り上げないでプロダクトやアートの分野で活躍した人物を取り上げたのは、ちょっと変なようですが、ちゃんとした理由がありました。彼らが「すでにあるものを使ってデザインする」ということを最も端的に表現していたためなのでした(建築の分野でも、同様なことはもちろんあるのですが、ちょっとわかりにくいことがあるのです)。


本年度学生の作品


昨年度学生の作品

ただ、今年は表現する対象を空間に限定することにしました(昨年は、とくに決めなかったのですが、カスティリオーニの作品の影響が大き過ぎたようで、照明器具が多かったのです。アタマをやわらかく!)。学生たちは、すでに存在しているものを使って、バス・ストップをデザインすることに取り組んできました(オープンキャンパスで、展示する予定)。

創造するという行為は、過去のものを再生産することではないし、過去に縛られるものでもないことはあきらかだと思いますが、それでも過去の作者たちや彼らの作品の上に成り立っているはずなのです。近代デザインの父とされるウィリアム・モリスや20世紀後半のある時期に世界の建築理論をリードした建築家の磯崎新、最強最長のロックバンドのひとつローリング・ストーンズのギタリストであるキース・リチャーズ、さらにはデザイン大国イタリアのボローニャ博物館の館長の、そのいずれもが言葉は違っても、「過去に学ぶ」重要性、あるいは「過去のものから出発する」ことの有効性について言及しています。

ところが、学生たちを見ていると、オリジナルなアイデアを求めようとして、ずいぶん長い時間を使っているようなのだね。そのせいか、最初のアイデア(≒コンセプト)に執着しようとしているように見える。他者の作品を参照し、触発されたアイデアから出発し、これを育てようとするやり方はほとんど見られない。いわば、オリジナル信仰症候群と呼びたくなるような案配です。

オリジナルであることや自分らしくあることは誰しもが望むことだけれど、最初からそうである必要はないし、そもそもできないと言っていいと思います。

設計の演習だけでなく、レポートや作文などでうまく行かない時は、はじめは借り物でもいいから、これを「自分だったら」という気持ちで眺めながら、少しずつ思いついたことを加えながら育てていくと、やがてあなたらしいオリジナルなものができるはずなのです。あなたの目に見えるものが、あなたを触発し、新しいアイデアを呼び起こすのだと思います。「アイデアを忘れないように、ノートと鉛筆を手放さない」、「描くことで、思考が深まり建物の形が見えてくる」とあったのは、世界的な建築家ノーマン・フォスターのドキュメンタリ映画でした。
2015.07.30
追記:ちょうどこの後、東京オリンピックのエンブレムとベルギーの劇場のロゴマークとの類似性が指摘されたことに驚きました。ここまで似ていると……。さらに、これに先立ってつくられたというバルセロナのデザイン事務所の東日本大震災復興支援のための作品まで出てきて、悪い冗談のようです。いったいどうなっているのだろうか。2015.07.31



#146 キャンパスの夏風景

2015年の夏

強烈なコントラスト
このところ、急に暑くなりましたね(と思ってから、もう何週間かたっってしまったけれど)。ともあれ、梅雨も明けて一気に夏本番。一段と暑くなってきた。

「むかしは30度を超えることはあんまりなかったですよね」と言ったのは、あの暑いことで有名な京都育ち(「口紅が溶ける暑さ」と評した女性がいました)。「そうそう」と答えたのは、やはり暑い九州で育った僕でした。こちらはそんなにはっきりとした記憶があるわけではないのだけれど、 だいたい、25度を超える日を夏日と呼ぶことからも確かでしょう。

それが今や日本全国、南から北まで、30度超は当たり前で35度を超えることだって珍しくない。真夏日、これは30度を超える日のことだし、35度以上の日は猛暑日(猛烈に暑い日というkとだろうか)などと聞くだけでも汗が噴き出しそうな恐ろしい名前が付けられています。

大変な時代になったものだと思います(気温の上昇や天候の急変は、何が原因かは別にしても、人間の仕業、とどまることを知らない欲望によるところが大きいことは疑いないところでしょう)。

今年の夏は、暑さ以上に、忘れられない夏になりそうです。とても常識では理解できないことが進行している。自然をコントロールできないのはしかたがないとしても、社会のルール、運営については、知性や知恵が効くはずと思っていた(というより、思いたかっただけなのかもしれません。ま、世界を見渡すと、そうでもなさそうだと思わざるを得ないようだから)。それにしても…、と思うのです。

世論の反対が強くなったと言ってひとつはついひと月ほど前にそのまま進めることを決めたばかりだったのに遅ればせながら見直すと言って白紙に戻し、もうひとつについては国民の理解が進んでいないと言いながら強行する。この2つの間に共通するどんな理屈が存在するのか、反対か賛成かということを超えて、 その規範は何なのか、 誰のための政治か、と暗澹たる気持ちになります。そして不気味さを感じてしまうのです。


青と白

それでも、青空の鮮やかさや、緑の深さ、そして水を満々と湛えた川面の強烈な太陽の光を照り返して白く光る様は相変わらずです。


緑陰


川面

あかるく青い空と白い雲、光を浴びた葉の色と緑陰、光の白銀と水面の深い青。夏の風景は、とくにコントラストが際立って美しい。人間より自然の方がよほどましなように思えてきます(ただ、自然は残酷な仕打ちもするし、人間にも素晴らしい人たちが存在するけれど)。しかし、これらもいつまで維持されることができるのか、不安になるのです。と言って黙って手をこまねいていたら、誰かが代わりにやってくれて維持されるわけではないことは、言うまでもありません。
2015.07.29





#145 縦のものを横にしてみる

もったいないなあ

美的センスよりも大事なもの
「縦の物を横にもしない」というのは、めんどくさがって何もしたがらないことのたとえですね。学生諸君のなかにもこういう人がけっこう多いのではあるまいか。確信を得られるまで考えて、それから手を動かすという人も同様です。

でも、これは損。大損ですよ。

と言っても、「アタマを信じ(過ぎ)ている」学生諸君には、なかなか理解してもらえなさそうですが(エスキスの度に思い知らされることだから、ちょっと自信があるのです。赤や青の修正の入ったエスキスを描き直すことなく、そのまま持ってくることが珍しくないけれど、論外)。でも、今日来たメールの中に、まさに 「縦のものを横にしてみる」ことの効果を思い知らされないわけにはいかないような写真があったのです(毎日たくさんやってくるメールで、こんな幸運は滅多にない)。下の写真をとくとご覧あれ。


食器棚(縦)

どうです。不要になったという食器棚の写真ですが、欲しいと思いましたか。正直に言うと僕は全然欲しくない。

それでは、次の写真はどうでしょう?


食器棚(横)

メールには、こんな形で添付されていたのですが、僕はおっと思った。すぐに、さて、壁に直付けして使えるところがあるかと探し始めたくらいです。どこにでもあるようなスチール製の棚とは気づきませんでした。というか、ちょっと洒落てるなと感じたくらいです。棚をデザインする時の種になりそうです(機会があればいいのだけれど、そんなことは気にしている場合ではありません)。ただ、縦のものが横になっていただけなのにね。

感覚がおかしいよと言われたらそれまでですが(早とちりも認めますが、それはそれとして)、ぼくはそう言う「あなたは残念」という感じで、もったいないなあ、もっと言えば……(やめておきましょう)、という気がするのです。よしあしというよりも、たぶん、ほんのちょとした違いをおもしろがることができるかどうかが重要なのだね。

ともあれ、 このことについては自身のセンスを疑うことより、あなたの態度(美的感覚ではなく)が惜しいのです。 よほどの天才なら別として、残念ながら、そういう取り組み方ではデザインには向いていないと言うしかなさそうです。

でもね、だまされたと思って、横のものを縦に(あれ、縦のものを横にじゃなくてと言いそうなあなた、そのくらいの注意力があれば大丈夫。むろん逆でもいいので)してみてください。きっと、いいことがあると思いますよ。

良いデザイン、気に入ったデザインを得るためには、ほんのちょっとした手間を惜しむかどうか、少しずつ育てることを続けようとするかが決定的なのだよ。
2015.07.14





#144 公徳心の行方

想像力の欠如

若者に期待するしかない
先日、3人で担当する演習を終えたあとのこと。一人が、まだ残った学生のエスキス・チェックを続けていたので、われわれも待つ間、お喋りしていたのです。

やがてエスキス・チェックを終えた同僚が合流して、新国立競技場の行方から今のわが国の状況について、そして現在の日本人の社会との関わり方や公徳心へと話題が移っていった。

一人は、日本人の美意識から出ていると言い、もう一人があんがい懲罰を恐れたせいではと言う。残りの一人は、信号の遵守についての体験を語った。外国旅行の後で考えが変わったというのです。すなわち、 「フランス人は車が来ていなかったらためらわずに渡る。たぶんイタリア人も」。「でもね、ドイツ人は守るようだよ、たとえば、ワイマールだったかデッサウだったかの細い道で、車が通りそうにもないのに信号が変わるのをじっと待っていたよ」。「そうそう、ドイツ人はね。かつて、足が出ているよ、と注意されたことがある、ちょっと出ていただけなのにね」。「日本人とドイツ人は似ているのかも……」。

さて、日本人はどうでしょう。3人がどうしているかと言えば、車が来ていないことが確認できたら、もちろんためらわずに渡ります。今では、たいていの人がそうするのではあるまいか。よく言えば、規則に柔軟に対応する、悪く言えば、たがが外れて自分のことを優先するようになったのではあるまいか。相対的に見て、日本人は以前よりもせっかちになったし(横浜でも、信号機は変わるまでの時間を表示するようになった)、ルールを守らなくなった。

以前に書いたかもしれないけれど、何が原因かはともかくとして、10年前とそのあとではずいぶん様相が変わったような気がするのです。公徳心や人の視線ではなく従うべき自身の美意識、あるいは他者との相互信頼、すなわち想像力というものが、急速に失われつつあるように見えるのです(信号待ちの場合だったら、目くじらを立てる必要もない気がするけれど。一事が万事ということもある)。

10年ほども前に、日本に行ってきたばかりだと言うある英国人と話していた時に、彼はオックスフォードの汚さを嘆きながら、「日本の都市の美しさに驚いた。ゴミがひとつも落ちていなかった」と言ったのでした。さほど昔のことではないにも関わらず、もはや、遠い時代の出来事のような気がするのです。


路上のビニル袋と路傍の草

残されたゴミ袋

ともあれ、今はあきらかに日本の町が汚くなってきていますね。たとえば、当時のイギリスの都市のように(たまたま思い出しただけです。おとしめる気はありません。ある物理学者は、彼が住んでいた「ロンドンは世界一汚い都市」と言った。わが国の風景も、今や都市部、田舎の別を問わず、これと変わるところがなくなってきたのではと思います。残念ながら、スーパーのビニル袋やコンビニの弁当箱が捨てられているのを見ることが珍しくありません。タバコのポイ捨てもよく目にするし……。歩いていても車を運転している時でも、道でも川でも、建物の外でも中でも。もはや、ところかまわずというように見えるのです(これは若い人に限ったことではなく、老人もおなじです。もしかしたら、こっちの方がたちが悪いかも)。ゴミ収集日のルールさえ守らない人も増えている。

かつての清潔な町の風景を取り戻したいと願うばかりです。一人ひとりが気をつければ、何でもないことなのにね。今や、われわれを取り巻く状況は場面を問わず悪いことばかりで、ナイス・スペイスということとはほど遠い状況のように見えてしまいます(やれやれ、……)。

いっぽう、何でも「道徳」という授業で教え込もうというのにも違和感を感じてしまうのです。

ともあれ、「それでも、若い人には期待するしかないね」というのがミドルエイジの男女と老年男性3人の結論でした。
2015.07.13





#143 水の国

美しい風景

水に映える花
久しぶりに窓際の席に座ることになった。何かと言えば、飛行機の座席のこと。何年か振りに窓際の席に座って、機上からの眺めを楽しんだのです。

と言っても、 海外旅行じゃありませんよ(そうだったらいいのだけれど、今のところありそうもないのが残念)。 それではどこへ行ったのかといえば、 福岡へ向かう飛行機の中のことです(このところ乗る機会が増えて、ひと月かふた月かにいっぺんくらいの割合で乗っている)。ふだんは、荷物がおろしやすいように、すぐに降りることができるようにと思って窓際を選ぶのですが、今回はちょっと早い時間でもあったので窓際にしたのでした。

機内に乗り込んだ時には、窓のシャッターが下ろされていたので、開けるといけないのかしらんと思いながら座っていたのですが、そのうちにそっと開けてみると誰もとがめる人はいませんでした(あたりまえ!?)。そういうわけでずっと窓の外を眺めていたのですが、全然退屈しませんね。

はじめは雲のかたちの面白さ、青空の色の微妙な変化に目が行っていたのだけれど、やがて着陸体勢に入ると海に浮かぶ四角い埋め立て地が目に入ってきた。さらには、町、そして畑や田んぼも。当たり前のことだけれど、ブラジルの建築家オスカー・ニーマイヤー(このところ、ちょっと好きになってきた)が言うように自然は曲線でできていて、人工物の多くは直線でできていることを思い知らされたのです。


水を湛えた水田

電車に乗り換えて進むうちに、今度は田んぼ。水を湛えた田んぼはところどころで青い稲の苗が顔を出している。ほんとうに美しい光景で、見ていて飽きることがありません。ずっと見ていたくなる。つくづく、日本は水の国なのだということを思わずにはいられなかった(いつの間にか、こうしたことに対する感覚が鈍くなって、ぼんやりと過ごしていたようです。反省)。これからは、わずかの効率を求めることはやめよう、と誓ったのでした。ただ、高速で走る車中から、おまけに曇の多い天気では、写真を撮ることはむづかしい。

田んぼの水の他にも、川の水、雨。さらに言うなら、水盤、夏の打ち水というのもあるね。


羽田空港の小さな池

そういえば、これまでに何回か書いた羽田空港のフードコートにも、水を抱えたちいさな池がありました。今回、改めて観察してみたら、ここを設計したのは著名な造園家の石原和幸だということがわかってちょっと驚いた(そうならば、上部の造葉にも気を配ってほしかったな)。

で、実家に戻った翌日、さっそく裏山に登ってみた。ひと月ほど前とはまったく変わっていましたね。悪い変化は、草花と芙蓉の木があったところは伐採されて、車の回転のためのスペースと化していた。舗装こそされていなかったのだけれど、何だろうね、これは(ほんのわずかの経済や効率のためだと思うけれど、ほんとうに馬鹿げたことだと思います)。


裏山のあじさい

しかし、いいこともあった。花の種類は多くはなかったのだけれど、色とりどりのあじさい、ごくふつうに見るものののほかにも額あじさい、が咲いていたのです。あじさいもとても水が似合います。ことに、雨上がりのあじさいの美しさといったら…、ね。この時期ならではのことでした(今までは、見ることがなかった)。

水の国に生まれたことの恩恵を満喫しました。これで、ちょっと寿命が延びたような気がする。
2015.07.04





#142 雨の季節

あじさいとさつき

アパートの庭
あっという間に6月。天気予報によれば、今週中に梅雨入りしてもおかしくないということ。実は梅雨入りはいつももっと遅いと思っていたのですが、関東地方では平年は6月8日という。あんがい早いのにちょっと驚いた。となると梅雨はひと月どころか、一月半ばかりも続くことになりそうです。


西のあじさい

梅雨入りとなれば、雨にもっとも似合う花はと言えばあじさい。我がアパートの庭の隅にも一株あって、すでにきれいな花をつけています。瑞々しくて、薄紫の色も美しい。決して気取ってはいないのだけれど、華やかさがあってすてきです。雨の日はいっそう魅力を増します。


東のさつき

一方、反対側、東の端に目をやれば、ツツジに似たさつき(ツツジ科でさつきつつじともいうらしい)が紅紫色の花を咲かせています。そして、こちらの方は庭がきれいに手入されていて、気持ちがいい。

ところが、アジサイの方、つまり我が家の近くに目をやれば、草花がぼうぼうの状態。伸び放題になっています(つい、こないだ刈ってもらったばっかりなのですが)。

というのも、この庭は見るためのものでも使うためのものでもありません。なぜか、簡単には出入りできないようになっている。そこで、年に何回か大家さんが業者を使って刈り取ってくれるというわけ。庭の東の方は、居住者の一人であるガーデニング、家庭菜園好きのおじさん(こないだは、紫たまねぎをいただきました)が手入れしているのです。草をていねいに抜いて芝を植えているのですが、それでも草はどんどん生えてくるらしい(自然には勝てないね、と言っていました)。

この庭を眺めていると、やっぱり伸び放題になった草花が気になるのです。草刈り機を買おうかと思案中。そして、ほんとうはバルコニーから直接庭に出れるようにしたいところだけれど。手始めに、狭いバルコニーにすのこでも敷こうかしら(狭くても快適に飲み物が飲めるバルコニーを、ある建築家の自邸で経験したことがあります)。朝は小鳥もきていることだし、やるべきなのかも。

これはちいさなことだし、とくに生活に直接支障があるわけではないのだけれど、こうしたことをそのまま放っておくと、何でもがどうでも良いというようになって、まずいのではないかという気がするのだよ。
2015.06.06





#141 キャンパス通信編 若葉の頃

5月のうちに

若葉の似合う月
若葉が美しい。


5月の中庭

あかるい光を浴びたやわらかな薄緑の葉葉はいかにも若々しく、これから成長するのだということを感じさせて、とてもいい。なんといっても5月です。

今年はいつも以上に(というのも変だけれど)異常気象のようで、5月だというのに夏日が20日を超える勢いで観測史上最多という。そのせいか、キャンパスの緑も日に日に緑陰の濃さを増して、あっという間に若葉の頃を過ぎてしまいそうです。そして、気がつけばその5月ももうおわり。すぐに梅雨、そして夏になるのに違いない(やれやれ)。


研究室から見た中庭

時の過ぎぬ間に、若々しい緑の美しさを満喫することにしよう。5月のことは5月のうちに。

ところで、今年3月に卒業した諸君は、新しい世界にもう慣れた頃だろうか。そして若葉マークが外れた先輩諸氏の中には重さを増した責任にとまどっている人がいないだろうか。浮き世のことはしばらく忘れて、キャンパスの美しい景色を見て寛いで。
2015.05.31





#140 番外編 ねこに未来はない

ある詩人の死

再読、再見するということ
ある朝、新聞を手にすると、長田弘の訃報が載っていた(5月3日に亡くなったとのこと。75歳。死因は胆管がん。今の時代からするといかにも早すぎるという気がします)。第1詩集「われら新鮮な旅人」をはじめとする著作で知られた詩人ですが、一般的に定着している詩人像とは異なって、難解な言葉ではなく、平明な言葉でイメージとメッセージを紡いだ詩人であり、思想家だったと言っていいと思います。しばらくよく読んでいた時があった。しかし、不思議な事に、彼をアイドルと思ったことはないのです(なぜなのだろう)。


長田弘*

わけても「ねこに未来はない**」が(詩よりも)好きだった。いつごろ読んだのかな(たぶん、大学生の頃ですね)。だいたい「ですます調」、というか、いわゆる「童話」調でつづられた文は苦手なのだけれど、どういうわけかこの本がとても好きだった時期があったのです。そして、いつの間にか、いつも読み返そうと思っていたのに、読むことがなくて眺めていただけでした(映画にもそうしたものがあります)。

久しぶりに取り出してみると、細かい字が並んでいたのにはちょっと驚いた(だいたい、童話、あるいはそれに類するものは大きな字で書かれるものでしょう。また、最近の本は、かさを増すためか、あるいは年寄りにやさしくしようというのか、大きな字の本が多いのです)。これから、何十年か振りにまた読むことにしようと思う。ついこないだ、「懐かしむには遅すぎる」と書いたばかりなのに(いつだって、これからが大事なのだから、という気持ちでした)。


ねこに未来はない表紙***

読み終ってみると(あっという間に読んでしまったのは、物語の推進力)、ちょっとだけ苦い気分が混じるのでした……。たぶん、尋常ではないようなその柔らかな言葉と態度が、憧れながら遠くから見つめることはあっても、決してアイドルとならなかったのは、それを真似しようとしても体現化するのが不可能であることを感じていたのだね。そして、もうひとつには、猫を自身になぞらえていたのかも…。

そう言えば、このすぐ直後に、「私が古い映画に回帰するのは、ただ、それをもう一度それを見たいからではなく、初めてそれを見たときの自分の感性を取り戻したいためなのだ(映画それ自体に関してだけではなく、当時のあらゆる自称に関して)****」という文章に接したのだけれど、きっとそういうことなのだろうね(ところで、その後角川文庫でも出ていたようだけれど、こちらを読んだならきっとまた違った印象になるのかもしれません。ただし、いずれも古本でしか手に入らないようです)。

長田弘は現代においてはずいぶん早い死を迎えて去ってしまったけれど、さて、残されたものにはどんな未来があるのだろうか、はたまたないのか。

* 写真はみすず書房のHPから借りました。
** ねこに未来はない 長田弘 1972年12月 晶文社
*** 写真はアマゾンのHPから借りました。
**** 父と息子のフィルム・クラブ デヴィッド・ギルモア 高見浩訳 2012年3月 新潮社
2015.05.30





#139 反省と居直り

パーティ

嬉しかったこと、寂しいこと
先日、とあるパーティに出かけたら、そこでゼミの卒業生たち(2期生から今年3月卒業の10期生までの何人か)や新旧の同僚たちと会いました。僕自身は日頃積極的にこうした集まりを持とうとしないので(反省)、とても面白く、かつ楽しかった。


パーティ

皆元気で、それぞれの場面で活躍している様子を知れて、とても嬉しかったのです。そのときは、職場とはまったく関係の無い人々も集まっていて、知っている人、初めて会う人たちが混じっていたのですが、彼らの方はもう少しというかけっこう年が行っていて、社会的にも認められている集団(版画家、建築家、活動家、研究者等々)のようでした。

その時に思ったこと。

僕がもうちょっと立派な人間で、もう少し優れた教師だったならば、彼らはどうなっていたのだろう。

当然、今とは違う状況、人間になっていたかもしれないはず、と思います(あ、案外そうでもないかもしれない、という気もする。たいていの場合、教師の影響力はさほど大きくないのかもしれないのだからね)。

ともあれ、それぞれが夢を抱き、それを忘れずに過ごしている様子を見ていると、とても気分がよかったのです。

だから、今となれば、皆さんが在籍していたときの状況はしようがなかったとあきらめて(居直り)、ぜひこれからを実り多いものとしてください。

どうかこれからも、努力と楽しい日々を。


おごちそう

ところで、このパーティがお別れの会だというのがちょっと寂しい(実際には主が新しい事を始めるために引っ越す事になったのだから喜ばしい事なのですが、これまでここは集まる機会を提供してくれてもいたのです)。これからは、自分自身でこうした場を用意する事を考えなければいけませんね(もちろん、人が集まるためには、「場」があればそれでたりるというわけにはいかないのだけれど)。

2015.05.09





#138 新学期特別編・3 こういう人になりたい

なりたい自分に近づくために

アイドルを捜せ
少し前のことになるけれど、雑誌*を読んでいたら(恥ずかしながら、この年になっても雑誌好き)、「こういう人がいい、こんな人になりたい」といったような特集が目に止まった。そこには、条件が5つ挙げられていたのです。

挙げてみようか。

条件1 ぶれない人
条件2 バイタリティのある人
条件3 媚びない人
条件4 正しい大人が味方にいる人
条件5 ”つぎのひと”が近くにいる人

この中で、自力でできることとしては条件Ⅰ〜3、自分だけではどうにもならず他者の力が必要になるのが条件4、5。僕自身に当てはまるものとしては何があるのだろうかと考えて、かろうじて条件1と3を思いついたけれど、残念ながらすぐに、相当甘くしてもなお怪しいから、願望という方が正しいことに気づいた。

さて、 皆さんは幾つ当てはまるのかしら。

いよいよ新年度が始まりましたね。

なりたい自分に近づくべく、努めようという気持ちを新たにします(これは、年に関係ない)。そのためには、こんな人になりたいと思えるような実在のアイドルを見つけて、真似をするのがいちばん(付け加えれば、アイドルは何人いてもいいのです。しかも、特定のジャンルに限ることもない。むしろ、多岐にわたるアイドルを見つける方がよいのかもしれません)。簡単で、しかもおもしろがりながら世界を広げることのできる方法だと思います。


ごぞんじ安藤忠雄**

先日、そんな話しをしたところ、一人の学生は安藤忠雄の本を読んでいて、「おもしろくて、すごい人だ思います。他の本も読みたい」と言いました(こんなふうにして、アイドルを見つけていくといいのです)。


70年代のヒーロー藤竜也***

さて、 僕自身はと問われたならば、最も新しいアイドルとして藤竜也さんを挙げておくことにしよう。つい先日掲載された新聞記事を読んだのですが、謙虚でありながら俳優としての自信(あるいは矜持)を持ち、しかもひょうひょうとして気負ったところがない。素晴らしいと思いました。また、かつて撮影現場で、立ち会っていた映画界の大物プロデューサー角川春樹が声を上げた際に、近寄って「じゃまです」と言ったというエピソードもあるようです。こんなふうにありたいものだと思って憧れるのです。

彼はほぼ半世紀も前に一世を風靡した俳優ですが、近頃は目にすることがなかった。それがこのところ急にまた復活してきたように見えます(もしかしたら、僕が知らなかっただけで、ずっとコンスタントに活躍していたのかもしれませんが)。やっぱり、日々の積み重ねがものをいうのでしょうね(天網恢々疎にして漏らさず)。

皆さんも、憧れてお手本にしたくなるような人(アイドル)をぜひ見つけてください。

それでは、よいGWを。

* BRUTUS NO. 795 次は誰? 明日を切り開く人物カタログ
** 写真はウィキペディアから借りたものを加工しました。
***写真は藤竜也エージェンシーオフィシャルウェブサイトから借りたものを加工しました。
2015.04.25





#137 新学期特別編・2 光陰矢の如し

壺中日月長

懐かしむには遅すぎる
帰省して、早い食事を済ませ、洗いものも終えてしまうとさしてやることもなく、テレビを見るともなく眺めていると、流れてくる歌に驚くのだ。

あの歌も、この歌も、何十年も前の歌だったのです。つい最近とはいわないけれど、まさか何十年も経っていたとは……!?。歌が流行った年が表示されるたびについ、あの時は幾つだったのだろうと計算したりして、思わずため息とともに深い感慨にとらわれるのだった。

もう一度、目をあげてみると、歌っている歌手の姿はまぎれもなく何十年も経ったことを示している。そして同時に、自身がこの間ほとんど何もしてこなかったことも思い知らされるよりないのだ(これは、きっと僕だけのことだろうけれど)。

でも、これまでの何十年もこれからの何年かも案外変わるところはないのだとも言えるのではないか、という気がする(言い訳じみますが、第一、失われた時間を取り戻すことはもはやできない)。重要なのは、たぶん、取り組み方次第、気持ちの持ち方次第なのだ(というか、そう思わないとやってゆけません)。


「壺中日月長」軸(一部)*

そして、ふと目をそらすと壺中日月長の書が目に入った。もう亡くなってしまった父がむかし書家に書いてもらったというもの。こちゅうじつげつながし、と読みます。壺中すなわち 壺の中の狭い世界、別天地、ひいては悟りの境地のことで、「日月長」とは、のんびりとした時間が流れている様をいうのだね。

ここからの説明についてはおおむね、臨済禅黄檗禅公式ネット臨黄ネットの法話と禅語の中の壺中日月長の項の説明によることにします(字句は、少し変えたところがあります)。

その昔後漢朝の頃、汝南の町に壺公と呼ばれる一人の薬売りの老人が住んでおり、壺公はいつでも夕方、店を閉めると店頭にぶら下がっている小さな古びた一箇の壺の中に、飛び込んで身を隠してしまう。これをたまたま目にした費長房という役人が、ぜひ一緒に連れて行ってくれるよう頼んだところ、壺公は承諾し、ある日の夕方、費長房を連れて壺の中へひょいと飛び込んだ。
入ってビックリ、壺の中はこの現実の世界と同じように広大無辺で、一箇の別天地を造っていた。金殿玉楼が聳え、広い庭園には珍しい樹や花がいっぱいに花を咲かせ、泉水などもいたるところに設けられていて、目を見張るばかりのすばらしい世界だった。  壺公はその国の主人で、仙人だったのだ。費長房は、侍女たちから美酒佳肴のもてなしを受けたり、いろいろな仙術などの指導を受けたりしたあげく、現実の世界に帰ってくると、本人は二、三日滞在したばかりと思っていたのに、十数年も経っていたというのだ。わが国の浦島太郎のようなお伽話と同じです。
すなわち、「私が」といったエゴを断ち切って、何ものにもとらわれない大きな心を啓発すれば、狭い我が家もそのまま、すばらしい壺中の別天地であり、職場もまた、そのまま桃源郷となるはずです。さすれば、日月長し、二十四時間精いっぱい使いきって、充実感あふれる一日を過ごすことができるのではないでしょうか。

と教えてくれるのですが、僕が思ったのは(自身が)ただぼんやりしながら長々と暮らしてきたのだなあということだったのだけれど。ま、過ぎたことはしようがない。ともあれ、これからは……、と思う次第。

ちょっとこの欄のタイトルにはそぐわない内容なのだけれど、ナイス・スペースといっても必ずしも物理的な空間ばかりではないので、何回目かの決意表明を兼ねて番外編として載せることにしました。

ということで、これまでうまくいかなかった皆さんもがんばってください。心機一転は、何も新入生や新入社員ばかりではありません。

*写真を探したけれど見つからず、とりあえずはその一部が写っているものを。
2015.04.25





#136 新学期特別編・1 死に備えよ

日々をていねいに暮らすために

生活空間の整理整頓のすすめ
ちょっと物騒な題で始めたけれど、……。

メールボックスのある部屋で、ばったり出くわした同僚との会話で考えたことを。その日は水曜日だったけれど、僕は金曜日の授業で配布する資料をプリントしていたのでした。

「いつの?」
「金曜」
「早いね」
「うん、近頃は(こうしたことは早めに済ませて)もっぱら研究室や家の整理整頓を……」
「ぼくも」
と答えて、彼は「いつ死んでもおかしくないからね」と続けたのでした。僕はすこし驚いた(もとよりそんなつもりで言ったのではないし、いささか唐突でおおげさなような気がした)のですが、すぐに思い直した。

たしかに、人生いつ何が起きるか分からない。そして、今日という日は2度と戻ってこない。もう少し現実的なこととしては、言われてみれば確かにお互いに何があってもおかしくない、そんな年になってしまった。さらに、なんといっても、彼は日々大変な激務を、手を抜くことなくやっているのだから、そう言うのも無理からぬことかも……、と思ったりしたのでした(相変わらずぼんやりと暮らしている身としては、ちょっと複雑)。

ほんとうは彼のように毎日を真剣に過ごさなければいけないのかもしれませんが、でもとても無理。だから、せめてできるだけていねいに暮らすことを心がけようと思うのです。片付けはそのためのはじめの第一歩)。


研究室*

ゼミ室**

ともあれ、片付けや模様替えは気分を変えるのに最も適したことのひとつです。いちばんいいのは環境そのものを変えることだけれどね(たとえば、職場を変える。これがむづかしければ、引っ越してみる)。これらのことが実践できればいちばんいいのだけれど……と思っていたら、これを実際にやってのけた人が近くにいました。横浜の都心から静岡の田舎に引っ越して、古い家を改装して住みながら、しかもこれまでの仕事に加えて新しい仕事をはじめるというのです。

彼のように、いろいろなしがらみや状況をいったん断ち切って、いちばん大切だと思えることに思い切って舵を切ることができればいいのだけれど……(こんなふうに言っているうちはたぶん、だめですね。やれやれ)。

だから、せめて少しずつでも整理整頓をしよう。そして、仕事もちゃんとやろうと思うのです(遅ればせながら、新年度の所信表明です)。

気分一新、心機一転しなければと思っている人も、そうでない皆さんもぜひ、部屋の片付けと模様替えに取り組むといいと思います。

* 作業用テーブルの上を片付け、前方の棚をすっきりさせました(ちょっとは気持ちも晴れるかも)。
**作業用テーブルの前方の棚の上にあった本のディスプレイボードを移動しました。このせいで、ちょっと研究室とゼミ室との分節が強くなりすぎてしまったのが残念。考えなければいけません。研究室の複数の時計が落ちてこわれてしまいましたが、そのうちに復活させよう。
2015.04.17





#135 速報 空き家プロジェクト・オープンハウス

学生たちが成し遂げたこと

Do it yourself(生活者としてのデザイナー)の勧め
学生は不思議だ、といつも思う。実際よくわからないのです。もう何十年も学生たちを相手にしてきたけれど、本当にわからない。

いつもはきちんとやっているように思っていた学生が、ある時は手抜きをしたようにしか見えない時がある。かと思えば、おちゃらけてばかりいるような学生が、びっくりするような成果を差し出す時がある。

今回、空き家プロジェクトの見学をした時も、そのことを思い知らされました。学校ではなんだかやる気を失っているように見えた学生や、目立たない学生(もちろん、日頃から一生懸命取り組んでいる学生もいるのですが)たちの成し遂げた成果は素晴らしかった。

現在、空き家問題でどこも大変ですが、彼らはこの問題に取り組んだ。空き家を自分たちで改装(D.I.Y.)してシェアハウスとして再生しようとしたのです。で、そのお披露目会に出かけてきたというわけでした。

話しには聞いていたのだけれど、そこは細い坂道を何分も歩かなければいけないようなところで、まずそこにたどり着くのに骨が折れる。だから、そこを学生のためのシェアハウスにしたのは正解。少なくとも、僕はとても住めそうにありません(この日も、あまりの急坂、長さ、細さに写真を撮るのも忘れてしまったくらい)。


祝オープンハウス

ここまで材料を運び込むだけでも大変な思いをしただろうというのは容易に想像がつきます。そして、経済や技術的な制約もあったに違いない。それにもかかわらず、ところどころプロもかくやと思わせるような出来映えのところもあった。たぶん、彼らが楽しみながら作業を続けたということに違いない。

バルコニーからの眺め

ことに、彼らが新しく付け加えたベランダから見る夕刻の風景は素晴らしかった。とても気持ちのいい場所となっていました。苦労が大きいほど喜びも大きいということがよくわかります(この時、お酒も用意されていたのですが、飲めなかったのが残念)。僕も、アパートのベランダを拡張しようかと改めて思ったくらいでした(借家だけれど)。

それより何より、「やり遂げた」という喜びにあふれた学生たちの表情がいちばんでした。このプロジェクトを始めた卒業生や手伝ってきた学生たちは本当に嬉しそうだったし、誇らしさに満ちていた。ただ、彼らの達成したことを祝い、分かち合う人(とくに日頃学内で一緒に過ごすことの多い人たち)がの姿が少なかったことが返す返すも残念で、悔やまれました。

このプロジェクトは、職業としてのインテリアデザイナーではなく、生活者としてのデザイナーであることの重要性、可能性についても示唆していると思います。インテリアはね、何も高級な家具什器を揃えなくとも、知恵と努力次第で素晴らしいものをつくりだすことができるのだよ。ただし、こうした工夫はややもすると(言葉を選ばないで言うと)貧相というよりも貧乏ったらしくなりがちなので、美意識を忘れないようくれぐれも気をつけて。
2015.04.11





#134 ハイブリッド2種

組み合わせの妙、と妙

桜と藁葺屋根
今は何にでも使うようになったけれど、 ハイブリッドという言葉が一般的に使われるようになったのは、いつ頃のことだろうか。個人的には、ごくふつうに使われるようになったのは、いわゆるハイブリッドカーの登場後のような気がしていたのだけれど。

そこで、ウィキペディアを見てみると、イギリスでは17世紀初頭にはイノブタをさす言葉として使われ始めたようだし、日本でも1960年頃から使われるようになって、1970年末にはハイブリッドの名を冠した腕時計があるそう。予想以上に早かったのだね。なお、ハイブリッドカーの祖である初代プリウスの発売は1997年です。


紅白の桜

なぜ、こうしたことを調べる気になったかと言うと、帰省先で不思議なものを見たからなのです。それは、ピンクの花と白い花をつけた一本の桜の木。ちょっと珍しいでしょう。もうひとつ、田舎に帰った時にたいてい1回は見ることになる藁葺き屋根があるのですが、これが藁葺き屋根と瓦屋根のハイブリッド、さらにこれに連なる建物は瓦屋根で、2重のハイブリッドになっているのです(今回も、まだ残っていました。良かった)。


藁葺き屋根と瓦葺きの家

純粋主義の人から見ると、ハイブリッドは邪道と言うかもしれないけれど、瓦と藁屋根の組み合わせもいいものですね。生活の知恵の結果という感じがして好ましい。しかも美しさを損なわない。外国では見かけない気がするのだけれど、あるのだろうか。日本のものもそんなに古くないように思うのだけれど、どうでしょう。

組み合わせによって、新しい美しさが生まれるということはよく知られた事実だけれど(磯崎新は70年代に、もはや新機軸を生み出すのは既存のデザインボキャブラリーの組み合わせしかないというようなことを言いました。そう言えば、ちょうどこの頃にハイブリッドという言葉が普及し始めたのだね)、藁葺きと瓦葺きの組み合わせもそのひとつといってよい。ジャズの巨人マイルスも「グループを作る場合は、混ぜないと駄目だ」と言っているらしい(何を混ぜるかと言えば、人種。すなわち、異なる個性のことです)。

ところで、一本の木に2色の花びらが混在する例の桜はどうかと言えば、僕は感心しなかった。白は白、桜色は桜色で楽しみたい。ヤマザクラの白とソメイヨシノの薄桜が隣り合ったのは、また一興でそんなに悪くないという気がしたので、色合いのせいだろうか(薄くて上品な桜色というよりは濃いピンクだったのが悪いのかもしれない)。あるいは、ボリュームのバランスのせいなのかもしれません。


故郷の桜・1

故郷の桜・2

故郷の桜・3


でも、思いがけず桜の季節に帰省することになって、中学までをすごした場所があちらこちらに桜の木がある桜の町であることに改めて気づいたのでした(そう言えば、桜山、桜町という名称がありました)。

(追記)
そのせいで、キャンパスの桜が満開になる時には立ち会うことができませんでした。今年は、ちょうどその時期の天候が不順で、雨や強風があったにもかかわらず、けっこう長持ちしてくれたのが嬉しいのだけれど、真冬に逆戻りの氷雨でおしまいです。できれば、晴天の下の(終りかけの)桜を撮りたかったのだけれどね。
2015.04.10





#133 またもや羽田空港

迷う私

残念なこと
本日のお昼は三合庵で蕎麦のつもりだった。

また羽田空港を利用することになって、 お土産を買ったあと近くの検査場を出ると、やっぱり例のフードコートのすぐそばだったのです。

で、まずは蕎麦前セットを、今回は、アサリと水菜、そして蕎麦味噌。お酒は前回選んだ醸し人九平次が無くなっていたので、寫樂(福島の酒だそう)を頼みました。そのあと、せいろを頼むかどうか迷い始めた。

その隣のお味噌屋さんのおにぎりセットが、今回は鮭とのりの佃煮のおにぎりプラスお味噌汁というので、試したくなったのです。お客もけっこう並んでいました。結局ここの蔵一セットを食べました。ことにのりの方が緑鮮やかだったのにちょっと驚かされたものの、なかなか美味しかったのですが、おにぎりが小振りだったせいで満腹というわけにはいかなかった。

そこで、今度は蕎麦にするかお寿司にするかで迷うことなったのです。ぬる燗も試して見たかったしね。しばし熟考したあと、蕎麦にすることに(お酒はすでに軽く飲んでいることに加え時間的なこともあってちょっと無理な気がしたのと、この前始めて食べた時の味を思い出したのです)。

食べてみると、もちろん決してまずいわけはないのだけれど、残念ながら前回の時のような感動はなかった(ほんのちょっと水っぽいような気がした)。開高のいう「知恵の悲しみ」を味わうことになったわけです。ま、僕の場合はそのあとで美食を重ねたわけではまったくないのですが、短い間にやっぱり記憶が美味しくしてしまったのだね。お店の人(3人に増えていた)の接客ぶりも気持ちのいいものだったのだけれど。


腰壁の人工葉

もうひとつ残念だったのが、フードコートのキャットウォークの腰壁に這わせられていた造花(というか、造葉)。いかにも作り物という風情で、趣きを欠くことおびただしい。今更ながら気になった。この日は快晴で、光が溢れていて葉を透かして見えたために余計に目についたのでした。ここは、奥行きの無さや高さの不足等いろいろと制約はあるけれど、 造葉も含めて植物を中心にもう少し手を入れるとずいぶん良くなりそうです。


満ちあふれる光と影

そのせいもあってか(たぶん、忙しいというだけでなく)、席はほとんど埋まっているものの長居する人はほとんどいないようでした。食べ終わったららすぐ席を立つ人が多いのです。 それに一人でいると追加の注文がむづかしいね。 光と影を眺めているだけでも楽しいのに。せっかくの温室ふうのフードコートの魅力と使い勝手をぜひ高めてほしいと願うのです。
2015.04.04





#132 号外 2014年度 卒業式とパーティ

やっぱり一足先に春

おめでとう
卒業式の当日は、会場付近ではやや風が強かったことを除けば、素晴らしいお天気で良かった(去年は北風が強くて寒かったのです)。無事に巣立っていきました。

卒業式のあとのパーティは、つい最近までよく言葉を交わしていた学生も、久しぶりにお目にかかった学生も、ほとんど見憶えのないような学生も、みな元気で楽しそうでした。心の底から卒業を喜び、みなと過ごせたことを嬉しく思っていることが知れて、素敵なひとときでした。ここにも一足先に春が満ちあふれていました。


寄せ書きと写真

ところで、今年の卒業生にはたくさん頂き物をしました。卒業式の前に帽子とボウタイ卒業式にはさっそく着けましたが、実はこれがボウタイ初デビュー(さてどう見えたものか)。卒業式当日には写真と寄せ書きを組み合わせたものと花束を。翌日さっそく研究室に飾りました。




花は、はじめやっぱり今年の卒業生が焼いてくれた花瓶にいけてみたのですが、ちょっとバランスが悪かったので、手持ちのガラスの花瓶に。やっぱり花のある景色はいいものです(ずいぶん長い間忘れていたけれど)。

どうもありがとう。
さあ、新しい生活を存分に楽しんでください。
2015.03.25





#131 速報 '15 桜通信

一足先に春

今年も早かった
卒業式を数日後に控えた日曜日のこと。日射しに誘われて外を歩いてみると、もはやはっきりと春の気配。暖かいだけでなく、光は冬のきりっとしまった感じとはあきらかに異なって、明るさと柔らかさを増している。一気に春めきましたね。横浜の最高気温は18℃を超え、関東地方では20℃にも達したところがあったらしい。

まちに出た人たちの洋服もさまざま。もはや冬ではないとばかりに、肩を露わした女の人もみかけた。いくつかの地域で桜の開花宣言もあった。寒い冬は冬で魅力があるけれど、そこから解放されて暖かさを感じることのできる季節は、何ものにも代え難いほど嬉しい気分になる。


ヤマザクラ、2015.03.23

ソメイヨシノ、2015.03.23

で翌日の月曜日、学校に出かけて窓の外を眺めてみると、白い花が。窓を開けてよくみたら、ヤマザクラが案外多くの花をつけていました。とすればとばかりにカメラを持って外へ出てみると、ヤマザクラだけでなくソメイヨシノもいくつか花をつけていました。ちょっと北風が冷たかったけれど、うっすらともやのかかったような光で、昨日にもましていっそう春らしい感じがしました。

つい先日、いや昨日だってこんな感じではなかったのに。本当に一転するのだね。学生においても同様な面があります。それまでとは打って変わって、大化けするのです。もちろん、それまでの努力や取り組み方の変化等々それぞれに理由があってのこと。たとえば、演習を通して見てみると今年の卒業生にも何人かいました。

今年度の卒業式はこんな陽気の中で行うことができるのは幸い、と思っていたらまた冬に逆戻り(快晴だったけれど)。なかなかうまく行きませんね。きっと卒業生もこれから冬の戻りを感じる時があるかもしれません。しかし、必ずふたたび春が戻って来るのだからあきらめないでがんばってほしいと思った次第でした。
2015.03.25





#130 番外編 新製品ニュース・2

ちいさな無駄を恐れない

やってみるが勝ち
春休みに入ったあとから最後の入試までの合間に短い帰省した折に、ペンケースをもうひとつつくってもらうことにしました。

気に入ったかどうか、使ってやろうという人がたまに現れるのです。そこで、今度は革を選んでつくってみようと思っていたのだけれど、そんなに選択肢はありませんでした(薄さと柔らかさを兼ね備えていなくてはなりません)。お店の主人はいい革が入りましたからと言って、見本を切ってきますとわざわざ2階から持ってきてくれました。「鳴き革」と言って、畳むたびに音を立てるというのです。色は茶系が2種に黄色、そして赤の4色。実は色も変えようと思っていたのですが、結局赤とすることに(これは鳴きが弱いらしい)。


新旧のペンケース

全く同じものではつまらないので、前回内蓋の部分の上端を2点留めてもらうようにしたために、三角スケールが納まりにくくなったので、少しだけ上下に伸ばし、そして畳んだ時の表面に現れる縫い目が中央に来るようにしたのでした(さて、開けた時にどう見えるか。ほんとうは前もって確認していなくてはなりません)。今回はきちんとした図面はおろかスケッチさえも持たずに行ったので、伝えるのは現物と口頭で(今度は、もう少しちゃんと指定することにしよう)。


新しいペンケース内部

果たして、出来上がってきたものはといえば、はっきり言うとは期待はずれでした(残念)。縫い目は真ん中ではなかったし、紐を留めるボタンの位置も同じ(これでは最初のものと変わらない)。実は、もうひとつつくったというものも見せてもらったのだけれど、こちらは縫い目こそまん中だったけれど、傾きがさらに大きかった上に、表の蓋の部分に紐がくっついていたために、外すと革の表面がわずかに剥がれてしまっていた。おまけにプロポーションはほとんど変わってなかった(ま、はっきり言えば2つとも新作としては失敗作ですね。一体どうしたのかしら)。

それでも、実際に出来上がったものを見ることができるというのが良し悪しを判断するのにはいちばん。頭の中で、「ああでもない」、「こうでもない」、「……」と悩むより、やってみるのがいちばんの近道です。それから判断するのが良い。それが結局は早いのです。デザインの練習と思えば、失敗作も役に立つ。

もちろん、実際の建物はつくったあとで「だめだった」からつくり直すなんていうのは現実的ではありませんから、模型等で何度も確認します。洋服は試着できるけれど、住宅はそうはいかない(建て売り住宅やプレファブ住宅はこの限りではないけれど、また別の問題があります)。

少なくとも、設計課題であれレポートであれ、学生のうちはどっちにしようかと思ったら考え込むより先に(小さな無駄を回避せず)、さっさと試作してみるのが良い。それから出来上がったものを比べてみれば、うんとわかりやすくなるはずです(ちょうど、洋服の試着のように。皆さんは、最高の一枚を探し出すために、何着も試すでしょう)。

あれこれ悩んで時間を使うより、さっさとやるのが勝ちです。
2015.03.19





#129 歩いたり、自転車だったり

スローライフで行こう

こんなところに、こんなものが
帰省して、いつものごとく買い物や病院・薬局等に出かけていると、ちょっと別のルートを選びたくなることがある。

それで、今回も大きい通りではなく、一本中に入った道を行ってみることにした(借り物の自転車にはちょっとばかりきつくて長い坂があるので、これを避けようと言う魂胆もあった)。途中までは以前にも通ったことがあったのですが、ペダルをこぎ進めると縦格子が目に止まったので、自転車を止めて一枚パチリ(昨年来、縦格子ハンター)。さらに進むと珍しい光景に出会った。

なんと、今ではほとんど見ることがなくなった床几があったのです。しかもふたつ、壁の前に並べられていました。そしてその少し先の玄関付近では、おばあさんがひとり植木鉢の手入れをしていたのでした(いいですねえ)。この光景を写真に撮りたかったのだけれど、ちょっとはばかられたので、帰りに撮ることにしてひとまず目的地へ向かいました。


花と床几のある通り

ふたつ並んだ床几

帰りによって見ると、ちょうど太陽の光も当たっていてまあまあ。狭い道に床几と植木鉢という組み合わせは、むかし探検していた非戦災長屋とその周辺の商店街を思いださせました。そして開高のこんな言葉も。「反時代的であることに誇りを持っている」、「良いものでいいものは守り抜く。どれもこれも共通しています。新しいものは絶え間なく勉強しているけど、守り抜く。……。昔のままを貫く。それを貫く気概と気迫があります」。「私はこういう精神の伝統が欲しい、と思います」。ロンドンを走る古いタクシーをの中で、英国の精神について語ったものだけれどね(我々はもはや忘れてしまったかのようです)。

ふつうの民家なのか確かめようと近寄って見ると、やや大きな入り口付近に何やら看板が見えたので読むと、印刷会社のようでした。木の板に描かれた文字も消えかかっていたので、たぶんもうやっていないのかもしれません。いわゆる仕舞た屋。しかし、帰ってから写真をもう一度眺めていると、その上にもうひとつ比較的新しい看板もあったので、きっとまだやっているのですね。(よかった)。


洋館風の家

下見張りの家

感心しながらゆっくり進んでいくと、何やら江戸期の藩医だかの旧宅跡やら、古くて趣きのある建物が2棟ほどあったりして、狭い田舎でもまだまだ知らないことが多いことを改めて思い知ったのでした。ところで、こうしたことができるのも、徒歩や自転車による移動だからこそ。自動車だったらこうはいきませんね。スローライフをもう一度見直さなければと思った次第でした。

もちろん、都会でなければ手に入りにくいこともあります。たとえば、図書館の中の蔦屋で見た田舎の本屋には珍しいアート・デザイン系の美しい書籍もそのひとつ(インターネットショップで簡単に手に入るじゃないかと言う人がいるかもしれないけれど、それとこれとは別。やっぱり、手にとって確認したいのです)。さらに、都会であっても、車による移動では気づかないことがあって、徒歩や自転車でのゆっくりした移動をすることではじめて発見できることがたくさん存在しているのだろうと思います。

これからは、自動車に頼らず、新しい自転車も手に入れたことだし(今までのものは学校にずっと置きっぱなしだったので、なくなったり捨てられたりしたけれど)、できるだけスローな移動を心がけよう。このことが、案外ていねいに日々を過ごすということにつながるかもしれないような気がするのだよ。
2015.03.13





#128 またまた羽田空港 

進歩する世間、と私

囲われることのもたらすもの
また、昼時に羽田空港を利用することになって、さてどこで食べようか(いやどこで飲もうか)という算段になる。あいにく今にも雨が落ちてきそうな空模様だったので、例の温室風の(あ、中庭と考えるといろいろと不満があったのが、温室と考えたらずっとましな気がしてきた。マドリッドの駅を思い出したのです。行ったことはないけど)場所はやめるつもりだった。

ところが、たまたま入った検査場を出たところがすぐそばだということがわかったとので、これは出かけなければと思った次第。で、行ってみるとこのあたりはさらに進化していて、お寿司屋さんのお隣にはなんとお味噌屋さんが。こんなところで…と思ったのだけれど、おにぎりセットも売っているようでした(おにぎり2個とお味噌汁のセットが¥500。ただ、鮭とツナマヨ、というのがちょっと……。若者には人気のようだけれど)。


新しく出現した蕎麦屋*

おっ、と思ってさらに歩を進めると、今度はお蕎麦屋さんが現れた。なんだか美味しそうだったのでお寿司はやめることにして、まずは蕎麦前セットなるものを(蕎麦味噌、おから、壬生菜だかを炊いたものちょっとずつと日本酒)。こちらは¥1,080と案外高いのですが、お酒はいくつから選べるようになっていて、僕は「醸し人九平次」の純米大吟醸を選択しました。それからしばらく待って呼ばれて受け取ったあと、中庭風のところへ出ようとしたのだけれど、運ぼうとしたら他に荷物もあったせいでお盆が揺れて蕎麦猪口に入ったお酒がこぼれるので、断念。やむなくお店の前のテーブル席に座りました。

さすがに、これだけではお腹が満足しないので、せいろを追加したのだけれど、これが存外に美味かった。丸い竹笊に盛られた薄茶色の細い蕎麦は角がぴちっと立っていて、いかにも江戸前の蕎麦という感じがしたのでした。ただね、そば湯が欲しくて聞いたら、カウンターに置かれていたポットに入っていたのでした。そして、勘定をしてくれた人がまだ慣れていないのか、マニュアル通りという感じがしたのと料理にも加勢しているようだったのが残念(ま、手はその都度洗っているのでしょうね、きっと)。


寿司屋

まあ量もそこそこにあったのですが(老舗と呼ばれる蕎麦屋でせいろを頼むと、ほんのひとつかみほどで3口も食べればなくなってしまいそうなものがあります)、まだ食べ足りないので、勝手知ったるお寿司屋さんを覗いて、コハダと鯖をひとつずつ。

そして、勘定をしようとすると、熱燗が…という声が聞こえたので、念のために聞いてみると(ここは面倒がらずにちゃんとやります)、熱燗は時間が頂戴できればお出ししますというのです(以前にぬる燗を頼んだ時には、燗はできませんと言われたのだけれどね)。ここでも、世間は着々と進歩しているのだね。進歩しないのはわが身だけか、と思うとちょっと寂しい。


温室風中庭

今回はこはだと鯖の載ったお皿とお茶をお盆に乗せて中庭へ。暗い灰色の空の下もあんがい悪くなかった(嵐の時に家の中で温々としているような感じです。おまけに晴れた時には邪魔に思ったガラスの屋根には水滴が滑り落ちるのを見ることができる)。いまさらだけれど、デザインの善し悪しを問わず、建物というのはなかなかいいものだなあと思ったのでした。おまけに、中庭風、いや温室風の空間も写真に撮るとまるでうんと小型のマドリッドの駅のように見えなくもない。

そう言えば、HANEDA ISETANも少し前から出現していましたね。こちらはある時、歩いてなんだか懐かしい匂いがした。海外の空港の匂い(たぶん、化粧品の匂いに違いないのだけれど、僕はこれを嗅ぐと、どういうわけか海外の国際空港を思い浮かべるのです。デパートではこうはいかない)ですね。 こんな具合に、羽田空港は国内線ターミナルにおいても国際化がどんどん進んでいるようです。やれやれ……。

*写真がやや暗いのは、デジカメはオートで撮るべしという田中長徳センセイの教えを守っていることに加えて、フラッシュが嫌いなせいです。むづかしい使い方が分からないために違いないと思う人がいるかもしれないけれど……。
2015.03.07





#127 デザインにおける進歩 

古いデザインに惹かれる理由

むかしの名前で出ようとしたものは
まだまだ寒い日が続くけれど、日も長くなり、いつの間にか空の青さも変化してきていて、春も近くなったようです。


ホンダS660*

そんな日曜の朝新聞を読んでいると、またホンダが軽のスポーツカーを出すという記事が目についた。ビート以来19年ぶりという。ちょっと懐かしかったのが「S660」の名前。


ホンダS600**

ホンダにはかつて、「S500/S600/S800」という名車があったのです。今、こんなかたちの車があればぜひ乗ってみたい(ヘッドランプが文字通りまんまるなら、なおいい)。

読んでいくと後輪駆動、ミッドシップ、布製のソフトトップ、エンジンはN–BOXのものを流用、などとある。魅力的なところとそうでないところがあるけれど、スペックは実はどうでもいい(町中をふつうに走る分には十分すぎる性能に決まっているのだから)。

もう一度写真をみると、渦巻き模様に覆われていてその外観は定かではないのだけれど、たぶん欲しくない。全体のかたちは丸みを帯びていてビートよりもコペンやスズキの軽スポーツに近いように見える。これも我慢できるかもしれない(あんがいコンピューターデザインを感じさせないかもしれない)。しかし、ヘッドランプが今風というのか横長。丸目ではないのが決定的。自分がいかに視覚的な人間であるかということを改めて思い知らされたようで、ちょっと恥かしい。

もう少し付け加えるならば、古い車の方に惹かれるのです。そして、むかしの車、自動車らしさを感じさせる車のヘッドランプは、たいていまんまるです。シャープなかたちが嫌いなわけではないし、現代的なフォルムが美しいと感じる車もないわけではありません。でも自分が乗ろうとは思わないのです。ちょうど、ミースが自分自身は古いアパートメントに住むことを好んだように。

考えてみると、たいていの日用品は少し、いやだいぶむかしのデザインのものがしっくりくる(例外は、パソコンなんかかしら)。古いかたちのものが好ましいように思えるのはなぜなのだろう。すぐに、年だからとかノスタルジーだとか、あるいはまた情緒的だとか言われそうだけれど、そうなのだろうか。ともあれ、 いっそ外観はむかしの名車のままに、機械部分だけ新しくしたものが出ないものかね。 いくらかでもデザインと関わるような職業についていながら、ちょっとまずいかしらと思ったりもするけれど(やっぱり、まずいのか)。

そういえば、新らしいほうの「ミニミニ大作戦」(2003)には新旧のミニが登場するのですが、BMW製よりも古いミニの方がよく見えた(ハンドルを握るシャーリーズ・セロンは、どちらにも似合っていましたが)。 たぶん新しいデザインは、たいてい無機的で機械を感じさせるのが嫌なのかも、と思う。むろん機械であることには違いないのだが、それよりも慣れ親しんだ道具のようであってほしいのだよ。例えば雁が初めて見たものを母親と思い込むように、人間の場合も小さいころの記憶(忘れてしまっているとしても)から離れられないのかもしれません。

さて、「(狭義の)デザイン」に進歩という概念が当てはまるのかどうか(矛盾するようだけれど、なんとなく、当てはまらないと言い切ることはできないという気がするのです)。でも記号性があるのは間違いありませんね。丸目は古く横長で複雑なかたちの目は新しいとか、板をつまんで凹凸をつくりだすデザインは今日的というぐあいに。やっぱり僕は、古いものの方が好きなようです(少なくとも車に関しては、ね)。

