ホームページの移設に伴って、名称を新しく夕日通信Ⅲと改め、初心にもどって皆さんとのやり取りを掲載するページにしようと思います。で、まずはこちらから、手紙を書くつもりで。 |
真剣さがもたらすものは |
モランディに倣う・2nd(パイロット版) |
久しぶりにカルボナーラ |
イタリア人になる |
ある日のランチ 続盛り付けの練習 |
自己表現/心に留めておきたいこと |
ミステリードラマを見る理由 |
またまた、課題が |
初めて観るつもりが |
2月5日は大雪 |
先週は「古さ」に苦戦 |
ヨーロッパのカフェ |
ハッピーエンド依存症、または自己救済大作戦 |
朝早くに鳴る電話 |
新年の抱負 2024 |
久しぶりにブックオフ |
もうひとつのレモンパスタ |
空っぽの空 |
冬の黄色 |
今度は、霧に包まれた街 |
黄金色に輝く街 |
水道管の埋設は30メートル/日、またはながら族 |
ない! |
2極化 |
住宅の外の置物について |
「指標」としての映画 |
「バランス」が問題 |
秋の入り口 |
ジェンダーレス? |
明快であること |
突然降る雨 |
「黄色の研究・第3弾」を開始 |
すごい生命力! |
「やぎさんゆうびん」の謎 |
まいった! |
欲しいもの、といえば |
プロじゃないので、やっぱり |
エコの時代なのに、使い捨て⁉︎ |
黄色の研究・2 経過報告編 |
また、久しぶりに銀座 |
黄色の研究・序章 |
皿の中にもイタリア? |
人間を描く? |
朝日?それとも夕日? |
驚いた。見た。飲んだ。 |
何がしたいのだろう |
久しぶりに、パイレーツ・ロック |
言葉と音楽について考えてみるつもりが |
別の世界で、戦争 |
依存症がこわい⁉︎ |
本の読み方が変わった |
つきあうのは大変だ |
大いなる誤解! |
ビーチサンダルの怪 |
欠点は山ほどあるけれど |
桜の花が咲く頃に、なんですが…… |
これって、ちょっと変、のはずが…… |
久しぶりに東京・その3 赤坂見附編 |
久しぶりに東京・その2 日本橋編 |
久しぶりに東京・その1 銀座編 |
久しぶりに横浜、感嘆符の日 |
音楽は素敵ですよねえ
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窓際のウェンズデーさま |
えっ、またオリンピックですか? |
絵を描くこと、または写真を撮ること |
もう一度好きになるために・お手本編 |
物欲が再燃・その2 |
小さな差異に頼る |
おそるべし、銅製玉子焼き鍋 |
久しぶりにラブコメ |
新しい欄を公開しました |
美食倶楽部 |
散歩の途中で ある朝の収穫 |
YEBISUのロゴ入りビアグラス |
小春日和の日のランチ |
僕が映画と紀行番組が好きな理由 |
フードパントリーって何? |
なんでもお金。でも…… |
不思議が解消! |
耳が悪いのか? |
乱れる気持ち |
時々世界旅行 バルセロナ編 |
続々・最近の不思議を1ダース+1 |
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30数年後の本棚の行方は…… |
あやかって、復活⁉︎ |
撤退期日、迫る |
速報 行ってしまった |
号外編 あ、雨が…… |
刑事ドラマ、そして撤退作業の状況 |
伊東ゆかりの矜持と僕の「片付けられない」病 |
速報編 残るは小物類の選定、そして廃棄物? |
片付けボランティアとパスタランチ |
緊急! 来たれ、片付けボランティア!! |
号外編 ない!? ない!! あった!!! |
1,500円/日 |
ドラマの中の複雑、現実社会の単純 |
号外編 『大盛り焼きそば理論』大公開! |
片付けボランティア第1号現る |
yさま |
速報編 急募!片付けボランティア |
号外編 民主主義の行方 |
続・最近の不思議を1ダース+1 |
号外「夏鮨」 |
英国製ミステリドラマ『主任警部アラン・バンクス』 |
最近の不思議を1ダース |
懐かしいもの、新しいもの |
番外編 前向きになる練習 |
僕の欠点、憧れはあるのに |
La Vie en rose |
時代は変わる |
「大人」であるということ |
「海ちか」プロジェクトからの撤退 03 |
「海ちか」プロジェクトからの撤退 02 |
春、なのに |
老いることは、他者が死ぬこと |
散歩の途中で 石垣劇場編 2022・01 |
東京駅、ソフィア駅 |
ストリート・ミュージシャンの胸中 |
散歩の途中で 中古品を買う |
なんだかなあ。でも、もう春 |
「スロー・ライフ」 |
今、昔、そして未来 |
スーパーの紳士に教わる |
再び、イーストウッドにならう |
