1,500円/日 ある朝の天気予報の中で、今日はもう4時半頃からセミが大合唱していましたね、と言うのを聞いて、へえと思った。家のあたりは緑もそこそこに残っているのに、あんまり聞かない気がするのだ(耳が悪いのか?)。皆さんのところではどうでしょう。それでも、空は朝からもうすっかり青地に白が浮かぶ夏の空だし、気温も上がる。 物価の上昇も止まりませんね。ニュースでも、これに関わるこれが話題になることが多い。先日は、乳牛1頭の1日あたりの食費が取り上げられていた。1日1,500円。これが高騰して酪農家の皆さんは大変らしい。そこで、乳製品メーカーの大手3社と異例の年度途中での交渉を行った。政府はどうしているのでしょうね(もしかしたら、片付けを前にした僕と同じ?まさかね……)。 この食費ですが、僕よりも多いじゃないか、ということに気づいた。最初はえっと驚いたのでしたが、すぐに牛さんは毎日牛乳を産出して利益を生み出しているのに、僕はただ食べているだけで生産的なことはしていないのだからしかたがない、と納得した。それから、やっぱり悔しい気がしたので、僕はいわゆる燃費が良くて、経済的にできているのだと思うことにしたのでした。
* 一方、経済的じゃないのが、先日からずっと書いているモノの多さ。モノをできるだけ減らすと言いたいところだけど、今回は使わないものを少なくすること、わけても探しものをしなくていいようにすること、すなわち必要なものがどこにあるかがすぐにわかることを目指したいのであります。これまでは、読みたい本やら聴きたいCDやらを手にするまでに時間がかかることが多すぎた(今は本もCDも狭い家の中で分散していて、あちこち探し回ってようやく見つけた時には、なぜ探していたのか忘れるくらい)。今や、そんなことに時間を使っているわけにはいかないのだ。 少なくも、探し物や不要なものが目に入ることによるストレスをなくして、穏やかでていねいな生活を営む余裕を手にしたい。そうすることで、いくらかは生産的なことができるようになるかもしれない。余裕がないと、例えばゴミが落ちていてもすぐに拾おうという気ならないこともある。散らかっていることに対する閾値が上がって、まあいいかと思ってしまい、つい先延ばししてしまうのだ。レコードをゆっくり楽しもう、スクリーンを立てて映画を見ようという気にもなりにくい。知らず識らずストレスがたまり、「ていねいな暮らし」からはどんどん遠ざかるばかりだ。 しかも、そう思いつつも、此の期に及んでも相変わらず体が動かないことが多いのです。なぜなのだろうか。その代わりに、赤のフリクションペンを手にとって、たとえばこのHPのような文章にごく小さな修正を加えたり、パソコンを開いたりしてしまうのだ。そして、書いていることと実際との乖離が大きいことを思って、自分が言うだけで実行できない、いかにもダメな人間のようでほとほと嫌気がさしてしまいます(思わず苦笑いをすることも……)。 本音を言うなら、もはや一旦ゼロにして再出発したいくらい。しかしそうもいかないので、少しずつ近づいていくしかない、と思い定めて頑張らなくてはいけません。モノを少しでも減らして、片付けて、「ていねいな生活を営む」、これは自分との約束だ(テレビドラマの中の人物だって、娘のことを託した友人との「約束は破るわけにはいかない」と言うのです)。そして、翌日の朝刊の小さな欄には、「人間は、思ったり、したり、できはしない**」とあった。思いよりも願望よりも、実践ということですね。ああ、わかっていてできない自分をなんとかしなくては……。 * ほんとうは、もっとすっきりしたいのです……。 ** 折々のことば、朝日新聞2022年7月26日朝刊。「…しようと思うのけど、どうかしら」と聞いた白洲正子に、青山二郎が返した。
 まだ、仕事あります。まだまだ募集中!ボランティアを募っています。 心優しく、いくらかの時間があるという方は、ぜひこちらまでお知らせいただければ助かります。焦り気味は、急拵えのバーナーを見てのとおり。どうか、よろしくお願いします。 読んでくれて、どうもありがとう。 感想やお便り等をこちらからどうぞ。 2022.07.27 夕日通信 |