* 写真はデジタル版朝日新聞のHPから借りました。
**写真はWikipediaから借りました。
2015.02.14





#126 ミースとアップル 

その類似と差異

デザインの意味の行方
卒業研究の発表会も済み、授業も終了したある日のこと。

すっかり人気のなくなったところに間もなく卒業を控えた学生が、ポートフォリオを作成するためにゼミ室へやってきた(彼は、最近の学生には珍しく、これから就職先となる建築事務所を探す予定なのです)。お互いにやることがあったので合間にちょっこっとだけ言葉を交わすだけだったのが、そのうちにミース、コルビュジエ、ライトを比較する話しになった(この3人は、今でも変わることなく、建築を巡る主要な話題のひとつです)。


バルセロナ・パビリオン外観

バルセロナ・パビリオン内観

はじまりは彼の一言、「なぜミースはコンクリートを使わなかった のだろう」(当時は、コンクリートが主流でした。しかし、ミースは主要な材料とはしなかったし、そのかわりに鉄骨とガラスを多用した)、と彼は言うのです。ま、あとで思い返してみると、ミースがコンクリートを主に使った建物がないわけではない(たとえば、誰もが知っているものとしては、1927年のドイツ工作連盟が主催したヴァイセンホフのジードルングのアパートメントや1930年のトゥーゲントハット邸)。しかし、彼の代表作というと、思い出すのはたしかに鉄骨とガラスの建築なのです(ただし、写真のバルセロナ・パビリオンは1929年の作ですが、ちょうどその中間のよう。もう一つ見たことのあるベルリンの新ナショナルギャラリー、1968年竣工のこちらは鉄とガラスですが、写真が見当たらない)。で、ちょっと考えてみた(彼らを対象とする研究者たちはもうあきらかにしているのだろうか。残念ながら、僕は知らない)。

もしかしたら、ミースが石工の息子であくまでも本物の石が好きだったから(または、その逆)?あるいは、ベーレンスの弟子だったせい(でも、コルビュジエもそうだ)?それとも、鉄とガラスを最も近代的な材料(より新しく、工場生産された材料)と考えていたゆえなのか?そう言えば、 “Less is more.” という有名な言葉がありますね。彼は、できるだけ要素を減らして、美しさと合理性を追求しようとしたのかもしれません。


ロンシャンの礼拝堂

これに対してコルビュジエはコンクリートを(たぶん石の代わり、しかも自由に造形できる素材として)愛した。そして、これは彼が画家でもあったこともたぶん関わるに違いない。それから、 ミースは都会的、近代的、これに対してライトはちょっと田舎っぽい、コルビュジエはその中間だ(彼の都市像はずいぶん都会的だと思うのですが)と言い、やがてアップルがミースと似ているのではというというふうなところへと進んでいったのでした。で、これについても思いを巡らしてみた。


Macbook Air*

アップルの店舗はガラスを多用し、シンプルです。むろん設計した建築家は店舗によって異なるようだから、建築家の特性はむろんのことだけれど、アップルの意向が強く働いているのに違いない。そして、iMacやMacBook Proそして MacBook Airのパソコンをはじめとして、iPhone、iPadといったプロダクトのデザインも最近のものはとくに余計なものを削ぎ落したシンプルの極みの現代的な美しさです。この点では、アップルはたしかにミースとよく似ている。ただ、素材のイメージでいえば、最近のプロダクトのうち、とくにiPhone5s**やMacBook Proはむしろ固まりを感じさせる点で、石、あるいはコンクリートに近いような気がする。

そして、アップルがつくる製品はシンプルだけれど、そのCFは人間を介在させて、製品そのもののデザインの特質よりもこれを使って人が何を手にし得るかを主張する。このことはミースとはずいぶん異なるのではないか。ミースの場合は、人間の存在、少なくとも説明を抜きにしても作品(建築や椅子)は成立しそうだ。彼は近代とはなにかということをものそのもののかたちで表現しようとしたように見えるのに対し、アップルの製品の場合はモダンを突き詰めたかたちでありながら、一方で人と人の関係を訴求するソフトが必ずセットされる。

このことは現在が、技術が進んだあげく、人と人の関係がきわめて稀薄になり、人とものの関係がきわめて複雑なものになってしまった時代であることをあらわしているのではあるまいか。そして、かたちの持つ有効性とともにその限界を知覚せざるを得ない時代、といってもよいかもしれない。

これもまた、「知恵の悲しみ」のひとつの表われ方なのだろうか。

以上、ちょっと長くなったけれど、ただいまのところの途中経過の報告。
* 写真は、これも見つからないために、アップルのHPから借りました。
**6になって,この固まり感は失われた。
2015.02.14





#125 古田織部展 

もっと遠くへ

個性の表現
先日、最終日になって失念していたことを思い出して、あわてて松屋銀座で開催された『古田織部展』を見に行ってきました。


古田織部展入口

出かけてみると、会場が狭いせいかはたまた最終日のせいか、月曜日にも関わらずすごい人出で、まるでフェルメールかダ・ヴィンチの作品が来たときのようでした。ガラスケースの前には隙間なく人が並んでおり、頭と頭の間にわずかに開いたスペースから覗くことしかできなかった(念のために会場の出口で、係員の人に聞いてみると、やっぱり最終日のせいで、それまではそうでもなかったらしい)。ともあれ、織部に関心を持つ人が多数いるということですね。観客はとみれば、その大部分が年配の人で、若い人の姿はほとんど見当たらなかった。そして、女性の着物姿が比較的目についたのは、茶道関係の人々が多かったのだろうか。

残念だったのは、織部が朝鮮でつくらせたという高麗茶碗が見つけられなかったこと(見たかった)。展示されている焼物の多くが美濃焼であるのは当然として、唐津焼もいくつか見られたのには驚いた(見慣れていて、親近感があるのです。高麗茶碗も唐津の方に近いものがあるような気がします)。

それにしても、織部はけれん味たっぷり。やり過ぎではないかというくらいに強調、拡張したのだと改めて思ったのだけれど、そのくらいしなければ師の利休を超えられなかったということかもしれないね。「もっと遠くへ」という気持ちがなければ、師の教えを守りながら、しかもそこから離れるということはそもそも無理であるに違いない。なにしろ利休は、何回か前にも書いたように「ならひのなきを極意とす」と言うのです。おまけに、彼が生きた時代は、かぶく人たちが出てきた時代でもありました。


銀座4丁目交差点

その後、天ぷらで昼酒のつもりだったのが、目当ての店は改装中でお休み。結局は、がっかりして戻る途中で目にしたお寿司屋さんで一杯やったのだけれどね。このビルは、どこも閉店セール中(ま、耐震工事のためで、リニューアル・オープンの予定らしいのは何より。銀座でも閉店ということになると、ちょっと…)。

それにしても、銀座のまちも大通りと一本入った裏通りと大きく違うことにも、今さらながら驚かされました。2015.01.31





#124 番外編 新製品ニュース 

ブライドルレザーのキーケース

縫い目の乱れも味のうち
昨年末の帰省した折には、キーケースをつくってもらうことにしました。

ずっと使ってきた赤いキーケースがだいぶくたびれてきて、焦げ茶色というかどす黒い色に変色しているばかりでなく、糸が切れてしまっている部分もあって、さすがにみすぼらしくなっていたのです。おまけに少し前に、「年取ったらきちんとした身なりでなければいけない」、と言われたというのを人づてに聞いたせいもある。いっぽうで、「着るものなんか」というのがイングリッシュ・ジェントルマンだという人もあるけれど(いずれにせよ、本人に風格があれば、気にすることはなにもないのですがね。残念至極)。

それで探してみたのだけれど、なかなか適当なものがないのです。革の種類と機能と値段のバランスのことですがね。革はブライドルレザーが断然好きだし、金具は(むづかしそうだけれど)真鍮が望ましい。それに、少なくともカード1枚(PASMO)を収納しなくてはならない。いくつか心当たりのあるメーカーのウェブサイトを覗いてみたら、どれも一長一短。その中でこれならと思ったのは、2万円ほどもするようでした(うーむ)。で、見つからない時は自分でつくる。例によって近所のバッグ屋さんに発注したというわけ。


キーケース 閉じたところ

キーケース 開けたところ

さて、その出来映えは、正直に言えば、やや残念な気がした。「出来ました」と言う電話を貰って、いそいそと出かけて行って受け取った時は、縫い目の乱れとピッチの大きさ(革が厚いのでミシンが使えず、手縫いとなった)がちょっと気になったのでした。しかし、しばらくするとだんだんこれでよかったのかもしれない、縫い目の乱れも味のうち、と思うようになったのです(だいたい、注文する時も寸法と簡単なスケッチを渡しただけで、デザインと言うほどのこともしていないし、値段のことを思えば、上出来)。

とくにベージュの革は使い込んでいくうちに色も変わるし、馴染んでくるはず。育てる楽しみがあります。2015.01.28





#123 気分が悪くて何が悪い 

言葉の力、言葉の罠

怒りの効用
ちょっと乱暴な表題で始めたけれど……。

「気分が悪くて何が悪い」と書かれていたのは、「風の歌を聴け」だったか。ごぞんじ村上春樹のデビュー作ですが、ほんとうにこの中に書いてあったのかは定かではありません。それが何の本だったのか、何をさしてのことだったのか、思い出せないのだけれど、いずれにしても初期の作品だったと思います。(なにしろ、うんと昔のことなのですから。今となっては、ほんとうに書かれていたのかということさえも……)。書評やら誰かの推薦やらとは無関係に手にした、しかも比較的近い世代の作家のによるほとんど初めて本だったのでした。だから、自分が発見した作家のような気がしていたのです。


村上春樹の初期3部作

本来なら、ちゃんと確かめて書くべきところだけれど、今はそれよりもこのことを書きとめておきたい(でも、その後でいちおう当たってみた。小心者。架空のアメリカ人作家であるハートフィールドの本の題名として登場したのは見つけられたけれど、それとは別のところでもあった気がするのです。やれやれ)。ともあれ、大人げないようだけれど、このところ気分が悪い。相当に悪いね(こう言うのも、思えばずいぶん久しぶりのことです)。村上の本の中にこの言葉を見た時のことはよく覚えていないのだけれど、同意よりもむしろ軽い反発を覚えたような気がするのに、……。


テロを伝える新聞

たとえば、世界の情勢。以前にも増して、剣呑な状況になっている。国内でも、原発の再稼働を巡る収賄の記事があった。どこもかしこも民族主義と経済のみが優先されているようです。さらにもっと小さな世界でも、他者をおとしめるような物言いが平然と行われていることがある(「貧すれば鈍す」ということなのだろうか)。たぶん全体ではないのだと思いたいのですが、これらに加えて自己中心主義の横行。まるで、教育やら、知性やらは役立たずだと言われているようです。僕も偉そうに言えたものではありませんが、それにしてもひどい有様です。本当に、気分が悪い(もしかしたら、自己矛盾か!?)。

しかし、今自身の生活を振り返ってみると、その時になぜきちんと「怒り」を表明しなかったのだろうという思いが強いのです。もし、ちゃんと自身の「怒り」をぶつけていれば、もう少しはましになっていたのではないかと思うことが時々あるのです(本当にそうなっていたのかどうかは措くとして)。でも、そうしなかったということは、自身の考え、自身の言葉に対する信頼、そして覚悟が足りなかったということに違いない。そのために、言葉の罠に落ちてしまったのかもしれません。昨年亡くなった、市民の側に立って発言し続けた経済学者の宇沢弘文の活動の源は「怒り」だったといいます。

声なき声ではいけないのだよ。きちんと表明しなければならない(声の大きさで、物事が決まるというのでは困ります)。たとえ、それが一時は軋轢を生じさせるとしても(きちんと話し合っても、理解しあえなければ縁がなかったと思うしかないのだろうか。ま、……その時はそれまでのことだと思い定めるしかあるまいね)。

他者の言葉を鵜呑みにせず、自分で考え、最終的には自分で判断し、恥じることの無いようにしたい。そのためには、個人を鍛えなければなりませんね。言葉の持つ罠に陥らず、自身の言葉を鍛え直さなければ、と思います(この年になってまだこんな有様というのが残念)。2015.01.20





#122 ハイヒールとフィッシュ・アンド・チップス その2 

正統について考えてみる

逸脱のすすめ
ちょっとおおげさに聞こえそうだけれど、一元的あるいは教条的な言い方に従いたがる人は、自分で考えることを放棄しているのでは、と思います。心ならずも教えられたことに縛られているのではあるまいか。 もしかしたら、その方が楽、 一回でうまくやりたい、失敗は避けたい、無駄なことはしたくない 等々のために無難な方を選択するのかのようにもみえます。たぶん、まだ自分の考えに確信、あるいは自信を持てないが故ということでしょうが、ちょっと短期的な考え方に過ぎるかもしれません。

これではつまらない。教わったことを否定してかかる必要はないけれど、「正統」は「正統」として知っておいて、しかもいったん積極的にそこから離れて考えてみるようにすると、あたらしい発見をもたらす可能性が高まるだろうし、おまけに「正統」に対する理解も深まるに違いない。とすれば、その結果「正統」にたどり着くか、あるいは「異端」に行き着くかにかかわらず、きわめて効果的なやり方のひとつです。

学ぶ、知るということは本来、自由になるための行為のはずですが、しかし、「知恵の悲しみ」という言葉があるように、必ずしも知れば幸せというわけではない。


開高健が食べたフィッシュ & チップス

たとえば、小説家開高健はかつて食べたフィッシュ・アンド・チップスの味を求めて訪れたロンドンで、「うまくないですな」と言わなければならなかったというちょっと残念な経験をした。つまり、初めて経験した味のほかには知らないままだったら美しい記憶をそのまま保存できたのに、その後、美味しいものを知ったが上に美味しさの基準が上がっただけでなく、いっぽう記憶はフィッシュ・アンド・チップスを美味しくし続けたので、そのギャップは大きくならざるをえなかった。

これは、たしかに不幸と言えば不幸ですが、それでも、知る方がよい、その方が豊かな結果をもたらすことが多いと思うのです。情報が氾濫する社会の中で生きる我々は、思いとは別に「知る哀しみ」を思い知るほどにはすでに知らされているし、もはや知ることから逃れることはできない。とすれば、「知ること」、「考えること」でしかこれを超えることはできないのだろうと考えるのです。そのためには、「正統」に盲目的に従属することから離れなければならない。


『シンメトリーの地図帳』と『柿の種』

寺田寅彦は『柿の種』の中で「俳句をやる人は、時には短歌や長詩も試み、歌人詩人は俳句もやってみる必要がありはしないか」と記した。これは、異なった目で見ることがもたらす効用のことを言っているのだし、また、オックスフォード大学の数学者ソートイは『シンメトリーの地図帳』の中で、自分の部屋が散らかっているために、1冊の「本を探すうちに、やがてそれとは別の、自身の考えを意外な方向に導いてくれる何かに行き当たる」と書いている。こちらは、逸脱することの効果に違いない。

ハイヒールの靴だって、これを履くと気持ちがいいという人もいるはずです。だから、「快適」ということをひとつとって見ても、簡単には決められないのです。

もしかしたらそれは両刃の剣となる可能性もあるけれど、ある事柄について考える時、一度は別の立場に立ってみる、あるいは積極的に逸脱することを心がけたなら、あたらしい発見があるかもしれませんよ。2015.01.17





#121 ハイヒールとフィッシュ・アンド・チップス その1 

また、機能と外観について考える

あたりまえを疑う
遅ればせながら、新年おめでとう。

今年のブログ初めは、このところ気になっていることから。

デザインするということは「美しいものを造ることではなくて、だれにでも使いやすいものをつくることだ」ということがよく言われます。とくに近年は、外見より内容という風潮が強まって、さらに勢いを増しているよう。

一見、正論のようです。さて、ほんとうにそうだろうか。

というのが、今日のテーマです。その「正論」は、わからないこともない気がするのだけれど、ちょっと変。やっぱりおかしいと思うのです。というか、それはデザインの一部に過ぎない。

「私が靴を愛するワケ*」のハイヒール

たとえば、ハイヒールの靴が無くならないのはなぜだろう。カッコ良く見える、背が高く見える、気持ちがしゃんとする、等々あるのだろうと思います。僕はハイヒールを履いたことがないので実のところよくわかりませんが(映画「プラダを着た悪魔」や「キンキー・ブーツ」を見るといくらかは想像できる。そういえば「靴に恋して」というのも見た)、少なくとも履きやすい、疲れにくいという意味での快適さからはほど遠いだろうということは容易に想像できます(久しぶりにレンタルDVD屋さんのドキュメンタリーコーナーを覗くと、59歳にしてピンヒールで歩き続ける「マドモアゼルC ~ファッションに愛されたミューズ~」というのがあったし、「私が靴を愛するワケ」というのもあるようです。これらを見てもう一度確かめることにしようかしら)。


「アメリカン・サイコ」の中のラダー・チェア

で、なんであるにせよ、履きやすさという快適さとは違った気持ち良さがあるということだね。椅子でも、座り心地はよくないけれど、見て喜びを覚えるものがある(たとえば、チャールズ・レニー・マッキントッシュのラダーチェア)。あるいは、考えさせるものがあります(たとえば、アレッサンドロ・メンディーニのラッスー。こちらは、燃やすためにつくられた)。こうした椅子が存在することに対して、目を閉じていてはいけない。軽々に意味がないと切り捨ててるわけにはいかない。このことは案外忘れやすいのですが、いつも意識していたいとのです。

つまり、使い易かったり楽だという意味での快適さとは違った価値もあるのだということ。これは、われわれの生活の豊かさとも大いに関わるはずです。

なんであれ、一元的な見方に留まっていてはいけないということ。これは別に変わった考え方でもなんでもない気がするのだけれど……。

それが、いわゆる常識や権威であったとしても、あるいは、自分自身の考えであるにしても、それを否定するというのではなく認めた上で、いったんそこから離れて自由になって相対的に見つめることによって、その時の場面においてどちらがよりふさわしいかを考えるということこそが重要なのではあるまいか。これは、絶対的な理念に価値をおくヨーロッパとは異なる日本やイギリスの考え方に近いようです。

*写真は「私が靴を愛するワケ」公式HPから借りたものを加工しました。2015.01.09





#120 織部に学ぶ 

デザイナーとしての態度

人としての矜持
今年は古田織部の没後400年という。

織部は戦国大名にして茶人 利休の弟子。 武将としての名は古田重然、織部の名は茶人として知られています。茶道に入ったのは遅かったようだし、利休の弟子となったのは40歳を超えてからだったのにもかかわらず、利休の精神を忠実に引き継ぐために、その教えを一字一句違えずに忠実に写し取ろうとした巻物「織部百か条」を残した。と同時に独自の美意識を持ち、師の教え「ならひのなきを極意とす」を実践して、師から最も離れて遠い地平へ行った。

鳴海織部茶碗*

その独自性は、織部焼きと呼ばれる器に最も現れる。たとえば、織部の代名詞のような青織部と呼ばれる緑色の釉薬と抽象化された絵柄(焼き物に模様を点けるのは織部に始まると言われる)、そして何より歪んだ形態。しかも用から離れることはなかった。

ふつう焼き物は産地名(たとえば、唐津焼、備前焼、美濃焼)で呼ばれるのに対し、人の名前がついているのは珍しい(そういえば、利休好みの楽焼きも同じだけれどこちらは姓の方ですね。ただ、利休焼きと呼ばれたのではない)。

師の教え通り、自由な精神を保って、伝統の継承と革新を同時に成し遂げながら、しかも機能を損なうことがないのだからなんともすごい。


薮内家燕庵**

利休好みは静謐、侘びにあったのに対し、織部の愛したものは雄弁で劇的。織部が考案した燕庵は織部と関係が深かった薮内流宗家の茶室で、利休好みの待庵の茶室の窓が1面にあるだけなのに対し、8つの窓を持ち、しかも亭主の合図で外に掛けられたすだれが次々に巻き取られて光が差し込み、暗かった室内の景色を一変させるという相当にけれんのある演出がなされる。

もうひとつ、利休が秀吉に切腹を命じられて追放された際、多くの門人が秀吉の怒りを買うことを恐れて見送りに来なかったのに対し、彼ともう一人細川忠興のみは静かに見送ったと言う(このことに利休は驚いたことを親しい人へ宛てた手紙に記している)。さらに織部自身も大坂冬の陣の頃から豊臣氏と内通していたとの嫌疑をかけられ、家康に切腹を命じられた。織部はこれに対し、一言も釈明せずに自害したといわれている。ちょっと情緒的な言い方だけれど、つくるものはやっぱり作者の人となりの反映なのだと思わないではいられない。

ともあれ、デザインについて考える時、日々の暮らしを思う時、あるいはデザインを取り巻く状況に違和感を感じた時にもこの古田織部に学ぶべきことがたくさんありそうです。もう少し、勉強してみたいと思うのです。

機能ばかりでカッコ悪いのは嫌だとか、逆に、カッコだけで全然使えないというのは御免というような人はぜひどうぞ。

没後400年のイベントとして、12月30日から1月19日まで松屋銀座で「古田織部展」が開催されます。

*写真はNHK「美の壷」HPから借りました。
**写真はTV東京「美の巨人たち」HPから借りました。2014.12.22





#119 日本人の美意識 

アイラ島の写真を見ながら思ったこと

簡素は貧相か
何回か前に取り上げたアイラ島の建物の写真を見た後で思い出したのは、日本との類似性(もしかしたら、われわれがもはやほとんど失いかけているかもしれない)、伝統的な美意識のことでした。そういえば、音楽でも好みが似ています。留学先のイングランドで精神的に参った漱石はスコットランドを訪ねた時に聞いた、日本人にもなじみ深いスコットランド民謡の旋律(たとえば、蛍の光や故郷の空がある)に慰められたと言います。

ともあれ、日本人の美意識を語る時、まず第一に挙げるべきは「わび」・「さび」でしょう。


表千家茶室不審菴*

日本を代表する美意識のひとつは「わび」・「さび」であることはまず間違いないと思いますが、うんと古いというものではありません。千利休らの茶道を通じた美意識、価値観から普及したものだから、400年とちょっとくらい。

国語辞書を引いてみると「侘び」は、「茶道・俳諧における美的理念の一。簡素の中に見いだされる清澄・閑寂な趣き。中世以降に形成された美意識で、とくに茶の湯で重視された」、とあります(電子版大辞泉)。 一方、「さび」は、「古びて味わいのあること。枯れた渋い趣き」、とある(同)。 2つとも動詞「わぶ」、「さぶ(錆ぶ・荒ぶ)」の名詞形であることからわかるように、いずれも元の状態から劣化した状態をいうものであり、これが転じて「簡素」であり、「古びていて」趣きがある様子であることをさして使われます。


初代長次郎作黒樂茶碗**

侘び茶を提唱し茶道の確立してわび・さびの美意識の完成者と言っていい利休が好んだ器に「樂焼」があり、 ろくろを使わず、手で成形します。すなわち、予め設計図や完成形についての固定的なイメージを持たずに、手を動かしながら土と対話し、発見し、触発されて造形するという手法をとっているのです(現在のコンセプト主義による作り方とは正反対の行き方です)。出来上がったものは、声高に、あるいは明快に自己を主張する代わりに、見る人に手の痕跡を残した表現の中に複雑な世界を見い出すことを促そうとするもので、かたちはシンプル(合理的)だけれどここにゴージャスな絵付けを施して自己主張しようとすることの多い西洋のそれとは大きく異なります。

だから、日本のものは貧相でいけないという人がいます。ま、感じ方や好みは人それぞれですが、日本にもゴージャスな建築、インテリアがないわけではありません。たとえば安土桃山時代の書院造り。二条城の書院は、まさしく豪華絢爛というのにふさわしい。 そういえば、こうしたお城のふすまを飾った狩野派も豪華、豪快ですね。 わび・さびの美意識の例として語られることの多い水墨画とは全く異なります(しかし、狩野派の始祖も水墨画を主としていて、大和絵を取り入れて力強い装飾性を持ったものに変えたのは2代目から)。磁器においても伊万里(一部)や九谷などがあります。あ、そういえば、利休にも秀吉の命を受けた黄金の茶室がありましたね。

ともあれ、ゴージャス、豪華絢爛、派手やかさといったもの以外に美を見出して心豊かに暮らすというのは、持たざるもののひとつの知恵ではあるまいか。いわば、やせ我慢の美。負け惜しみかもしれないけれど、豪華絢爛の世界とはほど遠い身としては、派手やかさよりも知恵に頼らないわけにはいきませぬ。余白の美もそうしたことから生まれたのかもしれません。

たとえば天井の高い家は成金趣味だと言って嫌った日本の大建築家がいましたが、少なくとも近世以降の日本の数奇屋の伝統的な住宅においてはそれが正統な感覚だったはず。そして、そうだとしたら、生き方も当然そうじゃなくてはならないのだけれど、これはなかなかむづかしそうです。何かにつけて、自己主張というものが出てきます。そのくせ、ほんとうに大事なことには目をつぶるということもある。

アタマとココロが異なるというよい例。真に大事なことを見極めて主張するのがいいのだ、と自省する次第です。

ところで、「わび」・「さび」を好む感覚は今でも生きているだろうか。美術館や名建築の中の非日常ではなく、自身の住まいという日常の中に、ということになるとどうだろう。谷崎の「陰影礼賛」の中で語られたあかるさについての美意識と同じように、思っている以上に早くから失いつつあったのかもしれません。

さらに、一般に言われるような日本人の美意識・美徳についても、それがほんとうに伝統なのか、あるいはしっかりと根付いて受け継がれているかということについては、今や懐疑的にならざるをえないという気がしているのです。

だからといって、「わび」・「さび」に代表されるような美意識、簡素を好む精神を否定するものでは、もちろんないのです。

*写真は表千家HPから借りました。
**写真は樂美術館HPから借りました。2014.11.25





#118 空港ふたたび 

非日常と日常

空間の開放性
学園祭の休暇の間に、武雄市図書館の2度目のインタビューなどのために帰省した際に、羽田空港を利用しました。

少し早い時間に着いたので、食事を兼ねてゆっくりしよう、以前取り上げたあの疑似半戸外空間、というかサンルームのようなところで昼食を取ろう思いました。あたりを探してみたのですが、見当たらない。ないと、ますますそこでなくてはという気になるのだね。そこで壁の案内図を見ると、12番搭乗口の近くにそれらしい場所がありました。今回の8番搭乗口からは少し歩くことになりそうだったけれど、もはやそこしかアタマにないので歩くことにしたのでした。


羽田空港フードコート 1

歩くこと5、6分で案外早くたどり着くと、確かにそこだったのだけれど、いつもとは逆の方向からだったし、おまけにいきなり吹き抜け空間に向き合うことになったので、新鮮でした。さらには、12時過ぎ頃でよく晴れた日だったために光が行き渡って、思っていた以上に気持ちがよかったのです。
 
もっと広く、もっと高く、もっと外気を、という気持ちは変わらないし、もう少し工夫があれば、うんと快適度が上がりそうです。広さは無理だとしても、高さやオープンエア化は何とかなるのではあるまいか。後は家具の配置や返却口をうまく隠せれば、ついでに緑の配置も考えて……(注文の付け過ぎか。そういえば、羽田空港には到着ロビーや出発ロビーへのエスカレーターのあるところも高く吹き抜けていますが、やっぱり横の広がりに断然欠けるのです)。


羽田空港フードコート 2

ややテーブル席の位置が窮屈だったり、直射光が目には入ってまぶしかったりしたけれど、こういうところで、ちょっと昼酒を手に本を読むと、いつにも増してゆっくりと過ごせるのだよ(この時は、例のインタビューに備えてあるフォーラムのレポートを読んでいたのですが、紀行文ならもっと良かったに違いない)。あかるい光(と影のコントラスト)は見るものを美しくし、人の気持ちを開放的にする。もちろん、深い庇の下から入ってくる柔らかな光の魅力を否定するものではありませんよ(当たり前のことですが、時と場合によってそれぞれにふさわしい楽しみがあるということ)。

それでもあたりを見回すと、みな忙しそうでしたね。動く歩道を行く修学旅行生たちは疲れているようだったし、中年の男性も急いでいる。他のテーブルは人もまばらだけれど、のんびりしている人は少なく、あっという間に席を立つ。ま、時間を効率的に使おうということでしょうか(そういえば、平日でした)。

日本の伝統的な建物の特徴は水平生にあって、高さを強調するような吹き抜け空間はほとんど持っていないから、日本的と言えばそう言えなくもないけれど、一方でいいものはためらわずに取り入れるという雑種性も有しているのだからね。また、日常と非日常、ハレとケの使い分けにも長けていたはず。それになんといっても、快適さや利便性に対する欲求では今や世界一と言えるくらいなのだから。こうした大きな場所でも、それを発揮してもらいたいのです。

やっぱり、効率性の追求や勤勉さというもうひとつの得意技が勝つのだろうか(あ、そのふたつともが僕にはないことに、いま気づいた)。2014.11.07





#117 秋の日は釣瓶落とし 

ウフィツィ美術館展

温故知新
このところ急に秋が深まってきたけれど、暮れかかってからくらくなるまでは本当にあっという間。アメ横で靴屋を覗いた時にはまだ少し陽があったので、写真を撮っておこうと急いで御徒町駅へ戻り東京都美術館へ向かったのでした。

ところが、車中から見る景色はみるみる暗くなり、上野駅へ着いた時にはもうすっかり闇に包まれていたのでした。ほとんど5分も経っていないのではあるまいか。しかたがないので、しばらく駅構内の本屋で時間をつぶすことにしたのでした。最近は大きな駅の中にはたくさんのお店があって退屈することはないのだけれど、(でもね)ビルの中と変わらないのだよ。またかと言われるのは必至だけれど、楽しさが不足していると思います。


ウフィツィ美術館展ポスター

さて肝腎の展覧会。ウフィツィ美術館の代名詞、フィレンツェのルネサンスの華ともいうべきボッティチェリの作品はいくつかあったものの、その代表作の「ヴィーナスの誕生」や「春」は来ていなかったのが残念。ちょっと看板倒れではあるまいか。その中では、「パラスとケンタウロス」が良かったかな。修復がなされていないのか、それともうまくなされたのかはわからないけれど、派手すぎない色調とパタン化された顔とはちょっと違う表情に惹かれました(そういえば、レンブラントの自画像を思い出させるようなものもあった)。

派手すぎないと言うのは、他にまるでグラビア紙に印刷されたかのようなぴかぴかの絵がけっこう目についたのでした。そして、この頃の絵は人物の表情も構図も案外パタン化されていることを改めて感じた。とくに人物の表情は、そして構図も、ほとんど作り物めいて不自然な感じがして楽しくない。たとえば、人物はそれぞれ役割を果たすことが求められたのでしょうが、別々に描かれているように見えるのです(「この意味では「パラスとケンタウロス」も同様です。もうひとつ、プロポーションがおかしいのが多いのはどうしたことだろう)。ま、こちらの教養不足というのは否めませんが、何と言っても今は赤瀬川*方式、欲しいか欲しくないかで見るのだからね。

その中で僕はリッピの絵が気に入った。そして、伊丹十三が、フィレンツェだったかヴェネツィア派だったかの画家について言及した時に、人物の表情が決め手だと書いていたのを思い出しました。

もうひとつ、ここしばらくの間に、展示方法が変わった。最近見た展覧会では背景に色を配することが増えた。濃い青やらピンクやら緑やら、ほとんどすべての展覧会でやっているのではあるまいか。たぶん、オルセーの改装の成功のせいでしょうね。照明も上からだけでなく下からのものもあった、おまけに絵は上から吊ったとき以上に斜めに傾けておかれているものもあった。こうした試みの中からいいもの、革新が生まれるのだろうと思いました。


賑やかな路地の酒場

その後、一緒に行った友人がお腹がすいたというので、駅の構内に入らずに少し下ってアメ横の入り口を進み、脇道に入ったところの焼き鳥屋でお腹を満たしたのですが、その周辺のありように驚かされました。屋台こそ出ていないけれど、狭い店からはみ出した席がずらりと道に溢れていて、まるで東南アジアの路地のようだったのでした。

猥雑だけれど、余計な理屈抜きにして楽しげで、なんだか生の喜びに満ちているようで好ましかった。こんなところにもオープンカフェの経験が生きているのかという気がしたけれど、たぶん昔はこうだったのだろうね。きっと巡り巡ってかつての姿にたどり着いたのに違いない。ということは……。

*赤瀬川原平が26日に亡くなったという記事が27日の新聞にありました。2014.10.28





#116 台風一過の空 

成長しない私

同じではない景色
先週、先々週とこの週末は大型台風襲来で大変でした。

あちらこちらで甚大な被害をもたらしたようです。

ただ、不幸中の幸いで、僕の周辺では大したことがなかったよう。台風18号の時は休校になったのですが、19号ではそんなことにはならなかった。19号の方は今年最大と言われたのに、横浜あたりでは昼間は全然その気配がなくて、夜になってようやく風と雨が強くなったかなという程度でした。翌朝、目が覚めて恐る恐る窓を開けて見たら、雨も風もなし。ほとんど台風の跡は残っていませんでした(ちょっと拍子抜けしたのです。玄関を出た時に、わずかに濡れた大きな落ち葉が数枚落ちていた。もう秋)。

もう一度顔を上げてみると、白い雲がわずかにあるものの、見事な青空でした。それにしても、台風一過の空はなぜこんなにも美しいのだろう。気象学的な理由があるのは当然としても、これはいつでも変わりません(前回の台風のことですが、お隣のHPには「まあ、ありふれた空であった」と書いてありました。こっちの方がいかにも泰然としていて哲学者らしい感じがしますが、実は写真を撮り損なった負け惜しみのような気も…)。


台風一過の青空 1

台風一過の青空 2

実は、台風一過の空については以前にも書いたことがある*ので、どうしようかと思ったのですが、やっぱり撮っておこうと思い直して、研究室から見た青空を切り取って、載せておくことにしました(写真だけではさまにならない気がしたので、文章も大急ぎでこしらえることにして)。

こんな気持ちになるのは、もしかしたら、実際の青空の変化以上に、台風が通り過ぎたというこちら側の気持ちがより美しく感じさせるのかもしれませんね。あるいは、われわれの日常の生活も、台風の時と同じように嵐が過ぎ去った後には落ち着いた空間が戻ればいいのに、という願望の表われなのか。

とここまで書いたところで、同じことを繰り返して書くのも嫌だと思って以前のものを読み直したのですが、その時も相当強力な台風で大きな被害をもたらしたようでした。おまけに、「いささか不謹慎な言い方ですが、どんよりと停滞し希望の見えない我々の状況—上から下まで、大きな世界から小さな社会まで、全世界のすみずみに至るあらゆる場所までと言いたいくらい—を、一夜のうちに一掃し、きれいさっぱりと洗い上げて、清しい世界に変えてくれたなら、とつい思ってしまいます(一歩間違うと、危険なことになりかねないけれど)。それでも、台風一過の景色に憧れてしまいます」とあった。

何だ、全く同じじゃないか。全く成長していないね(やれやれ)。で、この稿はボツということにしかけたのですが、気が変わってエントリーすることにしました。

台風一過の青空の美しさは変わらないが、そのありようは決して同じものではない(ついでに言えば、前のものを読んだ人がどのくらいいるかと考えると、はなはだ怪しい。まあ、文面も全く同じというわけではないし、受け取り方は違うかもしれない)。だから、「これでいいのだ」と思うことにしたのです。知らずに読んで、なーんだと思った人は、ごめんなさい。

*#047 台風一過
2014.10.15





#115 素朴で美しいかたち 

アイラ島の建物

ウィスキーとシンプルな生活
素朴な形態の潔さが生み出す美しさに惹かれます。近頃、ますますそうした傾向が強くなるのはどうしたことだろう。

ただ白い壁に切り妻が載っただけの建物。屋根は薄く、軒の出はほとんどない。壁には小さく開けられた窓がいくつか。そして煙突も何本か。何のへんてつもない、家や建物の祖型と言っていいようなかたち。

それは夕暮れの中にひっそりとたたずんでいて、平面的で、まるでキリコが描く街の風景かなんかの絵を思い出させるのです。小さな窓の中の淡いオレンジ色がわずかに、人がいることを感じさせます。

残念ながら、自分が見てきたものを思い出しているわけではありません。


ラフロイグ蒸留所遠景*

僕はいま、アイラ島の小さな建物の写真を見ながら書いているのです。「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」(1999、村上春樹、平凡社)の中のごく小さな写真ですが、頁をめくると現れるアイラ島の街中の少し大きな写真や海に接して建っているボウモアの蒸留所もまったく変わるところはありません。

ふいにウィスキーに関する文章を読みたくなって、久しぶりに取り出して読む村上春樹の文章はいつもと変わりませんが、何でもない風景を切り取った写真に惹かれました(写真は村上陽子というクレジットがあるから、奥さんでしょうか。たぶん、プロの写真家ではないはず)。ただ、その魅力の半分は写真家の技術の巧拙というよりも、たぶん被写体にあるような気がする。写真の頁もたとえばグラビア紙のような特別な紙が使われているわけでもなく、ごく当たり前のものです(と言ったからといって、写真家の腕はどうでもいいというのではないよ)。

もはや、これ以上は削れないというくらいに単純化された建物のかたちと、穏やかな海を挟んでその背景にある低い山と雲の多い空とからなるアイラ島の風景が、簡素で余計なもののない美しさを体現しているせいなのだと思うのです(アイラ島の蒸留所の写真は何度も見たことがあるけれど、いつ見ても素晴らしい)。村上春樹ならばきっと、そこに「静かな悲しみのようなもの」が染みついているから…、と付け加えるかもしれませんが。

ぜひ、訪ねて、見てみたいのです(実は、旧知の3人組—他の2人は僕より年下ですが、若くして会社を率いるという責任ある地位にあった—の会の席で、2人のうちの一人が、「くたびれる前にもうすぐリタイアするから、その時はスコットランドの蒸留所巡りをやりましょう」、と言うので楽しみにしてきたのです。もうそろそろ頃合いだという気がするのですが、どうやら彼らはふたたび元気を取り戻したらしい。ま、それはいいことに違いないのだろうね。僕は、今でも楽しみにしているのだけれど)。


アイラ島の港の集落*

アイラ島の民家*

そして、自身の生活 とこれをとりまく世界が、この風景と同じように(美しくとは言わないけれど)シンプルであったならば、と願わずにはいられないのです。

ウィスキーをつくっている人々のことばも行為も、その景色と同様に、「潔さ」に貫かれているようです。

たとえば、子供が生まれた時にはウィスキーで祝杯をあげ、葬式の時もウィスキーを飲む。しかも、埋葬の後「飲み終わると、みんなはグラスを石にたたきつけて割る。ウィスキーの瓶も割ってしまう。何も後に残さない。それが決まりなんだ」というのです。……。

また、「みんなはアイラ・ウィスキーのとくべつな味について、あれこれと細かい分析をする」けれど、「ここに住んで、ここに暮らしている俺たちが、このウィスキーの味を造っているんだよ。人々のパーソナリティと暮らしぶりがこの味を造りあげている。それがいちばん大事なことなんだ」と。

なんだか、樽の中で潮風を吸い込んだり跳ね返したりして生まれたアイラ独特の香りが「人々の心をなごませ慰めるんだよ」という、シングルモルトのウィスキーこそがいま飲むのにふさわしいような気がしてきて、また飲みたくなった。……。美味しい。おっと、止まらなくなりそうです。

* 写真はislayinfo中のphotoblogから借りたものを加工しました。
2014.10.11





#114 広場の存在と不在 

たしかに世界は狭くなっているけれど

DNAは変わらない?
前にも書いたことがあるかもしれないけれど、僕は紀行番組が好きで(実際に出かけることができないのが要因かも)、妹夫婦に頼んで録画したものを送ってもらっているのですが、これらを観るたびに、羨ましいと思うことがあります。

街や村の風景や人々の暮らしぶりはもちろんですが、大きな駅舎*や空港を見るたびに、わが国のそれとの違いを思い知らされて、ため息をつきたくなるのです。


ユーロスター発着駅当時のウォータルー駅

東京駅丸の内駅舎内観

ヨーロッパの(主要な)駅は、コンコースやプラットホームが広くて、天井が高くて、ガラスの屋根が掛かっていて、開放的な広場の趣きがある(こんなことばかり書いていると、高ければ嬉しがるおめでたいやつと思われそうです)。このため、まさに人が集い、そしてそれぞれの目的の場所へ向かって離れていくという場所にふさわしい。これに対して、わが国のそれは、大きさにかかわらず高さがなく建物の一部であることを認識せざるを得ないのです。わが国の駅が日常の延長であるのに対して、彼の国のそれは非日常的な経験を生む空間となっているように思えるのです。

これは、建築空間の特徴がそのまま表われていると言っていいようです。
すなわち、高さと垂直の西洋に対して広がりと水平の日本。

このことが、人の暮らしのありよう、とくに他者との関係に大きな影響を与えているのではあるまいか、という気がするのです(といって、とくに検証したわけでもないのだけれど)。

一方、日本に限らずヨーロッパでも、小さな駅や新しくつくられた駅についてはさほど違いがないような気がします。これは、経済や効率の優先のせいかと思うのですが、それでもいまだにこの違いを思い知らされることがあります。ヨーロッパでは、新しく計画された駅でも広さや高さ、そして外とのつながり(壁や屋根の透明性)、すなわち広場的、あるいは劇場的な特徴を備えた駅があるようです。

たぶん、町の成り立ちを見る時に、わが国が道の国であったのに対し、欧米は広場の文化なのだと思わないわけにはいかないのです(これは、「奥」と「中心」という概念の違いそのまま当てはまりそうです)。やっぱり、長い間積み重ねてきたことは、簡単には変わることができないないということなのでしょうね(江戸時代から明治に変わる時には、漱石が「未練なき国民」と記したように、国を挙げてそれまでの伝統を捨て去ることで大きな変化を遂げたわけだけれど)。

僕自身は、先天的に持って生まれた性格よりも後天的な力の方を信じるのですが、もしかしたら、DNAを侮ったらいけないということかもしれませんね。

林昌二は、自邸を設計する際、固い床の方がかっこ良く見えることは承知の上で、お酒が入るとだんだんお尻が床に近づく*(日本人のDNA)といって、カーペットを敷き詰めた柔らかい床にしました。

それから、DNAと言えばもうひとつ、水との関係がありそうです。欧米の場合は水を楽しむというか人と水との距離が近い。それも川や運河における親水性の高さだけのことではありません。とくにアメリカ(実は行ったことがないのだけれど映画を見るかぎり)では船着き場とは違って、ただ水を楽しむ(水の上で過ごす)ためだけの遊歩桟橋(イギリスではピアと呼ぶようです)がむやみにあるようですが、日本ではほとんど見かけません。

わが国の川の方が急峻であるといった自然的条件や安全性に対する考え方の違いがありそうだけれど、案外われわれ日本人は、自然が好きなわけでもないのかもしれないのかもと思ったりすることがあります。自然の姿を変えたり汚したりすることも、あんまり気にしていないように見えるのです。そういえば、万葉集や古今和歌集に登場する自然はきわめて限られている(すなわち、自然=記号としての自然)、と言うのです。

さて、グローバル化が進む中で暮らす皆さんは、どう思うのか、こうした違いに関心があるのだろうか。

*私の住居・論 丸善 1997
2014.10.08





#113 美術館展をはしご 

狭くなる世界

名品同士の切磋琢磨
展覧会をはしごするのは、やっぱり疲れる。一流の美術館の名を冠したものはとくにそんな気がします。

それは、ちょっと考えると、むしろ当たり前のことで、不思議でも何でもない。一流品を次から次に見るということは、その度毎に集中するし、しかも一人の作家だけでなく、美術館が所蔵するさまざまな作風の画家たちの作品を一度に見ることにもなるので、サクサク見るというわけにはいかず、その結果当然疲れるのです。


チューリッヒ美術館展とオルセー美術館展

で、今回出かけてきたのは、国立新美術館で開催中の美術展2つ。いずれもが大物美術館からのものです。ひとつはチューリッヒ美術館展、もうひとつはオルセー美術館展(こちらは前回ヴァロットン展の項で触れました)。いずれも名だたる画家たちの作品が展示されています。

このこと自体は素晴らしいし、ありがたいのだけれど、観客数のためか、それとも日常と非日常の違いのせいか、何となく忙しげで落ち着いてみることがむづかしいような気がします。現地の美術館で見る方が時間的には余裕がないはずなのだけれど、

ふだんは自分が持っていたいと思えるような作品に注目しながら見るので(だから、1巡するのは早い。「買えない」ということはきっぱり忘れます)、いきおい家にも飾れそうな小さい作品に目が行きがちなのです。急いで付け加えるならば、気に入った絵もう一度はじっくりと眺め直します(これは、赤瀬川原平に教わった見方)。

今回の2つの展覧会でも、まず欲しいと思ったのはやはり小さい作品で、たとえば、モンドリアン、キリコ、マグリットらの絵。


灰色と黒のアレンジメント-母の肖像*

しかし、いちばん惹かれたのは、それらの小品ではなく、ジェームズ・マクニール・ホイッスラー(1834-1903)の『灰色と黒のアレンジメント-母の肖像』でした(これまで何回か書いたことと違って、約1.4×1.6mの比較的大きい作品で、とても家に飾れそうにはないのだけれど、傑作だと思ったのです)。ホイッスラーは、主にロンドンで活躍したアメリカの画家です。気になったので調べてみると、このほかに代表的なものとしては浮世絵の影響があきらかな作品もあるようでした。

ヴァロットンのところで書いた物語性ということで言えば、声高ではないけれど、物語性に溢れた絵と言えそうです。たとえば、ヴァロットンのような、直接的と言うのか劇的と言えばいいのか、作品が直ちに強いてくる物語性とは異なって、静謐だけれど見つめているうちにさまざまな想像を呼び起こすような作品でした(これは、奇しくも同行した建築家も同意見だったのでした)。


アトリウム

もうひとつ、改めて思ったのが、開放的な空間の魅力。とくにアトリウム、というか大きな吹き抜け空間は室内でありながらまるで外にいるかのような開放性を感じさせてくれて、いかにも特別の時間を楽しむのにふさわしいし、うれしい(実は、この魅力については次回にも登場する予定)。

会場の国立新美術館(2007)は、数年前に亡くなったメタボリズムの旗手の一人であった黒川紀章の設計です。けれん味のある作風で知られただけに、逆円錐形のコンクリートの空間を内包したアトリウムがあって、なかなか楽しいのです。

小さなガラスの板を何枚もつなぐようなファサードのデザインは、ジャン・ヌーヴェルのバルセロナの水道局(2005。ホテルに改装されるようです)に触発されたのではないかという気がします。おまけに、これもどっちが早かったのか微妙ですが、この水道局の形態もロンドンにあるノーマン・フォスターの俗称ガーキン・ビル(2004)にそっくりなのです。

やっぱり、絵も建築も同じところがあるようです。

* 写真はウィキペディアから借りました。
2014.10.04





#112 ヴァロットン展 

三菱1号館美術館の庭

都市のオープンスペース、またはポケットパークの悦び
このところ、急に秋めいてきましたね。

芸術の秋だというわけでもないのだけれど、つい先日、ヴァロットン展へ行ってきました。平日だというのに、ずいぶん混んでいたのに驚いた(主に中年以上のおじさんやおばさん。若い人はぽつりぽつりと混じる程度でしたが、フェルメールの時と同じくらいのにぎわい振り)。これまでほとんど知られていなかったはずなのに、パリで大人気を博したという報道のせいか、はたまた 「日曜美術館」や「美の巨人たち」といったテレビの特集番組のためだろうか。ま、メディアの力によるというのは間違いがないことでしょうね(かくいう僕自身だって、例外ではありません)。

先日見たバルテュスやデュフィもそんな気がしたけれど、画風はひとつではないようでしたね(当然といえばそうかもしれないけれど、その多様さはどうしたことだろう)。ピカソにもあったように思わせる絵があったし(図録を見返したらそうでもないような気がしてきたのですが、会場での印象を優先することにしよう)。僕はこういうことが時々あって、つい先日は、仙台で見たカンディンスキーの一枚にポップアートとよく似たものを感じたのです(よく知らないせいなのかもしれません)。

そして、浮世絵的な表現のあきらかな影響も、と思っていたら、彼の所蔵していた浮世絵が展示されていたのでした。白と黒だけによる版画もたくさんあったし(こちらは切り絵に近い)、そのせいだろう、と思うのだけれど、 絵も平面的でモノクロムのものに色彩を着けて描いたように見えるものが多かった。

そして、人物画の多くが人体の温度が感じられない気がしたのでした(そういえば、惹句に「冷たい炎の画家」とあった)。この他、イラスト的と思うものもあったし、セザンヌのようにパースペクティブを歪ませたようなものもあったのですが、これらは時代性を考えるとごく自然なのかもしれません。彼が活躍したのは19世紀後半だったのだからね。


三菱1号館美術館の入口

僕がいちばん見たかった作品、近代フランス美術の殿堂のオルセー美術家に所蔵されており、今回の目玉、白眉とも言うべき「ボール」(これは、伊丹十三になら「なんと思おうが知ったことか」と言われそうですが、思っていたよりずいぶん小さかった。これはそれだけ優れているということでしょうね。このような例としては、最も有名なものとしてはルーブル所蔵のモナリザがある)を初めとして、思わせぶりと言うのか物語や時間の流れを喚起する仕掛けを強く持った絵も見られました。僕がしばらく一緒に仕事をしたことがある日本画家(こちらは静かな風景画でしたが)は、できるだけ物語性を排除したいのだと言っていたことを思い出しました(もちろんどちらが良いというのではなく、描く対象や意図によって異なる)。


広場に面した通路

入り口の前の広場

ところで、ヴァロットン展が開催された三菱1号館美術館は、以前にも書いた*ように庭というかビルに挟まれた外部空間があって、展示スペースから別のスペースへと移動する時に、その庭を見ながら休憩できるようにできています。これが、なかなかいいのです。 その庭には緑やベンチがあり、さらにはレストランやカフェのオープン席も設けられていて、ビルとビルの間の大通りに続く路地と小さな広場のようです。ちょうど秋めいてきた頃の気持ちのよい天気だったせいもあるのか、ここでくつろぐ人が多勢見られました。


オープンカフェ

ビルに囲まれた広場

帰りに道を間違えて遠回りをしてしまったために東京フォーラムの方に出ると、贅沢なオープンスペースに出会しました。さらに進むと大きなビル(見ると、東京ビルディングとありました)にはガラス越しに店内が見通せるお店が、そして張り出したテントの下にオープン席がしつらえられたレストランがあって、さらにはJPビルの裏手との間にはもうひとつ広い広場空間が現れたのでした。今まで、日本にはヨーロッパで見たような気持ちのいい都市の広場がないなあと思っていたのですが、ちょっと考えを改めさせられました。

それにしても、東京丸の内周辺は、日本でも有数の、もしかしたら、いやきっといちばん人々のための外部空間やポケットパークに恵まれた場所ではあるまいかと思ったのでした。こうした空間があちらこちらにあると、街に出るのが楽しくなるのです。

*本項#094 展覧会をはしご

2014.09.25





#111 街のリビングルーム 

使い方は、住民次第

考え抜かれたことが生み出した魅力と威力
先日、ゼミの学生たちと仙台と気仙沼に行ってきまきました。もちろん、震災とその後の状況を確かめるための研修旅行でした。 ちょっと遅きに失したようだけれど、これにはわけがあって、学生たちの間には被災地で見学したり話しを聞いたりするというのは不遜ではないかという気持ちがあったのです。しかし、語り部制度があることからもわかるように、たぶん住民の多数にとってはそうではなくて、むしろ当地以外の人々の震災に対する記憶が風化することを恐れているということのようでした。

でも、いずれにせよ現地に行かなければわからないということは必ずある。学生たちは、いろいろと感じるところがあったようだったし、いずれもが現場に真剣に向き合ったようでした(おまけに、 その後学校に戻ると、これからボランティアに行くと言う学生にも会った)。ともあれ、行ってよかった。


仙台メディアテーク

しかし、今回ここで取り上げることは被災と直接かかわることではないのです(被災地で考えたことは、また別の機会に)。で、ピンと来た人もいるかもしれませんが、今回の話題は仙台メディアテーク(2000年竣工)。伊東豊雄の設計によるもので、図書館を中心とした公共施設の建物です。

今さらという気もしますが、メディアテークは 、雑誌で見た時とは違って、 誰にも良さがわかるという建物ではなかったのではないかという気持ちを禁じ得ませんでした。もしかしたらほとんどの人が、少なくともその効果については半信半疑だったのではあるまいか。というのは、造形的には目を引くところはたくさんあるのだけれど、その使われ方についてはどのくらいの人が想像できたのだろうか、という気がするのです。

前面道路のケヤキからインスパイアされたとも聞いた(表参道のトッズビルと同じですね)という斜めに交差する何本もの鋼管による柱、外からも見通せるガラスの壁のインパクトはもちろんあるけれど、これらは彼が始めたというものではない。前者はたとえばコールハースがダラヴァ邸(1991年)でやっているし、素通しのガラスウォール、そしてダブルスキンというのも珍しくありません。

でも、こうしたものを組み合わせ、拡大して、実際に美しくて機能するものとしてつくりあげたこと、そしてその有効性に気づいていたことに脱帽するのです。

平面図を見ると各階とも事務や設備スペースといった最小の機能以外は、ほとんど固定されていません。というか、定められていないように見えます。こうした場合、もし学生が課題設計でエスキスを持って来たとしたら、たぶん「ここはどう使う?もう少し考えなさいよ」といわれるのがせいぜいではあるまいか。これを実現させるためには、意味があるという考え抜いた確信が不可欠だったに違いない。

実際に見てみると、造形的なインパクトは写真で見た時の方が勝っていたように感じたけれど、日曜の夜にもかかわらず、1階のスペースはカップルや待ち合わせの場所として使われているようだったし、7階のラウンジやスタジオは高校生たちの自習スペースとして賑わっていた(もしかしたら、仙台の高校生は勉強熱心なのかしらん)。また、その夜にはがらんとしていた地上階の多目的スペースも、聞けば、映画等のイベントのためのスペースとして賑わっているそうです。翌々日の午後にもう一度訪れた時も、さらに人が集まっていました。

これの理由はやっぱり、壁が透明であることをまず第1にあげるべきだろうと思います。外から見えるから、気になったらちょっと覗いてみようかという気持ちになるだろうし、閉じた空間ではないから、入るのに抵抗がない。そして、東北随一の大都会だから知っている人に見られるかもという心配も少ない(もし、気になるなら。でもむしろ、出会うことを期待している部分があるのかもしれません)。

設計者の伊東豊雄が、乗り合わせたタクシーの運転手さんに自身の作品について、「あそこは外観はかっこいいけれど、中に入ったらつまらないよ」と言われたことがどれほどショックだったか、その後の設計に対する姿勢にどんなに影響を受けたか、について告白する映像を見たことがあります。このことが生きているのだね。


仙台みんなの家

そして、学生たちは仙台の仮設住宅に併設された「みんなの家」(2011年10月。メディアテーク同様、伊東豊雄の設計)にも大いに感動したようでした。こちらは、伊東豊雄らしからぬどこにでもありそうな切妻の木造建築ですが、誰でも気軽に入ることのできる、まさに周辺の人々のためのリビングルームのようだったと言うのです。もちろん、その状況(仮設住宅に住む人々の多くにとって、広い空間や他の住民と会える空間が望んでも得られなかった)によるところが大きいことを忘れるわけにはいかないのですが、それでも、公共施設は 、少なくとも一部のあるものは、 まずは街のリビングルームや縁側、軒先になればいいのだし、デザインするものはこのことにこそ心を砕くべきではないかと思ったのでした。

さて、みなさんはどんなふうに思うのだろうか。2014.09.18





#110 木漏れ日 

光と影のつくりだす造形

見る喜び
横浜では、昨日久しぶりに晴れ渡った青空と夏の強烈な日差しが戻ってきました(今日も、暑そうです)。

コルビュジエは「光は、私にとって建築の最も重要な基本です。私は光によって構成するのです」と言い、カーンは「構築体は光を与え、(光は)空間を与える」と言いました。いずれも建築にとって、光がどれほど大事かを示した言葉です。

もちろん賛成しますが、同時にこのことは影の重要さを含んだ言葉だとも思います。光が当たればもののかたちを認識できるばかりでなく、よい建築の内外で光と影が相まって生み出す景色を堪能することができるというわけです。

しかし、これは何も建築に限ったことではない。見るもののほとんどについて言えるのではないか。少なくとも、僕自身が建築空間だけでなく外の景色を楽しむときも、その魅力の大部分は光と影のつくりだしたものによるような気がするのです。


空を映す水面

たとえば、山の緑や咲く草花、あるいは石や鳥居、地蔵菩薩等々、そこで見ることができるあらゆるものの美しさは影があってのことだし、 静謐で透明な水を湛えた水面に映り込む景色や風にそよぐ川面に射す光が反射してきらめく様についても同様です。

ところで、今年の夏の帰省で嬉しかったのは、川の水がきれいになっていたことでした。ゴミが浮いていたり泡立ったりしていた小川も、生活排水で濁っていた川も廃棄物が取り除かれ、見違えるほどでした。川の水がきれいだと、街全体が清潔になったような気がします。

でも、その後続いた大雨ですっかり濁ったばかりではなく、どこから来たのか誰が投げ入れたのか、いつのまにかビニル袋が浮いていました。一人ひとりが気をつければ何でもないことが、一人の不注意が積もり重なれば取り返すのに膨大なエネルギーを要します。他者のことに気を配れば、何でもないはずなのです(こういうことを「社会性」というのだね)。


木漏れ日をあびる石の階段

光と影について言えば、なんといっても木々の葉々から漏れる光と影のつくりだす光景がいちばん美しい。晴れた日の強烈な光による緑の色の鮮やかさとコントラストも、曇った時の柔らかなあかるさが生む微妙な色の変化も見ていた飽きることがない。毎日通っても、同じように見えても、やっぱり眺め入って、写真におさめたくなるのです(この項に、何度も似たような写真が登場するのはそのせいです)。

でも、今夏は記録的な雨続きで、晴れ渡った空と光と木々を目にすることができなかったのは返す返すも残念(今年は世界的な規模での異常気象のようですね。ばかばかしい言い方だけれど、人間の所業に対して自然が怒っているのではないかと思いたくなってしまいます)。