モニカ・ヴィッティの表層 |
ミースと古いアパートメント |
日本語殺し |
「大昔」って、いつのこと |
号外 初積雪 |
号外 謹賀新年 |
散歩の途中で スキマも劇場編・1 |
散歩の途中で 石垣は劇場編・3 |
散歩の途中で 石垣は劇場編・2 |
散歩の途中で 石垣は劇場編・1 |
ライカじゃないけど |
続・スコットランドの鳥、コルシカの豚 |
スコットランドの鳥、コルシカの豚 |
小説とエッセイのあいだ |
辞書に対する不満 |
無いのと、一緒 |
こないだの続き、のようなもの |
演奏者の向く先 |
年をとってからの顔 |
保守性を自覚する |
レコードを磨く |
悔恨の日 |
アタマと眼 |
反省 |
カタカナ語の隆盛について |
白昼夢、か |
死はわが隣人 |
僕がブログを続ける理由 |
オリンピックの開催に反対する |
終の住処 |
もっと困った |
ちょっと困った |
不勉強を恥ぢる |
テニスの頃 |
速報・村上春樹の新刊『古くて素敵なクラシック・レコードたち』をめぐる感想 |
「なんだかなあ」 |
これはいいことなのか? |
来客の効用 |
番外編・理解できない |
レコードの音再び |
ああ(覚えていない)! |
どうでもいいことのようで、そうではない |
捨てられない |
yさま |
オーディオ機器の入れ替え大作戦 |
感覚的であること、論理的であること |
54年後の「男と女」 |
方丈への気持ち、ちょっと再燃 |
時間が逆転する時 |
サスティナブルであること |
使い切る喜び |
ドヴォルザーク交響曲第8番第3楽章の謎 |
デザインに対する姿勢の違い |
トシヨリBOOK |
フレンチ・マスタードの逆襲 |
yさま |
改装大作戦・幻の番外編 |
改装大作戦・速報1 |
ソール・ライターに思うこと |
もう一つの「久し振り」 |
n.1738 さま |
何度目かの所信表明 |
「疑い」こそ想像の源 - 日常を疑う(教員コラム再掲#3) |
やってみなはれ―「効率主義」を疑う(教員コラム再掲#2) |
「自分」を信じる力-または「疑う」を疑う(教員コラム再掲) |
卒業生の来訪、またはジャズ・バーの誘惑 |
イーストウッドの映画・2 |
またまた一人 |
続・小人閑居するのこと、またはマンネリと革新の間 |
僕が「やっぱり撮っちゃう」もの |
教員コラムに掲載 |
ジャズのようなバッハ |
もう一つの不思議 |
目に見えるもの、見えないもの |
またしても |
みなさん、さようなら(ご挨拶) |
予習のはずが、一夜漬け |
ルドン展 |
久しぶりに、はしご |
行った、見た、忘れた! |
オムライスと福岡空港フードコート |
映画「ヒッチコック/トリュフォー」 |
「男と女」の次は |
ドーヴィルまではどのくらい |
ラブコメの効用 |
教員コラムvol.231再掲 |
オリジナルと模倣の間 |
壁に現れた抽象画ふたたび |
モランディに倣う・4 |
少し驚き、ちょっと嬉しい |
モランディに倣う・2 |
脇役と主役の等価性 |
生き延びること |
アルベルト・ジャコメッティ |
やれやれ |
宮脇檀「手が考える」展を見に行く |
モランディに倣う |
ことばのチカラ |
水に浮かぶ家 |
先のことは誰にもわからない |
変 |
ルノワール再見・後 |
洒落た言葉、洒落た装丁 |
曇りの日の楽しみ |
ルノワール再見・前 |
力による主張の横行 |
スタンリーのお弁当箱 |
雨上がりは南仏 |
色を変えたあじさい |
蕎麦にビール |
キャンパスにリス |
素朴な疑問 |
続・オリジナル信仰を疑う |
世界の向かう先 |
ジャズ |
梅雨の晴れ間 |
変化する景色の楽しさ |
変化する景色の楽しさ |
短編小説のようなエッセイ |
繰り返しの喜び |
案山子 |
花の中に隠れていたもの |
支離滅裂な私 |
アイコンとしての明菜と百恵 |
楽観主義でいこう |
ジョルジョ・モランディの絵 |
「皆さんの想像力が…」— 折々のことばに思うこと1 |
外で仕事がしたい |
がっかり×2 |
着席の流儀 |
GW初日のフードコート |
身につまされながら読む本 |
スペシャリスト |
あっという間に葉桜 |
ある日のラジオー懐かしさと困惑 |
キャンパスの桜 |
五周年丸 |
ちょっと不思議 |
昨日は卒業式 |
春が来た |
どうなってしまうのだろう |
道路の舗装 |
なんだか活発なブログ更新で驚いています。 20016.03.12 白椿の里 |
白椿の里さま |
ご無沙汰しております。 |
三日月王さま |
今晩は。 |
cloverさま |
日々温かな春の近頃、お元気でお過ごしでしょうか。 |
kanuma tsuushin さま |