もしかしたら、建築においても、食べる、寛ぐ、仕事する、車を停めるといったいわゆる機能や合理性よりも、光と影がつくりだす魅力のための造形、形態が重要なのではあるまいかとさえ思えてきたりするのです(冒頭であげたコルビュジェもカーンも、機能の重要性についても説いたのだけれど)。

さて、みなさんはどんなふうに考えるのだろうか。2014.09.03





#109 半屋外空間 

アトリウムの誘惑

感覚的な喜び
帰省の時の羽田空港では、出発までの時間は、たいていアトリウム(と言っても、たいして高さのないガラス屋根が掛かった疑似外部空間)に行く。そして、だいたいと言うかほとんど必ずビールを飲む。今回は、相手がシンコとマグロの握り寿司だったので、初めて日本酒を頼みました(残念ながら、ぬる燗の用意がなくてしかたなく常温のものを。小さな瓶詰めの安い菊正宗もけっこういけました)。ま、そうやっていかにもオジサン的に非日常的な空間と時間を楽しんでいるつもりなわけだけれど、我ながらプアだなあ。


背の低いアトリウム

近頃は景気も回復してきていると言うし、街の中にはずいぶん前からオープンカフェも増えて非日常空間を楽しむ機会もほぼ日常的になったようですが、僕に関しては相変わらず非日常は非日常なままです。とくに、何本もの梁による光と影のつくる図を眺めるのは飽きることがない。

それにしても、どうして軽やかな屋根をふわりと掛けて、この空間(羽田空港南ウィングの出発ロビーに隣接するレストランやフードコートに挟まれた半室内空間)を最上階まで届く大きな吹き抜け空間にしなかったのだろう。幅が狭いせいというのかもしれないけれど、それにしてもわくわくするところがないのです。もしかしたら、マンウォッチングは楽しんでも、見られることは好まないということでもあるのだろうか。

そして、願わくば晴れの日はぜひ、一部でもいいから、オープン・エアにしてほしいのです。風が取り抜け、ガラスのフィルター無しで空を見ることができる。そうなれば、ここで過ごす時間の楽しさはずいぶん違っただろうと思いますが、辺りを見回してみてもあんまりそうした気遣いはなさそうです。

僕は同じ中間領域的な場所でも半屋内空間よりも半屋外空間の方を断然支持するのですが、ここは高さだけでなく幅もないし、テーブル席や植物やらと中のお店との間がただの壁でしかなく、おまけに食器の返却口が開けられているのが見えたりして、いっそう楽しさが減じて残念。

側を走る動く歩道をゆく人も、あんまり楽しそうな顔ではありません。もしかして旅が日常的になりすぎて楽しくなくなった?特別な楽しみだったことが日常になるというのは、それはそれで素晴らしいことではあるのだろうけれど……。


開放的な駐機場

トレイを返却して、扉のない店舗のゾーンへ戻ると、冷房が効いていて快適だけれど窮屈で、その向こうの駐機した飛行機の見える風景がはるかに楽しく感じられるのです。そして、ここでも鉄道の駅舎の場合と同じく、ヨーロッパのそれの方が広場の感覚があって心がときめくようで羨ましく思うのでした。このところ気になっているのが、たとえばマドリッド・アトーチャ駅の待合室。まだ行ったことがないけれど、まるで温室の趣きのようです。

わが国において優先すべきは楽しさの演出よりも効率の創出、感覚的な気持ちよさよりも物理的な快適さ、ということなのだろうか。とすれば、ちょっと寂しい。2014.08.23





#108 号外 カスティリオーニ×16展予告 

ゼミの成果を作品化

第1弾は8月3日オープンキャンパスで
今年の春学期のゼミでは、3・4年生ともに(別々にですが)「アッキレ・カステリオーニ に学ぶ」というテーマでやってきました。カスティリオーニの名前や作品は見たことがある人はいるはずですが、彼のデザイン手法については、あまり知られていないようです。

カスティリオーニ(1918 - 2002)はイタリアのデザイナーですが、そのデザイン手法はちょっと変わっていました。彼は、すでに存在しているかたちを別の用途に転用する、あるいは組み合わせることによって新しいものをつくりだすということをやり続けたのです。これは、他の多くのデザイナーとは全く異なるやり方です(このことについては 8月半ばに掲載予定の学科HPの教員コラムに書きました)。


カスティリオーニ×16展ポスター

学生たちは、その考え方や手法を研究するのと同時に、それに倣ってそれぞれが作品を作りました(なかなかいい出来のものがあります)。そこで、これを集めた展覧会を開催します。オープンキャンパスのイベントにも参加することになりました。ぜひご覧いただきたいと思います。

第1弾 8月3日 オープンキャンパス 1号館1階ホール
第2弾 9月下旬 1号館1階ホール予定

2014.07.31





#107 続・デザインはもう要らない

言葉の力、言葉の罠

小さな哲学者
残念ながら、誰からも意見は届きませんでした(うーむ)。しかたがないので、今までのところ自分で考えたことを。

さて、建築家に於ける自己表現ということについては、比較的簡単なような気がする。これは、建築家に限らず誰にでも当てはまりそうだけれど、たとえば、不機嫌のような単なる気分や個人的な気まぐれは、「(創造的な)自己表現」とは言わない(少なくとも、社会的に共有されることを意図したものではない)。すなわち、この場合、感情や気分が向けられた対象(問題)とこれに対する気持ちのありようは、きわめて個人的なものだから、一般に共有しにくいだろうと思います。

また、建て主の要請を型通りの(批評精神を持たない)やり方で実現しようとすることも、同様に自己表現とは言いがたい。


W・グロピウス、デッサウの校舎、1926

しかし、そこに彼/彼女の創意があれば、ことさらにアジテーションやマニフェスト、プロパガンダ的なものでなくとも、すでに自己表現となるのではないか、と思います。そこには、対象(たとえば、住宅や生活)に対する作者の考えや思想を含んでいるのだから。そして、それは共有化される可能性を秘めているのだから。

そもそも、それが何であったとしても、自己表現や自己主張の欲求なしには創造行為はあり得ないのではあるまいか。

一方、怒りの表現というのは、……。簡単ではなさそうです。

第一、怒りが込められたデザインというのは楽しそうではないですね。でも、怒りの表現はさまざま。必ずしも激しいものばかりではなくて、静かな怒りというものもある。そして、今ほど怒りが必要な時はないのかも、とも思います。

怒りという言葉をある確立された体制に向けられた異議申し立て、現状維持の閉塞感を打破し別の世界に(少なくともよりよい方へ向かうことを意識して)向かう、変革のための批評行為だと考えるならば、意味のある、きわめて重要な要素だとも言えるような気がしてきます。


W・グロピウス、アウエルバッハ邸、1924

そうだとするならば、ちょっと飛躍するけれど、表現者と言うか、何かをつくりだしたいと望む者は冒険のための冒険でもよいから冒険せよということになるでしょう。冒険そのものが、あるいはこれに触発されて新しいものをもたらすことがある。何回か前に書いた、バルテュスが「描きたいものを描くということよりも、独自な画家の存在理由を見つけるために新しさを付け加えようとした」ように見えたとしても、それは野心的な画家として当然のことだと言うことができる。となると、今度は自己表現とはどうつながるのだろう。

1人の人間の中にひとりの人物だけしかいないとは限らない。変革したい自分、何かをなしたい自分、自身が最も信じるものを表現したい自分、……。さまざまな自分がいるのがいるのがふつう(これは、当たり前、一般的という意味)ではあるまいか。

第2次世界大戦中とその後の日本の知識人たちの振る舞いを見てきた人がある状況に対して言う「沈黙は中立ではなく賛成」であるとか、その道を究めた職人の「天職というものはない、一生懸命やっているうちに仕事の方が近づいてくる」といった言葉などとの関係も気になります(その間の距離はそれぞれ異なるけれど、いずれもが現状に対する批評精神が重要ということに連なるはず)。

そういえば、少し前までは、言葉だけで世の中と向き合おうという態度は言葉をもてあそんでいるだけのような気がして遠ざけようとしていたのだけれど、ある時に絵を見ていて、これをどう見るのか、そこから何を汲み取るのかを新しい言葉で表現できれば、これもひとつの創造的な行為となるのではないかと考えたりしたことがあった。

それからまた、しばらくして、日本在住の米国人の詩人であるアーサー・ビナードが書いた「言葉にごまかされるな」*と題する文に接したのでした。彼は、「言葉は『人をだます』ためにも使われることを忘れてはいけない」と言います。もちろんこれは、集団的自衛権を巡っての言い方。

でも、ここで取り上げたいのはそのことではなくて、 彼はその前に、まず「言葉は何かを伝えたり、世界をおもしろく見つめたりするもの」と書いていたのです。その後半部分は、ぼんやりと感じていたことを、明確に示してくれたというわけ。だから言葉を軽視してはいけない。言葉は世界を発見する強力な道具なのだ。

ただし、言葉だけに頼るのも、依然として、きわめて、危険なのではあるまいか(たとえ、あなたが詩人だとしても)、という気持ちも相変わらずあるのです。バーチャル・リアリティは、決してリアルな世界とはならない。

耳触りのいい言葉を垂れ流し、あたかも何かを実現したような気になるのは何としても避けなければならない。自然体でつきあうと言うと聞こえはいいけれど、闘う(真摯に向き合う)ことをやめることかもしれないのだから(自戒しなくてはいけません)。

僕が、ことさらにコンセプトやらプロデュースやらという言葉を避けたい、極力使って欲しくないと思うのは、きっとそのためなのだ(たぶん、これらに実際に取り組んでいる人たちは、言葉だけをもてあそんでいると感じている人は少ないのだろうけれど。でも杉山登志**の例もある)。頭の中だけで作られたデザインはもう要らない。

恥ずかしながら、正直に白状すると、こう言いながら、僕はいろいろなことに対して真剣さが足りなかったようです(反省)。過ぎたことはしかたがないとして、残りはもう少し……、と思います。

お隣の先輩は、「小学生のための哲学」というものに情熱を注いでいて、それがとてもおもしろくて示唆に富むのだとしきりに言うのですが、さて、僕はこれから、小さな哲学者(小さなことをきちんと考える人)になることができるだろうか。

理屈っぽくなりましたね。また、どこからも意見は届かないかな。
*2014年6月27日朝日新聞
**本欄#31 2014.07.14





#106 デザインはもう要らない

自然体で、気持ちよく

気取りすぎず、粗野にならず
ついこの間まで、ゼミ室と研究室をしっかり管理して、ちょっとしゃれた空間にしようと思っていたのだけれど……。

でも、あんまりがんばり過ぎるのもかえって野暮なような気がしてきました。

身の丈にあった(あるいは、若い人はそれよりちょとだけ上、年取ったらむしろちょっと下くらいの)しつらえ方や暮らし方をめざす方が好ましいのかも、と思うようになったのです。

ふとしたことから自転車をまた買おうかと思いたって、検討し始めたら、今はまあいろいろなデザインや機能のものがあるのだね。それらを見ているうちに、ふいに思い至った。気取りすぎたり背伸びしすぎたら、それはむしろかっこ悪いのではないか、と。


今はちょっと

デザインされたという感じが勝った自転車は自分の日常の乗り物としてはふさわしくない。ふだんはカジュアルな服装が合うような生活をしているのに、自転車だけスタイリッシュというのはやっぱり変なのではあるまいか。それこそデザインされたモノが主役のようで(ふだんの生活が背景のよう)、主客転倒の気がします。

だいたい、専用の客室が欲しいという建て主に対しては年に何回必要でしょうかと問い直したり(滅多にその機会はありませんが)、よそ行きのような住宅よりも普段着の住宅が好ましいと言ったりしているのに、いざ自身の持ち物になると、ついそのことを忘れてしまいがちになる自分に気づいて、恥ずかしくなったのでした。

少々乱暴だけれど、このことを敷衍して言うならば、もはやデザインは要らない、ということになりそうです。

と書くと、誤解されそうなので、急いで付け加えるならば、デザインという行為が不要と言っているわけではもちろんなくて、過剰なデザインは要らないということです。あるいは、ただかっこいいだけのおしゃれなデザインは不要だけれど、気持ちのいいデザインが欲しいと思います(もうひとつ付け加えると、これは狭義のデザイン、形態のことが大部分となるようだけれど、必ずしもそれだけでもないような気がします)。

だからといって、おしゃれなデザインが好きな人の好みを否定しようとは思いません。それはそれでいい、かっこいいデザインを選べばいいのです。その人にとっては、十分に意味があるはずなのだから。

ともあれ、表象のデザイン(主に、目に見える外装や内装)に対する嗜好は、また、いかにもおおげさに聞こえるかもしれないけれど、生き方そのものではあるまいか — 何を選ぶのか、あるいはまた何を選ばないのか。このことは、意識するしないにかかわらず、外観についての嗜好や選び方は、 その人の暮らし方と不可分 で、案外、けっこう大きな部分を占めているのに違いない、と思うわけです。


これに籐製の篭があれば

で、現在ただいまの僕自身について言うならば、たとえば、毎日着ていても疲れない洋服や履いていてきつくない靴でありながら、かつ、さりげなくて美しい。少なくとも、清潔でこざっぱりとしている。そういうものやインテリアを持ちたいものだと思います。自転車なら、シンプルでどこにでもありそうな自転車らしいかたちで、ちゃんと泥よけのカバーや荷物を運ぶための篭がついているなら言うことはない。

と、ここまで書いていたところで、例の建築家と話しをしている時に建築家と自己表現についての話になった。彼の仲間の建築家が「建築家は本来自己表現するものではない」と言い張るということに対する疑義から話が始まったのですが、やがて「デザインには怒りが込められてなければいけない」と主張するところまで行き着いたのでした。

野暮だけれど解説すれば、「世界に迎合することなく、異議申し立てをする」ことがデザイナーの大事な仕事だし、ユーザーはこうしたものを選び取ってパンキッシュな態度を共有するのだ」ということだろうと思います。「ラコステのポロシャツやリーバイスの501のような定番を着て納まり返っている場合ではないのだ」というわけです(そのとき僕はラコステのポロシャツを着ていた)。

まいったな。知らず知らず耳障りのいい言葉の罠に陥ってしまっていたのかもしれない。それとも、楽な方を選ぼうとしていたのかしら(おおいにありうる……)。

これについては、 ぜひ皆さんにも一緒に考えてほしいし、メールででも知らせてもらえればありがたいのです。そして、(さて、何人いるかもわからないのだけれど)それらも参考にしながら、もう少し考えてから、改めて書くことにしようと思います。
*写真はブログTHE SARTORIALISTから借りたものを加工しました。2014.07.02





#105 インテリアの作法は暮らし方

境界面の扱い方

研究室訪問・いきなり完結編?
インテリアは暮らし方そのものではあるまいか。

と書くと、何とおおげさな、という声が返ってきそうです。

ここで言おうとしていることは、別におしゃれかどうかということでもなく、美しいかどうかということでもなく、片付いているかどうかでもありません。もちろん、これらが無関係とは言わないけれど、それがどうかというよりも、そのことこそが住まい手が大事にしていることがら(の一端)伺い知ることができるということ。だから、善し悪しということではありません。

いずれにせよ、インテリアには、それがなんであれ、そこを使う人の考えが直接的に表れるようなのです。

つい先日、研究室を訪問してルポルタージュしたら面白そうと書いたのだけれど、これがけっこうむづかしいことに気づいた。見たら何かしら感想を述べることになります。当然、好意的なものもあればそうでないものもあるでしょう。となると、まずいことにもなりかねない(ちょっと、甘かったね。まぬけでした。反省)。


境界面 01


境界面 02


境界面 03


境界面 04


境界面 05


境界面 06


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境界面 08


境界面 09


境界面 10


境界面 11

で、材料だけを並べることにしたというわけです(これがまた簡単ではない。 あ、撮影許可は得ていないところもあるけれど、大丈夫かしらん)。あたりまえのことだけれど、いろいろなインターフェースがありますね。十人十色、いや十一人十一様です。

これまで、建物を計画するというのは、結局のところ空間同士の分節をどうするかであると言ってよいということを言い続けてきましたが、インターフェースをどうするかと言い換えても良さそうです(すなわち、二つの関係をどうするか、ということで、同じこと)。

学生諸君よ、この問題を考えたまえよ(まずは11例あるぞ)。「(学ぼうという気があれば)何からでも学べる」と教えたのは、パブロ・カザルス( 1876-1973 。偉大なチェリスト。パブロ・ピカソとともにスペインを代表する芸術家)でした。2014.06.28





#104 バルテュス展

自由でいるために

世評でもなく、私でもなく
話題のバルテュス展に行ってきた。

バルテュス(1908-2001)はフランスの画家ですが、 ピカソが20世紀最後の巨匠と評した画家だとか、 彼の父方はポーランドの貴族の末裔であるとか、 少女を題材とした絵(ちょっとスキャンダラスなところがある)を書き続けたとか、「ロリータ」で有名なナボコフが彼の絵のファンでその表紙を描いたとか、最後の妻はうんと年の離れた日本人だとか……。何かと話題に事欠きません。

実は行かないつもりだった。はじめは見ておこうと思っていたのが、そのうちにだんだん見たいという気が失せていったのでした。

なんだか扇情的なエピーソードばかりが喧伝されているようで、嫌気がさしたのです。それに、本人が「この上なく完璧な美の象徴」と言ったというテレーズをはじめとする少女たちの表情があんまり魅力的ではないような気もした(伊丹十三は、シモーネ・マルティニやピエロ・デラ・フランチェスカなど好きなゴシック末期〜ルネサンス期の画家たちを挙げて、その理由を彼らが「実にいい顔を描く」からと書きました)。

それが、テレビでバルテュスを取り上げた時、彼は少女だけでなく風景画も描いたこと、ローマのフランス・アカデミー館長として滞在した間は、建物の修復に熱意を注いだこと、そして展覧会では最後のアトリエを再現したコーナーがあること等を知って、もう一度興味がわいた(テレビの力も侮れません。ごめん)。

でも、これらも本来絵を見る時には不要なエピソードなはずだし、自分ではこうしたことを排除しようとしていたつもりだったのに、やっぱり逃れられない……、のかしら。今年はじめに開催された冬季オリンピックを時々見ていて、その度にいちいち泣かせるような情緒的なエピソードがついてくるのに辟易したのだけれど、結局は同じ穴の狢だったということか(ああ。やれやれ)。

樹のある大きな風景(シャシーの農家の中庭)**

彼はアトリエを5回ほど変えているようですが、3回目に当たるパリ時代の後のシャシー時代の風景画は、その期間以外の時期とは異なり、幾何学的で不思議なあかるさに満ちていて、モダンでありながら素朴な感じがして、ちょっとスーラ(1859−1891、フランス)を思い出した。点描画でもないし、スーラの絵のこともよくは知らないまま言うのだけれど(あ、これも不思議な雰囲気が漂うクノップフやルソーにも似ているところがあるような気がした*)。

もしかしたら、スーラやクノップフ(1858−1921、ベルギー)の淡い色調とキリコ(1888−1978、イタリア)やルソー(1844−1910、フランス)の単純化による詩情と静けさを合わせたらこんな絵になるのかもしれません(ただ、こちらには、スキャンダラスな面や批評性はほとんどなさそうです)。もう少し付け加えて言うならば、この時代の少女を描いた2枚も、他の少女たちの絵とは異なるように見えます。

良く取り上げられ、今回のポスターやチケットにも使われているいる有名な少女たちのポーズを描いた絵と、建物の復元への熱意との関係や、とくに、ほとんど別人が描いたようにも見える風景画という二つの絵の手法の間に、それぞれどのような関連があるのかが気になります。これらの間には相当距離があるけれど、それが同一人物の間でなされたのはなぜなのか。

少女の絵には相応の作為が込められているのは間違いないという気がしますが、それが何なのか。よもや、ただ奇抜さで世間を驚かせようというものではないでしょう(野心はあったとしても、画家として存在したかったはずなのだから)。それとも、描きたいものを描くということよりも、独自な画家の存在理由を見つけるために新しさを付け加えようとしたのかしら。

これはやっぱり見に行かなくちゃね。自分の目で見て、感じたことを確かめようと出かけたのでした(最近は、けっこう図太くなって、世評を気にしなくなっているのです)。


バルテュス展(東京都美術館)

で、見に行ってきたけれど、やっぱり良くわからない。思った以上に、その時々の画風には相当な違いがあるようだった。たとえば、その質感や人物の顔がルネッサンス時代のフレスコ画のようなものから、セザンヌの影響を感じさせる静物画や、浮世絵を思い出させるものまで(ま、時代を考えると当たり前ですね)が並んでいた。

美術館に着いた時、ずいぶん賑わっているだけでなく、その大部分、というよりもその全部が60歳を超えたとおぼしきオジサンとオバサンだったのはどうしたことだろう(もしかして、やっぱりテレビのせい?)。帰る頃になってようやく、中学生か高校生らしい女の子たちが何組か連れ立って入館しようとしていました(これが、たまたまのこと、あるいは時間帯のせいならばいいのだけれど)。

ぜひ出かけて行って、自分の目と心で確かめてください(東京でのバルテュス展は終ってしまいましたけれど)。展覧会やコンサートは、世間の評価と自分の感覚がいかに違うかを知るのにもよい機会と思えばいい。別に世間の基準に合わせることはないだけれど、「私は私」と決め込む必要もない。どんどん出かけて行って、自分自身を確認し、再発見し、成長すれば良いと思います。

僕自身について言うなら、いちおう自分なりに考えるところはいくつかあるけれど、結局はシャシー時代の絵が気に入りました。

*後でバルテュスが話題になった時、一部に挿し込まれたあかるさがホッパー(1887−1967、アメリカ)の「パキッ」とした光が似ていますねという人も居りました。
**写真はバルテュス展のHPから借りました。2014.06.16





#103 番外編 アイデアの練習

第2世紀突入記念第3弾

食卓が作業場
ごくたまに、それこそごくごくたまに、思い出したようにデザインの仕事が舞い込む時があります。それがたいてい、自分が何かしら転換期にある時。で、最近も何回かちょっと仕事が舞い込みそうな予感がした時があった(残念ながら、これは期待はずれに終りました)。

ともあれ、僕はよく思い立ってスケッチをします(風景やら静物やらというのではなく、こうしたらいいかもとかこんなものがあったらいいなといったようなもので、つまり画家のようではなくいわゆるデザイナー的な視点でのスケッチですね)。

自分の家のことであったり、ただいいなあと夢見るようなインテリアやエクステリアだったり。住宅やインテリアは、仕事が舞い込んで来ないため、また自分の家のことは借家住まいなこともあってなかなか実践できません(これが怠け者であるせいというのは、この際なしです)。

そこで、ここしばらくやっていることは、革製品のデザイン。小さなステーショナリーのデザインです。

ぼくは手帳が好きで、いろいろなものを使ってきました。既製品もいくつか試したのですが気に入らず、しばらくはカバー以外は自作していました。今はちょっとくたびれてきたこともあり、薄くて安くて使いやすそうなノート(野帳)が見つかったので、これをスタンプで加工することにして、さらに自作の簡単なスケジュールシートとあわせて使うことにした。そして、スケッチとメモ用にもう1冊の2冊体制です。

困ったのが手帳カバー。野帳は紙製とはいえハードカバーなので、ふつうはカバーは要りません(こちらが、真っ当な使い方)。ただ、カバーが痛みやすいのとその質感(これはこれで簡素で悪くはない)が今ひとつなのに加えて、革好きとしては裸では使いたくない。しかし、ちょうどいいサイズのカバーが見つからないのです(なぜなのだろう。スマートフォンには皆カバーをつけているのに)。


ペンケースと手帳カバー

そこで、自作することにした(無いものは自作する。モリスたちの教えです)。ちょうど田舎の実家の近くにバッグ屋さんがあって、そこの入り口のところにくるくると巻かれた皮革が置いてあったので、もしかしてと思って聞いてみると、注文も受けるという(おまけに、経済的にも負担が小さい。これも大事)。そこで、さっそくスケッチを持ち込んで、つくってもらうことにしたのでした。


ペンケース1号・2号

やってみると、これがけっこう面白くて、その後ペンケース、研究室から教室へ移動する時のためのトートバッグなどをつくってもらいました。先回帰省した時には、ペンケースと手帳カバーの改良版をお願いしたのですが、数日後には店頭にいくつか並べられていました(つまり、商品化されたということ。ということは、文房具デザイナーデビュー!?)。そうして使っているうちに、眺めているうちに、また不備が目に付き始めてくるのです。で、またスケッチするわけです。

本当ならば、自分の手でつくることができれば、それが一番よいのです。しかし、アイデアを手に取ることのできるものに変えて確かめるためには、人の手を借りることになるのもしかたがない(ま、住宅は、たいてい大工さんの手を借りるのだから)。

今まではけっこうアバウトな発注のし方だったのですが(だから、必ずしもイメージ通りとはいかないこともあった)、次からは革の種類や色など、はじめからもう少し細かな注文をつけるようにできたらいいなと思います(やっぱり、はやデザイナー)。こんな遊びをおもしろがって、つきあってくれると良いのですが。

そんなことで、僕は食卓の上で、裏紙やら切れ端やらに、スケッチをするのです(前にも書いた通り、ほんのちょっとした違いでも、書き直します)。つまり、「アイデア」を育てるための練習です(学生諸君が、おしなべて書き直しをしたがらないのはいったいどうしたことだろう)。

なかなか一発で良いものが手に入るというわけにはいきません。そして、実際に出来上がったものを確認しながら次のアイデアを練るという経験は、住宅ではなかなかできない経験です。だからこそ、何回も書き直し、作り直しをするのです。2014.06.16





#102 ある地方公共図書館の変貌(1)

第2世紀突入記念第2弾

コミュニティ・カフェあるいは図書館としての可能性
つい最近、話題になったことのひとつに、公立小学校が学習塾と連携するというニュースがあったことを覚えている人がいるかもしれません。

この是非はしばらく措くとして、当該の自治体はその前には市立図書館が民間業者に運営委託に踏み切ったことで世間の耳目を集めていたし、さらにその前には、市民病院の民間への委譲問題がありました。

そのせいもあってかどうか、図書館の運営に民間企業が参画することについての評価はまちまちで、毀誉褒貶が激しいのだけれど、インターネットで見る限りは褒めるにせよ貶すにせよいずれの立場も極端で、どちらかと言えば批判の方が目につきます。そして、批判は住民や他市の市民に多く、褒めるのはマスコミによるものが多いようなのですが……。

さて、どちらが正鵠を得ているのか。

正直にいえば、まずは僕自身も懐疑的だったことを白状しなくてはいけません。民間活力の導入といえば耳触りは良いのだけれどちょっとイージーで、下手をすると効率優先でサービスの低下にも結びつきかねないのでは、という気持ちがあったのです。しかし、実際に足を運んでみると、以前よりもはるかに賑わっていたのでした。

で、話は少しさかのぼるけれど、そこの見学と館長さんに話を聞く機会があったので、このことについて書こうと思います。その時に、館内の写真撮影の許可ももらいました(ちょっと不自由)。


館内

図書館に一歩足を踏み入れた時の印象はがらりと変わりました。以前はまず目にするのが数台のパソコンが置かれたスペースやレファランスに続く雑誌コーナーだったのに対し、今は蔦屋書店の企画毎に並べられたディスプレイが飛び込んでくる。 そして、ちょっと目を上にやれば、天井いっぱいまでの開架式書棚にずらりと並んだ背表紙の美しい光景を目にすることができるのです。 やや窮屈と感じるところもあるけれど、吹き抜けになった高い天井を生かした開放的で明るい書店と図書館になっています。


テラス席

さらに、高いところから下りてくる天井の先にはスターバックス。スターバックスで買ったコーヒーを手に書店の本を開くというのがひとつのスタイルとして定着しているように見えます。そして、併設されたテラス席もすべて埋まっていました。来館者は、以前の約3倍といいます(その後、間を空けて何回か訪れたけれど、ほとんどいつも変わるところがありません)。

これらのことについては、背の高い開架式書棚の危険性やスターバックス以外で買ったものを飲食するスペースがないという他にも、図書館というよりも「公設ブックカフェだ」というような批判がある。高い天井いっぱいの開架式書棚は、たとえばもっと大規模な安藤忠雄の司馬遼太郎記念館や隈研吾による六本木ヒルズの会員制図書館があるけれど、同様の批判があるのか検索してみたのですが見あたりません。

ともあれ、これらが今までにない経験をもたらし、たくさんの人を惹き付ける要因にもなっているように思われるのです。

この他にもサービスの質等、争点は多々ありますが、いずれの場合についても、事実関係をきちんと把握する必要があるし、比較できる資料を検討しなければなりません。そして、来館者だけでなく来館しなくなった人も含めた市民全体に対する調査を待たなければ、この図書館の功罪や効果について正確に知ることはできません(いずれ、このことを踏まえた続編と小さな論文を書こうと思います)。

したがって、軽々には論評するわけにはいかないのですが、訪れる人の多くが書店やカフェが目的だったとしても、図書館を熱心な本好きだけでなく、そうでない人々にとっても身近なものとした功績は評価されてしかるべきことだと思います。なんといっても、本に触れてもらおうと思うならば、まずは図書館に足を運んでもらわなければならないのだから。

そして、図書の返却等を通して図書館と街の本屋さんが連携できるようになればなお良い。

なにより、うまく行けば、いくつかの欠点にきちんと対応できるならば、図書館とカフェが住民同士をつなぐ、いわばコミュニティ図書館あるいはカフェとして機能することになるかもしれないのだから、まずはこれらを批判するよりも育ててゆこうとする方が良い、と思うのです。

このため、今は楽観的な期待をしたいのです。図書館のスタッフの人たちはみな、そうした気持ちを持っているのではあるまいか( たぶん、こうした変化に直面した時には相当な葛藤があったに違いないのだから)。2014.06.10





#101 実験室レポート8 番外編

第2世紀突入記念第1弾

研究室訪問・パイロット版
「暮しの手帖」の花森安治に倣えば、本ブログもこれから第2世紀に入ります。学生諸君との話のきっかけになればと思ってはじめたのですが、これがむづかしい。なかなか、話題に上りません。で、気持ちを新たにして……、特別企画の第1弾。

イギリスのドラマシリーズが好きで、時々見ていました。ずっと昔の「プリズナーNo.6」あたりから始まって、「ブライヅヘッドふたたび」、「オフィス」、「モース警部」、そこから派生した「ルイス」、そして「ハッスル」(邦題は「華麗なるペテン師たち」)」等々(人形劇だけれど、「サンダーバード」もありました。でも、日本で放映されるのはアメリカ製のものばかりなのはどうしたことだろう)。

オックスフォードにいた時に「ルイス」(ルイスは「モース警部」ではシャーロックホームズにおけるワトソンのような役回りだったのですが、ここからスピンアウトした本編では警部となった彼が主人公。この2つはオックスフォードを舞台としています)が放映されるというので話題になり、見たのですが、これはシリーズ化するかどうかを見るためのテスト編、すなわちパイロット版だったのでした(その後、無事シリーズ化されて、現在も続いているようです)。

前置きが長くなってしまったけれど、実はこれから書こうとしていることがシーリーズ化を占うパイロット版となるかもしれないという予感がしたのです。と言ってみたところで、そもそも視聴率や閲覧率はもちろん読者の反応とも無縁なので(ちょっと寂しい)、自分が面白がることができるかどうかということなのだけれどね。

少し前に書いたように、新しくなった人間環境デザイン学科の各研究室に少しずつ特徴が現れてきているので、これらをルポルタージュしたら面白いのでは、という気がしていました。だから、折りをみて申し込んでみようと思っていたところに、ひょんなことから招待の話が舞い込みました。

といっても、招待してくれた先は本学科ではなく別の学科の研究室だったのですが、ご本人曰く「学生は似非占い師の部屋と言っています」とか、たまたま訪ねたという人は「アジアン・バーみたい」とか、何やらひとくせありそうな声を聞いたので、ぜひ見てみたいと思ったのでした(正直に言えば、ちょっとキッチュなインテリアを想像していました)。

ところが、入ってみたら予想は完全に裏切られました。現れたのは、キッチュというのとは違って、実に居心地の良さそうな空間なのでした。


学生用スペース

部屋の形状も恵まれています。L字型になっていて、ドアを開けると、視線はいったん壁で受けることになります。幅が広くて奥行きが浅い手前のスペースはちょっと狭いけれど学生たちのための空間、これに続く幅が狭く奥行きの深い空間が教員のスペース(すなわち、手前のスペースが、ちょうど良い緩衝空間の役割を果たしている)。

声楽家の部屋らしくピアノをはじめとしてキーボード(楽器)が何台か、あるいはスピーカーセットが3組ほどもあったのは当然かもしれないけれど、インテリアにもそのセンス(自身の気持ちに忠実であろうとする気持ち)や意志があちらこちらに表れていた。

この部屋の主は、僕が新しい研究室に越してきてようやく片付き始めた頃に不意に表れて、部屋を覗いて行ったと思ったら、またすぐに戻ってきて、「研究室のライトをさっそく上向きにしてきました」と言うような奇特というのか、実にありがたい人だったのです。


教員用スペース

その照明は部分照明が基本で、アッパーライトやらスポットライトやら、光源の大小やら置き方やら実にさまざま、たくさんの機器が駆使されている(もしかしたら、電球密度はたぶんいちばんかも)。手前は天井灯を点ければ明るく、消灯すれば必要に応じて、もちろんここでも用意されている多様な部分照明の組み合わせを楽しむこともできます。一方、奥のスペースはかなり暗めとなっていて、一組の昼と夜の空間というような様相。特に、奥のコーナーは天井灯の蛍光灯管をすべて外すほどの徹底ぶりでした。

もう一度、前室に戻って眺めると、ふたつのスペースを分けている、黒のちょっとシャープな縄暖簾の間仕切りやそのすぐ近くに置かれた棕櫚竹(なんとライトアップされている!)のたたずまいは、たしかにアジアンモダンのテイストが感じられ、このスクリーンの透け具合もちょうどいい感じでした。

などと思う間もなく、主は案内しながら「ここに絵を掛けたら、やっぱり照らしたくなったのです」」とか、「ここのライトは本当はこうしたかったのだけれど…」などなど、次々にたたみ掛けて、インテリアに対するなみなみならぬ熱意が感じられたのでした。

インテリアデザインの基本は、知識より、むづかしいと思い悩むより、まず実践してみること。そして何よりも、やっぱりインテリアに対する関心と愛情が大事なのだ、と改めて確認させられました(うかうかしていられません)。

悔しさ半分で付け加えるなら、奥の窓に細かく織られたスクリーンを吊って外の光をほとんど遮っているのはちょっと暗過ぎて、昼の光りを楽しもうとしないのはどうかしらとか、窓際のオーディオセットの置き方も、たぶん僕だったら違う場所に置くだろうとか、あるいは部材と部材がぴったりくっつけられて配置されていることが多くやや軽快さを欠くと感じた部分とか、アップライトピアノの上に置かれたものとか……。

いろいろと思うところはありますけどね(ちょと、しつこい?ま、やっぱり負け惜しみかな……。うーむ)。

ところで、学生コーナーのスピーカーから流れていたのはビーチボーズだったのには、まいりました。僕の好みを知っていたのか知らん(そんなわけはないはずだけれど。だって、彼が訪ねてきた時は偶然にもビゼーのカルメンがかかっていたのですから)。ついでに言えば、ポップスはアメリカ製が好きで、ビートルズよりもビーチ・ボーイズ派でした。2014.06.04





#100 実験室レポート7 間仕切り編

コミュニケーションとプライバシー

透明ガラス戸の行方
今回の引っ越し先の特徴は、3階に研究室がすべて集められ、それぞれがゼミ室と隣接していることに加えて、何回か前に書いたように、廊下、ゼミ室、研究室の境界がガラスを多用してプライバシーを剥ぎ取ったような空間の構成になっていることです。

引っ越しが完了してほぼ5ヶ月ばかりが過ぎ、新学期となって本格的な運営が始まると、その風景に変化が見られるようになりました。入り口のドアと研究室とゼミ室の境のガラス戸の透明度が各研究室毎にそれぞれはっきりと異なってきたのです。

もとのガラスを塞ぐことなくそのほとんどが透明なままのものから、ふたつともに不透明のシールが貼られたものまで。そして、その間にはそれぞれに異なる透明度、つながり方が存在します。入り口の扉にシールを貼る派と貼らない派は案外拮抗しているようだけれど、どちらかと言えばプライバシー重視派が優勢なようです。

実は、これがちょっと不満(というか、残念)。

ま、これは有名なミースのレイクショア・ドライブのアパートメントを持ち出すまでもなく、どこででも見られる光景です。ずいぶん前に、安藤忠雄の店舗付きの集合住宅でも同じような光景を目にしたことを覚えています。だから、誰でものべつまくなしに人に見られるのは勘弁してほしいはずだろうとは思うのです。ただね……。


何も見えません

なかなかむづかしいことはわかっているのですが、自分のところを棚に上げていうなら、もともとのドアや壁には大きな透明のガラス面があるにもかかわらず不透明な壁に加工されたままという景色には、ちょっと違和感を覚えるというのが正直なところなのです。

ただし、これは当初の計画に無理があったと言うべきかもしれません。なにしろ、ゼミ室(教室の扱い)と研究室が前室と奥の部屋という配置になっているせいで、窓に接しないゼミ室の明るさや通風の確保の問題を解決しようとすればこうするよりなかったのでしょう。

縦に長く隣接するようになっていれば、そうした問題は生じなかったわけですが、これとてももちろん欠点はある。縦長の部屋は棚を置く壁面が長くなって本の収納量が増えることやプライバシーや採光、通風の確保等の利点が多いのだけれど、一方ゼミ室でゼミを行おうとすれば机の幅が不足してちょっとやりにくいのです。


散らかり具合も丸見え

さて、僕のところの透明なドアや間仕切りはどうなったかといえば、今のところ廊下からゼミ室へ入る扉は透明なまま、ゼミ室と研究室の間のガラス面にはポスター等を置いてある程度プライバシーを確保している。正直にいえば、もう少し透明であっても良いような気がしているのです。ただ、何せものが多くてこれらを置く場所と透明さの確保があんまりうまく両立できていないのです。

ところで、少し前に盛んに言われていたような、透明性が確保できれば内と外の交流が促進されるから開放的につくらなければならない、あるいは目が届けば不正が行われにくくなるといった議論については、そのまま信じているわけではないのです(というか、その当時からむしろ不信感の方が強かったし、それは今でも変わりません)。

しかし、たとえ多少の無理があったとしても、もともと透明であったものを不透明なシール等でただ見えなくするというやり方にもすっきりしないものを覚えてしまいます(ちょっとイージーで芸が無さ過ぎるようで、面白みに欠けるのではあるまいか)。大げさかもしれないけれど、欠点はあるとはいえ元のものがもともと持っていた美点を生かさないというのではまずいと思うのです。

そして、互いに目に触れることを避ければ交流も生まれまようがありませんし、それになんといってもここは住宅ではなく、学生と教員が交流する場なのですから。学生たちが作業しているところを見かけるのは楽しいし、つい中へ入って声をかけたりやりかけの作品を見たりしたくなるのです。

プライバシーと近隣との交流(直接的なものから間接的なものまで)の両立はむづかしいだけでなく、正解がない問題でもあります。それでも、中途半端なそしりは免れないけれど、プライバシーの確保のし方は明確に分節したまま固定してしまわない方が良い気がします。

もしかしたら、講義や演習でコミュニティ(コミュニケーション)の重要性を当たり前のように口にしながら、一方でプライバシーを欲しがる自身の中途半端さ、潔さの無さに困惑しているのかもしれません。

透明か不透明か、黒か白か、またはゼロか一かという二元論ではなく、しかも景観上の美観も保ちつつ、不透明な壁ではない、もう少し緩やかで階層的な分節であったり、あるいはカーテンのようにその時々で調整可能な上手い解決法が見つけられれば良いと願うのです。2014.05.27





#099 実験室レポート6 ディスプレイ編(3)

花と緑と水と

内部にある自然
今度の引っ越しで、やってみようと思ったことのふたつめは、花を飾ること。

ずいぶん昔読んだ建築家宮脇檀の『お花を買って帰ろう』というようなタイトル(もしかしたら、家へという語句がついていたかもしれない、まったく正確ではありません*)の文に共感して、ぜひそうしたいと思っていたのでした。ただ、花は飾るのにちょっとテクニックがいるし、すぐに枯れそうだし、買うのも面倒だしということで、なかなかできないままだった。

それが、何回か前に書いた卒業生がくれた花束をきっかけに、再開しようと思ったというわけです。それに、今ではスーパーなんかでも安く手軽に買えるようになった(ただ、気に入ったものと出会うことはなかなかありませんね。しばらくは、まずは買ってしまうのがいいと思うことにした)。もうひとつには、花器などにはこだわらず、手元にあるものでやることにしようと思ったことものも大きいね(これで、ずいぶんハードルが下がります)。


今週の花

だから、先日のようにペットボトルもワインの空き瓶なども使います。というのも、ここはなんといっても実験室だし、学生たちに自分もやってみようと思わせるのが狙いのひとつでもあるのですから。それに、やってみると生花は案外持つことにも気づきました(うまくすれば1週間近くほども持つ)。

この他には、水と緑。これらを室内に取り入れることはいままでもやっていた。以前は、水は侍従川が見えていたし、現在は窓のすぐ側に山桜の緑が見えるのですが、外に見る自然と室内にある自然はなんだか違うような気がするのです。

水を見ていると、自然に気分が落ち着きます。だから、多くの建築家たちが、繰り返しのそしりを覚悟してでも水を取り入れた建物をつくりたがるのはわかる気がします(たくさんありますが、どれも美しいし、気持ちがいい。ちょっとばかり水の魅力に頼り過ぎていると言えなくもない気もするけれど)。

何はともあれ、陽の光を浴びてきらめく水は美しい。このことに変わりはありません。こればかりは(そして、さまざまな色に染まった夕焼けの空も)、元の研究室が懐かしい。


水盤もどき

だから、この実験室では植物を水に浮かべたり(これは気軽にできますね)、水だけを入れたガラスの器を置くなどもして、いろいろと試しているのです(ただね、これはいったん水垢がつくとなかなかとれないのが難点です)。

そして、やっぱり緑が欲しい。外に豊富に緑があってもです(これは、何でも所有したいという気持ちの現れだろうか。あるいは、管理したいという気持ちの現れにちがいないと断言した人もいた。だとしたら、ちょっと怖い……。その他には、自分で世話をしたいということじゃないかしらんと言った人もいましたね)。このため、以前は棕櫚竹を置いていた。しかし、20年以上ほども経って(ああ!)、大きくなって先が天井に届くようになったり、鉢が小さすぎるようになって元気がなくなった気がしたので、残念ながら引き上げました。

で、かわりに実家の裏山から取ってきたアイビーの緑を楽しむことにしたのでした。切った先を水を含ませたティッシュペーパーでくるんで1本だけ運んできたのが、ずいぶん育ちました(あ、ついこないだの帰省の折に、実家の裏山から持ってこようと思っていた山アジサイを忘れた)。

われわれは(少なくとも僕は)、遠くに、あるいは近くに見ることのできる自然があってもごく身近にそれらを置いておきたいようです。さて、それは自然が好きなせいなのか、それともただ飾りたいだけなのか、やっぱりコントロールしたいせいか、はたまた世話をしたいのか。

いずれ、きちんと考えようと思うけれど、まずは、それらがある方が気分がいいということを大事にしたいのです(いや、ぜひそうしなくてはならないような気がしてきたぞ)。

ともあれ、室内の雰囲気を変えるのには有効で、しかも簡単なことなので、ぜひどうぞ。

*で、探してみたのだけれど見当たらず、見つかったのは「今日もまた花を買わず、病後の日々」というもので、退院後は結局、「花を買う習慣生まれず、緑だけの空間再び」とありました(「住まいとほどよくつきあう」、1986、新潮社)。やれやれ。2014.05.21





#098 若葉と山紫陽花と

さまざまな色の競演

心を映す鏡
今年のゴールデンウィークは、案外涼しかった、というよりも寒い時もありましたね。ちょっと変と思っていたら、一昨年も同じようなことを書いていた(#41。やれやれ)。おまけに、歩いているとちょっと汗ばむような日もあった。

この時期はいつも実家に帰るのですが、帰省する度に決まってすることがあるのです。そのうちのひとつが、朝早く、すぐ裏の小さな山の麓を散策すること。

この季節は、たいてい寒くもなく、かといって暑すぎることもない。吹く風もすがすがしく、 とくに朝日を受けた若葉の色が鮮やかで気持ちがいい。そして、何より美しさに満ちているのだ。


若葉の階段

この時期の山の木々の緑は実に微妙な変化に富むばかりではなく、いかにも初夏にふさわしい淡く若々しい薄緑から濃くて落ち着いた緑までさまざまなのです。しかもよく見ると、緑以外にも白に近い色から黄色、あるいは紫蘇の色等が混じっていたりする。これらが早朝の陽を浴びて輝くのも美しいし、光を遮られてできた緑陰の深い葉の色も美しい。 そして、それらのコントラストがつくりだす風景はいっそう素晴らしい。

さらに、それらの緑のトンネルの先に見える風景は、ある時は光が漏れ入り緩やかにカーブして先が見えなくなりどこか別の世界へつながっているような気がする。また急勾配の石段でまっすぐに上昇した果ては白く砕けて天国への階段のように思える時もあるし、青空が見えた時にはまだまだ希望を捨ててはいけないと教えられているのだと思ったりもするのです。

しかも、ふと目を落とすと、足もとには野草のこれまた多様な緑に小さな花の色が混じるのだ。しばらく見とれていると、また色が変わる。景色は鮮やかさやにぎやかさを失ってしんと静まり返り、一瞬のうちに世界が固定されてしまったかのように感じられる。太陽が雲に隠れたのだ。

こうしたことがわずかの時間のうちに繰り広げられるのだよ。

そんなわけで、いったん木々や草花の生い茂る山中に入るといつまでも見飽きるということがないのです。また、自然のつくりだす風景は自身の気持ちを映す鏡でもあるような気がします。楽しい時は、輝く若葉がことのほか美しく見えるのを楽しめばいい。逆に、ちょっと心配事があるような時は、しみじみと眺めながら自身と会話する。

このために、朝になると、必ずまた行きたくなるのだね。


山紫陽花

で、今日は朝の草木の競演を堪能した後で、我が家にもお裾分けしてもらおうとあじさいの葉やら山あじさいの小さな白い花を少しだけ摘んで戻ることにしたのでした。

それにしても、野に咲く花や草、木々の葉々は、ほんとうに美しい。2014.05.12





#097 実験室レポート5 ディスプレイ編(2)

なんにもない 机

空っぽの頭?
今度の引っ越しで、やってみたかったことのひとつは、何もない机。

これはずっと憧れていたけれど、たやすいことではありませんでした。

それが、今回、ようやく実現した。

このところ、捨てることや片付けがブームですが、何年か前に佐藤可士和の事務所の記事にあった机をみて、いいなと思いました。広い仕事机の上は何もない、パソコンのディスプレイとスピーカーだけ。すっきりしていて、いかにも頭が働きそうです(部屋や机の上は頭の中、というのが経験上得た知識。気持ちのありようが部屋の中と机上に現れます)。


なんにもない机

で、やってみた。部屋全体の写真を撮ってみると、あんまり変わり映えしません(ま、面積に比べてものが多いのですね。精神科医の斉藤環によれば、「男はものを捨てられない性」*だと言うのです。そっと付け加えれば、もう一つのパソコン机周りはちょっと雑然としている)。また、ミネソタ大学のレポートによれば、雑然とした部屋で仕事をするチームの方が創造的だった*とも。


安藤忠雄の机

有名人の仕事机の状態を見てみると、やっぱり佐藤可士和のオフィスの机の上がいちばんさっぱりしています。いっぽう、安藤忠雄の机は、整然とした雑然さというのか、ものは多いけれどきれいに並べられている。たぶん、本人にはどこに何があるか、ちゃんとわかっているのでしょうね(スタッフが机をどかして講演会をやるための準備をする際には、元通りに復元するために写真を撮っていました)。

また、デザインされたものを選ぶ時の厳しさで有名だったアップルのスティーブ・ジョブスの机の上は、案に相違して、けっこう散らかっていて、若い時のミニマリストの面影は消えています。他方、ライバルだったマイクロソフト社のビル・ゲイツの机の上はきれいに保たれています。

どうもミネソタ大学の研究成果が正しいように思えてくるね( そういえば、ミッドセンチュリーのアイコン、イームズのドキュメンタリーを見ていたら、イームズ事務所の散らかりようも相当のものだったようです)。それでも、やっぱり何も置かれていない机は魅力的なのです(周りにものが溢れている反動ですね。さらに付け加えるならば、僕はどちらも経験したけれど、仕事の成果について言えば変わりません(きっぱり)。でも、気分はと言うならば、こちらは全く違います(これだけでも、いいでしょう?)。

しかし、これを維持するのがむづかしかった。授業やら会議やらの資料はあっという間に山をつくります。とくに明日配布するというようなものについては、つい置いておくということになりやすい。さて、どうしたものか。

もう一度、初心に戻ろうと思う。ちょっと手間はかかるし、不便と言えば不便と言えなくもないけれど、この方が断然楽しいし、美しいのですから。でも悩みがひとつ。やっぱり、ものが捨てられない。

ともあれ、 「部屋や机の上は頭の中」というのは当たっていると思います(とすれば、僕の頭の中は、空っぽ、ということになる?そうかもしれないけれど、……。たしかに、ジョブスの頭の中にはたくさんのアイデアが飛び交っていたに違いない)。それでも、自分が天才じゃないと思うならば、整理整頓を心がけた方が良さそうです。少なくとも、机の上は”Less is more."。僕は、当分これで行くことにします。

*2014年4月6日付け朝日新聞 読書「『病』になった『捨てる文化』」2014.04.26





#096 街の変化

風景がいつのまにか変わっている

白木蓮を見て思い出したこと
アベノミクスと呼ばれているものの効果で、いくらか景気(というよりも暮らし)は良くなっているのだろうか。あるいは、これから良くなるのだろうか。なんだか負担だけが増えているような気もするけれど……。

ともあれ、しばらく前につぶれた店舗が取り壊されていて、そこに新しい景色が現れた。

久しぶりに通ったら、そこには今まで見たことがない風景が出現していたのでした。今までは、小さなスーパーマーケットがあったのが、立ちゆかなくなって廃業してしまった。そしてついに、建物も取り壊された(一方で、シャッターが閉ざされたままのところや新たに閉じた店もあります)。


車の窓越しに現れた白木蓮

このことは決して喜ばしいことではないのですが、その結果白い花をつけた大木が現れた。たぶん、白木蓮ですね(気になって、行く先々の景色を眺めてみると、案外あちらこちらで見ることができます)。桜は散ってしまったけれど、白木蓮はまだまだ楽しめそうです(賞味期限を過ぎないうちに。もしかしたら、 もう 遅い?)。

他に街中で嬉しくないことと言えば、時間貸しの無人の駐車場が目につきます。これはずいぶん前からだし、便利と言えば便利だろうし、商売上もいいに違いないのだろうけれど、街の景観を悪くしています。単に見栄えが悪いというだけでなく、わずかなスペースでもお金に換えるという意図(というか、むしろそうせざるをえない世の中の仕組み)が透けて見えるようで、楽しくない。

経済を無視しては生きてゆけないけれど、経済や効率ばかりを最優先した世界はどうなるのだろう。と、思ってしまうのです。

グローバル化がもてはやされて、海外との距離が縮まり選択の幅が広がって、いかにも良いことのような気にさせられるけれど、あんまり楽しそうではないな。なんだか、 ごくふつうの市民の日常の暮らしを豊かにするよりも、国やら大企業やらの市民とは別の経済の論理が優先されているのではないかと、つい思ってしまうのです(と言うからといって、僕が外国嫌いというわけではけっしてないのです)。

また、その一方では、世界中で民族主義的な感情やナショナリズムが、もうすこし身近なところでもセクショナリズムの意識が強まってきているように感じるのはどうしたことだろう。


ワダムの庭

なぜだか不意に、ぼくはオックスフォードのあるカレッジの中庭での会話を思い出しました。僕のつたない英語で、「この素晴らしい環境で過ごすのはとても楽しいけれど、一方で、別の場所では争いに苦しんでいる人たちがいる。そして、それらを引き起こしているのは高等教育を受けた人たちであると思うのだけれど、こうした状況を救うことができるのだろうか」というようなことを問いかけたのです。

これに対して、物理学者は「教育だと思う」と言ったのでした(ちょっと、表情が沈んでいたようにも見えたけれど)。僕はにわかに信じられなかったのですが、やっぱりそうだろうと思うようになった。どれほど実際的かということになると不安もなくはないのですが、他に有効な方法が思いつかないのです。

あの時からさらに世界は複雑さと難しさを増し、そして一方でそれらのことと反するように振る舞いも言葉も軽くなっているようにも感じるのです。だからこそ、教育の重要性も増すはずなのですが。

もちろん教育する側と教育される側の双方がその気持ちを共有する気持ちがなくてはいけません(もっと言えば、これはたとえば教員と学生の、教える、教えられるという立場上の一方向の関係ではなくて、双方向のものでもあると思います。そして、その方がずっと豊かな関係です)。そのためには、双方に謙虚さが必要だし(これは教育に限らないだけど)、教育のひとつの効果は「謙虚になる」ことを学ぶところにあると思うのですが、さて……。


ポートメドウ

また、オックスフォードに行きたくなったな(念のために付け加えれば、もちろんオックスフォードの景色だって、素晴らしいばかりではなくて経済優先と思うような場面も少なくない。と言うかむしろ多いのかもしれませんが、守るべきことは死守するという意志、意地があるような気がするのです)。カレッジの緑やこのHPの最初に取り上げたポートメドウの豊かな恵みをもう一度楽しんでみたくなった。そして、あの物理学者との会話も。2014.04.22





#095 実験室レポート4 ディスプレイ編(1)

ふつうもいいけれど

ちょっと遊んでみる
ああ、春休みが終わって、新学期が始まってしまった(今度は正真正銘。もう授業もやりました)。

これまでにも何回か書いているように、時間の経つのは早い。その早さは圧倒的ですね。引っ越しが終わって、いちおう格好がつき始めてから、ゆうにもう、ひと月以上が経ってしまった。

壁に掛けた時計を見ていると、そのことを改めて思い知らされます。


4つの時計

いちばん上の大きな時計と左下の時計(モダン・プロダクツデザインの思想を最もよく具現化したデザイナーの1人、ディーター・ラムスが率いたドイツ・ブラウン社製)の時刻がずれているのがわかると思いますが、これはもともと同じ時刻を示していたのが、いつのまにか2時間ばかりも違うようになってきた。ブラウン製の方が遅れているのですが、電池が切れかかっているわけではなく、30年近く動き続けた勤続疲労のせい。これは機械も人も同じです(ま、中には変わらずに元気な人がいるけれど)。一方、新品の方は電波時計で正確無比。

研究室に引っ越してきたばかりの頃は、この大きな時計がもともと掛けられていて、その大きさが気になってしかたがなかった。外すことも考えたのですが、そうすると収納場所がいるし、第一この時計は学校からの借り物ということだからねえ。


時計のある壁

で、手元にあった3つの時計のことを思い出し、うまく使えないかと考えました(なんといっても、あるものでなんとかするというのが真骨頂ですから)。ブラウンの時計が遅れがちであることはもちろん分っていました。

このブラウン製は大きな時計と同じ時間とし、他の小さな時計は知人のいる別の国の時間とする。こうすることはすぐに思いつきました。元の研究室でもやっていたことだから(3つを同様な考えで、ランダムに配置していました)。問題は、動かせない大きな時計を中心に4つをどう並べるか。選択肢は、大きくは揃えるかずらすかの2つ。

実は、今度は縦に並べてそのうちのひとつだけをちょっとずらすことを考えていました。 あんまりきっちりしていると、いかにも頭で考えたようでつまらない、ただバラバラでもだめ。法則性をちょっと逸脱する方がよい(こうする方が見た目だけでなく、法則性も際立って、面白いと思ったのです)。

でも、見ての通り、そうはならなかった。そのわけは……。

自分でやったのではないのです。たまたま、新年度の課題の打ち合わせに来てくれていた建築家・デザイナーに即興でやってもらった。簡単な狙いを伝えて、設置を任せたらこうなったというわけでした。僕はささやかなディレクターと言うかプロデューサー的な役割で、彼がデザイナーと職人の役を引き受けてくれた(だから、僕の果たした比重は小さいです)。この他にも、留め方も簡便になった。

歯車を思い起こさせるた並べ方になったわけだけれど、こんな結果が生まれるならば、共同でやるのも悪くないし、楽しいですね。

さて、僕の伝えた狙いは何だったのか、と言えば……。しばらく想像してみてください。

念のために言えば、これは決してコンセプト優先主義ではありませんよ。やりながら最適解を探そうとし、やって面白くなければまた違うものを考えるというやり方は、2人が話をする時にはよく出る話題なのですから(ついでに言えば、これは、例えば楽焼きの手法でもあります)。

でも、ちょっと下の方が空き過ぎのような気がするから、 次は 小さな絵でも飾ってみようかな(あ、油断すると、やっぱり足したがる。いけませんね)。2014.04.15





#094 展覧会をはしご

二度観ることの勧め

発見するための方法
ああ、もう春休みが完全に終わってしまいました。

その前にと思って、美術館に出かけてきた。幸いいい天気に恵まれて、夕方になると風が出てちょっと冷えたけれど(花冷え。洒落た言い方ですねえ)、気持ちのよい美術館巡りとなりました。

行ってきたのは、まず六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーの「ラファエル前派展」。英国テート美術館所蔵の作品が多数展示されている。次に、東京駅近くの三菱1号館美術館での「ザ・ビューテフィル 英国の唯美主義1860〜1900」、こちらはラファエル前派の影響の元に生まれたということもあって、「ラファエル前派展」と重なっている作家たちもいます。

このため2つの展覧会を観る場合は、200円引きでした。でもなぜ、同じところでやらなかったのかしら。最後は、旧東京郵便局跡に建てられたJPタワー内の東京大学総合博物館(こちらは復元なった東京駅を覗いたついでに。話題となった干支も見ました)。さすがに、3つはくたびれました。

「ラファエル前派展」は、なかなかギャラリーにたどり着けなかった(方向音痴気味の僕だけではありませんよ。もう1人地図の読める成人男性が一緒)。その案内表示の不備なこと。同じ場所にある森美術館(こちらはアンディ・ウォホール展を開催中)の案内は比較的目についてすぐわかるのですが、森アーツセンターギャラリーの案内が見当たらない。

たどり着いてみたら、同じビルの同じ階にあったのだけれど、全体の案内板を見る限り別のところにあるように思えたのでした。なんという不親切、これはもうサイン計画の欠如というよりないですね。いけません(おかげで、HPのための写真となるポスターの写真を撮るのを忘れた)。


ラファエル前派展

お目当ては、まずはなんといってもジョン・エヴァレット・ミレイの「オフィーリア」。 それから、ちょっと野次馬根性だけれど、ラファエル前派を率いたダンテ・ゲイブリエル・ロセッティとウィリアム・モリスがモリスの妻のジェーンをモデルに描いた2点を比べてみたかったのでした。

「オフィーリア」は 案外小さかった。アメリカ人がルーブルのモナリザを観て「But, it’s so small」と言ったという小咄*を思いだしました(やっぱり名作の証?)。でも、ラファエル前派の作風は全体に平板な印象を受けました。塗られた絵の具も奥行きにも厚みが感じられない気がしたのでした。一緒に行った建築家は、マンガチックで甘いと言っていましたね(たしかに、星こそないけれど、目が大きくていかにも日本の少女漫画らしい)。

甘いと言えば、ポストカードは前回書いたアーサー・ヒューズの「4月の恋」、 ミレイ、ロセッティ、モリスのものを買ったのでした。その理由は、前述した通りですが、このモデルの選び方とその描き方も……、若さゆえの特権かもしれませんね。 この他に、ロセッティの、他のどの作品にも似ていない、グラフィックデザインのようなものも(これは、のちにモリスの赤い家に移設されることになる長椅子に付設されたものということでした)。

それに、額縁。これは一通り観た後で前述の建築家に教えられたのですが、改めて観ていくと額縁の枠の止め方がふつうと違って留になっていない。おまけに縦勝ちと横勝ちが混じっているのです。変ですね。家具の中にはめ込むことを想定したとするならば縦勝ちのはずだけれど……。そんなことを考えながら見直していくと、額縁は、絵の奥行き感を増し、あたかも(窓の)向こうの景色という趣きを強める役割を担っているのではないかと思い至りました。

それからエドワード・バーン・ジョーンズは画家というよりデザイナーのような気がしていて、画家としての画力は今ひとつではないかと思っていましたが、スケッチを見たらすごかった。

だから本の読み方と一緒で、2度観るといい。おまけに、一緒に行った人の感想を聞いてから見直すと、思わぬ発見をすることがある。でも、はじめから他者の観方に頼ったり、気合いを入れすぎると、うまく行かないようです。


ザ・ビューティフル展

2つ目の三菱1号館での「ザ・ビューテフィル 英国の唯美主義1860〜1900」も、絵だけでなくさまざまな作品が混じっていて面白かったけれど、コンドル設計のものを復元した建物や中庭も素晴らしかった。とくに、都市の真ん中にこんなオープンスペースがあるのはいいですね(同行した建築家は、途中通った東京フォーラムのコンペの勝因は、ガラス棟の竜骨の形態ではなく、これとホール棟の間のオープンスペースではないか、と言っていました)。

街に出ると、いろいろと発見があるのです。

*ヨーロッパ退屈日記(伊丹十三)2014.04.08





#093 号外 続桜通信

4月は「恋の月」

新しい気持ち
月4日は新入生を迎えるフレッシャーズセミナーの日でした。

天気予報も外れて、いい天気に恵まれました。

たぶんいつもの風景と変わるところはないはずなのだけれど、今年はなんだか新鮮だった(ま、前年度がいろいろと変化があった年だったせいかもしれません)。

彼らの表情には、斜に構えたりちょっと拗ねたり、屈折したようなところがなく、いつも以上に新しい出発を素直に嬉しく思っていることが現れているように感じられたのでした。

ともあれ、この気持ちはつい先日社会に出て行った卒業生たちも変わるところはないはずですね。ぜひ、新しい出発を祝った日の気持ちを大事にして、これからの長い時間を過ごしてほしいとあらためて思いました。


4月4日の桜

桜は前日の雨でもうだめかと思っていたし、たしかに途中で観た桜の木の下にはたしかにピンクの花びらが多かったので観念したのですが、キャンパスの木々はまだ美しかった。ただ、雨こそ長く降らなかったけれど、風が強くて正門の桜はやっぱりもう葉の緑の勢いが勝っているように見えました。それでも、晴れた陽の光を受けて変わらずに美しかった。

すなわち、ある一瞬がいちばんよくて後は下るだけというのではないのですね。しかし、同時に今この時に感じた気持ちはやはり特別なものがあるだろうという気がするのです。だから、若い人たちだけじゃなくて、われわれ(というか僕自身)も新しい気持ちでやらなくてはいけません。そして、持ち続けなくては。これが、案外易しくないのです。だからこそ、文字通り新しい出発をした若い皆さんは……と願う次第なのです。


4月の恋(一部)

そういえば、その直前に出かけた展覧会「ラファエル前派展」(少し前まではラファエロと言っていたけれど、今回は英語式のようです)でアーサー・ヒューズの「4月の恋」というタイトルを持つ絵のポストカードを購入しました。英国好きとしては、 何となく野暮ったいイメージで語られることの多い英国の若い女性が清楚な美しさを備えていることや、少女が持つ不思議な二面性の美質を示したものとして、買っておこうと思ったのでした。

これが翌日の夕刊に取り上げられていて驚いた。筆者の美術評論家、高階秀爾によれば、かつて当時の館長からテート美術館で最も売れる作品のひとつだと聞いたことがあるらしい。そして、なんとオックスフォードの学生だったウィリアム・モリスが購入した作品だというのでした。

高階はまた、その人気を支えるものとして「4月の恋」というタイトルが一役買っていると指摘しています。英語では4月は「内面のひそやかな感情と結びつきやすい」月でもあるというのです。この名は「うるわしい題名」だと作者も気に入っていたようです。確かに、言葉の力は(あるいは思いの力、そして時には表層の持つ力も)大きくて、侮れません。

4月といえば、正月とともに、新しい出発の月としてのあかるいイメージばかりを持っていたのでしたが、ひそかに揺れる心と結びつきやすい月でもあることを教えられたのでした。2014.04.02





#092 実験室レポート3 照明編(2)

点灯しないことの効果

映り込む景色
ああ、もうすぐ春休みが終わってしまう(書き始めた時は確かにそうだったのだけれど、本当に終ってしまいます……)。

その頃になってようやく、授業の準備やら新しい研究計画やらの取り組みが進んできたところだった。もっと早くから集中してやればいいのに、ということは重々承知していて学生諸君にもよく言うのですが、いざわが身のこととなると……。どうもはじめのころはペースが上がらないのであります(誠に面目ない)。

さらに、春休みが終わると楽しめなくなりそうなことがあって、これが寂しいもうひとつの理由。

あるとき発見したのですが、ゼミ室の照明を落とすと研究室の窓の外の景色が間仕切りのガラスに映り込んでとても面白いのです。時間帯によっても見え方が変わるし、ゼミ室の照明の点け方を変えるとゼミ室と外の景色が混ざって楽しい(これは、部分照明だからこそですね)。


1灯のみ点灯時のガラスの上の景色

映り込む景色なんて言わずにもとの景色を観ればいいじゃないかという人があるかもしれませんが、むろんそれはそれで嬉しいのは間違いのないところだけれど、そのこととは違う喜びだと思う。なぜ嬉しいのだろうね。で、考えてみた。ちょっとひねくれているかもしれないけれど、現実半分と虚構半分がないまぜになったものを観ているということかと。

ま、最初は嫌だと思っていたガラスを多用してプライバシーをはぎ取った空間もけっこう楽しめることに気づいただけで、まずは良しとしておこう。


全灯点灯時のガラスの上の景色

ただ、春休みが終わると、ゼミ室を点灯することが多くなるだろうし、廊下や向かいのゼミ室も明るくなって、映り込む景色は消滅してしまうに違いない。

文章を書いたりデザインしたりする時は足したくなるのが人情だけれど、そこをぐっと我慢して減らしてみると、それまで経験したことのないものに出会うかもしれません。いやきっとあたらしい発見があるに違いない。

ミースの有名な言葉”Less is more”の他にも、モダンデザインのお手本のようなブラウンのデザインをつくりあげたディーター・ラムスの”Less, but better*”というのがある。そして、日本には俳句や茶室の伝統もあるし、デザインの世界でもミニマリズムという考え方が一方にはあるのですから。

とはいうものの、今回の引っ越しで気づかされたことは、僕は自分が思っていたほどにはミニマリズム好みではなく、少なくとも自分でやる場合にはどうやら足したがる癖が強いということでした。できるだけ使い切ろうとしてしまうのです( これは、好きにできる領域が小さいせいでついそうしたくなるのだと思っているのだけれど、やっぱり貧乏性?)。ま、時として、頭と目は矛盾するもの……、だから。

今回のレポートも、またなんとも小さな発見、喜びの報告でしたが、年取ってくるとせめてこうしたことがないとやっていられないのだよ。

でも、学生たちに、ゼミ室にはできるだけ近寄らないでくれ、とは……、とても言えませんね。

*ドイツ語では”Weniger, aber besser”というらしい。2014.04.02





#091 号外・桜通信

満開

しかし、雨の予報
キャンパスの桜は正真正銘の満開です。
せっかく咲いたのに、明日からまた雨の予報。今度は散ってしまうかもしれません。


満開の桜(正門)その1

満開の桜(正門)その2

山桜

そこでその前に、キャンパスで咲いた4月1日の桜を。
写真ではその美しさは半分も写せませんが、どうぞお楽しみください。2014.03.31





#090 速報・キャンパスも満開

桜は快速だった

外も一気に春爛漫
ついこの間、研究室に一足早い満開の桜がやってきたことを書いたばかりだというのに、気づけば研究室の外でも春はやってきていたのでした。写真を撮るのは明日でも明後日でもいいだろうと思いながら、念のために正門前の桜を見に行くとすでにほぼ7分から8分咲きの様子。


一気に咲いた桜

これはいけないと取って返し、あわててカメラを持ってかまえると、「西門の方はもう満開ですよ」と言う声、守衛さんが教えてくれたのでした。それで、西門に行ってみると、確かにもう満開に近い。ま、西にあるし遮るものもない分たくさん陽を浴びるのでしょうね(日本のソメイヨシノはすべて同じ遺伝子を引き継いでいるから、同じ条件だと一斉に花を咲かせると聞いたことがあります)。

研究室の窓から見える山桜の枝にはまだ花はついていません(もちろん、下の方はほぼ満開)。ということは、もうしばらくの間は、山桜の可憐な花を文字通り目と鼻の先で楽しむことができるということでもある(楽しみにして待つことにしよう)。


旧研究室からの夕景

以前の研究室は西に面していておまけに5階だったから、遠くに富士山が見えたり(ある時に冠雪したことに気づいて、ああもうすぐ冬なのだと思ったりしました)、満々と水を湛えた満潮時の侍従川を眺めることができたりで、けっこう眺望に恵まれていた(西日はきつかった、でも美しかった)。

これに対し、今度は中庭側でおまけに3階ということで、正直なところちょっと残念に思っていたのでした。中庭さんごめんなさい。見直しました(その気になって見てみると、建物のブリーズ・ソレイユやパラペットで切り取られた青空もなかなか素敵なのです)。

それに、日も長くなった。いつの間にかすっかり長くなっていた。ちょっと前までは、午後5時といえばもう暗かったのに、今は明るく日の光がたっぷり残っている。ぼんやりしているうちに、時は過ぎ、いろいろなことが変わっているのだね。

学生諸君にもそう思わせてほしいものだ、と願います(でも、これは要らぬ願いというものですね。卒業して久しぶりに会えば必ずその成長ぶりに驚かされるし、在学生だって3年の後半ともなればたいへんしっかりしているのに目を見張らされることが少なくないのだから)。

本当に心配すべきことは、自分自身を含めた、大人の振りをしたい中途半端な大人たちのことかもしれません(やれやれ)。

去る者日々に疎しと言うように、たいていの卒業生からの連絡はうんと減ります。ちょっと寂しい気もするけれど、これはいい兆候なのかもしれません。それは彼や彼女たちが僕らのささやかな力を必要としないように成長したということでもあるのだから。

また、光陰矢の如しという言葉もある。そうそう、少年老い易く、学成りがたしというのも(念のために言うと、少年とか学とかの言葉に惑わされてはいけません)。

ともあれ、新しい時がまた始まります。がんばってやりましょう。2014.03.30

追記:30日は雨が降ったので、咲いたばかりの桜の花が散りはしないかと心配したけれど、幸いたいした雨にならず、5時頃には上がったので一安心。雨上がりの5時はまだ明るくてあらためて春が来たのだと思いました。翌日の桜はいちだんと華やかさを増したようです。
どういうわけか、Personal Web につながらないことが多くて、アップロードするのが1日遅れたので加えました。2014.03.31





#089 実験室レポート2 番外編

一足先に満開の桜

一気の春爛漫
間もなく春休みが終わってしまうのは寂しいけれど、急に暖かくなって春らしい日が続くようになりましたね。こちらは、やっぱり、嬉しくなります。

25日には横浜や東京での桜の開花も報じられました。

しかし、春らしさの絶頂が前日の24日。この日は卒業式だったのだけれど、近年の卒業式にないほどにあかるくおだやかに晴れ渡ったあたたかな天気で、いかにも新しい出発を祝うのにふさわしかった。

それから、僕の研究室には一足先に満開の桜がやってきたのでした。

卒業式の後のパーティはなかなかよかったな。みなの顔は当然のことながらこの日の喜びを祝おうという満面の笑みが浮かんでいたし、このところの憂き世のことどものことを忘れさせるのに十分すぎるものでした。

残念ながら写真はありませんが、想像するのはそんなにむづかしくないでしょう。(写真と言えば、その度に毛が抜けるのを覚悟で何枚も撮ってもらったのだけれど、あのおびただしい写真たちはどこに行くのでしょうね)。

ともあれ、願わくば、社会人となってもあの素晴らしい笑顔を絶やすことなく、活躍してほしいのです。僕なんかの時代に比べるとはるかに厳しい世の中だと思いますが、きっと大丈夫、必ずやれると信じています。

もうわかったと思うけれど、このパーティの後でゼミの卒業生たちから桜の木の入った大きな花束をもらったというわけです(おまけに心優しい言葉を綴った色紙とともに)。文字通りに、ずっしりと重かったな。どうもありがとう。


傾いたアッパーライト

翌日、研究室に運び込んで、写真を撮りました。そしてとりあえず水切りをしたのですが、何しろ桜の木は堅くてうまく水が上がってくれるか心配だったし、おまけに大きな花瓶もなかった。

で、洗い桶にしばらく浸けておいた後に、ペットボトルをちょっと加工して急拵えの花瓶としました(先に書いた通り、手元にあるものでなんとかするのが得意技です)。


上を向いたアッパーライト

小さな瓶に分けることも考えたけれど、なにしろ背の高い花束だったし、何よりせっかくのみなの気持ちの一体性を保つ方がふさわしいような気がしたのでした。それでも、翌朝見てみると花の勢いもやや増していて、なんとかうまく行ったようでした(ほっ。ただ、触ると花びらがひらひらと舞い落ちてしまうので、ただ投げ入れただけ。調整はできなかった)。

もうすぐ、彼や彼女たちは今までに経験したことのない(そして、辛いこともたくさん待っている)環境に飛び込んで行くわけですが、皆が幸せな時を感じながら暮らせることができますように。

卒業式の夜は、彼らと彼女たちがやり遂げたことを祝うために、改めて一杯やりました。ウィスキーとおめでとうと、そして若さへの(わずかな)嫉妬の混じったカクテルにして。

どうか元気で。2014.03.28





#088 実験室レポート1 照明編(1)

あるものでやってみる

どこ照らしとんねん、と言われるかもしれないけれど
この間、新しい研究室とゼミ室に引っ越して、小さな実験室を手にしたみたいで嬉しいと書きました。今もいろいろと試しながら、楽しんでいるところです(ちいさなことだけれどね)。

ということで、実験室レポート第1弾。間接照明についてです。使用しているものはデスクスタンド。以前から使っていたものに加えて、製図室の機器が入れ替えられた時に貰っておいたラクソランプ(シンプルでとてもよいデザインだと思います。 おまけに安い 。元はノルウェーの会社の手になるもの)。

だいたい、僕は物持ちがたいへんよいのです。おまけに、あるものでなんとかするというのも得意技(ま、貧乏ってだけのこと?)。ついでに言うと、もうひとつのデスクランプもスウェーデンの会社のもので、ラクソと同じく約30年ものです。アームを動かしてもライトの部分は常に机と平行を保ちます(1985年のグッドデザイン賞受賞)。

ともあれ、とっておいたランプをいろいろなところに取り付けました(もちろん、 電球はほとんどがLEDに取り替えてある。蛍光灯が少し残っていますが、これも電球色にずいぶん近づいた)。


隙間のアッパーライト

その大部分を間接照明として使っているわけですが、もちろんコーニス照明やらコーブ照明というわけにはいかない。で、傘を上部に向けて照らすアッパーライトとして使っています。

たとえば、天井に近い本棚の上部に取り付けたら、柔らかい光が得られるだけでなく、天井と壁の境が曖昧になって広がり感が生まれたりもする。何より、部屋のあちらこちらにさまざまな光と影が出現して、空間が一気に楽しい表情を帯びるのです。照明は、何かを照らすということだけでなく(余計なものを照らしてもいけませんが)、使い方次第で空間の雰囲気を変えることができるという効用がある。皆さんも、ぜひ試してみてください。

この時に気をつけたのは、棚板に対して垂直であること、壁に対しては平行を保つこと。そして、シェードが壁に接触しないことでした。こうすると、軽快だし、きれいに見える。


傾いたアッパーライト

しかし、手元にあったラクソランプはクランプ式のものだったから、そのまま置くだけだと壁にもたれかかるような格好になって、 野暮ったく見えるのです。


上を向いたアッパーライト

そこで、ちょっとした工夫が必要になる。今回は、やはり手元にあった発泡スチロール製のブロックを援用しました(100円ショップで購入したものですが、白状すればこれも別の用途に使った残りもの、と言うか端材です)。たいした工夫でも何でもなく、平らな面にアームの先端が挿せるように穴をあけただけ。でも、これが効果的で、きちんと垂直に上を向いてくれました。

実験と言うにはあまりにもささやかな、そして手近にあったものの再利用ばかりで、こうして報告するにはちょっと寂しい気もしなくもないけれど、ま分相応に。

皆さんも、億劫がらず、簡単なことからぜひ試してみてください。

頭の中だけで想像しているよりも、はるかに刺激的で、多くの発見があるはずです。何よりも、きっと楽しくなること請け合いです(ただ、まずはくれぐれも高望みをしてはいけませんよ)。

他にもいろいろ試しているので、その結果はまた近いうちに。2014.03.22





#087 予告編

ミライを夢見る力

裏切られるかもしれない
はや3月も半ば(早いですね)。まもなく卒業式があって、これが終わればすぐに新年度のオリエンテーションが始まります。春休みもあっという間に終わりそうです。この春休みは、授業こそなかったけれど、何かと慌ただしかった。

そんな中、久しぶりに映画を見ました。今更ですが、白状すると映画が好きです(もしかしたら現実の世界よりも、というくらいに)。しかし、このところずっと観ることができなかった。映画一本でもちゃんと観ようとすれば、いろいろと条件が揃わないとむづかしい面があります。けっこうエネルギーがいるのだよ。

さて、映画は観たらたいていは楽しめる。一方、予告編は面白い。ほとんど、すべてがと言ってよいほどに面白い。まず「観たい」と思わされます。

ある晩のこと、映画を観ようとしたら予告編が……。でも本編はなかなか始まらない。最近のDVDには予告編が何本もついてくるのだね(と、改めて気がつきました)。


君を想って海をゆく

一つ目は、泳ぎを知らないクルド人の少年が泳ぎを教えてくれと頼むところからはじまる「君を想って海をゆく」。なぜかというと、ドーバー海峡の向こう側の英国に居る恋人が結婚させられそうだと伝えてきたので、これを阻止しようというわけです。彼の企てを助けようとするフランス人は、海に飛び込んでいった少年の救助を求めるために「(彼は)息子です」と言うのでした。


シルビアのいる街で

また、「気絶するほどにロマンティックな理想の恋の物語」(英国・オブザーバー紙)という惹句があった「シルビアのいる街で」。がらんとした殺風景な部屋で窓を背に椅子に座った男が、「俺は水晶のようになりたい…。すべての人を愛したいんだ。人々を抱きしめたい。なのに、まるでだめなんだよ」と告白する「ソフィアの夜明け」。

「僕たちは映画にサプライズを求めている。この映画は多くの人に、まさにそのサプライズをもたらした」(2010年カンヌ国際映画祭審査委員長ティム・バートン)の言葉で始まった「ブンミおじさんの森」では、死を間近にしたブンミおじさんは愛するものたちと森へ入って行くというコピーが挿入されます。

どうです、観たくなったでしょう。いや、観なくてはいけないという気にさせられる。言葉の力は強い。それに映像の魅力が加われば、抗しがたいのではあるまいか(だから、ちょっと危険でもある)。

たいていの場合、予告編に挿入される場面、ショットは脈絡も順番も本編とは無関係でめちゃくちゃですが、魅力的で、つい観たくなるのです。これは当然のこと。いいところの断片しか見せないのだから。もちろん映画の全編を見るのは楽しいことだけれど、こちらは裏切られることも少なくありません。

これに対し予告編がそうではないのは、見せられた断片を自分の好きなように組み立て想像することができるからです。つまり、まだ見ぬミライはそれぞれに素晴らしく、希望と期待に満ちあふれているものとなる。しかし、残酷と言えばそれまでだけれど、実際にその時が来てみると、必ずしもそうではないことを味あうことになるのです。

だからといって、そのことは予想した未来がたいていつまらないということではなくて、頭の中で想像するだけじゃなくて実際にやって見ないとわからないということの方が大きいということを示しているのだ、と考える方が数段よいと思うのです。

あらかじめ決められた地点に向かって一直線に進み、こうあってほしいと予測した通りの地点に辿り着いたとしても、なんだか膨らみ、サプライズに欠けるようでつまらない。ま、映画のことだからということもあるけれど、課題のエスキスでも同じことが言えそうです。

練り上げてゆく途中で自らの案に触発されて一本道から逸れ、変化しながら別の地点へ到達することこそがデザインする醍醐味ではあるまいか。だから、一方で想像する力、夢見る力も忘れずに鍛えておきたいと思うのです。

ともあれ、その後に続く本編もなかなか素晴らしかったと言いたいところですが、実際のところ予告編のメモをとるのに忙しくて楽しむところまではいかなかったのでした(それにしても、いったい何の映画を観た時だったのだろう)。

本編の前の予告編もちゃんと観ておきましょう。
きっとあたらしい発見がありますぜ。

で、ここに挙げた予告編の本編をいくつか見ようと思って近所のレンタルショップに行ったのですが、残念ながらどれも見つからなかった。だから、本編のことはまた別の機会に。2014.03.16





#086 春休みのトピックス 2題

膝下までの積雪と小さな実験室

ちょっと嬉しかったこと
ついこないだの大雪はすごかった。予報通りの大雪。何でも東京都心部では、20年ぶりの積雪量だったというのですが……。

朝起きたらあたりはすでに白く積もっていて、小さな雪が舞っていたけれど、ま、大したことはあるまいと高をくくって出かけました(さすがに歩いて行ったけれど。実は、その日は採点簿の提出日。学生諸君にいつも言っている手前、まさか遅れるわけにはいきません)。


研究室の窓から見た雪景色

採点簿を清書し提出した後(言うまでもないけれど、事務局の人はちゃんと待ち構えておりました。えらいものですね)、引っ越したばかりの研究室を片付けていると雪は降り止まないだけじゃなく勢いを増している様子。それでも、窓を開けてすぐ側に迫ってる山桜の枝に積もっている雪を眺めては写真に撮ったり、のんきに音楽を聴きながら要らない雑誌などを仕分けして紐で縛って廊下に出してはちょっとした達成感を味わったりしていたのでした(こんな時にしなくても、ということはよーく分かっているのです)。

結局、深いところでは膝下までというほどに降った。守衛所でタクシーを呼んでもらったのだけれど、なかなかつながらず、やっと来てくれたタクシーは近所の坂道でヨロヨロ。16号でもちょっとスリップするなど、さすがのベテランドライバーも大苦戦。そんな日でも新聞は届いていた(責任感。こちらもえらいね)。

そして、家の前の雪かき。これが楽しかったということではないのです。やらなくちゃなと思って外に出ると、もう雪かきが始まっていた。そして、自分のところだけでなく他所の家のところまでやっているのでした。どうも、これは僕のお隣りだけのことではなくて、いろいろなところで見られた光景らしい。ちょっと嬉しくなりました。

雪は真っ白く積もったのをみている分には美しくて素敵、だけれど、いざ外出しようとするとたいへん。すべったり、雪が靴の中に入ったり。たいていのものがこうしたものかも。おまけに、この週末の大雪は2週続きましたね。


新しいゼミ室と研究室

そうこうしていているうちに時間が経って、僕にとって今いちばんの関心事は引っ越した研究室とゼミ室。ようやく片付き始めたのです。いまや、学科の中でいちばん片付いているのではあるまいか(これはただ、いちばん暇だからでは?と思う人がいるかもしれない。そうかもしれないけれど、やっぱり、それは違う。と、言いたいのですが……)。

でも、片付いた空間というものはいいものです(つい、うれしくなる)。すると、こうしたらどうだろう、ああしてみたらどうか、と、いろいろと頭に浮かぶのです。そして、試してみたくなる。ま、基本的には既に手元にあるものをどう組み合わせて使うかということだから限界はあるし、大した試みをするわけでもないのですが、これをやりながら考えて決定していくというのが楽しい。

ささやかな実験室を手に入れたようで、ちょっと嬉しいのです。散らかっていると、こうはいかない。でも、片付いたらここでパーティをしようと言いながら手伝ってくれた4年生には申し訳ないことをしました(また、来てくださいね)。

この実験は、決してあらかじめ決めた地点へまっしぐら、というのではないのです(これは僕の資質、すなわち分かりが遅いということによるという気が多分にするのだけれど)。手を動かしながら考える。実は、案外このことこそが大事なのではあるまいか。

今までも何回か書いてきたけれど、頭の中だけの出来事で済ますというのは現実の世界においてはたいていまずい結果を生みやすいようです。これも以前に書いたことですが、コンセプトという言葉を使いたがる癖を好まないのもこのため(そういえば、その後隈研吾が国の政策決定を例に挙げながら、「前言撤回」する勇気について語っているのを見ました)。

ともあれ、小さな思いつきをばかにしたり恥ずかしがったりしないで、やってみながら育てようとする気持ちがあるとけっこういいものが手に入るような気が改めてしたのでした。2014.03.09





#085 謹賀新年

正月元旦、冬晴れ

新しい年の初めに願うこと
遅ればせながら、新年おめでとうございます。

今年の元旦は久しぶりによい天気だった。九州北部の盆地には珍しいくらいに、風もなく寒くもなく、おだやかに晴れ渡った文字通りの冬晴れ。横浜や東京あたりでは当たり前だけれど、こちらではそうではないのです。大晦日までは、一日のうちに、曇りかと思えば陽が射し、陽が射したと思ったら雨が降るということの繰り返しで、まるでここはイギリスかと思うような天気でありました。ま、玄界灘に近いために裏日本型の気候だからね。

前日の大晦日に夜更かししたために元日の朝は早起きできず、初日の出は見逃してしまったけれど、障子越しに赤い光が見えたので、すぐにバルコニーに出ました。雲さえ多かったものの赤い太陽が雲間から顔を出していた。それからおもむろに写真を撮りに向かったのでした。


楼門

何をと言えば、改装なったばかりの竜宮造りの楼門(1915年竣工)。東京駅の設計者辰野金吾博士の手になるものです。東京駅に仕掛けられていた干支8個の残り4つがここにあったということでちょっとした話題になった。

出て行ってみると、光のあたり具合はまあよかったのだけれど、温泉客や働く人やら車やらで、もういっぱいでした。正月からみな忙しくしているのだなあと思って、驚くとともにちょっと感心した。で、しばらく待って撮りました。


ちょっと変

午後遅くに散歩がてら再び出かけてみると、スターバックスやショッピングセンターなども人で溢れかえっていましたが、それでも街を歩く人の姿や車の数は少なくのんびり歩くには最適で、あちらこちらに目をやりながらふらふらしていると、おもしろいものに行き当たったりするのでした。

ともあれ、元日というのは不思議に気持ちが引き締まりますね。柄にもなく、新しい誓いなどをたてみたりしたくなる。みなさんはどうだろう。何か心に誓ったり、願ったりすることがあったのだろうか。

僕が誓ったことは、今年はなにごともきちんとしようということ、仕事らしいことをしよう、シンプルに暮らそうということなど(簡単なようだけれど、実際にやろうとすると案外これがむづかしいのだよ)。そして、願ったことと言えば、ひとつは今日の日のように平和でおだやかな日が続いてほしい、ふたつめは独断的な考えが幅を利かせないようにということ、みっつめはプライベートなことですが・・・やっぱり内緒にしておこう。

皆さんにとって(そして僕自身にとっても)、どうか良い年になりますように。2014.01.12





#084 ターナー展

風景画の冒険

そして、目につく暴なこと
少し前のことだけれど、テート・ミュージアムからやって来たターナー展に行ってきた(実は、その前にも出かけたのだけれど、振替の休館日でした。まぬけなこと ! やれやれ !! )。


ターナー展


その途中で見た西洋美術館のチケット売り場は長蛇の列でした(ミケランジェロの威力)。一方、東京都美術館のターナー展は案外空いていそうだったのですが、あにはからんや中に入ると混雑していますとの掲示の通り、すごく混んでいた(人気があるのか、メディアの力か)。

ターナーは若くして英国ロイヤル・アカデミーの会員となったけれど、作風はずいぶん変化しています(テート・ミュージアムはターナー作品を数多く所蔵しているのですが、おかげでこのことがよくわかります)。当初の写実的な作風とは異なって、中期のイタリアを描いた絵は紗がかかっているようで、「ブレードランナー」で知られる英国の映画監督リドリー・スコットの画面とよく似ている、と思う。


プロヴァンスの贈り物


とくに、南フランスのワイナリーを舞台にした「プロヴァンスの贈りもの」の画面(映画は甘口で、R・スコット作品としては不評のようですが、僕は好きです)。たぶん、R・スコットはターナーの影響を受けているに違いない。別の日に出かけたという若い建築家は、 ターナーとイタリアの映画監督のヴィスコンティとの関係を確信したというのですが。

そして、ターナーは巷間よく言われているような風景画家というのは当たらないような気がします。よく比較される英国の同世代(1歳違い)の画家で、同じく風景を描いたコンスタブルが日常的な景色を切り取ってみせたのに対し、彼が描く風景は非日常的で、しかもドラマチックです。相当な作為が込められているような気がするのです。しかも晩年は、ほとんど抽象画に近いようだし、印象派の先駆けのようなところもみられる。でも、いいなあ。とても好きです。

ところで、このところ晩秋らしい気持ちのよい日が続くけれど、自然界以外では(いや、自然界も含めてあらゆる世界で)最近は乱暴、凶暴、横暴、粗暴等何かと暴なことが目につくのはどうしたことだろう。国会のやり取りから、身近なところでの振る舞いまで、 ありとあらゆる場面で。かつて確かにあったはずの志や理想はどこへ行ったのだろう、とわが身のことをうっちゃりながら、思わないわけには行きません。

でもつい先日、古い友人から久しぶりに届いた手紙は、彼がずっと変わらず持ち続けている矜持を感じることができて、とても嬉しく思ったのでした。2013.12.09



#083 十五夜

中秋の名月

月に映す思い
昨日、9月19日は十五夜、そして満月の月でした。
幸い秋らしい晴天に恵まれて、美しい月を見ることができました。


満月

一方、写真を撮ろうとしたのだけれど、結局うまく撮ることができなかった。

そこで、どんな和歌が詠まれたのか…。インターネットを見てみるとたくさんありますね。
後拾遺和歌集からいくつか。

すむとてもいくよもすまじ世の中に 曇りがちなる秋夜の月(前大納言公任)

憂きままにいとひし身こそ惜しまるれ あればぞ見ける秋の夜の月(藤原隆成)

今宵こそ世にある人はゆかしけれ いづこもかくや月を見るらん(赤染衛門)

秋も秋こよひもこよひ月も月 ところもところ見る君も君 (詠み人不知)

2013.09.20





#082 災禍の後

傷は消えなければならない

あたらしい気持ちを
異常気象による災害が続いています。

ようやく戦災の傷が癒え始めた長崎を訪れた吉田健一は、「戦災を受けた場所も、やはり人間がこれからも住む所であり、そ
の場所も、そこに住む人達も、見せものではない。古傷は消えなければならないのである」と記しました。


台風一過の夕景

翌朝の青空

2013.09.17





#081 歩きながら目にしたものいろいろ

宝物は足下に

格子は七難隠す
帰省して、用事を済ませるためにあちこと歩きながら発見するのは、草花だけではありません。何度となく目にしてきた建物でもまた違った面白さを感じることがあるのです。小さな田舎町のことですから、立派な建物や洒落たものにはなかなかお目にかかりませんが、それでもおっと思うことがあります(案外、人はその時々の興味のあるものしか見えていないのかもしれません。あるいは見ようとしないのかも。反省)。

で、今年の夏に気になったのは、床几と格子でした。


濡れ縁

床几

床几は今年の2年生の演習で「現代の縁側的な空間を持つ住宅」をやったばかりだったので、ずっと気になっていたのですが、実際にはなかなか目にすることがなかった。どうしたわけか、町中からはすっかり消えてしまったのだね(でも、大型ショッピング施設にはたいていベンチや椅子が置かれているのですが)。ところが、ある朝早くに街を散歩していると、歯科医院の建物の周りに設けられた濡れ縁ふうの空間に腰を下ろしている若い女性を目にしたのです。残念ながら、この時はカメラを持っていなかったので写真を撮ることはできなかったのですが、その後気をつけていると、けっこう目についたのでした(残念ながら、人が座っているのはなかなか見ることはできないけれど)。


縦格子 1

縦格子 2

もうひとつの格子の類ですが、こちらは街の洋服屋さんが代替わりしてリニューアルした建物を見ていて気がついた。これまでも扉を開けた時の裏と表の道を真っ直ぐつなぐ土間がいいなと思って見ていたのだけれど、歩いていてふと上の方に目をやった時に目に入った格子がなんだかとても良く見えたのでした。何でもない建物の平面的な壁の単調さを縦格子が救っていると感じられたのだね。

格子も街の中にたくさんあります。 その気になってみると実に良く使われている。 いいものもそうでもないものも。その中でも僕は、とりわけ縦格子の方にいいものが多いように思った。そして、材料や色合いも大事なのはもちろんだけれど、たぶん、材の太さと間隔のバランスがポイントのような気がします。細すぎたり、間隔が開きすぎたりするといけません。

このところ、縦格子を使ったものは隈研吾作品が有名ですが、けっこう面白く使えそうです(なかなか仕事がないのが残念)。だけど、たいていのことはいつ役に立つか分からないもの。準備しておくことが肝腎なのだよ (と思いたい。ま、いつかきっと機会が来ることを念じることにしよう)。

足下を見つめることが大事ということを改めて感じたことでした。そういえば、高知にとどまりながら地方の1次産業を応援することに強いこだわりを持って日本の風景を守ろうと奮闘するデザイナー、梅原真を紹介するドキュメンタリーのタイトルは、「宝は、すぐ足もとにある」というものでした(覚えていてよいと思います)。2013.08.29





#080 歩きながら目にする草花

華やかなものだけじゃなく

多様性の中に見いだすもの
帰省するとお使いやら買い物やら、なにやかやと出かけることが多くなるのですが、たいてい歩いていくことになるのです。何回も通った道なのに、いろいろとあたらしい発見があるのに驚きます(ただ、僕が忘れっぽいだけじゃなさそう。と、思いたい)。

今年の夏は、道端や庭先のあちことに実にさまざまな花が咲いていることに気づかされました。ヒマワリや百合、あじさい、芙蓉といった大きくて華やかな花だけでなく、コスモスや矢車草、裏山の入り口付近には紫蘭や露草から名も知らぬ小さな花まで。そして、白やピンク、黄色や橙、青や瑠璃色の花まで、実に多種多様な花を見ることができるのだね。


芙蓉

山への入り口近くにある実家のマンションの裏には久しぶりに芙蓉の木が莟を付けていた。これは毎年ずっと楽しみにしていたのが何年か前にどういうわけか一度切られて、しばらく花はおろか莟さえつけることがなくなり寂しい思いをしていたのです。それが、いつの間にか成長してまた花を咲かせようとしているのです(けっこう生命力が強いのだね)。まだ、花を見ることはできないのだけれど、これは久しぶりに嬉しかったな。また、毎朝一輪だけ摘んで飾ることができるかもしれない (その翌朝、ついに一輪の花を咲かせたのですが、これは摘むわけにはいかなかった。そして、その後数日はまた花をつけなかった)。芙蓉の花は美しいけれど、半日しか持ちません。朝咲いて、夕方にはしぼんでしまうのです。

裏山にも数年前までは芙蓉がたくさん咲いていたのだけれど、こちらも切られてしまって、見ることができなくなってしまった。やっぱり毎朝のように見に行くのだけれど、まだ花をつけるまでには回復していない。いったいなぜこういうことをするのだろうね。復活したものがある反面、去年見たはずなのが今年の夏は咲いていないところも多く、近所の芙蓉の花はだんだん少なくなってきているような気がする。そういえば、横浜の自宅付近の坂道にあった桜並木もすべて切られてしまったし、安藤忠雄が阪神大震災の後植樹運動を始めた時には、落ち葉の処理が面倒と反対した人があったらしい(うーむ)。


露草

華やかな大きな花もいいのですが、小さな草花の魅力も捨てがたい。たぶん誰が植えたのでもないのに、また水やりなど世話をしてくれるわけでもないのにしっかりと根付いている生命力のたくましさに圧倒される。よく見ると、小さくて地味であっても、それぞれ色もかたちも違って個性がある。華やかさの代わりに、可憐という言葉がぴったりの花もあります。すぐに目を引く派手さはないけれど、案外こういうものの美しさに惹かれたりするのです。花だけじゃなくて葉っぱも美しいよ。

思えば生活も同じようなところがあるのではあるまいか。派手で豪奢なものに囲まれた生活もいいに違いないのだけれど(なんといっても経験したことがありません)、丁寧に営まれる身の丈にあった生活も魅力的だし、むしろ憧れるのです。

手に届く範囲で気に入ったものを選びとり、そうして手に入れたものや縁を大事にする。

今の若者はそうした志向があって、これらを「さとり世代」というようですね。現状に甘んじ過ぎるように見えることを心配して林真理子さんは「野心のすすめ」を書いたと何かで読んだか聞いたりしたかしたことがありますが、しかし、積極性や向上心は必要だけれど、いつも不満だけを言い立てるのでは困ります。

多くの場合、自身がおかれた環境の中に喜びを見いだし、力を発揮して、さらに望ましい場に近づくことを考える方がよいのではあるまいか、という気がするのだよ。2013.08.24





#079 悠々として急げ

釣れない釣人に学ぶ

頭の中の地獄から逃れる方法
先々週の週末には久しぶりに急ぎの仕事をした。そして、案外早くめどがついたために(そのはずでしたが、その後けっこう時間がかかったのはいつものこと。だからこの項も今頃になった。ま、し方がありません)、早めに家に帰って「悠々として急げ・開高健の大いなる旅路—スコットランド紀行—」のDVDを見ることにしたのでした。

僕は時々、開高健のドキュメンタリーを見たくなるのです。その中でも1990年TBS製作の「悠々として急げ」(もとは古代ギリシャ悲劇の『アンティゴネー』に出てくる言葉だといい、簡単に言うと急がば回れということらしい。ついでながら、『毒蛇は急がない』という言葉もある)がとりわけ気に入っている。これは(つまり「悠々として急げ」のことです)、元英国首相のヒューム卿に誘われて出かけたスコットランドでの釣行の様子が中心。といって、僕自身は釣りが好きなわけでもないし、実際にやることもないのですが。

で、 何が面白いかと言えばそれはいろいろあるけれど、まずは彼の口から次々に繰り出される箴言やら感想やら、はたまた独り言の面白いこと。時に笑わされ、時になるほどと頷かされ、また別のある時には「よし」という気分にさせられる(つまり、励まされたりするわけ。ま、いくら能天気に暮らしているといっても、たまにはこういうことがないとやっていられないこともあるのだよ)。 さらに、なんと言っても美しい(そして、なぜかなつかしい)景色がつぎつぎに登場するのです。

以前にこのHP #35で紹介したアルトゥール・シュニッツラーの言葉(『いったんワイングラスに口を付けたらとことん飲み干しなさい』というあれです)をはじめとして、含蓄のある言葉や知恵の数々が次から次に出てくる。

イングランド最初の国語辞典のカラス麦の項目に、『カラス麦…イングランドでは馬に与える食物。スコットランドでは人間を養うもの』とあるのに対し、すかさず「だからイングランドでは、人間よりも馬の方が優秀なのだ」と切り返すスコットランドの人々の洒脱。

「人間は矛盾の固まりであり、このことについて悩みます。自殺するものもでてくる。藤村操は、『人生の不可解、ついにわからぬ』と称して華厳の滝の橋の上から飛び降りたと言われておりますが、ちょっと早すぎたね。矛盾の固まりだからこそ生きていけるんで、矛盾の多い人ほどえてして豊かになるという結果を生みます。うまく年を取るとそうなる」。

「ある夜…、『ばくちでもいいから手と足を使え、と孔子が言っているぞ』と聞かされました。然り。頭だけで生きようとするから、この頭の中の地獄は避けられないのです。手と足を忘れています。…逃れるためには、孔子の言うように、台所仕事でもいい、スポーツでもいい。とにかく、手と足を思い出すことです」。


川の中の釣り釣人

釣れないとわかっていても川の中に立ち、すぐ目の前に大きな魚が跳ねているのにいっこうに釣れない時には、「…男の人生もこんなもんや」とぽつりとつぶやく言葉も胸に刺さります。そして、彼のバイブルであるアイザック・ウォルトン著『釣魚大全』の中の言葉、「Study to be quiet.(おだやかになる事を学べ。もとは聖書の中の言葉らしいのですが、これも#33で触れた)」。

いちいち頷かされるのだけれど、ただ頷いているだけで、なかなか身に付かないのが悲しい。

それにしても、彼に限らず少し前までの先人達は偉いものだね(いつから、なぜ皆だめになった。もちろん、素晴らしい人はいつでも居るはずだけれど)。



ツイード川

それから、馬鹿な人間に二度とだまされるなよと言いつつ、小さな魚をやさしくリリースしてやる姿。そこかしこでに出て来るスコットランドの風景や景色が素晴らしい。ピート(泥炭)は1年にわずか1ミリしかできないといい、だから必要なだけ掘る。老婦人たちが伝統柄のセーターを静かに編み進む光景。昔ながらの機械をかたかたと踏んで織られるツィード工場。心に染み入るバグパイプの音色。自然そのままではないけれど、川の水との距離がわずか数10センチと近いのも羨ましい。川辺に咲くルピナスの紫色の花を見ていたら、ワダム・カレッジのブルーベルを思い出した。

ウォルトン作「釣人の唄」にはこうあります。

 ♫生きるとは寂しいものよ
  人生は泡のごとく 哀れではかない
  悩みは捨てて 涙を打ち払い
  釣って 釣って 釣り暮らそう

ウォルトンは、生涯に2人の妻とその間に設けた9人の子どものうち8人と死別し、30年のうちに10回もの身内の葬式を出さなければならなかったといいます。開高は、ウォルトンのことを聞かれて、「文章に現れているところでは、日本風の逃げるという感じの後ろめたさはみじんもない。…涙も落としたでしょうし、思いに耽ることも多かっただろうと思いますが、そんなことは一言も書かれていない。何が書かれているのかが大事だけれど、何が書かれなったかということも大事なんで…、この本も一種の『不幸の産物』ではあったんでしょうね」と答えるのです。

最後に、イギリス人スタッフをねぎらうために出かけたパブで、蛍の光を若いころに覚えたというスコットランドの原語で歌う時、彼が言ったのは、

13か14の頃、食べるものも着るものもない中で「腹に詰めるものがないので、頭の中に詰めるものを詰めることで空腹を忘れていた…。ここで歌おうと思ったもんですからこないだ久しぶりに思い出してみたら、一行だけ忘れてましたが後はだいたい覚えていました」。

ね、ぐっと来るでしょう(でも、若者にはきっとまだわかりませんね)。2013.07.01





#078 カフェで聞くワールドミュージック

新しくてお洒落なものだけじゃない

気取らない良さ
先日の日曜日は、野毛のカフェでコンサート。コンサートは久しぶり。しかも小さなカフェでワールドミュージック(と呼ぶのだろうね)、となると初めて。最近は、気の重いことばかりが多くて、なかなか心が躍るようなことに巡り会わないので楽しみにして出かけました。

コンサートの前に、手帳用の万年筆を求めて伊東屋、LOFTを巡るも不発。手帳に挿せて、細字というものがなかなかないのです(軸が太いとホルダーに入らないのだが、高級品はたいてい軸が太い。そして、お店には安いものがないというわけ。やれやれ。おまけに、外国産のものは細字といっても中字に近いのだ)。で断念して、会場の最寄りの阪東橋へ。

少し前に会場に着いて、まずは席を確保しなければなりません。まだ客がまばらな間に物色して、結局は2階席へ。膝下くらいのところに小さなカウンターが造り付けられていて、奥には十数センチの程度のガラスがアルミの枠にはめ込まれておりました。このため、視界はきわめて良好。カウンターの端に載っていた大型の扇風機は音はするものの、風はほとんど来ていないようでしたが。


会場

それからビールを一杯(カウンターが付いていてよかった)。ようやく一息ついて会場を眺めると、えらくさっぱりしている。 装飾やディテールらしいものはなく、天井は型枠の小幅板の跡も荒々しいスラブ剥き出し。きれいにしようという気持ちはみじんも感じられないないようなインテリア。 古い建物を再び使うのに、安くあげるためか、それとも天井高を確保するためなのか、すべての壁や天井を剥がしてある。

椅子やソファはバラバラで適当に集めてきたもののようだし、テーブルはどうやらトップがガラスの陳列棚らしい(しかも棚の底は抜けている)。前方にはとくに舞台らしきものもないし、演奏スペースの奥はアンプの載った棚の下は黄色のビールケースが2個置かれているような案配だったが、それでもスピーカーはサランネットが外された古いJBLらしい代物。天井はと見れば小さなミラーボールの他に、エアコンが2つ、そしてその下にはなんと元は大型の換気扇らしきものが逆さまに取り付けられているのでした(たぶん)。

おまけに遮光カーテンもなく通風のために窓が開けられていて、走る車のライトや音が流れ込んでくるといった具合でおおらかと言えばおおらか(そういえば、オックスフォードの教会で聞いたバロック・ヴァイオリンのレイチェル・ポッジャーの演奏会がこんなふうだった。さすがに光は入ってこなかったけれど)。それからもうひとつ、若い人から年配まで女性のお客が多かったのはどうしてだろう。

始まった後は見ることができなかったけれど(ステージに集中していたのだからね)、外から覗き込んでいた人はいたのだろうか(もしそうなら、面白いのだけれど)。

その日の演者は、パリはコンセルバトワールで学んだという日本人女性サックスプレイヤー、フランス人男性ギタリストのユニットにアフリカ人男性2人(1人は伝統楽器の弦と太鼓、もう1人は木琴と太鼓)が加わったもの。予定の時刻を過ぎてもなかなか始まる気配がないので、ビールをもう一杯。 さて、ようやく演奏者が登場したのは、予定時刻を30分ほどもまわった頃でした。サックス奏者の女性が言うのには、「ご予約のお客様が遅れるということだったので、遅くなってしまいました」(!?)。



4人の演奏者

始まってみると、アフリカ人2人が圧倒的に良かった。とくに二人が叩く太鼓の力強さと迫力はアフリカの大地に暮らす人々の力強い生命力があふれているようだった。これに対し、オリジナル曲はなんだかジャズともフュージョンとも、はたまたムードミュージックともつかない奇妙なものだった。とりわけ、日本の民謡を取り入れた曲は変で、全く感心しなかったのでした。

終ったのは9時45分。それから遅いことを気にしつつ向かったお目当ての、名店の誉れ高い洋風居酒屋はしまっているようだったので、「バジル」という立ち飲み屋さんに(若い人から年配の客まで、店内はいっぱい)。たいていのものが500円ほどで、ピザもうまかった。

こうしたお店も増えているようなのだけれど、やっぱり、ヨーロッパ旅行などでバールやらパブやらを経験した人が増えたせいだろうか(もっとも、わが国にも酒屋に併設された立ち飲み処というものがあったし、立ち食い蕎麦というのもありますね)。これも楽しい経験でした。そういえば、別のある日、展覧会の後に寄った銀座のビアカフェも、お店の中と歩道の間がフルオープンとなっていて、内部に居ながら街と直接つながったオープンカフェのようで良かった。

空間は新しくてお洒落なものがいいというわけじゃないのだよ。2013.06.11





#077 番外編・さらば高倉健

様式美の行方

新しい未来をつくるために
このタイトルは、何年か前に亡くなってしまった加藤周一の「さらば藤純子」のもじりです。 このHPのNIce Spacesの頁にはちょっとそぐわないという気がしながらも、 さっさと書いてしまおうと思って載せることにします。

ちょうど読んでいた、映画評論家山田宏一の「日本侠客伝ーマキノ雅弘伝」(2007、ワイズ出版)の中にこうあったのでした。

 東映任侠やくざ映画路線は、「任侠の花」藤純子が1972年に引退したときに実質的に終わったという見方がある。加藤周一の名文「さらば藤純子
 」などその最たるものであろう。(「やくざ活劇の光栄は (……)まさに即自的に社会的・美的過去を要約しながら、その完璧な様式美に昂めた
 ことである。すべての完璧な美のように、そこに未来はない。故に曰く、藤純子よさらば」)。

加藤周一は何を隠そうずっと僕のアイドルだったから、おっと思ったのでした。たぶん読んでいるはずなのに覚えてないのが残念(ま、記憶力は全く自信がないし、当時はやくざ映画にはとんと興味がなかったのです)。さっそく確かめようとしたら、これが納められている全集は実家に置いてあることに気づいた。だから全文を読むことはできないのだけれど、その意味するところは、完璧に完成されたもの、たとえばダ・ヴィンチのモナリザを例にして言えば、同じ方向をめざす限りこれよりも完璧で美しいものは望めない。一旦完璧な美に至ったなら、優れた変奏曲をつくることになるか、あるいは自己模倣を繰り返すよりない。もはや 何も革新できない。 新しい美を実現しようとすれば別の路線を行くよりほかない、ということでしょう。


緋牡丹博徒お竜参上の道行

実は僕は、ここしばらくの間、高倉健の「昭和侠客伝」や藤純子の「緋牡丹博徒」のシリーズを続けて見ていて、密かに彼らの志に共感を覚えていたのでした。ところが、「昭和侠客伝」最終作「破れ傘」を見たときに、加藤周一と同じ思いに至ったのです。

最終作は様式から抜け出して現実的なリアリティを得ようとしたのか、高倉健演じる秀次郎の兄弟分安藤昇(最後には侠客の筋を通そうとするのです)が女たちを大陸に売り飛ばしているというような設定が善悪半ばするようで、中途半端なものとなって失敗。魅力が半減していたのでした(お約束の花田秀次郎と風間重吉の道行はちゃんとあって美しい)。 様式の美に徹すればよかったのだ。

この作品について、佐々木譲は「シリーズの終了やむなしを思わせる作品。(……)こんな男に振り回される秀次郎たちには、どうにも共感しづらい」と評した。この意見には賛成するけれど(しかし、多かれ少なかれこうした要素ははじめからあった)、変奏曲としてはそれほど悪いできでもないという気がする…。

しかし、彼らに未来があるかということについては、文字通り、花田秀次郎と風間重吉(池辺良)には新しい未来はない。彼らは、あくどい新興勢力の親分を切って捨てるのだけれど、重吉は必ず死に、秀次郎はたいてい警察に捕まることになるのだ。すなわち、彼らは対抗する勢力(の一部)を倒しはするけれど、そこからどこへも進むことができない。

高倉健は、「唐獅子牡丹」の中で、

 やがて夜明けの来る それまでは
 意地でささえる 夢ひとつ

と歌うのですが、ここにある「夜明け」や「夢」=新しい未来は、彼が閉じた世界を出て新しい世界へ向かわない限りやってこない。完成された様式の美しさと決別しなければならない。だから、「さらば高倉健」、あるいは「さらば花田秀次郎」と言わなければならないのだ。とすれば、(むろん完成されたというのではなく、枠組みの中に閉じ込められた)現在の自分に対してさえも。

しかし、現時点での善(と自身が信じられるもの、たぶん未だ完成された様式とはいえないようだけれど)に比して、新しさを標榜する勢力に共感できない(当然、こちらにも未来を感じられない)場合は、どうすればよいのか…。



昭和残侠伝破れ傘の道行き

ま、未来がないことを承知で、現在の価値を維持すべく、しばらくの間努力するしかないのだろうと思うに至ったのでした。なかなか、「さらば高倉健」とはいかないね。

ついでながら、負け惜しみのようだけれど、はじめから新しくあることやオリジナルであること、または壮大であることへの憧れや信頼が過剰にならないようにおやりなさいよ、言っておきたいのです。

実は、その後「さらば藤純子」をどうしても読みたくなって図書館で検索したら、横浜市大の図書館で借りられることがわかったので、さっそく借りて読んだら、なるほど洞察に満ちた名文でした。2013.04.20





#076 番外編・分かち合う喜び

ある日の会議の席で思い出したこと

モリスとアーツ&クラフツ運動の精神
先日あったとある会議の席ではいろいろと考えることが多かった。

身近な生活を見つめることから学ぶということについては皆が異論を挟まなかったけれど、身近な生活をデザインする対象と限定するのはどうか、デザインする対象は生活に限る必要はないではないかという議論がありました。「スーパー主婦になる」ことをめざすのではないでしょう、というのです。これに賛同する人も少なからずいた(古くからいた人も新しく来た人も)。

意見を自由に言い合う空間は素敵なことに違いありませんが、そして僕の方がひねくれているのかもかもしれないけれど、ちょっとがっかりしたし、戸惑いもした。身近な生活から発見しデザインするというのは、彼らが言うただ「スーパー=できる主婦になる」ことを目標にする のではむろんない(正直にいえば、こういう連想はいささか短絡的で想像力に乏しいのではあるまいか。さらに言うなら、賢い主婦は大したものだと思います)。

めざすべきは生活を大事にし、そこから得たことを他者の生活のためにも役立てようということだと思うからです。その中で大それたことに向かったり、実現できたならそれは悪いことではもちろんなく喜ばしいのだけれど(ただ、この方がいいのだというのなら違和感がある)。

このことは19世紀後半に現れたウィリアム・モリスや 彼の思いが起点となって始まったアーツ&クラフツ運動の精神に通じるだろうと思うのです。そして、今日でもこうしたことを標榜する人はちゃんと存在している(たとえば、川崎和男、梅原真)。これは、なにも職業的なデザイナーに限らず、ごくふつうの生活者としての立場でも実現できることです。

自分が楽しく暮らしたいのなら他者にとっても同じことだからその機会を奪わないようにしよう、迷惑をかけないようにしようということから始まって、積極的に他者のことを思いやりながら暮らそうということにつながるはずだから。これらのことについては、「人間環境デザイン論」の担当のところで改めて触れようと思います。

さらに、もうひとつはっきりしていることは、自分が信じていないことは他者に伝えることはできないし、他者のことを思いやることはできないだろうということ。こうしたことの例として(その誠実さはちょっと痛ましいけれど)、かつてCMディレクターとして時代の寵児となった杉山登志を例に引いて書いたこともあります。加えて、まずは何千何万頭の牛のことを言うよりも先に目の前の一頭の牛のことをきちんと考えることを説いたという孔子の教えのことを思い出します。

ところで、今年の桜をいい状態で見る機会が乏しかったような気がするね。ずっと寒かったのに急に暖かくなったので桜は早く咲いたけれど、また寒さがぶり返したり雨や強風があったりと天候に恵まれなかった(ちょっと残念)。


路上の花びら

そこで、(シャッターチャンスには恵まれなかったけれど)キャンパスの桜のお裾分けを(と思ったら、つい先日クラッシュしたパソコンに保存していたことに気づきました。こういうことばかり早いのね。やれやれ)。満開の写真はデータがリカバーできた時に。 でも咲く花だけでなく、散った花もまた風情があります。

若い諸君には、何でもない日常の生活の中に美しさや楽しさを発見するよう心がけたらいいと願うのです。 ともあれ、新入生や進級した学生、そして卒業したみなさんには、おめでとう!2013.04.06





#075 都市の中に出現したエアポケット

デザインするという行為

猥雑さの魅力
急に春めいてきましたね。

いつまでも寒いと思っていたのに、急激に暖かくなって例年よりも早く桜が咲いたと思う間もなく咲き誇って、うかうかすると花見もしないまま終わってしまいそうです。でも、今回の話題は、桜ではなくて、都市の中のエアポケットについて。

この間の日曜日、大阪からやって来た建築事務所を自営する後輩のマツウラ君と表参道・青山の建築巡りをしてきました。ランチに入った店でビールを飲みながらそのインテリアについてあれやこれやと批評することからはじまって、建物を見るたびにああだこうだと言ったり、また途中では目に付いたお店に入ったりしながらの街歩きは楽しかった。

街の景観としては表参道といえどもいかにバラバラか、個を主張するものばかりであるかを再認識するばかりだった(たとえ、それが名のある建築家の手になり、単体としては優れたものであったとしても)。街並としてみた時は全くまとまりを欠き、ほとんどやりたい放題の態。さて、いいのかわるいのか。マツウラ君は、建築家のセンセイ方の言うこととやることの乖離に憤懣やるかたなしという風情で嘆くのでした。

ただ、表参道から東京駅まで歩いて行こうということになって(なんと言っても街や建築をみるのが好きだから)青山通りを歩き始めた時に、とても面白い光景にぶつかった。246コモン。ビルとビルの空き地にさまざまな飲食を供する仮設の建物と飲食のためのスペースが出現していて、賑わっていたのでした。


たこ焼きや

すれ違った女性が「あのたこ焼きやは張り切りすぎたんやな」(なぜか関西弁)と言うのを小耳に挟んだのですが、少し歩いたところで「あ、このことか」とすぐにわかりました。黄色く塗られたFRPでできた小さなカプセル。隣には、薄い板でできたバラック様の小屋が。よく見ると、カウンターのようなものまであって、立って飲食ができるようになっている。


フードコート

おっと思って、中に踏み入るとそこには見慣れない風景が。 小さなフードコートを囲んで、 たこ焼き屋や隣の小屋と同様の仮設の建物がところ狭しと並んでいたのです。そして、どこもかしこも楽しげな人々の顔であふれていた。さらにいちばん奥の方には、細い脇道へ抜ける小道まであって、片側はお店が、反対側には屋根が架けられているところに床几が置かれて、長屋や料亭の露地みたいな役割を果たしているようでした。

聞けば期間限定のようですが、 この自然発生したかのような猥雑な空間は建物の作り方も材料も形態もてんでバラバラなのですが、表通りのバラバラ感とはまるでちがって街の魅力に溢れていました。皆が笑顔で座って、あるいは歩きながら楽しんでいる様子は、都市の中の空間らしいあり方としてはむしろ洒落ていて、素敵な場所となっていたのでした。

それに比して、派手な色に塗られた遊具や緑が配された公園のなんとみすぼらしく見えたことか。こういう場所を目にすると、デザインする行為というのはいったい何だろうと考えずにはいられません。きれいな建物、美しい建物、立派な建物、便利な建物等々、意図を持ってデザインされ、きれいに整えられた建物や公園がとたんに色あせて見えるのだ。

昼間は暖かかったのに、夕方を過ぎると風が寒いくらいだったのも、もしかしたら気温のせいばかりじゃないかもしれません。

あ、日曜の話を今頃書いているようじゃいけませんね。桜の盛りも見逃しかねません。気をつけなくちゃ。2013.03.21





#074 番外編 アナクロニズム、それとも温故知新?

美学、または美意識

昭和残侠伝に惹かれるわけ
今朝3月12日の朝刊のコラムに、『確かなものがどこかにあって、そこに身を委ねていれば大丈夫という感覚が消え』、あるのはしなければいけないことの山山山。なのに、『政治家は「できること」「したいこと」しか言わない』という青森恐山の禅僧の言葉が引用されていた。これは政治家に限らないようです。分別のあるはずの大人でも、自分が「したいこと」、自分の「利益」のことだけしか言わない人が少なくない。

さて、最近は、妙に古い映画を見たり昔の本を読んだりということが増えてきた。
「温故知新」と言ってカッコつけたいところだけれど、やっぱり年のせいってことかしらん。

この間、「寅さん」のシリーズや「赤頭巾ちゃん気をつけて」から「僕の大好きな青髯」に至る薫君4部作について触れた頃から、何となくそうした傾向にあるようなのです。渡辺武信の詩や長田弘の「猫に未来はない」だとか梅棹の著作だとか、ディック・フランシスの「競馬シリーズ」やらあるいはサリンジャーの「ライ麦畑で捕まえて」やら何やかや(マイッタなあ)。

映画でも似たようなことがあるのです。実は、と言えば思わせぶりだけれど、60年代後半の日本の映画を見るようになった。たとえば、「寅さん」の他に「昭和残侠伝」や「緋牡丹博徒」のシリーズ。これは何も無頼やアウトローに憧れているわけではないのです(だいたい、「男はつらいよ」と同様に、あんまり見たことがなかった)。屈折した「イノセントであること」への憧憬なのかもしれません。


花田と風間の道行

ともかくも、それは破壊的あるいは破滅的な暴力がもたらすカタルシスというのとも違うし、様式的に整えられた場面の美しさに惹かれるというのとも異なる(これは、当時でもそういう部分があったのではないかと思う)。もしかしたら、負ける(任侠映画で言えば「死ぬ」ということですが、もちろん日常の世界ではそんなことではない)とわかっていても、自らが信じる道理に殉じる潔さに共感するためなのではあるまいかという気がするのです。

ちょうど同時代に、「背中で泣いてる唐獅子牡丹」をもじって評判となった橋本治のコピー「とめてくれるなおっかさん、背中のいちょうが泣いている」というのにも同様な意味が込められていたのではないかと思います。たぶん、人は勝ち目がない時でも、自身の価値基準によって(これを美意識と呼んでも美学と言ってもよいけれど)選ばざるを得ない場面がきっとあるのだ。

かつて敏腕テレビ演出家・プロデューサーとして、後に作家として一世を風靡した久世光彦は、その著書「昭和幻燈館」の中の「道行き・花と風」の章で、「昭和残侠伝」の花田秀次郎(高倉健)と風間重吉(池部良)について『花札の美学』と言い、一見似たようなほかの二人組、たとえば、 『「明日に向かって撃て!」のブッチとサンダースとも違うし、「スケアクロウ」のマックスとライアンとも違う。「冒険者たち」のマヌーとローランでもない。もっと湿度が高く、もっとテンポが緩やかで日陰の似合う二人である』と書くのだけれど、確かにそう思います。


マヌーとローラン

そして、同じく渡世人を任じる「寅さん」の軽妙に惹かれることがあるにはあるのだけれど、今は久世が書いたように花田の『花』と風間の『風』の距離の遠さと近さにより親しさを感じます、そして主題歌の「男はつらいよ」よりも「唐獅子牡丹」をつい口ずさんでいる自分に驚くのです。と言いながら、「冒険者たち」や「明日に向かって撃て」がどうにも好きなのだから、われながら煮え切らないことおびただしい(やれやれ)。

ともあれ、学生諸君には、かつて庄司薫が書いたようにできるだけいろいろな束縛や大したことじゃない何やらかにやらから『逃げて逃げまくれ』ばよいと思いますが、一方で譲れないと思い定めた一線については『マイッタマイッタ』と呟きながらもぜひ死守してほしいと願うのです。

ところで、このところ急に春めいてきたね。ついこないだは、暖かいというよりもむしろ暑いと言いたいくらいだった。光の色も川面の色も今までとは違って見えるようになったけれど、このことはまた今度。2013.03.12





#073 号外 10周年記念交流会開催!

卒業生と3・4年生への伝言

横浜ロイヤルパークホテルに集まろう
いよいよ学部開設10周年記念の行事が開催されます。

卒業生、在学生、そして教職員ともども集ってこれを祝い、交流を深めてお互いに必要な時に役に立てればと思います。

ご存じない卒業生は、ぜひここここのサイトをご覧ください。そして、可能な限り参加の申し込みをお願いします(締め切りは、今月31日です)。それから、同窓の友人の方々にぜひお伝えいただければ幸いです(とここで言ったからといって、読者の数を考えると宣伝効果はほとんど望み薄かもしれないけれど)。2013.01.20





#072 雪の中の美術展

初めて見る驚き

出会う喜び
六本木の東京ミッドタウンで開催中の展覧会2つを見に行ってきた。
ひとつは21_21 DESIGN SIGHTの「田中一光とデザインの前後左右」展、2つ目は隣接するサントリー美術館での「森と湖の国 フィンランド・デザイン展」。いずれも会期末とあって、とても込んでいた(久しぶりに人込みの中で見ることになった)。


雪の残る21_21 DESIGN SIGHT

とくに「田中一光展」では、その仕事の数の多さと質、多様性に圧倒されました。そして、これを生みだすための技術(何しろコンピューターの無い時代)とストック(過去に学んだ量)の多さに驚いた(デザインに殉じたのではないかと思うほどのエネルギーが詰まっていた)。たぶん、ここに来ていた人の多くは何らかの形でデザインに関わる人だったのに違いないはずだけれど、そうした人々を引きつけるのもさもありなんと思ったのでした。

一方のフィンランド展の方は、ガラスの器や鳥を中心としたオブジェが多くて、こちらはたぶん北欧好き、ガラス好きの一般の人たちが多いようでした。様々な作品だけでなく、アアルトのガラスの花器を作るときの木製の型など目にしたことがないものもありました。

そして、いずれも写真を撮ってよいという場所が設けられていて、とくにフィンランド展のガラスの鳥をたくさん並べたコーナーは大人気で、多くの人が写真を撮っていましたね。田中一光展の方は彼がある会社のために選定した色見本を並べたもので、こちらは写真を撮っている人はあんまりいなかった(ま、これ自身は完結した作品とは呼びにくいものだからね)。

で、なぜ写真を撮ることのできるコーナーが設けられたのかということだけれど、一緒に出かけたデザイナーによると『美術館内で写真を撮れないと、お客が満足しないため』ということなのですね。たしかに、外国の美術館は写真撮影可というところがけっこうあるし、今となればそうした美術館を体験した人も多いに違いない。

そして、フィンランド展では大量生産のものが並んでいたから、あわよくば売ってやろうということもありそうです(ステルスマーケティングというらしい。同じものは売られていなかったけれど、その効果のせいかミュージアムショップのカードは鳥が大人気でした)。


雪と夕陽の輝き

それから、美術館のまわりにまだ雪が溶けずに残っていたのも風情があってよかった(なんといっても、もう悪さをする心配はないのだから)。

ついでに、もう1軒、評判の高い代官山蔦屋(漢字なのだ)へ後学のためにと、美術館巡りの後のお酒も程々に切り上げて行ったのだけれど、期待したほどには感心しなかった。ま、商売だからしかたが無いのだろうけれど、既成のジャンル分けに従っているようだし、本やCDが(コーヒーを飲みながら)読んだり視聴できるというのも規模こそ違うもののすでに体験したことのあるものだった。

ま、ネットとつながるパソコンが多数用意されているところは、今の時代ならではの新しさと言えるかもしれないけれど。

何より、お客が皆しかつめらしい顔をしてパソコンやら試聴機に相対していたのが気になった。広くておしゃれで、おまけに便利には違いないのだけれど、なんというか、出会う喜びのある場所というようにはあまり感じられなかった(代官山蔦屋さんごめんなさい)。

これに対して、2つの展覧会の方は初めて見る喜びと驚きがあったのです。2013.01.20





#071 初雪

発見しなければ生きてゆけない

差異に対する敏感さ
「この冬は寒いね」という話題をよく聞いていたのに、ちっともそういう実感が無かった。このところは寒いことは寒いものの、例年に比してとりわけ寒いという気がしなかった。ま、もともと記憶力はからっきし自信が無いから比較できないのはしかたがないのだけれど、それよりもいよいよ加齢のために温度の変化に鈍感になったのかと観念していたのでした。


降りしきる雪

ところが、先日の関東地方を襲った初雪はすごかった。この時期の寒さと今が冬であることをいまさらながら実感しました。降り始めはそうでもなかったのに、どんどん積もるのを見ていると心配になる(その日は外出の予定があった)のと同時に、滅多に見られない景色が出現するのは楽しかったな。はじめは見えていた山が次第に雪と灰色を濃くする雲のためにフェイドアウトし、真っ白い景色と霧のかかったような風景が素敵だった(豪華2本立て!?)。

それから、空を覆い尽くした灰色の雲もなかなか素敵だった。家の中で温々していると(ファンヒーターとソファのおかげ)、そのありがたさをよりいっそう感じることができるのとあわさって、ちょっと楽しいのだね。われながらなんと身勝手な感じ方をするものかとあきれたりもするけれど、厚くどんよりとたれ込める冬の雲の美しさというのもきっとあると思う(太平洋側の都市に暮らすゆえということもあるかもしれないけれど、日本海側で暮らす人々にとっても、快適さということとは別に、その美しさの感覚は共通するのではあるまいか。それに、さっき言ったように美しいものが快適だということでもないのだから)。

というものの、雪景色というのは家の中から眺める分には美しいのだけれど、いざ外に出ると厄介なことばかりが多い(実は緩やかな坂道を歩いていて、雪かきしていたおじさんが『雪の上を歩く方が良いよすべるよ』、と言ったとたんにつるりと転んだのです。やれやれ)。美しいものには用心、用心。


翌朝の輝く雪

そして、大雪が去った翌朝にあらわれた白く輝く青空の美しさにもう一度驚くことになるのだけれど、これも差異の大きさによるところ大です(やっぱり、車は出せなかった)。さらに言うならば、それは確かにコントラストの大きさ、刺激の大きさに頼っているように見えるけれど、それだけではないに違いないのだ。

なんだか、毎度毎度同じことを書いているようですね。しかし、こう言うとちょっと大げさに聞こえるかもしれないけれど、一方で見るもの、聞くもの、体験するものの間の差異(それが小さなものであれ大きなものであれ)に敏感になって喜びを見いださないと生きてゆけないのではあるまいか。そして、自身が楽しくなければ、他者の幸福に思いを馳せるなどできない(とすれば、デザインする意味が無い、と言うよりもはやデザインできない)に違いないと思うのだよ。

さらに唐突の感を免れないけれど、たまたま読み返した庄司薫の4部作は、こうしたことを改めて感じさせたのでした。夢を持った若い人もそれを忘れてしまった大人たちも、春樹ファンの人もそうでない人も読む(あるいは再読する)と良いのではあるまいか。2013.01.20





#070 番外編 所有しない暮らし

ものとのつきあい方

新年の所信表明
元日の裏山に現れた今年の干支

(遅ればせながら)謹賀新年。

僕は、どちらからと言えば、たくさんのモノを欲しがる方ではありません(やっぱり、貧乏性?)。一方、気に入ったモノ(気に入りそうなモノも含めて)は、できれば自分の手元に置いておきたいと思っていました。だから、楽しみのための本も映画(DVD)もたいてい買うことにしていた。おまけに、どうやらコレクションしたがる癖がある(時々、全巻揃えるために買ったりする)ようなのです。

このあいだ、例によって年下の建築家と話をしていたら、仕事のし方の話になりました。彼が言うのには、『仕事はほどほどに』にしたい、お金で買えるモノが欲しくないわけじゃないけれど、『それを欲しがる自分のこともどうかと思う』と言うのです。欲しいと思ったモノを買うために(労働という)時間を使うよりも、自分自身のための時間こそが貴重だということなのでした。うーむ。

ちょうど、僕自身もこのところ、所有しない生活はどうだろうと思うようになっていました(ま、働き方についてはしばらく措くとして)。所有することよりも、身軽でいることの方が快適なのではあるまいかという気がしてきていたのです。モノが多すぎると物理的に場所を取るだけでなく、何だか息苦しいようでもあり、さらに所有欲を強いられるような気がするのです。


年末年始の本とDVD

そこで、できるだけ、楽しみのために読む本は図書館から、DVDはレンタルショップから借りる。これからはこの方針で行こうと考えた。新年の所信表明であります。

本当に大切なモノだけを手元に置く。これは、清貧というのともちょっと違うような気がします。過度に禁欲的にならずに、できるだけ身軽にして、まずは今手元にあるモノを死蔵することなくしっかり向き合って暮らすというほうが文字通り「リアル」を大事にする生活に違いない(ま、書き込みと背表紙の問題はあるけれど)。そう言えば、昨年五月に亡くなった吉田秀和もたくさんの本やCDをコレクションとして手元に置くことはしないと書いていたのを読んだことがありました。

ミースの有名な言葉、”Less is more.” が、生活する上でこそ当てはまりそうな気がしてきたのでした。でも、そう言いながら、実際にはモノをなかなか減らすことができないのが課題(それでも、最近は、ようやく楽しみのために読んだ本はすぐにあるところに送るようになった)。

あまり教条主義的になってはいけませんが、欲張らず本当に必要なものを見極めながら暮らすように心がけよう。 モノに限らず、大事なことを見極めながらつきあうようにしたいと思い定めた次第なのです。

でも、白状すると、つい先日図書館で借りるべき本を買ってしまった。どうしても読みたい本があったのです。図書館をいくつか当たってみたら、5冊ほどの在庫に対して予約が67人だった(貸し出し期間は2週間と言うから、これは単純に計算するとおよそ半年ほども待たなければなりません)。これはしかたない(でしょう?)。そして、帰省中にも何冊か(なかなかね、むづかしものです)。

良い一年となりますように。2013.01.07





#069 珍しい光景

霧に包まれたキャンパス

非日常の中で考えたこと
最近は、それまでふだんあんまり見たことがないような光景を目にすることがさして珍しくもないことになりつつある気がします。たとえば、気象異状。社会的無関心。その場限りの議論。他者を当てにする、…等々。あんまり楽しいことではないね。


霧に包まれた八景キャンパスと侍従川

でもこれから書こうとしていることは、そうした類いのことでもないよ。何かと言えば、霧。たとえば湯布院のような山間の場所だったら珍しくもないのだけれど、ここ金沢八景ではね、ちょっと驚く。最初は雨が降っているのかと思っていたら、そうではないようだった。テニスをしているのが見えたし、路面も濡れているようではなかった。


霧のマンスフィールド・カレッジ

それほど幻想的というほどでもないのだけれど、ちょっと珍しかったのに加えて懐かしい気分がよみがえったのでした。1年ほど暮らす機会に恵まれた英国オックスフォードで、時々目にした風景だったのです

別段、過去を懐かしもうというのではないよ。ただ思い出しただけ(と言いながらも、ちょっと恐れないわけでもない)。さらに言うなら、きっと一時新鮮な気持ちで暮らした時間が愛おしいのだね(と言って、その間に特別に何かをなし得たというわけではないのだけれど)。そして、何よりもその風景そのものが魅力あるものとして眼の前にあったということに違いない。しかし、景色の魅力は発見するものではあるまいか。

でも、こんなことを書いていると、変な人だと思われそうです( マイノリティ、少数派ということですが、これについては十分自覚しているつもり)。でも気にしないようにしよう。だいたい、そう思うような人はきっとこれを読むことはないに違いないのだから(と言ったものの、いたい誰が読んでいるのだろう。宛名を書き忘れて投函してしまった手紙のような気がしてきた)。

さて、「この声の届く先」があるのだろうか(ごくごく少数の知っている人々を別にして)。たぶん、届く先があってもなくても、意味があろうとなかろうと、これはたぶん自己確認の作業でもあるのだね。とすれば、できるだけ毎日書くように心がけることにしよう(何かの拍子にこれがどこかに届いて、そしてその幾分かを共有してくれる人がいてくれたならば幸せというもの)。

よい年をお迎えください。2012.12.25





#068 窓を磨く

ハートを磨け

ていねいな暮らし
窓を磨くということは、日常の生活を大事にしようという思いの現れと言っていいのかもしれない。磨き込まれた窓を通して見る外の景色は、くっきりとして清潔に見える。

先日なにかで、年取って半ば世捨て人のようにしながら暮らしている老人を演じるショーン・コネリーの魅力について書いたものを読んだので、再見しました(年とってからのコネリーが素敵だと思って、DVDを買って見たことがあったのです)。

その映画は「小説家を見つけたら」。マット・デイモンを主人公とした「グッド・ウィル・ハンティング」の焼き直しのようで(監督も同じ。デイモンもちょっとだけ出てきた)、正直に言えば、映画自体はそれほど感心するわけではないのだけれど、白状すれば、こうしたハートウォーミングものに弱いのです(人間が甘いということ?)。でも、そこかしこにあっと思うことがあります。

で、何かと言うと、彼は部屋から出ない代わりに毎日窓を磨き、そこから外の世界を眺めているのです(こうした日々の行為が、彼の存在理由のよう)。彼は、街の少年たちが興じるバスケットボールがことのほか気になるようでした(守りが弱い、などと言いながら。それから、小鳥も対象の一つ)。

窓を磨くコネリー


また、磨かれてきれいになったガラスは思いがけない景色を見せてくれることがある。こないだの朝、授業が始まる前に窓の外を見ていたら、他に何ひとつない青い空に飛行機雲が二筋三筋見えたので、おーっと思った。でも、近づいてよく見たら映り込んだ蛍光灯だった。なんてことはないただの錯覚だったわけだけれど、それが何やらいっそうおもしろく感じたのでした(それで、すぐに近くの研究室にカメラを取りに行って、撮影しました)。

飛行機雲?


映画の話に戻ると、彼は若くして書いたデビュー作で時代の寵児となって、その後全く書くことをやめてしまった作家という設定で、彼がある出来事をきっかけに文章を書くのが好きな黒人少年に作文の指導をするのですが、いろいろと役に立ちそうな教えが出てきます。

たとえば、『最初はハートで書け。推敲は頭を使ってやれ』。始めから考えすぎないこと。これは文章だけでなくインテリアや住宅の設計にも通じるところがありそうです。

ということは、ハートを磨けってことですね。これは何をするにしてもあてはまりそうですが、そのために僕も、まずは窓を磨き、床や家具を磨くことから始めようと決心した次第(いかにも遅いようだけれど、何事も遅すぎることはない、と言いますぜ)。

そして、『接続詞を文頭に使うのは悪文というのがルール』というようなことも出てきます(聞いたことがなかったけれど、欧米ではそうなのかしら。知らないことがたくさんあるね)。でも、コネリーが演じた作家を始めとして高名な作家たちはその教えを破っているということでした。

そう言えば、日本では、「である」調と「ですます」調を混ぜるのは最悪ということになっていますが、混ぜる名人丸谷才一のように積極的に無視する作家もいます。単調さから逃れることができる、というわけです。僕も真似するのですが、なかなかむづかしい。ま、慣れるまでは基本に従うというのがよいかもしれませんね。

ともあれ、窓とハートを磨こう。2012.12.23



#067 コンパートメント

距離感の不思議

列車の座席の間のテーブルの効用
つい先日、突然の用事で里帰りしてきました。それは決して楽しいことではなかったけれど、いいこともいくつか。ひとつは、なつかしい人たちと久しぶりに会うことができたこと(一人で暮らしている母親とわずかの時間を過ごすことができたことについては、言うまでもありません)。少しだけ気が晴れた。

もうひとつは、帰りの列車。ホームで待っていると、あれっと思うような景色が見えたのでした。

何かと言えば、ホームに入ってきた列車の窓越しに、向かい合った席の間にテーブルらしきものがあったのです。以前に書いたことがあるように、僕はヨーロッパの列車によく見られる向かい合う席と席の間にテーブルがある席が大好きなのです*。それが目の前に出現したかのように見えた。

勇んで乗り込むと、ごくふつうの席が並んでいた。しかし、どうしたことかと思って隣の車両を見やると、まさしく先ほど見た席と席の間にテーブルがありました。僕が始めに乗り込んだのは自由席、隣は指定席用の車両なのでした(つまり、切符を買う時は急いでいたので指定席を取る余裕がなかったのです)。もちろんすぐに見に行ったのですが、その後思い出しました、この切符は指定席料金込みだった。それで検札にやってきた車掌さんに聞いて、席を確保し、改めてゆっくりと見回したというわけ。

セミ・コンパートメントと呼ぶようでした。コンパートメントというのは、数席ごとに壁で間仕切られた席のこと。よく見るとプアなところもあるのですが、それでも珍しいね。で、ヨーロッパの車両を思い出しながら、写真撮影に励みました。外の風景も味わい深いものがあった。途中で新しいお客が乗り込んできたために自由に撮影することはできなくなったけれど、そのせいで気づくことがありました。

コンパートメント車両


それは、真ん中のテーブルは便利(何か書いたり飲み物なんかを並べたり)というだけでなく、向かいの乗客と程よい距離感を生み出してくれるということ。テーブルがあるおかげで、向こう側に座った人が意外に気にならないのです(食堂の相席は逆に気になるのだけれど…、ちょっと不思議な気がするでしょう)。同じ関係でも、状況が違えばやっぱり違った感覚になるということですね。こう書くと、当たり前と言われそうで、そうには違いないのですが、ちょっとばかり新鮮な感覚だったのだよ。

コンパートメント席

2012.12.21
*#20





#066 鉄道の駅舎

広場としての駅、建物としての駅

非日常の場所、日常の空間
以前、空港はどこか遠くへ行く、それも何かいいことが待っていそうな不思議な緊張感と高揚感があるのに対し、鉄道の駅にはそれがない。列車の場合は、どちらかというと、その場を去らなければならないという寂しさがつきまとうような気がすると書きました*。

そう書いたものの、その直後からずっと、ちょっと鉄道駅に申し訳ないような気がしていました(小心者、それとも正直者?)。実際、ヨーロッパで見た鉄道の駅の中には、空港と変わらない魅力を持った鉄道の駅がたくさんありました。

鉄道駅は高揚感に欠ける、そう思ったのはたいていの鉄道駅が日常空間の延長という感じがするからなのですね。小さな駅は言うに及ばず、大きな駅でも街と変わらないようなのです。それは、ひとつには大きな空間、横にではなく縦に延びる大空間がないせいだという気がします。そして、街中、それも室内にいる感じがする駅が多いのです。


グラスゴーセントラル駅


F・L・ライトによって鉄道駅で最も美しい駅と評されたというミラノ中央駅のように鉄骨で組まれた大きなトラスとガラスの屋根があれば、空港にも負けない高揚感が生まれます。ヨーロッパには、こんな駅が少なくないようなのです。こうした魅力的な駅のおおかたは、たとえば、ロンドンのパディントン駅、ウォータールー駅などは、ヴォールトの大屋根を持っているのです。この他にも、グラスゴーのセントラル駅(こちらは三角形のトラスだったかしらん。ギネスブックにも載るほどの大屋根)やクイーンズ・ストリート駅 、あるいはドイツのフランクフルト中央駅、等々素晴らしい駅にはこと欠きません。

フランクフルト中央駅


鉄とガラスの大屋根は、日常の中に嵌め込まれた非日常的な空間と言うのか街の中のたまり場、広場のような主要な鉄道駅のアイコンのようです。広い場所から、行くべき一点へ連なる入り口を示しているような気がします。 ヴォールトの架構は大きな屋根を支えるのに適した構法です(石造りの地下室もだいたいかまぼこの形をした天井ですね)。橋でも、アーチ状の形態を持つものは昔からたくさん見られます。

こうした駅は、映画や小説の舞台としても重要な役割を果たしています。もっとも有名なのは、「ハリー・ポッター」でしょうか。ロンドンのキングス・クロス駅が登場しました。また、同じロンドンのパディントン駅は有名な「くまのパディントン」(くま君はこの駅で発見されたのでした)、あるいはアガサ・クリスティのミステリー小説の舞台となっています。ということは、そうしたいほどの雰囲気を備えているってことに他ならないのではあるまいか。

日本ではこうした駅を見かけないのはなぜだろう。ま、日本の建築の特徴は水平性にあって、もともと高さのある大空間はありません(お城だって、五重の塔だって大きな吹き抜け空間はないのです)。さらに、日本の駅は街の中の建築物の延長(内部)であり、これに対して欧米の駅は同じ街でも広場(外部)に近いと言えるのかもしれません。パディントン駅だったか、グラスゴー・セントラル駅だったかは、その昔タクシーでホームまで乗り付けることができたというからね。

なんだか、空港の時と反対のことを書いているじゃないかと言われそうですが、ま、そういうこともあるのです(どうか勘弁してください。でも、素敵な鉄道の駅があるのは本当です)。大きな声では言えませんが、人には2面性があるしね(いや、たぶん人の心だけでなく、街にせよ建物にせよ、何にせよということです)。

ともあれ、思い出しているうちに、なんだかヨーロッパに出かけたくなった(しばし日常を忘れたい気分でもあるのだよ)。2012.12.20
*#43





#065 番外編 生きる力

男も女も家事力だ

生活の最前線に立つために
12月に入ってなんだか慌ただしくなってきましたね。

少し早く帰った土曜の夕方、朝日の朝刊の付録(12月8日 『be』)を読み返していたら、おもしろい見出しがありました。 最近は、新聞の報道も、かつてのようには素直には受け取れなくなってきたようなのですが…(年取ったせいか、世の趨勢のせいか)。しかし、やっぱり役に立つことはあるね。


家事力は無形の財産という新聞記事

『無形の財産である「家事力」を身につけよう』というタイトル。さらには、『暮らしが豊かに快適に』という大きな文字が目についたのです。

僕は、ある時誰の言葉だったかカーラジオから流れてきた、アメリカに渡ってから『自分のことはできるだけ自分でしようと思い至った』と言う外国で活躍し始めた人(たぶん俳優かなにか)の話を聞いて、自分もそうしようと改めて思ったことがあったのでした。というのは、ずっと、男であれ女であれ家事をするのは当然という気がしていたのです。

しかし、それが、自分の生活を「豊かに」するための技術としての「無形の財産」という明確な意識には至らなかった。でも、考えてみたら、70年代のニューファミリーの洗礼を受けたものとしては、 当たり前のことなのです。いつのまにか、そのことを忘れてしまっていたというわけです。

で、その記事は、

  私が子どもの頃、まわりの大人たちはこんなに四六時中お金を使っていませんでした。
                   〈中略〉
  しかし、いちばん大きな理由は、「あの頃はみんな、買わずに自分でやっていた』からではないかと思うのです。


〈中略〉


  現代の生活がかくもお金にからめとられ、お金がないと身動きがとれなくなってしまった一因は、暮らす技術=家事能力を私たちが失ってしまっ
 たからでないでしょうか。

と書き、また、たとえば、

  「家事=お母さんがやってくれる無償の行為」「家事などに大した値打ちはない」 と思っていたら大間違い」。お金に頼れないなら、家事力こ
 そが「無形の財産」なのです。
  裁縫やアイロン、衣類管理の知識と技術があれば、お金をかけずにいつも身ぎれいでセンスのよい装いを保つことができます。外見は人付き合
 いを円滑にし、社会的な信用にもつながる重要な要素です。

と言って、

さらに、『妻に先立たれて一人暮らしになった男性が料理ができないばかりに、1人の食費に9万円もかかるようになり、さらに栄養学の知識もないため、カロリー過多の栄養不足で病気になってしまった』、という新聞記事も紹介されています。そして、『限りあるお金で暮らしたい人にとって、家事力はまさに「埋蔵金」。資産と読んで差し支えないのではないのでしょうか』とも。

どうです、「家事力」を身につけたくなったでしょう。 著者は金子由紀子さんという人。

そして、何となく感じていたことをこうして意識化することが何より大事なのだと改めて思い知らされたのでした。新聞もそう捨てたものばかりでもありません。

住まいのことで言うなら、豪華でなくとも、家事力によってきれいに片付いて整えられていたら、気持ちよく暮らせるのです。


アイロンとアイロン台

で、僕はと言えば、まあ料理はできるからアイロンがけに挑戦しようかと思っているところ。

このところ、受験生の間では「家政学」や「生活学」が人気上昇中だということですが、資格取得だけでなくこうした「家事力」が見直されることになるならば、心豊かに暮らせる世の中になるような気がします。

これは、受験生を集めるために言っているのではないよ。考えるべき課題をリアルなものとして、あるいは具体的なものとしてとらえて対応するための方法として有効なのだと言いたいのです。

拡大して言えば、何事も人任せにせず、われわれ一人ひとりが生活の最前線に立つ(平和的)兵士とならなければいけないのだね。2012.12.15





#064 冬支度

巣ごもりのためのしつらい

ソファとガスファンヒーター
あっという間に寒くなりましたね。そして、あっという間もなく12月を迎えてしまいました。10月ばかりかやっぱり11月にも不義理をしたようで申し訳ない気がしてきた。これ以上の不義理はなんとしても避けなければいけない(と、思っていたらはや半ば。ああ)。 これでは、お隣りの哲学のセンセイ同様に「いったいどうなっている!?」と言いたくなります。でも、今年は、秋らしい秋がありませんでしたね。夏からふいに冬に入れ替わったという気がします(もしかして、いつもの年より2ヶ月ばかり短かくなったのではあるまいか)。

さて、今年は暖冬だという予想だったのだけれど…(でも、いつのまにかエルニーニョ現象が収束したとか何かで、寒くなる方に修正されました)。

寒くなると、家から出たくなくなります。温々としていたい。ま、元気な風の子諸君は外がいいのでしょうけれど。となれば、家が暖かいことに加えて、どれほど快適かが問われることになります(もののデザインと生活の関係に着目した先駆者ウィリアム・モリスの言い方に倣えば、これはお金の問題ではなくて趣味の問題だ、ということですね)。

そして、自分だけの気持ちのいい場所、コージーコーナーが欲しい。これをいかにつくりだすかが課題です(むろん正解はない。人それぞれ。しかも、いろいろと条件がある。だからこそ、悩ましい)。ということで、経済やら部屋のことやら種々の制約の中で少しずつ手を打ちはじめたところ。


ソファとガスファンヒーター

まずは、壊れたガスファンヒーター(省電力と節約のために。ガスは立ち上がりが早いのです)を交換し、そしてソファを設えました(映画と朝日のために。あ、結局LC2になりました)。これで、温々作戦の第一ステージはいちおう完成。これからは、フロア・スタンドやら棚やらを少しずつ。スコットランド製あたりのウールの膝掛けもあればいいかも。小さなテーブルもいるかな(いや、これはちょっと場所塞ぎ)。そして、もちろん花や植物も。

やりながら、少しずつ。やっぱり、手を動かして検討することこそが良い結果を生む秘訣だという気がする(天才たちの場合は知らないけれど)。こうしたことに心して取り組まないと、人に何か言うことはできないとも思う(ま、ごく当たり前のことです)。

それで思い出したのは、少し前にたまたま目にしたラファエル前派の画家ジョン・エヴァレット・ミレイの「オフィーリア」。川面に浮かぶ彼女の表情ははじめ描いたそれとはずいぶん違ったものになって、そして傑作となりました。余談だけれど、ついこないだ知ったのは、彼の奥さんは彼を見い出したジョン・ラスキンの妻だったらしい。モリスの盟友ラスキンもとは…(これは、関係ないね)。


LC2(リプロダクト)

さて、 ソファは、やや奥行きが大きいように見えたけれど、案外すぐに馴染みました。ついでに言えば、座面の深さは背もたれが厚い分やや不足ぎみ、そして背もたれももう少し高さがある方がよかった。見た目には、アームレストと背もたれの高さがそろっている方がすっきりします。たぶん、造形的には完璧なのですが、機能的にはやっぱりもう少し背もたれの高さと座面の奥行きが欲しいのです。

こんなふうに、合理性、機能性、デザイン性、それぞれが少しずつ異なった要求をします。さて、どれを捨て、何を優先するのか。それは私たち一人ひとりに問われているのだろうと思います。

ともあれ、 仕事もここでやることにしようかな(あんまり、しませんけれど。Macbook Air で原稿を書いたり、Keynote のチェックくらいは、楽にできそうです。そして、実際、この原稿も半分はソファの上で書いたのでした)。

おっと、でも家を出たくなくなりそうなのはちょっと問題。そしてもうひとつ、寛ぎ過ぎるせいか映画を見ていても、いつのまにか寝てしまうことがあるのです(やれやれ)。2012.12.13





#063 今年もシルキー・クリスマス

デザインは手仕事

時間の上手な使い方
今年も、ゼミの学生たちが中区日本大通のシルク博物館で今月4日から開催中のシルキー・クリスマスの会場のディスプレイおよびシルク会館入り口周りのスプレー・アートの企画と制作に参加しました。昨年と違って、今年は3年生全員が取り組みました。ぜひ出かけて、ご覧になってください。


完成間近の会場

ただ、なぜか今回は昨年よりもさらに短い期間、一と月しかなかった。ま、予定はしてあったので、気持ちの上では慌てることはなかったようでした。それにしても、会場の見学、計測から1週間でアイデアを持ち寄り、わずか90分のうちにこれをうまくブレンドしてデザインの方針を決めただけでなく、役割を割り振り、スケジュールまで定めたのにはちょっと驚かされました。ふだんのゼミでは、なんだかおっとりしているなと思っていたのに、なかなかたいしたもの。

方針の決定から案の完成まで1週間、それから10日ほどで材料の手配からすべてのパーツを完了させるという案配でした。


作業中(会場構成)


作業中(スプレーアート)

しかし、彼らのがんばりはそれだけではありません。今回の会場設営は2回にわたって行われましたが、1回目は高いところの作業は危ないからということで、職人さんが直前に終了した企画展示の撤去に入る時に、高い部分の飾り付けをすることになりました。この時も、職人さんたちに臆することなく、テキパキと指示を出したり相談したりしながらスムーズに進めて感心させられました。

その後も、自主的に作業を続け、搬入・設置の期日の2日前(土曜日)の夕方にはもうほぼ片がついていた。まあ、手際の良いことでした。もちろん、一部始終を見ていたわけではないので、彼らがどういう風に働いたのか、わからない部分もあるのだけれど。

このことは、デザインを決めるのにただ時間をかければよいというものではない、ということを教えくれます(たぶん、彼らにとってはこの時間のなさが幸いしたのだと思います。あれこれ悩む暇がないし、細部にこだわる余裕もありません)。

学生諸君を見ていると、たいていが頭の中でアイデアを得ることに時間をかけることが習い性になっているようです。スマートじゃないと思うのか、手を動かしながらアイデアを得て、育てることをしませんね。それとも、面倒だと思うのかしら。だからなかなか進まない。

頭の中だけで試すだけではなかなか全体をつくりあげることはむづかしい。頭の中でおぼろげにできあがった部分を描き出すことしかしないから、部分的な検討しかできない。しかも細部にこだわって、いつまでも全体が決まらず堂々巡りを続けることになる。見ている方とすれば、これが歯がゆくてし方がない。

曲がりなりにもいったん全体を決めたならば、これを改良して育てることができるのに。さらに、ようやくたどり着いた全体を検討するのもまた頭の中だけですませようとするから、また悩むばかりで進まないことになります(ああ)。

視覚化すれば理解しやすいことは日常的に体験しているはずなのに、課題となると考えがまとまらないなどと言ってこれを実行しない。空間は3次元なので、模型をつくって試すことを続けることが一番なのは自明です。めんどくさがらずにさっさと手を使ってやるのが結局は早道なのです(そうしていればこそ”啓示”もやってくる)。デザインを考える、作品をつくりだすということは、結局手仕事だというのはこれを言うのだね(手仕事の価値については#51でも書きました。そして同じような感想を抱いた人がここにも)。



完成

ところで、2回目の現場での会場構成も滞ることなく夕方6時には完了しました(昨年と比べたらずいぶん早かった)。ま、最初の案を育てる時間があればまた別のものになっただろうという気しますが、これはこれで楽しそうな雰囲気が出現したし、よくやったと思います。彼らも「やり遂げた」という満面の笑顔でした。ただ、この喜びだけで満足せずに、さらにまた味あおうと欲張りになってくれるといいのだけれど。2012.12.03





#062 選ぶという行為

映画観賞用の椅子

揺れる心
家では、だいたい机の前か食卓の椅子に座ることが多い生活をしてきました(テレビを見なかったからね)。それがちょっと変わってきた。映画を観るための椅子、そして朝日の中でしばしくつろぐための椅子が欲しくなった、というわけです。


ハードイチェア(BKFチェア)

それでまず思い浮かんだのが、ハードイ・チェア(別名BKFチェア)。オリジナルは細い金属のフレームにキャンバスをかぶせたフォールディング・チェアです。J・F・ハードイらコルビジュエの弟子のアルゼンチン出身の3人組の作。50年代にはけっこう人気があったようで、MOMAの永久コレクションにも加えられています。ずっと欲しかった。

軽快でカジュアルだけれど、姿形が美しい。しかも折り畳める。座り心地もよさそう(ただ、長く座ると膝の裏が当たるかも。ま、これは足の長さのせい。また、案外姿勢を変えにくい気もする)。ほとんど、これに傾いていたのだけれど、決めきれなかった。というのは、現在手に入るのはスウェーデンのメーカーによるレプリカなのですが、革張りしかなくヌメ革を選ぼうとすると約14万円、茶のもので13万円ほどもする。このカジュアルな椅子にしては、いかにも高すぎる気がしてしまうのです(やっぱり、貧乏性?)。

かつては、新居猛のNYチェアやモーエンス・コッホのフォールディングチェア(これらもMOMAの永久収蔵品じゃなかったかしら)を使っていたことがあります。キャンバス地の椅子が好きなのかな(たぶん安さと扱いやすさのせいだね)。それで、もう一度NYチェアにしようかと思ったのだけれど、どうせなら違うものを試してみたい。ということで、これもパス。

この他には、ケアホルムのPK22を検討したり、ヤコブセンのエッグチェアのことをちらっと考えたり、ミースのバルセロナチェアを思い浮かべたり、いっそコルビジュエのLC4(シェーズロング)にしようか、あるいはイームズのラウンジチェアはどうだろうか、ついには妹の家にあったマレンコでもいいかもと血迷ったりしていました(本当に悩ましい)。

ただ落ち着いて考えてみると、ケアホルムはレプリカとなると黒い革製しか選択肢に入ってこないようだし、ヤコブセンのものは部屋を選ぶに違いない。ミースはアームレストがないし、コルビジュエの寝椅子は姿勢が限られます。イームズは意外に小振りなのです(余談ですが、よい椅子は写真で見るより小さいと教えてもらいました。細部までよくデザインされているせいだということなのだね)が、こちらも場所を選びそう。マレンコは大きすぎる。それに、部屋の問題のほかになんと言っても経済のことがある。ああ、悩ましい。



LC2

そんなこんなで、今は、コルビジュエのLC2の2シ−ターに惹かれているところ。存在感は相当なものですが、その気になって見るとこれも思ったより大きくありません(やっぱり何気なく見ているだけではわからないということなのだね)。それに、なんといっても身体ごと包み込まれるようで気持ち良さそうです。はじめは、存在感がありすぎるようだし、これにふさわしい空間は広くてシャープなものでなくてはいけない気がして、とても安普請の一室には似合わない思っていたのでした。

それが突然、本命に浮上してきた。写真を眺めているうちに、美しくて気持ちよく過ごせるのならそれでいいのだと思うようになったのです(それに、想像以上に小振りなのです。どうせと言ったら身も蓋もないけれど、レプリカだしね。パイプの曲線の処理のし方が明確に違います。その精神だけ味わえるならば、それで十分かと)。それに、ソファのある生活をしてみたい気分になったということもある。

ここしばらくは実物のチェックをしながら、この揺れる心を持て余し気味なのだけれど、選ぶ時が一番楽しいのに決まっているし、迷いながら自分を再発見する過程だと言えなくもない(ま、それもいいかということです)。椅子は小さな建築(by C. イームズ)という言い方もされるし、自分だけの場所をつくりだすものでもあるのだからね。そして、デザインという行為の本質のひとつは、いくつかある案の中から何を選ぶかということも重要です。

おまけに、現在使っている机用の椅子もくたびれてきて、腰にもあんまりよくない…(ああ、物入りなこと!)。

さて何がやってくることになるのか…。2012.11.28





#061 リアルなものに惹かれるようになったわけ その2

ガスファンヒーターを見ながらさらに考えた

デジタルとアナログ
この原稿を書き始める時に使うMacBook Airはデジタルを扱うし、軽くてスタイリッシュだけれど、持つ喜びを生む物理的なモノとしての質感、魅力を十分に備えています。キータッチも悪くない。ただ、基本的にソフトは、DVDのような物理的なメディアを排して、インターネットを介してダウンロードするということにしてしまったのが残念。持つものが少なくなって身軽になるのはいいのですが、モノとして眺めたり手にとることができないのが寂しい(それがよくできているものならなおさらです。そして、ネットショッピングに慣れない者にとってはちょっと使いにくい)。

ノートパソコンが軽い方がよいのと同じく、助かっているのがデジタルカメラ。気に入った形、軽くて小さいというのはもちろんですが、枚数を気にしながら撮らなくてよいことが一番です(ま、対象に向かうときの気合いの差など、いいことばかりではないけれど)。このため、はやりのデジタル一眼には全く食指が動きません。


肥大化するコンパクト・デジカメ

コンパクトデジカメで全く不足はないのですが、こちらもレンズの明るさ等性能の上昇に伴いだんだん大きく重くなってきているのが困りもの(前稿で書いたことと矛盾しているようですが、実際にそう思うのだからし方がありません)。もっぱら愛用している小さい方のライカの後継機の最新のものは幅が約1.15倍になり、重さも約76gほども増えています(その価格とともに、とても手を出す気になりませんが、コンパクト・デジカメにふさわしいシンプルなデザインは好ましい)。

先日やっと捨てることができたブラウン管テレビも、大きくて重くて困りました。いくらモノとしての物質性が重要だと言ったからといっても、ただ重くて大きければいい、というものではないということなのです( ま、これは当たりまえですね)。



ところで、最近は急速に電子書籍が話題になっています。このための機器として、iPadmini、Kindle、Nexus7等のタブレット端末が次々と生まれている。調べ物をするのには便利なところがあるかもしれないけれど、…。図書館さえも、この潮流に逆らえないということらしい。図書館からやがて本(もちろん紙のもの)が消える、という人もいるようです。となると、図書館はどうなる?ただのデータセンターみたいになるのだったらつまりませんね。



電子化された紙面と本の紙面

ともあれ、にわかには信じられない気がします。僕は、楽しみのために手に取る本は、断然紙のものがいい(ただ新しい技術になじめないだけだよ、と言われそうだけれど)。本のデジタル化を始めとする技術の進歩の恩恵はそれとして受け取るべきものが多々あるだろうと思いますが、一方、紙の手触りやめくる音、そして書き込みができるなどアナログの良さ(身体感覚)を忘れないようにしたい。これは、電子化された書籍を優れたデザインの機械で読む、ということだけでは解消されないような気がするのだよ。

白状すれば、ふだんはできる限り文庫本を愛用していますが、時々ハードカバーの本を手に取るとまた違った気分になります。ちょうど音楽を聴くのにふだんはCDを主とするけれど、たまにLPレコードやホールで楽しみたくなるのと同じです。内容は基本的に変わらないはずなので、その見せ方や聴かせ方、これらを包むパッケージまでのすべてが、我々の気持ちに働きかけるということになるわけだからね(こうしたことへの思いこそがデザインの核心だと思います)。

さらに言うなら、何にせよ、頭だけで考えたことよりも、実際に体験して得られた実感から出発したことを感じさせるものが好ましい。そして、自身もそうありたいと思う。この間見たドキュメンタリーの中でも、イタリアのワイナリーの主は最新の機器、醸造学の成果を駆使しているのだけれど、「毎日、(発酵中の葡萄を)自分の手で取って、見て、管理することこそが重要なのです」と言っていましたぜ。2012.11.27





#060 リアルなものに惹かれるようになったわけ その1

ガスファンヒーターを見ながら考えたこと

見えるか見えないか、直接性と間接性
注文していたガスファンヒーターが届いた。

嬉しいには違いないのだけれど、ちょっと複雑な気分でもあります。ガスストーブの方がよかったかなあ、という思いが拭えないのです。


新旧ガスファンヒーター

ふつうに考えると、ファンヒーターで全く問題ないはずなのです。こちらの方が、安い、立ち上がりが早い、コンパクト。炎が見えない(間接的)、扱いが簡単で安全。これに対して、ガスストーブ(叶うことならば、暖炉がもっと望ましいのは言うまでもありません)は、ちょっと割高。ごつい。炎が見える(直接的)。お湯が沸かせるけれど、火には注意を払わなければなりません。

しかし、 炎が見えるか見えないが問題なのだ。

最近の傾向というか、ずっと求められてきたことは、薄い、軽い、シンプル。このところはこれにヴァーチャルが加わった。 僕自身も、以前は薄い、軽い、シンプル − つまりモダンで洒落ているということ − を好んでいました。ただし、CGがもてはやされ始める頃からどうもしっくりこなくなってきた。CGはよくできたものでも、平面的で厚みを感じにくいものになりがちです。また、不意に巡ってきた石造りの街の中でしばらく暮らすという体験も大きかった。

さらに、最終的な効果だけが表に出る(間はブラックボックス)というのがスマートだということで、尊重されるようになってきたということもある。ま、これもわからなくもないのですが、ただブラックボックス化というのは身体感覚の喪失、あるいは実感の希薄化ということでもあるのだろうと思います(意地悪く言えば、面倒くさいことは知らなくて結構ということかも)。これは、いささかまずいのではあるまいか。



煉瓦の壁

つまり、モノとしての質量や実体を感じることがなくなってきているということですね。僕は、逆にこれが恋しくなったというわけです。ガラスよりも煉瓦の壁、CGよりも模型、SFXやVFXよりも実写、理論よりも外在化されたもの、抽象よりも具象、という具合。

学生たちを見ていると、プログラムをそのまま形に置き換えたらそれでよいと思っているのではないかと、ちょっと心配になります(とくに、熱心な学生に顕著なようなのです)。つまり、頭の中の理屈が大事で、具体的な空間の持つ力や魅力についてはさほど関心がないのではという気がしてしまうのです。だいたいがコンセプトから出発したがるからね(おっと、またいつもと同じことを繰り返してしまった)。

もう一度身体性を取り戻すことが大事だという気がしてならないのだけれど、これは単なるノスタルジーとは違うような気がするのだよ…。

そういえば、車も新しいものよりも50年代あたりの古いスタイリングのものに惹かれます(ただの便利な道具としてではなく、使う者とともにあって愛着を持って接することのできるモノという感覚を大切にしたいということ)。頭や技術だけで作られたようなものよりも、こちらを欲しいと思うのです。たまたま同様なことをメールで書いて寄越した友人は、それでも「維持費がねえ…」と言っておりましたが。

技術の進歩がデザインに大きな影響を与えることは疑いようがありませんが、これも時代が新しくなればデザインも魅力的を増すというわけでは必ずしもないところがおもしろいね。そして、重要なのだ。2012.11.24





#059 ものを捨てる

束縛から自由になる

実践しなくちゃ意味がない
先日、壊れていたテレビと古くなってずっと使っていなかったガスファンヒーターを廃棄した。

ずっとほったらかしたまま置いてあったのですが、ようやく捨てることができて、すっきりしました。先日書いたように直すのも大変だけれど、捨てるのもけっこう手間がかかります。


廃棄されたガスファンヒーター

というのも、皆さんも知ってのとおり、捨てたい時に捨てるというわけにもいかないのですね。横浜市では、捨てるものを決めて予約をして、指定された日までにコンビニや金融機関等決められたところでシールを購入しなければなりません(たとえば、ガスファンヒーターは200円。当日ゴミ置き場に持って行くと、「収集日が違います」というラベルを貼られたまま置き去りにされた蛍光管がぽつんと立っておりました(ルールが複雑になるにつれて、こうしたことが多くなる)。



運び出された古くて重いテレビ

テレビの場合はまた別で、決まった引き取りの日に〆て4,650円を直接支払いました(ということで、種別と大きさによって額は異なりますが、当日は待機する必要がある)。これらの手続きが面倒くさいので、ついつい億劫になってそのままにしてあったという次第です。とりわけ、古いテレビは重くて困りました。 でも、引き取りにきたおじさんは(僕とあんまり変わらないほどの年に見えたけれど)、一人で抱えて回収して行きました(「ブラウン管テレビは前の方が重いので、こちらをお腹にのせると何とかなります」ということでした。何にせよこつというものがあるのだね)。

こんなことを何回か経験すると、できるだけものは増やしたくないものだと思います。自分の生活に本当に必要なものは何か、ということを考えなければいけないという気になります。その意味では、簡単には捨てられないというのは、案外いい制度なのかもしれません。あんまり繰り返して経験したくはないけれど。

ものを捨てると物理的な空間が増えるだけでなく、それまであったものの束縛から解放されて自由になったようで気分がすっきりします。一方で、まだ使うかもしれないということもあるし、ちょっと寂しい気がしたりしてなかなか捨て切れない場合もある。しかし、いったん捨ててしまえば、どうってことはなかったということがままありますね。たいてい、ずいぶん無駄なものがいつまでもあったのだなあ、と悔やむことになる。

昔から、ものを捨てることについての解説書は枚挙にいとまがありません。とくに、ブームの先駆けとなった辰巳渚の『捨てる技術』(2000年)から最近のやましたひでこ著『新・片づけ術「断捨離」』(2008)その他まで、ずいぶんたくさんあるからね(中には佐藤可士和の『超整理術』なんていうものも含まれます)。恥ずかしながら、家にも類書やクロワッサンの特集号が何冊かあります。

ということは、頭でわかってはいても、なかなか実行できない人が多い、ということなのに違いない。僕もその一人というわけです(反省)。またしても、頭で考えただけではだめ、ということですね。知識や知恵は、実践することによってのみ、意味あるものとなるのだ(そして、ナイススペースを手に入れるための方法でもある)。

モノは、それがよいものならば持つ喜びを与えてくれるけれど、時として持つ者を縛ることがあることにも留意しなくてはいけません…(猛省)。2012.11.21





#058 秋の青空と冬の曇り空

私の耳は、何を懐かしむ?

ある日のラジオ
いつのまにか、もう冬なのだね。
暗くなるのが早い。そして、寒い。



秋の青空

ついこないだ、秋の気持ちよく晴れた空について触れたばかりなのですが、しかし…。



冬の曇り空

時々、打って変わって、どんよりとした雲に覆われた日が混じります。 青く晴れ渡った空はいかにも秋の空にふさわしいけれど、灰色の雲が広がった空はもう冬なのだという気分にさせます(これは僕が育った環境のせい)。なんだか寂しいのと同時に、懐かしいような、恋しいような、なにやら不思議に温かい気持ちになるのです。

そんなある日の夕方、一人で居た時に、つけ放っしにしていたFMラジオから映画音楽が流れてきたのでした。

「卒業」の「サウンド・オブ・サイレンス」、「追憶」のバーブラ・ストレイザンド(ちょっとファニーフェイス。流行りました)と「ボディーガード」のホイットニー・ヒューストン(一世を風靡したけれど、亡くなってしまいましたね)の主演者二人による主題歌、「シティ・オブ・エンジェル」(この頃までのメグ・ライアンの笑顔は、ラブコメ界で最強でした。いやその世界に限らないかも)のテーマ、「ゴースト・ニューヨークの幻」のライチャス・ブラザースの「アンチェインド・メロディー」(歌と映画が作られたのは、時代的には全然合わないのですが…。もう、過去を懐古する動きがあったのだろうか)。

その他にも、セリーヌ・ディオンの「タイタニック」の主題歌もありましたが、これは観なかった(船首に立つケイト・ウィンスレットを後ろからレオナルド・ディカプリオが抱きしめて ’Do you trust me?’ と訊き、ウィンスレットが ’ I trust you.’ と答える有名な場面は「ラブ・アクチュアリー」で観ました。これで息子を慰めようとしたリーアム・ニーソンは、すぐに消してしまいましたけれど)。

懐かしかったなあ。といって、かならずしも具体的なことを思い出すばかりでもないのです。

古いものを懐かしく感じる、これはいいとしても、歌を聴いてぐっとくるというのは、いかにもまずいのではあるまいか。年を取ることは避けられないことでしようがないけれど、過去を懐かしむ気分にどっぷりと浸るというのは…、ねえ。まいったなあ…(ああ!)。でも、心に染み入るのです(ああ!!)。 たまにならいいのだけれど、これが日常になったならば困るよ。

あ、シューベルトの「即興曲集」もこうした時に聞くのはぴったりです(実は、これもラジオから流れてきました)。フリードリッヒ・グルダというオーストリアの生まれながら、冒険的だったピアニストの最晩年のものを勧めますが、若い人には理解できない気持ちかもしれませんね。

もうひとつついでに言えば、アイルランドやスコットランドのケルト音楽もいいですよ。日本の音階と通じるところもあって、なじみやすい。あの蛍の光のメロディもスコットランドのもの。英国での生活に疲れ果てた若き日の夏目漱石も、スコットランドにはずいぶん慰められたらしいね(おっと、こんなことばかり書いていてはいけません)。

「私の耳は貝の殻 海の音を懐かしむ」と書いたのはフランスの才人ジャン・コクトーですが、僕はいったい何を懐かしんでいるのか、あるいはなぜ懐かしむのだろう…。

こんな気分になったのは、灰色の雲だけでなく、この番組(NHK FM「音楽遊覧飛行-映画音楽ワールドツアー-」)のナレーションを担当する中川安奈さんの語り口のせいもあるのです。ちょっと無機的で原稿を棒読みしているような、なんだか投げやりのようにも聞こえる、感情を表に出さない喋り方なので、かえって音楽に、聴く側の気分を直接反映させてしまうのだね。なんにしても、こちらとしてはちょっとばかり困ったことになるわけですが…。

ところで、女心と秋の空と言いますが(これについては、僕が説明すると、オックスフォードのカレッジのホールでも共有されました。皆すぐににやりとしたね)、しばらく前までは男心と秋の空と言っていたようなのです。知っていましたか(とても信じにくいことのようだけれど。さて、その真意は…)。2012.11.19





#057 芸術の秋だから…

芸術作品は誰のもの?

絵はどこで見る?
最近、とみに絵を飾りたくなってきた。

といっても、芸術の秋だから、というわけではありません。こないだ出かけた展覧会のせいでもない。言ってしまえば身も蓋もないけれど、スクリーンを設置するために、ずいぶん昔にもらった(そしてとうに映らなくなっていた)ブラウン管のテレビを外してみると黒くすすけていたので、これを隠さなくちゃいけなくなったというのが第一の理由。そしてふたつめは、何もないとちょっと寂しいのです。そこで、絵が欲しくなったというわけ。

抽象的な絵がいいのだけれど、色だけあればとも思うので、いっそ自分で描こうかしら(無謀すぎでしょうか。額装すれば、あんがい何とかなるような気がするのですが)。

ところで、いったい絵はどこで観るものだろうね。どうです?たいていの人は美術館かギャラリーで、と言うのではないかと思います。

いつだったか、知り合いの日本画家に聞いたこと(彼は、日本だけでなくイギリスその他の国でも個展をやった経験があります)。どうやら、我と彼のあいだには結構な開きがあるらしいのです。展覧会を開くと、日本の観客は「これはどんな意味なのですか」、「これはどうやって描いているのですか」と聞くそうです。これに対し、外国人は「いくらで買えますか」と言うらしい。すなわち、日本人は絵をどこかの美術館やギャラリーで観るものであるのに対し、ヨーロッパでは好きなものは所有したいということのようなのです。

さらに、たぶんこれはもうひとつの大きな違いを示しているのですね。すなわち、我々日本人の多くは絵を意味や手法等について知識として理解したいと考えているのに対し、ヨーロッパの人々は好きか嫌いかという自身の感覚や感情を大事にしているように思えるのです。

いずれにしても、よほどのお金持ちならともかく、本物の(しかも一流の)絵を自宅で観るというのはなかなか考えにくい。ところが、 実は、僕は偉大な画家の絵を美術館以外で見たことがあるのです。それはコペンハーゲンの老人ホームの一室でした。ゴーギャンらしき絵が掛かっていた。聞けば、これが本物。亡くなったご主人が高名な美術評論家だったからということでした。二重の驚きですね。小さな部屋でゴーギャンの本物を観るという意外性。そして、老人ホームがそうした絵を飾ることを許可したこと(盗難やら何やらのことを考えると、たいていのところは気が引けるのではあるまいか)。



絵と古びた家具

こないだ若い友人に教えてもらって観たフランス映画「夏時間の庭」(2008)にも、有名な画家や作家の手になるいろいろな絵画や家具(実際に家具は正真正銘の本物を使ったということです)が置かれている家が登場します。画家だった大叔父から受け継いだ、彼自身の作品のほかに、象徴主義のルドンやバルビゾン派のコローの絵、ウィーン分離派のヨーゼフ・ホフマンやアール・ヌーヴォーのルイ・マジョレルの家具、アントナン・ヴァンドームの花器等々があちらこちらに置かれています。

それまでずっと作品を守ってきた老齢の母親は、これらをどうすればよいのかを考えています。やがて死ぬだろう自分が亡くなったあとに子供たちに負担をかけないように、そして無人となった家にこれらを埋もれさせてはならないという思いなのです(なにしろ、全部がオルセー美術館も欲しがるような逸品ばかりだからね)。

それでだんだん、絵は美術館で観るもの、という考えも悪くないような気がしてきた。だいたい、芸術作品をただ一人だけのものにしないで多くの人で共有するためには、美術館しかないものね。個人で本物を楽しむことができたらとも思うけれど、なんといっても優れた作品は人類全体にとって宝物なのだから。



子供が摘んできた野の花を受け取るスコブ

映画は、豊かな緑の中を子供たちが走り回っている場面から始まりました。草木の緑や花々の自然に囲まれている家はいいね。芸術作品にも匹敵するくらい魅力的です。それからもうひとつ、この家の女主人である銀髪の老婦人が素敵でした(エディット・スコブ。キャストのところで最初に出てくるジュリエット・ビノシュよりもいいと思ったけれど、案外よく似ています。こんな風に年を取ることができたら、という気がしたのでした)。そして、エンディングも年若い少年少女たちが自然の中で戯れるシーンで閉じられます。

この絵のあるインテリアだけでなく、使い込まれていい感じに古びた家具もすばらしい。これらが登場する映画については、ブログの方でも触れました。2012.11.17





#056 号外 まだ間に合う!

紅葉

楽しみは身近なところに
あっという間に寒くなりましたね。そして、あっという間もなく12月を迎えそうです。10月ばかりかやっぱり11月にも不義理をしてしまいそうで申し訳ない気がしてきた…。どうにかして、12月は不義理を避けなければいけません。おまけに、つい先日の天声人語によればもう晩秋らしい(と言って、もう2・3週間ばかり経って、立冬もとうに過ぎてしまいました)。

でも、今年は、秋らしい秋がありませんでしたね。夏からふいに冬に入れ替わったという気がします。暖冬だといのだけれど…。

だからと言うわけでもないけれど、木々の紅葉(こうよう)を楽しむことがなかったように思います(残念無念)。


紅葉した欅と桜(奥)

と思ったところで、気づきました。別にどこか特別の場所へ行く必要はない。遅い晩秋らしい景色は、キャンパス内でも楽しむことができるのです。ちょっと目を上に向けるだけでよい。紅葉と言えば、文字通りの紅葉(もみじ)が一般的ですが、正門の近くの欅や桜の木も見事に赤や黄に色づいた葉をまとって楽しませてくれます。ソメイヨシノよりもヤマザクラの方が、変色が進んでいるようです(桜は春だけじゃないのだね。えらい)。さっそく今日、見るとよい(もし、これを読んでくれている卒業生の人がいたら、近所を見回してください)。

楽しみは身近なところにあるのだ(もちろん、これは紅葉だけに限ったことではないよ)。慣れすぎたために(あるいは、余裕がないために)、ついつい見過ごしてしまいがちだけれど、このことについて意識的になるよう心がけてみるといいと思います。 観察することの重要性、これについてはいくら言っても言い過ぎるということはありません。 言葉を変えて言うなら、日常を大事にするということと同じです(そして、非日常を発見する)。案外、みすみす逃していた宝物が見つかるかもしれませんよ。2012.11.15





#055 美術館をはしご

ホッパーとターナー

絵の観方について
久しぶりに美術展をはしごしたら、とても疲れた…。

ひとつめは、東京都美術館で開催中の「メトロポリタン美術館展」。ずいぶん多種多様な作品が並んでいました(副題に4000年の美への旅とあります)。はじめは、好きなホッパーが1点あるというのでこれを観るだけでいいとふいに思い立って行ったのだけれど、ゴッホやゴーギャンの他、この後に昼から行くことになっていた文化村ミュージアムの「巨匠たちの英国水彩画展」のお目当てのターナーの作品も一点あった。

灯台を描いたホッパーの絵は、彫刻家の誰だかが言ったというように、本当にサングラスが必要になるほどにまぶしかった。都会の風景を描く時はちょっと沈んだ感じがするのとは対照的(残念ながら、いずれの場合も写真で再現するのは無理のようです)。

僕が家に欲しいなと思ったのは、約3,500年ほども前の大麦を描いたレリーフでした。素朴でよかった。たぶん、写実的になりすぎず、かと言って頭の中で考えたことを再現しようとしたわけでもないように見える(当たり前ですね)、というのがいいと思ったんですね。

それから友人と出かけた水彩画展の印象は、まず「画家はうまいものだ」というものでした(これもしごく当然)。ものを見る目とこれを紙に写しとる確かな技術、これがあればこんなにも美しいものを描き出すことができるのだと。そして、次に感じたことは、…。


E. ホッパー トゥーライツの灯台

実は、ホッパーとターナーは、唐突だけれど、あんがい似ているような気がしたのです(これを言い始めたら、どんな画家でもそうだということになるかもしれないけれど)。でも、ふつうに考えるととても似ているとは思いにくいはず。ホッパーの風景は強烈な陽光に満ちているのにもかかわらず寂寥感があるのに対し、ターナーは逆に柔らかな光ですがあからさまな孤独の感覚はありません。また、ホッパーは対象を単純化してしっかり描くのに対し、後期のターナーはぼかすように描くのが特徴なのだからね。



J.M.W. ターナー ルツェルン湖の月明かり、彼方にリギ山を望む

それなのに似ているという印象を持ったのはなぜだろう、と考えていて思いついたのは、先のレリーフの魅力と同じで、いずれも頭で作りすぎず(つまり、コンセプト主義に陥らず)、かといって忠実な写実でもない微妙なバランスを保っているところが似ているということ。

そう言えば、北欧のフェルメールと言われるヴィルヘルム・ハンマースホイの展覧会がきた際に、公式ホームページのためのコラムを書いた時にも、彼とホッパーと似ている点があるのではと書いたことがありました(こちらもおよそ正反対に見えるだろうと思います。でも、それほど的外れということでもなかったようでした)。

だんだん頭で観ないという力がついてきたのかも。自分の感性を頼りにして観たあとに、振り返って考えてみたり他の人の観方にも注意をはらってみるという方法ですね。あんまり先入観を持たないで作品と向き合うというのが好ましいと思うのです。

だから、僕は美術館に入ると始めから終わりまでさっと観て、その後で気に入ったところまで戻ってゆっくり観直します(これは、赤瀬川原平の本で教わりました。このために、会場の入り口で、必ず展示リストと鉛筆を借ります)。このせいで、展覧会を見終わるのはけっこう早いのです(もしかしたら、居直りに近いかもしれません)。2012.11.07

* 写真はhttp://met2012.jp/onlinegallery/から借りました。
**写真はhttp://www.g-call.com/about_point/cp/index.php?mus_no=331から借りました。





#054 直して使う

取り戻す喜び

時間をともに過ごすということ
思い切って出すことにしました。


傷んだYチェア

何をっていうと、椅子の修理です。ずいぶん前から、Yチェアのペーパーコードが切れていたのでした。座れないこともなかったので、ほったらかしにしていました。また日常生活の場面では、トーネットの14番で足りていたからね(それに、修理に出すのもけっこう高くつくし、梱包やら送るにも手間がかかります。うーむ、面目ありませんでした)。

実は、14番の籐の座面は一度張り替えています。チェコ製の安い方ですが、高い方の14番よりもまんまるの座面を持つこちらの方が好きです。隅丸のほうはちょっとゴージャスな雰囲気で、置く場所も選びそうです。ただ、もう良質の籐が手に入らなくなったという話を聞かされたのは、残念(このため、補強材が入っています)。

そういえば、気に入っているデジカメが壊れたので修理に出そうとしたら、メーカーの人から新製品のほうが安いからそちらにしたらと言われて、つい長々と説教したという知人の話を聞いたことを思い出した(経済的であることは大事に決まっているけれど、古いものを直すよりも新しいものを買えと言われたら…、なんだかね)。もはや、修理する方が何かと高くつく(場合によっては、修理を受け付けない)ような時代になってきているのだね(エコの必要性が叫ばれる時代にあっても!)。



修理されて戻ってきた椅子

一方、一週間ほどで修理され磨き上げられて戻ってきた椅子は、一見新品のようだけれど慣れ親しんだものであることも分かってなかなかです。人生もこんな具合にいけばいいのにね。ま、それは措くとして、いろいろと家のことをやり替えていると(マーフィの法則か、不具合はいっぺんにやってきます)、それが小さなことでも、気持ちまでも改まるようで新鮮な気分になって嬉しい。おまけに、今回はただ張り替えるだけでなく薄いクッションを入れてもらったので、座り心地もアップしました(たぶん、ペーパーコードの寿命も)。修理をしてくれたのは、高知の家具職人の工房でした。

毎日少しずつきれいにしたり、整え直したりしていたら、充実した時間を過ごせます(取りかかるまでは億劫だったりするわけで、これがなかなか手強い)。そして、こんなふうにできたら、あれもしたい、というようにエスカレートするのがちょっと難点。でも生活は毎日続くものだし、できることをしなくてはいけません。

わが国は土地代は高くて建物はすぐに価値が下がるので建て替えることがふつうだけれど、欧米では石造りのせいもあって素敵なインテリアに変えれば不動産の価値も上がるらしい。つまり、日本では新しいものが喜ばれるのに対し、欧米においては建物を育てるという考え方があるのだね(たまたま、経済に換算したけれど、生活する側に対する影響が遥かに大きいはず)。

どちらがいいかというと、この時代にあってはもう明らかだと思うのですが。与えられた空間で(それが立派なものであったとしても)与えられたままに暮らすよりも、どう住みこなすかということを考えることは楽しいばかりではなく、生活を大事にするということでもあるはずだから。ま、いっぺんにはいかないから少しずつ、焦らずに…。2012.11.03





#053 アラブ世界研究所!?

朝の光と影の美しい模様

偶然がつくりだす妙味
窓から差し込んだ床や壁に作り出す風景が好きです。

もう何回も言っているような気がしますが、それだけ好きっていうことです。だから、たとえそれがチープな空間であっても、明るい光と影が織りなす模様を観ているとそれだけで嬉しい気分になる。とくに意図されていなくて偶然出現したものでも十分に楽しいのです。

アラブ世界研究所のパネル

もちろん、この模様を意識的につくりだそうとするのは自然の成り行きだし、実際にやった人がいます。パリのセーヌ川沿いに建つジャン・ヌーヴェルの手になるアラブ世界研究所がその最たるもの。窓に取り付けられたアルミパネルをコンピューター制御によって開閉することで光と影を作り出そうというデザインがなされているのです(ちょっとやり過ぎのような気もしますが、でも理屈よりもやってみたい、見てみてみたいという思いが強かったせいに違いない。これはこれでたいしたものだと思います)。僕が見に行った時には、既に機械に不具合が出ていて、仕方がないから人の手でやっていたということのようでしたが。

それが、なんと我が家にも出現した!



光と影による模様

今は冬に近づいているから太陽の高度が下がってきて、部屋の奥まで日が差し込むようになりました。そのためにおもしろい光景が出現するのです。外に置かれたラティス(実は、ちょっと邪魔に思っていた)とブラインドの組み合わせが作り出す光と影が、まるで手動式となったアラブ世界研究所に負けないくらいにおもしろい景色を作り出すのだよ(仕掛けの複雑さという点では、まあ完敗ですが)。

おまけに、透明な光というと変かもしれませんが、この時期の、しかも朝の光はそんな感じがしていっそう趣きがある。実際は光の色を見ることはできないはずだけれど、見ているような気になるのです。見る人(=傍観者、と言うと悪いイメージですが別の言葉では観察者)としての力がついてきたってことかしらん。あるいは、どんな場面にでもおもしろさを見つける力(半分、冗談ですが、昨今これがないととてもやっていけません)。ま、光と影は建築や街の空間を作り出す要だから、当たりまえのことですけれど。

ともかくもこれで、しばらくは楽しめそうです。あとは、ゆっくりくつろぐための椅子があれば言うことなしなのですが、これは目下鋭意検討中。

ほかにもいくつか種はあるから、当分の間は世の中の憂さを忘れることができるというものです。2012.10.31





#052 初秋の風景2題

美しい季節の朝と夜

雪を冠る富士山

朝日の中の富士山と侍従川

また、白い雪を冠った富士山のシルエットがくっきりと見える季節になりました。僕のところからは遠くの方に小さく見えるだけだけれど、やっぱり美しい。そして、清々しい気持ちになります。空気が透明で澄み切っているせいですね。西側の5階にオフィスがあるからこその楽しみです。

一方、侍従川の景色も魅力的です。無粋なポールやフェンスがやや興を削ぐけれど、満潮時には少し緑色がかった水を満々と湛えた水面に周囲の景色を淡く映し出して、富士山に劣らず美しいのです。近くに水のある至福を感じずにはいられません。これも秋の光の恩恵だし、やっぱり部屋が西側に面しているおかげです。

たいていの人は西日を嫌います。ま、分からなくもない。しかし、西日だって悪いことばかりではないよ。なんと言ったって、さまざまな赤に染まった夕焼けの空の美しさったらありません。だから、飽きずに眺めるし写真を撮ります。同じ時は二度と巡って来ない。だから大切にしなければということになるわけですが、これがなかなかむづかしいね。 言うは易し、行うは難し。 簡単にはいかないのです(うーむ)。


秋の夜長


黄色い光

秋の夜長には黄色い光がよく似合います。電球やローソクの光は、気持ちがゆったりとするのだね。蛍光灯やLEDの青い光はいけません。友人の中には、気に入ったデザインのアンプがあったのだけれどディスプレイが青いのがいやで断念したという人がいます。好きなジャズを聴くのに、アンプの青い光がそぐわないというのだね(ジャズを聴くのが好きな人ではなくとも、その気持ちはわかるでしょう)。

そして、ひとつの明かりではなくて複数の照明を楽しみたいのだけれど、それが何となくはばかられるのです(とくに研究室においては、たとえそれが60ワットの白熱灯ひとつ分だとしても)。ま、これは、たまに内緒でやるしかありませんね。

ちょっとずれるけれど、朝から人工照明に頼らなければいけないというのは誰しも嫌いでしょう(このため、宮脇檀はどんな敷地でも食卓に朝日が差し込むように腐心しました)。でも、このことをあんがい気にしない人もいます。一方、欧米では日中からスタンドを点けるのがどうやら珍しくないようなのです。と言ったからといって、方位を考えないで設計したあなたは安心してはいけません。彼らは楽しむために点灯し、あなたの住宅の住人は明るくするために仕方なくスイッチを入れるのですから。

できることなら、朝の光と夜の灯を楽しみたいと思います。そして、それはいつでもできるはずですが、やっぱり今頃の季節が一番ふさわしい気がするのです(朝の光については、また別の頁で)。2012.10.29





#051 番外編・手仕事の重要性について

デザイン演習で学ぶべきこと

吉田秀和の言葉
カーラジオをつけたら「名曲の楽しみ」がちょうど始まるところでした。それで、ちょっと思い出すことがありました。

今年5月、音楽評論家吉田秀和がついに亡くなってしまいました(つい最近では丸谷才一が、そして何年か前には…。次々に僕のアイドルたちが去っていきます)。それで、彼の追悼番組がつくられました。おかげで、見逃していたインタビュー番組を見ることができた。その時に、彼がドガの仕事について語ったことから。



手で書き写す楽譜

自分で写した楽譜を切り貼りしながら、「原稿を書くってのはね、僕にはこういった手仕事の楽しみなんですよ」と言い、続けて、若い頃ドガと知りあったポール・ヴァレリーの話を引用します。ドガが葉っぱのひとつひとつを細かく描いているのを見たヴァレリーが思わず「なんて絵描きは辛抱のいる仕事だろう」と言ったのに対し、ドガは「なんておまえはばかだ、こうやって描くことが楽しいのが絵描きなんだ」と返したというのです。



鋏と糊による切り貼り

そして、原稿を書くということについて「おまえはばかだと言おうと思ったら、おまえってのは漢字にしようか、仮名にしようか。ばかってのは漢字にしようか、カタカナにしようか、ひらがなにしようかと考えながら書く。それが原稿を書くということなんですよ」と言います。

別のところでは、彼自身の批評を書くという仕事について、書く前にずいぶん考えるし、頭の中でかなり準備しますと語ったあと、ただし、と続けるのです。

「何回も何回も清書します」、そして「削ったり、磨いたり、付け加えたりするのは、僕好きです。原稿を直している時の方が、…生み出している時よりももっと手間暇かけてやっていると思いますね」。

とくに学生の皆さんは耳を傾けるべきところだと思います。そうしてこそ生まれるものがあるのだから。

また、テレビ番組を録画してもらったDVDを見ていたら、パリの金箔職人がその仕事を「心を込めて行う作業だから」と言っていました。「仕上がった時にその心を感じることができる」とも。天才に限らず、言葉を使い捨てるのではなく、強い思いを形あるものに変えることこそ素晴らしいのだ(それが編み物であれ料理であれ、何であれ)という思いをますます強くします。

そのためには、何度も書き直したり、描き直したり、つくり直したりしなければなりません。我々の学科の特徴のひとつである空間・インテリアデザイン演習は、そのことを学ぶよい機会だと思うのだけれど…。 少しずつ進めていくものだから、賢すぎる人には向いていないのかもしれませんね(うまくいかないからと言ってすぐにやめてしまう人が増えているのは、とても残念です。もしかしたら、…)。

実は、僕も研究室や家の中の配置をほんの少し変更する時でも何度も何度も描き直します。このことだけは天才たちと一緒だというわけです(それらの間の変化は、彼らと違ってきわめてゆっくりとしていて、しかもとても小さいのですが)。やっぱり、描くこと自体が楽しいのだね。 そして、その度に想像し確認しているのだと思います(決して、ただ鈍いだけではないと思いたい)。

ただ、こうしたことがなかなか理解されにくい時代、むづかしい社会の状況になってきたのだなあと思います。みな忙しくなりすぎて、スピードが優先されがちです。いっぽう、学生諸君も頭で考えることを重視するせいか、なかなか手を動かさないし、一度描いたものに手を入れることを嫌うようです。頭だけではなく手を使うことがもたらす効用に気づいていないのだね。 これこそが、本当に残念なことです。2012.10.27





#050 母語の聞こえる場所

僕たちは、言葉でできている

わかる喜び
時々、外国に出かけたいという気持ちが強くなることがあります。日常のすべてを放り出して,しばらく忘れてしまうために日本を脱出したくなるのです。ただ、行きたいのに、言葉のこと(そして、白状すれば、荷物のことも)を考えるととたんに面倒になる(ちょっと、とほほ)。日本語で世界を旅することができたなら…、と思います。

僕たちはまるで呼吸するときと同じように日本語をほとんど意識しないで使っているけれど、このことがどれほど幸せなことか気づくのはそうした時です。



翻訳本

考えてみれば、数学だって、物理だって、世界史だって、みんな日本語の教科書があったからさほどの困難さも感じなかった。外国の小説も優れた翻訳本があるから、ごく普通に手にとって楽しむことができる。これが外国語で読まなくてはいけないとなると、ずいぶん量は減るでしょうね。というか、ほとんど読まないかも。本から得られる情報は質量ともにきわめて限られたものになりそうです。

ずいぶん久しぶりに、若い頃に聞いた日本語のポップスを聞き直してみたのですが(ほら、先回書いたように、レコードやレーザーディスクの整理をしたから)、これがほとんど外国のものの焼き直しと言っていいくらいに強い影響を受けているものがありました(これは日本、または音楽に限らず、どこにでも何においても見られることですよ。そうして独自のスタイルを作り上げてゆくものだから)。歌詞も楽器の使い方もスプリングスティーンのあれかとか(70年代の終わりから〜80年代の半ばは彼の時代だったのだね)、ほかにもステージのあのシ−ンはあのバンドのあれに違いないとか、いちいち思い当たることがあったのです。



懐かしいLPレコード

それでも、当然日本語で歌われるわけだから、その意味やら気分やらがよくわかります。容易に感情移入することができるのです。このことこそが醍醐味であり、聞き手にメロディよりもよほど大きな影響を与えるに違いないと思います。ついでに言えば、日本語として聞くに堪えるものでなくちゃいけないということ。そうでなければ、気恥ずかしさやらかっこ悪さばかりが目立つばかりだったでしょうね(さて、このところの日本のポップスは?)。

僕は、1年ほどイギリスに滞在していた頃、よく自分が小学校の1年生にでもなったような気分になることがありました。思ったことをうまく言えないということだけでなく、考えることもできなくなってしまったような気がしていたのです。これはけっこう辛かったな。

また、いつだったか、たまたま隣り合わせたクルドの人に迫害されている民族の悲哀について聞いたことがあります。言葉を奪われる辛さについても(たぶん)。他にも、バルセロナのカタルーニャ語、スペインやフランスのバスク語、イギリスのウェールズ語、アイルランドのゲール語、等々皆自身のアイデンティティのために言葉を取り戻し始めています。たぶん、我々は、言葉でできているのだね。

グローバル化の時代と言って英語がもてはやされています。中には社内の会議では英語を使うと決めた会社もあるらしい。世界を相手に仕事をしようとするとそうなるのかしら(同じ土俵で戦うのなら、ね)。さて、そのことが人々を幸福にしているのかどうか。手垢がついた言葉で嫌なのだけれど、たとえばオンリーワンだったら事情は違ってくる。あるいは、限られた場所や領域を相手にするのなら。

たまたま出会った外国人やドキュメンタリー番組などで知る限りは、外国では小さな村や町に住んでいても大都市に憧れるよりは今自分が暮らしている場所こそが最高だと思っている人々が少なくないようです。だから多様性があり、都市も大きくなりすぎずコミュニティがちゃんと存在しているように見えるのではないかと思います。

たとえば、あの大都市のパリの通りに住む人々はそれぞれに口を揃えて「ここは小さな村のようなところ、みんな知っている」と言うようだし、ドイツやヨーロッパの経済の中心都市のひとつのフランクフルトの人口がたったの60万人(日本で言えば、船橋市や鹿児島市と同じ)ということなのです。そういえばフランクフルトでは、レストランで出会ったご夫婦にずいぶん親切にしてもらった思い出があるけれど、それはまた別の話。

自分の特性を大事に思うより先に、一般的とされる価値を求めたがるのはなぜでしょうね。まずは自分自身をよく知って、その良さを最大限に発揮することを考える方が先のような気がするのだけれど。ま、経済のことは措くとして、暮らしを考えたときはよく理解しあえない100人の中よりもお互いに分かりあえる10人の世界が幸せそうです。だから、まずはその10人を大事にすることを考える方がよいと思うのです(なんだか、妙なところに落ち着いてしまったね。でも、いまの世の中はちょっと変)。

そして、そのためのコミュニケーションには、まずは言葉が不可欠でしょう。さらに言えば、言葉だけですべてがすむかというとそうでないことはあきらかです(だから僕は、何かにつけ「コンセプトは…」と言いたがる癖を嫌います)。念のために付け加えれば、知らない人を排除しようというのではもちろんないよ。

ところで、学生諸君が外国に出かけたがらなくなった、洋楽を聴かなくなったというのはどうしたことだろう。他所を知ることと自分のいる場所を愛することは全く対立しないはずです。それどころか、それが大きな助けとなることは疑いようがありません。これが、困難なことや面倒なことを回避したいためのことではないのならいいのだけれど。偉そうには言えませんが、若いうちから内側だけに目を向けるようでは困るのです。2012.10.20





#049 お家でシネマ 番外編

疾走するエネルギー

洗練に勝るもの
前回書いた疑似ホームシアターをつくろうと思い立った時にLPレコードを整理しながら外袋を取り替えたのですが(約300枚弱)、これが外袋こそ汚れきっていたのですが、内袋や盤そのものはきれいな状態で、試しに聴いてみてもちゃんと鳴る(ま、経年劣化は当然あるはずですが、実際はどうであれ同じように衰えた今の耳からすれば、ということだね)。レコードだけでなくプレイヤー、そしてアンプも無事のようだったことが確認できたのも嬉しい驚きでした。



LPレコード

おまけに、自分が思っても見ないようなものが結構あって、聴き直してみようかと思っているのです(たとえば、なんと中森明菜が1枚、これはスキー場で流れていたのを聞いて買ったのだった。そして高橋真梨子が2枚も、たぶんこれは桃色吐息が流行っていた頃。と言っても、若い人は知らないでしょうね。そして、まったく思い出せないものまでありました。本当に遠くまできたものだなあ)。

クラシックや欧米のロックはだいたいCDを買い直したのだけれど、日本のポップスはほとんどLPしかありません。が、これが懐かしくもあり、案外新鮮な発見のような気がするのでした。あんまり成長していないということに気づくはめになるかもしれず、ちょっと怖いけれど…。ま、気にしないようにしよう。



迸るエネルギー

それから、DVDが登場する前はLD(レーザーディスク)というもがもあって、大きさはLP盤と同じ30センチで、両面ともに銀色に輝いている。実はこれも何枚か残っていて、その中からライブ盤を中心にDVDに焼き、観直しました。ほぼ同世代のものが多かったので、当然皆若い。あらためて観ると、演出が簡素なことに反比例するかのように、こちらがちょっと気恥ずかしくなるほどに一途で、エネルギーに満ちています。

歌い方も、喋り方も直裁的で挑発的です。そこには、洒落たウィットや手練の余裕もありません。そのかわり、まっすぐに疾走する力が迸っているのでした。僕はたまたま二組の昔と今のライブを見比べましたが、昔のものの方に惹かれました。もちろん、「志」と「成熟」が連れ立って進むことができれば、それは素晴らしいものとなるにちがいないのだけれど。

多くのグループがやがて解散する危機に直面しなければならなくなるのは、メンバーのそれぞれの主張が強くなるとともにズレと不協和音が生じるせいだと思っていたのですが、それよりも当初の「志」に殉じるエネルギーをどれほど持続できるかということに差が生れるためではあるまいかという気がしました(似たようなものかもしれないけれど)。

もしかしたら、人は成熟しない方が良いのかも…(これは、悪い冗談。しっかり成長してくださいね)。すてきな大人がたくさんいるはずです(たぶん)。白状すれば、若さに嫉妬したくなることがあるのですが、それでも「一途さ」、「直截さ」(つまり、「誠実さ」と「正直さ」)を失った若さには全く魅力を感じません。

冷静で、破綻がなくて、正確な演奏もよいけれど、多少のミスがあってもこれをものともせずに進んでいくエネルギーに惹かれます。エネルギーと洗練の二つが両立すれば言うことなしと思いますが、これを可能にするのは「志」で、油断するとあっという間に失ってしまいそうです。いずれにせよ、無自覚のうちに慣れすぎてしまうのが怖いのです。「つまらない大人にはなりたくない」という叫びが胸を突きます。

前稿が中途半端に長くなったので2回に分けて、書き足しました。2012.10.13





#048 お家でシネマ

大画面の快楽

不便の喜び
この間夏休みが終わったばかりのような気がして、なかなか涼しくならないとぼやいていたのが、気がつけばもう10月の中旬。いつの間にか肌寒いくらいの季節になっておりました。僕は、「9月に対して不義理をしてしまった」と思うより先に、いったいどうなるのだろうとあ然、呆然、そして 憮然となったのでした。その中でただひとつ嬉しいことがあって、それは暗くなるのが早いこと。そのわけは…?



プアなセット

我が家に「ホームシアター」が出現したのでした。 と言っても、スクリーンこそ普通の大画面テレビより大きい80インチだけれど、観るたびに手で引き上げて使う安い物です。アンプはずっと使っていなかったオーディオアンプだし、スピーカーも小口径の2ch。こちらは、以前のものがコーンを支えるエッジ部分がぼろぼろになってしまったので、新規購入しました(今回は見栄え優先で選択。あ、もちろん値段も)。要するに、急拵えした大画面だけが取り柄の、ちょっととほほのなんちゃってホームシアターです(残念)。だいたい、暗くならないと映すことができません(ブラインドでは完全に遮光することはできないのです。これが先の理由)。

それでも、その効果は大。画面が大きいと引き込まれるように見入ります。しかも暗いので他に何もできない。映画を見るしかないのです。これは、テレビの小さなディスプレイで見るのとは歴然とした違いだと思います。おまけに、就職したての頃のままのプアなインテリアでも余計なものが目に入らず、七難隠してくれるというわけ(ああ、貧乏性)。ただ、画面が大きいと知らず知らずのうちに音も大きくなりがちなのが難点(お隣から苦情が来る前に用心、用心)。

実は、しばらく前からずっと、映画を見るために40〜47インチくらいのテレビを買うことを検討していたのですが、こちらにしなくてよかった。たぶん、映画を見るための画面の大きさとしては中途半端だし、第一あんな大きなディスプレイがいつも大きな顔で鎮座するのは困りもの。それに、なんと言ってもテレビは明るいところで見るものだから、集中できないに違いない。僕の場合、きっとお酒を取りに行ったり、つまみを用意するために中座したりすることは明らかなのです。

ま、何でも集中すればよいというものでもないけれど(MITメディアラボの所長となった伊藤穣一は、集中すると「周りの大切なことが見えなくなってしまう」というようなことを言っています。むしろ、「集中しすぎるな」と言っているかのようでした。「木を見て森を見ず」なんて言う言い方もありますね)。でも、映画は見る時は、集中しなくちゃつまらない。

それに加えて、観るための前の準備—ブラインドを閉じたり、スクリーンやプロジェクターをセットしたり、等々—の手間が、さあこれから映画を見るぞという気分を盛り上げるのだね。大げさにいえば覚悟を決めるわけです。この覚悟が、案外大事ではないかと思うのです。これは、LPレコードを聴いていた時とちょっと似ています。

なじみのない人のために説明すると、まず埃が入らないようにするためのビニール製の外袋から約31.5㎝角ほどの紙ジャケットを抜き出し、ここから内袋に入ったレコードを取り出して、さらに盤面に指を触れないように気をつけながら黒い盤を抜き出したら埃を拭き取って、ターンテーブルに載せ、外さないようにそっと針をおろすというような手続きを経て、ようやく音が出るのでした(ずいぶん手順を踏まなくちゃいけないでしょう。そうそう、電源ももちろん手動で入れるのだよ)。ジャケットも大きいから、デザインにも凝ったものがあって、けっこう高かったにもかかわらず本当にジャケット買いしたくなることがあったのです。

面倒と言えば面倒なのですが、この便利じゃないところこそが重要だったのだという気がします。LP盤とCDの中に入っている音楽の本質は変わらないはずだけれど、聴き手の受け取り方が違ってくる。それは、集中するための準備がもたらす効果といってよい。CDは確かに便利だけれど、そのぶん集中しにくい面がありそうです。


ただいま上映中

この違いは、映画を観る時の方が、さらに顕著です。観るための手続きに加えて、画面の大きさが格段に異なるし、さらに明るい中で観るのではなく暗闇の中で鑑賞するという違いがあるのだから。

そうした手続きと環境を本質とは無関係なただの「儀式」や「思い込み」に過ぎないと言われれば確かにそうだけれど、その儀式や思い込みが聞き手や鑑賞者に影響を及ぼすのも事実でしょうというのが正直な気持ちです(頭の中の理屈だけでは説明しきれないことがあるということだね)。もうひとつ、明るい中で観ていると、授業で使えそうと思ってメモしようとする時があるのです(これはいいこと、それとも悪いこと?)。

だから余計に、そういった小さなところに寄りかからなければ楽しめないし、気分が変わらないような気がする、と言うのはいささか情緒的に過ぎるかしらん。

部屋を暗くして映画を見るというのは、日常的な空間から非日常に身を移す体験と言ってもいいのかもしれません。そうすることによって、疲弊した自分自身をリフレッシュさせるのだとも。

ともあれ、これで当分の間は気がまぎれるのかな。2012.10.11





#047 台風一過

鮮やかに澄み渡った青空

自然の残酷さと力強さ
「今年の天気は変だよね」というのは毎年繰り返すようになった挨拶ですが、今年はとくに変だった。このため、中秋の名月も見ることができませんでした。

その季節外れの台風の破壊力はすごかった。通り道となったところの風景を破壊し、人を殺傷し、あらゆるものを痛めつけて去っていった。このところの天災の頻度と威力は凄まじいものがあるね。天罰と言うのはちょっと変だけれど、あれやこれやを考えると地球そのものが壊れかけているのではないかという気さえします—もちろん、これらの要因の一つは、人間に他ならないわけだけれど。



台風一過の街と空 1

中秋の名月を楽しむ機会を奪った激しい風雨も一夜明けると消え失せて、翌朝は文字通り雲ひとつない、いつもにも増して明るく澄み切った青空でした。見渡すとどこもかしこも塵や埃を洗われて、美しい風景となっていました。ことに、秋に入った頃の台風だったから、その澄明度が高かく、見慣れた街がよりいっそう新鮮に見えたのでした。

台風が大きな被害を及ぼしたことを思うと、いささか不謹慎な言い方ですが、どんよりと停滞し希望の見えない我々の状況—上から下まで、大きな世界から小さな社会まで、全世界のずみずみに至るあらゆる場所までと言いたいくらい—を、一夜のうちに一掃し、きれいさっぱりと洗い上げて、清しい世界に変えてくれたならと、つい思ってしまいます(一歩間違うと、危険なことになりかねないけれど)。それでも、台風一過の景色に憧れてしまいます。残念ながら、現在とは違った風景を見たいのです。


台風一過の街と空 2

そう言えば、別のある日の昼下がりのこと。シューという音がしたので外を眺めにいくと、雨が降り出していたのでした。「驟雨」です。字面も音の響きもいいね。さあっと清涼さが広がるようです。雷鳴が轟き、辺りは暗くなっているのだけれど、遠くの空にはもう青空も覗いています。そして、雨はひとしきり降ると、あっという間に去っていった。

雨が止んだあとの木々や草花、そしてアスファルトの道路さえも、やっぱり、まるでくたびれた体にシャワーを浴びた時のように潤いを取り戻して、美しく見えたのでした。

ところで、先週の土曜日は卒業研究の中間発表の日でした。その場にいた人ならわかるように、正直に言えば、進み具合はまだまだ。やっと端緒についたばかりで、成果を確信させるようなものは未だほとんどないようでした。しかし、これを契機に気合いを入れ直した姿は、今後の進展に期待を抱かせるに十分なものでした。果たして、彼らが一陣の風となり、雨となって新しい世界を見せてくれるのだろうか。

かつて、山口瞳はある本の推薦文に「私は、この本が中学生・高校生に読まれることを希望する。汚れてしまった大人たちではもう遅いのである」と書きました。その当時と比べると、大人になるスピードはうんとゆっくりになっているから、彼らはまだ間に合うに違いない(たぶん)。

ただ、何かを成し遂げるにはたっぷり時間がかかるのに対し、ぼんやりと過してこのことを忘れたり、最初の小さな成功に油断していたら、これを失うには本当に一瞬の時間で事足ります。これは、非情なほどに、昔も今もずっと変わることのない真理です。2012.10.06





#046 大地の芸術祭・その2

人の力

風景の美しさと醜さ
「大地の芸術祭」の経験が楽しいものだったということは前回書いた通りなのですが、実はもっとも素晴らしかったのは、アート作品ではありませんでした。一番感じ入ったのは、黄金色に輝く棚田や田んぼの風景、そして美人林というブナ林の景色。

これらは、人が手をかけてつくりあげたものであることは違いないけれど、アート作品と呼ばれることはありません。


美人林

美人林というのは、炭の材料とするために一度伐採され丸裸になってしまったあと、県から杉を植えるように指導された新しい地主がこれを拒否してブナを植えたところ、同じようにそろった木々となって成長した姿が美しいために「美人林」と呼ばれるようになったということでした(バスガイドさんの説明ではそう聞いたのでしたが、観光協会のホームページには伐採後「生えだした」とありました この場合はバスガイドさんの説を信じたいね)。野鳥の生息地としても貴重で、気温も外気より2度ばかり低いそうです。

ここでも、やっぱり男子学生は木立のあいだのあちらこちらから顔をのぞかせて、子供のように楽しそうでした。いっぽう女性陣は美人林と書いた立て札のそばで、美人証明書用の写真を撮るのに忙しいようでした。ま、それでも、彼らは木立の中を散策してその清々しさと美しさを十分満喫したわけですが。

あいにく天気は雨まじりだったのけれど、それでも緑はさまざまな色調に光って、本当に美しかった。もうひとつ、 田んぼや棚田の景色も圧倒的でした。文字通り黄金色に輝いていました。 たいていのものは写真の方が実物よりも数倍よく見えるのですが、棚田や美人林は実物の方が断然素晴らしかったのです。

繰り返しますが、 これらは人々によって長い年月をかけてつくりあげられ、守り続けられてきたものです。これを維持するのがどんなに大変かはすぐにわかります。いうまでもなく、棚田の場合は、農機具やら何やらを持って下から上まで上るだけで重労働。しかも1回だけでは済まず、何回も繰り返すことになるわけなのですから。そして、ここでも高齢化が進んでいる。そこで、地元の人以外の力を導入して棚田の保全を図ろうとする棚田バンクや棚田サポーターの活動が展開されています。いっぽう、美人林も間伐等手間と暇がかかっている。


棚田

ここには人の強い思いと力が詰まっていますが、いわゆる「コンセプト」とは無縁です。 僕は白状すれば、「コンセプト」という言葉やこれから連想されることが好きではありません。好きじゃないというだけでは足りず、大嫌いだし聞きたくないのです。もちろん、理念や意図、あるいは意志の力を軽視しているわけではありませんよ。本当の思いや意志が素晴らしいものを生み出すことは今回見たような風景からも疑いを挟む余地はないし、とても重要なことはわかるのですが、それでも軽々に声高に叫ばれると独りよがりの言葉遊びみたいに見えるのが嫌なのです。

ところで、もうひとつの風景は素晴らしいとは言い難かった。本当にこうした里山(どうしたわけかこの言葉にも何となくなじめないものを感じてしまうのです…。ちょっと変なのかしらん)の風景をどうして守ろうとしないのか、この素晴らしさに気づいていないのだろうかと思う場面もありました。

行く先々で、美しい山々や田んぼのあいだに色も形も材料もバラバラな、もっとはっきり言えば安っぽい建物がいくつも建っていたのでした。これでは、芸術祭で謳っていることと全く相反しているように見えます。ああ、ここでもやっぱり実生活とは関係なしに頭の中のアイデアが外在化されているだけかと思いました。

しかし、十日町市・津南地区で見られた風景は、期せずしてそれを作り出してしまった一人一人にとってみれば、現実的に望みうる最高の生活の場であるかもしれない、という考えがふいに頭をよぎりました。むしろ、僕自身が頭の中だけの考えで判断していたのかも…。こうした状況は、物理的な豊かさだけを追いかけてきたつけなのかもしれませんね。

そして、残念なことがもうひとつ。ある会場を出たところで、年配のご夫婦に「学校の先生ですか」と呼び止められて聞いたこと。展示物に蝶の羽にペイントを施したものがあって、さらにこれを見ていた女の子が「かわいい」と言っていたことに対して冒涜と憤りを感じたというのでした。これも便利できれいな社会に慣れて、いつの間にか自然に対する敬意を失ってしまったということでしょうか。

そして、第1回にも訪れたというご夫婦は、この芸術祭が(見る人にとって)パスポート等ずいぶん不自由になり、そこかしこに商業主義が感じられたと言い、お住まいの近所で開催されるというビエンナーレもやがてこうなるのでしょうかという心配の言葉を残して去っていかれたのでした。

何にせよ、きちんと対応しないことのつけは必ず払わなければなりません。このことを思うと、さてわれわれが、こうした状況を脱することができるのだろうかと思って、ちょっと怖くなります。辛い時代です。2012.09.22





#045 大地の芸術祭

持続する力

簡素さがもたらす喜び
先回気分転換の機会があるとうれしいと書いたからというわけではないのですが、新潟県十日町市・津南町で開催されている「大地の芸術祭」を見に行ってきました。水沼研究室のゼミ研修旅行に我々のゼミからも何人か参加することになったためでした。

「大地の芸術祭」は副題に「越後妻有アートトリエンナーレ」とあるように、3年に1度開催されるアート作品を通じて町おこしをめざす国際芸術祭。2000年に第1回が始まり、今年が5回目です。地区のあちこちにたくさんのアート作品が散らばっているために、1泊2日のバス旅行ではとても回りきれません。


脱皮する家の内部

展示作品の中でとりわけ面白かったのは「脱皮する家」。タイトルはちょっと物々しいけれど、古い民家の柱やら梁やら、天井やら床やら内部の表面のほとんどを彫刻刀で削っている。ただそれだけです。しかし、削られたところと残されたところが作り出す模様やテクスチャは見て楽しいばかりでなく、歩いてもなかなか気持ちがいい(たまたま滞在していた制作者の鞍掛氏の話を聞くことができることになって、ちゃんと写真を撮るのを忘れてしまいました)。

もちろん作り手の込められた思いというのはあるに違いないけれど、そのことを考えさせるよりもまず、純粋に見る歓びと触れる楽しさがありました。つまり、「コンセプト」が表に出過ぎていないということですね。他のものはこれが勝ち過ぎ、「コンセプト」そのものが主役のようなものが多い気がして楽しめなかった。また、他の地域での同様な試みとの類似性や商業主義も目につくようなところもありました。

しかし、このイベントが15年も続いており、これらの作品を楽しみに訪れる人々が多数いることを思えば、僕の方がひねくれているのかもしれません。そして宿の女主人が話してくれたことによれば、人々のつながりや経済効果等ようやく出てきたところだというのでした(息子さんはなんと関東学院大学工学部の卒業生)。力を合わせて持続することの重要性、そして効果も10年くらいでは量れないこともあるということを思い知らされました。


グリーン ヴィラ

それからもうひとつの発見は、芝生の張られた丘に盛り土してつくられた象形文字群「グリーン ヴィラ」を見に行ったときに、男子学生たちが走り出し、駆け回る姿はまるで少年そのもので、彼らがまだ童心に帰ることができることを発見したこと。彼らは時折り生意気なことを言うのですが、ふふ、実はまだまだ子供っぽいところがあるのだね。おまけに、ここでは旅行中だという2年生とばったり出くわして、驚きました(実は、こういう経験は直島でもありましたが、今回はなんと翌日にも知人を見かけることになったのでした)。

ところで、今回は空き家を利用したプロジェクトをいくつか見たのですが、いずれもよけいなものを取り除いているので、建具を外した床から天井までいっぱいに開けられた開口部(一部は垂れ壁付き)が現れることになり、ここから見る風景は枠によって切り取られて文字通り絵のよう。このため、学生たちは床に座ると必ず外に投げ出した足をぶらぶらさせながら眺めていました(実際の住宅ではちょっとできない体験です)。

そして、学生たちが泊まった小学校を改装した宿舎の広い板張りのテラスで、ビールと片手に、森を見ながらゆっくりと暮れていく時間を過ごすのは格別でした。こういう空間ではことのほか誰もが心がほどけて素直になることができるようです。

空間の楽しみというのは、複雑な仕掛けやアイデア、豪華さやおしゃれというのとは別に、よけいなものを削ぎ落とした原初的で簡素なものに潜んでいることを再確認したのでした。2012.09.16





#044 光と緑陰

田舎で見るもの

自然の光がもたらす喜び
建築と光は切っても切れない関係があるのは、皆さんご存知の通り。コルビュジエは「光によって構築する」と言いました。光といえば影がつきものだけれど、僕自身も光が跳梁するような空間を見るのが大好きです。しかし、建築写真家は両者のコントラストを好まないらしい(あ、このことは以前にも書いたことがあった・・・)。


裏山 木々と葉っぱのトンネル

といって、光と影の強いコントラストが作り出す魅力は、何も建築空間に限ったことではないよ。たとえば陽を受けた木々の緑葉や、葉っぱのあいだを抜けた光が地面の上に作り出す景色はとても美しい。お盆前後の帰省中は晴れていれば毎朝裏山の草花を摘みに出かけるのですが、木々と葉っぱが作り出すトンネルを抜けた先には何かしら別の世界があるような気がします(だから、うかつに入って行くのがはばかられるように思ってしまうのだね)。ちょっと、アメリカの写真家ユージン・スミスの「楽園への歩み」を思い出させます。

立秋を過ぎたとはいえ、8月の日差しは強烈で、昼間外に出ようものなら熱風に包まれて汗が噴き出し、じりじり焦げ付くようで不快です。快適からはほど遠い(30度を超えるばかりか35度近くまで上がるのが普通になったのは、いったいいつの頃からだろうか。帰省中は、毎日炎天下のもとを買い物に出かけるのですが、この暑さだけはローマやバルセロナにも負けません)。それにもかかわらず、太陽の光はなぜか人を虜にします。


裏山 葉に映る光

明るい光の中にいると気持ちまで明るくなる。光の動きを見ているだけで嬉しくなります。幾重にも重なった無数の葉に射す光は反射し影をつくり様々な色を生み出して美しい。葉とそのあいだを抜けてきた光と影が地面の上で揺れる景色も楽しい、等々。そして、これらを見ていると、いつまでも飽きることがない。よけいなことをすっかり忘れてしまいます。あるいは、自分がその美しい世界の住人であることを確認して嬉しくなるからなのだろうか。

簡単に言い切ることはできないけれど、やっぱり、純粋に美しいものを見る歓びにひたって、いろいろな思いや考えから離れるせいという方が当たっているのではないのかしら。 命あることの歓びということはあるに違いないのだけれど、これはその次に感じることのような気がします。

しかも、同じ光と言っても朝の光と午後の光は違う。朝早いうちは光でさえも新鮮で洗い立てのような透明感がある。しかし、長持ちしません。だんだん強烈な光に変わります(雲の白も空の青もくっきりと際立ち、強烈なコントラストを作り出して、これはこれでいっそ潔い。ただ、暑いです)。僕は早朝の光が一番好きだけれど、夕方の光はしっとりとして、少し紗がかかったようでやさしい景色となってまた別の味わいがあります。

東京の下町の日常生活を切り取ったスナップショットの名人として知られる木村伊兵衛は、朝と夕方しか撮影しなかったという話を読んだことがあります。ただ、写真を撮る場合には光の性質だけでなく、方向もあるのでなかなかむづかしい。

ところで、昼間に歩くとまだまだ暑いけれど、時折吹く風の中には秋の気配が含まれることがあります。もうすぐ秋、あっというまです。そして暑かった夏をなつかしく思い出すのだ(いつも、過ぎてからしか気づくことができないのだね)。2012.08.31





#043 空港

大空間の体験

非日常性の演出
毎日の生活はつい忙しさにかまけることになりやすい。 日々の生活にきちんと向き合い、ていねいに過ごそうとすれば十分に変化に富んだものになるのだろうだけれど・・・。 小さな出来事や感情の起伏はあっても、 単調で、わくわくすることもなく過ぎてややもすれば倦みやすい(実のところ、僕自身は大して忙しくしている訳でもありませんが、変化といってもうれしくないことが多いのです)。そこで、気分転換の機会があるとうれしい。


羽田空港 駐機場

今回は空港です。
お盆の帰省のためにやってきた。で、残念ながら国内線。

それでも、空港はどこか遠くへ行く、それも何かいいことが待っていそうな不思議な緊張感と高揚感があるね。この感じは鉄道の駅にはない。列車の場合は、どちらかというと、その場を去らなければならないという寂しさがつきまとうような気がします。ま、高飛びという言葉もあるけれど、これだって不都合な場所から逃れて安心できる場所へ向かうのだ。

列車がどれほど遠くへ行くとしても地続きであるのに対し、飛行機は空を飛び文字通りその地を離れるせいだろうか。日常からのジャンプ(伊丹十三は、旅を「仮の生活だと言い逃れてはいけない」と言ったけれど)。

同じ空港でも大きな吹き抜けがあると、なおそうした気分が高まる。大空間は非日常性が強いせいでしょうね。とくにエスカレーターで上っていくときにその気持ちはより強くなる。たとえば、そうした大空間のある羽田空港の方が、1層分の天井が続く福岡空港よりもドキドキ感がある気がするのです(もちろん、規模の違いもあるけれど。行きに写真を撮るのを忘れたのが残念)。

ところで、福岡空港で見た夕焼けの景色はなかなか素晴らしかった。 ふだんはまず体験することのないほど広い駐機場の向こう側の山並みにかかる雲に茜色の光が射しているのです。 しかし、あいだに搭乗用の通路を挟んでいるために窓に近づくことができず、写真は撮れませんでした(残念)。

一方、鉄道駅でもF.L.ライトが世界一美しい駅と評したミラノ中央駅のような大きなトラスとガラスの屋根がかかったホームへエスカレーターで向かうときには、同じような高揚感があるような気がします(もうはっきりとは思い出せないのが寂しい)。この場合、階段では同じようには感じにくいのはどういうわけだろう。きっと、エスカレータによってゆっくりと運ばれるという感覚が効いているのだね(地上から離れるという感覚に似ているのかしらん)。ところで、ヨーロッパの鉄道駅のようにトラスで組まれた大屋根はいつ見ても素敵です(さっき言ったことと違ってきたようだけれど、これも大空間、非日常空間の魅力)。

空港が非日常空間である方がよいのか、もっと身近な日常空間のほうがよいのかはにわかには判断しにくいけれど…。いずれにしても、空港の楽しみは搭乗するまでです。移動中の楽しみは鉄道の方が景色を眺めることができる分、飛行機よりも大きい(なかなかうまくいかないものです。ただファーストクラスの移動はどうなのだろうね)。


羽田空港 搭乗橋入り口

そして搭乗口を通過して飛行機に乗り込むためのぽっかりと口を開けた細い移動通路 も(正式にはなんと言うのだろうね。と、思って調べてみるとボーディング・ブリッジと呼ぶようです)、日常と非日常をつなぐトンネルのようで、いよいよ出発という気分を高めてくれる。気分の演出というのは、日常的であれ非日常的であれ、空間のデザインにとって忘れてはならないことの一つです。

非日常の魅力は、日常があってこそだけれど、今はそれより日常の空間から遠ざかっていたい気分なのだよ。2012.08.31





#042 何気ない美しさ

暑い京都と大阪で見たもの

間に合わせと簡素であることの距離
ちょっと前のことだけれど、学会で京都に出かけてきた。

会場となった学校にはウィリアム・メリル・ヴォーリズが設計した建物があって、同窓会館として使われています。ふだんは内部に入ることはできないのですが、この日はこれが解放されて見ることが出来るというので、さっそく見学してきました。ヴォーリズはいうまでもなく外国人だし、おまけに建築の専門家でもなかったので(もともとは建築を志望していたのだけれど、わけあって宣教師となってやってきたのでした。メンソレータムの近江兄弟社の設立者でもあります)、内部も外部もちょっと変わったところがあります。

でもそのせいか、これ見よがしの力が入っていないようで、ふつうに気持ちがいい(派手さがないので、たぶん写真で見るだけではわかりづらくて、実際に体験して初めてその良さがわかるというたぐいのもののような気がします)。建築の約束事よりも、生活上の実感を大事にしたのですね。そして、何よりもていねいにつくられている。このことが、何回かの改装を経て最近やっと復元されたにもかかわらず、心地よさを感じることができたのだろうと思います。


松浦義和建築研究室 ミーティングスペース

一方、その後で訪ねた後輩の事務所でも同じような体験をしました。といって事務所は立派な材料を使っているわけでもないし、とくに凝ったデザインが施されているわけでもありません。なにしろ、ぼろぼろの状態だったという貸しビルの一画を息子と二人で片付けて、自分たちでリフォームしたものなのですから。

そこでは、最近作の写真も見せてもらったのですが、それは延べ床面積が約150坪の2世帯住宅で、たとえばソファ1脚で200万、オットマンやテーブルを含めると300万、キッチンセットは親世帯で800万、子世帯の分が400万円という豪邸(すごいね。これだけで家が建ちそう)でした。それとはうって変わって、事務所の方は約30平方メートル(坪ではないよ)、フローリングは手に入る限りで最も安い物を使い、棚も手作りなのですが、棚板を受ける金物はてかてかしたクロムメッキの質感が嫌だというのでシルバーの塗料を吹き付けたというように、いちいち手がかかっていたのでした。

久しぶりに、チープシックという言葉を思い出した。安い物で工夫した物は、時としてやっぱり安っぽくて、間に合わせのように見える場合が少なくありませんが、ここはそうではなく気持ちよく過ごせる場所になっていたのでした(さすがに天井などは塗り替えられてはいるものの、平滑というわけにはいかなかったようだけれど)。チープな素材と簡素な美しさは両立するのだね。


松浦義和建築研究室 ワークスペース

ていねいに暮らすこと。そのために、じゅうぶんに考え抜かれた空間を用意すること。 それは、材料やみかけの豪華さよりも生活に必要なものを過不足なく、しかもその時々に間に合わせで急ごしらえしたものではない形で用意することを要求するような気がします(このことは、私生活だけでなく、仕事やそれらを取り巻く社会にも当てはまりそうです)。

ということで、そろそろ公私共々、自分の暮らしをもう一度見直して、つくり変えなければと思うことしきりなのです(なんだかブームの断捨離のようだけれど)。2012.08.28





#041 続・新緑の歓び

美しい5月

生きる力
昨日は雨が降って、久しぶりに肌寒かった。なんだか春先に戻ったみたいでしたね。

しかし、雨上がりの新緑は一段と輝きを増してぐんと美しくなることは前回書いたとおりですが、何回言っても言い足りないくらい。何度見ても飽きることがありません。新緑を楽しむのに、どこか特別の場所でなくてもよいのです。


古い屋敷の前庭

前回のお寺の参道の写真がきれいだったという人があって、それならばと同じ時に撮ったもう1枚、古い民家の前庭の新緑を思い出したのでした。参道の写真とどちらを載せようかと迷ったのでしたが、文脈から言うとお寺のものをということにしたのでした。


人間環境学部中庭

もう1枚は人間環境学部の中庭の木々の緑です。どうです、こちらも負けないくらい素敵でしょう。そして、改めて見るとけっこう緑の量が多いことに驚かされます。

いずれの場合も、緑の鮮やかさとたくさんの葉のさまざまな濃淡がつくり出す景色がすばらしい。いつでも自然の緑はわれわれを慰めるけれど、この時期のものは特別です。「生きる力」と言うと、ちょっと大げさなようだけれど、そうした力を与えてくれるような気がします。


裏山の新緑

美しい景色はたいていそうだけれど、存在を声高に主張しないでも目と心に染み入ってくる。ふだんは特別でもなんでもないものが、特別に感じられる時があるのですね。気をつけて見てみると、私たちの周りにはそうした美しい光景がたくさんあるはずと思うです。そのためには、気持ちにいくらかの余裕がなければいけないけれど(今日は授業も会議もない日でした)。

これから梅雨入りまでの短い間は、1年のうちでも最も気持ちのいい気候のひとつです。

それにしても、時の経つのはあっという間。もう5月もすぐに終わろうとしています。誰にも止められないけれど、ま、しようがない。

となれば、美しい時を楽しむしかありません。2012.05.23





#040 新緑の歓び、幻想的な美しさ

雨上がりの日

田舎の自然の豊かさ

今年のゴールデンウィークは天気には恵まれませんでしたね。寒かったり、雨にたたられたりと、どこもよくなかったようでした。

しかし、悪いことばかりでもなかった。

新緑はたっぷりの水を含んでいっそう鮮やかさを増し、雨上がりの山々は雲と霧がかかって幻想的な風景となりました。


参道の緑

亡父の墓参りに出かけたのですが、近くにある古い屋敷の庭の木々やお寺の門までの短い参道は透けるような緑に覆われていて、こちらの気持ちも洗われて新鮮な黄緑色に染められるようでした。


雨上がりの大川内山

そのあと、鍋島藩の御用窯が置かれていた大川内山へタクシーを飛ばしたのだけれど、幹線道からゆるい坂道に入り、田んぼや畑を抜けて山間に近づくにつれ、山頂を包み込む雲と霧が作り出す幻想的な景色はいつにも増してすばらしかった(女性の運転手さんも、他には何にもないけれどこの美しさは何度見ても飽きません、と言うのでした。これだけは自慢できます、とも)。

旧藩窯は山間の奥まったところにあって、秘窯の里というのにふさわしく、今でも細い坂道を挟んでこの伝統を受けついだ窯元やこれらの製品を販売する店が並び、さらにその間の細い道の先にも窯元が散在しています。気に入った窯元の磁器を眺めて歩くのが楽しいのはいうまでもありませんが、その景色を眺めるだけでも十分に気持ちがいいのです。 ただ、こういうところにまでも電線が張り巡らされているのが残念。

いつもなら、さらに、隣接する有田と波佐見の陶器市を覗くところですが、今回は事情があってパス。

それから何日かして、ようやく晴れた日の陽光を受けて輝く緑の美しさと薫風の心地よさは格別でした。

昨年来ずっと重苦しい気分の日々が続いていたせいか、今回は田舎の風景の持つ豊かさがいっそう身にしみて、そのすばらしさを再認識することになったのでした(ただ、情けないのは、これの効果がなかなか長持ちしないのです)。

ともあれ、いっとき街の喧噪を離れて、豊かな自然の中に身を置いてみたらどうでしょう。2012.05.09





#039 春の海

希望を可視化する場所

生命の源

海はいつだって美しい。

のどかに凪いでいる時の深くて青い海も、荒れて灰色に染まった海も。失望することがありません。

しかし、最もすばらしいのは、なんと言っても春先の海。やわらかい陽光を反射して、ゆったりと輝きます。

桜も散って緑の葉っぱだけになると、いよいよ春も本番。まだ時折り寒い時が混じるけれど、落ち着かなかった気温もようやく安定してきました。そこで、ちょっと前の週末のある日、春の日差しに誘われて、平潟湾沿いの散策に出かけてきました。


平潟湾


金沢八景駅から人間環境学部までの通学路に面した平潟湾の景色はこれからさらに美しくなります。歩道の緑は鮮やかさを増し、海にはヨットや小舟が何艘も係留されていて、帆を降ろしたヨットや小さなボートが、やさしい風を受けて緩やかに揺れる姿がすてきです。海側に立ってそれらを眺めていると、これから新しい季節が始まるということを実感させられて、自然と気持ちも浮き立って高揚するのです。それにしても、ほとんどの学生諸君が住宅側を歩いていて、海側に渡らないのはなぜだろう。ほんのちょっとした手間なのに。

ここ横浜は冬が特に厳しいわけでもなく、日本海側にある町やオックスフォードのように曇天が続いてばかりの憂鬱な季節というわけではありません。それでも、冬があけて春がやってくるとなると、やっぱりうれしくなるのだね(そして、こうした小さなよろこびを大事にすることこそ…、と思います)。

このためか、穏やかでゆったりとくつろいだ気分にもなりやすい。あくせくしないというか、自然とゆとりが生まれてくるのは、細かな水蒸気の粒を含んだ空気を通したようなやさしい光のせいでしょうか。非寛容に固まりかけていた気持ちが、何となくいくらかはほどけるような気にもなるのです。 秋から冬にかけての透明で引き締まった空気の中で見る海も、夏の焦がすような陽を受けてきらきらと輝く海もいいけれど、こればかりは望めません。


平潟湾の海水

海はなんといったって「万物の母」、というせいかもしれません。しかも、春は新しい息吹を感じるにふさわしい季節です。このどうしようもないほどに閉塞的な時代と空間にあってもなお、希望を見いだせるかもしれないというような気になります。そのために、ここの海が透明で澄み切っているわけでないことがかえって豊穣さを示しているようで趣がある。もし澄明に過ぎたならば、この場合はつくりものめいて見えるような気がします(これは負け惜しみではありません…)。ただ、コンクリート護岸のせいか、小さな生物の姿を見つけることが出来なかったのは残念。

ともあれ、 張りつめた緊張感が作り出すものもいいけれど、こうしたのんびりとくつろいだ気分がもたらすものも捨てがたいのです。

そして、付け加えるなら、海はオックスフォードにはないよ。桜は散ってしまったけれど、春の海はこれから。当分楽しめます。

さ、春の海を見に行こう。

よいGWをお過ごしください。2012.04.29





#038 すごかった

春の珍事

怖い目に遭わないとわからない

ちょっと古い話になるけれど、4月3日のできごと。
あの春の嵐のことです。

その日は台風並みの大雨と強風が来るというので、学校でも予定されていた午後のイベントはすべて中止、13時半を以て業務終了の報が届きました。もちろん、僕もさっさと退却したのは言うまでもありません。

家に帰るとすぐに冷蔵庫を開け、いそいそと取り出しました。何かと言えば、もちろんビール(休みの日の昼間に飲むのは格別だからね)。次にしたことは、真空管アンプのスイッチを入れ、DVDプレーヤーを起動してロックバンドのライブDVDを投入したのでした。

のんびり視聴したのかと言えば、それが授業の準備やら原稿のチェックを始めたのでした(こういうところが、貧乏症、小人物ですね。それともふだんが怠け者であるってこと…)。ともかく、のんびりとはしていられませんでしたので、悪く思わないでください。

こういう時は部屋の中にいる限りなんてことはない。「むしろ愉快なくらいだ」(と、このPersonalWebのブログに書いた先生がいましたね)。現代の技術で建てられた建物はたいていの強風や大雨には負けません。そのはずだったけれど、風の音が大きくなるにつれてガタガタという音の他にミシッミシッという異音が混じりはじめ、そして気づいたのでした。


ひびの入った窓ガラス(応急処置後)


窓ガラスが危ない!南側のテラスに面する窓のガラスにヒビが入ったのを放っておいいていたのです(大家さんがやってくれた庭の草刈りの時に飛んだ小石が当たってできたもの。もちろん応急手当はしてありました)。やっぱり先延ばしはいけませんね。備えあれば憂いなし、というのはほんとうです。

ということで、その日は相変わらず強い風が続いたけれど、「まだ大丈夫。割れていない。持ちこたえている。どうか、あともう少し…」、と念じながら過ごしたのでした。


ものが少なかった頃の食事室

引っ越してきた時はそれまでの安下宿と違って広くて明るいのが嬉しくて、いろいろと家具をつくったり手を入れたりしながらきれいにしていたのですが、いつの間にか馴れてしまいおざなりになっていたのでした(ま、その間にいろいろなことがあったしね。3.11以降の状況もそのことのひとつ…)。

うまくいかなかったり、混乱したり、どうしたらいいかわからなくなってしまったときには、初心を思い出す、あるいは原点に返って考えるというのがやっぱり一番です。

ま、何をするにせよ、住まいや研究室(長い時間過ごす場所ってことです)が、自分の気に入るような設えになっていなければ気持ちよく過ごすことはできません。そうなっていれば、言うことはないね。これから、少しずつそうしていきます。空間の持つ力は大きい。その影響は侮れないよ(再認識しました)。

家を気持ちよくしよう。 研究室も きれいにしよう。生活空間のありようは、自分自身の状態をそのまま表します。自分が暮らす場所を大事にしないのならば、(ちょっと大げさに聞こえそうだけれど)それは生活や人生をおろそかにしていることと同じだと思います。その気にならない、なんて言っていられません。

さ、 さっそく片付けてさっぱりしよう(あ、ヒビの入ったガラスはすぐに入れ替えてもらいました)。2012.04.23





#037 告白編 ロックへの道

音楽のある空間

新しいことを始めたい

思うところがあって(近頃は、これが多くてちょっとばかり持て余し気味)、新しいことを始めたいという気になった。こちらの気持ちを知ってか知らずか若い友人に、「昔から言う『40の手習い』は、自身の限界に気づいた時の(自己防衛のための)方向転換」と教えられました(今ではもちろん、もっとその年齢は上がっているわけですが)。言われてみれば、そうかもしれません…。

ということで、ただ今ギターを物色中(一時テンションが下がったのだけれど、また戻りつつある)。

以前に学生にちょっと話したら、「その年だったら、本物を持たないといけません」などと言われて(うーむ)、ついその気になっているところ(うーむ)。候補の1番手はレスポール(なんといってもかっこいい)。2番手はちょっと下がってテレキャスター(シンプルの極み)。いずれも値段が高いのが難点ですが(支払い能力のほかに、分不相応のような気がする)、見ているだけでも(たぶん、弾けなくても)飽きないくらいに美しい。

そんな時に、不意に思い出したことがありました。オックスフォードに着いた頃にいろいろと助けてくれた大学院生がいたのですが、彼はCDも出したセミプロ級のギタリストでもありました。彼と話していた時に(英語で)、「シン・リジー」が好きと言ったところ、間髪を入れず「ああいうのがいるからだめなんだ」という答えが返ってきたのでした(ちょっと驚きいた)。たぶん彼は、コンセプチュアルで知的な音楽が一番と思っていたのでしょうね(実は、若い時は僕もそう思っていました)。


Two Les Pauls

今となっては詮無いことですが、「しかし、…」と言いたいのです。そもそも、ロックは、あれこれと理屈を言う前に悩みやら屈折した心やらをさっぱりと吹き飛ばしてしまうようなものではないか、あるいは吹き飛ばしたいと思う気持ちの結晶ではあるまいか(おまけに、ちょっと吹き飛ばしたいものがないわけでもないのです)。

とうことで、近頃はもっぱらハード・ロックを聞くことになる。研究室に着くとまず音楽をかけますが、朝はクラシック(これにしても「春の祭典」などのロックに近いようなもの。一時よく聞いていた、アルヴォ・ペルトの祈りに似たようなものは遠ざけるようになった)。そして、時間が経つにつれてロックに移行します(直接的に身体と心を刺激するものでなくてはいけません)。実は、昔からながら族なのでした。

さて、シン・リジーはアイルランドのバンドですから、アイリッシュ・フォークソングやケルトの音楽の影響を感じさせます(ただパワーだけのグループではありません)。解散した後も絶大な人気ぶりで、「ONCE ダブリンの街角で」という映画ではリジーの曲しかやらないというストリート・バンドが登場したし、リーダーのフィル・ライノットの没後20年にはダブリンに彼の銅像が建てられたくらい。


One Night in Dublin

これを記念して旧シン・リジーのメンバーが集まったコンサートでの、観客の盛り上がりぶりは凄まじいものです。人が音楽に託すもの、このことを通じて時間と空間を共有した時のエネルギーの大きさに驚かされます。 そして、 このライノットもはじめからずっと順風満帆というわけではなく、シン・リジーで成功する前には在籍していたバンドを去らなければならないという苦い経験をしたのだよ。

そんなわけで、最近は取り寄せたライブDVDをよく見るようになった(映画を観るより多いかも。これはちょっと…)。このところ立て続けに昔のライブ映像が発売されるストーンズは、昔も今もなかなかかっこいいし、そして、ロキシー・ミュージックやクリーム等の再結成ライブも渋くて案外いいのです(でも、古いのばっかり。懐古モードになっているってこと?)。

それからもうひとつ、ロック・バンドのドラマーは上手に年を取る人が多いように見えるのはなぜだろう。ずっと陰で支える役割を担ってきたというせいだろうか。リジーのブライアン・ダウニー、ストーンズのチャーリー・ワッツなど(彼らを見ていると、「顔に責任を持つ」ということがわかるような気がします)。これに対して、ギタリストはむづかしいようなのです(たいした根拠はないけれど)。

ともあれ、何でもいいからすぐに手に入れられるものを手に入れて、さっさと実践するのが一番かもしれません。

さ、新しいことを始めよう。2012.04.14





#036 デザインの行方

コンセプト、コンセプト、コンセプト

拠ってたつもの

もう1年以上も前になるのか(Time flys! 光陰矢の如し。ほんとうに、時は飛ぶのだね)、誘われて客員教授の増田先生の設計した住宅を見に行った帰りのこと。若い建築家夫妻の車に同乗させてもらったのですが、途中で食事をした際にどうしてかは忘れたけれど映画の話しになった。「建築家が主人公の映画は日本にはありませんね」と訊かれたのでした。確かに、欧米の映画には建築家が主人公の映画は、「十二人の怒れる男」、「タワーリング・インフェルノ」、「めぐり逢えたら」(トム・ハンクスの方)、「素晴らしき日」、「恋に落ちたら」、「海辺の家」等、すぐに出てくるけれど、日本映画では思いあたらないのです。

探してみても、やっぱりわかりません。かろうじて「二十四時間の情事」を思い出したのだけど、 フランス映画(原題は「ヒロシマ・アムール」。主人公の男性が日本人の建築家です)だということに気づきました。日本では建築家は人気薄なのかしらん。

ともあれ、今や建築は諸悪の根源のごとくに扱われることがありますが、考えてみたらわが国では、昔から建築家はよく言われた試しはありません。曰く、「自分の作品を作るために設計する」、「クライアントの話しを聞かない」、「むづかしい言葉を使いたがって、何を言いたいのかわからない」等々、山本夏彦や池辺良らのエッセイにある通り。

なぜなのだろうね。これでは、心ある建築家が浮かばれません。

建築はずっと変革の象徴であったし、優れた建築は総合芸術として時代の精神を表象するものでもありました。いっぽうで、生活の器として人々の知恵の集積でもあったはずなのです。

それが、どうしたことなのだろう。

ま、マスコミは常に刺激的なものを求めたがるということがあるだろうけれど…。


コンセプト*

近頃の学生のプレゼンテーションを見ていても、コンセプトが最も重要のようなのです。学年を問わず誰もがまず「コンセプトは…」から始めたがるし、最後のスライドも言葉で終わることが多い。エスキスの時でも、「コンセプトを探している最中です」、「なかなかコンセプトが決まりません」。「コンセプトが…」。何をもってコンセプトというかはむづかしいところですが、始めから終わりまでコンセプト、コンセプト、コンセプト。コンセプトのオンパレードです。

確かに実現すべき理念は大事だけれど、なんと言っても(建物の場合は)理念は形あるものとして具現化されなければなりません(すなわち、学生にあっては図面と模型)。理念(言葉)と作品(形態)は、はじめから直線的に結びつくものではない。言葉が形を生み出すことがあるとしても、さらに形が新しい考えを誘発し、また新しい形をつくり出すという関係があるはず。このことが共有されて、これを実現しようという気持ちが教室に満ちたならば、文字通りナイス・スペースとなるにちがいない。コンセプトや言葉の力を否定しようというのではないのです。


プレゼンテーション*

なんだか、具体的なかたちよりも、その前の言葉選びが一番だと思っているように見えるのが気になるのです。そして、それはデザインを語る時にその多様性を言うために、形の持つ力を軽視した言い方をしたせいではないか、とも思います。とすれば教師の責任大。もしかしたら、生活者の視点と言って利便性のみを重視することも。その結果、オリジナルなものを求めながら、逆にステレオタイプに陥っているのではないかということも。

しかも、もっと始末が悪いことには、そのコンセプトさえもただの借り物で、実は信じてはいないのではないかと思わせられる時があるのです…。

まずは、足もとを見つめ直して、自身が真に理解し信じることに立脚しなければ何事も結実しないのではないか、そしてこれを頭の中だけにとどめずに外在化することが大事だと思うのだけれどね(このことはひとり建物や学生に限ったことではない、と自戒するのです)。2012.04.11

* 写真は、本文と直接的な関係はありません。





#035 満開の桜

ランプの消えぬ間に

儚さが教えるもの

われわれ日本人は、お花見(とりわけ桜)を特別なものとして楽しみますが、これは日本人に特有のものらしいのです。欧米の人々には理解できないという話を聞いたことがあります。桜は毎年咲くじゃないか、特に祝うほど珍しくはないというわけですね。ま、日本人は昔から新しい物が好きだけれど、…。それに、一期一会ということもあるかもしれないという気がします。

僕は、大勢でお花見、というのはあんまり好きじゃありません(にぎやかなのが苦手なのです)。だけど、梅や桜を見るとやっぱり嬉しい。梅の白い花の清楚なたたずまいは、ちょっと冷たい空気の中で見るとようやく新しい季節がやってくることを予感させます。一方、桜の花は文字通り薄い桜色で、艶やかで暑くなる前のおだやかだけれど輝かしい時の只中という瞬間に居る歓びがあります(今年は、寒暖の差が激しかったり、春の嵐があったりと、とてもおだやかとは言えないけれど)。


満開の桜

今年もキャンパスの桜がようやく咲き始めた、と思ったらたちまち満開に。満開になり始めたのはちょうど新入生を迎えた頃。まるで、歓迎のパーティにあわせて計画したかのようなタイミングでした。ただ、この美しさは長くは続きません。すぐに散ってしまいます。おまけに雨でも降れば、あっというまに丸裸にされてしまう。

これは、なかなか味わい深いものがありますね。残念と言えば残念だし、儚いと言えばそうに違いないのだけれど、短いからこそ、その歓びも大きい。そして、貴重なものとなるということでもあります。

素晴らしい時は、長くは続かない。だから無駄にしてはいけない。このことを思わないわけにはいきません。オーストリアの医者で劇作家のアルトゥール・シュニッツラー(映画「輪舞」の原作者のようです)の言葉を引きながら、開高健が語る言葉が身にしみ入るのです。

「総じて言うて、人生は短い。だから、ランプの消えぬ間に生を楽しめよ(アルトゥール・シュニッツラー)」。

独特の開高語は、さらにこう続くのでした。「やりたいことをやんなさい。あとで後悔しなさんな。やりたいことをやんなさい」。だから、「グラスのふちに唇つけたらとことん、一滴残らず飲み干しなさい。あとで戻ってきても、もうしずくは残っていない。今のうちに飲みつくしてしまいなさい」(「老年よ、大志を抱け」と言ったあとで、舌をぺろりと出すようなこともするのですが)。

そういえば、昨年亡くなったスティーブ・ジョブスも、あの有名なスタンフォード大学での卒業式におけるスピーチで、同じようなことを言っていましたね。このことは簡単に信じると痛い目に会うかもしれませんが、真実が含まれていると思います。


山桜


ところで、桜と言えば、ソメイヨシノがポピュラーだし、美しいのですが、中庭に面してある山桜の、緑の葉と葉の間につけた白い花も可憐でなかなかすてきです。

いずれにせよ、これ以上に新入生、新社会人となるのにふさわしい季節はない。そして、新しい学年、新しい人生を始めるのにも。

さ、桜を見に出かけよう。2012.04.08





#034 (号外)桜の花が咲いた

新しい季節の始まり

予告編

桜が咲いた。いつの間にか、花をつけていましたね。

昨日の大雨、強風にも負けずに咲いていました。ちょっとうれしい。いや相当にうれしい。

この冬は寒かった。温暖化はどこの話といいたいくらいに寒かった(ある人に聞いたところでは、むしろ氷河期に入っているということらしいのですが、…)。しかも寒いだけでなく、いつまでも寒い。お彼岸をすぎて3月の末になっても、まだ寒かった。昨日は少し暖かいと思ったのに今日はまた逆戻り、の繰り返しが続きました。三寒四温と言うにはちょっと激しすぎたよう。

このため、梅や桜の開花もずいぶん遅れました。もしかしたら梅と桜が一緒に咲くのでは、と心配(?)する人もいたくらい。ま、これはこれで楽しいかもしれないけれど、確かに季節感というものがありませんね。また、花見のために桜並木沿いのレストランを予約したのに桜が咲かないかも、と嘆く人もいましたね。


八分咲き

それが、ここ数日で、やっと花が咲いたことがわかるくらいになった。今朝見た時もあんまり変わらなかったのが、昼間になると見違えるようでしたね。その成長の早さに驚いた。オリエンテーションを終えて帰る新1年生を励ますかのようでした。遅くなりましたが、新1年生の皆様、おめでとう。

ともあれ、やっと春が来たようで、やっぱり嬉しい。

ということで、号外。満開の桜はまた次回。2012.04.04






#033 (番外編)頭の中の空間と外在化

先人に学ぶこと

進歩しない私

かなか桜が咲きませんね。

さて、しばらく前に思うところがあって、少し服装にも気を使ってきちんとしようという気になったことがありました。


スーツとネクタイ

ところが、つい先日、洋服に気を使うこと(原文ではちょっと違った言い方をしていたのですが)を自己表現と言いたがるのは表現すべき自己がないからだという記述(橋本治)に出くわしたのでした。

ま、言われてみれば(こと僕自身に関する限り)たしかに全く正しいのですが。となれば、まずは自己研鑽から始めなければなりません。今頃になってなお、自分がただの容れ物にすぎない(これは伊丹十三が自身を評して言った言葉)ことを再確認することはなかなかつらいことであります。でも、中身がないからせめて外見だけでもというのはあんがい真っ当な考えではあるまいかという気もします。

うーむ、…。いろいろとむづかしいね、人生は。そしてややこしい。


釣魚大全

そして、もうひとつ。”Study to be quiet.”。「おだやかになることを学べ」。17世紀の英国の随筆家で伝記作家のアイザック・ウォルトンの言葉です。彼の「釣魚大全」の中に書かれているようです。彼は、二人の妻と何人もの子供を次々に亡くした悲しみの只中で、釣りに熱中した人です。釣りをしながら、不条理に耐えながら、色々と考えたのでしょうね。

このことを知って以来ずっと心がけようとしてきましたが、やっぱりうまくいきません。年取ったら、ひょうひょうとしていようと思い定めていたのだけれどね。そこで、恥ずかしながらここで白状してしまおうと思った次第。人に言ってしまえば、つい忘れがちになりそうな自分を甘やかさないですむのではないかと願ってのことです。新年度の所信表明であります( ああ、恥づかしい 。おまけに、前途はなかなか厳しいものがありそうです)。ま、ほかにも思うところはあるのですが…。

なかなか、先人たちのようにはいきません。

経験や言葉、それが実際のものであれ、本から学んだものであれ、それに頼るのは世界を小さくし、誤解をしてしまいかねないかもしれません。しかし、結局はこれに即して考え、頭の中の理屈だけでなくほんとうに信じられてその通りに行動するようなものとすべく(かつては、身体化とか内面化という言い方をしていました。今やすっかり聞かなくなってしまったけれど)、(いくつになったとしても)これを目指して進むよりほかないと思うのです。いつかは、それが自然と立ち振る舞いに表れるようになるにちがいない(たぶん…)。2012.04.01

*写真は、下記のサイトから借りて加工しました。
上 WEB GOHETHE
下 奥山文弥のフィッシング・カレッジ





#032 緊張感がみなぎった空間

言葉と作品の間

張りつめた気持ちが開放感に変わるとき

3月は総まとめの季節。

その3月も下旬に入った22日は学科の学生たちの作品を集めた展覧会のオープニング。この1年の間に学生たちが作成した演習課題や卒業研究の作品を一堂に集めました。会場の手配から広報、展示の構成まですべて学生たち自身の手になるものでした。

早いもので、もう7回目です。今回の会場となったのは横浜創造都市センター。例年に比べると面積は少々コンパクトでしたが、白い展示用壁や自分たちで作ったベニヤの展示台をうまく使ってなかなかよくできていた。何より、夢や願い等々さまざまな思いが詰め込まれているはず、と思います(ただ、それらが必ずしも自覚されていないのかも、とちょっと心配)。28日まで開催中です、ぜひお出かけください。


講評会

初日は、気鋭の新進建築家として売り出し中の宮晶子さんと「住まいの解剖図鑑」の著者の建築家で本学科客員教授でもある増田奏氏を迎えて、作品の講評会が開催されました。初めての企画でしたが、有名な建築家の質問や指摘にも臆することなく答えていた学生たちが頼もしかった。教室よりもやや緊張した中でのやり取りがあって、学生たちにはよい経験となったようでした。


オープニング・パーティ

その後は、飲み物と軽食を用意してのささやかなパーティ。即席のドリンクバーもしつらえられて、たいしたホスピタリティぶりで、皆おおいに楽しみました。こうした時間と空間を共有できるのは素敵なことです。もうちょっと参加者が多ければもっとよかった(とくにHED展のメンバー以外の学生が少なかったのが残念)。

飲み物を片手に、在学生ばかりでなく駆けつけてくれた卒業生や、非常勤の先生たちと作品を眺めながら話しができるのは、教室の中とは違ってより打ち解けた意見交換が可能になるようです。学生たちの日頃とは異なった姿を見ることもありました。

そして、僕自身の学生時代に経験した、講評が終わった後に行われていた簡単なパーティ(というほどのものでも、実はなかったかもしれません。記憶が美しくしてしまうことがあるのは、このところよく経験するのです)を懐かしく思い出したのでした。

いっぽう、3月は巣立ちの季節でもあります。HED展のオープニングの翌々日には卒業式があり、その後に卒業パーティが続きました。こちらは大勢の人が集まり、仕掛けも大きくてにぎやかなものでした。いささか形式的ですが、こうしたイベントも、気持ちを整理し新たにするのにはよいものだと改めて思います。

そして、式の中でもその後のパーティの席でも、たくさんのすばらしい言葉を聞くことができました。それが真実のものであってほしいし、その時だけのものでなく皆の心の中にとどまって何かを生み出すものとなってほしいと願うのです。

ところで、こうしたイベントですべてがリセットされるわけではありません。よいことであれ、好ましくないことであれ、消えることなく抱えこんだまま、まだまだ続くものがあります。それが人生ってこと?2012.03.25





#031 (番外編)言葉がつくり出す空間

先人が教えてくれること

「生活」に学ぶという意味

リッチでないのに
……

僕は、なぜかこのところしきりに、若くして伝説となった杉山登志の言葉を思い出すのです。

リッチでないのに
リッチな世界などわかりません
ハッピーでないのに
ハッピーな世界などえがけません
「夢」がないのに
「夢」をうるようなことは……とても
嘘をついてもばれるものです


「伝説のCM作家杉山登志表紙

この短い文を記した73年当時、彼はCM界の寵児でした。資生堂やら日産自動車やら。「のんびり行こうよ。俺たちは」のコピーで有名なモービル石油のCMも彼の手になるものでした。70年前後はちょうど、「モーレツからビューティフルに」という空気が支配した時代。今なら、さしずめ佐藤可士和か佐藤卓といったところでしょうか。杉山が先の言葉を残して亡くなったのは37歳の時、彼らよりずっと若い。

そして、僕のアイドルのひとりだった梅棹忠夫は、新しい話を聞いたとしても「君、それ自分で見たのか」と問い返すのが常だった先輩の中尾佐助のような態度こそが重要だと言っています。自分の目で確かめないまま聞きかじったことを言うなということですね。ところで、レポートや課題のアイデアに困るという諸君は、彼の「知的生産の技術」の中のこざね法を一読することをお勧めします。これだけならあっという間に読めます。確実に役に立ちます。

ともあれ、僕は、自分自身の生活から発想し、出発することの重要性が今また要請されているような気がしてなりません。ここで言う「生活」は、理念的であったり、観念的に過ぎたりすることのない、自身が日常的に体験している「生活」のことです。「家政学」の元ですね。簡単なようで、実践するのはあんがいむづかしい。かくいう僕自身が理念の「罠」に陥っていないか、と思うとちょっと怖くなります。えてして、人は自分のことはわからないだけでなく、自身に甘いものですから。

学校ではとくに、簡単ではないのかもしれません。なんと言っても、ある意味では競争を強いられる社会なのですから。そうしたこともあって、誰もがむづかしい言葉を使わなければいけないような気にさせられるところがありますね。しかし、この「罠」から逃れなければなりません。繰り返しになりますが、そのためには自身とその「生活」を見つめ直すこと以外にはないような気がするのです。


井上ひさし 書斎

それからもう一つ思いだして、気を取り直しました。作家の井上ひさしの自戒の言葉です(一部は、机の前に貼ってあったといいます)。いくつか異なる版があるようです。

むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをゆかいに
ゆかいなことをまじめに
書くこと

どうです。

でも考えてみたら、大人になる前は井上の「ひょっこりひょうたん島」が大好きでした(実は、今でも)。なんだか、いまだに彼や彼らの掌の中にいるようです。2012.03.11

*写真は、下記のサイトから借りてトリミングしました。
上 http://digital.asahi.com/20120212/pages/book.html 
下 http://matome.naver.jp/odai/2129585505654140801/2129586051254335203





#030 川の上の生物

小さな驚きと喜び

新鮮な眼を取り戻す

水が好きです。
研究室のテーブルの上や窓辺にもガラスの器にアイビーを挿したものや、夏でもないのにガラスと陶製の器に水を張ったものが置いてあります(ま、花のない水盤といったようなものです)。水をながめていると倦むことがありません。

そして、水辺はもっと好き。
水を見るのが好きなのは、うんと昔に海のそばでしばらく暮らしたせいかも知れません。海辺が好きだったのですが、最近は川もいいと思うようになってきた(ちょっと恥ずかしいけれど、実はオックスフォード体験以降とくに)。


コッツウォルズ・バイブリー

イギリスやヨーロッパと違って日本では急流なためにどこも護岸工事が施され、コンクリートでがっちり固めらた上に水との距離が遠いことが多いのが残念です。オックスフォードでは、水と近いだけでなく水辺や水上には草木や鴨、白鳥といった動植物を見ることができました。ウィリアム・モリスが「英国で最も美しい村」と讃えたバイブリーをはじめとして魅力的な村が集まるコッツウォルズの小さな清流でも鴨や小魚が泳ぎ回っていて素晴らしかった。

そしてヨーロッパで見た他の都市でも人と水との距離が近くて、水辺が人々の生活に入り込んでいることが実感されたのでした。あのセーヌ川では、夏になるとなんと砂浜が出現するらしいね(パリ・プラージュという催しで、ヤシの木や屋外シャワー、ハンモックまで配されて、さすがはバカンスの国です…)。


侍従川

わが国ではそれがなかなかむづしいと思っていたのですが、気をつけて見ているとキャンパスのそばを流れる侍従川でもカモの集団やごくまれにカヌーをこぐ姿を見ることができるのです。水だけでもじゅうぶん楽しいのですが、こうしたものを見るとよけいにうれしくなります。正月には田舎の川でも白サギとカモの家族をよく見かけました(時々、白サギと思って近づいたらビニル袋だったりすることがあって残念なのですが)。

見ようとすれば見ることができるのに気づかない、ということが案外と多いのかもしれません。もしかしたら、それは素直ではない、気持ちに余裕がない、日々の生活をていねいに過ごしていないといったことかもしれず、ちょっと怖くなるのです。

ところで、これまでずっとオックスフォードで見たものをよく取り上げてきました。見方によっては英国・ヨーロッパ崇拝ともとられかねないかもしれません。実際そうなのか、そうではないのか、よくわかりません。ただ、日本にいるときは気がつかなかったことが外国に行ってはじめて気がつくことが確かにある。しかも、これは日本にないものだけにとどまらないのです。

日常の雑事によって曇った眼をきれいさっぱり洗い流して新しい視界を得るためには、(幸か不幸か)異国の風景のなかに身を置くことがとても有効だという気がします。そして、何と言っても若いときの経験がだんぜん大きいはずなのだから、時間がたっぷりある学生諸君や若者はまずはさっさと外の世界へ旅に出るのがよろしい、と思うのです。2012.02.28





#029 カレッジの庭

都市の中に埋め込まれた自然

人工と自然が共存する場所

カレッジが集中しているオックスフォードの中心街はほとんど石造りの建物で覆い尽くされているように見えるけれど、以前に書いたように、いったん門をくぐると中庭だけでなく背後に広大な庭を備えていることが少なくありません。中には、川が流れていて目の前をアヒルが歩いていたり、鹿がのんびりと寝そべっているようなところもあります(たぶん最も大きいカレッジでも、学生数はせいぜい800人程度なのにね)。


ワダム・カレッジ

『THE DODO GUIDE TO OXFORD』という100pに満たない小冊子によれば、もともとはそこで野菜やハーブ、そして果樹を育てていたそうです(そう言えば、ワダム・カレッジの広い庭にはリンゴの木がありました。ただし、案内してくれたスクマー博士によれば、味の方はいまいちということでしたが…。ともあれ、 元々は修道院だったり、一日中寝食を共にしながら学ぶ学寮という特殊な形態だったために、自給自足ということがあったのでしょうね)。

そして、ルネサンス以降、大陸から噴水や彫刻や観賞用の花等のおしゃれな要素が入ってきたらしい。 やがて18世紀から19世紀にかけて流行した、刈り込まれた芝生や木や花を中心とした公園を模したイングリッシュ・ガーデン風のものになったようなのです。

これらのありようについてはカレッジによって違いがありますが(それぞれ独立して運営しているので、経済状況にも大きな差があるようなのです)、たいていは複数の庭があり、先に述べたようにそのうちのいくつかは本当にびっくりするほど広大です。 森のような庭やメドウさえも含まれますが、これらは、当然のながら街の中にこぼれ出しています。

確かにつくられた自然ではあるけれど、都市の中でこうした自然に触れることができるというのは、素晴らしいことだと思います。それをカレッジの中に組み入れるというシステムも同様です。発明と言ってよいかもしれません。自ずと、街の中に、しかも少なくない量の自然が点在し、守られることになるわけです(たぶん。なんといっても、大学は営利を目的としていないわけだからね)。

そして、これらはカレッジの人間だけでなく街に住む人々、そして観光で訪れた者にも楽しむ機会があるのです(たいてい、入場料を払わなければなりませんが)。僕は学長(カレッジ長というべきかもしれませんが、呼び方はさまざまでマンスフィールドではプリンシシパルと呼ばれていました。このことからも各カレッジの独立性がわかります)の紹介状と各カレッジからの招待状を持って回りましたが 、どこでもとても親切に招き入れてくれました。ただ、一度それを忘れて出かけた時は、ポーターズ・ロッジでいくら説明しても入れてもらえなかった(なんといっても、イギリスは手紙の国なのですね)。


ウスター・カレッジ

自然を感じながら学ぶか人工的な環境の中だけで勉強するのかということは、少なからず違いがありそうで、学生にもおおきな影響を与えるのに相違ない。たぶん、機械仕掛けで便利なだけでは得られないものがある。自然の中で暮らすことでだけでしか気づくことができないことがたくさんあるように思うのです。

われわれは近代化によって得たことも大きかったのと同時に、食住分離、都市への過度の集中による肥大化と地方の過疎化等々、効率や利便性のためにさまざまな場面で役割分担を進めたことで失ったものはとてつもなく大きいということにようやく気づき始めたとも思いますが、さてこれらを取り戻すことができるものかどうか…。

また、いっぽうでは、均質であったり、同質であることを求めて、多様性を認めない社会や関係の中で暮らすことを強いることが進行しているようにも見えるのです(さらに悪いことには、これに苛立って自分自身がだんだん非寛容になっていることに気づくのでした)。

こうしたことに対する有効な手段は、(その時は「世界の不幸な出来事はたいてい高等教育を受けたリーダーたちによってもたらされている」ことについて話をしていたのでしたが)、「それでも、『教育』だと思う」とかのドクタ・スクマーは花の咲き誇る5月のフェロー専用の庭で断言したのだけれどね。2012.02.16





#028 正月の家の外と内

清められた空間

リセットの効用

新年おめでとう。

久しぶりに帰省して町(といっても、すぐ近くに山々の稜線が目に入り、ちょっと行けば小さな川や畑にぶつかるような田舎だけれど)を歩いていると、いつもとは少し違って見えます。どこも掃き清められているようで、澄み切った空気の中で光があふれて清々しく、爽快です。


さっぱりした川 

夏には草が生い茂っていた川辺も、きれいに刈り取られさっぱりとしていました。おまけに、夜明け前に雨が降った朝は、いっそう美しい。ただ、さすがに川の中までは手が回らないようで、時々ビニル袋などが浮いているのが残念(よく見ると、川縁のあちらこちらにも・・・、田舎でさえもです)。

何もかも様変わりした現代でさえも年末年始はこうなのだから、毎朝洗い立てのようだったという江戸の町はどれほど美しかったのだろうね。

年末には、当然のことだけれど、あちらこちらで新年を迎える準備をしている人々を見かけました。 ま、このことだけでも正月はいいものだと思います(それにしても、最近の街の汚れ方は都市部も田舎の街も目を覆うばかり)。横浜や東京の年末年始も同様に清潔さを取り戻していたのでしょうか。


正月の生け花

清々しさを取り戻すのは街だけでなく、家の中もそうです。ふだんよりもちょっとだけ丁寧に磨き立てられ、鏡餅やいくぶん豪華になった花で飾られた空間は、新しい年を迎えるのにいかにもふさわしい。怠け者の僕でさえも背筋がピンと伸びて、気分が改まります。やっぱり、空間の気持ちよさは片付いていることから、です。

とするなら、これは身体の外だけではなく、内側にも当てはまるに違いない。あちらこちらに散らかって、もつれあった感情をほどいてすっきりと片付けて、新鮮な気持ちで新しい年を迎えようと誓った次第でした。

ところで、家の中の準備がある程度整うと(ま、僕が役に立つことはあんまりありません)何もすることがなく、持ってきた本もこちらで補充した本もあっというまに読んでしまいます。読み尽くしてしまうと、以前に規制した際に読んだ本を引っ張りだすことになるわけですが、これがちっとも痛痒を感じないのです。つまり、すっかり忘れているってこと。

それでも、読み進むにつれて少しずつ思い出すこともある(今まで読んでいたのは、少なくとも3回目ということに気づいた)。いくらリフレッシュといっても、頭の中がすっかり空っぽになっては、ちょっと困のだけれど。

せいぜいがんばって、気分を変えて、よい年にしよう。2012.01.11





#027 現場の力

想像力が交錯する場所

平凡な場所が特別なものに変わる時

唐突だけれど、1枚目の写真を見た人は「えっ、これがナイス・スペース?」と思ったに違いない。ベージュの床と白い壁があるだけの部屋は天井が高いもののがらんとしていて殺風景、おまけに中央には太い柱があって邪魔じゃないのと言われてもしかたがなさそうです。というのも、今回は物理的な空間ではなく、ここで展開された作業風景が主役なのです。

シルキークリスマス会場 
先にお知らせした通り、ゼミの3年生たちがシルク博物館で開催中のシルキークリスマスの会場のディスプレイおよびシルク会館入り口周りのスプレーアートの企画と制作に参加しました。

何しろ話があってからほぼ一月半ほどしかなかったことに加えて、条件も未だ明確ではないまま始めなければならなかったために、何ができて何ができないものか手探り状態の中での作業となりました。さらに、経済的な条件や他の展示物の制約(少しずつわかってきた)もあって、必ずしも彼らが思い描いた通りのものができたわけではありません。また、途中で状況が変わったりしたこともあって、教室での演習とは違って学生たちはおおいに戸惑ったことと思います。

しかし、彼らのがんばりはなかなかたいしたものだった。搬入・設置の期日が近づくにつれ、焦りながらも作業に熱が入り始め、「できることを」と思い定めて、休日返上で9時、10時まで作業が続きました。そのときは皆が集中して、時折りおしゃべりが挟まれるもののすぐにまた黙々と作業に取り組むことになり、その様子はなかなかすばらしいものだった(見ている方もつい笑みが漏れるのでした)。

また、途中では、学生の思わぬ側面を知ることもありました。スカーフを使ったステンドグラスをつくる際には、裏から当てるLED光源を探すことになり、のんびりしていておちゃらけてばかりいると思っていた学生が、すぐに心当たりの店のいくつかに電話をかけて在庫の有無や価格、納入期日等を確認してくれました。悩むよりも行動するという姿勢が頼もしかった(結局、彼は秋葉原まで出かけることになったけれど)。

また、アルバイトの都合で参加できる人数が少なくて作業が遅れそうになったときには、これまた普段はやる気のないそぶりを見せることが多かった学生が、自ら助っ人を集めて作業を進めたのでした。


シルキークリスマス設営風景
こうした姿勢は会場での設置作業のときにも引き継がれます。現場では計画とは異なる場面がたびたび出来しますが、そうした場合でも、彼らは知恵を出し合い、てきぱきと迅速に対応してなんとか収めてしまいました。たとえば、入り口周辺のスプレーアートでは型紙が役に立たなくなった時は別のものを流用したり、即席でにわかストリートアーティストに変身したりして、無事に乗り切った。

また、現場での高いところの作業は危険を伴うために、博物館出入りの業者の手を借りることになるのですが、年配の職人の皆さんはほかにもやることがあって忙しいのでそんなに長い間束縛するわけにはいきません。いきおい、短い時間で判断し指示をしなければならないのですが、これにも臆することなく対応したばかりか彼らのやる気さえ引き出してみせました。

彼らのこうした様子をみていると、現場の持つ教育力の大きさと学生の潜在能力を改めて思い知ると同時に、ともすれば気力を失わせてしまう日常のつまらない雑事を忘れることができたのでした。2011.12.13





#026 イベント 2

歴史をつなぐ場としてのカレッジ

クリスマス・キャロルとチャペル

ぼくがいた1年の間、知っているだけでも、マンスフィールド・カレッジではさまざまなイベントが行われました。いくつかの少人数でのディナー・パーティ。クリスマス・キャロル。クリスマス・パーティ、新しい建物の開館式。ホームカミングデイ等々。最初のものは措くとして、その他のものには、在学生も多数参加します。

こうした在学生や卒業生、そして教職員がともに参加するイベントを通じて、共同体の一員としての意識や誇りが育まれるのではないかという気がします。それが故の責任感を生むのにも貢献したのに違いない(今さら願ったとしても叶わないことはわかっていても、つい、若い時に体験することができたならどんなによかったのだろうと思う時があるのです)。

もちろん、本学でもやっていることだけれど、その機会や規模は残念ながらとても比較にならないないようです。

たとえば、クリスマス・キャロルのイベントでは、学生たちによるチャペルでの朗読や演奏、合唱等があり、照明や参加する人々の態度によって生み出された厳粛な雰囲気と相まって、みながひとつの時間・空間を共有していることがことさら実感されたのでした。そして、これは一般の人々も参加することができるというイベントでもありました。


マンスフィールド・カレッジのチャペル内部
マンスフィールド・カレッジのチャペルは18世紀後半にたてられたにもかかわらずゴシック様式によっているけれど、内装のつくりははるかに簡素で素朴な木の質感が生かされた、重厚というよりも親しみやすいものです。しかし、静謐さはみじんも失われていません。そのせいか、一番好きな場所としてあげる人も多かった(以前、アンケートを実施したのですが、一番多かったのはここでも取り上げた図書館でした)。

うらやましいことに、たいていのカレッジにはこの二つともが重要でしかもそれぞれに魅力的な場所としてあるようでした(ただ、ヤコブセン設計のセント・キャサリン・カレッジにはチャペルがなかったのはどういうわけだろう。そう言えば、伝統的な形式の中庭もありませんね。すべてが新しいカレッジのあり方を求めたということなのかしらん)。


ユニバーシティ・カレッジのチャペル内部
大学やカレッジに対する愛着心や先輩・後輩のつながりの強さにも大きく影響しそうです。過度の愛着心や共同体意識は良い結果をもたらさないばかりか逆に悪い結果を招くことは明らかですが(例えば、そこに含まれない他者を排除するなど)、いっぽう愛着のないところでは学ぶ意欲が減じたり、先輩から受け継ぐものも少なくなるに違いない。これでは成長は望みにくいでしょう。さらには、自分の利益だけに関心を持つということにもなりかねません。

建物の古さや歴史性だけによらずに、そうしたつながりが生まれれば素敵だと思います。 われわれの場所の中にも、そうしたものを見つけることができたらと思うのです(前回も書いたように、歴史的環境はもう望むべくもないのですから)。もし、それがあるとしたら、物理的空間よりもやっぱり学生諸君の中にあるのに違いない。期待するばかりだけれど、しっかりやってくださいね。2011.12.04(06. 一部修正)





#025 シンボル

歴史と出会う場所

歴史的環境の存在について

オックスフォードの街には歴史的な建物がたくさんあります。「尖塔の街」と言われるように、古い建物で満たされているといってよいくらいです。カレッジの多くはゴシック様式で建てられ、壁面は蜂蜜色をしたコッツウォルズ特産のライムストーンで覆われています(イギリスはゴシック好みで知られますが、オックスフォードはとりわけこの様式を採用することが多かったようで、古くは13世紀のものから18世紀後半のものに至るまで、ふつうに見ることができます)。


ラドクリフ・カメラ(オール・ソウルズ・カレッジ中庭から見る
その他にもネオクラシズムの嚆矢とされるクリストファ・レンの手になるシェルドニアン・シアターをはじめとして、ラドクリフ・カメラやボドリアン図書館、アッシュモリアン博物館等大学のシンボルと言えそうな存在の付属建築があるのはもちろんですが、11世紀初期のセント・ミカエル教会の付属塔や14世紀の木造ハーフ・ティンバーの建物等大学以外の建物にも古いものがたくさん残っており、しかも今も使われているのです。


セント・ミカエル教会の付属塔と旧ニュー・イン
ということは、街を歩けば中世と出会うということに他なりません。つまり、中世と現代を行き来するというのが日常というわけです。中世と出会えばその時代と現代までの人の営みに思いを馳せずにはいられないでしょうし、未来との関係に対しても考えをめぐらせることになるだろうと思います。そして、このことは歴史(あるいは自身の存在)に対する認識のしかたに影響を及ぼさずにはおかないはずだし、その影響を避けて暮らすことはむづかしいに違いありません。

そうだとすれば、自分だけの利益を追求するということはもはやできなくなるはずです。過去から受け取ったものの意味や未来へ引き継ぐべきものについての責任を自覚しないわけにはいかないでしょう。すなわち、自分が学んだり、生活しているのは何のためか。自身のためだけを考えてのものであってはならないと気づかざるを得ません。歴史を学ぶということの意味は、過去についての知識をたくさん持っているということよりもむしろそうしたところにあると考えるのです。

いっぽう、以前にも書いたように、歴史的環境の中で暮らしたり学んだりすることの効用についていくら述べ立てても、現在の我が国ではかなわないことです(残念ながら、古い建物はほとんど日常生活の中には残っていません。このことについては、漱石の「未練なき国民」という言葉を思い出し、欧米の国々に対する羨望を禁じ得ません)。

だからといって、学ぶ場所の建築環境のありようについて言うのは無意味だということにはなりません。建築環境の持つ力を認めて、できるだけこれを生かすように整えて行く。このことは、これからでもできることです。

中世の優れた建物の豪華さや重厚さとは違った、そして現在目にするような安直で安上がりなものとも一線を画した(その精神において遠く離れた)、そこで学ぶよろこびや暮らす楽しさを感じることのできるような環境をつくりだすことを考えなければならないと思います。もちろん、これは経済とも関連するので、簡単にはいきませんが、これからの暮らし方を考える際に忘れてはならないことのはずです。持続可能な社会という時に、数字だけの効率や見かけ上の省エネ、節約よりもはるかに重要だという思うのです。2011.11.25





#024 イベント

社会貢献の場所としてのカレッジ

小銭がつくる輪

次々にいろいろなことが起こって、気分が晴れることがありませんね。そんな時、ふと思い出したことがりました。

何をしていたのだったか忘れたけれど、今日はイベントをやっているから見に行こうとワダム・カレッジのドクター・スクマーに誘われた時のこと。出かけてみると、中庭の芝生の側溝を小銭がぐるりと取り囲んでいたのでした(そういえば、このことについては、オックスフォード通信でも触れたことがあります)。

ワダム・カレッジ中庭の小銭の輪
そのイベントはカレッジの学生が持っていた小銭を寄付して、社会に貢献しようというのものでした。詳しいいきさつは聞きそびれましたが、たぶん、それは階級社会の中でオックスフォードに通うエリートであることを意識した学生たちの(誰からか聞いたことのある)「ノブレス・オブリージュ」のささやかな表現のひとつだったのかもしれません。同様のことを他のカレッジでもやっているとは聞いたことがないということでした。

オックスフォード大学の学生会が発行するハンドブック(The Oxford Handbook 2005。宿舎においてあったもの)によれば、もともとワダム・カレッジは、社会に対する関心の高い学生が多いことで知られているようです。そして、手元にあった2008年版を見ると、政治に関しては行動的で、左寄り、公立学校的であってジェンダー的公平性については自覚的であるとありました。元南アフリカ大統領のネルソン・マンデラが投獄されていた時には、学生たちは彼が釈放されたら彼らに人気のパーティ「クイア・バップ」(これも風変わりなものとして、知れ渡っていたようです)をやめると宣言していました。結局は釈放後もやめないで続いているようですけれど。ところで、クイアというのはおかしなという意味ですが、ゲイの隠語でもあります。そして、バップはこの場合はダンスパーティのことでしょうか。

ま、偽善的と言おうと思うなら言えなくもないかもしれません。また、形式的と言うこともできるという気がします(せいぜい600人程度の小銭です)。しかし、あんまり批判的な気持ちにはならないのです。大義を声高に述べ立てたり、自己の利益のみを追求するよりも、ささやかでも自分ができることを実践し、続ける方がよほど好ましく思うのです。

ワダムでは、夏の夜には野外劇が開催され、一般の人々が楽しむことができます(ただではありませんが)。他のカレッジでも社会とつながり、これに貢献するためのさまざまなイベントがあります。クリスマス・イベントはたいていのカレッジでやっているようだし、音楽会も開かれている。セント・ジョン・カレッジではフリーコンサートをやっていました(しかもワイン付き!さすがに最もリッチなカレッジと言われるだけのことはありますね)。 それ以外にもたくさんのイベントがやられています(もちろん、われわれの大学でもいくつかやっています)。

大学は外の社会から切り離された狭い世界ですが、たとえば上で紹介したように、教育や研究だけでなく社会に連なって、その一員として貢献するための方法があるはずです。これが実現されるならば、キャンパスはナイス・スペースを一つ付け加えることになる。

実は先日、音楽評論家の吉田秀和が「 三・一一が起こってから、音楽をじっくりきいているのが、とてもむづかしくなった」と書いていたのを読んだのでした(「之を楽しむ者に如かず」レコード芸術11月号)。同じような気分でいたので、ちょっと驚きました(僕の場合は、3.11だけのせいではないけれど。だいたい、僕は大きな世界のことよりも小さくて身近な社会の方が気になるたちです)。

そして、彼は熱心な編集者から言われて、「 私の書くものを楽しみにしておられる読者の皆さんが待っておられるのだと思うと、一層気が気でなくなるのだが、心は重く、筆は進まない」と書き、 さらに、「この国は重く深く大きな傷を抱えている。 この国は病んでいる。それは時がたてば治るだろうと、簡単にはいえないような性質のもののように、私には、思える」と続けるのです。

僕はとくに後半の思いを共有するものです(これも国の状況というだけでないし、 僕にはそうした読者を想定しようもありませんが、かの先輩に励まされたのでした)。人が他者へ与えるかもしれない影響に頓着ことなく自身のことだけを考えて行動することができるということを目の当たりにすると、急速に気力が失われていくのでしょうね。彼の気分を重くしたことは、日本だけでなく、地球という大きな世界からもっと身近で小さな社会に至るまで、あらゆる場所で起こっているのではないかと思いうのです。

地球が物理的に壊れるよりも、世界が人為的に、精神的に瓦解してしまうのではないかという気がしてしまいます。

でも、何かしていないとますます気が滅入りそうで(実はこのブログも、もともと、気晴らしと言うこともあって始めた)、なんとか再開しようと思ったのですが、なかなかうまくいきませんね。


人間環境学部中庭
ところで、吉田は、ダニール・ トリュフォノフというロシアの若いピアニストの弾くショパンを集めたCDを引いて、それが「まるで小鳥が枝から枝に飛び移りながら、心の赴くままに転がっているようなタッチで、何の屈託もなく鳴らされる」ことに驚いて、「私は『あっ、こういうことをして歌い、楽しんでいる青年もいるのだ、このうっかりすると全面的崩壊に至るかもしれない世界の淵に生きていて・・・・・・』と思った」と言い、さらに、「世界は一つではない。壊れかけている世界があるからといって、どこかにはまだ光の中で戯れている何かが残されているのだ。この音楽は、そこからきたメッセージなのだ」と書きました。

これと同じことが起こる場所が、とりわけ学生諸君がトリュフォノフと同じような経験をさせてくれるような場所として大学があってほしいと願います。そして、それが実現された時こそが大学がナイス・スペースとなるのだと思うのです。2011.11.09





#023 ポーターズ・ロッジ

生活する場所としてのカレッジの要

共同体の意識をつくる場所

オックスフォードのカレッジと我が国の大学との大きく異なるもののひとつに、ポーターズ・ロッジの存在があります。ポーターというのは入り口で警固する人ということですから、一般的には守衛さんで、そしてポーターズ・ロッッジは守衛所ということになります。しかし、そのありようと果たしている役割は、われわれが知っているそれをはるかに超えているようなのです。

マンスフィールド・カレッジのポーターズ・ロッジ
ポーターズ・ロッジで来訪者を取り次いだり、鍵の管理をしたりというところまではまあ同じです。しかし、彼らはそれだけにとどまらず、ホール(食堂)での食事の予約を受け付けたり(カレッジの食堂では受付けた分の料理しかつくりません)、そのほかに学生の相談に乗ったりもするようなのです。

セント・ヒルダ・カレッジ(余談ですが、オックスフォードでただひとつの女子大)から夏期研修を手伝うためにやって来ていた女子学生に連れられてセント・ヒルダ を見に行く途中で、すれ違ったおじさんにずいぶん親しげに挨拶をするので訝しがっていたら、彼はセント・ヒルダのポーターということでした。そして、ポーターは学生にとって家族みたいな存在で、(彼女の場合)ボーイフレンドのことまで知っていて、自分の本当の家族よりも自分のことをよくわかってくれていると言っていました(ね、われわれのところの守衛さんがフレンドリーといっても、こんなことはないでしょう)。

というのにはもうひとつ理由があって、ポーターズ・ロッジにはすべての教職員と学生のためのメール・ボックス(ピジョン・ホールと呼ぶ人もいましたね)が備えられています。すなわち、ここを訪ねることから大学での一日の生活が始まるといってよい。学生は何回もここに出入りしたり、連絡を受けたりするので、自ずとポーターの人たちと親しくなるのです。いわば、小さな社交の場となっているわけですね(だから、プライバシーに立ち入るような話しをする場面も生まれてもおかしくありません)。


ポーターズ・ロッジの内部
マンスフィールド・カレッジのポーターズ・ロッジはちょっと小さくて手狭でしたが、カレッジによってはかなり広いものもありました(残念ながら写真は撮っていないけれど。ついでに言えば、オクスフォードを舞台にしたテレビドラマ「モース警部」やそこから派生した「ルイス」ではたいていカレッジで事件が起こるのですが、これを見ているとやっぱり同じような感じです。でも、よくロケを認めるものだと思います。不思議だなあ)。

そして、なにより僕が訪ねたどのカレッジのポーターも気さくで、魅力的な人たちでした(ま、中には杓子定規な人もいましたが)。カレッジのホームページを見ると、スタッフのところにヘッド・ポーターの名前が載っています。僕がずいぶんお世話になったマイクさんは、ちょと気むづかしいという評判だけれども存在感と責任感のあるポーターでした。ちなみに、現在のマンスフィールドのヘッド・ポーターは元ドラマーで、クラプトンと共演したこともあるということです。

オックスフォードではずっと学寮制をとっているせいで、ひとつのカレッジの構成員数も小さいために、お互いに顔も名前も覚えやすいこともこうしたあり方を助けているのだと思います。 しかし、同時に、ある分野に特化することがなくいろいろな専門の教員や学生がいることが面白いね。

学生や教職員がすれ違えば挨拶や言葉を交わすのは当然だし、食事をともにする機会も多ければ共同体としての自覚や仲間意識も強くなるのは当たり前のことです。このことはほぼ同質でしかもエリートと目される集団で起こっていることですから、いいことばかりではなく、たとえば、彼の国の特徴である階級社会の維持に大きく貢献しているだろうということは、容易に想像がつきます。

ところで、60年にわたって戦後の日本の社会を研究する英国の政治経済学者のロナルド・ドーア(ちょっと、マイクさんを彷彿させました)は、この20年ほどの間に日本は急激に変化し、まるで階級社会をつくりたいかのようだと言っています(2010年10月NHK「100年インタビュー」)。かつての日本は比較的格差の少ない社会(「持ちつ持たれつ」、「向こう3軒両隣り」というようにお互いに助け合いながら暮らすという意識があった)をつくることができていたのに、今ではそれを捨てて欧米のそれに近づきたがっているように見えるというのです。すなわち、 いわば仁(簡単に言えば、「思いやり」のことですね。こないだ、ちょっと直江兼続のDVDを見たのです)を放棄して、社会のありようにおいては英国の階級社会、経済についてはアメリカ式の経営陣と株主の優先をめざしているというわけですね。

その結果どうなったかと言えば、たとえば、失業率は1990年の2%から2009年には5%となり、非正規労働者の割合は20%から34%に増えています。いっぽう給与についてみれば、1986年から89年の5年間の間に役員報酬(賞与が含まれる)は21%、授業員では14%、株主配当は6%増だったのに対し、2001年から04年の5年間の間では役員報酬はなんと59%、授業員ではマイナス5%、株主配当に至っては70%増というのです(うーむ)。

またつい先日は、若いフランスの舞台演出家が、急速に、多様性を欠き、非寛容に傾きつつある世界に異議を唱えるべく新しい劇を創作したという新聞記事を読みました。いったい社会の指導者たち(大小さまざまな場面における)の多くはそれらのことを気に留めようとしているのだろうかといささか不安になります(おっと、話しが横道にそれましたね)。

ま、オックスフォードのカレッジのありようがいいことばかりではないけれど、それでも小さくてしかも多様な人々が集まって共同体のように生活しながら学ぶための空間やシステムが備わった環境は、そこの学生たちの責任感と勉学心にはよい影響を与えているのは間違いなさそうだとも思うのです。また、皆がひとつの大きな家族のように接しながら暮らすことができるならば、お互いに協力するのも簡単だろうと思います。同様のシステムを持たないわれわれは、別の工夫をしなくてはなりませんが、その事のもたらす美点については学べそうです。2011.09.11





#022 ゲート

街とカレッジとの境界

街から切り離された場所としてのカレッジ

オックスフォードのカレッジの多くは石造りの強固な建物で通りと内部を隔てるつくりになっていて、そこには門があって重厚な木製の扉が設けられています。この扉や門に併設してポーターズ・ロッジがあり、出入りを制御しています。また、学生たちはこれより小振りで軽い扉を通ることも少なからずあるようでした(彼らはそれぞれ鍵を持っているし、あるいは暗唱番号を知っています)。

ベイリオル・カレッジのゲート
カレッジは街の世界から切り離されて、独立したひとつの場所となっているというわけです。これはカレッジの多くがもともとが修道院であったり、学寮(寝食を共にしながら、教え学ぶという形態)としてつくられたために、外に対して閉じた作り方になったのかもしれません。そして、もうひとつ、タウン対ガウンの戦いあった(すなわち、街対カレッジ、市民対学生の対立ですね。”THE DODO GUIDE TO OXFORD”という小冊子によれば、どうやらこれが直接的な要因らしい)。

ともあれ、外の世界の喧噪から離れて、学問に励み、思索を深めるにはまことに適した構成といってよいと思います。そして、そのことこそが各カレッジ毎に濃密な共同体をつくり出し、それぞれの独立性と異なった性格を生むのにも貢献したのに違いない。


マンスフィールド・カレッジのゲート
そんな中で、僕がしばらく過ごしたマンスフィールド・カレッジの作り方はそれらとはちょっと違っていて、通りと中庭を隔てるものは横長の鉄製の門扉だけです。しかも、通常は開いている( ま、1年間ぼんやりと暮らしただけなのですが 、もしかして、僕がぼーっと暮らしていたのは、このせいかしらん)。すなわち、通りから中庭は丸見えということになるわけですが、これは19世紀後半に新しく建物を付け加えるに当たって、設計者であるバジル・チャンプニズ(Basil Champneys)の意図が強く働いたようなのです。といっても、やっぱりオックスフォードはゴシック好みですから、シンプルなテューダー・ゴシック様式です。ポーターズ・ロッジもこの扉を抜けた先にあって、部外者の侵入を拒絶しようというような気配がありません。スタッフも、これを誇りに思っているようでした(彼らの一人にこのことを訊くと、「それはね、…」と嬉しそうに、じゃあ説明するけれど…という感じで教えてくれました)。

これは、他の伝統的なカレッジに遅れて建てることとになった設計者が何か新規軸を打ち出したいと思ったためなのかもしれません。その結果、極めて特異なスタイルのカレッジとなり、伝統的なカレッジの四周を建物に囲まれて閉鎖的な空間とはまた別の魅力があります。そして、これはそこで学ぶ学生の気風にも影響して、彼らはフレンドリーなことで知られているのです。 付け加えるならば、20世紀になって新しいカレッジ —セント・キャサリーン・カレッジ— の建物を設計することになったアルネ・ヤコブセンは建物に囲まれて閉じた中庭をつくらないスタイルを選択しました。こちらは、モダン建築そのもので開放的なつくりなのですが、広々として素敵でした(このことは、オックスフォード通信にも書いたことがあります)。

大学は学ぶための場所なのだから、そのための機能が整備されてさえいれば良い環境になりそうなものです(実際、こうした考え方をする人が少なからずいます)が、必ずしもそうとばかりは言えないような気がします。学ぶものとて人間ですし感情を持っていますから、建築や庭の環境から人的環境に至るまで、これに影響を受けないわけにはいきません。たとえば、歴史的環境は、望んで手に入るものではありませんが、そこで過ごすものの歴史観に働きかけないわけにはいかないはずです。そして、好きな環境で学ぶ方が嫌いな環境で勉強するよりも意欲が増したり、開放的な環境で生活するのと閉じた中で暮らすのとでは自身のコミュニティだけでなく他のそれに対する関心が異なったりするというのは、ごく自然な成り行きだと思うのです。

なかなか理想通りにはいかないけれど、われわれも今ある環境を良くしていくことを求めるだけでなく、好きな場所を積極的に発見するよう努力したり、あるいは自らつくりだすよう工夫することが大事だと思います。2011.09.01





#021 川と山のある風景

水と緑の空間

水と緑の風景のもたらすもの

田舎に帰省しても、現在の状況の重苦しさはさほど変わりません。しかし、それでも野の花や草を摘んだり、山や川を眺めていると自然の風景のはいいものだとつくづく思います。気分が和らいで、少しだけおおらかになるような気がするのです。

ま、歩けば(田舎ですから歩かないではいられません。歩くことなしで過ごすことはできないという意味です。車もないのです)、買い物ひとつにしてもけっこうな距離なので、ちょっと面倒と思わないわけではないのですが、それでも途中で見る川の景色や山の稜線は見ていて飽きることがありません(僕は、どちらかといえば、たぶん田舎暮らしよりは都会で暮らす方を選ぶ方です)。



川の水は今のところまだ透明でまあきれいですし、川面に映る空や雲も素敵です。欲を言えば、ほったらかしになっている草をもう少し刈り込んでくれればいいのですが、役所はこういうところには手をかけないようです。こんなところにこそ気を配ってほしい、と声を大にして言いたいね。地域の多くの人が目にするわけですから、そのもたらす効果は大きいはずです。彼らが素敵だと感じたならば、これを維持しようと思うでしょうし、愛着がわいてもっと美しくしようとなるはずです。なんといっても、自分の住んでいるところが素晴らしいと思えなければ、何もはじまりません。


裏山
裏山をちょっと歩けば(観光用の散歩コースとして、セメントで舗装されているのがちょっと残念。なぜ土のままにしておかないのかと思います。ま、雨も多いせいかもしれません)、さまざまな野生の植物の葉や花(露草や紫蘭、朝顔、芙蓉—これは、なぜか一度切られてまだ花をつけませんが、この生命力には驚かされないではいられません—等が自生しています)を見ることができて、ちょっとだけ摘んで持ち帰り、花瓶に挿すとととたんに空間が生き生きし始めるのです。

それにしても、田舎でも山や川はコンクリートで固められて、人の手が入りすぎているように思います(いっぽうで、川べりの緑は育ち放題だし、山林では間伐もされないままというのが多いというのですが…)。

ところで、このところの自然の猛威は尋常ではありませんね。先の大地震、巨大津波、そして最近の集中豪雨。人のつくった街をすべて飲み込もうとしているかのようです(さて、人の営みはどうでしょうか…)。2011.08.24





#020 旅する空間

くつろぎながら移動したい

列車の中の小さな居間

ぼくがヨーロッパの乗り物でうらやましいと思うものが、もう一つあります。それは、列車の座席のつくられ方。ゆったりとつくられているということもありますが(ま、彼らの方がわれわれに比して体が大きいということもあるわけですが、さてそれだけのせいかどうか)、とりわけ惹かれるのは、向かい合った二人がけのシートの真ん中にテーブルが作り付けられたタイプのものなのです(残念ながら、あんまりいい写真がありません。やっぱり、撮りにくいのです)。


テーブルを挟んだ座席(ドイツの列車)
もちろん、これはすべての座席がそうなっているというわけではないのですが、そこが空いているとついそこに座りたくなります。だって、読み止しの本を置くにしてもお弁当を広げるにしても、この方が広々として気持ちがいい(まして、ワインでも飲もうとするならばなおさらです)。これがわが国の新幹線のように前の座席の背もたれにくっついている小さなテーブルだと、なんだか気持ちまでちまちまして楽しい旅の気分も縮んでしまいそうです。

ま、一人旅のときは使いづらいのも確かです(よほど空いていないと座りにくい)。そして、これが1両のうちの比較的大きい部分ではなくごく一部にすぎないのは、結局のところわが国のそれとはたいして違わないという見方もできそうです。しかし、一つでもあるのと全くないのとでは考え方が根本的に違っていると言うこともできると思うのです。


荷物置き場(ドイツの列車)
彼らの国では、たぶん移動距離が長いせいもあって、コンパートメントタイプの座席も用意されているくらいだから、不思議でもなんでもないような気がします(旅行者のためのトランクを置く棚や自転車のためのスペースもごくふつうにあるしね)。

いっぽう、わが国においてはかつて、自動車が高級化するにつれて居間化すると言われていたことがありました。彼の国では列車がそうなのかしらん。

もう少し考えてみるならば、わが国では車が手狭な家の代わりとなり(そういえば、映画「家族ゲーム」では、夫婦が二人だけの込み入った話しをするのに車を使っていましたね)、列車は高速で移動する手段であるということでしょうか。住宅と道路の貧しさを未だに引きずっているのかもしれません。もっと言えば、個人と集団の関係にも話しは及びそうです。

これに対して、ヨーロッパでは逆に車が高速で移動する手段で(これに運転する楽しみが加えてよいかもしれません。高速道路が発達しているし、グランツーリスモ=GTというカテゴリーの車も多い)、列車は楽しみながら移動するためのごく小さなホテルか家、あるいはロビーのようなものだということでしょうか。

ここまで述べてきたことは思いついたことを書いただけなので、的を射ていないかもしれません。しかし、いずれにせよ、彼と我の間には大きな違いがありそうです。これを認めて、そこから何を学んで取り入れることができるかが(もちろん、願わくば相互にこういう関係があってほしいと思います)、われわれの暮らしのありように大きく影響するのは間違いと言ってよさそうです。

ともあれ、ゆったりと座りながら移動することができるしかけを備えた車両が増えるならば、移動することがもっと楽しくなリ、旅そのものも確実により素敵なものになるはず、と思うのです。

ところで、ぼくは紀行番組が好きなのですが、テレビを持っていないため、妹に頼んでDVDにして送ってもらっているのですが、いつもちょっと不満に思うのは、列車の窓越しの風景にしみが張り付いたままになることです。つまり、窓ガラスが汚れているのですが、撮影スタッフはなぜあらかじめ磨いておかないのか、あるいは気づいたら次の停車駅できれいにしないのかと思うのです(たぶん、さしてむづかしいことではなく、ほんのちょっとした気遣いがあれば解決しそうだと思うのだけれどね。ま、どういうわけだか、こうしたことが多いようなのです…)。

追記:若い皆さんは、今のうちにできるだけたくさん旅行をする方がよい。時間のある時に(あんまりお金はなくても)、さっさと出かけるのが一番と思います。よい体験を!2011.08.08



#019 街の表情をつくるもの

住宅の外壁の色

ファサードの作法について・2

皆さんは街で見かける建物の色、とくに鮮やかに着色された住宅についてはどんな印象を持っているのでしょうか。


ニューハウン(コペンハーゲン)
僕は、彩色され建物の街並といえば、まずコペンハーゲンのニューハウン(これは当たり前すぎるかしらん。知っている人が多いかもしれませんね)の風景を思い出します。黄色や青、そして小豆色等の鮮やかなパステルカラーの建物群が運河沿いに並んでいます。正直に言えば、僕はこの建物群はとても美しい、文字通り絵のようにきれいだと思うのです(写真は曇りの時に撮ったものなので、ちょっとくすんで見えるけれど)。

いつの頃からか、わが国でも建物に色(パステルカラーからビビッドカラーのものまで)をつけることが行われるようになってきました。

たとえば、70年代にはスーパーグラフィックがはやり、壁を鮮やかな色に塗られた建物が出現しました。ついで、80年代はポストモダン全盛となって、今度はパステルカラーが多用されるようになりました。このときまでは、少なくとも日本においてははっきりした色が住宅で用いられることは少なかったような気がします。それは、もちろん日本人が色に関心がなかったわけではなく(織物や焼き物等を見ればすぐにわかるように)、むしろ鮮やかな色から少しくすんだ色の微妙な変化にまで敏感でした。街並に色を持ち込まなかったのは、むしろこの感覚があってこそと言っていいと思います。せいぜい、色付きの屋根が目立つくらいでした(これでも、街並に与える影響は相当に大きいのですが)。このため、中には訴訟にまで発展した例が少なからずあることは、皆さんもご存知の通りです。

そして、今ではごくふつうの住宅でも彩色された外壁を持つものがけっこう目につくようになってきました(それもあんがい派手な色合いのものも含まれます)。その現れ方はさまざまで、一つだけ原色に塗られた住宅だけでなく、十数軒で構成される建て売り住宅地もあります(こちらは、少し落ち着いた色が用いられることが多いようです)。家の近所でも、ごく簡単に見つけることができます。

こうしたことの背景には、個性的な住宅でありたい、私の家であることを主張したい、周囲の家と差別化したいというような気持ちがあることは容易に想像がつきます(たぶん、売る側にもこれを助長しようとする気分があることも)。そして、以前にも書いたように、ようやく手に入れた住宅が他と同じでは困るという気持ちは理解できるのです。

しかし、これらを好ましいと思うかといえば、全くそうではありません。たぶん、これは使われている色がきれいかそうでないかということではないと思うのです(もちろん、どぎつい原色や蛍光色も多いのですが)。何より、周囲と調和しているかどうかが最も大事なことだというのは言うまでもないことです。

一時、こんなふうに思う自分は、もしかしたらヨーロッパコンプレックスなのではないか、公平に見てないのではないだろうかと疑ったこともありました。でも、やっぱりそれとも違うような気がするのです。

ところで、もともとヨーロッパの港町には着色された建物がふつうに見られますが、これは航海から戻った漁師や船員がふるさとに近づいた時にすぐ自分の家を見つけられるようにするための工夫だったということのようなのです。ニューハウンの建物も運河沿いにあります。


色鮮やかな街並み(コペンハーゲン
しかし、外国で見る色鮮やかな街並が好ましいのは、ただ出自が正しいということだけではなさそうです。たとえば、ニューハウンの建物の形態(ほぼ似ています)や隣り合う色の関係(調和しています)、そしてこれらを取り巻く雰囲気(賑やかさが満ちています)等々が相まって、見るものに美しい、楽しいと感じさせているのだという気がします。これに対して、わが国のそれはことごとくこれらの条件を欠いていると思うのです。

したがって、わが国で同じような色を用いても同様な効果を得るのはもともと無理があったというわけです。われわれの場所にはそこにふさわしい色があるはずです。これを上手に使うことができるかどうかが、見るものに美しいと感じさせるのか、不快な気にさせるのか、あるいは街並を素敵な景観とするのに役立つかどうかの分かれ目だと思います。

だからこそ、学生の皆さんには、自分の利益を優先するという考え方から離れて判断するようになってほしいと願うのです。2011.08.02



#018 トラム

ゆっくりと移動するたのしさ

街を自由に使いこなすための道具

街での移動手段としてよく使うのは、徒歩のほかには地下鉄かバスですね。もしかしたら、電車もあるかもしれません。ところが、ヨーロッパでよく目にするのに、トラムがあります。路面電車です。

かつては、日本の都市でもよく見られたのに、いまではすっかり少なくなりました。とくに大都市で見られなくなったような気がします。今でも残っている都市は、札幌、東京のごく一部、京都、大阪、広島、長崎ほかがあります(そうそう、江の電もその仲間です)。

なぜそうなってしまったのか。


モダンなトラム(バルセロナ)
たぶん、みんな忙しくなりすぎて、できるだけ効率的に移動したいと思い、あるいはほかの交通手段(とくに自動車)の妨げになることを嫌ったためではないかという気がします。効率と利便性を最優先したということですね。しかし、トラムを使って移動することを経験し、その際の早さやドア・ツー・ドアの利便性以外の視点から見てみると、 われわれは大事なものを失ったと思い知らされるのです。

地下鉄は乗るまでがちょっと大変で、おまけに外の景色を見ることができません。バスは気軽に乗れて、外を見ることはできるけれど、やや慌ただしい。 いったい、 トラムはバスよりもゆっくり走ります。したがって、街をよく見ることになり、少しずつ変化する風景を楽しむことができるのです。街との距離が小さくなったような気がします。

歩くともっと近づくことができると言われるとそうかもしれません。ただ、この場合は近すぎて街全体の景色が見えにくくなることがあります。その点で、トラムは街と人を適度な距離に保ってくれる乗り物だと思うのです。そして、人にとってとても親しみやすい道具のようにも感じます。低床式のものだとよけいにその感じが強くなります。気になる景観に出会ったなら、次の停留所で降りて、歩きながらじっくりと眺めることも簡単です。おまけに、排気ガスも出しません。


ちょっとクラシカルなトラム(バーゼル
街を散歩するように(歩くよりもう少し早い速度で、もう少し遠くまで)街をたのしむことができそうです。そうなれば、交通機関はただの移動する手段ではなく街をたのしむための道具となり、街はただ利用するだけでなくより親しみやすい場所となって、もっと美しくなると思うのです(自分にとって愛着のあるところとなったならば、そこを汚してもいいとは思わないはずです)。そして、消費するために出かける街から暮らすように過ごす街へと変貌したならば素敵だと想像するのです。2011.07.18



#017 夏を感じる風景

木陰と青空がつくり出す景観

日陰のもたらすよろこび

いやぁ、暑くなりましたね。

急に暑くなった気がします。熱いと書きたくなったくらい。

今年は梅雨入りがずいぶん早かったけれど、その分明けるのも早かった。 おまけに、後半は空梅雨気味でした(水不足がちょっと心配)。

いよいよ、夏本番です。

あんまり暑いのは困るけれど(節電しなければなりません)、涼しい夏もなんだか気分が出ません。となると、嬉しいのは日陰です(それも木陰だったらもっと嬉しい)。 木陰に遮られたところから、木々の間に真っ青な空が見えたら最高です。さらに、一陣の風が吹き渡れば、何もいうことはありません。


緑のトンネル(人間環境学部中庭)
なかなかこんなところは見つからないと思っていたら、ありました。それもごく身近なところに。先日、夏祭りの神輿(縁あって、何人かの学生が助っ人として担ぐことになっていました)を撮ろうと思って出かけたら空振りで、仕方なく研究室に戻る途中で見つけました。中庭と1号館の間のタイル敷の通路が山桜の木々の枝葉に覆われて、見事な緑のトンネルをつくっていたのでした(ちょっと、オックスフォードのカレッジやコッツウォルズを思い出しました)。それにしてもこんなに身近なところにあったなんてね(学校に着くとすぐに建物に入ってしまうため、あんまり通らないのです。灯台下暗し…)。よくよく考えてみれば、身近なことほど気づきにくいものです。


青空(人間環境学部
そして、4号館の方を見やると、これまた見事な青空が見えたのです。

で、思い出してください。僕は何が好きだったのか(ここにも書きましたよ)。

そう、テントです。自然の木陰もいいけれど、テントがつくる日陰もいいなあ(なんといっても、ここは自然のなかではなく人工環境なのですから。木陰にばかり頼るわけにもいきません)。渡り廊下と3号館がぶつかるあたりのちょっと芝生の方に張り出して貼られたタイルのところにテントが張られていたらどんなに素敵かと夢想するのです(ずっとそこで過ごしたくなりそうです)。いわば、半外の部屋ができ上がるわけです。ついでに、3号館と4号館の前の通路もテントが掛かっていたらいいですね。2011.07.14



#016(番外編) 素敵な景観はやっぱり素敵だ

建前や理念から始めない

書くうちに気づいたこと

たまたま読んでくれた先輩の言葉に感ずるところがあって、このブログをなぜ始めようと思ったのかということについて書こうと思います。

初めは、単純に自分が素敵だと思った景観を知ってもらったら嬉しい、それが役に立つならなお嬉しいということでした(さして誇るべきものもない教師としての言い訳だったのかもしれません)。

しかし、彼の言葉を反芻するうちに、そんなにたくさん書いたわけではないのですが、それだけではないことに気づき始めたのでした(実は、周囲ではその間にも職場や授業のありようをめぐっていろいろな問題が生じました。したがって、考えなければならないこともあったわけです)。

それは、ちょっと大げさだという気がするのだけれど、何のために素敵だと思った場所や映画の中のインテリアを紹介しようするのかということ、ひいては学ぶということについてどう考えるのかということを確認する作業でもあるということでした(たとえば、教師としての僕自身の存在理由、学生諸君に何を伝えるのかということを明確にすること等々。あるいはまた、そのことを通じて時々の話題について考えることにもなりました)。

端的に言えば、「自分の『わがまま』から出発して具現化し、それを人々のために役立てる(社会化する)ことこそがデザイン」という意味のことを言ったデザイナー川崎和男の言葉を思い出し、大学においても、仕事を得るために専門的な知識や手法を学ぶ(教える)というよりも、まずは自分自身の関心から始めるべきということを改めて再確認したのでした(モリスや孔子の教えにも通じている気がします。そして、アップルのスティーブ・ジョブスの有名なスタンフォード大学でのメッセージも)。


A・アアルト自邸(©Favor)
社会化するためには、すなわち他者のために役立つためには、まず自身の関心に忠実であること、自分の目の前にあることから始めること、理念としての生活ではなく自分の日常生活を通じて考えようとする姿勢こそが肝心ということです。このところ多くの場面で、このことがあんがい忘れられているような気がしたのでした。

何かといえば専門教育、職業教育(これに、コンセプト、オリジナリティ、コミュニティを付け加えてもよい)ということが抽象的なままキーワードとして持ち出されることに少々うんざりしたのです。他方、「これをやって(就職の)役に立つのか」という問いが多いことにも。いずれの場合も、きわめて限られた、しかも見かけ上の直接的な有効性のみが求められているようなのでした。さて、それが本当に有効なのかどうか…。自分の「わがまま」を「わがまま」なだけにとどまらせることに対しても同様です。

当然のことながら、それぞれの(とくに生活に対する)個人的な思いがすぐに共有されるわけではありません。しかし、その人自身の思いから出発し、それを誰かと共有しようとしない限り、それは結局頭の中だけのことでとどまり、実行されることはないし、社会において有効に働くことはないのだろうと思うのです。そして、「自身の思い」という時、それはオリジナルでなければいけないということではありません。素敵だと思うならば、まずは取り入れればよい。それを重ねるにつれて、オリジナル性は自ずと生じて来るはずです。


is house(設計:横山敦士
たとえば、ここで取り上げる景観やインテリアが好ましいと思うならば、まずはそれを大事にし、体験しようとし、次いでそれがなぜ好ましいのかということに思いを馳せ、そのことに対する答えを探し、これを共有するという姿勢がなければ、専門教育も専門知識もテクニックも大して役には立たないだろうと思います。

カリキュラムをめぐる話しの中でも(教える側、教わる側にかかわらず)よく、建築か、インテリアデザインか、インテリアコーディネートか、はたまたランドスケープデザインかが問題とされます。あるいは、その目的はなにか、どんなコンセプトでやるかということも。

しかし、教育や学修が役に立つためにはまず「自分の思い」に対して忠実に向き合うことから始めることが重要で、カテゴライズはとりあえずのところはたいした問題ではないと思うのです。そして、アカデミックな知識についてもまったく同様だと考えるのです。

このブログを書くことを通じて、そんなことに思い至ったというわけです。

ただ、ここに取り上げた写真はいくつかの意味でこれまでとは異なっています。ひとつめは実際に体験したことのないものであること、ふたつめは2度目となる住宅です。おまけに、直接的には内容と関わらないのです。しかし、何より素敵な景観であることには違いありません。2011.07.12



#015 川のある風景

水のもたらすもの

水際の計画

巨大津波の災害の直後でいまだ復旧もままならない時ですが、今回は川べりの風景、水のもたらすよろこびについてです。

およそ30年ばかりも前からわが国でもウォーターフロントという言葉とともに、主として海岸沿いに建物を造る計画が行われるようになりました。

いっぽう、川はといえばほとんどが両岸をコンクリートで固められてしまいました。 安全性を優先したのか、あるいはまた経済活動を活性化しようという事情によるものなのか。今また、元に戻そうとする動きもあると聞きましたが、今度は経済的な負担が大きすぎるということのようなのです。ヨーロッパのそれとは大いに違います—ま、仕方がない面もあります。日本の川はヨーロッパのそれと違って遥かに急流なところが多いのです。

テムズ川(オックスフォード)
それにしても…、ねえ。コッツウォルズの人気のある村ボートン・オン・ザ・ウォーターのウィンドラッシュ川のようにはいかないまでも(こちらは水車小屋に水を引くためにつくられた人工の川で、水深もとても浅い)、たとえばオックスフォードで経験したテムズ川くらいに水と人が近いといいと思うのです。

わが国で似たような体験(ウィンドラッシュ川の方)ができるものとしては、たとえば京都の高瀬川沿いに建つ安藤忠雄の手になるタイムズがあります(建築家はこれを実現するのにずいぶん行政とやり合ったらしいです)。こういうことが実現できるのはいろいろな条件に恵まれないとむづかしいと思いますが、増えると街がたのしくなるはずです。


侍従川(ベスト・ビュー・ポイントからの眺め
われわれの学校の目の前を流れる侍従川も満潮時には道路と水面の距離が短くなって、5階にある研究室から眺めていると水を満々とたたえた様子が心を鎮めてくれるのです。そして、夕日が映り込むといっそう素晴らしくなります。車で走ると、水をずいぶん近くに感じることができます。ただ、無粋な金網のフェンスとコンクリートの岸壁が興をそぐのが残念。せめて、所々にある緑がフェンスやコンクリートを覆うようになればずいぶん違って見えると思うのです。2011.06.28



#014 住宅の外観

私と公の接点

ファサードの作法について

ここでは、できれば外国と日本のものを交互に扱いたいと思っていました。ところが、このところ外国のものが続いていたのは、自分が直に経験した場所や空間ということに加えて、皆さんにあんまり知られていないところを取り上げたいと思っていたためなのでした(すでに何度も紹介されているものならば、改めて書くまでもないものね)。

となると、あんがい少ないのです。そこで、 ちょっとおこがましいのですが、やむをえず自作の住宅を取り上げることにした次第です。したがって、今回は “Nice Spaces” というよりは僕自身の住宅の外観についての考え方を紹介するという方がよいのかもしれないというものになりました。

S&N邸南側外観
さて、多くの人の目に触れることになる外観は、誰しも個性を発揮したいと思うところですが(まして、ようやく手に入れたものならばなおさらです。楳図かずお邸の赤いストライプ騒動は記憶に新しいところです)。しかし、ここはぐっと我慢してできるだけ周囲になじませるのがよろしい。むろん、周囲がそれに値しない場合はこの限りではありませんが(また、演習課題の場合は住んでみたいと思わせるようなちょっとばかり大胆なくらいの斬新さを持ったアイデアがちょうど良さそうです)。さらにいえば、緑を植えて人の目を楽しませることができれば良いと思います(この家の場合は、まだ植えられていないけれど)。 かつて、調査・探検して歩いた非戦災長屋ではどの住戸の前にもおびただしい数の植木鉢が置かれていました。きびしい制約の中で自分の家らしくしようという工夫です。京都の町家のように、 個性は、外では小さな変化で、そして内部空間や人目につきにくい裏側の空間で発揮すればよいのです。


S&N邸ファサード
すなわち、正面の外観は奇をてらわず、その代わりにあかりを道路にこぼすのがよいと思います。そうすることで、道行く人に家庭のあたたかさを思い出させて家路を急がせるほかに、ほどよく明るく照らすことで安心感を与えます。

いずれも自分のためにしたことが、他の人の目にもよろこびを与えることになるというわけです。

ともあれ、人の目に触れやすい外観は地域のコモンセンスに従うのが一番と思うのです。2011.06.26



#013 カレッジの中庭

未来を託す思いがつくる環境

「教育の重要性に由来する美しさ」について

大学都市としてのオックスフォードはそれほど大きな街ではありません。たぶん、端にあるカレッジから最も遠いカレッジまで、40分ほども歩けば着いてしまうのではないかと思います(分館はこの限りではありません)。その中に広々とした公園(ユニバーシティ・パーク)があり、少し歩くと最初に取り上げたポート・メドウもあります(見つからなかった写真の在処がようやくわかりました)。そして、テムズ川など水と親しむ環境もそろっている。しかしそれだけではないのです。多くのカレッジは通りに面した建物はさほど大きいとは感じませんが、中に入ると中庭や背後には時として広大な庭を備えています。

すなわち、多くのカレッジの環境は歴史的建造物に加えて豊かな自然とで構成されているというわけです(おまけに、最も大きいカレッジでも学生数は学部生、大学院生合わせて600人を超える程度と少ないのです)。

マートン・カレッジの中庭
中庭は学生や教職員がすれ違って挨拶を交わすところであり、共同体の一員であることを自覚する場所であるだろうと思います(独特のカレッジ制度、学寮制度のことを考えるなら、当然といえば至極当然のことですが、帰属意識はとても強い)。たいていのカレッジの中庭の芝生が見事に手入れされていて、その周囲には木々や花々が配されていました。手入れもよく行き届いています。 このために、 天気のいい日等は、ここで学生たちがクロケットというわが国のゲートボールに似たゲームやおしゃべりに興じたり、寝そべったりしています。また、ベンチで話し込んだり、本を読んでいる姿もよく見かけました。

いっぽう、背後に控える広大な庭は、自然の中で一人の人間としての自分を見つめ直すのに役立っているのかもしれません。

いくつかのカレッジでガーデナー(庭の維持管理を担当する人たち。こういう人々がちゃんといるんですね)から話しを聞いたのですが、彼らは異口同音に、素晴らしい環境で働くことができるのは幸運だと言うのでした。その中の一人だった青年は、友人たちの多くは高い給料を求めて働きに出かけるけれど、自分は好きなことをこのように美しい場所でできてとても幸せだとも言いました(心から喜んでいるような笑顔でした)。

そして、これらはカレッジの人間だけでなく、街に住む人々にも美しい街に住む誇りと喜びを与えているのではないかと思うのです。もちろんすべての庭が、見ることができるようになっているわけではなく、教員専用やカレッジ長(ウォーデン、マスター、プリンシパル、プレジデント、ディーン等々呼び名はカレッジによっていくつかあるようです)専用のものがあったりして、彼の国が階級社会であることを思い知らされます。


モードリン・カレッジの庭
学生たちは、こうした環境の中で学ぶことで、自身に与えられている環境の素晴らしさに気づき、それを愛し、やがて自分の果たすべき役割を理解し、自らやるべきことを見極めて、勉学に励むことになって行くのでしょうか。

ともあれ、自らの存在とその環境に誇りを持つことが、環境を保全しようという気持ちとなって、美しい街を作り出すのに貢献しているのかとも思います(ちょっと買い被り過ぎのような気もするけれど)。あるいは、未来を担う学生たちのために、できるだけ最良の環境を用意しようというカレッジや街の人々の気持ち(タウン対ガウン、すなわち市民対学生の対立の時代があったにせよ)を一番にあげるべきなのかもしれません。

モリスが言ったというオックスフォードの街の美しさが「教育の重要性に由来している」という意味のひとつには、そこがこうした(競争や階級は存在しているけれど)基本的には私的な利益の追求から遠く離れた場所だということにちがいないと思ったのでした。2011.06.13



#012 モリスが愛した路地

教育の重要性に由来する美しさの街

人の営みに思いを馳せる装置

モリスが愛したコッツウォルズの村々についての本*を読んでいたら、オックスフォードの項にホリウェル・ストリートが取り上げられており、ウィリアム・モリスが好きだった通りだったという記述がありました。これを見つけたときは、ちょっと驚いた。実は、ぼくも1年間ほとんど毎日通った道なのでした。

「この町の最も古い建物が残っていて、この通りは一番愉しい通りだ」と書き残しているというのです。モリスというのはもちろん近代デザインの父と言われる方で、モーリス・ミニで知られる英国の自動車王ではありません(こちらのウィリアム・モリスもオックスフォードに縁があって、彼の寄付によって創立されたカレッジがあるし、現行のミニも当地で製造されています。因みにぼくの愛車は古い方の最終型。2台目です)。近代デザインの父の方のモリスはエクセター・カレッジで学びましたが、彼の妻ジェーンがこの通りで育ったということもあって、ことのほかこの界隈を愛していたということのようです(うーむ)。


ホリウェル・ストリートに入るところ
街の中で最も賑やかな通りをハイ・ストリートとともに挟んでいるブロード・ストリートの端にあるワダム・カレッジ御用達で学生にも人気のパブ、キングズ・アームズの脇に入った小道がホリウェル・ストリートです。少し進むと右手にはニュー・カレッジ(創立は1379年)の古い大きな建物があり、左にはこれも古いけれどコピー屋さんやら新聞等を売る小さなお店やらサンドイッチ屋さんやらの小さな建物が並びます。とりたてて立派な建物というわけではありません。ごくふつうのつつましい建物がほとんどです。その中にはヨーロッパ最古の音楽専用ホールであるホリウェル・ミュージック・ルームが含まれています。これについては一種の看板建築ではないかと書いたことがあります

ぼくは、ここをはじめとしてオックスフォードの街を行き来するまでは、何回か白状した通り、ガチガチのモダン建築愛好者でした。古い建物は好きじゃなかった、というよりも関心がありませんでした。ともあれ、今ではすっかり古い建物好きになりました(でも、たとえばなぜパリを見た時にそういう気にならなかったのだろう。うーむ、不思議です)。石造りの大きな建物から木造の藁屋根を載せた小さな民家までいずれも好きですが、とりわけ簡素な建物を好むようになりました(これはモダン建築でも同じ)。

簡素といえば、ホリウェル・ストリートに平行して走る、ヴェネツィアの溜息の橋を模したハートフォオード・カレッジの2つの建物をつなぐ空中廊下を抜けたニュー・カレッジ・レーンに入ったすぐのところにすすで黒ずんだ切り妻屋根の簡素な建物が現れます。これもニュー・カレッジの建物ですが、僕はこの倉庫のような単純な形の建物が気に入りました。たぶん、モリスも好きだったに違いありません。彼が絶賛したというコッツウォルズにある穀物倉庫によく似ているのです。それとも、大学という権威的な建物だということで嫌っていたのか知らん。さらに、ブロード・ストリートに面したトリニティ・カレッジにはモリスが保存に尽力した建物があるようでした(これも、何の変哲もない小さな建物でした)。


ホリウェル・ストリートを進んだところ
古い建物は、見る方にいろいろと想像させるから面白いと思います。建物それ自体が声高に主張することはしないけれど、何よりここを快適にしようとする人々の営みがそこかしこに表れていて、 このことがいっそう愛おしく見せている気がします。そして、簡素な建物ほどそれが顕著なように思うのです。さらに、ちょっと飛躍すれば、ミッドセンチュリの家具で人気のイームズ夫妻の自邸も材料や形態こそモダンだけれど、同じような思想が込められているようです。

ところで、先ほどの本によればモリスは、オックスフォードの街の美しさは「教育の重要性に由来している」とも書いているそうです。さて、いったいどういうことか。みなさんはどう考えるのでしょうか。2011.06.08

* モリスの愛した村 イギリス・コッツウォルズ紀行 斉藤公江著 晶文社



#011 市と市場

人と人が交歓する場所

日常と非日常を行き来する装置

皆さんにふだん買い物をするところはどこかと聞けば、たちまちコンビニ、スーパーという答えが返ってきそうです。個人商店や商店街で買うという人がいたとしても、きっと極めて少ないに違いない。さらに、市や市場で買う人はほとんどいないでしょうね。そもそも市はほとんど見かけないし、市場も日常的な買い物をする場所ではなくなった(たとえば、学校の近くには南部市場があるけれど、ここで買い物をするのは何かのイベントの時に大量に仕入れるような場合に限られます)。

そのくらい、私たちの日常的な買い物の環境は大きく様変わりしました。

買い物はパッケージされたものを選んで、かごに入れて、レジへ持って行き支払いを済ませておしまい。それですべてです。基本的には買う人とお店の人との間には会話は存在しないということになります。


大きな市場(スペイン・バルセロナ)

いっぽう、ヨーロッパにおいてはまだまだ人々の日常生活のなかで市場が機能しているようだし、定期・不定期の市もよく目にすることができます(たぶん、アジアでも同じだと思うけれど…)。すなわち、彼の地に置いては買う人と売る人の間には日常的な会話が交わされているというわけです。実際のところ、いずれも多くの人々が集まって、賑やかさと活気に満ちています。そして、このことも彼らの地域の中での暮らしやコミュニティと無関係であるはずがなく、そのあり方に大きな役割を果たしていると思うのです。

かつて、わが国においても個人商店や商店街、小さな市等あったのが、今や量販店やコンビニに押されてシャッター通りと呼ばれるようなものがどの街にでも出現することになりました。お店での買い物を通じてのつながりもごくふつうに存在していたはずなのに、いまやすっかり廃れてしまった。

「安い方がよい」、「便利な方がよい」ということは誰しも思うことですが、これらのことだけの追求は大事なものを失いかねません。「安さ」、「便利さ」、そして「物質的な豊かさ」を優先しすぎたせいで、暮らしをともにするもの同士で作り出していた「交わり」や「楽しさ」、「安心」といったものがもたらしていたものを忘れてしまい、次第に失うことになってしまったことも否めません。さらに、これが行き過ぎると、「自分の利益」だけを考えるようになる。やがて、共同体の意識は消え失せて、かつてあったはずのつながりはすぐにバラバラに瓦解してしまうのは逃れようもありません。


街の中の市 (イタリア・ヴェネチア)

ところで、ぼく自身は、近隣での生活に必ずしも濃密な付き合いだけを求めたいとは思いません。正直に言えば、たぶんそれだけでは息が詰まりそうです。しかし、 経済的、物質的な豊かさのみによらない暮らし方について思いを巡らせ、プライバシーのみを過度に重視する生活のあり方を今一度問い直す必要性が求められていると思うのです。2011.06.02

追記:なんだか、このところ同じようなことばかりを書いているような気がします。いったいいつの間に、どうしてこうした事態を招いてしまったのか。よく考えなければならないと思います。 



#010 オープン・カフェ

人と人がともに過ごす場所

時間と空間を共有するための装置

ヨーロッパの街や村を訪れてまず気づくことのひとつは、どこに行っても通りや広場には椅子とテーブルが(そしてたいていの場合テントも)置かれていることではないかと思います。 ほとんどのレストランやカフェでは場所さえあれば、店の前にも席がしつらえられています。 というわけで、今回はオープン・カフェです(別の機会はすぐにやってきたというわけです)。

それでは、なぜ、彼らはオープン・カフェを大事にするのか。


店の前に設えられた席(フランス・パリ)

ちょっと横道にそれるけれど、白状すると僕は街の中のテントが好きで、そこが何であれテントがあるというだけでつい入りたくなるのです(しかし、キャンプ場のテントはあんまり好きではありません)。だから、わが国ではなぜ街や生活空間の中で使われるテントが少ないのだろうかと思ってしまいます。増えてきたとは言っても、せいぜい小さな庇代わりがほとんどというのというのがほんとうに残念。それにしてもまだ少ないね(日本街中テント愛好会なんてものがあれば、すぐに入会するのですが…)。 もしかしたら、街そのものの魅力が乏しくて見る楽しみに欠けるということだろうか(うーむ)。

僕は出不精の部類で、どちらかと言えば海外旅行はおっくうなのですが(言いたくないけど、言葉の問題もあるしね)、オープン・カフェを楽しむために出かけたくなることがあります(昼間の日の光の下で、異国の風景を眺めながら飲むビールは一番です)。なんと言っても気持ちが解放されて軽くなる。街や村の景色が素晴らしいし、道行く人々を眺めるのも楽しい。そして、直接言葉を交わすことはほとんどないのだけれど、その場に居合わせた人々と、いわば一時のささやかな祝祭空間を共有する楽しみと晴れやかな気分があるのです。旅行者の僕がそうなのだから、そこで暮らす人々にとっては同じ街や村に暮らすもの、生きるもの同士の連帯感を抱くのに有効でないわけがないと思うのです。彼らは、こうした装置をいくつも持っているようです(たとえば、市や市場)。


狭い通りにも! (イングランド・バース)

いっぽう、我々はと言えば(そして自戒を込めて言うならば)、この共同体という意識、かつては存在していたはずのものを、自由を束縛するものとして嫌い、いつの間にか失ってしまっているのではないか。そして、自由と信じ込んでいたものの正体に気づき(今回の震災もその契機のひとつとなりそうです)、失ったものの重要性を思い知った時に取り返しがきくだろうかと思うと、ちょっと背中に冷たいものが走るのです。 2011.05.28



#009 ベンチのある風景 2

人と人が出会う場所

ともに暮らすことを楽しむしかけ

先に書いたように、英国やヨーロッパでは、ベンチや椅子を本当によく目にします。広場や大きな通りは言うに及ばず、こんなところにもと思うほどの狭い路地やわずかな空き地、そしてごく小さなバルコニーまでにも置かれているのでした(ま、そんなにたくさん知っているわけではないけれど)。ベンチや椅子のかたちや材質、その向きもさまざまです。そして、それが実によく使われているのに驚きました。住民同士のコミュニケーションや暮らしの場としてしっかりと機能しているように見えるのです。

通りに置かれたベンチ(スペイン・バルセロナ)

そこで、僕は一時「ベンチ写真家」と称して、ベンチや椅子のある風景をカメラに収めて喜んでおりました(そのときは、なぜか人が座っていないときばかりを撮っていた)。おまけに、整理が悪いためによい例を見つけきれないのが残念。上の写真ではよく見えませんが、右奥の方のベンチには何人かがちゃんと座っていました。

公園でも、彼らは実によく話しをしています。翻って、わが国では公園が使われているところを目にするのは実に少ないのです(ことに街中の小さな公園、児童公園ではほとんど人影を見ることがありません)。

もひとつ例をあげるとするならば、オープン・カフェがありますね。これもまた、重要な要素だと思いますが、このことについては、また別の機会に。


こんな置き方で!!(スペイン・バルセロナ)

この違いは何か。

もちろん、皆さんもご承知のとおり彼らが我々よりも日の光を欲していることもあると思いますが、それだけではないだろうという気がします。

ヨーロッパの人たちはプライバシーを大事にするとよく言われるけれど、一方で同じ街や地域に暮らす者としての生活を共有すること、すなわち人と触れあうことを大事にすることをプライバシーと同じくらいに大切だと信じているのに違いないと思うのです(ものごとの一面だけをとらえて強調しすぎてはいけないという教訓の一つ)。だからこそ、しばしば耳にするように、彼らは「自分の住むところが一番」という誇りを持つことができるのだろうと想像するのです。

僕たちは、プライバシーとコミュニティの両立の生活ということに関しては 、案外まだまだ初心者なのかもしれません。 2011.05.22



#008 ベンチのある風景

人と人がふれあう場所

街を暮らしの空間とするしかけ

日本で見かけなくなって、英国やヨーロッパではよく目にしたものの一つ。それがベンチでした。

といっても、わが国でも何十年か前までは決して珍しいものではありませんでした。お店の前や長屋の路地あるいは木戸の前あたりには床机(しょうぎ)や縁台と呼ばれる長椅子や一人用の椅子が置かれて、買い物に倦んだお客や近所に住む人たちが座って話したり、道行く人々を眺めている光景をごく普通に見ることができたのでした。

商店の建物の床机(縁台)
そこで、今でもそんなところはないかと考えて、思い出したのが倉敷の街。古いiPhotoのライブラリを探してみたら、やっと出てきました(ちょっとわかりにくいけれど、一番手前の電信柱のすぐ奥。残念ながら人が座っている写真はなかった。もうあんまり使われていないのかしらん)。

買い物や散歩の時にここに座ってちょっと休んだり、話しをしたりしたんですね。そういったことが、人々の気持ちをやわらかくし、同じ街に住むもの同士としてのつながりを感じさせたに違いない。しかし、いつの間にかこうしたことを忘れてしまった。というより我々はむしろ積極的に排除してきたようにすら思います。我々日本人が巷間言われるように公共心や道徳心を持った国民であるのだろうかということについては、きわめて懐疑的にならざるを得ません。100年も前の漱石の日本人評「未練なき国民」、「日本人は創造力を欠ける国民なり」をつい思い出してしまいます。

一方、欧米の国々から賞賛された震災の後の被災地の人々の振る舞いを見ていると、小さな村や街の共同体が残っていることのもたらすことの重要さを改めて思い知らされた気がします。そして、今一度こうしたものを取り戻すことの機会になるかもしれないという希望を抱きたくなるのです(それは大きな不幸の中の小さな幸いだけれども)。近代化の行き着いた果ての次(昔の通りというのではない、言葉の真の意味でのポスト・モダン)のあり方を考え、模索する必要があることがはっきりしたのだから。


歩道に置かれたベンチ

赤いキャノピーの前には幅と同じくらいの奥行きを持つ木製のベンチ、さらに右奥にも形の異なったベンチが置かれています。

それにしても電線が気になります。街並みが美しいだけになおさらです。これがなかったらどんなにすっきりとすることか…。 2011.05.16



#007 カレッジの古いライブラリ

歴史から学ぶ空間

知的であろうと決意する場所

当然のことですが、オックスフォード大学のカレッジには図書館があります。そして、その起源は12世紀半ばまでさかのぼるといわれるので、多くが古い建物であるだけでなく、収蔵されている書物も古色蒼然と言う方が正確に違いないというようなものもありました。さて、こうした図書館は役に立つものかどうか。おまけに彼の地では本が高いので学生たちはどうするかしらんとつい心配になります(いまでは我が国でも変わらなくなってしまいましたね。文庫本が千円以上もするなんて!)。そういえば、数学専攻の学部生のクリスは、「図書館をどう思うか、本が古いのけれど…」と言っていたような気がします(英語で)。


マンスフィールド・カレッジのメインライブラリ

しかし、その雰囲気はと言えば、とてもすばらしかった。ついでながら、もちろん近代的な図書館を建てたカレッジもある(たとえばワダム)。いくつか見たのだけれど、素敵だと思ったのはやっぱり古いライブラリでした。正直に言えば、ぼくはそれまではガチガチのモダン建築の信奉者だったのです。

たとえば、マンスフィールド・カレッジのメイン・ライブラリ(よく利用しました。勉強のためというよりは、その雰囲気を楽しむために)。建設されたのは19世紀の半ばを過ぎた頃ですから、彼らの基準からすればとても古いとは言えませんが、我々の感覚では十分に古くて歴史的な建物だと思います。

素朴で親しみやすくありながら、同時にそこに入ると身が引き締まるような思いをする空間(歴史に思いをはせ、知的であろうとする決意を新たにしないではいられないような場所)。簡素だけれど美しい柱や天井、そして質素な家具でつくられた空間は華美なそれよりも素晴らしい体験をもたらすものでした。しかし、何より気に入ったのは少し歪んだガラスから差し込む光が作り出す強烈なコントラスト…古い建物とそこに入ってくる新しい光の対比に魅了されたのでした。付け加えるならば、マンスフィールドには、これとは趣を異にする2つの図書室があり、これもこじんまりとしていいものでした。


クイーンズ・カレッジのライブラリ(2階)

そして、もう一つあげるならば、クイーンズ・カレッジの図書館。こちらは17世紀末の竣工と正真正銘古い。特に2階へ入った時は、ほんとうに中世の時代に滑り込んだかのような気がしたのでした。ケンブリッジのクイーンズ・カレッジの図書館でも同様な思いをしました。ちなみに、オックスフォードとケンブリッジには同じ名前を持つカレッジがあります。その理由を聞いたことがあるのだけれど、残念ながら忘れてしまった。

歴史の存在を感じさせる環境、知的でありたいとあらためて願うような場所とともに暮らすことがもたらすものと、これを捨て去ってしまったことの違いを思うと、ちょっと怖い気がしてしまいます。

ここでイギリスやヨーロッパのことについて書くときは、なんだか褒めてばかりじゃないかと言われそうです。たぶんもっとよく知れば別の書きようもあるはずですが、いまのところは彼の地にあって我々が失ってしまったものがあまりにも多いような気がするのです。 2011.05.10



#006 いろりのあるリビングルーム

建築化された炎

新しい団欒の場のための装置

いろりと聞いて、さてあなたはどんなものを思い浮かべたでしょうか。
やっぱり伝統的な民家の囲炉裏(いろり)?もしかしたら、暖炉を?それとも、…?


リビングルームのいろり(設計:増田奏

今回取り上げるものは、もちろん、伝統的な囲炉裏ではなくて、RC造3階建ての現代的な住宅に設けられたものです(設計は、本学科客員教授の増田先生。写真もお借りしました)。

現在、炎を眺めて楽しむことのできる住宅は多くないと思います。あったとしても暖炉がほとんどでしょう。
住宅設計の名人として名高い吉村順三(増田先生はそのお弟子さん)はたいていの住宅に暖炉をつくり、「部屋の中では、家具の配置よりもファイアプレースのほうの位置をまず先に考える」と言いました。

それでは、囲炉裏と暖炉の違いは何か。

囲炉裏では料理ができるが、暖炉ではしません。実際には料理ができる暖炉もありますが、暖炉の最も大きな楽しみは料理よりも暖をとり、なにより揺らめいて燃える炎を眺めることにあります(先の吉村順三は若き建築家たち — 増田奏と中村好文 — が熾した暖炉の炎を見て、その形が「デザイン的でない」と言い薪を並べ直したそうです)。このため、電気を用いた暖炉は作られるけれど、囲炉裏を模したものは作られることがありません。

こないだ、若い建築家と話をしていてひょんなことからそのことに話題が及んだ時、彼は「暖炉はテレビですね」というのでした。これは面白いね。なるほどと思いました。テレビは対面型で会話は弾みにくい。テレビと私、テレビとあなたという関係はあっても、テレビと私たちという関係は成り立ちにくいでしょう。さらに言えば、この場合はテレビが主役です。暖炉はテレビと違って声高に主張することはありませんが、つい炎に見とれてしまいそうです。

一方、いろりは囲み型。囲んで中心にあるもの(炎だけでなく食べ物も)を皆で共有します。ぼくがはじめて訪ねたときはクリスマスの小さなパーティだったけれど、皆でいろりを囲んでいろいろなものを焼いて食べさせてもらったのでした。


現代のいろり

ともあれ、団欒の中心に火があるととても心が和みます。
おまけにこの新しいいろりは伝統的なそれとは違って、床よりも少し高いところに設置されているので(ちょうどちゃぶ台の高さくらい)、当然顔もそれにつれて上がることになる。そうして、ひととひとの視線も交差することになって、自ずと話しも弾むことになるというわけです。

周囲になじみやすくしかも火のある喜びと実用とを兼ね備えた、現代の住宅にふさわしい見事な道具立ての再発明の一つです。 2011.04.29



#005 ホール

共同体を自覚するための場所

親密な空間の作り方

今回はカレッジのホールについて。この場合のホールというのは食堂のことですね。最近はわが国でもレストランで厨房に対して食事空間をホールと呼んだりするようです。元々オックスフォフォードやケンブリッジのカレッジは学生と教員がともに住み込んで学び教えていたのでした(このために、カレッジは学寮と訳されます)。ということで、カレッジでは今でも学生と教員は食事をともにする機会が多い。


マンスフィールド・カレッジのホールの教職員席

ところで、ここにも階級社会であることを示すものがあります。それは「ハイ・テーブル」と呼ばれるもの。一般に、ハイ・テーブルは教員だけが座ることが許される席で、文字通り一段高いところに設けられています。
いくつかのカレッジではそうでないところもあって、マンスフィールドの場合は学生の席と同じ高さにありました。しかし、そこに座ることができるのはシニア・コモンルームの場合と同じく、教職員と一部の大学院生だけでした。

ただ、それでも小さな共同体であることを自覚するのに有効なであるに違いない。言い古されたことだけれど、食事をともにするというのは親密さを増すのに何より有効な手だての一つです。


教職員席の方から見たホール

そしてそのホールの空間のつくられ方や魅力は、当然のことながらカレッジごとに異なっていて、そのカレッッジの成り立ちや性格をよく表しているようでした。マンスフィールドのそれはこじんまりとしていて、木が多用された比較的簡素な空間であるのに対し、たとえば、ハリー・ポッターの食堂のモデルとなったことでも有名なクライスト・チャーチの場合は、同じ木でも重厚でステンドグラスと卓上の小さなランプと相まって厳粛な雰囲気を作り出していました(見学しただけだけれど)。

しかし、ここでもやはりいずれにおいても光と影のコントラストが魅力で、近代的な大きな窓からの光で満たされた明るい開放的な感覚はないかわりに、適度に囲まれて一つのまとまりを感じさせる空間ができあがっています。このために、知らない人同士が集まって食事をするというよりは知っている者同士が食事をともにする場所になっている。少人数用の小さなテーブルではなくて長い大きなテーブルが配置されていることもそのことに貢献しているし、カジュアルというよりはややフォーマルな空間を演出しています。写真のようにテーブルクロスやナプキン、キャンドルスタンド等のテーブルセッティングで、フォーマル性はさらに高まります。一方、ランチの時などはスープやパンは同じ場所から各自が取り分けるというカジュアルなやり方をとるなど、時と場面に応じてしつらえ方を変えることも仲間意識を強める工夫の一つといってよいと思います。 2011.04.23



#004 バスルームが見えるリビングルーム

常識にとらわれないことから生まれたもの

気持ちのよい空間、美しい言葉

これはある建築家の自邸のリビングルーム。何で見たのかは忘れたのですが、初めて見た時からとても素敵だと思っていました。それがたまたま一緒に仕事をしていた先輩建築家に誘われて、実際に見ることができました(幸運にも彼女の友人であったのでした)。

”宇宙を望む家”のリビングルーム/設計:椎名英三

細いアプローチを通り抜けこれまた狭い階段を上ってドアが開くと、突然広い部屋が現れます。僕が訪ねたときは、床に置かれたものはほとんどありませんでした。そこで初めて見た置き家具は、細長い書斎に置かれたミースのブルノチェアとブロイヤーのワシリーチェアだったと思う(何しろ8年ほども前のことですから。写真も事務所から許可を得てお借りしました)。

でも驚くのはまだ早かった。落ち着いてゆっくりと眺めると、とんでもない光景が目に飛び込んできました(写真で見ていないはずはないのだけれど・・・。そのくらい新鮮な風景だったということですね)。一面の壁がガラスで、その向こうにはなんとサニタリがあったのでした。それは天窓からの光を受け白く輝いていました。ごく普通にみることのできるものから逸脱しようとすると奇をてらっただけのものになりやすいと思いますが、これはそれとは全く違って全くケレンみを感じなかったのでした。


リビングルームに隣接するバスルーム

それから建築家自身の手料理をごちそうになったのですが、その時はちゃぶ台代わりに洗い張り用だったという板を使ったちゃぶ台が設えられたのでした。ついでに言えば、(バスルームを眺めながら)そこで過ごす時間があんまり気持ちがよかったので、ほとんど初対面だったにもかかわらず、夜明近くまで飲み続けてしまいました(ごめんなさい)。

(とても忙しいはずなのに)こんなにきちんと整えておくのは大変でしょうと聞くと、「たしかに大変ですけれど、そのぶん喜びも大きいのです」という答えが返ってきました。僕は、もはやすれっからしになっていたので、こういう答えに対してはだいたい眉につばをつけるのですが、このときばかりはすんなりと胸に落ち着いたのでした。

ついでに言えば、大きな窓越しのバルコニーにしつらえられた小さなコーヒーテーブルで過ごす、日が暮れる前の時間も素晴らしい体験でした。 2011.04.17



#003 シニア・コモンルーム

大人だけの空間を満たす静かな時間

ゆるやかな時を演出する仕掛け

シニア・コモンルームはカレッジの教職員と大学院生だけが使う部屋のこと(といっても、使うことのできる人の区分がケンブリッジではどうか、オックスフォードだって他のカレッジではどうなっているかはよく知りません)。


シニア・コモンルーム

マンスフィールド・カレッジのそれは、鍵を持っていないと入れませんでした(電子キーです。古いものと新しい技術の共存が進んでいるのが面白いね)。ま、階級社会の現れ、気取っているといえばそうに違いない(何しろカレッジには、教員だけが入れる庭、学長専用の庭があるくらいですから)。しかし、そこには知的で落ち着いた時間が確かにありました。

そのことはしばらく措くとしても、それはこじんまりとしていて、ソファをはじめとする家具も古びたものばかりです(といっても19世紀半ばの建物ですが)。決して華美ではないけれど、木を多用したインテリアと相まってそれは素朴で気持ちのいいものでした。他のカレッジ、例えばオックスフォードでも最も大きなカレッジのひとつ(それでも学生数は600人を超えるくらい)ワダム・カレッジではもっと広かったし、グリーン・カレッジのそれは中間の広さでかつ平滑な面に設けられた窓も大きかった。


テーブルに置かれた果物とキャンディ

小さなテーブルに置かれた飲み物やお菓子、あるいは果物や花、新聞や雑誌も静かで親密であることに大いに貢献していました。全体としてはけっして明るくはないけれど(窓は大きくないし、おまけに小割りにされたガラスは平滑ではなく歪んでいるからね)、そこから入ってくる日の光は部屋の中に複雑で明確なコントラストを作り出します。僕は、部屋いっぱいに日の光があふれる室内も嫌いではないけれど、それにも増して壁や床、あるいは天井に映り込んで輝きながら跳躍する光が好きなのです。

余談ですが、建築写真家はむしろ曇りの日の撮影を好むということです。それは光が均質で建築空間の性格をより表現するということのようだけれど、それが本当の魅力を伝えることになるのかどうか・・・。さて、どうでしょうか。 2011.04.11



#002 ある台所の風景

調理すること、食べることの祝祭化

食堂と台所の新しいかたち

これは、若い友人の建築家が設計した住宅の台所。雑誌の撮影があるということだったので、ついていきました。

”is house”の台所/設計:横山敦士
というか台所と食堂ですね、そして居間が同じ空間の中にあります。ふつうに言えばLDKということになるのでしょうが、それともちょっと違うのですね。台所と食卓の関係が全く異なっています。ごらんの通り、キッチンのカウンタートップとテーブルが一体化しています(しかも、高さまでが同じ)。

正直に言うと、僕は台所と食堂が一緒になったDKというものが嫌いでした(基本的には今でも同じです)。ところが、この空間を体験したときに気持ちが変わった。一般的なDKのように台所の中で食事するというのではなくて、調理と食事を小さな祝祭に変えようとする仕掛けのように見えたのでした。そして、とても心地よい時間のある空間でした。


台所からリビングとテラスを見たところ
本人に確かめたら、はるか以前にデザインしたブティックのための長い陳列台が搬入されるのを見ていたときに思いついたそうです。既成概念にとらわれず、頭を柔らかくしておくことが大事ということがよくわかります。また、思いついたアイデアはいつ実を結ぶかわからないということですね。

実は、お風呂のバスタブもイレギュラーな配置でしたが、バスコートそして外部と連なる関係が絶妙で、とても素敵なものでした。そして、今は街路とテラスを隔てる生け垣ももう少し伸びて、さらに魅力的になっているに違いない。 2011.04.05



#001 ポート・メドウ

街と隣接する自然

湖に姿を変える牧草地

メドウは川沿いにある牧草地

ポート・メドウはオックスフォードのテムズ川沿いにあって、季節によってところどころに大きな水たまりが出現します。草木や動物、そして水のある広大なメドウは散歩コースとしても絶好です。美しい風景は私たちの心を元気づける力があるようです。街のすぐ近くにこんなところがあるなんて、うらやましいかぎりです。残念ながら、ノートパソコンのHDDがクラッシュしてファイルがなくなってしまい、写真はこの2枚だけが残っていました(オックスフォード通信で使ったものです。とても素敵な場所だと思います)。


ちょうどボートの練習中

実は、わが関東学院大学の目の前を流れる侍従川でも同様の光景を見ることができます。これもなかなか素敵なのですが、水と人とが遠いのがちょっと残念(ま、海沿いなので仕方ない面もあるけれど)。 2011.03.26